即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

行政のデザインセンス

2008年04月30日 22時02分35秒 | 雑感
以前書いた「いちかわ星野道夫展」のつながりの話。

先輩Kさんと二人で芳澤ガーデンギャラリーに行った後、そのそばの真間川の川沿いを1時間半ほどずっと歩きました。

景色を楽しみながら、ゆっくり散策するって、久しぶりのこと。
川沿いを歩いていろいろ感じました。

この3種類の川沿いの光景、見てください。




これ、同じ川。
この3つの光景が全部つながって、近いところに存在している。

川沿いにたくさん家があります。
自分がこんな川沿いの家に住んでいるとして、
休みの日、天気のいい日に、朝起きて2階の窓を開けて、ボーッと川を見る。
こんな景色が広がる。
今日一日、どんな気分で始められるのか。

それが一番上の光景の場合と一番下の光景の場合と比べてみてください。

生活自体が、優雅で前向きになるか、ちょっと落ち込んで、情けない気持ちになるか。

同じ市の、同じ川沿いに住んでいて、こんなにも気分が違う。

これで同じ税金払うのは勘弁してほしいよねえ。


次にこれ。川沿いの公園。

よく写ってないけど、トイレに動物のイラスト。
ほんと、こういう発想って情けない。
誰がいいと思うんだろうか。
典型的な子供だましの、というか、子供でも可愛いと思わないようなイラスト。
子供がよく来る公園だから、子供が気に入る動物の絵でも描いておけばいい。
いかにもお役所的。
どうやってそういうの決めるんだろうか。
どういう指示を出すんだろうか。
不可解極まりない、というか、あまりのセンスのなさ、というか、こういう仕事の仕方。
あきれます。

そして、これ。
川沿いの小さなスペースを生かした公園。
こういう色合いの住宅地の中に、こういうケバイ色合いの滑り台やらなんやら。

なんでこうなるの?(欽ちゃんの言い方で!ふるっ!)

市川市には、
市川市景観基本計画
なるものがちゃんとあって、基本方針はこんな風になっています。
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「共感と継承」
だれもが「わがまち」の姿として誇りに思い、共感できる景観まちづくりを進め、これを継承していきます。

景観はその土地が受け継いできた伝統や文化、まちへの思いなど、地域で暮らし、活動する市民が共有する価値観の表現であり、まちを愛する心の源ともなるものです。したがって、地域社会に共有された価値観に響きあうまちの姿を創りだすことが、景観まちづくりの基本です。
市民の合意と参加のもとに、まちの個性を守り、生かしながら、ふるさと市川の景観まちづくりを進めるとともに、これを育て将来へと引き継いでいくため、市民・事業者、行政が協働して取り組みます。
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共感できないよ、こんなんじゃあ。

行政の中に、
例えばリタイアしたデザイナーとか、建築家とか、ちゃんとセンスのある人をアドバイザー的に雇って、ひとつひとつ新たに作るものや改善するもののデザインの方向性を決めていくことはできないのだろうか。
今までの役所の人たちのやり方では、いくらこんなお題目の計画を立てても、実際アウトプットするもののレベルは期待できないはず。

ヨーロッパの町並みなど、見習うべきお手本は山ほどある。

単にどこかの真似をするのでなく、日本として、またその地域として、伝統や歴史・文化を生かしながら、個性ある町の景観づくりをするべきだし、基本理念でもそのように謳っています。

豊かな景観の町に住めることは、とっても大事なことだし、ほんと一生の得です。

そういう町に心から住みたいと思う今日この頃です。
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名人戦の記事

2008年04月29日 15時11分20秒 | 将棋
4月12日の朝日新聞朝刊に、名人戦第一局の記事が出ていました。

芥川賞作家・奥泉光さんが見た将棋名人戦。
タイトルは『小宇宙の清冽な空気・輝き』。

「無名の棋士たちが支える伝統」という小見出しで、
伝統文化をキーワードとしたルポです。
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名人戦は頂点を求める勝負であるとともに、日本の伝統文化を披露する舞台でもある。

名人戦の対局場の凛とした雰囲気。

それは二人の棋士だけが生み出したのでなく、伝統の持つ力がこの清冽な空気を支えている。

古くから続いてきたものがただ続いていくことが伝統ではない。
伝統とは、今を生きる人間の営みを活気づけ、豊かにしてくれる過去の制度のことである。
伝統を守るには、絶えず伝統を選び直す必要があり、それはときにラジカルな変革となって現れることすらある。

二人のパフォーマンスが輝きを帯びているのは、厳しい伝統を選び取ってきた、一般には名前を知られぬ棋士たちに支えられればこそなのだ。
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なかなかの考察。

伝統とは、絶えず選ぶ直す作業が肝心。
そういう判断や行動をたくさんの先達たちが行ってきたからこそ今日の将棋が存在している。
胸をときめかせる名人戦の対局がある。

こういう深い考察とは別に、今の一番の課題である『普及』という視点での、今回の名人戦の取り上げ方を期待している。

この名人戦を機に、将棋にあまり興味のない、将棋の面白さを知らない人に対して、優しくソフトに伝えていく作業。

もちろん技術的なことはわかるはずはないけど、初心者や将棋のことわからない人でもいろんな見方や見所があるし、それぞれのレベルで楽しむことが出来る、というように。

この記事でも、普及という目的に関しての意味はあるとは思うけど、もっとストレートに、名人戦という舞台、対局者の心理、などを踏まえ、将棋というものの価値や魅力を表現することができたらいいと思う。

例えば、シニアの人にPCの楽しさを教える、伝える。
彼らの生活の中で、PCの便利さを啓蒙していく。

猿でもわかる、というほどではなくてもいいけど、将棋にまだ親しんだことがない、特に女性や若い人に対して、伝えていく術はないだろうか。

サッカーやラグビーの別音声で、基本的なルールなどを交え、タレントなどが出てやっている番組、ありますよね。

あんな感じ。

いろんなサイトでも、若葉マークのコーナーがあって、そこを見ると、わかりやすく初歩的な情報ややり方など出ているところありますよね。

将棋を指すということもTRYしてほしいけど、観戦する楽しみを伝えられたらどれだけいいかと思っている。

日本の伝統としてのしきたりとか、真剣勝負の凛とした雰囲気とか、駒を動かす時の指の美しさとか、格闘技のような男の熱い勝負という面とか。

こんなに将棋を観戦することは楽しいのだから、今回の名人戦、ぜひ注目してください、と。
衛星放送もやっているので見てください、と。

ハチワンダイバーしおんの王を体験した人は、伝統の名人戦の熱い勝負の醍醐味をぜひ一度味わってください、と。

こういうのは、朝日新聞文化欄というよりも、例えば、いろんなターゲット別の雑誌向きかもしれない。

女性誌であるとか、若者向けファッション誌であるとか、頭がよくなるという切り口での子供の雑誌、または思い切ってTV誌であるとか。

このような企画を進めていく上で、意義深かったのが、今回のこの試み

欠かさず聞いている中倉姉妹PDGでも言ってましたが、先日のマイナビ女子オープン決勝@陣屋における
『将棋をあまり知らないメディアの方向けの「セミナーツアー」』

中倉姉妹のブログより、引用させてもらいます。
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今回は将棋をあまり知らないメディアの方向けの「セミナーツアー」
という企画があり、そのガイド&講師役を姉妹で務めてきました♪
対局場の説明から始まり、将棋の歴史、日本将棋の特徴、
コンピューター将棋の話などなど。
アドリブと脱線が多く用意したレジメ通りには進みませんでしたが(^^;)
あっという間の一時間でした。
宏美とのコンビのためかボケとツッコミが噛み合ったようで、
「漫才のようで楽しかった♪」との感想もいただきました。
堅苦しいのは苦手なので笑いを入れつつ・・がポジティブ流です(^^;)

将棋の歴史などは本を読んで多少は知っていましたが、
セミナーを担当することになり、もう一度本や資料を読み直し勉強しました。
将棋を知らない方に、いかに将棋界に興味をもって頂ける様にお話ができるか・・。
ハードルは高かったですが、とても良い経験ができました。
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こういう地道な活動はとても大事だと思います。

このセミナーに来てくれた記者や編集者の人たちが、将棋に親しみを持ってもらう、よくわかんないけどなんか面白そうって思ってもらえたら、これはすごい味方。

今まで将棋なんて取り上げてもらえなかったところに、いろいろな角度で取り上げてもらえる。

そういう意味では、名人戦は朝日と毎日の利権であって、他のメディアでは簡単に取り上げることがもしかしたら難しいのではないかと懸念する。
マイナビだからこそできたのではないのか。)

もしそうなら、両新聞社は、将棋の普及ということをもっと第一義に考えて、広い懐で考えてほしい。
他のいろんな媒体に取り上げられることが、裾野を広げ、それがどれだけ自分たちの利益になって戻ってくるのか、ということを。

まあ、それはともかく、連盟LPSAも一緒になって、より広く将棋の魅力を伝えていく作業、さらに積極的に知恵と汗を出して取り組んでほしいと心から願っています。

そして、一将棋ファンとして、こんなことをブログに書くことで、少しでも貢献できたらいいな、と思っています。
(なんか今日は真面目。
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民意

2008年04月28日 20時54分08秒 | 雑感
21日(日)の朝日新聞の東国原・宮崎県知事へのインタビュー記事について。
(それにしてもマスコミに登場する量の多さ!)

タイトルは、「民意って何だろう」、です。
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民意って何だろうと、考えるとよくわからなくなる。
ガソリン代を下げてほしいと言うことと、全国の知事会や団体は一般財源化すると行政運営に支障をきたすことの狭間。

政治は、暮らしをずっときちんとみていないと、そこから生まれる政策は温度差があるものになる。
電車賃はいくらか。電車の中にどんな人がいるか。
空気を読む。心理を読む、察する、思いやる。
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生活者目線、という言葉を使っている。

ここをはずすと、はき違えるとまずいことになる、と力説している。

お笑いも同じで、これをはずしたら面白くない。笑ってもらえない。

《しろうと感覚》

ビートたけしがいつもそう言っていた。

「あいつはしろうとだからできるんだ。おれもしろうとだから、新しい映画のジャンルを作れたんだと思う。」と。

このブログのタイトルのところに書いている、ユーザー視点ということと同じ。

人々が、どういう町に住んで、どういう買い物をして、どういう生活をしていきたいのか。

そして、そういう生活を実現できるためには、自分たちで何をしなければいけないのか。

税金を払っているからといって、行政任せにはできない。

他人事、人任せではなく、自分事として、自分が積極的に動かないといけない。

授業料を払っているからといって、何でもかんでも学校任せになんかできない。

うちの子がいくつになってもちゃんと箸を持てないのは、学校の教え方がいけない、なんていうモンスターペアレントが横行する世の中、なんでこんなにも人情味のない、人を信用しない世知辛い世の中になってしまったのだろうか。

生活者、とか、しろうと、とかっていうニュアンスが、人間味のない我侭な市民って意味合いが強くなっている気がする。

なんでもかんでも、気に入らないこと、納得しないことを、自分本位で文句を言う、人のせいにするっていう社会になってきている。

相手の立場を考え、できるだけ客観的に俯瞰的に物事を捉え、少しは犠牲を払い、協力する姿勢を持ち、皆と一緒にWINWINの地域社会を作ろうって意識が欠けてきている。

そういう悪意に満ちた民意というものが横行している。

そんな民意を相手にしていたら、どんな政治家や役人であろうと、組織や団体の長であろうと、いくら骨身を削ってがんばったとしても、浮かばれない。

文句だけ言って、自分は何もしない。
地域でも、学校でも、会社でも、所謂評論家とか反論ばかりする人が増殖している。

「いやな世の中になったものだ。」、
と言うようになったからかなり久しいですねえ。
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イチローと羽生善治・その2

2008年04月25日 00時00分39秒 | 将棋
前に書いた《イチローと羽生善治》の続編です。

プロフェッショナル仕事の流儀の正月特番、《イチロー・スペシャル》のことを書きました。

「7年目の去年のシーズンにして初めて、重圧から目を背けず、あえてそれに向き合い、敢然と挑むことができた。」と言っている。

「毎年、何かを変えているんですけど、今年は07年につかんだもので臨みます。それぐらい、今回つかんだものは、僕にとって揺るがないものではないかと思っています。より作品という表現のできるプレーができるんではないか。結果としてそうなったんではなくて、俺はこれを作ったと表現できるプレー。プロ入りして16年の試行錯誤は余りに長かったですけれども、不動の何かをようやくつかむかも知れない。そのスタートに立ったと思っています。2008年のシーズン、とても重要な年です。」

去年のシーズンで、彼は何かを掴んだ。
自信と経験に裏打ちされたしっかりしたなにかを掴んだ。

孤高の人。
求道者。
一人だけ別の世界に生きている。

オープン戦で、26打数ノーヒットと、まったく打てなかったのは、逆に言うと自信の表れではないのか。

多分、いろいろ試してみていたのだと思う。確認していたんだと思う。

プレッシャーとあえて向き合う。

日米通算3000本安打と、張本の日本最多安打3085本を視野に入れている今年。(MLBの最多安打はピート・ローズの4256本だって。ケタが違う!)

『そんなことを意識せず、一打席、一試合を大切に、やれることをやる。』
なんて、普通はよく言うけど、そんなバカな事は言わない。
ちゃんと意識して計算してやるのがプロだし、エンターテイナーだ。
そこから逃げるんだったらもうとっくに野球選手やめてますよ。

と語っている。

今年35歳という年齢を加味しているし、それだけ日常の細かい事までその目標のために徹底している。

イチローは、ディズニーランドの徹底したやり方のことを引き合いに出していた。

「ミッキーマウスは世界で一匹(?)しかいない。
例えば、ある日のある時間、浦安のディズニーシーにミッキーがいたら、ディズニーランドには決していないし、その同じ時間、世界中のディズニーランドにも、絶対にミッキーはいない。」
それくらい夢を大事にすることを徹底している。

目標達成のために、出来る限りのことをすべて徹底する。

一分の隙もなく。

イチローは、他の選手と別次元のところで戦っているように感じる。


そして、ジャンルは違えども、羽生もそうなのでは、と思える。

オープン戦というのはないので、いろいろ試してやってみるのは実戦。

タイトル戦までもを、新たなチャレンジの場にしている。

100%自信はなくても踏み込んでみる。

未知の世界、混沌の中に、相手とともに入り込んでいく。

そのためのリスクはリスクと思わない。

むしろ楽しんでいる。

経験による読みとか知恵の力が大きいと思っている。

むしろそこで勝負した方が勝てるとも思っている。

自分がわからないのなら、相手はそれ以上にわからないはず。

そんな気迫が伝わってくる。

イチローが、もしもストライクゾーンの球しか来ないのであれば、間違いなく自分が一番ヒットを打てるはず、と自信をもって言っていた。

羽生も、局面が難解なら難解なほど、
自分が一番深く読める、いい手が指せる、その確率が一番高い、
と思っているのではないだろうか。

そして他の棋士は、難しくて自信がないということにプラスして、
多分ここでは羽生の方が自分より先を読んでいるだろう、
何かいい手を用意しているはず、
想定内なのではないか、と、勝手に思ってしまい、
自分から手をおかしくしていく。

ここが、強い羽生をさらに強くしているところじゃないだろうか。
羽生マジックの所以。
勝率7割超えの理由。

今回の名人戦、前に書いたように永世名人がちらつき、気負いが見られる感もあるのだけど、昨日の第二局では、きちんと羽生らしさを出して終始危なげなく寄せきった。

shogitygooさん昨日の記事にこんな風に書かれていました。
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プロ棋士ならば、「ここはこうすべき」「筋はこう」といったものを、どのレベルのプロでも共通感覚として保持しているはずだ。そういうのがないと、ブロになどなれっこない。しかし、さらにその中からプロでも抜け出るためには、そういう「プロの常識」から外れる手を指す能力も必須なのだろう。柔軟な羽生はその典型だが、それは他のトップの佐藤康光など、誰についても言えそうだ。
それにしても、今シリーズの羽生は。積極的な感じがする。羽生は、きちんと合理的な考えて将棋を指すのを基本としながら、明らかにそれ以外の要素も考えたり感じ取ったりして指している棋士である。それは、羽生のどんなインタビューを、少しでも読めばすぐ分かることだ。今回も、きっと指し方のテーマのようなものがあるはずだが、それは羽生自身にしか分かりようのないことである。
よく分からないが、何か荒々しい羽生が見られそうなシリーズになるのではないか。
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イチローと羽生。
もちろん性格も取り組む姿勢も何も違うのだろうけど、
見ているものは、相手、敵、ではなく、
ある種哲学のような高みの境地。
何を見て、どんなテーマに取り組み、何を成し遂げようとするのか。
普通の人ではなかなか見えない何かを見据えて、どこに向かって行くのか。

それは野球というもの、将棋というものの本質。

そして、その本質さえも変えてしまうような二人の想像を絶する力。

今年のシーズン、そして、今回の名人戦、楽しみがさらに増してきています。
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卓球と将棋

2008年04月24日 23時55分25秒 | 将棋
以前《ラケットを将棋の駒に持ち替えて》という記事書きました。

卓球・愛ちゃん将棋トレで金獲りだ!名人に“歩の心”教わる(サンケイスポーツ) - goo ニュース


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スマッシュは3手詰め? 5手詰め!? 卓球女子の北京五輪代表に決まった福原愛(19)=ANA、福岡春菜(24)=中国電力=が23日、都内のナショナルトレーニングセンターで将棋の矢内理絵子女流名人(28)から指南を受けた。

 卓球も将棋も対人競技という理由から、日本代表・近藤欽司監督が勝負の心得や戦術を学ぶようにと企画した。小学校時代は「将棋・オセロ部」だった愛ちゃんだが、香車を「かおる」と読む素人ぶりで、駒の動かし方から教わった。相手との距離が近く、目の動きで心理を読むことなど共通点も発見し、「難しいけど、おもしろそう」とニッコリ。

 試合終盤の詰めが甘い愛ちゃんに、女流名人は「早く勝ちたいと思うからスキが出る。一歩、一歩やる気持ちで」と、“歩の心”を伝授。さらに天真爛漫(らんまん)な性格を将棋の駒に例え、「桂馬かな。(言動の)予測が難しいけど、いろいろ可能性がある」とした。将棋にも取り組んで、五輪本番の“金獲り”に生かす!?
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どうなったのかな、と思っていましたが、ちゃんとやってるんですね。
よかったです。

こういうのはLPSAの方が、(相手が初心者の女性だし)フットワーク的にもフレキシブルにできていいのかなあ、なんて思ってはいましたが、まあ、誰でもいいです。この機を逃さずに将棋の普及ということを実現できれば、そしてそれをうまく広報できればと思っていました。

こういうことがどんどん広報され、愛ちゃんとしても、卓球の実力アップに役立ったという結果になれば言う事ないし、そういうニュースがどんどん世間に出て行けば、将棋界にとっても最高です。

でも、なんで(早稲田つながりでもなく)矢内さんにお鉢が回ってきたのかは知らないけど、この矢内さんの教え方は結構難しいですよね。

単純に愛ちゃんが将棋のルールを覚えるとか、うまく指せるようになればいい、というものではないです。

目的は、将棋を覚えた事が卓球の実力を上げるということ。

勝負でのメンタル面のトレーニングにつながるようにしないと。

金メダルを取る事(いい結果を出す事)に、将棋を覚えることがしっかりと貢献してないと意味がないわけですから。

まあ、当然これだけで終わるのではないと思いますが、今後とも愛ちゃんに対して将棋の力の大きさや深さを示し、愛ちゃんの卓球の実力に貢献できるようなレッスンを続けていってほしいと思います。

これは、単純に将棋初心者にいかに教えるかというだけのことではない。
教え方にも棋界を挙げて、どのようにしていくべきか議論をしてほしいと思います。

がんばれ、愛ちゃん
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Sweet Caroline ♪

2008年04月23日 20時51分33秒 | スポーツ
巨人戦も何も日本のプロ野球は、全く見ないし、どこが首位でも関係ない。

でも、MLBはできるだけ見ます。

あの雰囲気が好き。

生活の中に定着している感じ。

家族で、友人と、一人でも、皆、心から楽しんでいる匂いがムンムンしている。

7回表終了後になると流され(歌われ)る曲、Take Me Out to the Ball Gameも好きだけど、この前見た、これ。

フェンウェイパークでの8回表終了後(レッドソックスの攻撃前)に流れる「Sweet Caroline」

皆、立ち上がって、最高の笑顔で、大きな口開けて歌って、それぞれの気分で曲に合わせて踊っている光景。

見ていてこっちまでうれしくなる。

ベースボールっていいなあ。

なんで日本の野球と違うんだろうか?

sweet caroline


なぜ、「Sweet Caroline」なのか。
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「Sweet Caroline」は、1990年代後半頃から、FENWAY PARK 内で、イニングの合い間などに流されるようになりました。そして、現在のように必ずこの曲が球場内で流され(、そして歌われ)るようになったのは、2002年からです。当時球場内で流す曲を決める担当にあった、A.トービー氏が、この曲を流したときのファンの反応がとてもよかったことに気づき、それ以来この曲を流すようになりました。歌うときには、歌詞の合い間に「So_good!So_good!」と合いの手を入れるように叫ぶのがポイントです。
また、この「Sweet Caroline」が流されるシチュエーションですが、それは8回表終了後(レッドソックスの攻撃前)です。現在では、ちょうど7回表終了後になると流され(歌われ)る曲「TAKE ME OUT TO THE BALLGAME」(野球場に連れてって)と同様、レッドソックスの試合の一部となっています。
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ユーチューブではこんなのもこんなのもこういうのもあります。楽しそうだよなあ、ほんと。

バックスクリーンの下で ~For All of Baseball Supporters~というブログのSweet Carolineという記事、実際にフェンウェイパークに行った時の感動が伝わってきます。いいなあ、こういうの。
(引用させてもらいます。)
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 メジャーリーグファン、特にボストン・レッドソックスファンなら、もうお分かりだろう。

 ボクがこの曲を初めて聞いたのは、8月のフェンウェイパークでのこと。松坂大輔を応援しに、ボストンに遠征した際だ。

 初日の対タンパベイ・デビルレイズ戦。レッドソックスのティム・ウェークフィールド、デビルレイズのジェームズ・シールズと、両先発投手の好投で2対0と、わずかにレッドソックスがリードを保ったまま迎えた8回裏の前だた。
 突如、フェンウェイパークの観客全員が立ち上がったのだ。

 7th イニング・ストレッチは前の回に終わった。一体、何が始まるんだ。「ベテランのナックルボーラーに援護が足りない」と野手陣にハッパでもかける気なのか。

 いぶかしげに、ボクも周囲に倣い立ち上がった途端、流れて来たのが、この「Sweet Caroline」だった。

 しかも、ボールカウントに関係なく、味方の投手が相手打者を2ストライクに追い込んだだけで立ち上がり、いっせいに手拍子を送るボスタニアン。黙って名曲に聞きほれるはずがない。
 サビの「Sweet Caroline」の後に「Wow×3」、「Good time never seemed so good」の後には「so good×3」と合いの手を入れるものだから、ボールパークはいやがおうでも盛り上がる。
 球場側も、合いの手を入れよとばかりに、一度曲を止めてくれるものだがら、盛り上がらないはずがない。

 2日目から周りのボスタニアンと一緒に盛り上がれたボクだが、初日はただただ圧倒されるばかり。
 360度、どこを見回してもユニフォーム、Tシャツと、赤と白の服を着たボスタニアンが「Sweet Caroline」を大熱唱。
 ボクにとって、レッドソックスがメジャーリーグ、フェンウェイパークがボールパークなら、「Sweet Caroline」こそがメジャー観戦だった。

<中略>

 さて、話は変わるが、日本球界でもここ最近、メジャースタイルを意識している球場が増えている。
 ライト・レフトの両ファールゾーンを改修し、より身近に選手が見られる「エキサイト・シート」を設けたり、フェンスを下げ臨場感のある観戦を演出したりしている。古くは日本独特のトランペットによる応援を禁止する「球音を楽しむ日」を設定する球団もあった。また、スタジアムの周辺に目を向ければ、屋台やストリート・パフォーマーを招待し、「ボール・パーク」を演出している。チアリーディングチームで、ファンを盛り上げようとしている球場も増えた。

 だが、少なくともボクが行ったどの球場も、「ボールパーク」ではフェンウェイパークにはかなわない。形だけ、メジャーの真似をしているだけだ。

 「Sweet Caroline」のような、ファンが一体になって楽しむ演出が少ないのだ。音楽による演出も、野球以外のイベントも、どこか子供じみている。
 このため、ファンの楽しみは野球観戦・応援しかない。それが球場に来る最大の目的と言われればそれまでだが、いくらプロ野球とは言え、常にファンが満足する試合ができるわけではない。もう少しファンが一体となり、勝敗以外に楽しめる演出・イベントがあってもいいのではなかろうか。

 何でもかんでもメジャーのマネをしろとは言わない(試合中にビーチボールで遊びだすのには、まいった)。だが、メジャーには学ぶべき点は多い。形(インフラ)だけまねしているようでは、ファンは楽しめない。
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ssayさんプロ野球中継を見てという記事では、TV局の取り上げ方の問題を指摘しているけど、もともとのコンテンツ自体の違いも大きいと思う。

地域に強く根付いた文化として、息づいているかどうか。

日本とアメリカの国民性の違いももちろんあるけど、

なんか、楽しみ方の知恵の出し方が日本は下手なんだなあと思う。
(そして番組での演出も)

大人と子供のような感じも。

いつか、フェンウェイパーク、絶対に行ってみたいです。

そして、大観衆の中で、立ち上がって思い切り、手を振り、
Wow×3、ってやりたい。

気持ちいいだろうなあ・・・・。
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miel ドーナツ

2008年04月22日 00時36分49秒 | 外食
人気のクリスピー・クリーム・ドーナツのこと書きました。

先日、ヒーリングヴィラ印西にまた行ったとき、新しくできたショッピングモール、BIG HOPに立ち寄ったら、偶然こんなドーナツ屋さんがあったので、試しに買ってみました。

銀座プランタンにもお店がある《ミエルドーナツ》です。

特徴は油で揚げてないドーナツ。



「安心・安全。だから おいしい」ミエルのドーナツは「おいしい」と「ヘルシー」を、お客様にお届けする事ができるよう、常に厳選した安心・安全な食材を使用していきます。
・油であげず、ひとつひとつ手作りで焼き上げているからヘルシー。
・全品コラーゲン入り
・卵とバターは新鮮な素材を厳選して使用しております



こっちの方が、シンプルで甘くなくて、僕にはおいしいです。
しつこくなく、ナチュラルな感じ。

試してみてください。まだ4店舗しかないけど。

ふと、思ったんだけど、もう「ドーナッツ」って誰も言わないのね。
知らないうちに、「ドーナツ」なのかあ。
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棋士アンケート+クイズ

2008年04月21日 00時05分19秒 | 将棋
将棋王手飛車読本―将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け

宝島社

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将棋これも一局読本―盤上から溢れ出る本音と素顔 寡黙な天才たちがここまで語った!

宝島社

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98年、99年に発行されたこの2冊の本。
(古いので、最近の若手のことは出てきません。)

基本的に技術論ではなく、棋士の心理描写や人間としての部分、プライベートな部分、にスポットライトを当てた本です。

かなり俗っぽいところもありますが、なかなか興味深い記事満載です。

《ザ・アンケート 棋士に聞きました!これが将棋指しの生きざまだ!》

紹介記事。
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正直言って感動した。
何が感動したのかって、その回答内容である。
思わず唸るものから、ガハハと笑えるものまで、そのすべての回答に棋士の生きざまが表れているように思う。
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10の質問
1.あなたの忘れられない一手。
2.あなたはいつ投了しますか。
3.もし棋士にならなかったら。
4.あなたのライバルは誰ですか。
5.好みの異性のタイプ。
6.あなたの好きな駒とその理由。
7.もし引退するとしたら、何をもって現役の投了とするか。
8.敬愛する歴史上の人物とその理由。
9.人生でもっとも大切なもの、こと。(将棋以外)
10.初恋についての思い出。(幼少期は不可)

という質問を棋士にアンケートしたわけです。
面白そうでしょ?

秀逸な回答を紹介します。

1.あなたの忘れられない一手。
ほとんどの人は、いつの誰との対局で、この一手、と答えてる中で、

すべて忘れましたが、3三歩。アマチュア時代、終盤、両者熱中していて、私に王手がかかりました。ただの王手なので、何も考えず歩合。その途端、相手が奇声を発しました。な、な、なんと、その3筋には私の歩が3枚・・・・・。
by石橋女流王位。はは、笑っちゃった。素人でもなかなかない快挙!

2.あなたはいつ投了しますか。
これは種々雑多な回答ですね。

勝ち目がなくなったと判断した時。プラス将棋盤の前から離れたいと思った時。
これは、内藤九段です。
盤から離れたくなる、というところに、どうにもならんので飲みに行きたくなって、という意味合いも含まれているかも、なんて失礼なことを想像してしまいました。

(1)逆転の可能性が考えられなくなった時。つまり相手が心臓麻痺でも起こしてノビてくれない限り、勝ちがないと判断した時。(2)次の手を指すのに拒否反応が起きた時。
真部九段です。(2)が、いかにも彼らしい表現だと思いました。

とことん。
高橋道雄九段です。

負けとわかっても、アマチュアの方が見てある程度理解できる局面まで指し進める。ただしあまり見苦しくないようには心がける。投了する時はもちろん正座で、はっきり負けましたと言うようにしている。
これは谷川九段。人柄がうかがえます。

3.もし棋士にならなかったら。

これ、面白いので、クイズにします。

では、当ててみてください。(二つを結んでください。)
正解者には、うーん、何か用意します。(あんまり正解者多かったら、抽選です。)

A.プロスポーツの選手(野球・テニスなど)
B.他には考えられない。
C.普通に大学行って、サラリーマン。
D.医者か研究者。
E.高校の国語教師。
F.旅行エッセイスト
G.新日鉄の社長

ア 島九段
イ 谷川九段
ウ 森下九段
エ 郷田九段
オ 屋敷九段
カ 大内九段
キ 森内名人

4.あなたのライバルは誰ですか。

書くまでもないことである。ただし、自他共に認めるといわれるためには私がもう少しがんばらねばいけない。
いやあ、あまりの真摯なお言葉に、感動してしまいます。もちろん谷川九段です。10年前の彼の心中、すごく想像できますね。

佐藤康光。
森内名人はこう答えました

影。
by高橋九段です。なんなんだろうか、この人の感性は。面白すぎ。

さらにユニークな答え。

甥(5歳)。
by石橋女流王位。

工藤公康投手。
by真田七段。

5.好みの異性のタイプ。
これもクイズにしようかな。

ということで今日はこれまで。

3.のクイズの答えは、メール<nanapon_001@mail.goo.ne.jp>か、コメント欄でお待ちしています。(笑)
(締め切りは一週間後の27日。)

発表、そして、続きはまた後日に。
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独善的

2008年04月20日 16時35分47秒 | 雑感
先週の朝日新聞の、『世界の論調』欄。

イギリスのタイムズの記事が紹介されていました。
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《ロンドンの聖火リレーは大成功だった。》

今回は前代未聞の14万kmものリレーを計画し、できるだけ多くの国を通るよう求めたのは中国自身だった。しかもラサをも通過するという。
これが政治的でないとでもいうのだろうか。
北京五輪への反対やボイコットを主張しているのではない。

中国をより人間的な価値を重んじる世界に仲間入りさせるため、このイベントが役立つと期待すべきだ。
ボイコットは偽善的だ。我々は毎日中国とお付き合いしている。銀行は現地に支店があるし、中国の貨物船が我々には必要だ。中国の投資が英国産業の支えにもなっている。グローバル経済のもと、中国の活力を無視する事は不可能で、愚かである。
ただ、中国の自慢げな演出にお付き合いする必要はない。特にチベットで不正義がはびこっている今は。
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外国のメディアの論調って、やはり日本のマスコミの言い方と違うなあと思った。

日本国内の意見や世論だけでなく、いろいろな出来事、事件に対する世界各国の見方について、もっともっと知ろうとしなければ、と思った。

(もちろん全部がそうではないけど)自分の意見として、シンプルに明確に言うし、その背景にはジャーナリスティックな物の見方やクールでシニカルな視点、エスプリ、リテラシーなどがあるように思える。

ginzaさんチベット問題とオリンピックについて。という記事でこのように書いている。
一部引用させてもらいます。
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「聖火リレー」を襲うチベット問題に抗議する人たち。

そういえば、「風の谷のナウシカ」で、トルメキア人の行き過ぎた行為に、長老たちが呟くシーンがある。

水と風は100年かけて森を作る。
多すぎる火は、何も生まない。

映画の中では、「ナウシカ」がその命を賭して仲裁役に入るのだが?
今回の場合、その役割を担う何か(国?)が必要なのだけれど…。
そして…「水と風」の役目を果たすのはどこ(誰)なのだろう?

そろそろなんとかしないと…。

北京オリンピックを純粋に楽しめるようにして欲しい。残された時間はあと100日あまり…。
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そして、

チベット問題聞く耳なし、中国外相激しい批判に終始(読売新聞) - goo ニュース

今朝の新聞を見ても、一方的にKYな発言を繰り返したようです。
チベット問題は中国の内政問題だから、他の国は干渉すべきでない。
  他人のことにつべこべ口出しするんじゃねえよ。
チベット独立勢力がリレーを妨害している。聖火に込められた五輪精神の理念は誰も阻止できない。
  オリンピックの精神は崇高なんだから、邪魔すんじゃねえよ。
世界の3分の2以上の国々は、中国政府のやり方を支持している。
  ほとんどが味方なんだからさ。ほんの一部のけしからん輩がいちゃもんつけてるだけだぜ。
食の安全は大切な事なので、今後も協力して真相究明をしていく。
  捜査には協力してるって言ってるじゃん。進展しないのはこっちのせいだけじゃねえよ。

ほんと、力も影響力もあるやつで、こういう人の言う事聞かないやつ、独善的なやつが一人でもクラスにいると、ほんと、面倒なんですね。

「おまえさあ、そういうのって、よくないんじゃないの?」
「なんでだよ、俺は別に変なことしてないじゃん。」
「いやあ、いろいろ困ってるやつがいるよ。迷惑だって声もいっぱいあるし、これじゃクラスのまとまりがなくなってて、今度の運動会も楽しくできないよ。」
「馬鹿言うんじゃないよ、俺はちゃんとクラスのために協力してるし、俺の個人的なことでああだこうだ言ってるやつがいるのは知ってるけど、そんなの関係ねえ、よ。」
「もうお前とはつきあえないよ。そんな独りよがりなことばっかり言ってると、誰も相手にしてくれないよ。」
「俺に冷たくするつもりかよ。俺がクラスから出ていったらお前たち困るんじゃないの?」

こういう独善的なクラスメートに対しては、クラス全体としてどう対処するのか

信頼しあえるようなクラスにするために、これからどうクラス運営をしていくのか

そして、運動会は無事に開催できるのか
コメント (8)
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匠の技

2008年04月19日 13時55分46秒 | 将棋
ssayさんの記事、《感覚》、そして、《プロ棋士という職人》
(紹介させていただいちゃいますよ。

この中で例として書かれているのが、

何十年の経験の中で培ってきた自らの感覚にだけ頼り、旋盤の機械を操作して削って作った砲丸。

金属の表面を手で触りながら、1/1000μのレベルまでもの滑らかさを出すように研磨する技術。

コンピューターや機械では決して追いつかない、まさに、人間だけが到達し得る境地。

そして、渡辺竜王対ホザンナの一戦を引き合いに出しながら、プロの将棋の世界も全く同様、と書かれている。

そして、

人間の持ち得る「感覚」の世界というのは素晴らしいものであり、人間って凄い存在なんだなあと思う。

と結んでいる。

IT社会になり、すべてが人間でなくてもできるようになり、いや、人間以上にできるようになり、人間はややもすると、不必要なものになりつつある。

いまや、いろんな知識を知っている、いわゆる物知りとか、歩く辞典と呼ばれるようなことは、意味がない。価値がない。偉くない。

そこは、しっかりITが代替してくれる。

では、ITにできなくて、人間じゃないとだめなことは何なのか。

人間がきちんと主体的に生きていくためには、
自分の中にITに取って代わられないものを整備する必要がある。

人間というものの本質。極めつけ。人間ならでは。これぞ人間。

言わば、匠の技、心ですね。

人間とは何か、が問われています。

前にも 「パーソナリティ力と将棋」という記事を書きましたが、田坂広志さんが言ってます。
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「専門的な知識」ではなく「職業的な知恵」。
それはスキルやセンス、ノウハウやテクニック、さらにはマインドやスピリットといった「言葉で語れない知恵」だ。
別の言葉で表現するならば、例えば、「分析力」「直感力」「発想力」「企画力」「交渉力」「営業力」といった「何々力」と呼ばれる能力や知恵のことである。

「知的プロフェッショナル」と呼ばれる人材。その特徴は第1に「自立」、もう1つが「個性」だ。そして「豊かな経験」よりも「深い体験」が価値をもつようになる。
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将棋の話で言うと、《今朝の読売新聞》という以前の記事で紹介した羽生二冠の言葉。

『いつソフトが人間に勝つかはわからない。
しかし、私は勝負をつけるために将棋をしているのではない。
結果だけならじゃんけんで済む。
勝負の過程でいかに創造性を発揮し、自分を表現できるかを目指したい。』

そして、《混沌を楽しむ》という記事にも書いたけど、

「さらに人間の知力というものを突き詰めていくと、『混沌』、ということに突き当たるし、その混沌というものといかに付き合うのか、いかにマネージしようとしたり、受け入れたり、愛したりするのか、なんだろうと思います。」

定石とか、過去の棋譜とか、今までの研究とか、そういうことでは応用が効かない、未知の局面。
そこでどのように力や知恵を発揮するのか、どろどろした中から掴み取る、捻り出す、苦しみぬいた末の人間の叡智。

そういうこと自体を楽しいと思える気持ち。

仕事における匠。生活における匠。コミュニケーションにおける匠。

人生における匠。

いやあ、先は長いです。
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