週末のバレーボール、すごい試合でしたね。
木村が名実ともに真鍋ジャパンのエースになり、銅メダル獲得、見応えありました。
話題は変わって、この週末も、いろいろな意見が飛び交ったこの問題。
さあ、逮捕か否か、責任取って辞任か田舎。
いや、否か。
いろいろ動いていくはずの今週です。
管理強化は3部署だけ=海保、指示限定で防げず―「秘密意識低い」・ビデオ流出(時事通信) - goo ニュース
流出して当然の結末。
要は誰も秘密だとか、重要だとかとは思っていなかったわけですね。
共有PCに誰でもアクセスでき閲覧できた。
そして誰でもダウンロードできたということ自体、国家機密的なセキュリティ意識も緊張感も何もない。
なんたって、皆、現場にいて船に乗っていて、あのシーンを実際に見てることもあり、あれは真実だし、なんであれを隠さなきゃいけないの?って意識なのはよくわかる。
むしろ流出して皆が見るべきだ、あれが真実なんだから、って、民主党支持であろうが、中国がどうだろうがそんな事関係なく、誰しもそう思うのが真っ当な人の子。
そんな思いのもとの管理なわけだから、どうやったって杜撰にならざるを得ない。
それが法を冒してるとかそういうことよりも、そういう土壌、風土だったということがすべて。
指示の有無の問題でなく、誰もそんな意識を持つ人がいない。
その温度差、世間とのズレが問題といえば一番問題。
「これ、もしかして、やばいんじゃないの?
勝手に共有フォルダー覗いて、皆で見ちゃったりしてかまわないのかな?」
って誰か思ったり、言ったりしてなかったの?
いわゆる自己管理、自己規制の意識、あるいは相互チェックの風土。
「現場の感覚では『資料』に過ぎず、『秘密』だと考えていた海保職員はいなかったと思う」とのこと。
これだけ世間では大きな問題になっているのに、そうなのかあ、そんなもんなのかなあ、と引いてしまう。
いつも面白く読んでいる
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明。
気持ちよく斬りまくってくれているので一部引用させてもらいます。
動画流出問題が呼ぶ「次の失敗」
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「だってお前、ゴールキーパーが試合中に弁当を食ってるんだぜ。失点を予想するなって言う方がむしろ無理ってもんじゃないか?」
その通りだ。われわれの組織は、原本の撮影VTRから複数の編集版を作成し、それを関係各方面に配布していた。しかもその編集版を誰もが見られる場所に放置していた。芝の上にしゃがんで弁当を食っているゴールキーパーとどこが違うというのだ。それほどわれわれは無防備だったのだ。
なんという脳天気。
深刻に反省せねばならない。
とはいえ、反省した上でわれわれに何ができるのかというと、これといって有効な策は、実は見つからない。
というよりも、反省した人間が為すべき最も重要な行動は、「何もしないこと」だったりするのである。
さよう。失敗は失敗。
潔く認めて、気持ちを切り替える以外にどうしようもない。
挽回しようとあれこれいじくりまわしたり、当り散らしたり、無理な弁解のためにエネルギーを費やしたりすべきではない。
具体的に申せば、Googleに令状を出したり、犯人に不必要な厳罰を課そうとしたり、メディアを呪ったりすべきではないということだ。
一番マズイのは、失敗を取り返すために、別のところで点数を稼ごうとすることだ。
囲碁の世界には、
「悪手は悪手を呼ぶ」ということわざがある。
囲碁でも麻雀でも将棋でも同じことだが、ゲームのある段階で何かマズい手が打たれると、そのマズい手のマズさは、次のマズい手を呼び寄せるものなのだ。
ヘボな手を打つと、当然のことながら形勢は一気に不利に傾く。と、その不利な局面を打開するために、プレーヤーはよりリスキーな手を打たざるを得なくなる。
一方、そうは言うものの、ヘボな手にもヘボな手なりの志というのか思想がある。
ここが問題だ。
ヘボな手をヘボな手と判断してあきらめてしまうと、その時点で、ヘボな手は、失敗として確定してしまう。
と、悪手が損として確定することを嫌うヘボな碁打ちは、ヘボな手が目指していたところの理想(しょせん無理筋なのだが)をあくまでも深追いしようとする。これが次の悪手への呼び水になる。
囲碁にはあんまり詳しくないので、サッカーの例で考えてみたい。
たとえば、ダメなサイドバックが自陣の深いところからドリブルを始めたとする。
と、タイミングと方向が不適切だったそのドリブルは不発となり、たちまち敵に囲まれてしまう。
この段階で失敗を認めてバックパスをすれば、傷は広がらない。
ミスはミスだが、致命的なミスにはならない。無駄なプレーではあっても、ボールを失うわけではない。OKだ。やり直せる。
が、ヘボなうぬぼれ屋はバックパスを嫌う。
特定の局面でのバックパスは、
「私は無駄なドリブルをして時間を浪費し、エリアを失いました」
ということを自ら認める一種の敗北宣言だからだ。それゆえ、誇り高い選手は、バックパスを嫌う。根性の曲がったヘボは非を認めない。
で、愚かな燃える誇り高いサイドバックは、さらに深く敵陣に突っ込んで行く。敵方の選手が四人も集まってきているにもかかわらず、だ。
そして、当然のことながら、ボールを奪われ、致命的なカウンターを食らう顛末を迎えるのだが、囲碁の悪手も同じで、最初の悪手の「顔を立てる」ことが、次の悪手の予約行動になる。そういう決まりになっている。こうして、失敗を認めない軍師は、小さな失敗を糊塗するために、より深い傷を負うことになるのである。
私が心配しているのはTPP(環太平洋経済連携協定)だ。
関係ないと思う人もあるだろうが、そんなことはない。あらゆる失敗は別の失敗の伏線になる。
別の言い方をするなら、成功は一夜限りの単発興行だが、失敗は必ずや大河ドラマの形で上演されることになっているということだ。
ミスをしない人間はいない。失政を犯さない政権もない。
とすれば、為政者にとって最重要な課題は、ミスをしないことではなくて、失政の傷を最小限に抑えることなのである。
中国漁船の対応は失敗だった。
これは、もうどうにもならない。
この上余計なことをしないという以外に、彼等にできることはない。
が、なあに、失敗は失敗として、損切りをすれば良いのだ。ぜひそう考えようではないか。
ヘタなナンピン買いを重ねるみたいなヘマさえしなければ、たしかに痛い失点ではあっても、時間がたてば事態は改善する。そう思って切り替えてくれ。たのむ。
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後手後手になり、予定変更をし、ミスをし、悪手が悪手を呼ぶ。
なぜビデオを公開しなかったのか。
なぜ船長を釈放したのか。
そこのところから説明していかないと流出事件だけでは済まないようにも思う。
盤の前に座っている人(誰なの?)はどんどんとダメな方向に事態が進んでいる現状をどうしようとしてるんでしょうか?
今後の作戦、その背景にある大局観は?
羽生名人もこう言ってます。
「ミスはミスを呼び、悪手は悪手を呼ぶ。プロがミスをしないのは、ミスしにくい局面を選択しているからなんです。」
プロであるならば、ここでミスを食い止めて、さらなる悪手を指さないように、ぜひ、頼みますよ!!