だらだら日記goo編

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核への問いはないのか?

2012-10-24 22:50:03 | インポート
今、国立近代美術館で、美術にぶるっ、という展覧会をやっている。
国立近代美術館開館60年を記念した展覧会で、美術館自体の改装をやって、リニューアルした美術館のお披露目の展覧会だ。
美術にぶるっ、というのは、美術に震えたことはありますか?という一種の問いかけみたいなものだ。
展覧会は二部に分かれていて、一部で、MOMATコレクションスペシャルとして、近代美術館の名品を展示、二部で、実験場1950として、他所の美術館からも借りて、美術館が開館した1950年代を検証するという展示だ。
一部には別に文句はない。名品が揃っているということだ。
問題は二部の展示で、自己完結してしまっているのだ、今への問いかけがないのだ。
展示は土門拳と川田喜久治の原爆を扱った写真からはじまる。
原爆に関する情報が、ようやっと出てきたのが1952頃だという。
そして基地闘争だ。砂川闘争は、現代美術館のよく知られた中村宏の作品、内灘闘争も出てくる、ビデオも流れる、流血の記憶砂川。
しかしそれで終わり、基地は今でもあるのに過去の記録のようだ。
で、国土の再編、として、芸術家の眼が、東北に向けられた、とする。
木村伊兵衛、濱谷洪らの写真家の眼が、東北に向けられたとする。東北といって何も連想しないのか、企画者は?
そして安保だ。ビデオがまた流れる、岸よ、平和の足音をきけ、いやだ、戦争はいやだ。
そして展示は細江英公が1960に作った、へそと原爆、なるビデオ作品で終わる。
原爆ではじまり、原爆で終わる、それで自己完結していて、今への視点がないのだ。
東北と聞けば、誰もが311と福島を連想するが、そこに全く繋がらない。
原爆のことが、7年後になって日本人にはっきりした、では、福島原発のことは何時になったらはっきりわかるのか?
基地問題は日本に相変わらずある。
砂川で繰り広げられたデモが、平和的にではあるが、原発を巡って繰り広げられている。
1950年代の問題は今の日本で解決しているようには全く見えない。今への視点を無視して良いのか?
これはガッカリした展示だ。美術にぶるっ、というか、美術にぶるぶる震える。