俺の明日はどっちだ

50歳を迎えてなお、クルマ、映画、小説、コンサート、酒、興味は尽きない。そんな日常をほぼ日替わりで描写

「きみがくれたぼくの星空」 ロレンツォ・リカルツィ

2006年10月11日 02時03分09秒 | 時系列でご覧ください
「老いぼれて、しょぼくれて、ひとりぼっちのいま、来し方をふり返ってみると、ぼくの人生はまるで他人の人生のように見える。ぼくの愛した人たちはもう誰もいなくなった。ひとりまたひとりと、年月に呑みこまれてしまった。ぼくに残っているのは思い出だけ。でもその思い出だってぼやけてしまって、ぼくの記憶力では、かつてのように鮮やかには浮かんでこない」
妻を亡くし一人暮らしの中、脳血栓によって半身不随となり、やむなく老人ホームに入った80歳の物理学者トンマーゾ。彼のそんな述懐で始まるこの小説、表紙だけ見てみるとまるで『児童書』みたいだけど、実際のところ『児童書』とも通じる言わば『老人書』とでも呼ぶべき素敵な小説だった、それも飛びっきりの。

「いまでは否定しがたいこの容姿が、ぼくに勘定書を突きつけてくる。老齢のおかげでぼくはふぬけになり、肉体も野心も救いがたくへし折られ、戦う勇気さえ奪われてしまっている」
誰にだって「老い」はやってくる。
若い頃は気鋭の物理学者として研究に没頭し、後に天文学者に転じたトンマーゾ。物事をシニカルに捉え、自尊心が高く、何事に対しても「くそったれ」と悪態をつくトンマーゾ。
そんな彼にとって思い通りに体が動かなくなり、おむつをさせられ、食べ物をこぼしてしまい、さらには若い連中から屈辱的ともいえるほど子ども扱いされるいまの自分の状態は決して受け入れ難いもので、思い余って自殺まで試みようとまでする。

そしてそんな彼の目の前に現れたのが、聡明でとても美しい78歳の女性、エレナ。彼女と出会って以来、それを恋だと自覚せぬまま(というか、押し止めながら)それを契機にさまざまな事柄に対してトンマーゾ爺さんはどんどん前向きになっていくのだけど、その豹変ぶりには思わずワクワクさせられるし、とにかくその変りっぷりの素晴しいこと!

「80歳の恋 メランコリックでユーモラスなシルバー恋愛小説」と本の腰巻には書かれているけれど、そんな「老いらくの恋」的な言葉では決して表せない、人間としての素直な生き方そのものが、時にやさしく、時に辛らつに、そして切なさもまたあからさまにならない程度に伴いつつ見事に描かれていて、読んでいて本当にしみじみと優しい気分になってしまった。

そして昨今かしましい「アンチエージング」がどうのこうのなどと、うつつを抜かすより「老い」を素直に受け止めてちゃんとした老人になるのってずっと素敵だろうし、そんな未来が待っているとしたら、中年もけっして悪かぁないぞと、つい思わせてくれたりもしたのだ。どーだ。


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