これは金沢だけでなく多くの地方都市に共通して言えることだけど、郊外にシネコンがどんどん出来るようになって、繁華街から映画館がなくなりつつある。
駐車場のことや効率のことを考えれば、確かにいたしかたない面はあるにせよ、街なかに映画館が存在しないのはあまりに淋しい。
いくら良い映画を観ても、いくら気に入った映画に出会ったとしても、映画館から余韻に浸りながら近くの店まで歩いて行って、そこで一杯飲むとい . . . 本文を読む
昨晩「もっきりや」で行われたエイモス・ギャレットのライヴの何と素晴しかったことか。久々ジワジワジワ~ンと感動。
本人の“ I'm back in KANAZAWA. 30years later. ”の言葉とともにはじまった78年以来となる今回のライヴ。
「何を聴くではなく、何を思うかだな」とは同行した友人の言葉だったけれど、そんな感傷に浸る暇もないほど、次々と紡ぎ出される音楽ひとつひとつの素晴し . . . 本文を読む
先週観た「ロング・グッドバイ」からデイブ・グルーシン繋がりで、レンタルDVDで久々観てしまったのがこの作品。
そしてちゃんとした大人の恋ってやつぁ~、やっぱり良いなあとしみじみ改めて実感。
とにかく自宅で観ていながら、観た後思わずどこかに飲みに出かけたいと激しく思ってしまう余韻たっぷりの終わり方、いやはや堪りません。
と言いつつ、「恋のゆくえ」という邦題が付けられ、実際 TSUTAYA の棚割り . . . 本文を読む
基本的にさだまさしが苦手なので、幸か不幸か「精霊流し」も「解夏」も観ていない。
そして今回のこの作品もスルーする予定だったのだけど、「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」の犬童一心監督作品だと知って、あらぬ期待をかけたのが間違いだった……。うひょー!
とにかく、実はテレビCM以外で動いているのをはじめて見た松嶋菜々子のフォトジェニックでありながらもあまりに平板な演技に辟易させられ、久々スク . . . 本文を読む
この前、ここ最近ご無沙汰(といっても1週間くらい?)の「アロス」で、生まれてはじめて『アスパラ・ソバージュ』なるものを食べた。
ソバージュといっても勿論
ソバージュ【sauvage】
《野性の、の意》毛先から細かいパーマをかけてウエーブをつけた、野性味のある髪形。1970年代半ばにフランスで発表されて以来流行。(大辞泉より)
みたいな髪形のそれではもちろんなく、要するにフランス語では野生を . . . 本文を読む
日本人の男の子と在日朝鮮人の女の子との恋を中心に見事な青春群像劇に仕上がっていた前作「パッチギ!」の続編であるというこの作品、舞台は1968年の京都から1974年の東京へと移され、前作の朝鮮人家族が東京に出てきたっていう設定。
息子の病気治療の費用を捻出するため危ない橋を渡る主人公アンソンと、芸能界に入って自分を見つけようとする妹のキョンジャという二つの物語を主軸に、彼らの前の世代である日本軍へ . . . 本文を読む
いやはや、アンチエイジングなどという訳のわからん風潮を軽く笑い飛ばすほど深く刻まれた男たちの皺の数だけ深く胸に染み入るフレンチ・ノワールの快作。
最近ではお株を取られていたかに見えた香港ノワールを彷彿させる緻密なストーリー構成、淀みのない語り口、そして曇天、もしくは夜にパリの街に立ち尽くす皮のコート姿の男たちのまさに絵に描いたような渋い格好良さ。
片や権力志向が強く出世のためなら手段を選ばない . . . 本文を読む
今日は昼間ちょこっと時間が出来たのでここぞとばかりMGで束の間ドライヴ。
そしてその途中、親しくさせてもらっている pretty twins のお姉さんのほうの令ちゃんがやっている「ノワイヨ」にお茶しに。
ちなみに『 noyau:ノワイヨ 』とはフランス語で『種(たね)』の意だそうで、ここではいろんな作家さんの作品が展示、販売されていて、そうした若きアーティストたちの飛躍のための種作りの場として . . . 本文を読む
村上春樹による新訳の原作を読んで改めてその素晴しさを堪能したついでと言ってしまうと失礼だけど、とにかくその映画化作品である今は亡き(涙)ロバート・アルトマン監督の「ロング・グッドバイ」をこちらも30年ぶりに再見。
原作を読んだ直後の観賞ということもあって、原作と夥しく違っているように思えるエリオット・グールド扮するフィリップ・マーロウの姿に今回もまたというか、前回にも増して違和感が大いにありあり . . . 本文を読む
京都・島原の花街を舞台にやり手の置き屋のおかみ(田中絹代)と失恋の痛手で自殺未遂してしまい東京から戻ってきた娘(久我美子)、それにおかみの愛人である若い医師(大谷友右衛門)が絡むという、どこかダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』を思わせる母子を交えた三角関係を描いた物語。
製作されたのが「雨月物語」と「山椒大夫」との間ということもあってか全体に良い意味で小品感が漂い、わりと気軽に観ることが出来 . . . 本文を読む
今から30年ほど前(になってしまった、トホホホ)、初めてアメリカを旅行した際、もっきりやの平賀さんが旅行中に読むならやっぱりミステリーでしょと何冊かの小説を勧めてくれて、それ以来すっかりミステリー&冒険小説ファンになってしまった。
「最も危険な遊戯」(ギャビン・ライアル)、「マルタの鷹」(ダシール・ハメット)、「鷲は舞い降りた」(ジャック・ヒギンス)、「さむけ」(ロス・マクドナルド)などなど、数 . . . 本文を読む
黒澤作品なら晩年の作品を除いてほとんど、小津作品もとりあえずそこそこ観ているのに、溝口作品となると「雨月物語」以外ほとんど観たことがなかった。
思えば、日本でこの3人のうち、溝口監督の作品が上映される機会というのが、他の二人に比べて圧倒的に少なかったような気がする。
そんな中、去年溝口健二監督没後50年特別企画として「恵比寿ガーデンシネマ」で行われながら行きそびれていた『溝口健二映画祭』がシネモ . . . 本文を読む
快晴続きのゴールデンウイーク。あまりの天気の良さに昼間から映画館に入るのも何となく気が引けて、その代わりというわけでもないけれど、夜な夜なあちこちに出かけてしまっている。
そんな中、昨夜たまたまちょっと覗いたお店で一緒になった真面目派酒場のマスターとともに、とあるお気楽酒場へ ----。
「実は今日、無茶苦茶忙しくてスタッフはてんぱっているし、グラスを洗うひまもなかなかなかったんやわ。
そこ . . . 本文を読む
交通手段とコミュニケーションツールの発達からさまざまな意味において人と人が繋がりやすくなったのと裏腹に、たとえ言葉が通じるもの同士、あるいはそれが家族だとしても心が通わない、言わば「ディスコミュニケーション」をテーマに、ひたひたと押し寄せてくる圧倒的な演出力で観るものをねじ伏せてしまうまさに骨太な作品。
モロッコ、アメリカ、メキシコ、そして日本と、異なる国を舞台に4つの言語、そして手話(with . . . 本文を読む