即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

生き方のセンス

2014年12月14日 11時52分48秒 | 友達・絆
また間が空いてしまいましたね。

この間、棋界でも糸谷新竜王誕生、今泉さんプロ試験合格、そしてあっと驚くリアル車将棋(!?)などいろいろなことがありましたが、僕の周辺でも仕事がどんどん忙しくなってきてたり、また、プライベートでもいろいろありました。

つい最近のことだけど、長年仲良くさせてもらっていた前の会社の先輩Tさん(歳は5歳ほど上)が亡くなりました。

まだまだ全然若いのに、そして、いつも笑顔で明るく素敵な人だったのに、とてもショックです。

このところたくさん来ている喪中のハガキでも、親でなく兄弟というのが徐々に増えていますし、ほんと最近は黒いネクタイの機会が増えてしまっています。

考えてみると、こういう辛い記事は今年三度目です。
哀しい雪の日
生き抜く強さ

Tさん、もともとデザインが好きだったこともあり、仕事でもプライベートでも何にでもかなりの拘りがありました。
ずっと尊敬する営業マンだったのだけど、自分では“営業もできるデザイナー”と言ってました。
10数年前に会社を辞め独立して、去年会社をたたむまでずっと一人で頑張ってました。
クライアントにもまわりにも人望が厚い人だったので、仕事も安定していたようです。
仕事でも絡んでいたので年に何度かは一緒に飲んでいたし、一緒に出張やゴルフにも行きました。
骨董通りにあったTさんの事務所にはいつもいろんな人が集まっていたようです。
別に親分肌なわけでもないし、強いリーダシップがあって強力な求心力があるわけでもないと思うのだけど、クライアントでも協力会社でも後輩でもいろんな年代のいろんな人が彼を慕って集まってくる。

ファッションとか、名刺とか手書きの企画書とか、本当に独特の拘りがあって強い生き方のポリシーやセンスが常に伝わってきていました。

昔、飲みながら、後輩に対してプレゼン技法についていろいろ語っていた時、
『お前は女を口説くときに何に気を付けるんだ?』
というところから始まって、いかにプレゼンと女性を口説くのが似ているのかを具体的にわかりやすく話していたのが印象的です。

お通夜に行った時の帰り道、いただいたお返しを手にしながら皆で話していました。
シェラトンホテルの包装紙です。(中味はクッキーでした。)
『お返しがシェラトンのだなんて、こんなの初めてですよね、さすがTさんだなあ。』と。

そして数人で駅前の居酒屋に入ってTさんを偲んで飲んでいたら、見る見るうちに黒い服の人たちで貸切みたいになってしまった。
2階の座敷、10数人のグループを含め、4グループは全部お通夜帰り、あちこちで、Tさん、Tさん、という話し声が聞こえてくる。

人が集まる人。
会いたくなる人。
Tさんの笑顔が浮かんできます。

もっと飲みたかったし、一緒に出掛けたかったです。
長い間、ありがとうございました。

心からご冥福をお祈りします。
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生き抜く強さ

2014年10月19日 11時58分29秒 | 友達・絆
今年の2月に哀しい雪の日というお世話になったクライアントが亡くなった時の記事を書きました。

今まで何回このような悲しい記事を書いてきたことか、それだけそういう年齢になっているということの証ですね。

おととい、高校の同期の友達O君の訃報が届きました。
同期会の幹事をやってることもあり、年に何回かは前から決まってる飯田橋の飲み屋で次回の会の作戦会議という建前の下、4,5人で集まっていました。

ちょうど二年前のこと。
いつものように集まって飲んでいたら、淡々と病気のことを話し始めたので皆で真剣に聞き入りました。
『検査で胃がんが見つかって、年が明けたら手術をする。
もうかなりのレベルなので全摘して、それでもあと3年も持てばいいって医者から言われてる。』

えっ、何だよ、待ってよ、そんなことニコニコしながら飄々と語ってるんじゃないよ。

いろいろ詳しい話も交えて説明してくれたのだけど、彼の話し方は僕らに気を遣ってる感じではなく、まあ、あと3年らしいから、仕方ないし、どうにもならないし、って重苦しい雰囲気などこれっぽっちも感じさせない口調で語ってる。

時事ネタでも政治ネタでも経済ネタでも、何でもかんでも博識で、いつも皆で感心していたしいろいろ教えられることが多かったO君。
皆よりもちょっと大人の雰囲気を醸し出しているけど、ちっとも偉そうでもないし、ニコニコしながら嬉しそうに滑らかにしゃべってる。
決して意見を押し付けないし、相手の意見もしっかり聞きながら、わかりやすく持論を述べる。
どこか悟ってるような部分もあり、だからこそ僕らは俗人のようにも思えてしまうところもあるのだけど、大きな存在感で貴重な友人だった。

昨年2月に手術をしてからも、皆の集まりには普通に顔を出していたし、食は細くなっていたけど普通にお酒も飲んでいた。
そして、病気になってからもあの飄々とした語り口は幾分も変わらなかった。

もちろん表には出さないで辛く重いことは会ったのだとは思うけど、どうしてあんな風に変わらないでいられるんだろう。
病気の話を聞いてからずっと、僕らの方が動揺しちゃって狼狽えている。

しっかり着実に淡々と。
彼の生き抜く強さにいつも感心していた。

秋晴れの天気のいい週末だけど、火曜日のお通夜を控え、どこか空虚な休日。

もっと一緒に飲んだりしゃべったりしていたかった。
今後の政治や経済の動向について、もっと話を聞きたかった。

まだ、早いってば。。。

合掌。
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哀しい雪の日

2014年02月14日 23時09分49秒 | 友達・絆
溜まっている仕事もいろいろあり、雪の影響もあり、青色申告もまだ進んでいなくてどうにも落ち着かない日々。

そこへ持ってきて、何人かの友人、そして義兄が入院、手術。
もう二か月も入院してるという先輩の話もつい最近聞いて心配している。

そして、知り合いのいる外食企業2社が倒産。
やばそうな話など何も聞いてなかったのでビックリしたのだけど、その日に聞いたという社員の方々の気持ちを考えるとあまりにも辛すぎる話。

さらに一番ショックだったニュース。
お世話になった元クライアントの方のfacebookの投稿を見て言葉を失った。

彼女のお義兄さまが書かれた投稿だったのだけど、なんとご本人が急逝されたとのお知らせ。

しばらく前から入院していたのだけど病状が急に悪化して亡くなられたと。
なんと53歳です。

facebookには哀悼のコメントが今もまだ続いています。

もう15年近く前になるでしょうか。
日本に初上陸した外資系のインターネットの会社の仕事をさせてもらった時の担当の方でした。

社内のムードメーカーでもあり、いつも明るく元気で奔放な方でした。
細かい気遣いをしてくれる優しい方でもありました。

facebookでの、元同僚や友達の方からのコメントを読んでいるとたまらない気持ちになります。

『彼女のあのあたたかい笑顔、そして元気な声、どれだけの人が勇気づけられたでしょう。』
『Uさんほど、周りの人にポジティブな感情を与える人はいません。』
『いつも周囲の方に元気を振りまいてくださっていました。』
『Uさんのいる所はどこでも、みんなの笑顔がありました。』
『「もし死んだら、真っ先にビールを発明した人を探し出し、お礼を言いたい」と仰ってました。』

クライアントと代理店担当者という形でしばらくの間仕事をさせてもらって以来、長い間ご無沙汰してたのですが、3年半ほど前、別のクライアントの方と偶然お目にかかりました。
あの創生期の頃の会社のOBがたくさん集まって毎年忘年会をやってるので、nanaponさんがよければ来たらいいのに、と声をかけてもらいました。
その会の幹事を毎年やっていたのが彼女だったのでつないでもらってしばらくぶりにメール交換になりました。

社内のOBではないし、知ってる人もどれだけいるかわからないしちょっと躊躇しているのですが、参加させてもらっても差支えないでしょうか?とメールをしたところ、あの頃の陽気で豪快な感じの返信が来ました。

『まぁ、躊躇されるお気持ちもわかります!
 あの当時のOBたちは、皆自由勝手に生きています。
 インターネット草創期に、その勢いに集まった、お祭り好きの人間が集まる気軽な宴会です。
 日々、新しい人生だし、迷っているのは、人生の「もったいない」です!
 ぜひ、お越しください!』

ということで思い切って忘年会に参加させてもらい彼女とも再会しました。

人間、明日はどうなることやらわかりゃしない。
今日を精一杯元気に明るくやっていくしかない。

明るく元気でいつも前向きのエネルギーに溢れていたUさん。
本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りします。
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偶然の出会い

2012年11月03日 22時12分44秒 | 友達・絆
先日、偶然の出来事があり、一生忘れられない日になりました。

定期健診で行った病院の待合室で偶然大橋巨泉さんと会ったんです。
それもたまたま待合室の席が隣。
ちょっとドキドキしながら本を読んだりしながらモジモジしていた。
一緒にかなり長い時間待たされていたので、どうしようかなあと逡巡した挙句、思い切って話しかけてしまいました。
すごく柔和で腰も低く、ちゃんと僕にも質問してくれたりもするし、気さくにいろんな話に付き合ってくれました。
体調のこと、ゴルフのこと、ここにきて同期(坂上二郎さん、玉置宏さん、長門裕之さん)がどんどん亡くなっていってすごく寂しいこと、などなど、なんか親戚のおじさんにでも会ったような感じでほんとカジュアルな感じでお話しさせてもらいました。
薬のことや体調管理のことなどいろいろ知らないことを教えてもらったりもしました。

そもそも僕がこの業界(広告)に興味を持つきっかけになったのは、巨泉さんの11PMでやっていた宣伝部のパロディでした。
巨泉さんが社長、藤村有弘さんが宣伝部長になり、何人かの宣伝部員には土屋耕一さんや浅葉克己さんなどが出てました。そして若かりし日のコピーライターの岩永嘉弘さんも出ていました。

これが当時の写真です。(岩永さんがわざわざ探してくれました。ありがとうございました。)


越中ふんどしを『JAPANTS』、コンドームを『ムードンコ』と名付けて、そのポスターを作ったりとか、売りにくい商品をアイディアを駆使してどう売るか、というコーナーをずっとシリーズでやっていました。(今でもよーく覚えています。上の写真は“まる巨”マークのJAPANTSです。)
これがたまらなく面白いと思った大学生の僕は、その後広告業界に興味を持ち、広告代理店に入りました。
それから数十年。業界に入っていろんな仕事をさせてもらいました。
後にその岩永さんと一緒に仕事をさせていただくとは想像もしていませんでした。
今でも時々お目にかかったり、facebookで毎日のように交流させてもらってることがとっても不思議です。

そしてついに、11PMでこのコーナーを作ってくれた巨泉さんにもお目にかかりお話しすることができました。
直接感謝の気持ちを伝えることができるなんて思ってもみませんでした。

『僕が一生ずっと好きで続けてきた広告の仕事に巡り合えたのは巨泉さんの11PMがきっかけだったんです。本当にありがとうございました。』

と、直接お礼を言うことができました。

僕の言葉を受けて、ニコニコしつつ、あの頃を思い出し、
『あの頃の彼らはすごく才能もあったし面白かったですねえ。岩永君は元気なんですか?よろしく言ってくださいね。』と温かく返してくれました。

あの11PMを見なかったら、ぼくは一体どんな仕事をしていたんだろうか。
どんな人生を歩いていたのだろうか?

たくさんのエキサイティングな仕事に出会えたこと。
仕事を通じて多くの素敵な人に出会えたこと。
そしていろいろな経験をさせてもらい成長させてもらったからこそ今の僕があるということ。

心の中でずっと思っていたことを、直接伝えることができて本当にうれしかったです。
そんな偶然の出会いに心から感謝します。
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それぞれの旅

2012年07月17日 16時17分33秒 | 友達・絆
今日は先日あった飲み会の話。
元の会社の先輩たちの同期の集まりがあるとのこと、親しくしていた人もいたので、混ぜてもらいました。

30年ぶりくらいの人もいたけど、『おー、○田(僕の名前)か』と握手して話し始めたらすぐに、『○田、お前なあ』とか、『よー、○田、​ちょっとこっちこい』、とか、あっという間に昔のまんま。
皆、立場は違うけど、すこぶる元気だし、よく(そこまで)飲む、​よく(大声で)しゃべる、よく(豪快に)笑う、という楽しい会でした。

夕方早めから始めたのに、気がついたらなんと11時近く。
7人(ビールだけの人もいたから実質6人)で空けた焼酎ボトルは4本半。
濃い目に作ってもグラスがすぐなくなっちゃう。
僕は一番下っ端だから、水、氷、焼酎ボトルのお代りを絶えず頼みつつ、次から次へと水割り作るので忙しかったのだけど、それでもいろんな先輩たちと刺激を受ける話ができてすごく楽しかった。

先輩のうち3人は、20代後半か30代前半で転職して、それぞれの道を歩いて行った。
外資系とか、全然違う道に行った人もいる。
大変なこともいろいろあったはずなんだと思うけど、飲みながら皆無邪気に言う。
『やっぱりあの会社で教えてもらったり学んだりしたことが大きかったよ。』
『あれから何度か転職したけど、あの会社にいたことが自分のベースだと今でも思う。』
『変な上司もいっぱいいたけど、若かったし、楽しかったよなあ。やみくもに仕事したよなあ。』
『いろいろやらされたりもしたけど、結構自由にいろいろやったもんなあ。』

『途中の皆のことはわからないけど、こうやって元気で会えてうれしいよ、またやろうよ。』『今度は秋だな。次は○○も呼ぼう。』

僕としては何人かの先輩たちとそれぞれ別々の付き合いをしてきたのだけど、ここまで違うキャラなのに、一緒に入社して同じ時代を過ごしたという同期の一体感。
それを目の当たりにして、ひとり感心したり、考えさせられたり、ずっとニヤニヤしていました。

それぞれの人生の中で積み重ねてきたこと、そして自分を支えてきたもの、骨となり血となった様々な経験。
店の前で集合写真を撮ったのだけど、これが皆たまらない素敵な笑顔をしてるんですね。
ほんと、ここに載せたいくらい。
たぶんいろんな先輩たちの話を聞いてる僕の目はキラキラ輝いていたに違いないと思える、そんなうれしい一夜でした。
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天国からのメッセージ

2012年04月27日 09時33分35秒 | 友達・絆
GWには楽しみにしているイベントがあります。
それは、小学校の同窓会(学年会)。
なんと卒業以来初めてという快挙です。
もちろん仲良し同士は会ってはいたけれど、きちんと居所を探して電話かけたり往復はがき出したりして、正式な形でやるのは本当に初めてです。
数十年ぶりに会うというのはどんな感じなのでしょうか?
見たこともないおじさん、おばさん、いや、じじいとばああばかりなのでしょうか?
卒業以来会ったことのない人の中で、およそ何割くらいが判別つくのでしょうか?
もちろん名札は必須です。
そして、そこに書く名前はできるだけ大きな字で。

学年全体で120人いて、行方不明が約20人強。
そして物故者が9名!
今回幹事チームの大活躍により連絡ついて出席するのが、なんと39名!です。
すごいですよね、3分の1です。
中にはこのために海外から来るという人もいるし、途中から続々と参加の人が増えてきたのでかなり盛り上がってます。
当初、40人も集まったら最高だよね、と言った理想形にほぼ達してしまいました。

このタイミングでやらないともう一生できないかもしれないという危機感もあり、幹事チームが必死になって連絡したり間接的に辿って行って居所を探し当てました。
個人情報保護法の影響もあり、もう何年も前から名簿発行していなかったこともあり大変な作業を強いられたようです。
facebookやgoogle検索という技も使ったようです。

さて、今月の初めに《悲しい朝》という記事を書きました。
小学校の友人Aさんの思いがけない訃報に接した話です。

3月中旬、彼女から数十年ぶりにfacebookを通じて連絡が来て、メッセージのやりとりをしたのもつかのま、その2週間後に亡くなってしまったのです。

あまりにショックだったし、なんで亡くなる2週間前に突然現れて風のように消えていってしまったのか、どうやっても気持ちの整理がつかなくてしばらくはぽっかり穴が開いたようになってました。

彼女からのメッセージで当時のいろんなことを思い出した。
そしていろいろ考えているうちにどうにもたまらなくなって彼女からの最後のメッセージに返信してしまいました。

子供の頃と同じような感じで、彼女とのいろいろな思い出を語りかけました。

ずっと病気がちとは聞いていたけどそんなに悪かったなんて思わなかった。
せっかくfacebookでつながって何十年ぶりかでおしゃべりできたというのに、あまりにもさびしい。
ちょっとだけだったけど、最後におしゃべりできてうれしかった。
天国で安らかにゆっくり眠ってほしい。

示し合わせたわけではなかったけど、同じ頃にAさんから連絡が来た他の友人たちも僕と同じようにいたたまれなくなって彼女にメッセージを送っていたらしい。

このままではあまりにも寂しくて辛いのでこのメッセージは必ず彼女に届くだろうと信じて。

そして、しばらくして。
なんと彼女から返信があったのです。

○○さんよりメッセージが届きました。

えっ、うそだろ、まさか!?
気持ちが届いたのか。。。

かなり動揺しました。

しかしそんなことはあるはずもなく、彼女の弟さんから彼女のアカウントを使ってのお礼の返信でした。

そして、3年前からの闘病生活のこと、彼女の残された家族のこと、亡くなる一月ほど前の彼女の誕生日には家族でお祝いし元気だったこと、などなど彼女の最近のことがいろいろ書かれていました。

『GWには、○○小の同窓会を開催されると伺っております。姉は参加することはできませんが、最後に皆さまと再びインターネットを通じてお話しできましたこと、喜んでいたと思います。どうぞ皆さまにおかれましては、体にお気をつけいただき、ご健勝でお過ごしくださいませ。』

もう何年か前に同窓会をやっていればもしかしたら会えたのかもしれなかった。
でもそれを言っても始まらない。

今となっては元気で級友たちと再会できることを心から感謝して、Aさんの分まで楽しみたいと思う。

人の運命。
ずっと昔、小学校で一緒だったという事実。
そして数十年の時を超えてまた巡り合う。

遠い昔、あの頃の出来事が、あの頃過ごした時間が、今につながっていることもある。
いろいろ影響を受けて今の自分がある。

数十年ぶりで会ういろんな級友たちからの話を総合し、あの頃の自分を客観的に分析してみたいとも思っている。
そして、あの頃の自分と今の自分には何が共通しているのか。
何が変わっているのか。

自分の原体験と言えるようなことがあったのかどうか。
孵化する前の原型の要素がその頃の自分の中にあったのかどうか。

単に思い出話に花を咲かせるだけでなく、今後にとっても意義のあるイベントにしたい。
あれこれ考えてワクワクしつつ、かなりテンションが高くなっている今日この頃です。
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悲しい朝

2012年04月02日 17時19分02秒 | 友達・絆
今朝、小学校の同級生(女性)の訃報が届いた。

何十年も会ってなかったのだけど、つい最近facebookで再会。

これがほんの2週間くらい前(!)の彼女からのメッセージです。

『おひさしぶりで~す!なんとかやっています。
最近なぜか、nanaponさんちで新聞作ったこと、よく思い出してます。
よろしくお願いします。』

新聞部なんてあったかどうか忘れたけど、クラス新聞のようなものを彼女と一緒に作っていたことを思い出した。
他にどんなメンバーがいたかも覚えていないけど、どんな内容でどんなレイアウトでとか、彼女と話し合って一生懸命作っていたのだと思う。
そして、最寄りの駅の駅長さんに二人で一緒に取材に行ったこと、はっきりと覚えている。
あの頃の僕は新聞記者になりたいって言ってたらしい。

頭もよく、シャキシャキしていたけど、すごく控え目で優しい子だった。
好きでドキドキという感じではなかったけど、彼女と僕はすごく仲がよくて、お互いの家にしょっちゅう出かけていた。
彼女の家の作りやお母さんの顔や話し方などもはっきり覚えている。

ずっと病気だとは聞いていたけど、最期にfacebookでやりとりできたことが何かの運命。
僕だけでなく、小学校の友人何人かも同じ頃facebookでつながってやりとりしていたようだ。

今考えると、自分の体のことをわかっていた彼女が、昔のこと思い出して、僕たちとおしゃべりしたくなったんだと思う。

ちょっとだけどおしゃべりできてよかった。

それだけにひどく悲しくて辛い朝。

合掌。
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休肝日

2010年12月05日 23時20分43秒 | 友達・絆
誰も皆そうでしょうけど、この時期、酒席が続いてます。

昨日は毎年やってる友人宅でのクリスマス・ホームパーティ
出張寿司に、高級シャンパン、ワイン、日本酒、焼酎。
プロの室内楽もあり、一年に一回ここで会う人も含め、仲間たちとの楽しいひととき。

そして、平日はずっと続く宴席、酒席。

そんなことで今日は、仕事で知りあって仲良くなった某ビール会社の伝説営業マン、Nさんのことを書きます。

ビール最終戦争 (日経ビジネス人文庫)
永井 隆
日本経済新聞社


この本の中に本名で彼が登場し、ビール会社4社の激烈なシェア争いの現場における彼の活躍がドラマチックに描かれています。

Nさんのビールの飲みっぷり。
豪快に、うれしくてしょうがない、というステキな笑顔で、どんどんジョッキは空き、いくらでも美味しそうに飲み続ける。

ビールのコマーシャルとかポスターのモデルに使ったらいいのでは、と心から思ってしまいます。

元気で明るい、声もでかい、豪放磊落。
彼の周りにはいつも人が集まり、愉快な笑い声が絶えない。

伝説の営業マンの彼は、クライアントの居酒屋、バー、レストランなどを打ち合わせも含め、毎晩ハードに飲み歩きます。
そういう生活を長くしてるわけで、誰でも肝臓など大丈夫なのかな、って思うわけですね。

先日、クライアントの社長が、Nさんと一緒に飲んでる時に、
「Nさんは、とことん飲んだらどれくらい飲めるんですか?」
Nさん「そうですね、大瓶で1ダースくらいは行けますね。」
社長「ねえ、Nさん、毎日飲んでると思うけど、Nさんには休肝日っててあるんですか?」
Nさん
「いや、寝てる間が休肝日ですよ。

この社長、Nさんの言葉にやたら説得力があったみたいで、
「そうか、寝てる時が休肝日か。
あー、そう考えれば、毎晩酒席が続いてても安心だなあ。」と納得したとのこと。

そんなことで寝てる間が休肝日の師走がすでに始まってます。

もう大変なんですから、カラダだけは大事にしてくださいね。by 初代林家三平
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悲しい夏の日

2010年08月04日 01時42分02秒 | 友達・絆
昨日また友人の父親が亡くなりました。
かなり訃報が続いてます。
そして、今回は68歳という若さ。

先日、将棋界近況7.20という記事で書いたけど、将棋界の怪童村山九段が亡くなったのが、1998年8月8日。

8月8日といえば、友人だった写真家の星野道夫も14年前のその日にカムチャッカでヒグマに襲われた世を去った。

今月の忘れられない日といえば、8月6日の広島、9日の長崎、そして、15日の終戦記念日と続くわけだけど、僕にとっていつまでも重く残っている記憶は8月12日の御巣鷹山の日航機墜落事故。

1985年だったから今年でもう25年を迎えるんですね。
あの飛行機には、好きだった会社の先輩が乗っていました。
もともと家が近かったので、休みの日でも偶然会ったりしていたのだけど、ある時大阪転勤に。
そして、本社での会議に出るために上京し、会議が早く終わったので、予定していた便を繰り上げてあの便に乗ることになった。
いつも笑顔で、でかい声で、『お前、元気でやってるかよー?』と存在感は大きかった。

『なんで会議が早く終わっちゃったんだよー。』
『誰かもっといろいろしゃべってなんで長引かせなかったんだよー。』

そんな空しい会話が社内でどれだけ交わされたことだろうか。

この炎天下、眩しい夏の太陽を見るといつも思い出してしまう悲しい記憶です。
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悲しい出来事・その2

2009年12月22日 21時54分26秒 | 友達・絆
先日書いた「悲しい出来事」という記事。

それに対して川島さん「倒れちゃいけない、死んじゃいけない。」という記事でTBしていただきました。
(とらんとらんさん、imuimuさんからは温かいコメントいただきました。)
ありがとうございます。

その川島さんの記事に対する僕のコメントです。
--------------------------------
川島さん、こんばんは。
TB、ありがとうございました。

そうです。死んじゃだめです。
突然死んではだめです。
忙しいカラダの無理と、不況での精神的無理が積み重なっていたのでしょう。

もうお互い年なんだから、無理しちゃだめだよ、と何度となく言っていた言葉が空しいです。
----------------------------------
川島さんのレスです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++
「nanaponさん」、長年のご友人のこと、ご愁傷さまです。

会社が倒れないためにがんばる。
家族と生活を守るためにがんばる。

そして、自分が倒れる。

う、うーむ。

どんな仕事だって「大変」である。いつの時代でも。
しかし、昨今の状況は「大いに変」ですね。

その、ものすごい渦の中に取り込まれていたら、
よほどの「死なない体力」がないと、
まさに「生き残れない」のでしょう。

渦の中の横並びの解答ではなく
「次元の違う解答」を出さなければならないのでしょうね。

「nanaponさん」のさまざまなエントリーも見つつ、
考えます!
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
この川島さんのレス、一言一言が重く響きます。

特に、
渦の中の横並びの解答ではなく
「次元の違う解答」を出さなければならないのでしょうね。
という言葉。

本当に、その導線上で必死にがんばる、死に物狂いで凌ぎまくる、と言うようなことではなく、発想を変えた、もっと本質的な部分でゼロから見直したような「解」を見つけないといけないのだと思います。
二次元で考えていたのであれば、三次元で考える、というような。

この大いに変な時代の渦の中でただ喘いでいるばかりでいたら、次第に呼吸が苦しくなり、溺れていきます。

仕方ない、がんばるしかない。ここで踏ん張るしかない。

出口が見つからなくて、暗闇の中でもがき苦しむ。

誰しもあるし、人生は苦しいことばかりとも言えます。

しかし、倒れてはいけない、死んではいけない。

目の前に立ちはだかっている大きな壁を突き破るしかない状況で・・・・・・、

これは本当に壁なのか、

もしかしたら幻ではないか、

壁を破るやり方を変えたらどうなのか、

ハンマーではなく、キリで小さな穴を開けてみたらどうなのか、

本当に壁の前に行かないといけないのか、

突き破らなくても、横から回って前に出たらだめなのか、

棒高跳びのように上を越えられないのか、

固いものでは破れなくても、もしかしたらこの壁は水に弱いのではないか、

なんかの薬品でも使って、溶かせないのか、

なんかの脱色剤でも使って、透明にできないのか、

明日になったら壁はなくなってるかもしれないと思って、寝てしまうのはどうか、

関口宏の東京フレンドパークのように、壁に張り付いて登っていくのはどうか、

変わったサングラスをして、壁があっても見えないようにしたらどうか・・・。

なんてことをいろいろ考えてみる。

正面突破をしようとして疲れてしまったら、立ち止まって、深呼吸をして、あれこれ考えてみる。

あら、何のために越えようとしていたんだっけ?僕。

忘れっぽい事も含め、みんな、工夫したり、知恵を出したり、コツコツやったり、皆で喜び合ったりしつつ
死なないでがんばろうぜい
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