僕たちは太陽暦を使っている、当たり前のように2,4,6,9,11月は日が少ないということをしっている。
しかし太陽暦を採用する前の太陰暦では一月が30日の大の月と29日の小の月があり、それが毎年変わるとはじめて知った。
たとえば1700年は1,3,6,9,11,12が大の月で1701年はそれが1,3,5,7,10,12で1702年はそれが1,3,4,6,8,10,12と変わる。
カレンダーを作るほうも大変である、しかしそこに遊び心が生まれる。
干支と組み合わせて絵の中に大の月、小の月を描いていったものもいる、この絵解きがなかなかに面白いのだ。
東京新聞の記事に誘われて新宿歴史博物館に企画展示「暦の世界へ」を観に行く。
この博物館は常設展示が有料で企画展示が無料という変わった博物館、パンフレットも何も作っていないのでがらがらだ。
しかし展示は充実している。本居宣長の「真暦考」から展示スタート。
福沢諭吉は明治六年の太陽暦採用に当たってそれを擁護する本を書き上げたという。
確かに太陽暦は普遍的でよろしい、しかしその採用に経済問題があったとは驚く。
「金色夜叉」の描写の中では新暦ではつじつまのあわない箇所もあるという、まだ人々は旧暦とのはざまに立っていた、そんなことを研究する人も面白い。
さてさて新暦が採用されるまでは地方でいろいろな暦が使われていた。
「京暦」とか「伊勢暦」とか「三島暦」とかー。
字が読めない人のために東北南部では絵文字を使った暦があった。
たとえば「冬至」を「豆腐」と「磁石」で表現するというようなー。
「深山暦」というのもあったそうだ、絵文字の判読が複雑でまだ読み解かれていないとかー。
でもって「大小暦」のクイズのような展示となかなかに面白い。
展示では歌川国芳の錦絵で女性が眺めている暦が伊勢暦とわかるなどはっとする部分もあり実に面白い。
宣伝していない代わりに展示カタログができていて八百円と安いのもよろしい。
それにしても太陽暦を採用したのだから、昭和とか平成とか「和暦」はもう廃止したらどうかとも思う、女性天皇制の議論と絡めて論じられないのはなぜか。
新宿歴史博物館は四谷の駅から徒歩十分、なぜかこのあたりは清涼飲料水百円の自動販売機が多いことも付け加えて宣伝しておきましょう。