先週の週刊朝日の書評「ビニール・ジャンキーズ レコードコレクターという奇妙な人生」にうなづいた。
評者は言う「コレクターはたいていぼうだいなコレクションをもっている。残った人生のすべての人生を費やしても聞ききれない数のレコードを所有しているものなどざらだ」
そのとおりだ。これをCDと言い換えればまさに僕に当てはまる。
レコードだけではない。本も展覧会の図録も同じことだ。
いつ聞きたい、読みたいとなるかわからない。だから手放せないのだ。
処分してしまえばまた読みたくなったとき後悔する。だから処分もできない。
本やCDなど図書館で借りろといわれるかもしれないが、上記の理由で期限付きのものはだめなのだ。
森本哲郎さんがやはり学者との対談でおなじことを述べていていたく共感したことがある。
かくて家の中は集めたものでごった返す、整理しろといわれてもできない、性分なのだ。
だからといって同じ週刊朝日に載っていた「雑誌の山で生き埋め」になった人ともまた違う。
この人は週刊誌や写真集を七トンも溜め込んで床が抜けたそうだ。
しかし僕には「テレビガイド」や「アサヒ芸能」を溜め込む心理はわからない。
こういうものは、必要がなくなったら捨てればいいと思う。
だけど本やCDは必要がなくなるということがない、だから頭いたい。
評者は言う「コレクターはたいていぼうだいなコレクションをもっている。残った人生のすべての人生を費やしても聞ききれない数のレコードを所有しているものなどざらだ」
そのとおりだ。これをCDと言い換えればまさに僕に当てはまる。
レコードだけではない。本も展覧会の図録も同じことだ。
いつ聞きたい、読みたいとなるかわからない。だから手放せないのだ。
処分してしまえばまた読みたくなったとき後悔する。だから処分もできない。
本やCDなど図書館で借りろといわれるかもしれないが、上記の理由で期限付きのものはだめなのだ。
森本哲郎さんがやはり学者との対談でおなじことを述べていていたく共感したことがある。
かくて家の中は集めたものでごった返す、整理しろといわれてもできない、性分なのだ。
だからといって同じ週刊朝日に載っていた「雑誌の山で生き埋め」になった人ともまた違う。
この人は週刊誌や写真集を七トンも溜め込んで床が抜けたそうだ。
しかし僕には「テレビガイド」や「アサヒ芸能」を溜め込む心理はわからない。
こういうものは、必要がなくなったら捨てればいいと思う。
だけど本やCDは必要がなくなるということがない、だから頭いたい。