即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

回転寿司の裏側

2014年09月29日 20時23分07秒 | 外食
100円のところはなかなか行かないけど、もうちょっと高めのところ、時々行きます。

回転寿司と言っても、今まで一度もまわってるネタを取ったことはなく、前にいる人に、(例えば)アナゴと中トロとホタテ、とかって頼むようにしています。(皆、大体そうですよね?)

先日閉店間際に行った時のこと、結構ショックなことがありました。

一番キッチンのそばの端っこの席に案内された。
レーンが、というか、寿司が現れるところ。
ちょっと先に寿司が消えていくレーンもある。

つまりキッチンの中が少しだけど垣間見えるんだな、これが。

そして、衝撃の事実というか、外食産業の裏側を見てしまったんです。

目の前の人に頼んですぐに本人が握ってくれることもあるけど、アナゴとか巻物とか、ちょっと別の範疇のものは他の誰かに頼んだりしてるでしょ?
そしてどこかから届いたやつを出してくれる。

誰かが握ったり作ったりするのは直接見ていないですよね。

見ていたらキッチンから手渡しで回っていくものがあった。
キッチンで作っているのか、と思って注視していた。

そこにマジックがあった。
家政婦は見た。

頼まれたネタを自分で作るのではなく、レーンの上に乗って戻ってきた(何週か回ってきた)皿をとって、形を整え、表面に水をつけて乾いたのを修正し、出していたんです。

おー、やるじゃん。

捨てなきゃいけないものを効率活用。

終わり間近だっかからそうしたのか、一般的な荒利アップ作戦なのかわからないけど、
そうか、そうしていたのか。
やるもんだ。

もちろんチェーンによって、店によって違うのだろうけど、こんなのは当たり前なのか、と思ってネットを調べてみたところ、あるある、いろんな裏側情報が。

回転寿司の裏側というサイトに書いてありました。

★流れている寿司を再利用する
おそろしいですね。流れて乾きかけたネタを塩水に浸してもう一度握りレーンに流す。こうすると見た目は全然わからないというかよりいっそう新鮮に見えます。もしくは、霧吹きで水をかけたりする方法もあります。


こんな情報↓もあったし、他にもいろんな裏情報が載ってました。
ヤバすぎる「某100円回転寿司」の裏側

まあ、仕方ないといえばそうだけど、実施に現場を見てしまったので、当分足が遠のいてしまいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電王戦の行方・その2

2014年09月20日 19時21分51秒 | 将棋
前回の記事、電王戦の行方では、いろいろ言いたいことを放電(?)のように書いてしまいました。

この記事についてはギズモさんの記事、《電王戦タッグマッチについての意見表明》の中で取り上げていただきましたね。ありがとうございました。

ギズモさんはこう主張されています。
【とにかく、プロ棋士のみなさんは、まず議論をするべきです 話し合いもなーんにもなくて、ただ川上会長と谷川会長の間だけで、こんな大棋戦が成立しそうな流れになってるじゃないですか
もう連盟のページにも、2016年からこの棋戦を作る、と書いてありますしね
まず、理事会、そして臨時の棋士総会を開くべきです 
こんなときのために理事は居るし、棋士総会もあるのでしょう?

棋士のみなさん、今、考えないとダメです 賞金をもらって既成事実ができてしまってからでは、遅いんです
<中略>
利益追求の株式会社ではない存在、日本将棋連盟という公益社団法人を、今こそ、正会員であるプロ棋士のみなさん一人ひとりが守ってください! この一件、本気で考えてください!】

     
すでにおわかりのように、もともと僕は温厚かつ柔軟な受けの棋風ゆえ、棒銀でガンガン攻めていくのは気が弱くて向いてないです。
なのでいろいろ書きましたが、基本は真っ向から反対意見を述べているのでなく、本当にいいの?この方向で進めちゃって大丈夫なの?と要らぬ心配をしているおせっかいなオジサンなわけです。

そんなことで今回の電王戦のタッグマッチに至る経緯のところで、ちょっと掘り下げて考えてみたいと思います。(しつこい。。)

まず、本筋とは別の結構新しいことをやるのであれば、それなりの事前の準備を十分にしたのでしょうか?という疑問。(もちろん十二分にしました、ということなのかもしれないですけど。)
いろんな角度から、リスクやデメリットも検証した上で、どれだけファンが支持してくれそうな棋戦(イベント?)になるのかどうか。
そのあたりのマーケティングも十分にやった上で、関係者の意見も聞いて議論を十分しつくした上での自信を持った判断なのであれば何も言うことはないと思います。

コンピュータがどんどん強くなってきた時点で、連盟としては将棋、あるいは棋士とコンピュータとの親和性について、あるいは関わり方について、どのようなビジョンを描いてきたのでしょうか。

米長前会長がいろいろな指針を出して、基本的な方向を作ったのだとは思いますが、さらに加速度的に強くなったコンピュータとの付き合い方について、まだ議論が足りてないのではないかと思えて仕方ありません。

もともとこの電王戦。
人類対コンピュータの異種格闘技として話題になり、新しいファンが増えたことは間違いない。

しかし、これからのタッグマッチも含め、これを連盟が目指す新たな方向性として位置づけることはどうなのか。
タッグマッチを多額の賞金を誇る棋戦のひとつとしてフィーチャーしていくことはどうなのか。

素朴な疑問なのですが、スポンサーがつく前から、人間とコンピュータの対決をして、異種格闘技のように盛り上げて、新たなファン層の開拓をしたら面白い、普及の大きな柱になるって発想はあったのでしょうか。(米長前会長はそのように描いていたのですかね?)
ドワンゴさんとは関係なく、棋士とコンピュータがタッグを組んでタッグマッチをやったら面白い、それを棋戦の一つにしたら面白い、って以前から考えていたのでしょうか。
どうしたらより普及を進められるかという課題に対して、真剣に議論を重ねていった中で、コンピュータとの関わりを持ち出すことが有力な一手だという結論なのであればまだわかります。
自らやりたいことにスポンサーが理解を示してくれて協賛してくれるのでそれは渡りに船ですから。

でも、そんなこと全く考えてもいなかったけど、たまたまこういうオファーがあったので、面白そうなので乗りました。
お金も入るし、普及にもなるし、という後付け的なことだったのであればそれはどうなのでしょうか。

こんな言葉があります。

「成功する新事業というのは、
どうしてもやりたくてやりたくてワクワクすること。
後ろから羽交い絞めされてもそれをはねのけてまでやりたくて仕方ないこと。」

そういうことであれば結果うまく行くのだ、という金言です。
逆に言うと、それほどの情熱とか、いわゆる使命感がなかったらなかなかうまく行かないということ。

もちろんマーケットやニーズがあることが前提だけど、こうであれば、結果はうまくいく、という話です。

つまり言いたいのは、このタッグマッチというものを本当にどうしてもやりたいことなのかどうかです。
本気度。必死度。

それほどやりたいわけでもないし、いろいろ問題はあるけど、メリットもあるからちょっとやってみよう、というのでは腰が引けてるし結局はうまくいかなくて頓挫することになる。

将棋の発展ということ。
そもそも将棋は何のためにあるのか。
ちょっと広げて言うと、文化は何のためにあるのか。
文化が発展するということはどういうことなのか。
単にファンの人数が増えればいいのか。

将棋の本質的な価値。
将棋のリテラシー。
世の中における影響度、ブランド価値。

日本の伝統文化ということを考えると、サッカーやチェスとは違って、相撲と共通する部分があるのかもしれない。
どんどん世界に出て行って“JUDO”のように変化しながらもインターナショナルな“SHOGI”になっていくことや、どんどん進化するコンピュータとの今後の付き合い方を含め、連盟は、そして我々将棋ファンは、将棋の未来予想図をどのように描いていくのだろうか。

目一杯の想像力を働かせて、360度の議論をすることはとても楽しいと思うし有意義だと思います。
はい、いろんな意見があるようだし、それはそれで面白いし、気軽に一杯やりながら皆でオープンにどんどん語り合いましょうよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ開設8周年

2014年09月19日 23時22分26秒 | ブログ
このブログを立ち上げて、お陰様で今日で8周年を迎えました。
8年前の今日、ブログってよくわからないけどまわりも始めてるし、面白そうだからちょっとやってみようかなと思いたち、見よう見まねで始めてみたのだけど、こんなに続けられるなんて思いもよらなかったです。

8年の歳月。
仕事のことも、プライベートなことも、3.11のことも含め、いろんなことがありました。
もう忘れてることもたくさんあるけれど、自分が歩んできたこの8年の歳月の中で感じたこと考えたことの足跡がこのブログに残っています。

この8年の間、いつも考えてます。

ブログって自分にとって何なんだ。
何の意味があるんだ。
こんなに時間を費やして、そんな価値があるのか。

ずっと自分に問いかけてきた8年間でした。
真面目に振り返っちゃったりして、なんか、お終いにするような雰囲気じゃん。(笑)

正直、最近は更新がままならず、あー、やんなきゃ、と気ばかり焦ることもあり、挫けそうになったりもするのだけど、やはり、継続は力なり、です。

指す手が遅い、じゃなくて、サステイナビリティ。

無理をせず、続けていける環境を整えること。
そして楽しみつつ、ブレずにゆるゆるとしっかり継続できることが大切です。

最近はソーシャルメディアのバランスや使い方も変化してきていることもあり、前にも書きましたが、発信の主力はfacebookに移行しています。
それはそれで楽しく発信、交流、情報収集はしているのだけど、やはり自分ならではのメディアとも言えるブログを持っていることは大きな意味があり、それを8年間も続けられていることがちょっとした自信にもなっている。

ライフワークの研究課題である、線路内人立ち入り前派後ろ派分析、などなど見る人にとってはくだらない、取るに足らないネタを一生懸命掘り下げようとしている足跡もこのブログという場があるから成立している。

今まで何度も僕にとってのブログの効用について書いてきたけど、本当に数えたら切りがないし、ブログの恩恵を十二分に被っている。

こんな意見もあります。
個人ブログ回帰と「大きなインターネット」への忌避感、もしくは、まだTwitterで消耗してるの?

TwitterやFacebookに対する不満が徐々に積み重なってきていることが、ブログに回帰させる要因になっている。すべてをコントロールでき、何でも自分を満足させることができる場としての個人ブログがまた新たに見直されてきている。

まあ、世間はともかく、これは自分だけの問題。

8年前、このブログを始めたことで知り合ったブログ仲間も止めたりする人はほとんどなく、それぞれ皆がんばって更新を続けています。

この夏、10周年を迎えた風屋さん
10年

そして、9周年を迎えた川島さん
Blog 9周年。ハハハ!

ちょっとだけ後輩のDanchoさんはつい先ごろもともとの本館に次いで、新館を立ち上げました。
Danchoのお気楽Diary 新館

その頃からのブログ仲間ではないのだけど、最近刺激を受けているブログをご紹介します。
元の会社の先輩だった新庄さん。
素晴らしい野鳥の写真を載せることだけにとどまらず、自分史について詳しく振り返りつつ、毎日更新しています。あまりに濃い中味とブログに賭ける拘りのパワーに日々感心しています。
YAMASEMI WEB BLOG

8年前の今日(2006.9.19)、何が何だかわからないけど、ブログというものをやってみようか、ということで、初めてアップした記事がこれ。
初めてのブログ

開設記念日に毎年振り返って解説して書いた記事がこれ。
ブログ1周年(2007)
ブログ開設2周年(2008)
ブログ開設3周年(2009)
ブログ開設4周年(2010)
ブログ開設5周年(2011)
ブログ開設6周年(2012)
ブログ開設7周年(2013)

今まで密かに見ていただいてたり、コメントいただいたりも含め、支えていただいた皆様、ありがとうございました。
いつまで続けられるかわかりませんが、9年目を迎え、気分を新たに、10年という節目を目指してまだしばらくは続けていこうと思っています。
ということで今までと変わらぬおつきあいを、今後ともどうぞよろしくお願いしたいと思います。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電王戦の行方

2014年09月15日 00時20分11秒 | 将棋
このタイトル、別に電王戦に行方八段が出るということではないです。(いや、出るかも?)
次回の電王戦の発表もあり、これから電王戦はどうなっていくのか、ということで電王戦の今後の行方を考えてみます。

2015年春「将棋電王戦FINAL」開催、2016年「電王戦タッグマッチ」の本格開催が決定

さて、今まで電王戦についての記事をどれだけ書いたことでしょうか。

今年の電王戦関連記事はこちら。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
<その6>
<その7>
<その8>
もしも羽生さんよりも数倍強いコンピュータソフトができたら
電王戦その後
羽生さんとコンピュータ将棋
人間に残されたもの
棋界における機械の機会

昨年の記事はこちら。
電王戦考察
電王戦考察・その2
電王戦考察・その3
電王戦考察・その4
電王戦考察・その5
電王戦考察・その6

もうおなかいっぱいです。
これだけいろいろ書いてしまった背景には、僕らの好きな将棋がどうにかなってしまわないだろうかという危機感とか不安が大きく渦巻いていることが原因です。
一ファンとして、プロ棋士を凌いでどんどん強くなっている将棋ソフトとの付き合い方を間違えた時のリスクを想定し、心配で心配で眠れない夜を過ごしています。

さて、今回の発表で、来春行われる(えっ、まだやんの?)恒例の5対5の団体戦はいよいよこれでお終いになるとのことです。
もう興味ないのでどうでもいいですけど。

そして、団体戦が成立しなくなったので、代わりに人とコンピュータがタッグを組む電王戦タッグマッチという苦肉の策を編み出したようです。
対決から共存の路線です。
共存と言えばかっこいいけど、なんだか指し手がおかしくないですか。

棋士が一生懸命自力で考えていて、ひとたび難しい局面になるとタッグを組んだコンピュータに指し手を聞く。頼りにする。

タッグマッチって、まるでカンニングじゃないの。

一目筋が悪い。味が悪い。
直感的に読みから外すような指し手に見えます。

何が何でも、筋が悪くても、どうしても続けたいんですね。
しかも多額の賞金付きだって。

本気でやるの?

棋士も含めいろいろな人の意見を聞いたり、本当に議論しつくした末の結論なのでしょうか。
これをやった時のリスク、デメリット、などしっかりシミュレーションして考え抜いた末の最善手、と自信を持って思っているのでしょうか。

あー、またいろいろ言いたくなってきた。

と思ってたら、先日棋界関係者からやっと心強い意見が発信されました。
-----------------------------------------------
橋本八段のtweet。

言いたいことがあり過ぎるな

この棋戦?の趣旨は何なんでしょう、スポンサーの意向?話題性?プロはコンピューターに勝てないので、異なる形で電王戦存続しましょうってこと?意味わからん

事情が何かは知らんが、プロがソフト指し推進しちゃアカンでしょ。恥を知りなはれ

あまりにもバカげた企画で、怒りを通り越して呆れちゃったね。ごく一部でも、こういうのを面白いと勘違いしている奴が同じ棋士にいると思うと情けない。大半の棋士はまっとうな感覚を持った良識ある人間だと信じたいっす

将棋の素晴らしさを伝え、棋士って格好いいなとファンに夢を与えるのが我々の仕事です。これからは自分の仕事は自分で守っていかないと、人生をかけてやってきた将棋というゲームは金稼ぎの道具かオモチャになり下がりますね。この件については、私は反対運動を起こします。


そして、観戦記者の小暮克洋さんの連続tweet。

いささか悪ふざけが過ぎ、冷静さを欠いているのではないか。2016年から非公式戦として開始されると発表された非公式戦「電王戦タッグマッチ」のことである。棋士とコンピュータソフトがペアを組み、ソフトが示す指し手を棋士が取捨選択しながら対局を進めるというルールで巨額賞金を争う。

週刊将棋の報道によれば「竜王戦、名人戦に次ぐ賞金を用意しています」とある。日本将棋連盟の理事サイドとしては、先行きが不透明なこのご時世で、破格の契約金を引っ張ってくることができたのは喜ばしく、会員にも手放しで、よくやった、と言われたい、という意識が根底にあることだろう。

だが、本当に、いいのか。将棋界の末端にいる私のような人間がはなはだ僭越ではあるのだが、私が愛してきた将棋界の将来を考えた場合、ここはちゃんと自らの意見を表明すべきという結論に達した。棋士の魂は? 誇りは? 使命感は? 矜持は? 気高さは? 本当にこれでいいのか? と。

一企業としてのスポンサーサイドに立てば、面白おかしく世間の注目を集め、将棋ファンの皆が楽しんでくれれば本望という理屈はわかる。だから、ドワンゴさんには、私は何のうらみも文句もない。だが、プロ集団の日本将棋連盟はどうか。今回のルールは「カンニングを正当化する棋戦」なのが問題だ。

こんな安易で楽チンな棋戦を認めちゃいけない、と私は思う。もちろん、理事の皆さんも一生懸命に将棋界のことを考えた末の結論には違いない。だが、いくらお金を引っ張ってきても、物事にはやっていいこととやっていけないことがあるはずだ。

日本相撲協会に新たなスポンサーが現れて、巨額の契約金と引き換えに、グローブの着用もOKということになっても誰も喜ばないし、暴動が起こることだろう。それと同じレベルの愚挙に日本将棋連盟は走ろうとしているように、私には思える。

私は、やっていいこととやっていけないことがある、と書いた。理事側の論理でいえば、私とは少々基準が違い、この程度はやっていいことと考えていることになる。非公式戦の遊びで何億も頂戴できるなんて、望外の喜び。しかも、この程度は許容される範囲内であるという認識なのだろう。

だが、本当にそうか。将棋のプロとしてのモラルの問題もさることながら、金さえもらえばカンニングもOKという判断の危うさ以外にも、直観的にやばいな、と感じる論点はいろいろある。

まず、公益に資することを成り立ちの条件とする公益社団法人としての存立に関わるリスクだ。優勝賞金が何千万かはわからないが、こんな遊びで不相応なお金をばらまくことが許されるのか。公益に反する行為を日常的に行っているとすれば、認可の取り消しも危惧しなくてはいけないのではないか。

加えて、一部の棋士だけに特権的に参加が許され、一攫千金が果たせる射幸性の高さが危うい。はっきり言ってソフトの意見に従えば、クレヨンしんちゃんだって羽生名人に勝てるチャンスが生まれる。それをプロ中のプロの日本将棋連盟に所属する棋士のみが努力もなしに、莫大な利益を享受できるのだ。

もとより棋士という職業は盤上でどれだけ苦しくとも、歯を食いしばって頑張って頑張り抜いて、全責任をたった一人で受け入れるところに世の中の人たちから尊敬を浴びる存在理由が生まれる。難関の奨励会を潜り抜け、その先に待っているのが賭博的な要素の強い「おいしい地位」というのでは悲しい。

いままで側面から支えてくれている、新聞社等のスポンサーサイドからすればどうだろうか。地道に真面目に戦う棋士たちを、全面的にバックアップしてくれた大切な彼らの存在をも、真正面から裏切ることになるまいか。この浮かれた遊びが序列第3位の賞金額というのでは、つらい仕打ちではないか。

日本将棋連盟が、この十数年、力を入れている、将棋普及を通じた少年少女への教育問題の影響はどうだろうか。真面目に努力する姿なしに、憧れの棋士たちが安直な大金を手にして満面の笑顔を浮かべるのを目の当たりにして、彼ら、彼女たちはどう思うだろうか。

私が、あまりに拝金主義に心を奪われ、やってはいけない禁じ手と考えるこの棋戦についても、もちろん賛否両論はあるだろう。私は自分と意見の違う人たちを軽蔑もしないし、異論の存在は認める。それぞれの立場の違いからくる苦悩の末の判断の相違も、おそらくあるだろうから。

しかし、一万歩譲っても、これだけの将棋界に大変革をもたらすような棋戦成立について、あまりにも物事があっさりと順調に進みすぎていることが、私は何より怖い。上から降ろされて、反対意見は封殺されながら、報告レベルで淡々と意思決定がなされているようなプロセスが、私は怖い。

棋士の存在価値が問われるような大問題を、内外の意見を聞きながら皆が喜ぶ形で推進していこうという雰囲気になっていないことを、私は憂える。ドワンゴさんだって、いくらお祭りが好きといったって、冷静に棋士の論理をぶつければ何かいい解決方法、落としどころが見つかる可能性は大いにあろう。

そういう危機感をともに共有しながら、互いに意見をぶつけ合いながら、慎重に新棋戦の導入を検討してきたとは、私には思えない。棋士の一人ひとりの意見が違うことは、私はこの団体の誇るべき財産のひとつと常々思っている。そして各自がそれぞれを尊重しあう。当たり前のようで、難しいことだ。

しかし、何となくこの数年、異論を徹底的に抑える方向にこの組織が少しずつ変わってきているように見えるのを、私はとても残念に思う。下位の者が上位の者に頭が上がらず、面従する傾向が強いのもこの団体特有の特徴ではあるのだが。

部外者で何の力もなく、いままで政治的な意見表明はことごとく避けてきた私だが、今回は、後世の歴史家の評価にまで思いをはせつつ、どうしても、いてもたってもいられなくなった。どうか棋士の皆さん全員で、この問題についてはしっかりと議論を尽くしていただきたいと、心から願うばかりである。
--------------------------------------
それにしても小暮さんの意見は僕と違って冷静沈着だし、客観的だし、多角的に検証されているし、いわゆる業界のいろんなことを知っている賢人なので納得できるし共感できる。

小暮さんの言われるようにもちろん違う意見もあってもいいけど、今回の理事会の判断にはどうには納得がいかないし、スポンサーを大事にすることを優先させた密室政治のような匂いもしてしまう。
ファンの意見、そして、将棋を愛する有識者の意見も含め、意見交換会などオープンに議論できるような場を作るとか、開かれた棋界となって、よりファンが喜ぶ次の一手を考えるべきではなかったのだろうか。

まずやることは、5年後、10年後の将棋はどうなっていたいのか、のビジョンを明確にすることだと思う。
当然コンピュータとの関係性のことも含め、よりファンに愛される将棋、棋界、というものをどう作っていけばいいのかをいろんな人を巻き込んで議論していくことだと思う。

棋士が困った時、難解な局面でコンピュータに考えてもらう、コンピュータを頼りにする。
棋士よりも年々加速度的に強くなっていくコンピュータとそのような付き合い方を進めて行ったらこの先どうなっていくのだろう。

過去の名局とされたタイトル戦などの将棋も、何でもわかるコンピュータに諮ったら全然違う答えが出るのかもしれない。
ファンを感動させた歴史的なあの新手や驚愕の一手が、実は大したことはない、他にもっと有力な手があった、などという結論になってしまうのかもしれない。

衆知を集めた最大限の想像力を働かせ、この先コンピュータとどのように付き合っていくのか、大局観をもとに冷静に次の一手を指してほしいと願っています。
そして今回の判断が悪手、敗因の一手にならないことを心から祈っています。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別れの朝

2014年09月06日 12時55分51秒 | 日記とニュース
忙しさにかまけてまたまた更新できずにいます。
次回の電王戦の発表もあったし、王位戦、王座戦、竜王戦挑決と、羽生さんの大事な戦いが続いているし、昨日のアギーレジャパン緒戦のことだってあるし、書きたいことは山積みです。

さて、昨日の朝の話です。

電車で隣に座ってる若い女の子がかなりの爆睡で舟こいでる。

こっちばっかりにがんがん当たってくる。

たまーに反対側にも振れるのだけど、メインはこっち、すぐにこっちが主体の動きになる。

これが、結構強くぶつかってくる。

体幹をしっかりして動じないようにしてるのだけど、向こうもスポーツしてるのか結構しっかり当たってくる。

おとなしくもたれかかってくるのならそれなりの対応もあるし、顔を覗き込んだり、朝から変な気持ちにもなるだろうけれど、かなり攻撃的だ。

ザックジャパンにも欲しかったアグレッシブに向かっていく姿勢だ。

1対1で絶対に負けないフィジカルな強さだ。

やられるがままになっていたけど、これはちょっと看過できない。

ぎゅっと押しつけておいてひらりと身を交わすテクニックを駆使したのだけど、全然動じる気配がない。

相変わらず同じリズムでしっかりと攻撃を続けてくる。

完全にポゼッションは支配されている。

フェイントも効かない。

こんなに受け身ばかりでいいのか。

逃げるわけにはいかないし、どのように反撃をしかけるのか、いろいろ作戦を考える。

ある駅に電車が着いた。
その途端、何事もなかったかのようにパッと目覚めて立ち上がり、さっさと降りていった。

あっけにとられてその後ろ姿を見送っている多分アホな顔した自分。

あー、やられた。かなりの強者だ。

朝から戦いに巻き込まれ、必死で反撃を試みようとしていたらサッと交わされて一人取り残された空しいオジサン。

この気持ちを誰にぶつけたらいいのか。

諸行無常。

彼女の肩の感触だけが空しく残る。

若い子にいい様に振り回され、逃げられ、もて遊ばれた朝。

これから長い一日、どう力強く生きていったらいいのか。

力が出ない。

人生は危険な罠に満ちている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする