「六十七十ははなたれこぞう」
「今やらねばいつできる、わしがやらねばたれがやる」
なんとも恰幅のいい人である、何しろ上野からこの地に移り住んだのは98のとき、庭には樹齢五百年、直径1.9メートルのくすのきが、これから彫刻をやるために用意されているーご存知平櫛田中である、その記念館を小平は一橋学園というアクセス用意ではないところに訪ねる。
まあ入館料三百円というからたいしたこともないと思っていくが、運営主体の小平市は田中と同じく恰幅がいい、展示館は、一階二階地下とあり、それに田中が住んでいた記念館もあり、そこにもいろいろ展示されている、庭も見事でビデオもあり、資料室まである、これはすべて見るのに半日かかる!
さらに展示は階段にさりげなく荒川豊蔵の茶碗が置かれ、東京藝大の校舎で使用されていた「鬼瓦」がおかれてあるなど贅を尽くしている!
監視員もまったくいない独占状態、都心をちょっと離れるとこうなのかと驚く。
展示作品についても触れたいがウォーナー博士と岡倉天心の胸像が並べられておかれている。
ウォーナーというのはアメリカの東洋美術の研究者で太平洋戦争中京都奈良の文化財を救うべく奔走した人であることをはじめて知る。
五十鈴老母という作品も大変良い。
伊勢のおもち屋の主人で田中はちょこんと座っている表情がかわいらしかったという。
企画展示は「人形の世界」ということで創作人形がいろいろ展示されるが、田中が嫁ぐ次女のために創ったというお雛様が大変良い、長男長女を失っているだけに万感の想いがこもっているのだろう。
お雛様に面して広大な庭が広がる、梅が咲き春はもうすぐだ。
残された田中のノートには「根性、根性」とつづられているが、晩年は悠々自在の境地だったのだろう。
そして心ある人々の手によって田中の住居は今こうして記念館としてきちんと運営されている、田中もあの世で酒を飲みつつ大笑いしているに違いない、展示は田中八十を過ぎた頃から始めた書とかいろいろあってぜひ又訪れたい。