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だらだら日記goo編

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護美の思想

2005-02-11 20:50:32 | 日記・エッセイ・コラム
今日は世田谷美術館行って母の病院行っただけだが異様に疲れた、身心とも疲れきっているのかも知れない。
世田谷美術館は展示数が異様に多いが解説も何もないのでカタログでじっくり確かめようと思ったら、そのカタログがまだできていない、こういうことはネット上でもいいから告知してほしい。
母は薬が変わったら元気になって「ちょっとここから出してよ、買い物に行く」とか言う。まあ意欲があるのはよしとしよう。
さて昨日の続きで、アパートやら新しい人が増えて近所で問題になるもののひとつがゴミだ。
ゴミを分別しないで出す、当然誰が捨てたか判らないから、「このゴミ持ち帰ってください」とか「○○以外の人のゴミ捨て禁止」とかわざわざ書くようになる。
それにしてもゴミ置き場にゴミが残っているのは見た目にもよろしくない、誰が掃除するのだろうといつも思う。
また夜中にゴミを捨てる人が多いので、カラスや猫が食い荒らし、残骸が道路に散らばっていることもある。
これまた見た目にも悪いことおびただしい。
掃除してくださる人にほんと感謝である。
それにしてもゴミひとつで近所迷惑が増えるというのも困った話である。
捨てる人の良心に任せるしかないのだろうが、そうもいってはいられない。
そのうちだれそれのゴミと書いてゴミ捨て場に置くよう義務付けられるかもしれない。
誓約書を書かせるという話もある。
ゴミは護美ともかくから「護美箱」と全国的に書いてゴミ捨て場に置いたらとも思う。
迷惑をこうむる側がヒステリックになるとろくなことはおきない。
それともこの社会はどん底まで行かないと立ち直れないのだろうか。


家が建つ

2005-02-10 19:39:20 | 日記・エッセイ・コラム
つい先ほど建築会社の人が来た。斜め前の空き地に家を建てるのでその建築計画の説明だ。
もともとは広い一軒の家だった。相続対策かなんかで土地を売却したのだ。
世田谷の一等地である、そんな広い土地を買える人も多くなく、その土地は三分割された。
で、そのうちの一軒がいよいよ家を建てるというわけだ。
近くを見回しても、同じような状況の家が多く、アパートなり小型の家が乱立している。
自分だったら耐えられないが、プライバシーをのぞき観られないよう、ひっそり慎ましやかに暮らしているのだろう。
まるで他人事みたいだがうちもどうなるかわからない。
僕独り、ないしは嫁さんもらっても二人ですむにはこの家が広すぎることも事実だ。
もともと父が僕が結婚しても困らないようにーまあ三世代暮らせるように建てた家なのだ。
物置と化している部屋もある。土地を売ることは避けたいが、二分割しても別に困らない広さだ。
広い家というのは先祖代々続く家なら別にして、なかなか都心では難しい。
どうしても遠いところということになる。
今日の新聞に田園都市線の混雑が載っていたがあれは並大抵のものではない。
渋谷や三軒茶屋のラッシュアワーの混雑は人事ながら驚く。
毎日あれで通勤通学している日本人はよほど我慢強いのだ。
けど本当は官営住宅が都心にあることが変だとも言える。
僕の家の前は警視庁のアパートだが、そんなものは郊外につくればよろしい。
そういえば父は生前、皇居をなくせば住宅、交通の問題もかなり良くなるといっていた。
ここいらは議論が分かれるだろうから、僕は言及しないがー。


墨岡クリニックへの道

2005-02-03 23:33:51 | 日記・エッセイ・コラム
僕が始めて精神科にかかったのは高校時代。
はじめから墨岡クリニックへ行ったわけではない。はじめは病院へ行き、そこから紹介された。
けど僕は墨岡さんにかかる前から、墨岡さんを知っていた、不思議な知り方でー。
ある雨の日、僕は自殺しようと家を出た、確か小田急の成城学園の駅の近くに線路にかかる橋がある、そこから身を投げようと思った。
なぜ成城学園かまったくわからないがそう信じていた。
ところが行ってもそんな橋はない、どうしようかと思って成城から祖師谷まで歩いた、そしてまた電車に乗った。
成城から祖師谷までの間の道の途中に墨岡クリニックはある、その前を確かに通ったのだ。
あれこれして結局自殺できずに家に戻った。母が死なないでとないてもう死ねないなと思った。
あとで本を読み、「うつ病」の症状に自分がそっくりだと驚いた。そして病院の精神科を訪ねた。
今から思うと絶望のどん底で僕は墨岡さんの前を通ったのだ、何かに導かれるようにして。
それ以来僕は超越者の存在を信じている。自分は生かされていると感じている。
病院では「登校拒否」と決め付けられた自分を墨岡さんは「つらかったろうね」と一言言ってくれた。
そのとき自分は助かったと思った。
紆余曲折はあったが墨岡さん以外の医者の医者にかかってないしかかるつもりもない。
世の中はセカンドオピニオンなる言葉が流行しているが僕は関係ない。
天に導かれて墨岡さんにかかった、それだけ。こんな僕はおかしいだろうか。


ビラ配り

2005-01-22 23:10:07 | 日記・エッセイ・コラム
当たり前だが毎日ポストをあけている。
すると必ず一日2、3はどうでもいいビラが入っている。
ほとんどは家を売ってください、買いますというものだ。
ビラ配りも仕事だから持ち家、借家、マンションところかまわず入れる。
こちらはこれから結婚して暮らすので売るつもりなどもうとうない。
即座にゴミ箱となるビラである。配っているほうもよく飽きないものだ。
ビラ配りといえば反戦ビラを配って逮捕された事件があった。
背景はよくわからないが、公務員の宿舎はビラ配りにはうるさいものだ。
配っているほうは信念でやっていても、宿舎のほうはビラそのものが全部ダメと考えているかもしれない。
僕だったら、周りの家には配っても、公務員宿舎に入れないなと思う。


認知症とは?

2005-01-22 00:18:26 | 日記・エッセイ・コラム
「ルイ・ヴィトン」展を見て先ほど帰宅。
高層ビルの52階に古いかばんやら浮世絵やらガレの作品やらが置いてあるのも奇妙な気分。
展示数に物足りないが、「ルイ・ヴィトン」と中世イスラムタイルとのかかわりなどなかなか面白かった。
しかし母の要介護5である。
どう考えても重過ぎる。独りで食事も取れるし、家にいたときは一人で風呂にも入っていた。
僕なんかでは要介護3くらいが適当と思う。身内のものとしてそんな重体ではあってほしくないという気持ちも勿論あるがー。
それにしても「痴呆症」は「認知症」になるそうだ。
では「認知」とは何かとなる。単なる記憶の問題ではない。
うつ病でも「認知の枠組み」が言われるが、勿論その認知は別の意味だ。
「統合失調症」はかなり広まったが「認知症」はどうだろう。
僕は痴呆が必ずしも侮蔑的とは思わない。