即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

2010年09月30日 21時22分57秒 | 日記とニュース
雀が減ったと言う記事を昨年書きました。
最近20年足らずで最大80%、半世紀前との比較では90%も減少したということです。

しかし、最近ふと気づいたことで書いたように、一時期よりも最近増えてきてると思います。

昨日の原宿でのこと。
表参道の小さな広告屋さんにお邪魔した後、その事務所の近くで見た光景がこれ。

なんか栄養も良さそうじゃない?

元気に飛び跳ねている。
(元気のないしょぼんとした雀なんか見たことないか。)

しかし、こんなにまとまった数(この写真に入ってない雀もかなりいた。)の雀を見たのは本当に久しぶりな気がする。

以前より、雀にとって巣作りの環境も整い、住みやすい世の中になりつつあるのだろうか?

さて、人間は?
コメント

19連勝19連覇!

2010年09月29日 23時14分06秒 | 将棋
yahooトップニュースです。
羽生が19連覇=将棋王座戦

羽生王座、危なげなく、この大記録を達成してしまいました。
いつまで続くのやら。
当分続きそうとしか思えない磐石の強さでした。

藤井九段、少なくても1発は繰り出してくれるだろうと期待していたのですが、やられちゃいました。

今日は夕方から仕事で原宿へ。
7時過ぎには終わり、総武線で帰宅。
当然千駄ヶ谷も通るわけで、かなり後ろ髪を引かれたのだけど、今夜はいろいろやることもあり、泣く泣く通過。

それともうひとつは、時間も時間だし、頑張って行ったらすぐに終わり、って状況を想定してしまった。

そんなこんなで帰ってからやることやりながらもネット中継をチェック。
twitterをちょこちょこ見てたら、今日は現地陣屋にも連盟解説会にもいろんな人が行ってたんですね。

それにしても△6四角からの強引に見える攻めはどうだったんでしょうか。

ネット解説では、
『この局面は後手を持ちたいという棋士が多かった。ただ一人、鈴木八段だけは「うーん、そうなんでしょうか」と首をかしげた。▲8六角と打つ手があるという。』
とあって、結局は鈴木八段の指摘どおり、▲8六角からどんどん行ってしまった。

奇策と呼ぶのかどうかわからないけど、あの手この手で積極的に仕掛けて行ってみたものの、懐の深さに関しては、右に出るものがない羽生王座には通用しなかったということでしょうか。

遠山四段が言ってました。
『羽生王座はシリーズ通して強かったですね。厳密にはともかく、3局で一度も悪い局面になっていないかもしれません。』

ほんと、そうですね。
藤井九段にはなんとか見せ場だけでも作って欲しかったのですが残念でした。
かなり肩を落としている映像もあったけど、順位戦や他の棋戦も含め、これからも多くのファンの期待に応えて欲しいと思います。(古くからの藤井ファンも同様に肩を落としている。)

17連覇18連覇と書いてきましたが、とてつもない記録がまたまた更新されました。

関係者の方々、お疲れ様でした。
そして、羽生王座、19連覇、おめでとうございます。

さあ、10月からの竜王戦に向けて、羽生名人とともに体調をしっかり整えて行きたいと思います。
コメント

線路に転落

2010年09月29日 00時48分20秒 | 「線路内人立ち入り」研究
今夜も大森駅で線路内人立ち入りがあり、京浜東北線などが遅れてましたが、久々に人気の線路ネタです。

少し前になりますが、これが、yahoo路線情報のお知らせです。

山手線は、原宿駅でのお客さまが線路に転落した影響で、内・外回り電車に遅れがでています。
(8月26日16時54分現在)

以前の市川駅での話を思い出すと、

「お客さまが帽子を線路内に落としてしまい、お客さまが拾いに線路に降りましたために駅社員が安全確認を行い・・・・」

という事実に対して、

「ただいま、線路内に人が立ち入ったため・・・」と案内していました。

要は、なんでもかんでも十把一絡げにせず、事態がわかっているのであれば、その旨ちゃんと言ってほしいということを僕は言いたいのですね。
上記の原宿の例のように伝えてくれれば、余計なこと考えたり不安になったりしないと思うのに。

いかにも怪しげな「線路内に人が立ち入った」などという言い方を何故するのか?
敢えて妄想を膨らませるような言い方をする理由は何なのか?

これは、広報の問題でもあるのかもしれません。

ことの重みは違うけど、最近日本相撲協会も広報が弱点だということを悟ったかの如く、外部から年収1千万でその道のプロを募集したとのこと。

【大相撲】求む!1000万円「広報室長」 一般公募へ

ということで長らくお待たせしましたが、前回の僕の二度目のJR東日本に対する(しつこい)メールの返信です。
(過去の経過は線路は続くよ、いつまでもをご覧ください。)
-------------------------------------------
いつもJR東日本ならびにJR東日本ホームページをご利用いただきましてありがとうございます。
このたびのご意見につきまして、以下のとおり回答させていただきます。
再度のご投稿、誠に恐縮でございます。

線路内立入りの件ですが、線路が高架化されている箇所は「お客さまが所持品を線路上に落とし拾いに行く」事象が多く、線路が地上を走行している箇所は鉄道敷地内(線路脇)に公衆が立入っている事象が多くなっております。

線路内人立ち入りなどについて、詳細な件数などについては公表を差し控えさせて頂いておりますが、市川駅周辺で発生しているものについては「お客さまが所持品を線路に落とし拾いに行く事象」の発生件数が多い傾向にあります。

駅及び列車内でのご案内の放送内容等につきましては、いままでも多くのお客さまから様々なご意見をいただいており、参考にさせていただきまして、改善をはかっております。
このたび頂きましたお客さまからのご意見につきましても、今後の参考とさせていただきますので、何卒、ご理解賜りますようお願い申し上げます。

このたびは、貴重なご意見ありがとうございました。
今後も、みなさまに愛され、親しまれるJR東日本をめざしてまいりますので、引き続きご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。
東日本旅客鉄道株式会社
-------------------------------------------
ということでした。

僕のメールの趣旨は、上に書いたように、

なんでもかんでも十把一絡げにして、いかにも怪しげな「線路内に人が立ち入った」などという持って回ったような言い方を、何故するのか?
もし事態がわかっているのであれば、その旨ちゃんと伝えてほしい。
そうすれば余計な心配をしたり、不安になったりしないのではないか。


ということなのだけど、どうも理解してくれてないようです。
というか典型的なお役所的対応にとどまっています。

簡単に言えば、「いろいろな意見をもらっており、参考にさせていただき、今後とも改善に努めます。」という内容です。

まあ、どうでもいいのですけど、これだけ多くの人が、「線路内に人が立ち入る」、という表現について興味(?)を持っているということなのだから(そんな公式のデータはないか!)、そのあたりのこちらの気持ちを少しでも理解してくれたら、ということなのだけど。

こんな風に個別のメール(JR東日本の)を公開(?)してしまうことはいかがなものか、という議論もあるかもしれないけど、別にたちの悪いクレーマーでは決してなく、何度も言ってるけどどちらかといえば普段使う鉄道を応援して、我々ユーザーとしてもっと快適な環境で利用できれば、ということが基本なのでどうかご容赦のほどお願いします。

まだまだ今後とも「線路内に人が立ち入る」と思うので、また別の角度からの研究、検証作業を行い、順次レポートをアップしていきたいと思います。以上。
コメント

馬には乗ってみよ、人には添うてみよ

2010年09月27日 14時10分56秒 | 雑感
仕事でもプライベートでもそうだけど、
信頼できる人はいつでもどんな時でも、自分の判断基準、いわゆる軸を持っている。
難しい局面で、ぶれないために、迷ったりまごつかないために、自分軸を持っている必要があると思う。

反対にダメな人は、いつも言ってることが違う。
そういうからこうやったら、そうじゃないなんて言う。
すっかり将棋に夢中だなんていうから、持ってた将棋本をプレゼントしたら、今は覚めちゃって落語にはまってる、なんて平気で言う。

まあこんな趣味の話はどうでもいいのだけど、
あの人に聞けば、どんなジャンルのことでも必ず冷静に客観的に頼りがいのあるアドバイスをしてくれるというのは、その人の考え方のベース、大切な指針がいつもしっかり根づいている、ということ。

先日、自分のプロフィールを書かないといけないことがあり、その中に、信条・好きな言葉という項目があった。

過去の記事でもいろいろ書いたりしているけど、座右の銘というほどではないけど、僕の好きな言葉というのはいくつかある。

生きているだけでまる儲け。
※以前、この記事でも書き、何度も登場しています。

人生意気に感ず。
※今年の名人戦第三局@野田の時、郷土博物館にあった関根金次郎十三世名人の書、「人生感意気」。
人は他人の意気に感じて努力するものであり、金銭や名誉欲のためにするのではない、ということ。

継続は力なり。

※何事も、継続できないと意味はない。継続できる力こそ本物。

最近のこの記事でも書いたけど、プロフェッショナル仕事の流儀の心に響いた流儀のベストワンになった羽生名人の言葉、『才能とは努力を継続できる力』とも通じる。

Stay hungry, Stay foolish.

個人の座標軸という記事の中で取り上げたスティーブ・ジョブスの言葉。

勝負の女神が微笑むのは、謙虚さと笑顔。

※将棋ファンの方ならご存知だと思うけど、米長邦雄永世棋聖の有名な言葉。

今まで、運を育てる無意識の怖さ組織のしなやかさ、など、何度も取り上げました。

そして、特に最近気に入っているのがこれ。

馬には乗ってみよ、人には添うてみよ。

意味は、
「食わず嫌いをしたり用心ばかりしていたのでは物事は進まない。馬のよしあしはただ見ただけではわからないもので、乗ってみて初めてわかる。人もみかけだけではどういう人物かわからない。いっしょに暮らしたり、仕事をしたりして始めてよくわかる。やせているばかりに良い馬を見そこない、貧しいばかりに立派な人を見そこなってはいけない。」

あの人は信用できるかどうか不安だ。
この仕事はうまく行くかどうか難しい。
そんなこと自分ができるかどうか疑わしい。

やる前からあれこれさんざん悩みきっている人がすごく多い。
事前に調べたりシミュレーションすることはもちろん大事だけど、結局はやってみなきゃわかんない。
当然リスクマネージメントも含め、いろいろあるけれど、最後は「えいやっ!」てことしかない。
ぐずぐず悩む前に一歩足を踏み出してみる。
そして歩きながら考える。
歩き出しもしないで、悩みぬく時間がもったいない。

川島さんこの記事で言ってます。(映画の話)
---------------------------------------
こういう「きっかけ」や「縁」て、大切です。
「川島よ、見てみなさい」と、神様が(?)言ってくれた。
「誘いには乗ってみる、たまには自分の好みと違うこともしてみる」。
-----------------------------------------
そう、偶然の何かのご縁での話、お誘い、なのだから、断る事もできるし、そういうのは自分はだめ、ってすぐに拒否反応せず、とりあえず前向きに乗ってみる、やってみる、考えてみるってこと、つくづく大事だと思います。

特に最近の若い人に多い。
「あっ、それ無理っす。」
「そういうのあたしだめ。」

大してわかってもいないで、確かめもせずに、はなっから自分には合わない、できない、と決め付ける。

頭も行動も、軸は決めつつ、ゆるゆると行きたいものです。
コメント

ネット脳

2010年09月25日 11時00分11秒 | 雑感
ダイヤモンドオンラインの最近の記事、iPad、グーグル、ツイッターでヒトは本当に馬鹿になりつつあるのか~米国の著名テクノロジー思想家ニコラス・カーが語る“ネット脳”の恐ろしさについて。
ポイントのところだけダイジェストします。印=nanaponコメント
-----------------------------------------------
印刷された本は、われわれを“注意散漫”にさせない。
本を読むということは、静止した対象に向かい直線的にひたすら注意や思考を持続させなければならない。だからこそ、ページをめくりながら本を読むとナラティブ(物語)に非常に深いところで関わることになる。

対照的に大量の競合する情報や刺激に溢れているインターネットやコンピュータ画面上で読むと、注意散漫に陥りやすい。

経済性と利便性を考えれば、潮流は電子書籍へ向かっていることは明白であるけれど、オンラインで本を読むことと、印刷された本で読むことは、われわれの思考プロセスにまったく異なる影響を与えるということを肝に銘じてほしい。

そんなこととは関係なく、ネット上のある程度の長文を読むときはどうしてもプリントアウトしてから読む。
画面上でいくら読んでも、まるで頭に入らない。
若い人は違うのかもしれないけど、出力したものに、ペンで下線を引いたり、丸で囲んだりしつつ読まないと、自分のものにならないのですね。

iPadを発売する直前に、アップルのスティーブ・ジョブズは、「どうせ最近の人は本を読まないから」と言っている。

これだけ多くの情報へのアクセスを可能にし、多くの人とすばやくコミュニケーションをとれるようにしたインターネットには多くの付随するメリットがある。
しかし、われわれの知的生活の深さや、さらにいえば、われわれの文化の深さ(豊富さ)の点では、現実に「人間の後戻り」が起きている。

インターネットをどのように活用するのがベストであるか分かっている大人でさえも、くだらない情報、重要でない情報であってもたくさんの新情報を探し続けられるということに、われを忘れてしまう。重要なことに注意を払わなくなってしまうのだ。

時間があるときは、いくらでもダラダラといろんなサイトを見たり、検索したりしてしまう。知らないうちに時間はどんどん過ぎている。

人間力ー自分でツキを呼び、直感を磨く方法ー
船井 幸雄,羽生 善治
ビジネス社

このアイテムの詳細を見る


羽生名人と対談をした船井幸雄先生は、1日20分までしかネットを見ないと決めているそうだ。
制限を設けないと、ずるずるやってしまいそうだから、きちんと歯止めをすることを心がけているとのこと。

まあ、20分というのは難しいかもしれないけど、そうやって自己規制しないと、どんどんネット脳になっていく自分が怖い。
漢字も書けなくなるし、なんかちょっとした情報でも、いつでもネット見ればわかるし、とどこか安心している節がある。
つまり必死で覚えようとする意欲がない。
どんどん失せてきている。

そして、机で、本に向かったり、ノートを開いて書いたり、という時間が明らかに少なくなってきている。
手紙を書く、とか、ノートにいろいろ殴り書きしながらアイディアや文章を練り上げていくという時間、いや、習慣がなくなりつつある。

心配なのは、子どもへの影響だ。今の子どもは非常に小さいときから、万事においてコンピュータの活用を是とした発想の中で育てられている。この状況は本当に心配だ。子どもたちは、長時間にわたり集中することを学べていない可能性があるからだ。沈思黙考しなければ、思慮深くなる方法を学ぶことはできないのは自明の理だ。

この話になると、「将棋」というものはいかに素晴らしいゲーム、いや、文化であることか。
(囲碁もそうだけど。)
なかなか集中できない今の子供たちにとって、盤に向かって、相手がいる前で、自分で考えて判断し結論を出し続けていく、というトレーニングはとても貴重だと思う。

日本に限らず世界的に人々が読む文章は短くなっている。フェイスブックやSNS上のメッセージ、あるいはツイッター上のつぶやきばかりになれば、時間が経つにつれて、書き手もさらに短い形式で本を出し始めるだろう。ただ、それが起きると文学の豊かさの多くが失われることは間違いない。

twitterはすごいです。どんどんつぶやく人は増え、皆頻繁につぶやくようになって来てます。
僕もちょこちょこはやってみてるんだけど、いまだにどうも馴染めない。
面白さもわかってきてはいるのだけど、なんとなく自分には向かない気がする。
だからと言って、すぐに辞めはしないけど、こうやって(長文の)ブログ書いてる方が、他の人に邪魔されないし、いろんなことがちらつかないし、心地いい。

ネットにのめりこんでいく事は、物事について創造的に、複雑に、概念的に考えることをできなくさせる傾向がある。

具体的に言えば、素早くコミュニケーションをとるためにはネットを使っても、もっと深く考えたい場合は、そういう機械のスイッチを切って、印刷されたものを読むべきだ。そうすれば、必ず違う経験を学ぶことができるはずだ。

考えることが減れば、それだけ検索に頼ることになり、検索に頼れば頼るほど、記憶しなくなる。そうするといつか頭が空(カラ)になる。問題は、自分の頭の中で物事を関連させて考えることをしないと、ますます外部にあるコンピュータベースに、関連することを頼ることになる。われわれの思考の豊かさは自分の脳の中にあるつながりから来るのであって、脳の外に存在するネットワークにあるつながりから来るのではない。

ネットに依存しすぎず、自分の脳の中のネットワークを使ってものごとを考える癖をつけようということですね。

1週間くらい、ネットのない世界で生活してみたらいいのかもしれない。
もうずいぶんそんな経験してないです。
何も検索したり調べたりしないで、自分の頭や知恵だけで考える習慣。

最近の生活パターンを反省しつつ、思考プロセスがもっとみずみずしくなれるように、後戻りしないように、できるだけ努力したいと強く思っている今日この頃です。
コメント

さわやかな「さわやか日記」

2010年09月23日 18時39分38秒 | 将棋
ブログ開設3周年を迎えたssayさんが、先日、ひと言、多いんだよなあ・・・という記事で、連盟の新四段のお知らせのコメントに関して、久々に某連盟会長のことを書かれてます。

話は変わるけど、今日のyahooトップニュースを見て、ちょっとびっくり。

米長者番付、ビル・ゲイツ氏が17年連続で首位に

yahooトップニュースに、将棋連盟会長が出たのかと思った。

twitterでつぶやいたら、

「米長」者番付ですか、どんな人がトップテン入りするのだろう

なんてレスをもらいました。

「米長」者番付なんて、想像するだけで・・・・ノーコメント。

以前、この方の運営方針とか、さわやか日記のこととか、ほんとたくさんの記事を書いて、苦言を呈したり、いかがなものか、などと偉そうに指摘させてもらいました。

素朴な疑問
ファンとの架け橋
難解な指し手
連盟からの公式見解
ファンの気持ち
ファンの気持ち・その2
ファンの気持ち・その3
ファンの気持ち・その4
「新体制」と「(つづく)」
大人の対応
子どもたちのために

こんなに一生懸命に熱くならなくてもいいのに、一将棋ファンとして、なんか言わずにはおれなくなっちゃったんですね。
今思えば、若い、というか、青臭い、と思えてしまうのだけど。

そんなことを蒸し返すわけではなく、あーこんな時代もあったなあ、と懐かしく思えたりするのだけど、最近思うのは、ずいぶんこの日記の内容はおとなしくなったなあということです。

余計な一言も、公私混同も、職権乱用もなくなり、きちんとオフィシャルなことは将棋連盟HPのお知らせで発表している。
しっかりした組織として、広報活動が機能してきたのでしょう。

どれだけいろんな仕事をこなし、大変な会長職をいかにがんばっているか、ということが、日々淡々と綴られています。
棘も何もなく、なんかつまらなくなった、という気もするけれど、とってもさわやかな内容になってきています。

そして、そんな会長の熱意や伝わったせいか、普及をはじめとした連盟のいろんな活動が少しずつ実ってきているのではないでしょうか?

解説会やイベントやネット中継もどんどん充実してきているし、もちろんまだまだやらなきゃいけないことは山積しているけど、twitterでの賑わいをみていても、将棋女子なども含め、とてもいい形で裾野が広がっているのではないでしょうか?

ということで、どんどんいい形で実っていきつつある果実に感謝しつつ、一ファンとしてできることは協力しつつ、さわやかな実りの秋にしていければと思っています。
コメント (3)

ターゲットを決めること

2010年09月22日 14時36分55秒 | 仕事
NHK教育テレビでやってる仕事学のすすめで星野リゾートの社長星野佳路さんが出ています。

星野さんのことは今までにも、共感の重要性「アート」と「サイエンス」という記事で取り上げました。

今回印象的だったのは、

ターゲットを決めること。

という話です。

そんなのマーケティングでも経営でも当たり前の話ですよね?

でも、特別な商品は別にして、なかなか絞りきれないのが実態ではないでしょうか?

そこまで絞らなくても、もう少し拡げた方が、安心だし、安全だし。

あんまり絞ってしまうとそれ以外の人たちに反感を持たれるからよくない。

そんな風にすぐなってしまって、一応ターゲットはこうだけど、イメージ上だけのことで、できるだけ広く取って行きたい、となる。

しかし、
ターゲット以外のお客様にも来て欲しいには違いないけど、誰を一番大事にするか。
より高い満足度を取りたいのは、ターゲットの人たち。
と決めることが重要。

理由は、
すべての客の要望に応えようとすると中途半端になり、80点しか取れない。
いろんな客層から100点取ることは土台無理。

例えば、3人の友人が家に遊びに来たことを考える。
一人はカラオケが好き。
一人は麻雀が好き。
一人はお酒が好き。

さあ、どうする?

もし、一人の要望を聞いてカラオケだけやってしまうと
満足度は、120点、60点、60点、となる。

時間を3分割して、3つともやろうとしたり、酒飲みながらカラオケやりながら麻雀やるとか、そんな風にしてしまうと、
80点、80点、80点、となる。

それではまた来たいという気持ちになるか。

そうであれば、麻雀の好きな友人だけ3人呼んでこられれば、それに越したことはない。
ずっと朝まで麻雀やれば、全員が満足する。
120点、120点、120点、となる。

つまり、客の満足度は
80点取れる客に来てもらうよりも、120点取れる客を呼んだ方が、呼んだほうも呼ばれた方もお互いにハッピーなはず。

こういう客層に来てもらえれば、必ず120点を取れるような態勢、準備。
その客層が来てくれたら、絶対に満足してくれるよう、施設もサービスも含め、投資を惜しまずに徹底する。

120点をもらえるということは、どういうことかといえば、
それは即、
リピーターになってくれる。→当面の安定経営が望める。
周りの人にPRしてもらえる。→新規顧客の取り込みがそのための投資もなく可能。

バッチグーです。
※そういえば、シゴブロ(死語ブログ)企画の件、忘れていました。やんなきゃね。

当たり前のことなんだけど、なんかスッキリしました。

そして、ターゲットを決めて、できるだけターゲット層に来てもらえるように仕掛けていく。

そのことの大切さを再認識させられた番組でした。
コメント

ブログのさびしさ

2010年09月21日 21時29分35秒 | ブログ
ブログ開設4周年の記事の中でもご紹介したある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)というブログ。

前回たかがブログじゃないですか。という記事をご紹介しましたが、今日はブログのさみしさ。という記事。
とても興味深いし、4年もブログを書いてきた身としては、共感する部分が多い記事です。
一部引用させてもらいます。
------------------------------------------------- 
2ちゃんねるのような掲示板とかmixiのようなSNSと比べると、圧倒的にブログはさみしい感じがするんですね。なんでだろうな、と考えると、やはりツールの機能から来るものがあるのでしょうね。基本的に、ブログはパーソナルなツールですよね。自前でやってる人なら持ち家、私みたいな@niftyのココログを借りている人は借家ですが、自宅には変わりがないわけで。その点、2ちゃんねるもmixiもコミュニティーですよね。パソコン通信の頃は、ニフティフォーラムなんかもありました。

 <中略>

 mixiなんかは、mixiに入るという感じで、2ちゃんねるに至っては「住人」という言葉もありますよね。みんなが住む場所、それは「寮」とか「下宿」みたいな感じでしょうか。だけど、基本、ブログは自宅の書斎という感じ。書くときも、私の場合なんかだと、PCはオフライン。仕事をしたり、飲みに行ったり、パチスロ打ったり、本を読んだり、音楽を聴いたり、そんな日常のあと、吉本隆明さんの言葉を借りれば「25時間目」に書く、みたいな感じでブログのエントリーを書いています。

 その「25時間目」に書く言葉を誰に伝えたいのか、というと、これは「不特定多数」としか言いようがない人たちに対してなんですね。実名匿名論争がらみのエントリーでも、何度か言ったことがありますが、この「不特定多数」というところがSNSにはないブログの魅力でもあって、だから、芸能人なんかもブログを始めるのですよね。

 この「個人」が「不特定多数」に言葉を伝える、というのがブログのさみしさの原因でもあって、そのさみしさが魅力であるんだろうなと思うんですよね。1日160万PVもある『しょこたんブログ』だって、そこに中川翔子さんとファンがつながりあうという感じではありませんよね。私のようなおっさんから見たら、あのブログに中川さんの孤独みたいなもの感じるし。あの人は、きっと頭のいい人でしょうから、ああいう「しょこたん語」とかブログのコスプレとか、そういう全部が、自分の孤独に打ち勝つための自己表現のような気がするんですね。なんかうまく言えないけど。

 顔も知らない人のブログでも、読んでると、優秀さ、未熟さを含めて、その人自身が見えてしまうのがブログなんですよね。そういう意味では、私もそう見えている可能性もあるけどね。で、そんな中で、継続的に読んでいるブログが突然更新がなくなったり、休止したりすると、読んでるこっちがなんか心配になったりして。だからといって、コメントとかしないですけど。PCの向こう側から、日常生活で楽しくやってくれているのを密かに祈るくらいしかしませんけど。

 毎日、何億もの言葉がブログを通してネットをただよって、これだけブログが普及してしまったいま、その消費スピードは強烈なものがあるし、その中には誰にも読まれない言葉もあるだろうし、届かない孤独もあるでしょうけど、とりあえずは、そんなさみしさと引き換えに、ひとつの孤独を不特定多数にとりあえず届けることができるかもしれない可能性を手に入れたんだろうな、と思うのですね。『ウェブ進化論』の梅田さんのように、それをポジティブな言葉だけでは語れない自分がいるけれども、私たちの孤独が手に入れた可能性は、そのさみしさも含めて、きっと、いいものであるのだろう、とは思うんですよね。
--------------------------------------------
自分の孤独に打ち勝つための自己表現
この「個人」が「不特定多数」に言葉を伝える、というのがブログのさみしさの原因でもあって、そのさみしさが魅力であるんだろう

そうだなあ。そうかも。

でも、有名人ブログと違って僕はそれほど不特定多数に向かって発信してるっていう気はない、というか、薄い。
こんなこと書くと彼は喜ぶだろうなあ、とか、この駄洒落はあいつに受けるだろうなあ、というようなターゲッティングした仲間内に向かって書いてるという意識がかなりある。
だけど、もちろんそれだけじゃなく、不特定多数というか、誰が読んでもわかるように意識しつつ書いてるつもり。
常連だけで変に盛り上がってるSNS的なブログは嫌いだし、初めて来てくれた人でも平気で気軽に入ってきてくれるような家が望ましいと思っているので。

それにしても多少の孤独感は時々だけど感じることがある。

そんなさみしさと引き換えに、ひとつの孤独を不特定多数にとりあえず届けることができるかもしれない。

一生懸命書いていても、大して見る人もなく、ネットの広い海の中に埋もれていくんだろうなあ、と思ったりすることもある。
そんな思いもあり、寂しさをまぎらわすために、自分のために、メモ代わりとして書いてるのだと自分に言い聞かせたりしてる。
自己暗示。自己弁護。

自分のためのメモなんだから、誰も見なくても、つながらなくても、一切関係ない。

>孤独を不特定多数に届けることができるかもしれない・・・

そうか、ブログって寂しがり屋の人が書いてる?
孤独のネットワークってこと?
孤独の人の友達はまたみな孤独?
孤独の輪が広がる?
孤独の連鎖?

顔も知らない人のブログでも、読んでると、優秀さ、未熟さを含めて、その人自身が見えてしまうのがブログなんですよね
だからといって、コメントとかしないですけど。PCの向こう側から、日常生活で楽しくやってくれているのを密かに祈るくらいしかしませんけど。

知らない人でもその人が見えてくる。
そして、知らない人なのに、元気出して、とか、うまくやって、とか、密かに祈っている自分に気づいたりする。

この非現実の世界ではあるけど、なんとも人間的な関わり。

寂しい気持ちも、愛に近い感情も、すべてひっくるめてブログと関わったことでもたらされたものなのでしょうね。
まあ、いろんな意味でブログって面白いです、ほんと。
コメント

ブログ開設4周年

2010年09月19日 18時59分36秒 | ブログ
今日でブログを始めて4年になります。
早いもんです。

ちょうど4年前、2006年09月19日に、《初めてのブログ》という初々しい記事を書いて、試行錯誤のうちにひっそりと始まったこのブログ。

こんなこと(?)になるなんて思いもよらなかった。
一応なまけずに続けていることもちょっと自分ながら驚いてる。

1年目 《ブログ1周年》

2年目 《ブログ開設2周年》

3年目 《ブログ開設3周年》

この4年の間、ブログを書きながら感じたこと、悩んだこと、ブログから教えられたことなどが下記の記事。時系列で、こんなに書いてきました。

ブログの効用
3日、3ヶ月、3年
ブログ効果
ブログの来し方行く末
足跡をたどってみる
採用はブログで
半年経って
ブログの輪
一億のブログ
ブログの値段
謝辞
ブログ友達の輪
ブログ仲間との交流
ブログ進化論
シンプルに、お気軽に
コメントの難しさ
4年目を迎えたブログは
ブログ3周年祝辞へのお礼
反響、そして感動
なぜブログを書くべきなのか
シンプルがプリンシプル
シンプルにきっぱりと
ダジャレーヌーボー
ダジャレーヌーボー・その2
最後のブログ

数えてみたら、4年間で1310の記事を書いていました。
4で割ると、328/年。
4年間も、こんなにずっと記事を書いてきて、それだけ膨大な時間使ってきて、一体何になったの?
なんかの役に立ったわけ?

これ、人から言われる事もあるし、いつも自分に問いかけてるテーマです。

他にやること、やらなければならないことは山ほどあるし、そんな時間を犠牲にしてまで、毎日のように書き続ける意味ってなーに?
それほどの代償を払ってまで一生懸命書いたところで、誰が見てるかもわからないし、たいした内容でもないわけだから仮に見てくれたとしてもどうってことないし。
それほど大事なことなの?

ブログ開設から先月で5周年を迎えた川島さんがその記事のコメント欄で下記のように書いてます。
----------------------------------
ブログは、「読んでもらうため」のものですが、
かなり「自分のため」のものでもある。

ゆるくても、まとまらなくても、
ひとりの人間の苦悩の叫びを(大げさな!)
-----------------------------------
そうです。
結局は、というか、行き着くところは完全に自分のためのものだと思うので、メモ代わりとして、感じたこと、思いついたこと、考えたこと、どこかに書き残しておきたいこと、などをとりあえず書いておくのが基本。

アウトプットが肝心という記事も書いたけど、中途半端でもわかりにくくてもまどろっこしくても、ひとりの人間の苦悩の叫び(?)をひたすら発信し続けることを心がける。

そうすることでなんかそのうちいいことがある。(はず)
そう、今までも実際いいことあったし、今後もそうだと信じて疑わない。

毎日の生活の中で、仕事や趣味の中で、いろんな人と会ったり本を読んだり社会の動きがあったりなど、その時に考えたこと感じたことは、このブログの中にため込んでいくことにする。
覚えておきたいことは、あとで検索もできるし。

なんたって、weblogというくらいで、logなんだからね。

もっとわかりやすく、推敲を重ねしっかり完成させたいのだけど、なかなかそんな時間もない。
読む人にストレスを与える場合もあるかもしれないけど、自分のためと割り切って、えいや!とばかり書いてしまう。
最低限の人に対する気遣いには気をつけつつ。

去年書いた記事、《ブログ進化論》で書いてますが、
ブログというのは、ネット上に建てた家、という捉え方があります。

手作りで趣向を凝らして自分の考え、趣味で建てた家。
いろんな人が遊びに来てくれて、居心地のいいリビングで、一緒にお茶飲んだり、おしゃべりしたりする。

最近見つけたある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)というブログの中に、たかがブログじゃないですか。という記事がありました。
 
この方はブログをこのように位置づけています。

 私にとってブログは、ひとり同人誌。

 私にとってブログは、考え方のデータベース。

 私にとってブログは、知らない人との談話室。

皆いろいろ悩みつつ、自分とブログの距離感を修正しつつうまく付き合っているんでしょうね。
 
それにしても、ブログを始めたこと、続けていることで、たくさんの方々とのご縁をいただきました。

実際にお目にかからせていただいた方もたくさんいます。
ブログをやってなかったら多分、いや、絶対に実際会うことはなかっただろう方々。

Danchoさんssayさん風屋さん
将棋のことを頻繁に書くようになってからは、プロ棋士の方々、観戦記者や棋界の方々、そして、たいがーさんをはじめとした将棋ファンの方々とも知り合う事が出来ました。

また、リアルに会わずとも、コメントやTBいただいたり、ブログの交流をしたり、というネット上でのお付き合いもうれしいものです。
たまに見ていただいてるという方もいらっしゃるでしょうし、検索で訪れてくれる方もかなりいらっしゃるようです。

一期一会。
たくさんのご縁に恵まれて感謝に絶えません。
本当にありがとうございます。

昨日の川島さんの記事、自分と会社の4年後って!?
4年に一度のワールドカップのことを引き合いに出しつつ、「4年後のブラジル大会を自分はどんな立場と心境で見るのでしょう?」という内容です。
そして、「このブログも、続けているかなー。」と書かれています。

このブログを始めた4年前と言えば、ジーコジャパンのドイツ大会の年。
なんとか4年間はやってきたけど、4年後のブラジル大会まで続けているのかどうか。

まあ、続いているとして、果たしてどんな内容のブログになっているのか、そして、ブログを通じた交流は、どのように広がってどんなに楽しくなっているのだろうか。

まあ、大きな期待はせず、目の前の一局一局(ひとつひとつの記事)を自分らしく力を出し切る、という方針でやっていくしかないと思っています。

皆さま、今後とも引き続き気軽に遊びに来てください。
そして、(いつもレスが遅くて申し訳ないけど)コメント、TBなども気軽にいただければうれしいです。

うまくアウトプットはできないのだけど、今後とも、将棋や線路をはじめとして、自分の興味対象についてできるだけ深く考えつつ、楽しんで続けていこうと思ってますので、どうぞ末永くお付き合いくださいませ。
コメント (6)

第81期棋聖就位式

2010年09月18日 18時46分12秒 | 将棋
名人就位式に続いて、お誘いを受けて行ってきました。
第81期、節目の盤寿を迎えた棋聖戦の就位式。

グランドプリンスホテル赤坂。いわゆる赤プリは来春閉館とか。
ずいぶん昔から、仕事なども含め、何度訪れたことか。
最後に来られて良かったです。

前回の名人就位式と比べると、会場も人数もこじんまり。
逆に言うと、とっても温かいフレンドリーな感じがよかったです。

産経新聞住田社長。
第一局で緊張しつつ振り駒をやったことに触れ、羽生さんが先手を引いたということで、何億分の一かは自分の力もあったのでは、という挨拶。羽生棋聖も場内も(笑)。
和やかな雰囲気でスタート。

いつもながらさわやか、かつ、凛々しい羽生棋聖。

そして、毎回必ず何か受けを取る、米長会長。
千駄ヶ谷の受け師、か。(笑)

来期は、ぜひ、3連勝なんてことはやめてほしい、という挨拶に、苦笑。
“羽生にらみ”、でなく、“羽生にやり”。

羽生棋聖とも親交のある麻雀の井出洋介さんの来賓祝辞。

就位状授与。

謝辞。
『情報、データ、分析などがどの世界でも重きを置かれる現代の風潮の中、四十歳を迎える自分としては、そういうものではない部分、違う要素を大切にしてやっていきたい。』

素敵な笑顔です。“羽生にらみ”でなく、“羽生ニコリ”。

本日のベストショットいかがでしょうか?

この方のお子さんのようです。偶然ブログを見つけました。
ちゃんと渡せたし、大きな声でおめでとうございます、が言えました。

近々不惑を迎える羽生棋聖。
自然で落ち着いていて、なんとも穏やか。
海のように壮大な表情です。
この視線の先には、果たして何が見えているのでしょうか?


会場には、もう一人お祝いを言われまくっていたこの人や、

初登場で達人戦優勝、永世棋聖のこの方など、棋士の方もたくさん。

お土産はこれ。羽生さんが情熱、なんて珍しくないですか?

羽生棋聖、本当におめでとうございました!

終了後は、いつものように、オジサン茶々丸さんたいがーさんたちと楽しい赤坂の夜を過ごしました。
コメント