即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

良いお年を!

2012年12月31日 17時17分21秒 | 日記とニュース
さて、またまたご無沙汰してしまいました。

ずっといろいろ予定があって、(いつも同じような時期だけど)28日からやっと始めた年賀状。
精力的にかなりのペースでやって昨日には完了。
元旦には着かないかもしれないけど近年のペースにしては早い方。
なんたって昨年は紅白見ながらコメント書いて、最後出せたのは元旦という史上最遅記録更新の体たらくだったから。

それにしても年賀状に、『ご無沙汰してますがお変わりないでしょうか?』とどれだけ書いたことだろうか。
連絡=沙汰をしてないのでご無沙汰。
最近はずっと会ってはないけどfacebookなどのソーシャルメディアでつながってる人も結構いる。
この歳になって、沙汰をしたい人、ご無沙汰のままの人、沙汰もせず切れてしまった人、などなどいろいろいる。

与えられた時間は限られてるので、そのキャパの中でどれだけ有意義な人間関係を再構築していけるのだろうか。
歳とともに見直しを図っていくのか、同じような関係をずっとこのまま続けていくのか、ケセラセラで行くのか。
自分の判断基準も変わっているし周りの人だって変化している。
どちらにしてもどんな人たちが周りにいてくれるのかってことは幸せの大きなスタンダードだと思うので、年賀状を書きながらいつもそんなことを考えてしまう。

さて、もう故郷に帰ってゆっくりされてる方も多いですね。
帰省するという規制は生まれてこの方ないので、家に寄生して奇声上げたりして気勢を上げるしかない年末年始です。

昨日は一日掃除、片づけに終始。
本や書類、自分の机周りだけで大変だったし、すごいゴミが出た。
家の掃除はこれから。あー、どうみても終わりそうもないので優先順位でやるっきゃない。
もう新年まで数時間を切った。
もっとちょこちょこ片づけるとか、月に(週に?)一度は片づけの日にするとかしないとだめだな、と去年の今頃反省したことをまた思い出す。

去年の今日はどんなことを書いたのか覚えてないので見てみる。

忘却とは忘れ去ることなり

《忘却があるから、我々は、過去を忘れ、未来に向って、生きていける。》

決断したこと、大事なこと、心からそう思ったことも簡単にコロッと忘れてしまう。
すごく便利なこともあるけど、だらしないなあ、オレ、ってことも数々ある。

さて、皆様、今年は思うように更新できなかったにも関わらず、いつも遊びに来ていただきましてありがとうございました。
長年に渡りおつきあいいただいてる方もいらっしゃると思いますが、本当に感謝しています。

来年も、より元気に楽しく明るく気ままに思うことを書いて行きたいと思ってます。
そして、このブログを通して自分らしい音沙汰を発信し、より実りある年にできればと思っています。

では皆様、良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願いします。
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あまりにも大きすぎる存在感

2012年12月19日 10時47分36秒 | 将棋
訃報 米長邦雄永世棋聖

棋界だけでなく大きな波紋が広がってます。
ブログでもtwitterでもいろいろな方々がそれぞれの思い出や悲しみを語ってます。

今年の5月の郷田新棋王就位式
いつものような軽妙でユーモアたっぷりの挨拶だったのだけど、明らかに声の力がいつもより弱弱しかったのです。これはもしかして体調悪いのかな、と感じたのを覚えています。

会長になられてからは名人戦のこと、女流棋士独立問題のこと、その他このブログでも批判的なことも含めたくさん取り上げてきましたが、多くの方が指摘しているように、将棋の普及や将棋の価値を高めるために全力で取り組み数々の功績を残されました。

昔から大好きな棋士でした。
いつも大事なところで中原さんに負かされて悔しい思いをしていました。
初めてやっと49歳で念願の名人位を奪取した時は飛び上がらんばかりにうれしかったです。

運を育てる―肝心なのは負けたあと (ノン・ポシェット)
クリエーター情報なし
祥伝社


『運を育てる』を始め、本もほとんど読んでいて大きな影響を受けました。

下記二つの言葉はつとに有名です。

米長哲学、あるいは米長理論と呼ばれるこの言葉。

【自分には消化試合であっても、相手にとっては一生を左右するほどの大勝負には全力投球すること。それができない者は、この世界では見放される。】

米長理論は世界標準に

そしてもうひとつはこれ。

【勝負の女神が微笑むのは、謙虚さと笑顔。】

運を育てる無意識の怖さ組織のしなやかさ

どちらも僕にとっては座右の銘のような重く大切な言葉になってます。

交流も広く、数々の話題を提供し、好きな将棋のために情熱を注いだ。
巧みな話術で人をひきつけ、場を明るく華やかにするあの存在感はなかなか真似できるものではありません。
棋界にとって、そして我々将棋ファンにとって忘れられない、かけがえのない偉大な存在なのだと思います。

今頃、悲しがっている皆に向かってあのイタヅラ好きでいかにもご満悦な笑顔で、誰もが予想しなかったような奇抜な挨拶をしているのではないでしょうか。

「米長邦雄の家 まじめな私」でも最後の時のことを書かれてます。
「人生すべて感謝である」と言ってますが、一方で、葬式に来てもらいたくないという人間がいて、などと、いかにも米長さんらしい言葉を残してます。

まだまだやり残したことがいっぱいあって悔しかったとも思いますが、いかにも米長さんらしい人生だったのではと勝手に思っています。

将棋を好きにならせていただき、本当にありがとうございました。

謹んでご冥福をお祈りします。
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負の発信

2012年12月15日 17時09分10秒 | 雑感
最近、ブログはサボり気味なのだけど、facebookやtwitterで短いけどボチボチいろいろ発信している。

その中でよく感じること。こういう人↓結構多い。

ちょっとのことでも結構頭に来たりイラついたりしてる人。

いつも疲れたとか眠いとか体調悪いとか風邪ひいたとか言ってる人。

しょっちゅうガッカリしたり落ち込んだり自信なさそうにしている人。

仕事などでいっぱいいっぱいになってて、頑張る、負けない、などと自分を励ましまくってる人。

僕も毎日いろんなことがあり、喜怒哀楽、いろんな感情が渦巻いている。

でも、そういう感情をソーシャルメディアで発信するかと言えば、ネガティブ系のことは極力しないようにしている。
たまにはついついそういうのもあったかもしれないけど、すごく気を付けている。

facebookでもtwitterでも、気軽にスマホから投稿できるので、愚痴だろうが、ボヤキだろうが、すぐにできてしまうし一応その場はすっきりする効果もある。
しかし、酔っぱらっていても、3行くらいの投稿だとしても、結構最大限の注意を払って見直すようにはしてる。
最後に投稿ボタンを押す時はちょっとだけどドキドキする。
投降しちゃいたいくらいの張りつめた気持ちになる。
もちろんそれでも誤字脱字も含め、わかりにくかったり、つまらない投稿をしてしまっているのはわかっている。

うん、これはそういう人がどうこうということでなく、自分自身の考え方であり大げさに言えば信念のようなもの。

以前、ポジティブ DE GO!という記事を書きました。

その中で、川島さんポジティブな言葉で。という記事を取り上げています。

その中でこう言うフレーズがあります。
---------------------------------------------
> 普段出会う方がよく発する言葉、いわゆる口癖。
> 結構その方の人間性を表している様な気がします。
> 「忙しい」とか、「疲れた」
> など、ネガティブな表現をよく口にする人は、
> 何かしらマイナスな要因を引き寄せてしまう
> 傾向があるような気がします。」
------------------------------------------------
まわりに気軽にいつも言ってると、その人の周りに知らないうちにそういう空気が流れ、そういう風が吹いてることになるんですよね。

なのでいろいろ大変なことあったにしても、できる限りじっとこらえて言わない。
もし言うにしても、言い方をできるだけ前向きに明るいトーンの言葉づかいにする。

もちろんそれをこらえることでストレスが溜まってしまっては元も子もないのだけれど、できる限り自分の周りにはそういう負の風が吹かないようにする。
いや、それよりもいつも元気で明るく大きな声で笑って、さわやかな風に包まれていたいと思う。

まあ、仕方ないよ。
終わっちゃったことだし。
きちんと総括して反省することはして、次回うまくやればいいさ。
失敗しないと成長がないし。
失敗したからこそこれだけのことが経験できたわけだし。
浜口隆則さんも失敗は協力者って言ってるし。
そう考えたらよかったじゃん。
ラッキー、ラッキー、お天道様はよく見ててくれてその部分を成長させてくれようとしたのでこういうことになったんだから。
うん、ほんとによかった。
さ、元気出して、肩の力抜いて、酒飲みに行こ。
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線路内人立ち入りと師走

2012年12月09日 11時29分02秒 | 「線路内人立ち入り」研究
すっかり間が空いてしまいました。
気が付くと12月です。
お歳暮、忘年会、クリスマス、年賀状、年末進行、とあまりのあわただしさに心が千々に乱れます。
あれやってない、これやらなきゃ、忘れそうなことのチェック、どうしても焦ります。
まるで宿題をやってないままあと数日で2学期が始まるような心境になります。

死ぬまでに一度でいいから、こういう心境にならない余裕の師走を迎えてみたいものです。
こうなるのは想定済みなわけだから、10月くらいから何事もしっかり早め早めに手を打っていけば解決できるはず。
しかし、なかなかそうできないのがなまけものの性。
試験はいつも一夜漬け。

そこに持ってきてクラブワールドカップ、グランプリファイナル、今年はなんと選挙までがこの忙しい時期に入り込んできた。
そして将棋。
竜王戦は第五局で渡辺竜王の強さばかりが目立って終了、そして王将戦総当たりリーグ戦は渡辺竜王が全勝で挑戦者に。棋王戦の展開も含め、順位戦を全勝でひた走る羽生三冠を渡辺竜王のマッチレースのような展開になりつつある。

話は変わるけど、都会では相も変わらず線路内に人が立ち入っているようだ。
今週も全然更新してないというのにすごいアクセスが殺到している。
特にこの記事。
「線路に人が立ち入った・痴漢・隠語」でアクセス急増
まだまだネット上で、線路内人立ち入りというのは痴漢のことだ、JRの隠語だって噂が轟いているのだろう。

また地震もあったし、残忍な事件は多いし、トンネルは落ちるし、暗いこと不安なことが多い。
財政は破たんしてるし、外交はうまくいってないし、復興は進んでないし、放射線の恐怖は消えないし、明るい光は見えにくい。

そんな現代を象徴するかのような線路内人立ち入りの流行。
電車が遅れてイライラし、またかよお、なんだよー、どんな奴が立ち入ったんだよー、何のために線路内なんかに入るんだよー、迷惑な奴だよなあ、この前もあったぞ、どうしてそんな頻繁に起こるんだよ、腑に落ちないなあ、納得いかないなあー、おかしいんじゃないのか、そんなしょっちゅう線路内に人が立ち入るなんてこと考えられんぞ、これはなんかの隠語なんじゃないのか、電車遅れた言い訳に使ってるんじゃないのか、と都会の不安定な心理状態の人々はこのような思考をたどる。

このところ研究活動はさぼっているのだけど、線路内人立ち入りという都会の病相は、現代の社会心理を紐解く重要なファクターであることは間違いない。
線路内人立ち入りの謎を究明していくことは、日本の明るい未来を作っていく重要なキーになるはずだと信じて疑わないのである。
コメント (2)
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