「ボロブドゥール仏教遺跡」は高さ31.5m、最下部の基壇は1辺約123mという威容を誇り、ジャワ様式の下部方形6層とインド様式の上部円形3層のピラミッド構造だそうです。
遠くからも見えていましたが、壁には仏龕(ぶつがん)があり、計432体の仏像が蓮の花の台座の上に据えられています。
仏像は向いた方角によって結ぶ印(両手の形と位置)が異なるそうです。
私たちは真ん中の直登の階段には行かず、まず左側に進み、下部の基壇にあるレリーフの説明を受けました。
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因果応報を描いた160面のレリーフがある旧基壇は「俗界」を表わします。
飲酒の訓戒を物語るレリーフなどがあり、人間の欲や煩悩を因果応報で説いています。
ガイドさん曰く「男の煩悩は飲む、打つ、買う」が描かれていて、女は「噂話や悪口」だそうです。昔も今も変わりませんね。
階段を少し登ったその上の二層目は・・・
1300面のレリーフと、432体の仏像がある第一回廊から第四回廊までが「色界」です。
第2層の色界では4重に巡る幅約2mの回廊を時計回りに進み、仏教の経典などを見て廻ります。
第一回廊のレリーフにはお釈迦様の生涯が描かれていました。
マウスオン・クリックで三枚のレリーフをご覧下さい
釈迦は現在のインドとネパール国境付近の釈迦族の出身で、家柄は王 とよばれる名門であったそうです。
シュッドーダナを父とし、隣国の同じ釈迦族のコーリヤの執政の娘・マーヤーを母として生まれ、ゴータマ・シッダールタと名づけられます。
釈迦は母親がお産のために実家へ里帰りする途中、花園で休んだ時に誕生しました。
そして、生後一週間で母のマーヤーは亡くなり、その後は母の妹、マハープラジャパティーによって育てられたそうです。
釈迦には二人の母が居たのです。
釈迦は産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したと伝えられていますね。
そこまでの「釈迦誕生」のお話を、ガイドさんは熱心に説明してくれました。
回廊の右手の壁にはレリーフが更に続き、釈迦が菩提樹のもとで悟りを開くまでのお話をユックリと見て廻りました。
正直「我が家は仏教の禅宗です」などとオージーに話していたことが恥ずかしいくらい、仏教に関しては無知でした
この「イスラム教徒」が圧倒的に多い国の遺跡で教わるとは・・・
日本人には御馴染みの「仏像」の姿です。何故か心休まりますね。
1000年近くも密林の中に眠っていたそうですが、「イスラム教徒」から破壊を免れるために、信者が埋めたという説もあるようです。
仏像の後ろ側に立つと周囲の山々が見渡せます。
この山々のシルエットが、仏が横になった「涅槃像」の姿にも見えると有名だそうです。
反対側には遠くうっすらと、煙を吐いている火山も見えました。
さていよいよ最後の急階段を登ると、正面に大ストゥーパー(卒塔婆)が現れました。
このてっぺんには以前チャトゥラ(相輪)という装飾物が備え付けられていたそうですが、カミナリで破壊され今はありません。
階段を登りきるとそこは「無色」の世界・・・
大乗仏教の世界観を表わす風景が広がっていました。
話は変わりますが、前回紹介した我が家の「ハクモクレン」は春の嵐に見舞われた日曜日にあっと言う間に散りました。
わずか三日の短い花の命でした。
今では少々無残な姿をさらしています。
これも仏教でいう所の「無常の世界」なのでしょうか・・・?
ふと「平家物語」の冒頭が口から出ました。
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。