写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

仕事に行こう

2015年04月18日 | 生活・ニュース

 20年間、テレビ東京系「出没!アド街ック天国」の名司会を務めてきた愛川欣也さんが亡くなった。全国いろいろな街の名所やグルメやファッションを紹介する私の好きな番組であったが、「今年の3月に80歳という節目を迎えて降板した」と報じられていた。、実は昨年末、病気が見つかり治療に専念するために降板したものであった。発症後も仕事に情熱を燃やし、息を引き取る直前まで「仕事に行こう」と寝言のように言っていたという。おもしろい語り口で、笑顔を絶やさない明るい人であった。

 愛川さんが息を引き取るまで言っていた「仕事に行こう」という言葉の「仕事」って一体なんだろうと思った。現役世代の男性も女性も、毎日「仕事」に勤しんでいる。今の私は毎日遊んでいるが、現役時代には何の疑問を抱くことなく毎日「仕事」に出かけていた。その対極の言葉は「遊び」であろう。愛川欣也さんの訃報記事の中の「仕事」という漢字を読んだとき、この人の言っている「仕事」とは何だろうと考えてみた。

 手元の辞書を引いてみると「仕事」とは、1.何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。 2.生計を立てる手段として従事する事柄。職業。 3.したこと。行動の結果。業績。 4.悪事をしたり、たくらんだりすること。仕業。所業。と書いてある。

 現役時代の「仕事」といえば2.の「生計を立てる手段」であり、家族もいることだし、上司に叱られようが怒なられようが、泣きながらでも仕事に出かけた。ところが退職して全くの「遊び人」となった今でも、奥さんに「ちょっと裏で仕事をしてくる」というように、一文の稼ぎもないくせに「仕事」なんて言葉を口にすることがある。これは無職となった男の見得などではなく1.の「何かを作り出す行動」のことで、木工や本作り、塀のペンキ塗りもそのひとつといってもよい。

 愛川欣也さんも、あれだけの業績があれば「仕事に行こう」とは、もちろん「生計を立てる手段としての仕事」ではなく、「何かを作り出す行動」としてのまだやりたい「仕事」があったのだろう。何歳になっても何かを作り出すという「仕事」をし続けたいものである。そういえば手前味噌になるが、こんなエッセイを書くことも、文章を作るという意味で、立派な「仕事」の定義に入るのでしょうね。「さあ、パソコンに向かって今夜はもうひと仕事、やってみるとするか」。