即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

ネット脳

2010年09月25日 11時00分11秒 | 雑感
ダイヤモンドオンラインの最近の記事、iPad、グーグル、ツイッターでヒトは本当に馬鹿になりつつあるのか~米国の著名テクノロジー思想家ニコラス・カーが語る“ネット脳”の恐ろしさについて。
ポイントのところだけダイジェストします。印=nanaponコメント
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印刷された本は、われわれを“注意散漫”にさせない。
本を読むということは、静止した対象に向かい直線的にひたすら注意や思考を持続させなければならない。だからこそ、ページをめくりながら本を読むとナラティブ(物語)に非常に深いところで関わることになる。

対照的に大量の競合する情報や刺激に溢れているインターネットやコンピュータ画面上で読むと、注意散漫に陥りやすい。

経済性と利便性を考えれば、潮流は電子書籍へ向かっていることは明白であるけれど、オンラインで本を読むことと、印刷された本で読むことは、われわれの思考プロセスにまったく異なる影響を与えるということを肝に銘じてほしい。

そんなこととは関係なく、ネット上のある程度の長文を読むときはどうしてもプリントアウトしてから読む。
画面上でいくら読んでも、まるで頭に入らない。
若い人は違うのかもしれないけど、出力したものに、ペンで下線を引いたり、丸で囲んだりしつつ読まないと、自分のものにならないのですね。

iPadを発売する直前に、アップルのスティーブ・ジョブズは、「どうせ最近の人は本を読まないから」と言っている。

これだけ多くの情報へのアクセスを可能にし、多くの人とすばやくコミュニケーションをとれるようにしたインターネットには多くの付随するメリットがある。
しかし、われわれの知的生活の深さや、さらにいえば、われわれの文化の深さ(豊富さ)の点では、現実に「人間の後戻り」が起きている。

インターネットをどのように活用するのがベストであるか分かっている大人でさえも、くだらない情報、重要でない情報であってもたくさんの新情報を探し続けられるということに、われを忘れてしまう。重要なことに注意を払わなくなってしまうのだ。

時間があるときは、いくらでもダラダラといろんなサイトを見たり、検索したりしてしまう。知らないうちに時間はどんどん過ぎている。

人間力ー自分でツキを呼び、直感を磨く方法ー
船井 幸雄,羽生 善治
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羽生名人と対談をした船井幸雄先生は、1日20分までしかネットを見ないと決めているそうだ。
制限を設けないと、ずるずるやってしまいそうだから、きちんと歯止めをすることを心がけているとのこと。

まあ、20分というのは難しいかもしれないけど、そうやって自己規制しないと、どんどんネット脳になっていく自分が怖い。
漢字も書けなくなるし、なんかちょっとした情報でも、いつでもネット見ればわかるし、とどこか安心している節がある。
つまり必死で覚えようとする意欲がない。
どんどん失せてきている。

そして、机で、本に向かったり、ノートを開いて書いたり、という時間が明らかに少なくなってきている。
手紙を書く、とか、ノートにいろいろ殴り書きしながらアイディアや文章を練り上げていくという時間、いや、習慣がなくなりつつある。

心配なのは、子どもへの影響だ。今の子どもは非常に小さいときから、万事においてコンピュータの活用を是とした発想の中で育てられている。この状況は本当に心配だ。子どもたちは、長時間にわたり集中することを学べていない可能性があるからだ。沈思黙考しなければ、思慮深くなる方法を学ぶことはできないのは自明の理だ。

この話になると、「将棋」というものはいかに素晴らしいゲーム、いや、文化であることか。
(囲碁もそうだけど。)
なかなか集中できない今の子供たちにとって、盤に向かって、相手がいる前で、自分で考えて判断し結論を出し続けていく、というトレーニングはとても貴重だと思う。

日本に限らず世界的に人々が読む文章は短くなっている。フェイスブックやSNS上のメッセージ、あるいはツイッター上のつぶやきばかりになれば、時間が経つにつれて、書き手もさらに短い形式で本を出し始めるだろう。ただ、それが起きると文学の豊かさの多くが失われることは間違いない。

twitterはすごいです。どんどんつぶやく人は増え、皆頻繁につぶやくようになって来てます。
僕もちょこちょこはやってみてるんだけど、いまだにどうも馴染めない。
面白さもわかってきてはいるのだけど、なんとなく自分には向かない気がする。
だからと言って、すぐに辞めはしないけど、こうやって(長文の)ブログ書いてる方が、他の人に邪魔されないし、いろんなことがちらつかないし、心地いい。

ネットにのめりこんでいく事は、物事について創造的に、複雑に、概念的に考えることをできなくさせる傾向がある。

具体的に言えば、素早くコミュニケーションをとるためにはネットを使っても、もっと深く考えたい場合は、そういう機械のスイッチを切って、印刷されたものを読むべきだ。そうすれば、必ず違う経験を学ぶことができるはずだ。

考えることが減れば、それだけ検索に頼ることになり、検索に頼れば頼るほど、記憶しなくなる。そうするといつか頭が空(カラ)になる。問題は、自分の頭の中で物事を関連させて考えることをしないと、ますます外部にあるコンピュータベースに、関連することを頼ることになる。われわれの思考の豊かさは自分の脳の中にあるつながりから来るのであって、脳の外に存在するネットワークにあるつながりから来るのではない。

ネットに依存しすぎず、自分の脳の中のネットワークを使ってものごとを考える癖をつけようということですね。

1週間くらい、ネットのない世界で生活してみたらいいのかもしれない。
もうずいぶんそんな経験してないです。
何も検索したり調べたりしないで、自分の頭や知恵だけで考える習慣。

最近の生活パターンを反省しつつ、思考プロセスがもっとみずみずしくなれるように、後戻りしないように、できるだけ努力したいと強く思っている今日この頃です。
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