写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

雨中の花見

2017年04月07日 | 季節・自然・植物

 3月21日に今年初めて錦帯橋の花見に弁当をもって出かけた。天気は良かったが少し寒くて他に誰もいない中、芝生の上にシートを敷き、防寒着を着て弁当を食べた。以来、2、3日おきに同じように弁当を抱えて桜の開花状況を見に計6回も出かけた。

 4回目の4月1日に出かけた時、前日に開花宣言が出されたことを知った。そして今日7日は1か月も前、エッセイの同好会の花見の日と決めていた。雨が降ろうが槍が降ろうが決行すると決めていた。

 思えば過去3年間、すべて花見の日は雨であった。宴会開始直後に雨が降り始め、急きょお茶屋に走り込んだこともあった。昨年は、催行の連絡が不十分で、土砂降りの中わずか5人しか集まらず、お茶屋の中でひっそりと花見をした。

 そんな雨に降られっぱなしの花見であったが、今日の天気予報はインターネットを見ると、朝9時までは小雨であるが、正午には晴れるという予報が出ていた。それを信じて、大きなシートを抱えて霧に近いような雨が降る中、朝9時半に家を出た。

 錦帯橋の上河原に到着するも、誰一人花見客はいない。気に入った場所にシートを敷いて、みんなが来るのを待った。定刻の11時に全員が集合し、乾杯をした直後から少し強い雨に変わった。急きょお茶屋に駆け込み、座敷に座って改めて乾杯をする。

 肝心の桜はといえば、雨が降る中満開に近いが、一片すら散っていない。絶好の見ごろであるが、霧雨が無情に降りしきる。1時間が経ったころ、やっと降りやんだのを見計らって、全員で錦川遊覧の屋形船に乗り込んだ。

 初めて錦帯橋の桜並木を川面から見上げる格好で眺めてみたが、これは絶景であった。20分間の遊覧中、博識な船頭が錦帯橋や岩国城、鵜飼や桜の話を聞かせてくれる。経験したことのない角度から見る桜と錦帯橋の写真を撮り、満足して船を降りた。「春雨の中の花見もまたおつなもの」という同好会恒例の「雨中の花見」を終えた。来年もまた雨だろう。

 
 


空中道路

2017年04月05日 | 生活・ニュース

 つい数年前まで、訓練を重ねた人が、エンジンで動かす大きな扇風機のようなものを背負い、鳥のように空中を飛行しながら、人が近づくことのできない色々な景色の写真を撮ったものが良くテレビで放映されていて、興味深く見ていた。

 ところが最近では、「ドローン」(drone)といって、おもちゃのラジコンでヘリコプターを飛ばすように、小型のカメラを搭載したものが急速に出回り、各方面で実用的なものとして活用されるようになってきた。

 ドローンとは、英語で雄バチのことをいい、ブーンという羽音がドローンと似ているからついた名前だという。これを飛ばすうえで、現在、特に必要とする資格はないが、航空機の航行の安全に影響を及ぼす可能性がある空域や、落下した際に地上にいる人に危害を及ぼす恐れが高い空域でドローンを飛行させる場合には許可が必要になるという。

 今朝朝食をとりながらテレビを見ていると、東京の目黒川沿いに今満開の桜並木を映し出していた。しかもその並木を川の中からと上空からとを、ドローンを使って撮して見せてくれた。これこそまるでハチになって花の間を飛び回っているような気分になった。

 ドローンは、人が簡単に近づくことができないところにいとも簡単に近づくことができるところが最大の特徴であろう。従来であれば足場を作ったり、航空機を使ったり、望遠レンズで写したりでしか確認できなかったものが、ドローンを使えば、接写もできるしいろいろな角度からの写真も簡単に撮れる。

 今までは見ることのできなかった美しい風景をいろいろな角度で見ることができるばかりではなく、橋や高層ビルなどの設備の維持管理などにも活用できる。また、危険な場所でも観察できる。これから多方面で大いに活用が期待される優れものである。

 過酷な労働で今話題になっている宅配にも、活用が検討されている。近い将来、地上の道路の頭上は、ドローン専用の空中道路というものが設定され、宅配は空中便となる世の中になるかもしれない。
 

 

 


一喜一憂

2017年04月03日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 3月31日、一日中冷たい春雨が降った日、錦帯橋の桜に開花宣言が出たということを、翌日の午後錦帯橋に出かけて標準木に咲いている桜の写真を撮っているときに聞かされた。

 20輪ばかり咲き出した花の写真を撮りながら「今日咲いたのだろうか。やっと開花宣言だね」といっているとき、同じように標準木の桜にカメラを向けているおじさんが「昨日、あの雨の中で開花宣言が出されたそうですよ」と教えてくれた。いよいよ、春本番となリ、なんだか慌ただしくなってきた。

 慌ただしいといえば、時を同じくしてプロ野球も開幕した。われらが広島カープは、マツダスタジアムに阪神を迎えて、ペナントレース全143試合分の1の試合が始まった。雨が降る寒い中にもかかわらず満員の観客の前で、先発のジョンソンがめった打ちに遭い、あえなく開幕試合は負けてしまった。

 翌日と翌々日の試合は、持ち前の広島打線は実力を発揮するとともに、イケメン投手・九里亜蓮が期待通り好投するなどで2連勝し、まずは昨年優勝の面目躍如であった。今年は黒田の抜けた穴は誰が埋めるのかと思ったが、生きのいい若手が台頭し始め、期待に応えてくれそうな予感がしている。

 これから半年余り、今年も広島カープの勝敗に一喜一憂しながら過ごすことになりそうだが、昨年のように高い勝率ではいくまい。勝って喜び負けて悔しがる。持てる感情をあらわに出すことが健康のもとだと思いながら、今年も広島カープの応援が忙しい。 


生活禅

2017年04月02日 | 生活・ニュース

 日曜日には、新聞に本の広告が沢山出る。それを見ているとき「生活禅の作法」という本が目に留まった。「生活禅とは、日々の生活に禅的思想を少しだけ取り入れること。それがあなたの人生を劇的に変える」と曽洞宗の高僧・枡野俊明が提案している。

 すぐに始めてほしいこととして「脱いだ靴をそろえる。ゆっくり深呼吸する。姿勢をよくする。10分だけ片付けをする。裸足になってみる。不便生活をしてみる。言葉を吟味して使う。輝いている人をまねてみる。命あるものと触れる。元の場所に戻す。日々『けり』をつける」などが一例として掲げてある。

 もとより私は禅的思想など理解していないが、座禅を組むことにより「自分の外側に仏を探し求めても、真の悟りは得られない。自分の内なる仏に目覚めることで、初めて苦しみから解き放たれる」と書いてある。この本には、どうやら座禅を組む代わりに日常生活の中で、書いてあるような行動をすることにより、自分自身の中に、ある種の変化が起きると言っている。

 そういえば私は、誰から言われたわけではないのに、最近自らの意思で今までとは違う生活様式をしていることに気が付いた。まずは、「脱いだ靴をそろえる」。子供のころから何度も言い聞かされたことであるが、最近になってきちんとするようになっている。

 「言葉を吟味して使う」。こんなブログでも、人様に読んでいただくことを前提にして書くとなると、私なりに言葉を吟味して使う努力はしている。「もとの場所にもどす」。庭仕事にしても、小道具を出しての作業にしても、その時に出して使ったものは、一仕事を終えた後には元の場所にきちんと戻しておく。「不便な生活をする」。これは生まれた時からやっている。こんな行動こそが「日々にけりをつける生き方」と禅の世界では言うのだろうか。

 めでたく後期高齢者とはなったが、明日をも知れぬ身。日々にけりをつけながら生きてみよう。一度、やったことのない座禅とやらを、横山の洞泉寺に行って組んでみるか。