写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

漢字の書き写し

2017年04月20日 | 生活・ニュース

 退職して以来、年賀状や時にはがきを出す時くらいしか、文字を書くということがなくなっている。ここ13年余り、こうしてブログを「書いている」といいながら、実際にはペンをもって書くのではなく、パソコンでキーを打つ作業をしているだけである。

 一方、毎日、新聞2紙を読んでいるが、新聞に掲載される文字はそのほとんどは読む力はまだ残っている。しかしながら、漢字を書くとなると、最近とみに思い出せない漢字が増えてきた。それもいたって簡単な漢字がである。先日、これではいけないと思い、一計を企てることにした。

 購読している毎日新聞の1面に毎日掲載されるコラム「余録」に書かれている漢字だけを、本文を読みながら紙に書いていくということを始めてみた。知っている漢字はミミズが這うたような草書体で、正確に覚えていない漢字は楷書で丁寧に書いていく。

 「あっ、横棒が1本要るのだったな」というように、うろ覚えの漢字が時にある。こんなことでもしない限りは、「読むことはできても書くことができない」人間になってしまいそうな危機感がある。

 人間の目というか脳といおうか、漢字を見ても、一画一画を正確に覚えていなくても、一つの文字や2文字の熟語をパッと見て、それを像と認識する能力を持っている。そんな漢字は書くことができなくても正確に読むことができている。

 例えば「薔薇」(バラ)」「檸檬」(レモン)「躊躇](ちゅうちょ)「葡萄」(ブドウ)「憂鬱](ゆううつ)「団欒」(だんらん)「鼠」(ネズミ)「麒麟」(キリン)「絨毯」(じゅうたん)「蒟蒻」(こんにゃく)「別嬪」(べっぴん)「贅沢」(ぜいたく)「胡瓜」(きゅうり)「痙攣」(けいれん)などがある。

 こんな難しい漢字は別として、普段よく使う簡単な漢字くらいは忘れることなく書けるよう、「余録」を利用して毎朝書いているが、実生活でそれほどの「余禄」にあずかるようなことはまだない。