即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

羅針盤の精度を上げる

2014年12月26日 12時12分05秒 | 将棋

羽生さん、強いですね。
ハードなスケジュールをものともせず、名人位奪取、3冠防衛、1300勝達成、棋王戦挑戦者、と、40代半ばにしてさらなる進化を続けています。(昨日の王将戦プレイオフは残念!!)

今日はそんな羽生さんのプレジデントオンラインの記事、羽生善治「若手に負けぬための秘密の習慣」についてです。
共感する部分がいっぱいあるし、とても参考になる記事です。

おおまかにこんな内容です。
★いろいろある選択肢の中から取捨選択の捨てるほうを見極める目。経験知を磨くことで羅針盤の精度を上げていくこと。
★未知の局面に出合ったときの対応力を上げる。そのためには持っている大量の情報を普段から自分の頭で考え、整理する時間が重要。
★ものごとがどういうプロセスを経て結果が組み上がってきたのかを知るのはとても大切。今の自分がどういうプロセスでここにいるのか、過去の何が今の自分の成果につながっているのか、といったことを再検証してみる。
★野生の勘を磨く習慣やトレーニングが必要。そのためには羅針盤の利かない状況を意識的に作り出す。


業界は違えど、どのように若手と付き合っていくのか、あるいはどのように若手に経験知を順送りしていくのか、最近よく考えることが多いです。
この年になってくると、確かに経験がものを言う。
過去にいろいろ苦境や修羅場や突発事故も経験済みなのでなまじのことでは驚かない。
良くも悪くも経験してない、経験の少ない若手に対しては、そこで培われたノウハウや経験則が強みになることは間違いない。

でも経験が逆に妨げになることもあるわけで、過去の成功事例に囚われて新たな発想や変化ができない、ということも十分にある。
経験してないからこそ生まれる新鮮かつ鋭い視点ということもある。

そのあたりのことは、心に残った南場智子さんの若者へのメッセージ「個で勝負できる人材になれ」という記事でも指摘されています。

「(若い世代は)やはり私には見えていない物が見えている世代なのです。世代、世代で見えるものが違うのです。ですから、自分が見えていないものを提案されたときに、頭ごなしに否定しないことが重要だと思っています」

この部分、経験知のある人がついつい陥りがちな欠陥だと思いますし、いつも自戒するようにしています。

次に、羽生さんが“「こうすればうまくいかない」と知っている”というところで言っている話。
「見切りをつける」「いろいろある選択肢の中から、何を捨てていくか」という部分です。

羽生さんが言われてきたことはこの部分だけでなく、田坂広志さんの言われていることとかなり共通していると常々思っています。
田坂さんのなぜ、21世紀の戦略は、「アート」になっていくのか?という内容とオーバーラップするので紹介します。

「「戦略」とは、「戦い」を「略く(はぶく)」こと。
 すなわち、「戦略思考」とは、「いかに戦うか」の思考ではなく、「いかに戦わないか」の思考に他ならないのです。
 真の知性とは、「戦って相手を打倒し、勝つ」ことに価値を置くのではなく、「無用の戦いをせずに、目的を達成する」ことに価値を置くからです。


羽生さんと田坂さんのことは過去にもずいぶんと書いてましたね。
一芸に徹すれば、万般に通じる
今の自分の力を全部出し切る
自己限定すること
羽生さんの新著「大局観」
羽生二冠、王位獲得で三冠へ、そして、通算80期に

次に羽生さんが“未知の局面に出合ったときの対応力”というところで語っていること。

アナログで育った世代だから基礎や土台の作り方を見ているし、大変な労力と時間を使って自身で作ってきている。それが世代の強みだ、と。

アナログの時代ということで、若かった頃、僕自身が経験した広告制作業務の話を例に出してみます。

昔はオリエンからプレゼンまで時間があった。
いろんな役割のスタッフが大勢集まって、どういうコンセプトで行くか、表現はどうするか、どんなプレゼンをすれば勝てるのか、などなど、日夜何度も何度も侃侃諤々議論して企画を作っていった。
もちろんコンピュータなどないので、全部手作り、手作業。
知恵を絞り出し、もっとよくなる、さらにブラッシュアップできる、と際限のない深夜作業が続く。
手書きの企画書を何度も何度も書き直し、いわゆるカンプライターに頼んで実際のビジュアルを手描きで書いてもらい、間際になり平身低頭して書き直しもお願いした。
コンセプトを決めるだけで一週間も二週間もかけるような仕事を皆がしていたものだけど、今や、そんな悠長なことは言ってられやしない。
3日後にかなりの精度のビジュアルを出せてしまう。
一人でもそれなりの企画を短時間でできてしまうようなスキルやインフラが知らないうちにできてしまった。
ではあの頃の僕たちの経験は何だったのだろうか?
順序立てたり、整理し直したり、ああでもないこうでもないとたくさんの試行錯誤を続け、広げ尽くしたり、まとめ切ろうとしたり、無駄かもしれない努力も含め、どれだけの労力、精力を駆使してきたことか。
羽生さんの言うように、その経験知を僕らの強みにできるはずだし、若手には絶対に負けやしないと今でも自負している。

しかし、そこが陥穽だといつも認識し、忘れないでいることも極めて重要。

そして、もうひとつ田坂さんの挙げている戦略思考の話も羽生さんの言われていることとしっかりと通じる。

これまでの戦略思考は、「山登りの戦略思考」とでも呼ぶべきものでした。
 すなわち、あたかも山に登るときのように、地図を広げ、地形を理解し、目的とする山頂を定め、その山頂に向けて、どのルートで登っていくかを決めるという戦略思考でした。
 しかし、世の中の変化が急激かつ非連続になり、企業や組織をめぐる環境が予測不能な形で目まぐるしく変化する時代を迎え、これまでの「山登りの戦略思考」では、その環境変化に対応できなくなったのです。
喩えて言えば、山登りをしようにも、「山の地形」が刻々変わってしまうという状況です。そして、その新たな地形についての「地図」も無いという状況です。

 では、こうした時代に、どのような戦略思考が求められるのか?

 それが、「波乗りの戦略思考」なのです。

 すなわち、あたかもサーフィンで波に乗るときのように、刻々変化する波の形を瞬時に体で感じ取り、瞬間的に体勢を切り替え、その波に上手く乗りつつ、目的の方向に向かっていくという戦略思考です。
 なぜなら、変化の激しいこれからの時代には、極端に言えば、三日前に立てた戦略でも、すぐに古くなってしまうからです。
 従って、環境変化が緩やかに起こるという前提での「山登りの戦略思考」では現実に対処することができず、刻々変化する環境に瞬時に対処していく「波乗りの戦略思考」へと、戦略思考のパラダイムを変えなければならないのです。


この話が羽生さんの羅針盤の話に通じていくと思います。
どこからどのように山に登るかを地道に研究して成果の上がる時代ではなくなってきた。
加速度的に変化を重ねる時代に対応していくためには常に羅針盤の精度を挙げる努力を怠らないこと。
羅針盤の効かない状況にわざと身を置いて、刻々と変わる環境変化にも対応できるような反射神経を養っていかないとどうにもならない時代になってきた。

時代の波に乗って、翻弄されるに身を任せ、その中で人間が本来持っている「野性の勘」を駆使して自分の進む道を描いていく。

最近の異常気象もそうだけど、いまだかつて経験したことがない事態がよく起こる現代社会。

そういう状況でも、パニックにならず、落ち着いて判断し行動できるための準備。

柔軟にフレキシブルに、強い意志と研ぎ澄ました野生の勘を頼りに大胆にサバイブできる人。

日頃から自分の羅針盤のスペックを上げ、より精密に機能するように点検整備しておかないといけないとつくづく感じる今日この頃です。
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円熟の味

2014年11月26日 00時41分31秒 | 将棋
今日はまずサッカーの話から。

かなり共感するこの記事。
今野泰幸投入で引き締まった、日本代表の現実を憂う

アギーレ監督のこと。
まだ6試合なのにすぐにつべこべ言う日本のマスコミもいい加減なもんだけど、それに振り回されてどうもブレてるような気がしてならない。
当初はザックジャパンでお馴染みのベテランをはずし、今まで呼ばれてなかった新鮮な若手を招集し、4年後をにらんでのテストをやるのだと思いきや、この2戦、遠藤、長谷部、今野などを招集して、ブラジルワールドカップとほとんど変わらないメンバーで戦っていた。(それも4-3-3でなく、4-2-3-1で)
4年後のロシアに向けて長期戦略で新戦力を育てていくのではなく、目先のアジアカップで優勝するにはどうしたらいいのか、という目的にすっかり変わってきてしまっているようです。
アジアカップで負けたら即解任か、なんて言われ方もしているようで、せっかくブラジルで痛い目にあったことが全く生かされてないような気がしてなりません。

で、何が言いたいのかと言うと、結局遠藤、長谷部、今野などが活躍してしまったこともあり、アジアカップでも若手の出番が減ってしまうということ。

いつまでもベテランは衰えない。若手が伸びて来ない。
若手がどんどんベテランを乗り越えたり押しのけたりしていかないこの歯がゆさ。

J1の得点ランキングを見ても
1位 大久保32歳、豊田29歳 3位 マルキーニョス38歳
(J2だって大黒34歳がダントツのトップです。)

ロシアに向けてのチーム作りということを主体に考えると、武藤、柴崎などが主力のチームに変身していかないといけないのは自明の理です。

そして、なでしこも全く同じ構図。
来年はカナダのワールドカップだというのに、そこに向かうメンバーは4年前の優勝メンバーと澤がいないくらいであとはほとんど変わっていないという有様。

世代交代はどうなってるのか。
ベテランが強すぎるのか、若手が情けないのか。
協会や監督などがあまりにも近視眼になりすぎてやしないのか。

そこで将棋界の話になる。

この前、NHKのNEWS WEBにも登場したけれど、我らの羽生さんが史上最速で1300勝という偉大な記録を打ち立てました。


渡辺明ファンで有名なssayさんでさえも、
羽生善治名人が通算1300勝を達成その2と羽生四冠のあまりの偉大さにあきれるとともに、勢いがあるはずの若手棋士に対する羽生さんの激辛な面も指摘している。

そして、いつまで経っても羽生四冠を中心として棋界は回っているのだけど、その周りにいるのはいつまで経っても羽生世代、そしてそれに続くアラフォー棋士の方々が中心になってしまっています。

もうすぐ挑戦者が決まる二つの棋戦を見てみると、

王将戦挑戦者決定リーグ
羽生四冠(44)、佐藤康光九段(45)、郷田真隆九段(43)、深浦康市九段(42)、屋敷伸之九段(42)、三浦弘行九段(40)、ただひとり若手の豊島将之七段(24)(しかし1勝4敗!)

棋王戦挑戦者決定トーナメント
羽生四冠(44)、佐藤九段(45)が勝者組決勝へ。深浦九段(42)、郷田九段(43)が敗者復活戦へ。

さらにおまけでA級順位戦を見ても、挑戦権に向けて走っているのは
4勝1敗の行方八段(40)、深浦九段(42)、広瀬八段(27)
3勝2敗の佐藤九段(45)、久保九段(39)。

ここでも広瀬八段だけが唯一の若手だけど、あとはどこを見てもオジサンばかりです。

元タイトルホルダーだった広瀬八段、そして二度の挑戦者経験を持つ豊島七段、中村六段など、有望な若手は多いものの、強者のオジサンたちと対等以上に勝負できているのは結局渡辺二冠しかいないというのが現状です。

さて、現在竜王戦でタイトル初挑戦中、しかもリーチをかけている糸谷七段が一気に壁をぶち破って駆け上がっていくのだろうか。

羽生さんの力、羽生世代の力という記事で取り上げた羽生世代タイトル戦連続登場記録について再掲します。

3年前の名人戦から始まった羽生世代の驚くべき記録です。

下記、羽生世代は赤字です。

2011年度
名人戦 羽生名人  森内挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  深浦挑戦者
王位戦 広瀬王位  羽生挑戦者
王座戦 羽生王座  渡辺挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  丸山挑戦者
王将戦 久保王将  佐藤挑戦者
棋王戦 久保棋王  郷田挑戦者

2012年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  中村挑戦者
王位戦 羽生王位  藤井挑戦者
王座戦 渡辺王座  羽生挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  丸山挑戦者
王将戦 佐藤王将  渡辺挑戦者
棋王戦 郷田棋王  渡辺挑戦者

2013年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  渡辺挑戦者
王位戦 羽生王位  行方挑戦者
王座戦 羽生王座  中村挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  森内挑戦者
王将戦 渡辺王将  羽生挑戦者
棋王戦 渡辺棋王  三浦挑戦者

2014年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  森内挑戦者
王位戦 羽生王位  木村挑戦者
王座戦 羽生王座  豊島挑戦者
竜王戦 森内竜王  糸谷挑戦者
王将戦 渡辺王将  ?挑戦者
棋王戦 渡辺棋王  ?挑戦者

ということで、羽生世代連続登場記録が途絶えた昨年度の棋王戦に関しても、アラフォー棋士という括りにすれば三浦九段も入るわけだし、これも続いているとすればまだまだ連続記録は十分に続きそうな勢いです。
(久保九段まで入れるとしたら2010年に遡ってさらにこの連続記録は膨大なものになります。)

この記録を早く破って、若手同士のタイトル戦を見てみたいです。
渡辺二冠ばかりでなく、若い世代の奮起を大いに期待します。

ベテランの持つ経験値や総合力に対して、若さの持つ勢いや新たな発想が打ち勝って行く日はいつ来るのだろうか。
世代論では捉えられないような新たな個性溢れる戦国時代が到来するのだろうか。
羽生さんのますますの強さに敬服しつつ、若手の躍動に強く期待しつつ、来年に向けてどのような勢力図が描かれていくのだろうか。
ますます楽しみが膨らんでくる棋界展望です。

以下、関連記事。
2007年、2008年くらいに、羽生世代になかなか勝てない渡辺竜王を筆頭にした20代棋士たちに対する応援歌3部作を書きました。
20代の反乱
20代の反乱・その2
30代に負けるな!

羽生世代が再び一丸となって台頭してきたことを書いた記事、羽生世代3部作とおまけです。
羽生世代の逆襲
羽生世代の復権
羽生世代の時代
まわるまわるよ時代はまわる
アラフォーの時代
羽生さんの力、羽生世代の力
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電王戦タッグマッチの行方

2014年11月16日 00時56分01秒 | 将棋
またまた間が空いてしまいました。
久々の電王戦ネタです。

《電王戦の行方》《その2》《その3》と書いてきましたが、この件についてかなり深く掘り下げているのがギズモさんのブログ。

電王戦タッグマッチを考える その1 プロ棋士のコンピュータに対する認識の現状をまとめてみる
電王戦タッグマッチを考える その2 プロ棋士がコンピュータの強さを認めない理由とは?
電王戦タッグマッチを考える その3 2つの事例から見る、話し合うことの大切さ
電王戦タッグマッチを考える その4 この棋戦の成否を決めるのは何か?
電王戦タッグマッチを考える その5 連盟を根底で支えているのは何なのか?
電王戦タッグマッチを考える その6 アマチュアに及ぼす影響は?
電王戦タッグマッチを考える その7 今までのまとめ

僕がいろいろストレートに言いたいことを多角的にうまくまとめて書いてくれています。

さて、面白かったこの本の中でも関連する部分が出て来てますね。
渡辺明の思考: 盤上盤外問答
クリエーター情報なし
河出書房新社


対局中の荷物検査、つまりカンニングの対処問題についての質問に対し、渡辺二冠は下記のように答えています。
・現在のところ荷物検査はないけれど、あった方がいいと思ってます。
・携帯の持ち込みを制限しようという話になったのですが、結局はまとまらなかった。
「棋士はそういうことをしない。するわけがない。」という意見があった。
・しっかり検査しようとするとめんどくさいことも多いので、今はモラルに任せると言う意見が多い。
・きっちりしたルールを決めた方が対局者も気持ちいいでしょ、という考え方。
・この一局だけはどうしても勝ちたい、しかも大金が得られる、という将棋で不正をしないと言い切れるか。モラルに任せる方がかえって酷。
・スポンサーやファンがどう見るか、ということもあるので、そういう状態で指している将棋にはたしてお金を出そうと思ってもらえるのか。(ごとげんさん)
・どうやっても抜け道は出てきちゃうので厳しく規制しても完全に防ぐことは不可能。でも最初の一歩を踏み出すことが進むべき方向性を示すと言う意味で重要。
・しかし「ルールは必要ない。と考える棋士が一定数いるので制度化は難しいのが現状。

すべて渡辺二冠の意見に賛成です。
ここまでコンピュータが強くなったわけだから、早急にこういう措置を考えていかないと自分たちの首を締めることになると思います。

次にssayさんのいかにもssayさんらしい最新の記事、《電王戦タッグマッチについて》
ハンセン、ブロディとか、世界最強タッグの話、懐かしいことこの上ないしすっかり楽しませていただきました。
ハンセンとウィリアム・ルスカ、ブロディとモハメド・アリのタッグマッチ?(笑)
見てみたいです。
ペアマッチでハンセンと吉田沙保里、ブロディとやわらちゃんって言うのはどう?

ま、世界最強タッグの話はともかくとして、つい最近、僕の《電王戦の行方・その3》にコメントが来ました。いろいろ話題になっていた電王戦タッグマッチは臨時総会で白紙撤回になったという噂があるみたいです。
ほんとかどうかは全然わからないのですけど、もしそうであれば僕としては一安心です。

まだずいぶん先のことなのだから、棋士や関係者が皆問題意識を持ち、リスクもデメリットも明らかにした上で本当にやるのかどうか真剣に議論を戦わせるべきだと心から思ってましたし何度も警鐘を鳴らしてました。
何の話し合いも持たれないままに理事会とドワンゴだけでどんどん進めていっちゃうと言うのは絶対に悪手だと断言できます。
落ち着いてしっかり議論して判断して、もしやるにしてもすべてを納得した上でやればいいと思います。
一ファンの勝手な心理ではあるけれど、特に棋士の方々の懸命な判断をお願いするしかない大事な局面だし、昔から一貫して大好きな将棋、敬愛してやまない棋士、という僕の中の位置づけをずっと継続できるよう願ってやみません。
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電王戦の行方・その3

2014年10月05日 15時50分19秒 | 将棋
《電王戦の行方》《その2》と書いてきてその続きです。(ほんとにしつこいやっちゃ。)

まず、前回も取り上げさせていただいたギズモさんが、また今回のテーマについて深く掘り下げてくれているのでご紹介します。

電王戦タッグマッチを考える その1 プロ棋士のコンピュータに対する認識の現状をまとめてみる
電王戦タッグマッチを考える その2 プロ棋士がコンピュータの強さを認めない理由とは?

僕なんかの大雑把な感覚的意見でなく、客観的に緻密に広角度から分析検証されてますね。
その3も近日公開のようですので楽しみにしています。

さて、ギズモさんの指摘、主張されていることとかなりかぶりますが、整理してみます。

1.議論することの大切さ
その2の最後でこんなことを書きました。

【どんどん進化するコンピュータとの今後の付き合い方を含め、連盟は、そして我々将棋ファンは、将棋の未来予想図をどのように描いていくのだろうか。
目一杯の想像力を働かせて、360度の議論をすることはとても楽しいと思うし有意義だと思います。
はい、いろんな意見があるようだし、それはそれで面白いし、気軽に一杯やりながら皆でオープンにどんどん語り合いましょうよ。】

ギズモさんも
『「プロ棋士のみなさん、この棋戦について、とにかくまず話し合ってください」と書きました 今のところは、プロ棋士たちが「話し合いの場を持とう、作ろう」という動きは何も見られません。』
と書いています。

橋本八段や小暮さんがあれだけ問題提起しているというのに、一般の棋士を巻き込んでのオフィシャルな話し合いや意見交換会などはまだ行われてないようです。
理事会の姿勢と棋士の意識の問題と両方あるのかと思います。
一人一人が自分事として真剣に考え、異なった意見もリスペクトする形で侃々諤々議論する。
オープンに、ざっくばらんに、ぶつかり合うことも含め、議論を深め、より高度な領域に達して、一人一人の意識や考えも進化していく。
好きな将棋界を発展させていくには、一部の執行部の力だけでなく、多くの関係者の汗や知恵が必要だと思います。
米長前会長の頃のように強いリーダーシップのあるトップが、戦略を決めて、グイグイ皆を引っ張って前進している時には(良い面悪い面あったけど)ある意味仕方ないのでしょうけど、今の理事会の顔ぶれを見ると、もっと皆を巻き込んで力を結集する形で進めて行った方が、と思えて仕方ありません。
理事会も一生懸命精一杯やっているのかと思いますが、どこか一般棋士たちは置いてけぼりになっていている感じがして仕方ありません。

単に体を動かして普及に力を入れるということだけでなく、もっと棋士の意見を集約して、大勢の力を借り、ドロドロになって前進することで、将棋という文化がより広く強く深く社会に根づいていくのだと思います。

いっそのこと、棋士も関係者もファンも含め、賛成派、反対派に別れて、“ニコ生”で“朝生”でもやればいいのではと思ってしまいます。
(すでに出演者の顔ぶれ、番組の構成案、など、密かに妄想しています。

2.電王戦タッグマッチの価値
次に今回のタッグマッチについて。
人類とコンピュータの戦いは決着を見た感があるので、次には人間とコンピュータの融合とテーマに移行ということでこういう案になったのだと思いますしそれはわかります。

5対5の対抗戦の形での電王戦というのは、僕もビックリするくらい、将棋ファンでもない友人が見ていたり進んで話題にしたりするものだから、人類対コンピュータというその話題性の大きさ、その効果たるやかなり大きなものがあったのだと思います。
僕も船江vs.ツツカナ戦などはかなり興奮して見ていました。

しかし、今回のタッグマッチというものはどうなのでしょうか。
一見して筋が悪いと感じるわけだけど、客観的に考えて、誰が喜んで観るのか。
タッグマッチは初心者とかまだ将棋に興味を持ち始めの層にとっては多分魅力は通じないです。
やはりかなりのマニア、上級者で、それぞれのソフトの特徴なども理解した上で観戦すれば楽しみ方はあるのだと思うけど、どうなのでしょう?

これを高額賞金付きのレギュラーの棋戦にして、果たしていいのでしょうか?
今回の狙いとか、ターゲットとか、影響力とかきちんと考えた末の一手なのでしょうか?

3.電王戦タッグマッチのリスク
次にタッグマッチをこのようにアピールして大きなコンテンツにしていくことのリスクやデメリットについてです。
これはもう昨年から何度も言っていることなのですが、要はカンニング的な問題がひとつ。
連盟がこのような棋戦を立ち上げ、子供や初心者も含めタブレットを見ながら将棋を指すという映像を広めていくことで起こりそうなこと。

ギズモさんの記事から再び引用させていただきます。
-----------------------------------------------
渡辺プロがつい最近出した本、「渡辺明の思考」にはこう書かれています
ファンからの質問(要約)「プロの公式戦において、荷物検査はあるのでしょうか? もしないなら、途中で席を立って現在の局面を調べられてしまう可能性があるのではないですか?」
渡辺「まず現在のところ荷物検査はないです。でも僕は、あったほうがいいと思っています。以前、携帯の持ち込みを禁止しようという話になったのですが、結局はまとまらなかったんです。 (中略)こういうことは言いたくないけど、この一局だけはどうしても勝ちたい、しかも大金が得られる、という将棋で不正をしないと言い切れるんですかね。状況によってはその人のモラルに任せるというのが、かえって酷ということもあるのではないでしょうか。 (中略)ただ、『ルールは必要ない』と考えている棋士が一定数いるので、それに関しては強く言えない部分があります。」
電子機器の持ち込み問題について、今はまだ何も明文化された規制がないんですね・・・
-------------------------------------------------

プロ棋士も含め、人間は弱いものです。特にお金が絡んだりするとほんとに脆弱です。

受験勉強をしていても、わからないと自分で考えずにすぐに答えを見てしまうというのは自分の経験も含め、十分にありがちなことです。

棋士はそんなことは絶対にしない、という見方もあるのでしょうけど、渡辺二冠も危惧しているようにいろんな危険をはらんでいます。
電子機器を持ち込まないだけでなく、昼休みや夕食休憩に食事に外に出たりするわけなので、誰とも話してはいけない、と決めないといけなくなる。
つまりは競馬や競輪の選手のように試合中は一切外部との連絡禁止、外出禁止で閉じ込められる、ということにしないと不正に対しての措置は完璧とは言えないでしょう。
大和証券杯のような自宅でも対戦できる棋戦はもう成立しないと言えます。

そんなリスクのことを衆知を集めて十分に検討したのでしょうか、ということです。

小暮さんたちがあれだけ覚悟を持って警鐘を鳴らしているし、一般将棋ファンもギズモさんのように真剣に、深刻に受け止めている意見もあるのだから、それに対しての連盟なり理事会の意見や反論があるべきだと思うし、百歩譲って、棋士の方々とざっくばらんに議論するというのは必然手だと思うのですが、いかがでしょうか???
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電王戦の行方・その2

2014年09月20日 19時21分51秒 | 将棋
前回の記事、電王戦の行方では、いろいろ言いたいことを放電(?)のように書いてしまいました。

この記事についてはギズモさんの記事、《電王戦タッグマッチについての意見表明》の中で取り上げていただきましたね。ありがとうございました。

ギズモさんはこう主張されています。
【とにかく、プロ棋士のみなさんは、まず議論をするべきです 話し合いもなーんにもなくて、ただ川上会長と谷川会長の間だけで、こんな大棋戦が成立しそうな流れになってるじゃないですか
もう連盟のページにも、2016年からこの棋戦を作る、と書いてありますしね
まず、理事会、そして臨時の棋士総会を開くべきです 
こんなときのために理事は居るし、棋士総会もあるのでしょう?

棋士のみなさん、今、考えないとダメです 賞金をもらって既成事実ができてしまってからでは、遅いんです
<中略>
利益追求の株式会社ではない存在、日本将棋連盟という公益社団法人を、今こそ、正会員であるプロ棋士のみなさん一人ひとりが守ってください! この一件、本気で考えてください!】

     
すでにおわかりのように、もともと僕は温厚かつ柔軟な受けの棋風ゆえ、棒銀でガンガン攻めていくのは気が弱くて向いてないです。
なのでいろいろ書きましたが、基本は真っ向から反対意見を述べているのでなく、本当にいいの?この方向で進めちゃって大丈夫なの?と要らぬ心配をしているおせっかいなオジサンなわけです。

そんなことで今回の電王戦のタッグマッチに至る経緯のところで、ちょっと掘り下げて考えてみたいと思います。(しつこい。。)

まず、本筋とは別の結構新しいことをやるのであれば、それなりの事前の準備を十分にしたのでしょうか?という疑問。(もちろん十二分にしました、ということなのかもしれないですけど。)
いろんな角度から、リスクやデメリットも検証した上で、どれだけファンが支持してくれそうな棋戦(イベント?)になるのかどうか。
そのあたりのマーケティングも十分にやった上で、関係者の意見も聞いて議論を十分しつくした上での自信を持った判断なのであれば何も言うことはないと思います。

コンピュータがどんどん強くなってきた時点で、連盟としては将棋、あるいは棋士とコンピュータとの親和性について、あるいは関わり方について、どのようなビジョンを描いてきたのでしょうか。

米長前会長がいろいろな指針を出して、基本的な方向を作ったのだとは思いますが、さらに加速度的に強くなったコンピュータとの付き合い方について、まだ議論が足りてないのではないかと思えて仕方ありません。

もともとこの電王戦。
人類対コンピュータの異種格闘技として話題になり、新しいファンが増えたことは間違いない。

しかし、これからのタッグマッチも含め、これを連盟が目指す新たな方向性として位置づけることはどうなのか。
タッグマッチを多額の賞金を誇る棋戦のひとつとしてフィーチャーしていくことはどうなのか。

素朴な疑問なのですが、スポンサーがつく前から、人間とコンピュータの対決をして、異種格闘技のように盛り上げて、新たなファン層の開拓をしたら面白い、普及の大きな柱になるって発想はあったのでしょうか。(米長前会長はそのように描いていたのですかね?)
ドワンゴさんとは関係なく、棋士とコンピュータがタッグを組んでタッグマッチをやったら面白い、それを棋戦の一つにしたら面白い、って以前から考えていたのでしょうか。
どうしたらより普及を進められるかという課題に対して、真剣に議論を重ねていった中で、コンピュータとの関わりを持ち出すことが有力な一手だという結論なのであればまだわかります。
自らやりたいことにスポンサーが理解を示してくれて協賛してくれるのでそれは渡りに船ですから。

でも、そんなこと全く考えてもいなかったけど、たまたまこういうオファーがあったので、面白そうなので乗りました。
お金も入るし、普及にもなるし、という後付け的なことだったのであればそれはどうなのでしょうか。

こんな言葉があります。

「成功する新事業というのは、
どうしてもやりたくてやりたくてワクワクすること。
後ろから羽交い絞めされてもそれをはねのけてまでやりたくて仕方ないこと。」

そういうことであれば結果うまく行くのだ、という金言です。
逆に言うと、それほどの情熱とか、いわゆる使命感がなかったらなかなかうまく行かないということ。

もちろんマーケットやニーズがあることが前提だけど、こうであれば、結果はうまくいく、という話です。

つまり言いたいのは、このタッグマッチというものを本当にどうしてもやりたいことなのかどうかです。
本気度。必死度。

それほどやりたいわけでもないし、いろいろ問題はあるけど、メリットもあるからちょっとやってみよう、というのでは腰が引けてるし結局はうまくいかなくて頓挫することになる。

将棋の発展ということ。
そもそも将棋は何のためにあるのか。
ちょっと広げて言うと、文化は何のためにあるのか。
文化が発展するということはどういうことなのか。
単にファンの人数が増えればいいのか。

将棋の本質的な価値。
将棋のリテラシー。
世の中における影響度、ブランド価値。

日本の伝統文化ということを考えると、サッカーやチェスとは違って、相撲と共通する部分があるのかもしれない。
どんどん世界に出て行って“JUDO”のように変化しながらもインターナショナルな“SHOGI”になっていくことや、どんどん進化するコンピュータとの今後の付き合い方を含め、連盟は、そして我々将棋ファンは、将棋の未来予想図をどのように描いていくのだろうか。

目一杯の想像力を働かせて、360度の議論をすることはとても楽しいと思うし有意義だと思います。
はい、いろんな意見があるようだし、それはそれで面白いし、気軽に一杯やりながら皆でオープンにどんどん語り合いましょうよ。
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電王戦の行方

2014年09月15日 00時20分11秒 | 将棋
このタイトル、別に電王戦に行方八段が出るということではないです。(いや、出るかも?)
次回の電王戦の発表もあり、これから電王戦はどうなっていくのか、ということで電王戦の今後の行方を考えてみます。

2015年春「将棋電王戦FINAL」開催、2016年「電王戦タッグマッチ」の本格開催が決定

さて、今まで電王戦についての記事をどれだけ書いたことでしょうか。

今年の電王戦関連記事はこちら。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
<その6>
<その7>
<その8>
もしも羽生さんよりも数倍強いコンピュータソフトができたら
電王戦その後
羽生さんとコンピュータ将棋
人間に残されたもの
棋界における機械の機会

昨年の記事はこちら。
電王戦考察
電王戦考察・その2
電王戦考察・その3
電王戦考察・その4
電王戦考察・その5
電王戦考察・その6

もうおなかいっぱいです。
これだけいろいろ書いてしまった背景には、僕らの好きな将棋がどうにかなってしまわないだろうかという危機感とか不安が大きく渦巻いていることが原因です。
一ファンとして、プロ棋士を凌いでどんどん強くなっている将棋ソフトとの付き合い方を間違えた時のリスクを想定し、心配で心配で眠れない夜を過ごしています。

さて、今回の発表で、来春行われる(えっ、まだやんの?)恒例の5対5の団体戦はいよいよこれでお終いになるとのことです。
もう興味ないのでどうでもいいですけど。

そして、団体戦が成立しなくなったので、代わりに人とコンピュータがタッグを組む電王戦タッグマッチという苦肉の策を編み出したようです。
対決から共存の路線です。
共存と言えばかっこいいけど、なんだか指し手がおかしくないですか。

棋士が一生懸命自力で考えていて、ひとたび難しい局面になるとタッグを組んだコンピュータに指し手を聞く。頼りにする。

タッグマッチって、まるでカンニングじゃないの。

一目筋が悪い。味が悪い。
直感的に読みから外すような指し手に見えます。

何が何でも、筋が悪くても、どうしても続けたいんですね。
しかも多額の賞金付きだって。

本気でやるの?

棋士も含めいろいろな人の意見を聞いたり、本当に議論しつくした末の結論なのでしょうか。
これをやった時のリスク、デメリット、などしっかりシミュレーションして考え抜いた末の最善手、と自信を持って思っているのでしょうか。

あー、またいろいろ言いたくなってきた。

と思ってたら、先日棋界関係者からやっと心強い意見が発信されました。
-----------------------------------------------
橋本八段のtweet。

言いたいことがあり過ぎるな

この棋戦?の趣旨は何なんでしょう、スポンサーの意向?話題性?プロはコンピューターに勝てないので、異なる形で電王戦存続しましょうってこと?意味わからん

事情が何かは知らんが、プロがソフト指し推進しちゃアカンでしょ。恥を知りなはれ

あまりにもバカげた企画で、怒りを通り越して呆れちゃったね。ごく一部でも、こういうのを面白いと勘違いしている奴が同じ棋士にいると思うと情けない。大半の棋士はまっとうな感覚を持った良識ある人間だと信じたいっす

将棋の素晴らしさを伝え、棋士って格好いいなとファンに夢を与えるのが我々の仕事です。これからは自分の仕事は自分で守っていかないと、人生をかけてやってきた将棋というゲームは金稼ぎの道具かオモチャになり下がりますね。この件については、私は反対運動を起こします。


そして、観戦記者の小暮克洋さんの連続tweet。

いささか悪ふざけが過ぎ、冷静さを欠いているのではないか。2016年から非公式戦として開始されると発表された非公式戦「電王戦タッグマッチ」のことである。棋士とコンピュータソフトがペアを組み、ソフトが示す指し手を棋士が取捨選択しながら対局を進めるというルールで巨額賞金を争う。

週刊将棋の報道によれば「竜王戦、名人戦に次ぐ賞金を用意しています」とある。日本将棋連盟の理事サイドとしては、先行きが不透明なこのご時世で、破格の契約金を引っ張ってくることができたのは喜ばしく、会員にも手放しで、よくやった、と言われたい、という意識が根底にあることだろう。

だが、本当に、いいのか。将棋界の末端にいる私のような人間がはなはだ僭越ではあるのだが、私が愛してきた将棋界の将来を考えた場合、ここはちゃんと自らの意見を表明すべきという結論に達した。棋士の魂は? 誇りは? 使命感は? 矜持は? 気高さは? 本当にこれでいいのか? と。

一企業としてのスポンサーサイドに立てば、面白おかしく世間の注目を集め、将棋ファンの皆が楽しんでくれれば本望という理屈はわかる。だから、ドワンゴさんには、私は何のうらみも文句もない。だが、プロ集団の日本将棋連盟はどうか。今回のルールは「カンニングを正当化する棋戦」なのが問題だ。

こんな安易で楽チンな棋戦を認めちゃいけない、と私は思う。もちろん、理事の皆さんも一生懸命に将棋界のことを考えた末の結論には違いない。だが、いくらお金を引っ張ってきても、物事にはやっていいこととやっていけないことがあるはずだ。

日本相撲協会に新たなスポンサーが現れて、巨額の契約金と引き換えに、グローブの着用もOKということになっても誰も喜ばないし、暴動が起こることだろう。それと同じレベルの愚挙に日本将棋連盟は走ろうとしているように、私には思える。

私は、やっていいこととやっていけないことがある、と書いた。理事側の論理でいえば、私とは少々基準が違い、この程度はやっていいことと考えていることになる。非公式戦の遊びで何億も頂戴できるなんて、望外の喜び。しかも、この程度は許容される範囲内であるという認識なのだろう。

だが、本当にそうか。将棋のプロとしてのモラルの問題もさることながら、金さえもらえばカンニングもOKという判断の危うさ以外にも、直観的にやばいな、と感じる論点はいろいろある。

まず、公益に資することを成り立ちの条件とする公益社団法人としての存立に関わるリスクだ。優勝賞金が何千万かはわからないが、こんな遊びで不相応なお金をばらまくことが許されるのか。公益に反する行為を日常的に行っているとすれば、認可の取り消しも危惧しなくてはいけないのではないか。

加えて、一部の棋士だけに特権的に参加が許され、一攫千金が果たせる射幸性の高さが危うい。はっきり言ってソフトの意見に従えば、クレヨンしんちゃんだって羽生名人に勝てるチャンスが生まれる。それをプロ中のプロの日本将棋連盟に所属する棋士のみが努力もなしに、莫大な利益を享受できるのだ。

もとより棋士という職業は盤上でどれだけ苦しくとも、歯を食いしばって頑張って頑張り抜いて、全責任をたった一人で受け入れるところに世の中の人たちから尊敬を浴びる存在理由が生まれる。難関の奨励会を潜り抜け、その先に待っているのが賭博的な要素の強い「おいしい地位」というのでは悲しい。

いままで側面から支えてくれている、新聞社等のスポンサーサイドからすればどうだろうか。地道に真面目に戦う棋士たちを、全面的にバックアップしてくれた大切な彼らの存在をも、真正面から裏切ることになるまいか。この浮かれた遊びが序列第3位の賞金額というのでは、つらい仕打ちではないか。

日本将棋連盟が、この十数年、力を入れている、将棋普及を通じた少年少女への教育問題の影響はどうだろうか。真面目に努力する姿なしに、憧れの棋士たちが安直な大金を手にして満面の笑顔を浮かべるのを目の当たりにして、彼ら、彼女たちはどう思うだろうか。

私が、あまりに拝金主義に心を奪われ、やってはいけない禁じ手と考えるこの棋戦についても、もちろん賛否両論はあるだろう。私は自分と意見の違う人たちを軽蔑もしないし、異論の存在は認める。それぞれの立場の違いからくる苦悩の末の判断の相違も、おそらくあるだろうから。

しかし、一万歩譲っても、これだけの将棋界に大変革をもたらすような棋戦成立について、あまりにも物事があっさりと順調に進みすぎていることが、私は何より怖い。上から降ろされて、反対意見は封殺されながら、報告レベルで淡々と意思決定がなされているようなプロセスが、私は怖い。

棋士の存在価値が問われるような大問題を、内外の意見を聞きながら皆が喜ぶ形で推進していこうという雰囲気になっていないことを、私は憂える。ドワンゴさんだって、いくらお祭りが好きといったって、冷静に棋士の論理をぶつければ何かいい解決方法、落としどころが見つかる可能性は大いにあろう。

そういう危機感をともに共有しながら、互いに意見をぶつけ合いながら、慎重に新棋戦の導入を検討してきたとは、私には思えない。棋士の一人ひとりの意見が違うことは、私はこの団体の誇るべき財産のひとつと常々思っている。そして各自がそれぞれを尊重しあう。当たり前のようで、難しいことだ。

しかし、何となくこの数年、異論を徹底的に抑える方向にこの組織が少しずつ変わってきているように見えるのを、私はとても残念に思う。下位の者が上位の者に頭が上がらず、面従する傾向が強いのもこの団体特有の特徴ではあるのだが。

部外者で何の力もなく、いままで政治的な意見表明はことごとく避けてきた私だが、今回は、後世の歴史家の評価にまで思いをはせつつ、どうしても、いてもたってもいられなくなった。どうか棋士の皆さん全員で、この問題についてはしっかりと議論を尽くしていただきたいと、心から願うばかりである。
--------------------------------------
それにしても小暮さんの意見は僕と違って冷静沈着だし、客観的だし、多角的に検証されているし、いわゆる業界のいろんなことを知っている賢人なので納得できるし共感できる。

小暮さんの言われるようにもちろん違う意見もあってもいいけど、今回の理事会の判断にはどうには納得がいかないし、スポンサーを大事にすることを優先させた密室政治のような匂いもしてしまう。
ファンの意見、そして、将棋を愛する有識者の意見も含め、意見交換会などオープンに議論できるような場を作るとか、開かれた棋界となって、よりファンが喜ぶ次の一手を考えるべきではなかったのだろうか。

まずやることは、5年後、10年後の将棋はどうなっていたいのか、のビジョンを明確にすることだと思う。
当然コンピュータとの関係性のことも含め、よりファンに愛される将棋、棋界、というものをどう作っていけばいいのかをいろんな人を巻き込んで議論していくことだと思う。

棋士が困った時、難解な局面でコンピュータに考えてもらう、コンピュータを頼りにする。
棋士よりも年々加速度的に強くなっていくコンピュータとそのような付き合い方を進めて行ったらこの先どうなっていくのだろう。

過去の名局とされたタイトル戦などの将棋も、何でもわかるコンピュータに諮ったら全然違う答えが出るのかもしれない。
ファンを感動させた歴史的なあの新手や驚愕の一手が、実は大したことはない、他にもっと有力な手があった、などという結論になってしまうのかもしれない。

衆知を集めた最大限の想像力を働かせ、この先コンピュータとどのように付き合っていくのか、大局観をもとに冷静に次の一手を指してほしいと願っています。
そして今回の判断が悪手、敗因の一手にならないことを心から祈っています。
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棋界における機械の機会

2014年08月03日 14時36分28秒 | 将棋
機械との競争
クリエーター情報なし
日経BP社


もう一年半前に出たので多少タイムリーではないかもしれないけど、アメリカでは大きな反響を呼んだ本がこれです。

なかなか景気がいまひとつ上向きにならない原因、雇用が回復しない要因は、技術の進歩が速すぎることで生じる現象、人間がコンピュータとの競争に負けているからだとしている。

いまやコンピュータの能力は、自動車の運転までこなせるようになっているが、それはまだ序盤戦であり、今後の技術の進化は計り知れないものになっているし、無限の可能性を秘めているようだ。
東大の試験に合格する東ロボ君の開発も進んでいるようだし、少し前までは思いもよらなかったこともコンピュータ化によってどんどん実現してしまっている現実が我々の目の前にある。

『人間固有と思われてきた領域にもどんどん侵食していき、結果として人間はごく一部の知的エリートと、肉体的労働に二極化されるーー。』と指摘されているこの難解な局面において、われわれ人間は、どういう大局観を持って、どう対処していけばいいのだろうか。

このことについては前回も取り上げましたが、風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観るというブログでも、《本当に人間に残る仕事は何だろう/アルゴリズムが全て呑み込む未来》《機械と人間の共生について突き詰めて考えるべき時が来ている》と、この問題についてしっかり考察されています。

さて、チェスが今どうなっているかのことも書かれているので、『機械との競争』の中から少し引用させてもらいます。
-------------------------------------------------
その素晴らしい例をチェスに見ることができる。1997年、人間界最高のチェスの名手であるガルリ・カスパロフはディープブルーに敗れた。ディープブルーは、IBMが1000万ドルを投じて開発さしたスーパーコンピュータで、チェスのための専用プログラムが搭載されている。この大ニュースは全世界で報道されたが、その後の経過にも注目していたのは主にチェスマニアだけだった。そのため大方の人は知らないと思うが、現在世界最強のチェスプレーヤーは、実はコンピュータではないのである。人間でもない。では誰なのか-----コンピュータを使った人間のチームである。
いつもコンピュータが勝つようになって、人間対コンピュータの直接対決が面白くなくなったため、試合は「フリースタイル」が認められることになり、人間とコンピュータがどういう組み合わせで戦ってもよいことになった。近年のフリースタイル・トーナメントでの優勝者は、最高の人間でも最強のコンピュータでもない。カスパロフの説明を紹介しよう。
「優勝者は、アメリカ人のアマチュアプレーヤー二人と三台のコンピュータで編成されたチームだった。二人はコンピュータを操作して学習させる能力に長けており、これが決め手になったと考えられる。対戦相手にはチェスのグランドマスターもいたし、もっと強力なコンピュータを持つチームもいたが、すべて退けた。<中略>《弱い人間+マシン+よりよいプロセス》の組み合わせが、1台の強力なマシンに勝った。さらに驚いたことに、《強い人間+マシン+お粗末なプロセス》の組み合わせをも打ち負かしたのだ。」

このパターンは、チェスだけでなく、経済のどのシーンでも有効である。医療、法律、金融、小売り、製造、そして科学的発見においてさえ、競争に勝つカギはマシンを敵に回すことでなく、味方につけることなのだ。第二章でも述べたように、コンピュータは定型的な処理、反復的な計算、一貫性の維持と言った面では圧倒的に強い。さらに、複雑なコミュニケーションやパターンマッチングと言った面でも急速にレベルアップしている。だがコンピュータには直感も創造性も備わっていない。あらかじめ決められた領域から少しでもはみ出す仕事を命じたら、もうできないのである。幸いなことに、人間はまさにコンピュータが弱いところに強い。したがって、お互いに素晴らしいパートナーになる可能性は十分にある。

このパートナーシップがうまく行けばコンピュータにいいところをすべてさらわれるという心配はあまりなくなるだろう。技術者は、マシンの高速化、小型化、エネルギー効率の改善、低価格化に目覚ましい成果を上げてきた。チェス盤の残り半分を進んでいっても、この傾向は続くに違いない。
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試合は「フリースタイル」が認められて、今一番強いのは、人間でも機械でもなく、人間と機械のチームなのだそうな。
へ~、チェスはそうなってるんですか。知らなかったです。

ルポ 電王戦―人間 vs. コンピュータの真実 (NHK出版新書 436)
クリエーター情報なし
NHK出版

この本の中には、
「チェスの分野では世界チャンピオンがコンピュータに敗れた後も、チェスは相変わらず人気があり、世界チャンピオンは尊敬されている。」と書かれています。

チェスと将棋では背景も文化も違うけれど、僕が一番気になるのは、一生の時間や魂を賭けてやってきたプロのプレーヤーに対するリスペクトの気持ちです。

チェスの世界チャンピオンはコンピュータに負けても、コンピュータよりも弱いことが明らかになっても、今でも当時と変わらないリスペクトの気持ちが持たれているとのことです。

この本の中に出てくる橋本八段の言葉。

『もし出るならば引退を賭けての勝負になる。

棋士としての存在意義を賭けての戦いのはず。

タイトルホルダーが出るのなら対局料は億。』


棋士としてはそこまでの覚悟を持ってやるべきだ、という意見です。
この言葉は重いものがあるし、そういう受け止め方をしている棋士の方も多いのだろうと推測します。

なぜ棋士がコンピュータと戦わなければならないのか?
棋士としての存在意義を賭けてまで戦う必要がなぜあるのか?

チェスだって将棋だって単なるゲームなのだから、強い方が勝つのは当たり前で、別に存在意義とか大げさなことを言わなくてもいいじゃん、という言い分もわかります。

ここまで棋士側がやられてるのだから、タイトル保持者でも出して、人間の強さを見せてほしい、見たい、という今の電王戦の流れもよくわかります。

将棋連盟始まって以来のピンチという渡辺二冠の言葉も含め、汚名挽回、棋士の意地を見せてくれ、という世間の期待も当然あるでしょう。

公衆の面前で逃げたなら、それは男らしくない、卑怯だ。
真っ向から受けて立つべき。
という無言のプレッシャー。

ここは連盟の総合的な判断に任せるしかないです。

開発者としては、強いプロ棋士に勝ちたいと言う気持ちはわからないではない。
でも、勝負に出てきてくれるプロ棋士側の心理とか、プレッシャーとか、に思いを馳せたら、相手をしてください、とか、気軽に胸を貸してください、なんてとてもじゃないけど言えないと思う。
ましてや、将棋の奥深さとかアナログの部分に興味関心があり、そこに流れる歴史や文化、そこに立ち向かう人間への畏敬の念をも含めたらプロ棋士をその場に引っ張り出すことには消極的になるのが普通ではないかと思う。

廃業に追い込まれるかもしれない、とまで棋士に思わせてしまうこと。

この『機械との競争』にも書かれていたように、人間対機械、という対決の図式ではなく、お互い、お互いの良さを引き出して、素晴らしいパートナーになれれば一番いいのだと思う。

こと棋界においても、電王戦を盛り上げて、機械との戦いという面ばかりを浮き立たせるのでなく、将棋という長年続いてきた日本の誇るべき伝統文化に対して、機械がどう貢献できるのかを考えていければいいのではないかと思います。

まさに、棋界における機械の機会

急速な機械の進化とともに棋界全体が着実に発展していくのをしっかりと応援していきたいと思います。



今年の電王戦関連記事はこちら。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
<その6>
<その7>
<その8>
もしも羽生さんよりも数倍強いコンピュータソフトができたら
電王戦その後
羽生さんとコンピュータ将棋
人間に残されたもの
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人間に残されたもの

2014年07月31日 18時49分20秒 | 将棋
もうおしまいとか言いながら飽きずに電王戦関連の記事をかなり書いてきました。

先日も将棋電王戦リベンジマッチ」菅井竜也五段vs習甦 7月19日(土)13時~将棋界初の夜通し対局が行われたみたいですが、結果は若手強豪の菅井五段のリベンジは果たせなかったようですね。

さて、今日は風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観るというブログの記事、《本当に人間に残る仕事は何だろう/アルゴリズムが全て呑み込む未来》について書こうと思います。

電王戦の記事のその7でも触れたこの本の話も出てきます。

機械との競争
クリエーター情報なし
日経BP社


先日の《羽生さんとコンピュータ将棋》の中でも「ホワイトカラーの職場はロボットに奪われる」という月刊文藝春秋の記事を取り上げていますが、どんどんコンピュータ、ロボット、人工知能が進化している今、一体我々人間がやるべきことではどんな仕事が残っていくのでしょうか。
最後まで浸食されない、機械では手におえない、人間しかできないこととは一体何なのでしょうか?
最近そのことをずっと考えています。

部分的に引用させてもらいます。
-------------------------------------------
これからの20年で、現在のアメリカの雇用の半分は、コンピューターに取って変わられる可能性が高いという。このレポートによれば、『物流、営業、事務及び秘書業務、サービス業、製造業』などは、コンピューターによって代替される可能性が高く、一方、『経営、財務、エンジニア、教育、芸術、ヘルスケア業務』などはコンピューターによる影響は少ないという。
------------------------------------------

しかし以前はこのように言われていましたが、どうもそれほどのんびりした話ではないようです。

進化のスピードはどんどん速まって、結局は、医療分野も経営も、そして創造性までもがどんどん浸食されているようです。

(再び引用)*****************************************
アルゴリズムはすでにベートーベンも顔負けの交響曲を作曲し、辣腕弁護士かと思うほどの法律用語を詳しく調べ、医師よりも高い精度で患者の病気を診断し、ベテラン記者のようにすらすらと記事を書き、高速道路で人間よりも上手に運転するということをやってのけている。
※『アルゴリズムが世界を支配する』より

<中略>

では、最終的に人間に残る仕事は何だろう。本書から引き出せる結論は、『アルゴリズムを作り出す仕事』ということになる。すなわち、未来社会の価値の源泉は、『アルゴリズム』にあるということだ。土地、労働、資本・・時代によって最も価値を生み出す源泉は推移してきた。そして、今、『アルゴリズム』が王座につこうとしているというのが、この本の主意といっていい。これは、シュムペーターが『イノベーション』、ドラッカーが『情報』といったのと、コンセプトは被るが、より『能動的』かつ『具体的』だ。要は、未来の富の源泉は、『アルゴリズムを構築する創造性』『より創造的なアルゴリズムを構築する能力』というべきなのだろう。

■生まれ来る新しい社会

この話題は、『これから仕事が機械に奪われるとすると、人間は何を仕事としてやっていけばよいのか』という観点で主として語られて来たし、それはますます深刻なのだが、それ以上に、組織、会社、社会、国家等、従来の概念を根本から覆し、まったく新しい社会が生まれようとしていることそれ自体にもっと目を向ける必要がある。そして、その流れを止めることは誰にも出来そうにない。どう向き合って行くのかを真剣に考えるしかないように思える。
**************************************


いや、大変な世の中になってきました。
何でもかんでもコンピュータや人工知能でできるようになってきました。
人間のやることはどんどん狭められてきています。

弁護士も医者も経営者も芸術家も、人間なしでも遜色ないことができるようになっているようです。
人間の感覚や直観や経験値のような部分までかなり置き換えられるようになっているようです。

人間は何をして人生過ごせばいいのでしょうか?
何を仕事にして、何で稼いで、何を生き甲斐にすればいいのでしょう?

優れたコンピュータやロボットを作る技術者やエンジニアの側に立てばいろいろなチャレンジができると思います。アルゴリズムを構築する創造性という分野で考えたらとてつもない可能性が秘められていると思います。

しかし、そういう方面は全く訳わからない文化系の人間としては、何でも人間以上のスキルを持つようになったコンピュータとどう向き合って、どう付き合っていくのかを考えていくしかないようです。

流れを食い止めるのは難しいのはわかっているけど、人類の幸せな未来のために、不要なものは何なのか、積極的に必要なものは何なのか、考えていく必要があるのだと思います。

コンピュータ将棋はあと数年も経てばきっと羽生さんよりもずっと強くなるのは間違いないです。
プロ棋士とどっちが強いのか?タイトル保持者なら勝てるのか?今なら拮抗してるからいい勝負だ、と周りがけしかけて騒ぎ立てるのはあまりにも哀しいことです。空しいことです。
あと1年早ければ勝てたのに、とか、そんなことを言っても誰も喜ばないし救われない。
単に強さを競う、世界チャンピオンになる、という視点ではなく、別の視点での付き合い方が必要になるのではと思います。

コンピュータと人間とどっちが経営がうまいのか?
どっちが人間が感動できる音楽を作れるのか?
と勝負していって、どっちが勝った負けたとやっても仕方ないはずです。

羽生さんみたいに強い棋士になりたい、という少年少女がいっぱいるいと思います。
そういう子供たちが、将来プロ棋士になりたいと思うよりも、強いコンピュータソフトの開発をして、世界一強いソフトを作りたい、という夢を持ってしまうのかもしれないです。

その流れは変えられないかもしれないけど、ますます人間の生きる意味について考えさせられる毎日です。

ルポ 電王戦―人間 vs. コンピュータの真実 (NHK出版新書 436)
クリエーター情報なし
NHK出版


この本も最近読みました。
覚悟とか、悲壮感とか、連盟始まって以来のピンチとか、人間とコンピュータが勝負をつけると言う前提でこんな言葉が躍っています。
もしこれで終わりにしてしまったら、それでファンが納得するだろうか、という不安の声もあるようです。
ファンの声も大事には違いないと思うけど、ここはしっかり社会における将棋や棋士の存在意義について考え尽くした上で、後悔しない最善手を選択していただければと願っています。
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羽生さんとコンピュータ将棋

2014年07月14日 16時02分55秒 | 将棋
今年の電王戦についていろいろ考えてきました。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
<その6>
<その7>
<その8>
もしも羽生さんよりも数倍強いコンピュータソフトができたら
電王戦その後

今日はそれに関連して月刊文藝春秋8月号の記事、
「◎名人復位独占インタビュー 羽生善治 若い世代に勝ち続ける思考法」についてです。

後藤正治さんのインタビューによるところもあるのでしょうけど、9Pにも渡る独占インタビュー、面白かったです。
いつもそうですが、羽生さんの一言一言に重みがあり、さらに羽生さんのファンになるとともに、将棋の奥深さを思い知らされます。

サブタイトルは
「時代と自分をいかにマッチングさせるか。
四十歳を過ぎた新名人が日々心掛けていること。」


いろいろ感じたことはあるのだけど、ずっと取り上げてきている流れで、電王戦、コンピュータ将棋に関係する部分について今日は書きます。

《コンピュータ将棋の未来》という項の中で、羽生さんの発言をいくつか紹介します。
-----------------------------------------------
基本的にテクノロジーの進歩は止まらないものであって、影響を受けていくことは間違いないと思います。

コンピュータの将棋は基本的にあまり一貫性がないんです。その局面で何がいいかを見る。瞬間瞬間に手を選ぶ。前からの手順の流れや構想の中でこうするということはない。形という概念がないんです。

質問「コンピュータ将棋に魅力を感じないのは「美」がないからと思えるのです。羽生さんや谷川さん、あるいはかつての升田将棋には盤上この一手、なんとも鮮やかで美しいと感じる手があった。美しさというのはコンピュータの価値観にはないですよね。」
そういう観点はおそらくないと思いますね(笑)。ただコンピュータ自身は美しいと思っていなくても膨大な量の情報と計算式で、結果としてそういうことが表現できるかもしれない。データの量でもって質を上げていくのがコンピュータの進歩であって、そういう可能性はある。

実はコンピュータ将棋で一番難しいのは“形づくり”だと聞いています。
棋士もどのように形づくりをするのか、言語化できません。言語化できないものを数値化して教えるのはやはり難しいわけです。


質問「コンピュータに勝つことはこの先難しいのでは?」
コンピュータに勝つためだけの研究をしたらどうなるかはわからない。でもそんな研究、非生産的じゃないですか。<中略>いわばバグ取りのような作業になってしまう。将棋をやっていて将棋じゃないような、そういう世界です。

YSSの指し回しはとても違和感があるんですよ。でも最近プロの実戦の間で少しずつ増えている。評価はまだ定まっていませんが、じゃあ、もしこれが升田幸三賞を取ったら、誰がもらうのか、という話です(笑)。
------------------------------------------------
納得できる話ばかりです。

コンピュータの将棋は一貫性がない。瞬間瞬間に手を選ぶ。形という概念がない。

そうなんでしょうね。
そのようにインプットされてるのだから当然と言えば当然です。

コンピュータは文脈が苦手って言われてるそうです。
というか、前からの手順の流れは全く関係なく、その局面だけで判断するのでしょう。
悪手を指してもひきずらない。
優勢と見ても油断しない。
どんな局面になろうとも無心で臨める。
積み上げてきたものは捨ててゼロベースで挑む。

この辺りは人間が見習わなきゃいけない部分だと思います。

コンピュータには美意識とか、価値観がない。
当たり前と言えば当たり前だけど、言語化できないこと、感覚的な部分は無理ということなのでしょう。
そこは人間しか持ち合わせていない部分。
人間の人間らしいところ。

この文藝春秋の同じ号に、国立情報学研究所新井紀子教授の
『ホワイトカラーの職場はロボットに奪われる』という記事も出ていて、これもまた興味津々でした。

あらゆる労働がコンピュータ化、ロボット化していく中で、人間に残された領域とは何か、という深ーい話です。
==========================
ロボット化の波は止まらない。
機械の生み出す製品の質やサービスが低くてもコストがそれ以上に下がれば人間からロボットへの代替は進む。コンピュータのできることに合わせて単純化されたマニュアルを作ってしまい、人間がコンピュータに合わせる作業をした方がずっと効率がいい。
機械が人間を支配するようだけれど、それはコンピュータより人間の方が汎用性が高いから。
ロボットは人間を理解しないけれど、人間はロボットを理解できてしまう。

アメリカのように企業寿命が短いとロボット技術を経営の中心に据えて組み立てて、後からそれを埋め合わせるように人間を配置する。
しかし日本は企業寿命が長いのですでに人間の細分化された組織が成り立っている。そこにコンピュータやロボットを導入しようとしても、すでに役割を持っている人間と重なってしまう。従って日本はまだまだ人にコンピュータを合わせようとする傾向がある。

このままでいくと単純作業だけでなくどんどん機械化、コンピュータ化が進んでいく。そしてローコスト化も進む。
結局人間の人間らしさの部分は言語や五感に対する感覚。その感覚が鈍くなり、コンピュータへの要求水準が下がるとさらなるロボット化を許すことになる。
========================
結局、電王戦関連記事でも書いたけど、コンピュータとの付き合い方の問題だと思います。
依存度をどんどん上げていくと知らないうちにコンピュータに人間が制御されているようになっていく。
そうならないよう、いかに人間が主体的に自分たちの理想とする未来予想図を描いていくのか。
人間に残された領域がどんどん狭められてくる中で、人間はその存在感やアイデンティティを立証するために何をしていくのか。
コンピュータに何をさせて、コンピュータとどう付き合って、どんな社会を作っていくのが人類の幸せなのか。

この記事を読んで類推するだけですが、羽生さんはコンピュータ将棋については、客観的というか、冷めた観方をしているように感じます。長期的な視点で極めて冷静に捉えているように映ります。
現代的で合理的な渡辺二冠の感覚とは明らかに違っているように見えます。

強くなったコンピュータに対抗しようと思って力を尽くすのは本末転倒だし、勝ったからどうということもないし、必死に勝ちに行くことすらモチベーションが沸かない。
コンピュータの感覚は刺激にはなるものの、所詮は人間が創り出したものだし、どんどん進化したところで、それ以上でもそれ以下でもない。
将棋というのは過去の優れた人間たちが長い歴史の中で脈々と紡いできたものなので、近年のコンピュータ社会の到来によってその価値や魅力が右往左往するものでもないし、受け継ぐ人間たちの手で着実に進化させていくべきもの、という強い思いがあるのでは、と勝手に思っています。

いつも思うわけだけど、人間同士の将棋の奥深さ、勝負の醍醐味にはますますはまっていく身としては、一時のブームのように、人類vs.コンピュータの格闘技を盛り上げようとする姿勢には疑問を感じ続けています。

この文藝春秋の記事の他の部分はまた取り上げようと思っています。
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電王戦その後

2014年07月09日 12時20分14秒 | 将棋
先日のNHKEテレ、「サイエンスZERO」で電王戦の特集、『プロ棋士大苦戦! 進化する将棋コンピューター』、やってましたね。

プロ棋士と同じような思考方法でどんどん強くなるコンピュータ。
ほぼ勝負づけは済んでしまってる感があるので、残る砦はタイトル保持者の3人。
この3人のようなトップ棋士であればまだコンピュータでも勝てないのではないか。

その一人である渡辺二冠も登場していました。
『やらないで済むならその方が楽だけど、この時代にこういう立場でいるので役割としては受けないと仕方ない、どうやったら一矢を報いることができるのか考えている。』
と、ある意味前向きな発言をしていました。

時間が経ってしまえばコンピュータの方がずっと強くなるので、トップ棋士とやるのであれば今しかない、今がもっともいいタイミング、という流れで番組は終わっていました。

さあ、今検討しているのでしょうけど、果たして来年の電王戦はどうなるのでしょうか?

別に楽しみにしているわけではなく、早く止めたらいいのに、見限るべき時が来てるのに、と思うだけなのですけどね。

予測。
1)同じような5対5で、ハンディ戦にしてレベルを合わせて調整して行う。
  強すぎてしまうコンピュータ側にいろんな制約を設けてちょうどいい手合いにするようなハンディを設ける。
いきなりトップ棋士を持ってくるにはちょっとそれは行きすぎだろう、との声もあるだろうから、ここは今の流れの中でさらに盛り上げる趣向を凝らして次回に臨む。

2)電王戦は電王戦だけど、5対5の対戦方法を変化させて行う。
タッグマッチであるとか、勝ち抜き戦であるとか、あるいはバトルロイヤルのような方法とか。

3)いよいよ羽生四冠、森内竜王、渡辺二冠のいずれかのタイトルホルダーが登場する。

4)このまま続けるといろいろ齟齬をきたすことに気づいて中止する。
コンピュータの進化は止められないので仕方ないけど、棋士とコンピュータの対決の図式でなく、別のやり方でコンピュータとつきあう方法を模索していく。

さあ、どうなっていくのでしょうか、注目です。


さて、週刊現代で連載中の『巨泉の今週の遺言』で、将棋マニアの巨泉さんが電王戦についての意見を述べていましたので最後に紹介します。

第261回
競馬も将棋も人間中心に!
便利さと利潤を追求する安倍政権の将来は危ない
(5月31日号)

(部分的に引用させてもらいます。)=========================
ところで、長年のボクの主張は読者はすでに御存知であろう。「余り便利さを追いすぎてはいけない」「経済的成長(利潤)を追いすぎるな」「身の丈相応の生活で、むしろ心の平穏を求めよ」である。だからボクは安倍政権の方針に反対して来たし、今後も、し続けるつもりだ。利潤を求め過ぎると、先日の韓国のフェリー事故のような惨事につながる。日本のマスコミは、日本人の嫌韓傾向をあおるように、非難をつづけているが、我国だって他国の事は言えない。利益を求めるあまり、運転手に苛酷なスケジュールを課した結果、死傷者を出した高速バスの事故をはじめ、枚挙にいとまがない。ごく一部の恵まれた正社員を除くと、日本のサラリーマン、労働者の条件は、先進国でもかなりシビアなクラスに属している。これも長い間企業向きの政策を続けて来た保守党政権に従ったからだ。

 「便利さ」については、現在のIT時代が雄弁に物語っている。ボクは相変らず携帯はもたない、フェイスブックも拒否している。ブログもやらないし、ツイッターもやらない。理由は、自分だけの世界に、他人が勝手に入って来て欲しくないからだ。勿論パソコンは使うし、メールもやる。しかしそこまでで線を引いている。線引きの基準は、ボクの「生活の質」と合致するかである。

 ボクはかねがね危惧していたが、最近トラブルが表面化して来た。まず競馬だ。先日新聞に出たが、「外れ馬券」が経費として認められ、告発して5億7千万円を課した検察が敗訴、控訴は却下された。われわれオールドファンには信じられない金額だが、これは今や馬券購入の中心になっている「ネット馬券」なのである。いわゆる〝競馬予想ソフト〟を利用して、馬券を大量に購入する。少し調べて見たら、何と50点から100点も買うらしい。ボクには想像もつかないが、三連単の馬券だけ、何百倍(中には千倍単位)もつくので、100種類買っても儲かるらしい。

 今回の大阪高裁の判決はJRAには直接関係ない。税務署が裁判に負けただけだ。しかし元を正せば、馬券の売り上げを増やしたいJRAが、三連単をはじめ、射倖心をあおるハイリスク・ハイリターン馬券を売り出した事に起因している。昔から「競馬はロマン」といわれ、若駒が一生に一度の夢を託して走るダービーをはじめ、クラシックレースに人気が集った。「ネット馬券」にロマンが入る余地はない。あくまで数学と計算の世界である(かな?)。

 そして億単位の金を自由にできる人しか参加できない世界だろう。しかしパドックの横断幕などを見ていると、いまだに「ロマン」を追っているファンが大多数を占めているのは間違いない。これ以上ネット馬券が増えてくると、競馬ファンは漸減するオソレさえある。ボクはJRAが、ハイリターン馬券を廃止するか、出走頭数を制限するかをしない限り、競馬は衰退するのではないか、と危惧している。


 将棋界にもITの波が押し寄せ、コンピュータ・ソフトとプロ棋士が対戦する「電王戦」なるシリーズが誕生した。今のところコンピュータが圧倒的に強く、先日もA級九段のトップ棋士が敗れた。こうしたシリーズが始まるキッカケは、一昨年世を去った、長年の親友だった米長邦雄前将棋連盟会長の英断?によるものだった。アマチュアのプロ参加とか、女流棋士の進出とか、時代を取り入れるのに積極的だったヨネちゃんらしい。

 しかし電王戦はやりすぎである。現在行われている名人戦を見れば解るが、将棋は人間同士が〝頭をかきむしって〟争うものである。不完全で、ミスをする人間同士だからストーリーが生れ、ロマンが生ずる。阪田三吉の「銀が泣いている」、升田幸三の「錯覚いけない、よく見るよろし」など、歴史に刻まれた名言は、限りある人間だからこそ生れたのだ。その人間と、複数の人間が組み立てたソフトが争うのはフェアでない。大天才の谷川現会長に告ぐ、電王戦は将棋の命取りになるよ。

===========================(引用終わり)

本当に巨泉さんに同感、賛成です。
別にこんなことで盛り上げようとしなくても全然困らないです。
名人戦、棋聖戦、王位戦と続いているタイトル戦の熱戦。
そして、王座戦の挑戦者、竜王戦の挑戦者を決める決勝トーナメントもどんどん進行していてますます目が離せない状況です。
こんなにも魅力的な棋士がたくさんいて、こんなにも迫力満点の対局を見せてくれるのだから、人間同士の戦いだけでおなか一杯なわけです。
歴史も伝統もあるリスペクトする人間たちの勝負の醍醐味。
今後も連綿と続いて行ってほしいですし、僕らを楽しませていってほしいです。

谷川会長は米長前会長のようにグイグイ皆を引っ張っていくタイプではないでしょう。
ここは会長を支える知見のある理事や棋士の皆様に期待せざるを得ません。
時代の大局観に基づき、後に禍根を残さないようなしっかりした判断、読みの深い次の一手を指していただきたいと強く願っています。


今年の電王戦についての記事はこちら。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
<その6>
<その7>
<その8>
もしも羽生さんよりも数倍強いコンピュータソフトができたら
コメント (2)
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