即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

3回目の棋王就位式

2011年05月28日 15時44分27秒 | 将棋
先日たいがーさんと一緒に行ってきました。
タイトルにもしちゃったけど、これが僕にとっても久保棋王にとっても3回目の棋王就位式です。
(同じ3回目だって、全然立場が違うじゃないかよ。)

おととしの棋王就位式
去年の棋王就位式

あの忘れられない最初に行ったおととしの就位式。
それほど意識してなかったのだけど、すっかり久保さんの魅力にはまってしまったあの日。
自然体、とっつきやすい、壁を感じさせない、明るく楽しい、気軽に話せる雰囲気。
で、かっこいい、さわやか、優しい、男らしい、ステキ、セクシー。(後半、なんか女性っぽい自分・・・なんか変・・・あら、いやーん、あたしったら、もう。)

この思い出の日から、久保二冠に関しては今までもいろいろな記事を書いてきています。

充実のアーティスト
アーティストの感性
新王将の人柄
二冠の花が咲いている♪
久保二冠優勝記念+誕生日記念、大和証券杯決勝大盤解説会レポート
折れない心
王将戦第一局
今の自分の力を全部出し切る

さて、久保二冠が最初にタイトルを取ったこの棋王位。
3回も続けてこの就位式の場にいられて、直接お祝いできて、本当に感謝です。

棋王就位式に関する記事です。
第36期棋王就位式の模様(将棋連盟)
久保棋王の就位式 自分との闘いだった(共同通信)
久保棋王就位式 王将位も防衛し現在2冠! (スポニチ)

いつもと同じ会場、新橋第一ホテル。
早目から久々に会うたいがーさんと待ち合わせて事前にお茶しつつ積もる話がてんこもり。
そして、12時。華やかな雰囲気で気分も高揚してきます。

こんな式次第。

いよいよ主賓が登場です。

穏やかな表情。落ち着いていて風格も感じられます。


いよいよスタート。
最初は、共同通信社・古賀尚文代表取締役専務のご挨拶。

思わず駆け寄って久保棋王と握手。
これがきっかけになりこの後で挨拶した人の定跡になる。


そして、我らが米長会長。
ほんとこの人の挨拶は上手いですね。
機を見るに敏。場の雰囲気を読めるし、その場に応じた言葉使い、ユーモアのセンス。
惹きつけるし、会場を楽しい雰囲気にさせるこの話術、話芸は天下一品。(褒め過ぎ?)
連盟代表としての主催者関係各社へのお礼や営業的なバランス感覚も見事です。


下野新聞社・佐藤英雄東京支社長。

加古川市・中田喜高副市長。
皆、挨拶うまいけど、この人本当にうまい。
スラスラとはっきりした明るい言葉で会場内を惹きつけつつ明確なテーマの話をする。無駄がない。
久保棋王をはじめ、5人もゆかりのある棋士が活躍中の加古川市を、「棋士のまち加古川」として発展させたい。
全国の市町村の中で、棋士が5人もいるのは加古川だけだし、さらに6人目の棋士を排出できるよう、タイトル戦を招致したり、子供への普及に力を入れたりする。
そして、新たに新公式戦として、「加古川青流戦」を立ち上げた。
こんな風に自治体が自主的に力を入れてくれるようになると将棋の未来はかなり明るくなる。
加古川がそんなロールモデルになりそうな勢いだ。

最後は、久保棋王のゴルフ友達、飲み友達でもあるイベントプロデューサーの白石周二さん。去年もゴルフ友達のカメラマンの方が出てらしたし、棋界以外の友達も本当に多いんですね。

そして、就位状授与。

充実した表情。うれしい3連覇です。

最後にお待ちかね、久保棋王の謝辞です。
カメラマンが一斉に最前列に並んで構えます。(僕も一緒に)

『挑戦者も挑戦者だし、二つのタイトルのうちひとつは獲られるんじゃないか、と、まわりは噂してたようです。後になって知りましたが。(笑)』

『相手は誰が来ようと、いつも自分との闘いだと、決めました。
相手はいつも変わるので、相手によって戦い方を変えなきゃいけないのは大変なこと。
いつでも自分が相手ということに定めると、いかに自分と闘い、自分に勝つか、ということだけを考えればいい。
自分の力を出し切ることにいかに集中するかの闘いです。』
(ちゃんとメモしてたわけじゃないので、すみません。そういう内容です。)
『第二局は一方的に負けたし、負けてもおかしくなかった第三局をやっとのことで逆転で勝ち、迎えた渡辺竜王との棋王戦第四局。

終盤劣勢になり、粘りに粘っていた時、これでもう負けかとあきらめかけた時、幸いにも残り時間が2分あった。

そして、あの△7六玉を発見して大逆転勝利に結びついた。

もしこれがあと1分だったら、絶対に読めなかった手。
2分あったことが本当に幸いした。』

『棋王戦は自分にとって本当に相性のいい棋戦。
初めて獲得したタイトルでもあるし、今後ともずっと棋王を名乗れるように精進します。』

大拍手

そして、まず一杯飲んで少しおなかを満たした後、いろいろな方とご挨拶、おしゃべり。

久々にお目にかかる大矢順正記者
初めてご挨拶できた銀杏記者。
それから、上田新女王に、お祝いの言葉を。

そして、最後にやっと久保棋王とお話。
いつも思うけど、まるで偉ぶらない自然体の明るさ、さわやかさ。
好漢。ナイスガイ。こういう人、好きだなあ・・・。

たいがーさんと順番にツーショット写真も撮っちゃいました。
話してるときは全然普通に話せたのだけど、いざ写真となるとさすがにドキドキした。
あとで見たらひどく緊張してる自分の顔。よって非公開。
もしよく撮れてたら公開しちゃったのに!残念!

ということで、配られたパンフレット。


そして、お土産の扇子。


棋王位、王将位の二冠とも見事に防衛。
A級順位戦最終局でも最後まで森内九段を苦しめたあの凄まじい粘り。
さばきのアーティストが、いつのまにか、粘りのアーティストに。

目の前の相手とは関係なく、自分の求める究極の美を力の限り追求する久保棋王の自分との闘い。

将棋の奥深さを楽しんでいるかのように、自分の拘りを突き詰めていく。

アートはさらに磨きがかかり、洗練され、図太くなり、華麗になった。

より広くて自由で大局的な発想と、奥深くダイブしていく一点集中の力。

対極にあるかのように見えるものが融合して新たなアートに凝縮する。

人間的な魅力を増した充実のアーティストは、さらに自分を見つめて進化し続け、その作品はますます昇華していく。


さらなる一層の活躍を期待しています。

久保棋王、本当におめでとうございました
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犬が好き

2011年05月26日 19時33分34秒 | 3.11
まず、何はともあれ、このブログ、ぜひ見てください。

守った犬

人間たちの知らないところで、こんなドラマがあったんですね。

あまりにも健気で、健気過ぎて、もう、泣けるなんてもんじゃないです。

こういう立派な犬に比べると、人間は、何やってんだろうと思ってしまう。

身勝手極まりない。

ちゃんと注入してましたよ、なんて今頃言ってる下請けに丸投げの会社、言った言わないとか、この期に及んで足の引っ張り合いを続けてる人たち。

この犬の爪の垢でもしょっちゅう飲んでる高いお酒に混ぜたらいいんじゃないでしょうか。

福島原発20キロ圏内 犬・猫救出プロジェクト

今回、犬や猫たちにとっても、この地震、津波、原発という大事件の中で、たくさんの悲劇が訪れているはず。

「狂って暴れる…ううっ」おばさま涙 人間の方が多い犬猫保護活動

無事に生き延びたものの、避難所には連れて行けなくて長年一緒だった飼い主とも別れなければならない犬や猫たちもたくさんいる。

そんな犬たちのことに思いを馳せると、数年前に亡くなった愛犬nanaのことを思い出してしまう。
nanaのこと・その2

そんなことでいつまでもグズグズ執着してるんですね。
次!には行けない。
写真も、ハンドルネームも、nanaを引きずってる。
未練がましい男の性(さが)。

nanaは気が弱くて上記のブログの犬みたいに勇敢なことはできるはずもなかったけど、犬の目線から見た今のこの時代、そして震災。

そんなことをつらつら考えていると、静かに酒でも飲みたくなってしまう今夜です。
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復興の狼煙ポスタープロジェクト

2011年05月22日 12時17分25秒 | 3.11
前にも取り上げましたが、風屋さんが関係している復興の狼煙ポスタープロジェクト

風屋さんの記事一覧。
決意
復興の狼煙ポスタープロジェクト
復興の狼煙ポスタープロジェクト・2
全国版の記事に

今、目の前にあります。



13枚それぞれに込められた強いメッセージ。

心に残る映像と一人一人の表情。

しっかりと前を見つめる視線。



このポスターを前にすると、圧倒されます。

自然、人間、暮らし。

覚悟、決意、明日。

ここに写っている人たちの存在感、今の時間の必死な過ごし方を思うと、
自分はなんて安穏な暮らしをしているのか、突きつけられます。

佐々木俊尚さんの言葉です。
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ACジャパンのテレビCMなどでさかんに「がんばろう」「力を合わせよう」といったスローガンが発信されています。しかしこのような中身のない、つまりどのようにがんばればいいのか道筋のはっきりしない空疎なスローガンを口にしても、希望は生まれてきません。しばらく前に読んだブログでも「がんばろうって言われても、すでに節電はしてるし被災地に義援金も送った。いったい何をがんばればいいのかだれも教えてくれない」といったことを書いてる人がいました。

 「がんばろう」とお題目のように言われても、希望の力は湧いてきません。「皆で一丸となってひとつの希望を」とお仕着せの希望は、僕たちに何ももたらしてくれません。
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ありきたりの力のないキャッチフレーズの嵐の中で、このメッセージの力の凄さ、迫力はズシンと響いてきます。

写真の人たちが実際に言った言葉なわけではないだろうけれど、彼らから、彼らの心の底から発せられたメッセージのように思えます。

5月14日の朝日新聞にも紹介されました。


復興の狼煙ポスタープロジェクトのサイトに綴られた文章です。
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『きっかけ』

「自分に何が出来るだろう?」

そんな自問が始まりだった。
すぐに答えが見つからない事なんて最初から分かっていた。

何も出来るわけが無い。
そう結論づけても、誰も自分を責めやしない。
それ程の事が起こったのだから。

でも、あきらめるのは悔しかった。
何か出来る事があるはずだ。
根拠の無い確信みたいなものがそこにあった。

盛岡から、被害の大きい沿岸部の人達にできること。
悩んでも悩んでも悩んでも、答えはみつからなかった。

携帯が鳴った。
友からだった。

悩んでいたのは自分だけじゃなかった。
急に勇気が湧いてきた。
そして、僕たちは動き出した。

気付いたら、一緒に動く仲間に囲まれていた。

当たり前の事を、当たり前に伝えていく。
これが正しいことなのか、いまだに分からない。
でも、伝えるべきことがそこにある。

そして、信じることはできる。
きっと同じ想いでいる仲間が大勢いるであろうことを。
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『ポスタープロジェクトについて』

様々な想いを胸に秘めながら、前を向いて歩み始めようとする釜石市民。
彼らから感じた「人間の強さ」、そのままを伝えたいと願った盛岡の広告人。
苦しみながら悩みながら「今」を撮ることで答えを見つけようとした東京のカメラマン。

このプロジェクトは、そんなそれぞれの「想い」が重なって生まれました。

岩手の、内陸の人たちに、このメッセージを届けなければ。
その一心で、僕たちはこれまで自主制作を続けてきました。

4月20日現在、「復興の狼煙」ポスターは盛岡市内各所、福島県に関連するイベント会場、東京のとある居酒屋、そして釜石市の災害対策本部と避難所に掲示させていただいております。

今後は更なる協力を募り、沿岸部も含めた岩手県内各地にこのメッセージを伝えていくつもりです。そして、岩手にあふれ始める活気と共に、このポスターも全国に向けて広がっていけばと思っています。

ウェブサイト公開以降、全国、そして世界中から、たくさんのメッセージをいただいております。皆様からいただいた心あふれる応援メッセージは、僕たちの手でしっかりと釜石の方々の元に届けていきます。

このポスターを見て何かを感じてくださった方々の想いが、
前を向き必死に生きようとする人々の明日への力となってくれること。

それがこのプロジェクトの唯一の目的であり、私たちからの切なる願いです。

このHPをご覧いただいた皆様に、心から感謝致します。

               「復興の狼煙」ポスタープロジェクト 制作者
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サイトからも買えますのでぜひどうぞ。

B3サイズ(364mm×515mm)13枚(各写真違い1枚ずつ)セットで3,675円(税込・送料別)。
ポスターの収益は、撮影させていただいた自治体に寄付させていただくとのことです。
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原点怪奇

2011年05月17日 00時19分15秒 | 3.11
前にも取り上げましたが、毎日新聞にも連載されている立川志の輔さんのコラム、ピーピングしのすけのふしあなから世間
先週の記事、《そうだったのか日本》から引用させてもらいます。
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 「えっ、そんな簡単にそんな重要なこと言っていいの?」と驚くニュースが続きます。

 浜岡原発の停止を菅総理が中部竃力に要請した時点で、そんな簡単に決まるものなの、と驚き、要請された側も、国の支援を条件にいともあっさり停止を決定。「えっ、こんな短期間に決定かできたの!あんなに長い間、安全性を問われ続けて来たのに!」

 もちろん、この決定は福島原発の事故があったからこそなのですが、決定を聞いて逆に拍子抜けしたのも事実です。

 「だったら、他の原発もそうしようよ」と。もっと言えば「本当は厳密に考えれば、もともといらなかったんじゃないの?」と、思わざるを得ません。

 今さら言っても仕方がないことですが、地震の前に気がついてほしかった、と悔しいこと限りない。あまりにも重要なことを、さらっと言われると逆に悔しさが増したりするのです。

 <中略>

 食中毒の事件の解説にも驚きました。生肉は、実は法律的には流通していないことになっていただなんて。今までおいしく食べてたのは、たまたま安全第一の業者さんのトリミングのおかげで、無事だったけど、国としては認めてはいないので、もしなんかあったら、それは自已責任でお願いします、国は知ってるけど、知らなかったことになっていますので、そこのところよろしくお願いします、ってことだったということですか。すこいですね。こんな凄いことが、ワイドショーでいとも簡単に明かされていくのです。

 きっとこの他にもひょっとしたら数々の綱渡りのような状態をいっぱい抱えているんでしょうね、この日本という国は。ものすごい事実を知りながら、今日も自分にできること。わずかな節電と落語会の主催者やお客様とともにこしらえた義援金を、コツコツ送り続ける日々です。
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重要なこと、根本的なことがいい加減なままで放置されているんですね。
偶然細い綱を渡っているからいいけど、何かが起こって、初めて認識するわけですね。

「えーっ、そうなのか。こうなってるの。。。知らなかった。」

要は我々がしっかり理解したり、意見を言ったりしないことが諸悪の根源。
人のせいにするのは簡単だけど、我々は、他人まかせにするだけで、何かをしてきたのか。思考停止状態のままのんべんだらりと過ごしてきただけじゃないのか。
政治家も官僚も東電も皆だめだけど、僕らだって同じだ。
原発も、ダムも、郵政民営化も、財政再建も、少子化対策も何もかも自分事として真剣に考えてこなかった。
もちろん飲みながらも含め、いろんな人とそういう話はしてきたけれど、さらに深く自分に突きつけてこなかった。それで済んでいた。
永田町の出来事、霞ヶ関の出来事として、いつも対岸の火事のようにしか思ってこなかった。

原発は本当に必要なのか。
yesとした際の、メリット、デメリット、リスクは?
noであれば、どうするのか?どういう暮らしを望むのか?

生肉を食べたいのか?食べなくてもいいのか?
食べたいなら、リスクをどこまで覚悟するのか?
少しでもリスクがあるのなら食べなくてもいいのか悪いのか?

世の中のいろんな大事なことの原点、本質をしっかり見つめること。
いつもほったらかし、先送りにしてきたこと自分を反省。

誰も何も言わないから、
いつも無知なままで、
ただただお上の仕事だし、ちゃんとやってくれるもんだろうと高を括ってるから、

物事の原点はこんなに怪奇。

メルトダウンは3月11日…初動の遅れ裏付け(読売新聞) - goo ニュース
そして、このニュースもびっくりです。
3時間とか5時間以内になんとかしないとダメ、とわかっていたことだと思うけど、どうしてこうなっちゃったんでしょうね?

日経ビジネスオンラインの記事、見逃されている原発事故の本質
東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか
にはこう書かれています。
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1号機の場合、「制御不能」の事態に陥って20時間後に海水注入は行なわれているから、東電の経営陣は20時間もの間、海水注入を拒んだということができる。すなわち東電の経営陣は、技術が「制御不能」になるとはどういうことなのかを、20時間かけてようやく理解したということだろう。

この原発事故の本質的原因は、「技術」にあるのではなく「技術経営」にある。よって、元来「制御可能」だった事故をみずからの判断ミスで「制御不能」にしてしまった東電の経営責任は、計り知れないほど大きいと言えるのではないだろうか。日本の独占企業が、「インテリジェンス」を持たない経営陣を選び取ってしまうこと。それは、もはや「日本の病」に通ずる。
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他人任せ。いつも何事も対岸の火事。
国家の一大事さえ、
「なんか結構大変だよなあ、なんとかしないといけないけど、これ、どうなってんの?」
ってことから始まったのだろうか?
「いろんな専門家呼んでさ、早急に現状把握して、どうしたらいいか検討して。
まとまったらすぐに報告するように。」
なんて当人は的確な指示を出したようなつもりになってることなんだろうか。

偉い人たちも我々一般人も、皆揃って臨場感なし。緊張感なし。
モノもいっぱい。電気もいっぱい。便利も快適もいっぱいすぎの世の中で、すっかりふやけきってしまってるようだ。

原発や生肉だけでなく、この国は「怪奇な原点」が多すぎるのではないのか。
「今頃気づいてこんなこと書いてるお前はほんと能天気だよ。」って?
はい。返す言葉がないです。

これを機に、原点回帰も含め、もっともっと自分事として考えて、自分から動いていかないといけないです。

ジョン・F・ケネディーの名言が改めて重いです。

Ask not what your country can do for you,
but what you can do for your country.
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地震について考える日々・その8・公平とは?

2011年05月14日 01時24分38秒 | 3.11
いまだに赤十字などの義捐金は、まだ被災者のもとには行ってないとのことですね。
その原因は、
「どうやったら公平に分けられるのか?公平、不公平とは何か?」
の議論を慎重に重ねているとのことです。

ほー。やるもんですねえ。
はい、とことん真剣にこれでもかってくらいに気の済むまで検討してくださいね。

以下、みやざき中央新聞のてんつくマンさんの記事です。
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今回現場に行って、「平等」という言葉がどんだけ「クソ食らえ」か、痛感しました。
たとえば1300人の避難所に、おにぎりが1000個届いたら300個足りないからって配らないんです。毛布が1000枚届いても全員分の毛布がなかったら配らないんです。
「なんじゃ、この平等という言葉は?」って思いました。
やっぱり子どもやお年寄りから先に配って、「俺たちはちょっと我慢しようぜ」みたいな、それが日本の美徳だったじゃないですか。
この「平等」という言葉が本当に現地の人を苦しめていました。
ただ行政は行政で、不平等なことをしたら批判を受けるんですね。だから俺たちみたいなNPOは批判を受けてもいいから、とにかく弱者から配っています。
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おにぎりや毛布のことだけではないですね、今は。
家屋全壊とか、原発避難の保障問題もそうです。
「なんであいつはあれだけもらえるのに、俺はこんだけなの?」
と、いざ自分の損得“勘定”のことになると、“感情”的に平等不平等を振りかざして、モンスターになっちゃう人も多いのでしょう。

ホリエモンもこう言ってます。
「僕だけ実刑は不公平」「こんなことして誰が得をするのか」
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その中で僕だけ実刑というのは、不公平。ただ、世の中の真理は不公平なので、それはそれでしようがないかなとも思います。世の中は不条理で満ちている。僕ができることは、不公平であることを世の中に問うていくことです。
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そして、BLOGOSの記事、不幸に強くて不公平に弱い日本人より。
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大震災での日本人の振る舞いは世界中で賞賛されている。
不幸を分かち合い助け合い、略奪は起こらず、規律正しく、毅然とした態度は、日本人として誇らしい。

さて、復興作業において、日本人らしい気配りだなぁと思った事件をふたつほど紹介する。

全部で5千万円以上?避難所で現金配る2人組

現金を避難所で配るというかなり大胆な善意の行為をした方がいたのだが、
『話を聞きつけたほかの被災者からは「不公平だ」と訴える電話が市に寄せられており、市は「志はありがたいが、被災者に公平に配れる義援金として送ってほしい」と呼びかけている。』

■アメリカの慈善団体の職員のボヤキ(アメリカ人の友人から聞いた話)

100人いる避難所に支援物資の食糧を配ったときのこと。たまたま手持ちに80個しかなかったら、係員から「全員に配れず不公平になるので、結構です」と断られた。アメリカ人の友人は「食べない人もいるだろうし、なぜ断られたのか理解できない」と言っていた。

これらの話を聞いた当初は、そもそもボランティアの支援に平等を求めてもしかたないじゃない、と思ったが、すぐさま、この係員たちの気配りが、現場での混乱とストレスを最小限に抑えているのも事実だろうと思い直した。

苦難を分かち合い、等しく我慢することに日本人はとても強い。
自粛や節約が得意な国民性も「分かち合い等しく我慢する」特性から来ているように思われる。

しかしながら、特性というのは、表裏があり、強みになったり弱みになったりする。
つまり、日本人は不公平になった際に感じるストレスがとても大きいのかもしれない。

公平は難しい。
復興において優先順位をつけることは、公平性(正確には平等と言うべきであろうが)の観点からは外れることもあるだろう。平等でないストレスを抱えながらも、復興政策はメリハリをつけて、これから社会を担う世代が輝くインフラを作ってほしいし、その応援をしたいと思う。
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完璧に、公平とか平等は難しい。
厳密に言えば、そんなの無理。
できるだけ少なくなるような努力は必要ではあるけれど、最後は仕方ない。
どこかで線を引いてあきらめないと。
そこで、どんなレベルであっても文句言う人はいるはず。
それも仕方ない。ホリエモンの言う不条理。
限られた時間の中という制約もあるので、どこかは捨てて進むしかない。
ストレスも抱え込んだままで、100点満点の回答ではないことを踏まえつつ、ベストソリューションを目指して切り拓いていくしかない。

どこからどのように復興に手をつけるのか。
どこからどのように節電対策をしていくのか。
どこからどのように財源を確保するのか。
どこからどのように原発を修正していくのか。

公平、平等、といういつまで議論し尽くしても結論は出ない、この難問に向き合い、
“完全”はないけれど、“敢然”と立ち向かっていくしかないのでしょうね。
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新緑の上野公園

2011年05月10日 10時30分21秒 | 日記とニュース
上野鈴本に落語を聴きに行く前に、子供の日で賑わう上野公園を散策しました。
天気もまあまあですごい人です。

もう3時過ぎだったので、パンダ人気の動物園の行列も一段落。

公園ではこんなイベントをやっていて、動物園帰り(?)の親子連れでいっぱい。
特別価格で絵本をたくさん売ってます。

そして、おはなし隊という絵本を読んで子供たちに聞かせるイベントをやってました。

すごい真剣な表情。完全に入り込んでますね。
大人では決してできない子供ならではのこの目。

動物園の隣にあるピザとコーヒーの店、サボイア
カフェテラスでのんびり楽しむ人たちで賑わってます。

ここのピザは、かなり美味しいです。
生地の厚さもちょうどいい感じだし、その辺のかっこつけてるイタメシ屋のピザなんかよりも数段うまい。
こういう立地だから一見さんが多いのだろうと思うけど、このピザが食べたくて通ってくる人もいるのだとか。

↑写真は、ポテト・ソーセージ・マヨです。

ここにしかないカリカリするつぶつぶの入ったソフトクリームもGood!

そして公園内を散策。
いつもいろんなパフォーマンスをやってます。

桜の時にも来たのだけど、この新緑、実に見事です。
心が洗われます。

“鐘は上野か浅草か”で知られる寛永寺の鐘楼の隣にある日本料理、韻松亭
実は月末に母親を連れてくることになっていて、その下見も兼ねて。

ということでGWの一日、本当に気持ちいいです。

まだまだこの国はいろいろ大変なわけだけど、
そんな中、皆、晴れ晴れとした表情で、この季節を十分に満喫しているようでした。
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上野鈴本へ

2011年05月08日 16時11分47秒 | 音楽と美術
去年も行ったのだけど、今年もGWはこれ。
上野鈴本の柳家権太郎師匠の落語です。

「権太郎噺爆笑十夜」、というGW特別興行。
下記のように、毎日違う演目を10日間に渡って演る。
この日の『火焔太鼓』以外にも聞きたい演目が目白押し。
10日のうち、4日間も通うという、あきれた(?)落語マニア、権太郎マニアの友人もいるくらいです。

権太郎師匠と言えば、毎年行ってる世田谷のお寺での暮れの会。
おととし去年
と行っています。

この日の出演はこちら


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17:00
奇     術  伊  藤 夢  葉
落     語   柳  家 我 太 楼
粋     曲  柳  家 小  菊
落     語  三遊亭 歌 之 介

18:00
紙  切  り   林  家 正  楽
落     語  柳  亭 市  馬

18:30
落     語  柳  家 小 三 治

19:00  お仲入り
漫     才   ホ ー ム ラ ン
落     語   入船亭 扇  辰
太神楽  曲芸   鏡 味 仙三郎 社中

20:00
落    語 柳  家 権 太 楼

    初日:ら く だ     六日:笠 碁
    二日:くしゃみ講釈    七日:百年目
    三日:猫の災難      八日:抜け雀
    四日:不 動 坊      九日:幾代餅
    仲日:火焔太鼓      楽日:青 菜
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この日(5日)は小三治師匠も出る日とあって、切符は発売と同時に売り切れ。
満席どころか、立ち見。落語ファンの熱気がムンムンしてました。
(小三治師匠が出ない3日間は最後まで空きがありました。)

鈴本は、客席で飲食OKなのがまた楽しみ。
ビールを飲みながらの人もチラホラいる。
お菓子をつまんだり、弁当やおにぎりを食べたりしながらの3時間半あまり。
若い人も結構います。一人で来てる人も結構います。

いつもならビール飲むのだけど、この日がピロリ菌除去のための禁酒最終日につき、弁当とお茶で我慢。(1週間の禁酒、お陰さまで完遂しました!

途中、眠たくなるような人もいるけど、手品あり、紙切りあり、曲芸あり、ってことでとんとん行くので基本的には飽きない。
このゆるくてカジュアルな感じが好きです。

多くの人がお目当ての小三治師匠の出し物は「出来心」。
相変わらずのとぼけた味は最高だったけど、やっぱり以前に比べると明らかに体力落ちが目立つ印象。
時々間(ま)が空いてしまい、こっちまでハラハラしちゃいます。

去年の夏、独演会に行った時には、途中止まっちゃってごまかして再開するという場面もありました。
ごまかし方もうまいのでそこでもまた笑わせるのだけど、ごまかしながらも本人もそのことで軽いショックを受けてるようにも感じられました。

そして、いよいよ8時をまわり、トリは権太郎師匠の「火焔太鼓」。

去年の秋、病気をして、暮れの会の時にはあの爆笑パワフル芸風が少しトーンダウンしていました。
今回は元気になったかどうかかなり気になっていたのだけど、すっかり復活しましたね。
最初から最後までまったく息をつかせない独特の話芸。
カラダ全体を使っての畳み込むような勢い。
そしてこれでもか、というような、自由奔放ではちゃめちゃな展開。
太鼓を予想外の値段で買ってもらえる終盤の盛り上がりの部分などは、どんどん会場全体を惹きこんでしまうあの迫力は最高!

“前回”気になった病気も“全快”したようでパワー“全開”の権太郎師匠。

最高の火焔太鼓、最高の休日でした。
コメント

団鬼六先生のこと

2011年05月07日 12時46分36秒 | 将棋
作家の団鬼六さん死去…食道がん、79歳(読売新聞) - goo ニュース

かなり体調悪いのかなあ、とは思っていましたが、残念です。

twitterでも、人生の機微のことなど、男女の関係になぞらえて、独特の語り口でつぶやいてました。
フォローもしていただき、「これからもよろしゅうに・・」とダイレクトメッセージまでいただきました。

以下、お気に入りのtweet。

煙草もやめて、酒もやめたら、死んだほうがましやもんな。ボクは生きる楽しみは快楽ですから。今、週に3日間、人工透析して苦しいのを我慢して、それを快楽で取り戻すんや。

風俗的娯楽というものは人間の生命だという言葉もあります。女もいらぬ、娯楽など必要なし、という人がいるならこれは人間として命がないというより変態の部類に入る人間と思われるのです。

私は今となっては正直にいうと何とか少しでも生き続けていたいという願望が生じてきたのです。生に対する執着が生じてきたのです。 それはなぜかというとこの世にはやり残していることがまだずいぶんとあるということを、年をとってから気づくようになったからです。

男性には永遠の女性という言葉があるが女性側には永遠の男性という言葉はない。そして、女性崇拝者というのは男性側だけにあるのであって、男性崇拝者という言葉は女性側にはない。

理想の女性は一人いた。その女性に、春、夏、秋、冬を感じましたよ。そんな女がいたら、ひとりで十分ですよ。春のように温かく、また情熱的で、哀愁に満ち、時につれない。少女のようでもあり、愛人のようでもある。妻のように貞淑で、娼婦のように淫らでもある。

色気もそうやけど、何かに追い立てられるのも長生きの秘訣。カネがないからカネに追い立てられている。女がいないから、女を探す。そういう気持ちが大事や。カネがあっても、ぼけっとして暮らしているのを見ると哀れやね。苦しくても追い立てられないとみじめやね。

随分と仕事してきたように思うが、今、想いかえしてみると、あれは仕事だったのか、遊びだったのか、わからないことがある。だから、私は仕事を始めるという言葉が嫌いだ。遊びを始めるという気分で仕事して来たようなもので、それはそれで、よかったと思う。

僕は、小説家ってあんまり好きじゃなかったんですよ。自分が経験してもいないことを書くなんて、変態じゃないかと思ってました

震災についてのブログ。
日本人は決してへこたれない、立派な国民だ。

その中の共感する言葉。
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命しかない。けれど、命がある。これが希望である。
この震災で多く尊い命を失ったがここにある命はそして経験は脈々と受け継がれ大河となるだろう。
希望を絶やしてはいけない。
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こんなときだからこそ、楽しさがなければいけない。
楽しさは生きる喜びであり、希望に繋がる、と快楽主義者の私は思うのである。
生きていることを実感し、共に同じひとときを分かち合うことが出来る喜びを味わおうではないかと思う。
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そして、棋士、棋界との関係は深すぎるほど深い。
子供のように、将棋のこととなると、はしゃいでいたんですね。

将棋関連のtweet。
(升田先生に飛車落ちで負けた後) 升田「途中まではあんたが絶対優勢じゃった」 団「どのあたりでしょうか?」 升田「駒を並べた時。わしのほうには飛車が無いが、あんたには有る」 団「…どの手が悪かったのでしょうか?」 升田「あんたが駒を動かしたのが敗因」

なぜ、棋士が好きかというと、棋士は大人になり切れない幼児性というものを青年から老人に至るまで持っているからだ。

今まで、こんな記事を書いてます。
読み返すと、いろいろ思い出してきて泣けてきます。

近代将棋最終号と囲碁将棋ジャーナル
将棋の100年後
世事にうといこと
名人戦第四局に向けて
棋士の根源的な魅力について

まだまだ元気でドキッとするようなつぶやきを聞きたかった。
そして、将棋のことを、棋士のことを書いてほしかった。

今頃、天国で、酒飲んで、将棋指しながら、あの笑顔を弾けさせているんでしょうね。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

今日のこの雨。
団鬼六先生の死を悼む雨なんでしょうかね。
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僕らはどう受け止められるのか

2011年05月05日 10時48分54秒 | 3.11
無事を祈る無事確認と、書きましたが、大船渡の友人O君のことです。

ずいぶん前にやっと無事が確認でき、電話で長いこと話しました。

そして、その後どうしてるのかなあ、また電話でもしてみようかなあ、と思っていた矢先、5月2日。
夜の八時過ぎ、突然彼から電話がありました。
『今、船橋にいるんですけど、会えませんか?』だって。
なんだよ、急に。

彼は大船渡がベースだけど、昨年末までいた千葉にもまだ仕事が残っているので、行ったり来たりの生活。

会いたかったし、聞きたい話は山ほどあるし、あまりにも急だけど、
『じゃ、家の近くまで来て。』と言って、会うことにしました。

もう何年も会ってなかったのだけど、見た目は変わらない。
笑顔で握手の再会。

ということで飲みながら話そうということに。

以下、すんでのところで逃げ延びて助かり、家族も皆無事だったO君の言葉を元に。
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僕は今回のことを、どこに行っても熱く語る。
でも、皆、わかってくれないんだ。
それは仕方ないのもわかるんだけど、わかってもらえないのがもどかしい、口惜しい。

テレビの画面だけでは絶対にわからない、あの瓦礫の山の状況、独特の臭い、そこから感じるもの。
現場に立つことの重み。

大きな貯木場があって何メーターもある大きな材木が、波と一緒に暴れまくった。
火を噴きながら波の上を転げ回るガスタンク。
すべてが重くのしかかっている。

いくら話しても、ただニコニコして、「大変だったよねえ、無事でよかったね。」というくらいのリアクションしかない。
平穏な日常の中にいる人はそんなもんだ。

自分だって、大船渡にいる時とこうやって何も不自由なく過ごしている千葉での時間はまるで違う。
二重生活をしてると本当に不思議だ。
千葉にいると、あのおぞましい光景は他人事のようにも思えてしまう。
人間って、弱いよ、本当に。
だから人のことも責められないのだけど、少なくてもわかってくれようとしてほしいんだ。

皆、以前よりも優しくなって、千葉の仕事の仲間なんかいっぱい集まってくれて激励会を開いてくれたりもした。
でも、なかなか気持ちは伝わらない。
それが口惜しくて仕方ない。
わかってほしいんだよ。

人間てつくづく学習しないもんだ、とわかった。
大船渡の合同庁舎の壁には50年前のチリ地震のことが書かれていた。

“黒い波”

そんなチリ地震や他の津波の教訓がまるで生かされていない。
先人たちの苦痛や努力の歴史。
後世の人たちへの安全や平穏を希求する熱いメッセージもあまりにも無力だ。

そういう意味でも、これは、誰が悪いとかではないけど、あきらかに人災だ。
日常という魔物にかかっては、どんな強烈なメッセージや思いもひとたまりもない。

“忘却とは忘れ去ることなり。
 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。”

僕がどんなに語り続けても、結局は受け止めてもらえない。
海の藻屑と消えていく。

あの日。
仕事で顧問先にいた。
地震が起こり、これはただごとではないと感じた。
車の渋滞が起きる前に、PCのデータだけ持って、逃げた。

ほんと、気が弱いんだ、俺。

その時まで話をしていたおじさんだって、強引に一緒に逃げようと言えば、助かっていたはず。
俺だけ助かって、皆、死んでいった。
マイクで叫んでいて、水門を閉めようとして、家族や老人を助けようとして、そんなちゃんとした人たちが皆死んでいった。
自分はどんどん逃げた。

自分は「死に損ない」だ。

誰も助けてあげられなかったこんなひどい奴だけが生き残ってる。
自分のことしか考えられなかった奴に生きてる価値があるのか。
気が弱い。怖い。カラダが震える。
人を助けなきゃ、と思う余裕すらなかった。
これでいいんだろうか。

偶然にもらった命。
生かされた人生。
もうどうでもいい。
本音で開き直ってやるしかない。
今まではまわりに遠慮したりしてたけど、もうどんどん弾けてやりたいようにやっちゃうんだ。
やるからねいろいろ。
これから復興に向かう大船渡で皆の役に立つような新しい仕事、やろうと思って考えてるんだ。
やっちゃうよ、俺。
やっちゃうけど、いいよね?いいんだよね?
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時として、大声で興奮して、
時として、涙でいっぱいになりながら、
しみじみ、むなしく、重く、辛く、
明るく、前を見て、希望に満ちて。

とっても不思議で強烈な彼との時間でした。

僕の中でも、どう整理しようか、まだしばらく時間がかかりそうです。

そんなことのあった今年のGW。
忘れられない連休になりました。
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近況

2011年05月02日 20時09分30秒 | 日記とニュース
あの衝撃的な311からもうじき2ヶ月になろうとしている。
徐々に日常に戻ろうとはしているけど、まだまだ意識をクリアに持ち、前と同じ日常にはならないように心がけようと思っている。
喉元過ぎればの日本人気質。
しっかり考え続け、継続的に何かをしていかねばならないと思う今日この頃。

世間はGW。
ゆっくり本でも読んで過ごしていたいのだけれど、家でやることもたくさんあり、仕事も立て込んできているので、いろいろとあわただしい。
将棋も結果だけはちゃんと見てるし、時々移動中などモバイル中継も楽しんでいる。
(今日の王位戦、羽生名人、強かったです!今期初勝利かあ。)
今日はちゃんと将棋世界六月号と週刊将棋を買ったし、この新刊も読みかけ中。
老いと勝負と信仰と (ワニブックスPLUS新書)
クリエーター情報なし
ワニブックス


で、将棋の記事も書きたいのだけど、いろいろあって、ブログが思うように更新できていない状態です。

そのひとつの大きな理由は、facebook。

こんなところ(facebook)で偶然再会した昔の友人も含め、どんどん友達も増えている。
皆、毎日、いろんな生活のひとこまを思いのままに書いてくれる。
写真もアップしている。
僕が知らないいろんな情報やサイトも誰かが知らせてくれる。
地震や政治やいろんなことについての意見もそれぞれが発信している。

あー、あいつはこんなところに行ってるんだ。
こんなもん食べてんのか。うまそうだな。
そういう考え方もあるよな。
そうか、知らなかった。感心感心。
へ~、なんでまた?
まだそんなことしてんの?
おいおい、やめろよ。
すごいなあ。真似できないな。
馬鹿みたい。
ふむふむ、なるほどね。

なんて、共感、納得、も含め、気軽に脳に刺激を与えられるfacebookはちょっと楽しい。
そして、まだまだいろんなことができそうな可能性も感じる。
もちろんいまだにわからないことだらけだし、思うようには使いこなせてないけど、さすが世界6億人のプラットフォームだと思わせる何かがある。
Danchoさんも、あのSNS嫌いの川島さんでさえ、最近はかなりfacebookと日々向き合っているみたい。

そんなことで、twitterはまるでつぶやかないどころか、タイムラインを見もしなくなりつつある。
mixiなんて、1日1回見ればいい方。
このままではfacebookがネット生活の中心になりそうな勢い。
果たしてどうしたものか。

twitterができてから、ブログを更新しなくなった人がかなりいるようだけど、facebookも同じような影響を及ぼしているのだろうか。

そして、以前はブログに書いたことをfacebookで取り上げる、という図式だったのが、このところちょっと逆転現象になっている。

自分にとってブログはホームグラウンドに、と決めたのだから、これはまずいです。
もっとじっくり考えたり、整理したりして書く時間を作らないといけないと反省。
本を読んだ感想などを書き留めておくのもブログのひとつの目的なのだけど、それもさぼっている。
線路内人立ち入りも、デパートも、いくつかの生涯研究課題についても情報収集や分析作業を怠っている。
(線路内人立ち入り隠れファンの方、忘れてるわけではないのでご安心を。)

ということでfacebookには書いた近況などをまとめます。

4月29日。
うちの近くの昔からある魚が美味しい店。
もうかなりの歳のしっかりした板さんが元気に店を切り盛りしている。
鰹ってこの店で食べるまでは、それほど美味しいものだと思ってなかった。
くさいと思ったことはあっても美味しいと思ったことがないので、居酒屋などでも好んで頼みはしなかった。

それが、いつかこの店で食べてからは、毎年初鰹の時期はもちろん、何度も食べに行くのが楽しみになった。
そんなことで、今日は〇〇回目の結婚記念日。

結婚記念日のこと。
本当に昔のことだけど、実はうちには年に二回結婚記念日がある。
いいような面倒なような。
弟がブラジルに行ってしまうので、急遽家族や身内で結婚式だけやったのが1月29日。
これは会社や友人にも言ってない。
そして、友人中心でカジュアルなパーティをやったのが4月29日。
まるで神妙な部分は皆無。
演奏や踊りや神楽など、いろんなパフォーマンスが目白押しで楽しかった。

それから幾星霜。
なんとか無事にやってこられてことに感謝。

4月30日。
思い立って連休中は1週間禁酒を。
1週間も一滴も飲まないのは何年ぶりだろうか、思い出せないほど。
被災地のことを考えるととてもじゃないけど、飲んでる場合じゃない。

いえいえ、そうではなく、種を明かせば、ピロリ菌除去の薬を服用中。
1週間飲めば約7割の人が除去できるとのこと。
“医師”に言われたし、自分の“意志”が“石”のように硬いかどうか試してみるのもまた一興。
ということで、過去に失敗した人もたくさんいるようだし、鋭意努力中の毎日。

これ、でも、いいのかな?
こんなに酒飲まないでおとなしくしていると、自粛ムードに拍車をかけることになるのでは?
まずいんじゃないのかなあ。
東北の酒とか、飲んで、経済を活性化しないと。

などといろいろ屁理屈を考えつつ、悶絶中。

5月1日。
ホームセンターに行ってケルヒャーの高圧洗浄器を買ってきました。
もう20年以上掃除してない家の外壁がかなり汚れているのを連休中になんとかするべく。
いろんなほったらかしにいてきたことを311を契機に反省。
こういう何でもない休日がなんとかけがえのないことか。


ホームセンターに行った帰りに近くのラーメン屋へ。さすが連休、家族連れでいっぱい。


和風だしのさっぱりした一番だししょうゆラーメンと餃子で満腹。
このラーメン屋さん、元は大手ファミレスにいた人が脱サラ(古っ?)して始めたお店です。

5月2日。
合間の平日。
いい天気。
来週がかなり忙しいので、その準備のための仕事。
明日から3日間は、家で片付け、掃除も含め、ゆっくり。

ということで、気合を入れて、少しブログに向き合えるようにしますね。
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