即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

羅針盤の精度を上げる

2014年12月26日 12時12分05秒 | 将棋

羽生さん、強いですね。
ハードなスケジュールをものともせず、名人位奪取、3冠防衛、1300勝達成、棋王戦挑戦者、と、40代半ばにしてさらなる進化を続けています。(昨日の王将戦プレイオフは残念!!)

今日はそんな羽生さんのプレジデントオンラインの記事、羽生善治「若手に負けぬための秘密の習慣」についてです。
共感する部分がいっぱいあるし、とても参考になる記事です。

おおまかにこんな内容です。
★いろいろある選択肢の中から取捨選択の捨てるほうを見極める目。経験知を磨くことで羅針盤の精度を上げていくこと。
★未知の局面に出合ったときの対応力を上げる。そのためには持っている大量の情報を普段から自分の頭で考え、整理する時間が重要。
★ものごとがどういうプロセスを経て結果が組み上がってきたのかを知るのはとても大切。今の自分がどういうプロセスでここにいるのか、過去の何が今の自分の成果につながっているのか、といったことを再検証してみる。
★野生の勘を磨く習慣やトレーニングが必要。そのためには羅針盤の利かない状況を意識的に作り出す。


業界は違えど、どのように若手と付き合っていくのか、あるいはどのように若手に経験知を順送りしていくのか、最近よく考えることが多いです。
この年になってくると、確かに経験がものを言う。
過去にいろいろ苦境や修羅場や突発事故も経験済みなのでなまじのことでは驚かない。
良くも悪くも経験してない、経験の少ない若手に対しては、そこで培われたノウハウや経験則が強みになることは間違いない。

でも経験が逆に妨げになることもあるわけで、過去の成功事例に囚われて新たな発想や変化ができない、ということも十分にある。
経験してないからこそ生まれる新鮮かつ鋭い視点ということもある。

そのあたりのことは、心に残った南場智子さんの若者へのメッセージ「個で勝負できる人材になれ」という記事でも指摘されています。

「(若い世代は)やはり私には見えていない物が見えている世代なのです。世代、世代で見えるものが違うのです。ですから、自分が見えていないものを提案されたときに、頭ごなしに否定しないことが重要だと思っています」

この部分、経験知のある人がついつい陥りがちな欠陥だと思いますし、いつも自戒するようにしています。

次に、羽生さんが“「こうすればうまくいかない」と知っている”というところで言っている話。
「見切りをつける」「いろいろある選択肢の中から、何を捨てていくか」という部分です。

羽生さんが言われてきたことはこの部分だけでなく、田坂広志さんの言われていることとかなり共通していると常々思っています。
田坂さんのなぜ、21世紀の戦略は、「アート」になっていくのか?という内容とオーバーラップするので紹介します。

「「戦略」とは、「戦い」を「略く(はぶく)」こと。
 すなわち、「戦略思考」とは、「いかに戦うか」の思考ではなく、「いかに戦わないか」の思考に他ならないのです。
 真の知性とは、「戦って相手を打倒し、勝つ」ことに価値を置くのではなく、「無用の戦いをせずに、目的を達成する」ことに価値を置くからです。


羽生さんと田坂さんのことは過去にもずいぶんと書いてましたね。
一芸に徹すれば、万般に通じる
今の自分の力を全部出し切る
自己限定すること
羽生さんの新著「大局観」
羽生二冠、王位獲得で三冠へ、そして、通算80期に

次に羽生さんが“未知の局面に出合ったときの対応力”というところで語っていること。

アナログで育った世代だから基礎や土台の作り方を見ているし、大変な労力と時間を使って自身で作ってきている。それが世代の強みだ、と。

アナログの時代ということで、若かった頃、僕自身が経験した広告制作業務の話を例に出してみます。

昔はオリエンからプレゼンまで時間があった。
いろんな役割のスタッフが大勢集まって、どういうコンセプトで行くか、表現はどうするか、どんなプレゼンをすれば勝てるのか、などなど、日夜何度も何度も侃侃諤々議論して企画を作っていった。
もちろんコンピュータなどないので、全部手作り、手作業。
知恵を絞り出し、もっとよくなる、さらにブラッシュアップできる、と際限のない深夜作業が続く。
手書きの企画書を何度も何度も書き直し、いわゆるカンプライターに頼んで実際のビジュアルを手描きで書いてもらい、間際になり平身低頭して書き直しもお願いした。
コンセプトを決めるだけで一週間も二週間もかけるような仕事を皆がしていたものだけど、今や、そんな悠長なことは言ってられやしない。
3日後にかなりの精度のビジュアルを出せてしまう。
一人でもそれなりの企画を短時間でできてしまうようなスキルやインフラが知らないうちにできてしまった。
ではあの頃の僕たちの経験は何だったのだろうか?
順序立てたり、整理し直したり、ああでもないこうでもないとたくさんの試行錯誤を続け、広げ尽くしたり、まとめ切ろうとしたり、無駄かもしれない努力も含め、どれだけの労力、精力を駆使してきたことか。
羽生さんの言うように、その経験知を僕らの強みにできるはずだし、若手には絶対に負けやしないと今でも自負している。

しかし、そこが陥穽だといつも認識し、忘れないでいることも極めて重要。

そして、もうひとつ田坂さんの挙げている戦略思考の話も羽生さんの言われていることとしっかりと通じる。

これまでの戦略思考は、「山登りの戦略思考」とでも呼ぶべきものでした。
 すなわち、あたかも山に登るときのように、地図を広げ、地形を理解し、目的とする山頂を定め、その山頂に向けて、どのルートで登っていくかを決めるという戦略思考でした。
 しかし、世の中の変化が急激かつ非連続になり、企業や組織をめぐる環境が予測不能な形で目まぐるしく変化する時代を迎え、これまでの「山登りの戦略思考」では、その環境変化に対応できなくなったのです。
喩えて言えば、山登りをしようにも、「山の地形」が刻々変わってしまうという状況です。そして、その新たな地形についての「地図」も無いという状況です。

 では、こうした時代に、どのような戦略思考が求められるのか?

 それが、「波乗りの戦略思考」なのです。

 すなわち、あたかもサーフィンで波に乗るときのように、刻々変化する波の形を瞬時に体で感じ取り、瞬間的に体勢を切り替え、その波に上手く乗りつつ、目的の方向に向かっていくという戦略思考です。
 なぜなら、変化の激しいこれからの時代には、極端に言えば、三日前に立てた戦略でも、すぐに古くなってしまうからです。
 従って、環境変化が緩やかに起こるという前提での「山登りの戦略思考」では現実に対処することができず、刻々変化する環境に瞬時に対処していく「波乗りの戦略思考」へと、戦略思考のパラダイムを変えなければならないのです。


この話が羽生さんの羅針盤の話に通じていくと思います。
どこからどのように山に登るかを地道に研究して成果の上がる時代ではなくなってきた。
加速度的に変化を重ねる時代に対応していくためには常に羅針盤の精度を挙げる努力を怠らないこと。
羅針盤の効かない状況にわざと身を置いて、刻々と変わる環境変化にも対応できるような反射神経を養っていかないとどうにもならない時代になってきた。

時代の波に乗って、翻弄されるに身を任せ、その中で人間が本来持っている「野性の勘」を駆使して自分の進む道を描いていく。

最近の異常気象もそうだけど、いまだかつて経験したことがない事態がよく起こる現代社会。

そういう状況でも、パニックにならず、落ち着いて判断し行動できるための準備。

柔軟にフレキシブルに、強い意志と研ぎ澄ました野生の勘を頼りに大胆にサバイブできる人。

日頃から自分の羅針盤のスペックを上げ、より精密に機能するように点検整備しておかないといけないとつくづく感じる今日この頃です。
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生き方のセンス

2014年12月14日 11時52分48秒 | 友達・絆
また間が空いてしまいましたね。

この間、棋界でも糸谷新竜王誕生、今泉さんプロ試験合格、そしてあっと驚くリアル車将棋(!?)などいろいろなことがありましたが、僕の周辺でも仕事がどんどん忙しくなってきてたり、また、プライベートでもいろいろありました。

つい最近のことだけど、長年仲良くさせてもらっていた前の会社の先輩Tさん(歳は5歳ほど上)が亡くなりました。

まだまだ全然若いのに、そして、いつも笑顔で明るく素敵な人だったのに、とてもショックです。

このところたくさん来ている喪中のハガキでも、親でなく兄弟というのが徐々に増えていますし、ほんと最近は黒いネクタイの機会が増えてしまっています。

考えてみると、こういう辛い記事は今年三度目です。
哀しい雪の日
生き抜く強さ

Tさん、もともとデザインが好きだったこともあり、仕事でもプライベートでも何にでもかなりの拘りがありました。
ずっと尊敬する営業マンだったのだけど、自分では“営業もできるデザイナー”と言ってました。
10数年前に会社を辞め独立して、去年会社をたたむまでずっと一人で頑張ってました。
クライアントにもまわりにも人望が厚い人だったので、仕事も安定していたようです。
仕事でも絡んでいたので年に何度かは一緒に飲んでいたし、一緒に出張やゴルフにも行きました。
骨董通りにあったTさんの事務所にはいつもいろんな人が集まっていたようです。
別に親分肌なわけでもないし、強いリーダシップがあって強力な求心力があるわけでもないと思うのだけど、クライアントでも協力会社でも後輩でもいろんな年代のいろんな人が彼を慕って集まってくる。

ファッションとか、名刺とか手書きの企画書とか、本当に独特の拘りがあって強い生き方のポリシーやセンスが常に伝わってきていました。

昔、飲みながら、後輩に対してプレゼン技法についていろいろ語っていた時、
『お前は女を口説くときに何に気を付けるんだ?』
というところから始まって、いかにプレゼンと女性を口説くのが似ているのかを具体的にわかりやすく話していたのが印象的です。

お通夜に行った時の帰り道、いただいたお返しを手にしながら皆で話していました。
シェラトンホテルの包装紙です。(中味はクッキーでした。)
『お返しがシェラトンのだなんて、こんなの初めてですよね、さすがTさんだなあ。』と。

そして数人で駅前の居酒屋に入ってTさんを偲んで飲んでいたら、見る見るうちに黒い服の人たちで貸切みたいになってしまった。
2階の座敷、10数人のグループを含め、4グループは全部お通夜帰り、あちこちで、Tさん、Tさん、という話し声が聞こえてくる。

人が集まる人。
会いたくなる人。
Tさんの笑顔が浮かんできます。

もっと飲みたかったし、一緒に出掛けたかったです。
長い間、ありがとうございました。

心からご冥福をお祈りします。
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