写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

孤独死

2006年06月16日 | 生活・ニュース
 朝食を済ませた後、いつものように新聞を読んでいた。遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきた。

 家の近くに、救急病院があるのでサイレンの音を聞くのは日常茶飯事である。

 ところがそのサイレンの音が次第に大きく聞こえ始め、病院へではなく、我が家の方に向ってやってきた。窓から覗いてみると、消防車も一緒にやってくる。

 そばを通り抜けて、裏の団地の方へ上がっていった。お年寄りへのボランティア活動をしているので、どこにどんなお年寄りが住んでいるかは知っている。

 いつものように、救急車の後を追ってついて行った。80数歳でひとり住まい、身体が少し不自由なご婦人の家の前で車は止まっていた。

 デイサービスの車が迎えに行ったが、出て来ない。窓から覗いてみると倒れているのが見え、鍵のかかった家の中に入るため救護隊を呼んだという。

 ご婦人は、ベッドの上ですでに亡くなっていた。私が把握していた数駅離れたところに住む娘さんに電話をしたが、なかなか連絡がつかない。

 近所の人とデイサービスの職員と協力をして各所に連絡を取った。昼前になってやっと娘さんが駆けつけてきた。孤独死のため警察の調べもあった。

 つい10日前のことである。私の担当区域のひとり暮らしを訪ねて、最近の様子の聞き取りをしたばかりであった。

 その時には、特に変わった様子はなく従来通りの体調で、明るく会話を交わして別れた。それが、今日はこの変わりようであった。

 今の時代、核家族化が進んでいる。周りの家を見ても我が家と同じくふたり暮らしの家が多い。いつかは高齢者のひとり暮らしとなる。

 その時に、どうすれば孤独死を防ぐことが出来るのか。いや、孤独死は避けることは出来ないのかもしれない。

 夜中でひとり胸苦しくなったときに、家族がいても自分の部屋で孤独死することもあろう。周りに人がいてもいなくても、孤独であろうがなかろうが、死ぬときには死ぬ。

 しかし、ひとり住まいになったら、高い確率で孤独死をするという覚悟を持って生きなければならない。

 そして死んだ時には、なるべく早く発見をしてもらえる手立てくらいは、今から考えておかなければと思う出来事であった。
(写真は、今津の街角で見つけた生命力あふれる「ツバメの子」)