即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

テレビ番組は離乳食

2013年01月26日 23時47分23秒 | メディア
今までに日本のテレビ番組のクオリティや制作の姿勢についてどんだけ苦言を呈してきたことだろうか。
メディアの先見性、独自性
劣化スパイラル
テレビへの期待 
責任を取る・その2
自分のことは棚に上げて
テレビの存在意義
マスコミの横暴
テレビ局の相互浸透
納豆問題
番組の価値
バレーボール中継のこと
スポーツ実況中継の今後
番組制作現場の本音
一番悪いのは
根本的な体質
番組を楽しむ

そんなにダメだと思うのなら、見なきゃいいじゃん、と言われてしまうと元も子もない。
しかし、番組の視聴者満足度は年々低下してるのは間違いない事実。
視聴率は低下し、新聞だけでなく、テレビ離れも起こっている、
生活や嗜好の多様化もあり、お茶の間で一家団欒でドリフを見てた時代は遠い昔の事だし、BSもCSも含め多チャンネル時代になったわけで、一概に自分の好みと違うからといっていちいちケチつけてるのもバカバカしい気もする。
しかし、政治家と同じで、地上波の番組の作り手側の意識はどうも昔と全く変わってないように思うし、彼らの危機感が全くないことにあきれ返る日々がずっと続いている。

そんなことをしっかり印象的に書いているブログを見つけたので紹介します。
杏野はるなオフィシャルブログといういわゆるアイドルタレントのブログです。
『ダイオウイカ×日本の地上波×レベル』とその続編たくさんのご意見ありがとうございました×地上波のレベルを例えると?

一部引用させてもらいます。
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例えば、動物番組の世界最高峰は確実に、ナショナルジオグラフィック、アニマルプラネットですが、日本の動物番組はタレントが出てきてキャーキャー言っている。
こういう場合、本当にタレントってそこに必要? 動物を映したいの? タレントを映したいの? って思う。動物をフィルターにしてタレントを売りたい?
ナショナルジオグラフィックやディスカバリーチャンネルはタレントなんて出ない。いても進行役が一人。そしてその分、息を飲むくらい美しい映像とシンプルなナレーションのみ。
これで伝わる。十分に。

バラエティーはバラエティーでタレントがたくさん出てワイワイやれば楽しいと思う。私もめちゃイケさんとか大好き。ですが、日本はドキュメンタリーとバラエティの差がなさすぎる。

局もスポンサーも目先の視聴率でなく、もっと長い目での『作品』作りを考えて欲しい。
世界に誇れるコンテンツを。

そこにそのタレントが本当に必要?
そこにそのワイプが必要?
そのセット本当に必要?
--------------------------------------------(引用終わり)

ドキュメンタリーもスポーツも、いや、報道も政治も何もかもがバラエティ。
全面的ワイドショー化。

ドキュメンタリーだろうがスポーツだろうが、その本質的な醍醐味を追及してほしいわけだけど、本格的にやると視聴者がついてこられない、楽しめない、従って視聴率が取れない、ということでタレントを起用して、わかりやすく、親切さや親しみやすさを追いかけてしまっている。
難しくて楽しめないと勝手に思い込んで人を甘く見てバカにしてるその姿勢。

さらに杏野はるなさんはこう続けました。
(ここから再び引用↓)
----------------------------------------------------
そして私が思ったのは、
今の地上波テレビって何かに似ているな? って。ピンと頭に出てきたのは

「離乳食」でした。

そう、赤ちゃんが食べる食事です。
もちろん赤ちゃん用に限界まで食べやすくしています。

でも、それは赤ちゃん用の食べ物で、大人が食べるものではありません(食べても構いませんが)
つまり、今の日本のテレビは、これでもか! っていうくらい視聴者に親切なのです。
もうわかったよ、というものもわざわざ物撮りしてテロップ、ナレーションまで入れる。コマーシャル開けに、また数分戻ったような内容をくり返す。実に、赤ちゃん仕様なのです。

離乳食と言うのは言い換えれば、乳離れさせる為の食品です。
いつまでも柔らかいものを食べていては成長が遅れてしまう。
テレビにも同じとが言えます。いつまでもこんなに甘い子供向けの内容ばかりやっていては視聴者のレベルも上がりません。
-----------------------------------------(引用終わり)
僕らのことを勝手に赤ちゃんだと思ってる。決めつけている。
赤ちゃん言葉を使って必要以上の赤ちゃんグッズを駆使しておもねってあやしてばかりいる怪しい奴ら。

ドキュメンタリーだろうが、スポーツだろうが、報道番組だろうが、タレントがはしゃぎまくって賑やかなバラエティー風に伝える。
大きなテロップ入れたり、何度も同じシーンを繰り返したり、スタジオの歓声を入れたり、というお約束の辟易するような赤ちゃん向け演出。
それがテレビの正義であり、視聴率も取れる最善手だと信じ込んでいる。
もちろんどんな番組であれ、飽きさせないよう、よりわかりやすいように、構成とか演出とか考える必要はあると思うけど、何でもかんでも同じ仕様に仕立てあげてしまう●●の一つ覚えのような手法はいい加減やめたらいいと思う。
赤ちゃんが見る番組もあっていいけど、高校生とか、サラリーマンとか、大人のいろんな人が見て、いい番組だと思える色とりどりのコンテンツを提供できないのだろうか。
万人に見てほしいとは思わず、きっちりしっかり割り切って、こういう人だけに見てほしいと、際立ったターゲットを見据えて番組を作ってほしいと思う。
すべての食べ物の味を甘くして食べやすく、というのでなく、食べ物によって、相手によって、スパイスが効いてたり、こくがあったり、フルーティーだったりと、料理のバリエーションも含めプロの味わいを提供してほしいと心から期待してやみません。

はるなさんが指摘しているように、欧米と比べて日本人がいつまでの精神的自立ができないでいる一因もここにあるような気もするし、テレビを含めたマスメディアこそが今までの流れから乳離れして、この国を責任もって引っ張っていく自覚や気概を持ってほしいと願っています。
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昭和の残像

2013年01月20日 18時38分57秒 | 
甘いマスクとたゆまぬ努力…外国人力士席巻にも苦言 昭和のヒーロー逝く


「巨人、大鵬、玉子焼き」の時代、懐かしいです。
この写真、千秋楽でライバル柏戸との横綱全勝対決で大鵬が勝って13回目の優勝をした時のもの。
折しも1964年3月とのこと。

あの頃の記憶はいろいろあります。
野球で言えば新入団の長嶋が金田に4三振とか、天覧試合のサヨナラホームランとか。
巨人の無敵のV9とか大鵬の6場所連続優勝とか、やたら強かったことを覚えてます。

野球も相撲もすごく好きで観戦にも行ったけど、僕はそれ以上に父親の影響でプロレスが大好きでした。
ルーテーズ、フレッドブラッシーやデストロイヤー、カーペンティアとかサンマルティノ、コワルスキーなどあの頃興奮したレスラーはいくらでも名前が出てきます。
月刊誌《プロレス&ボクシング》や毎夕の東スポは中学生と言えども欠かしませんでした。

さて、一気に話は変わって、昨日、仕事の集まりがあって湯河原に行きました。
箱根や熱海はよく行くけど、湯河原というのは多分数十年ぶりで訪れたのだと思います。

湯河原と言えば僕の中では子供の頃に家族とよく行った記憶。
父親が好きだった「花長園」という旅館に、一年に何度も、時には親戚も一緒に出掛けた思い出があります。

湯河原と言えば「花長園」。
そして楽しかった家族旅行。
温泉プールがあって泳ぐのが楽しみだったし、卓球も皆でやった。

子供の頃の家族との思い出の中で、この湯河原の「花長園」に出かけた記憶は際立っている。

そんなことを思いながら久々に訪れた湯河原の街。
あー、こんなだったかな、とかすかに覚えているような気もするけど、もう何十年も経ってるのだからどこまでその記憶が確かなのかもわからない。

仕事関係者と別れてから一人で街をぶらつく。

土曜日なのに車もそれほど通らず、人もほとんど歩いてない。

古い町並みや商店が続く。
どの温泉もそうなのだろうけど、栄華を極めた温泉街の面影はない。
どれだけの人が毎晩泊りに来てるんだろうか。

そして、せっかく来たのだから、あの家族で何度も来た旅館は今どうなってるか確かめたくなった。
スマホで検索して花長園に向かって歩く。
街のどの辺にあるかという記憶は全くない。
確かに子供の頃の僕は父が運転する車に乗せられて来ていただけだから当たり前だ。

2、30分ほどブラブラ歩いて、やっと看板を見つけた。

これを見た途端に記憶の回路がつながったように思えた。
この坂だ。
この坂を登って行ったんだ、という記憶がなんとなくある。

そして坂を登っていくとこんなたたずまいの玄関が。
駐車場とこの玄関の感じ。
なんとなく、見たことがあるような気がする。
どこかで覚えているこのイメージ。
僕の記憶の中に何十年も埋もれていた“花長園”だ。
家族と本当に何度も訪れた、あの“花長園”だ。

ちょっとドキドキしつつ、せっかくなので中に入ってみる。
こんなフロントだ。

車を降りて、チョロチョロ走りながら玄関に入ってくる子供の頃の自分がそこにいる。
弟や妹も笑顔ではしゃいでいる。
父や母も家族との旅行を心から楽しんでいる。


そこには昔の幸せな家族のセピア色の残像がある。
いや、セピアでなく、完璧にモノクロームの世界か。

戦後のゴタゴタを乗り切って、少しずつ自力で生活の基盤を作り上げてきた昭和の家族のワンシーン。
希望が持てるようになり、生活を楽しむ余裕がやっと芽生えていたのだろう。

思い切ってフロントにいた人にいろいろ訊ねてみる。

『あの頃よりも時代が時代なので今は12室でこじんまりやってます。
温泉プールはもうとっくにないですけど、昔は上にあったんですよ。
お風呂はかなり新しくしましたけど、玄関や駐車場のあたりはほとんど変わってないですねえ。』

あの頃の主人はもちろん覚えてないのだけど、多分息子さんなのだろうか。

旅館の中もちょっと見せてもらったけど、ほとんど覚えてない。
どこまでどう変わったのかわからないし、断片的な記憶も曖昧だ。

プールや卓球で遊んでるシーンは思い出せるのだけど、部屋で一家団欒で食事してるところは思い出せない。
あの頃の記憶を蘇らせてつなぎ合わせようとするけどうまくいかない。

すぐに写メを弟や妹に送る。
妹が母親にも見せてくれたようだ。
皆、懐かしがっていた。

昭和の、あの頃のモノクロームの映像。
あの頃があったから今の僕がいる。
家族にも感謝だし、そんな家族の思い出を作ってくれた花長園にも心からお礼を言いたいと思います。

最後に、あの頃のモノクロの僕です。
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夜明けの事件簿

2013年01月13日 09時53分35秒 | 湯たんぽ
ずいぶん前だけど、《湯たんぽ》《湯たんぽ談義》という記事を書き、湯たんぽ研究のカテゴリーまで作って、湯たんぽへの愛着や探究心について語ってきました。

湯たんぽ、最高です。
冬場は湯たんぽがなくては一晩たりとも過ごせない体になってます。
あの自然のぬくもり。
単にカラダが温まってよく寝られる、というだけでなく、手当という言葉が本来持つ【手のひらや指先を患部などに当てるだけで身体の不調を治そうとする方法。】にも通じるものがあります。
布団にカラダを滑り込ませたとき、足元に湯たんぽがあることの安心感。
そして布団の中全体がいい具合に温まっていることの幸せ。
足の部分があったまったらぐいとひきよせておなかにあてたり抱きしめたりする。
たまらなく愛おしくて母親の愛情に包まれているかのような倒錯した世界が広がる。
そんな充足感に満ちてこれから朝まで過ごせることにどんだけ感謝したらいいのか。
生きててよかった。極楽極楽。
すべての満ち足りた思いに包まれつつ本を読み始めるものの、5分と持ったためしはない。
朝までずっとぽかぽかの中でぐっすり寝て、起きたらそのお湯で顔を洗う。
湯たんぽのある暮らし。

湯たんぽへの愛情が高じてそのうち湯たんぽ屋でもやろうかと思ってる。
世界各国のものもあるしネット通販でもしようかと。

この幸せを世界中の人たちに分けてあげたい。
このすぐれた日本文化を世界中に伝えて湯たんぽが作る世界平和につなげていきたい。

ただひとつ、湯たんぽのリスクは低温やけど。
僕も昔の傷がまだあるし、これだけはほんと注意してくださいね。


寒くなってからの日課。
お湯を沸かしこんな湯タンポを二つ作ってあらかじめ布団の中に入れておくのが、この時期の毎晩寝る前の僕の仕事です。

昨日の朝、まだ明け方にその事件は起こった。

うちの奥さんが布団の中でぎゃーと叫ぶ。

眠い目をこすって起きてみると、布団の中がじんわり濡れてる。

おもらしか?

いや、湯たんぽ漏えい事件だ。

前の晩いつものようにお湯を沸かして僕が作成した奥さんの湯たんぽの栓がゆるんでお湯が漏れていたのだった。

『ちゃんと栓してないからこんなことになるんでしょ!

パジャマも布団もびしょびしょじゃないの、どうしてくれるの?

大体酔っぱらっていい加減にやるからこういうことになるんじゃない、もう!』

と、ずっと責められ続け、敷布団も掛布団も運んで干すはめに。
明け方だったし火傷しなかったからまだいいようなものの朝っぱらから寝てられない状況になり、戦々恐々。
一日中機嫌の悪いこと。

低温火傷もそうだけど、湯たんぽの栓はしっかり締めるように。
そして家庭内火傷にも皆様ご注意のほど。
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競争の結末

2013年01月11日 13時24分58秒 | 雑感
昨年11月に放送されたカンブリア宮殿でのレストランひらまつ、平松社長のとても心に残る言葉がありました。

「他人と競争するな、自分の力を100%出せ!」

「絶対人と競争をするな。自分が3の力しかなかったら3だけやればいい。10の力があったら10やれと。3の方が10と一緒にやったときにうらやむなと。自分の力を常に100%出してれば「1」なんだよって。3分の3は「1」、10分の10も「1」。自分を一生懸命生きている人間はみんな一緒。これ平等なの。それを、100やったやつが偉いとか金持ちが偉いとか、そんなことでは全然ないの。自分が一生懸命生きている人間は全て尊重しなくてはいけない」


今の競争競争の世界。
どんどん激化して弱肉強食がスタンダードになっている時代。
そして格差社会。

人間の話とビジネスの話は違うかもしれないけど、競争至上主義の結果、我々は幸せになったのだろうか?

もちろん競争があるからこそのメリット、社会的な意義があるのもよくわかるし一概に否定するものでもない。

しかし、人が少しでも幸せになろうとして他者を蹴落とす。
企業が少しでも多く利益を上げようとして他社に打ち勝つ。
他者(他社)と比較して、対競合戦略を立てる。
モラルや誠意や思いやりやリスペクトを持ってやってるうちはいいのだけど、そのうちに余裕がなくなってくる。
目先のことでいっぱいいっぱいになる。
そのうち良心も何もなくなる。明日を生き延びることが正義になる。
法や規律すれすれのところで、ずる賢くなる、姑息になる。
パクる、抜け駆けする、騙す。
自分勝手な反社会的な存在が増殖する。

そして、敗者が生まれる。
弱者が目立つようになる。

犯罪が増える。
セーフティネットが厚くなり生活保護も増える。
公的資金が投入される。
結局税金が増える。

自分だけが幸せになろうとしても結局はつけが回ってくるということ。

話は元に戻って、
日々、嘘をつかず、謙虚に明るく愚直に自分の力を全力で出し切ろうとする毎日を送ること。
これも今年の目標のひとつにしようと決めた。
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将棋界にも幸多からんことを

2013年01月08日 11時39分57秒 | 将棋
年末にはショックなことがありました。
あまりにも大きすぎる存在感でも書きましたが、大好きだった棋士でもありまた大きな影響を与えてくれた人でもありました。
別に面識があるわけでもないのですが、告別式に参列させてもらいました。

実は、大山十五世名人の葬儀の時も自分にとって大きな出来事だったので参列させてもらった思い出があります。

さて、米長永世棋聖は、有名な米長哲学『自分にとっては消化試合でも、相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で負かす。』だけでなく、その他にも素晴らしい名言至言を残しました。

[勝者の条件は変えるべきもの、変えてはならないものを区別すること]
【人として、サラリーマンとして、経営者として、変えるべきもの、これだけは変えてはならない普遍的なもの。その区別がつくかが、勝者としての条件なのです。】
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[いまの自分に安心してしまうことは、腐って死んでしまうこと]
【思い切って若者のところへ飛び込み、彼らの若さを学び取る。このときに経験が邪魔をするなんていっていたらダメです。若者の最大の特徴は、不安なのですから。大人は不安要素を回避するあまり、若者をバカにしがちですが、宮本武蔵の『五輪書』を見ても「居つくことは死ぬことなり」とちゃんと書いてあります。いまの自分に安心して居ついてしまうことは、腐って死んでしまうことなのだから、それが嫌なら変化するしかありません。】
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[失敗したときに冷静さを取り戻せるかが運命の分かれ道]
【人間だから一度の過ちは仕方がないことです。一回の悪手に動揺しても、そこで辛抱して冷静さを取り戻せるかどうかがその人の運命を左右します。】
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[時代が変わったら、新しいことを取り入れて変化する必要がある]
【時代は移り変わります。PCを駆使する新人と、鉛筆なめなめ原稿書いてきた古参の記者ではスピード感がまるで違います。そこは新しいことを取り入れて変化しなくてはなりません。】
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[人間は変化できなくなったらもう終わり]
【私が50歳を間近にして、名人位を獲得できたのは、40歳というすでに若くない段階から変化を試みたことへの神様からのご褒美だったと思っています。人間は変化できなくなったらもう終わりです。私自身、変化できなくなったら引退しようと心に決めており、また実際にそうしてきました。】
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[謙虚な気持ちと情熱を持って、若者に教えを請う]
【「若者に教えを請う」と言っても、世の中ギブ&テイクですから、ただ飛び込むだけでは無理があります。若者だって尊大な年寄りが自分たちの中に割って入ってきたのでは嫌がるばかりです。「一緒に研究をする」という謙虚な気持ちと情熱がなければ、若者は去っていきます。これは男と女だって同じことです。尊大な男は嫌がられますが、謙虚さがあって、なおかつ堂々としている男は大いにモテるのです(笑)。】
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[自分が時代遅れになっていないか冷静に分析することが必要]
【これまで勝利してきた得意な手が、どうにも通用しなくなる。要するに時代遅れになっているわけです。どんどん出てくる若手の棋士はピストルの弾丸のようなものです。そこで自分のやり方に固執する、かつての勝者の末路は哀れです。頭でわかっていても行動できない。自分の思い込みや心理状況を冷静に分析することが必要です。】
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[経験や知識はカビる腐る]
【人は日々成長します。10歳のときよりは20歳のときの方が、知識も経験もはるかに増えています。ところが、人生も40年、50年生きていると、あるときふっとその知識や経験にカビが生えていることに気づくわけです。老化とともに体力や思考力が衰えてくるのは致し方ないとしても、本来衰えないはずの経験や知識までもが腐っていることに気づく。それが40歳ごろの私でした。それも悔しいことに、一番腐っているのは自分の十八番の戦法だったりするわけです。】
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[変われなくなったら引退する]
【変える必要もないし、変えられない、あるいは変えるのが億劫だということになったら、そのときは僕が引退するときだ。変えられる間はまだ頑張れる。《覚書き|羽生善治氏に言った言葉》】
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[消化試合でも全力でやれ]
【将棋界には八百長はない。これは日本将棋連盟会長の私が断言する。米長哲学が浸透しているからである。「自分には消化試合であっても、相手にとっては一生を左右するほどの大勝負には全力投球すること。それができない者は、この世界では見放される」。この教えは、小中学生の頃にプロ志望している子どもたちにも、骨の髄まで浸透しきっている。】
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[大相撲八百長事件に対するコメント]
【棋士は、将棋に命を懸けているのである。盤上には神が宿っている。土俵とて同じであろう。勝ちと負けの二つだけを一対一で争うから潔く、神事なのである。その意味で、八百長などは神を冒涜(ぼうとく)する最たる行為だと知るべきだ。7勝7敗の相手と千秋楽で当たったら「必ず勝つ」という信念を、力士たちに徹底してたたき込むことが、一番大切だと信じている。≪覚書き|2011年、大相撲八百長事件に対するコメント≫】
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[遊びは必要不可欠]
【真剣な時間があれば、その反動として遊び呆けるときが必要である。遊びは仕事の影である。】
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米長永世棋聖は将棋連盟の会長としてもいろいろな批判はあったものの、類まれな発想力、行動力で数々の功績を残してきました。
良くも悪くもほぼワンマン体制で進めてきた改革や普及は、これからどうなっていくのだろうか。
あまりにもその存在が大きかったことで、連盟の今後の運営力が停滞してしまわないか、気になるところです。

将棋界に一家言あるお二人は下記のようにブログに書かれています。

英さんの記事、米長邦雄永世棋聖、逝去
《会長としての米長邦雄氏。
 景気の後退、出版業界の退潮傾向の難局に、道義的なことはともかく名人戦契約で勝負手を放ち、公益社団法人化、新棋戦発足やネット展開も切り開くなど、手腕を発揮した。多少、舵を切り過ぎたところ(女流棋士問題等)もあるが、氏の残した功績は大きい。
 各界との人脈も発言力もある米長氏の死去は、将棋界にとって影が差す出来事かもしれない。幸いなことに舵を切っている最中ではなく、舵をほぼ切り終えた段階であったことだ。今後、航路を安定させながら乗り切ってほしい。》

ssayさんの記事、米長邦雄永世棋聖のご冥福をお祈りします。
《上は総理大臣から日本のあらゆる組織の長に言えることだが、欠点のない人間、360°あらゆる角度から見て完璧な人間などいやしないのだから、リーダーの長所を最大限生かして、短所は下が補佐するということをしていかないと、いつまで経っても、リーダーの揚げ足取りに終始し、結局は何も成果をもたらさないということになってしまう。
日本はとかく、リーダーに完璧を求めすぎるし、リーダーの側も自らの欠点を素直に認識しないケースが多い。
話がそれてしまったが、米長会長も、いい面、悪い面と、全てを素直に出しすぎたような気がする。
そこがまた、米長さんらしいと言えば、らしいのだが。》

谷川浩司専務理事、新会長に

ずいぶん前から後継指名されていて、実質的には徐々に役割をシフトされて谷川九段が新会長になり、当面は敷かれたレールの上を実直に進むのだろうと思います。

12月28日(金)付読売新聞の編集手帳にもこう書かれていました。

【“谷川びいき”に傾くつもりでいる。
日本将棋連盟の新会長に谷川浩司さん(50)が就任した。
誰もがうなずく人事とはいえ、脂の乗り切った指し盛りの年齢で会長職に時間を取られるのは気の毒でもある。
とくに誰を応援するでもなく、新聞の将棋欄で各棋戦を楽しんできた。
これからはほんの気持ちばかり、“谷川びいき”に傾くつもりでいる。】

前任者が前任者だったこともあり、谷川新会長は現役A級棋士でもあるわけで、その負担は限りなく大きいに違いないです。

ということで不安なあまり連盟の今後の運営について勝手に思うこと、願うこと。

1.谷川新会長の負担を減らす新体制作り。

米長前会長、谷川新会長は、当然ながらその考え方、力量、性格など全くと言っていいほど違うわけなので、トップがすべてに采配を振るう強いリーダーシップの体制ではなく、今までとは全然違う組織にする必要があるのではと思う。
一人の強いリーダーが引っ張ってきた時代から、集団指導体制、全員経営参画体制の時代に。
今までよりももっと多くの棋士が参画し、さらに外部の力ももっと活用し、役割、責任を分担できるような組織体を作り、それぞれのセクションが他のセクションと連携しつつどんどんスピーディーに推進できるような体制。
とりわけ懸念されるのは発信力。
マスメディアに出ることも含め、twitterやHP、出版など、積極的に将棋のPRをし、羽生さんと二人三脚で将棋の広告塔になっていた前会長の伝える力。
この部分を誰が主体的にどうやっていくのか、いけるのか、ちょっと心配です。

2.基本は今までの路線を踏襲するものの、米長前会長の路線とは違う新たな指針を示すこと。

米長前会長の抜けた穴を皆で埋める、という発想でなく、今までとは別の新たな方向、目標を作るべきです。
6月の理事会でのことになるのでしょうけど、新体制がより一体になれるような新たな指針を示せたらと思います。
ここは理事会だけでなく、一般棋士や外部協力者も含めて将棋の理想的な未来予想図を作り上げること。今まで会長とはそりが合わなくて協力できなかった人もいると思いますし、若手の意見もどんどん吸い上げるべきだと思います。外部も含め広くいろいろな意見も聞き、関係者が自分事として斬新な意見を出し、言いだしっぺがやるくらいの自主性も含め、前会長が築いてくれた土台の上に家を建て、花を咲かせる努力を全員でしないと改革のスピードはダウンしていくのではと懸念されます。
それなりに活躍したネームバリューのある棋士しか重要なポストにつけないイメージがありますが、野球の栗山さんとかサッカーの中西さんのように知見や情熱のある人をもっと登用することも大切なことだと思います。

話は違うけど、先日『FOOT×BRAIN』というサッカー番組でセルジオ越後さんのなかなか印象的な言葉がありました。
「組織は美しいエンジン。日本サッカーはエンジン。一人一人が大切な役割を持つ部品。」

監督をしないのか、したくないのか、と聞かれたセルジオさんが、自分は監督でなく、サッカーの普及とかマスコミでの提言とか、エンジンの一部品として自分らしい役割をきちんと果たしていって日本サッカーが発展するために力を尽くしたいと言っていました。
選手も、監督も、協会も、メディアも、サポーターも、一人一人が自分のできる最大限の貢献の仕方を考え、それぞれの役割を果たしてエンジンを回していく。
その推進力が相乗効果を発揮し、高性能、最大馬力のエンジンになり、さらに加速していく。

2013年、僕らが愛する将棋が、そして将棋界が、もっともっと輝きを増すことを切に願っています。
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謹賀新年 2013

2013年01月01日 11時29分45秒 | 日記とニュース
穏やかな暖かい元旦です。
2013年、始動しました。

政治も、復興も、未来への青写真作成も、今の日本は停滞どころか後退してるのかもしれません。

今年は足元に拘りたいと思います。
自分の生活から、自分の周辺から、自分がいいと思うことを着実にやっつけていく。
当然自分だけが幸せになって充実すればいいなんてことではなく、その拘り、変化、自分らしいことの影響をできれば波紋のように広げていければ、ってことで。

一日一日を大切に、新鮮に、充実させたい。

小山薫堂さんの言葉。


そんなことで今年は大きな目標ではなく、

1.細部に拘る。
毎日の生活の小さな部分、どうでもいいと思える部分を大切にしたい。
原点に戻って見直したい。
自然の流れに、今の自分に合った形に、修正していきたい。

2.片づけをまめに。
掃除とか整理整頓とかどんどん捨てることを生活全般に、あるいは仕事も含め、まめにやっていく。
見つからない、そのまんまにしておく、ということの無駄を極力なくす。

3.新たなはじまりを。
年末になって、今年はこういうことを始めた一年だった、とか、こういうことが形になったとか、こういう新しいことを手掛けられた、というような一年にしたい。
マラソンを始めた、とか、マックを始めた、とか、何でもいいのだけど、自分にとって新しいこと、
仕事でもいいし、生活でもいいのだけど、何かしら新機軸をスタートできたらいい。

そんなことを元旦に考えています。

去年の元旦の記事を読み返したのだけど、今年も一人でも多くの笑顔が生まれるように、自分のできることを精一杯、自分らしい形で進めて行ければいいなと思っています。

笑顔がいっぱいの2012年になりますように!

皆様、本年もどうぞよろしくお願いします。
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