老いて少し身体の自由が利かなくなった母をひとり置いて、長男である私は遠く離れて仕事をしていた。
出張の折、久しぶりに母の元に夜遅く帰った。もう休んでいたが起きて迎えてくれた。私の部屋には、布団がきちんと敷いてあった。
翌朝、食卓には玉子の入った味噌汁とご飯が用意された。それは、子供の頃から慣れ親しんだ、まさに「お袋の味」がした。
数ヵ月して母は逝った。通夜の晩、「あの味噌汁は、ホームヘルパーさんが前日作ったものを、あなたのために残しておいてくれたもの」と、近くに住む姉から聞かされた。
しかし、あれは間違いなく「お袋の味」だった。あの朝、お袋が目の前に座っていただけで、味噌汁も心も、全てがお袋の味に染まっていたのかもしれない。
早春、木蓮の花が咲く頃、お袋の13回忌がやってくる。
(写真は、「木蓮」:05.03.23毎日新聞「はがきエッセイ」掲載文)
出張の折、久しぶりに母の元に夜遅く帰った。もう休んでいたが起きて迎えてくれた。私の部屋には、布団がきちんと敷いてあった。
翌朝、食卓には玉子の入った味噌汁とご飯が用意された。それは、子供の頃から慣れ親しんだ、まさに「お袋の味」がした。
数ヵ月して母は逝った。通夜の晩、「あの味噌汁は、ホームヘルパーさんが前日作ったものを、あなたのために残しておいてくれたもの」と、近くに住む姉から聞かされた。
しかし、あれは間違いなく「お袋の味」だった。あの朝、お袋が目の前に座っていただけで、味噌汁も心も、全てがお袋の味に染まっていたのかもしれない。
早春、木蓮の花が咲く頃、お袋の13回忌がやってくる。
(写真は、「木蓮」:05.03.23毎日新聞「はがきエッセイ」掲載文)