即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

作戦間違い@電王戦・その6

2014年04月24日 14時16分35秒 | 将棋
電王戦、いろいろありましたが、順当な結果で終わったようです。
テレビでも新聞でもかなり話題にもなり、これをきっかけに新たに将棋に興味を持つ人もかなり増えたと思うし、覚悟を持って出場した棋士の方々もおしなべて、いい経験になった、新たな気づきがあり間違いなく自分の成長につながったというような感想を述べています。
そういう意味ではそこを目論んでいた連盟理事会もかなり満足しているのではと思っています。

さて、今年の電王戦についていろいろもやもやを書いた記事はこちら。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
上記の記事には九鬼さんはじめいろいろなご意見のコメントもいただきました。(九鬼さん、まだ一つのコメントにレスできてなくてすみません。)

今回の電王戦の総括という意味ではいろいろ下記のような記事が出ています。
遠山五段第3回電王戦総括 コンピュータとの共存共栄と今後の電王戦について
shogitygooさん将棋における人間とコンピュータ雑感Ⅲ
そして、
将棋電王戦と「機械的失業」と棋譜の著作権
いろいろな見方があり考えさせられますね。

そんな中で昔からのブログ仲間だからというわけではないけれど、やはり共感してしまうのはこの二人の記事。
ssayさんの記事、<・・・もう、やめたら?(完)>
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プロ棋士の中には、今回出場した棋士たちよりも、更に強い棋士もいる。
しかし、その更に強い棋士がコンピューターに挑んでいったとしても、
コンピューターは更に上の強さを我々に見せてくれるに過ぎないであろう。
その底知れぬ強さを目撃してみたいと思わなくもない。
しかし、それをやってしまうと、ぼくのような人間は心に大きな傷を負うであろう。
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そして英さん<電王戦雑感 その1「最高峰の将棋じゃなくなること」「研究でのソフト使用について」><その2「対局規定の整備の必要性」「電王戦仕掛人の思惑」><その3「コンピュータ将棋の特徴」><その4「羽生将棋とコンピュータ将棋の類似点」>と続々と記事を書かれてドワンゴ川上会長の意見に対してこう言ってます。
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「役割」「意義」「義務」という言葉を使っていますが、棋士がコンピュータに立ち向かい、苦しみ、敗れ去る様を見世物にするという意思を感じます。
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そして、僕のその5の記事に対して将棋ペンクラブログ@shogipenclublogさんがtwitterでこんなレスをくれました。
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コンピュータやシステムは人間のための道具・手段であるわけで、それを目的と取り違えているからこのような考えになるのでしょうね。 川上会長は。
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いろいろな意見を踏まえて、

『ほんと、このままでいいの?
連盟さん、今ここでしっかり考えて未来のために想像力を働かせていろいろ手を打っておかないと、知らないよ、大丈夫なの?
僕ら将棋ファンを悲しい気持ちにさせないでよね、お願いだから。』


少なくても僕はこんな気持ちなわけですよ。

いろんな難しいこと、手を打たなければならないことはすでにちゃんと考えているから心配は要らないですよ、と言われればそれまでで、心配性過ぎるオヤジの戯言なわけです。
ま、要は早めにそう言ってもらって僕らを安心させてほしいわけですね。

さて、電王戦の今後の展開。(ほんとにまだ5年10年続けるの?)

(空想(妄想))
羽生さんが誰もいない後楽園ホールのリングに設置された特別対局場で、真剣に電王手くんと向き合っている。
いつものように工夫してひねり出す羽生さんの指し手がすべてかわされ見透かされ、いいようにあしらわれてしまう。
苦悶の表情を浮かべていたものの、あまりの実力差に立ち向かうすべもなく、あきれたような物憂げな表情に変わっていく。

今まで出場した棋士の方々の、強い相手に立ち向かいたいという気持ちはよくわかるけど、多分3年後では手も足も出なくなるのだと思う。
まだ何とか棋士が勝てるのはせいぜいここ1,2年だから、今のうちに強い棋士を登場させて人類とコンピュータの戦いを歴史に残しておこうというのはとてつもなくむなしいし、棋士に対する思いやりやリスペクトがないと言わざるを得ない。
(棋士を愛するファンに対する愛情や感謝の意も含め)

棋士がどうしても進んでやりたいというのであればまだ仕方ないし、歴史の瞬間も見たいというファンもいるのだろうけど、その足跡を残したところでそこに何の意味があるのかわからない。
強い棋士と対戦することでコンピュータの開発のヒントが増えるだけのような気もしてしまう。

将棋がどんどん丸裸にされていく。
日々の人間の研究の苦しみや努力が意味をなさなくなっていく。
ヒントをくれるだけでなく、その楽しみや苦しみの道程をコンピュータがどんどん奪っていってしまう。

プロが対局の場で、また、研究会で、寄ってたかって研究した結果の手がそれなの?
そんなのダメに決まってるじゃん、アホやなあ、人類なんて偉そうな顔してなんぼのもんじゃい、とコンピュータにさらっと言われてしまうことになっていく。

考えれば考えるほど、コンピュータソフトの進化は何のため、誰のため?と思ってしまう。
プロ棋士に勝つため?
より強いソフトを作るため?
より強いソフトを開発することで人工知能や科学技術の進化に貢献するため?

将棋をこよなく愛する僕たち人間が、より将棋を楽しめるようにコンピュータを使いこなしていくというのがまっとうな形ではないのだろうか?
もちろん科学の技術開発そのものを否定したり疑問視したりするわけではないのだけれど、大局観や理念もなく技術開発を進めていくと制御不能になったり、管理できなくなることが起こりはしないのだろうか?

人類対コンピュータ!と格闘技のような話題性ばかりが目立ってしまって、本来のこういう議論がないがしろにされているように思う。
そんな大げさな話じゃないとも思うのだけど、まだまだもやもやしています。(続くかどうか不明)
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吉野桜

2014年04月18日 15時43分20秒 | 
電王戦のコメントいただいたりして、続きも書こうと思っていましたが、先週末から念願の吉野桜を見に行ってきました。約1年前からの計画でしたがお陰様で楽しい旅になりました。
(コメントのレスまだで申し訳ありません。)

いやはや、何と言っても天気が最高でした。
旅の間は一切雨も降らず、特に今週は毎日最高の天気に恵まれました。
半袖に薄いジャケットだけで暑くもなく寒くもなく風もなく、一日中精力的に歩いて桜を中心に満喫しました。

世界遺産の吉野山。
下千本、中千本は少し散ってしまっていたのだけど上千本は今が盛り。

ずいぶん前から宿を予約していたので、ちょうど開花、満開の時期にあたるかどうかはかなりのギャンブルだったのだけど、本当に運がよかったです。

今までの桜のイメージ、花見のイメージを一新するような山全体の桜。
ソメイヨシノとは違う、伝統的な山桜のスケール感を初めて体感しました。

今まで何回見事な満開の桜を見たかわからないけど、すべて明治以降に生まれたソメイヨシノ。日本の桜の象徴とされた山桜を愛でたことはなかった。
日本の象徴とされた桜でもあり樹齢500年を越えるものもあるという。

ソメイヨシノのように短期間の開花時期に集中して花見をするのでなく、山全体の桜が徐々に移り変わっていく様を楽しんできた日本の花見文化。

一番上の奥千本は5月になってからのようだし、長期間にわたって山全体の桜を千本単位で楽しめるのが山桜の特徴です。

桜は曇り空でなく、青空が似合いますね。

ちょっと京都や奈良とは違うし、アクセスも大変なので、思い切って行ってよかったです。

吉野の後、京都に行って仁和寺の御室桜を楽しんだり、嵯峨野や東山を歩いたり、結構長い旅をすっかり楽しむことができました。(もしかしたら旅の話、続きます。)

※電王戦は人間の1勝4敗で終わってしまったようだけど、最後っ屁の記事を近々書きますね。
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作戦間違い@電王戦・その5

2014年04月11日 23時18分27秒 | 将棋
電王戦について<作戦間違い@電王戦><その2><その3><その4>と書いてきました。
なかなかもやもやは消えないので今日はその5です。

まずはその3にいただいた九鬼さんのコメントです。
九鬼さん、お忙しいのにありがとうございました。
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つきあい方次第(続き)

nanaponさんは、プロ棋士より強いコンピューター将棋の出現がプロ棋戦に与える悪影響を心配していらっしゃいます。今回の記事ではその理由を3つ上げていて、1つ目はコンピューターによる「正解手」が示されることで、観戦しているファンが白けてしまう危険でした。これについては、前回のコメントである程度書きましたので、もう繰り返さないことにします。

2つ目はカンニング対策問題ですが、記事の書き方ではちょっと分かりにくいですが、nanaponさんとしてはカンニングが実際に起きるかどうか(もちろんそれも重要ですが)よりも、カンニングの可能性があるというだけでファンは白けてしまう、少なくともその危険があるのにプロ棋士の方々は危機感がないようである、とおっしゃりたかったのかなと思いました。確かに、この点は将来何らかの対策が必要な気がします。

3つ目は観戦記の問題ですが、nanaponさんとしてはプロより強いコンピューターの分析が導入されることで、観戦記がプロ棋士達の研究内容のネタばらしになってしまい、対局が「正解」発表会みたいになっちゃう(=ファンは白ける)ことを危惧していらっしゃるのかなと思いました。これはどうなんでしょうね? ライブ観戦の場面では、コンピューターの手が横に示されても、私は白けずに楽しめる(今の楽しみ方とは違ってしまうかもしれないけど)と思いますが、観戦記の問題はあまり考えたことがありませんでした。チェスの方でどうなっているか、知りたいところです。

という訳で、私は生来楽観的な性質だから本件についてもnanaponさんより楽観的なだけで、実は大した根拠があるわけじゃないのがよく分かりました。困った奴です。

いずれにしましても、「付き合い方次第」というnanaponさんのご意見には賛成です。建設的な付き合い方を模索していくのは重要ですよね。ただ、「付き合い方」の問題の前に「受け止め方」の問題があって、nanaponさんは違うと分かりましたが、多くの旧来のファンはまだプロ棋士(というか羽生先生)がコンピューターに打ち負かされるシーンを心のどこかで受け入れられないでいるんじゃないか、そう感じています。この点については、プロ棋士達自身の方が意外ととっくに覚悟はできているのかもしれません。紆余曲折はあっても、電王戦が将棋ファンにとって有意義な「学習」の時間になるといいのですが。そのためには、nanaponさんが指摘していらっしゃるように、演出過剰などの問題点について再検討しなくてはいけないでしょうね。
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九鬼さんって緻密だし、きちんとものごとを整理して考える方ですね。
今までの流れだと、九鬼さんが楽観的で僕が悲観的な図式になってますが、僕の方こそおおざっぱでいい加減で勝手に思ったことほざいてるだけですよ。
そして何をどう言ったか、それが誰にどんな影響を与えたかとか、さらに突っ込んで掘り下げる前に忘れちゃってるんですよね。
すいません、情けないオジサンで。

どちらにしても九鬼さんも賛同してくれたように今後の付き合い方をどうしていくかだと思っています。
底辺拡大とか、棋士にとっての刺激や研究と言う意味では当然メリットもあるのだと思いますし、短絡的にこれ以上ソフトの開発を進めるべきではないというのも極論だと思います。
結局、どうやったって人間が決めることだし、まずは連盟が中心になって将棋のさらなる発展というテーマの中で3年後、5年後の将棋とコンピュータのあるべき姿を考えていくことだと思います。
ここ1年でソフトはかなり進化しているわけだし、この先どんどんトップ棋士を繰り出していけばいいというものでもないと思いますし、電王戦をどうしていくかと言うことにとどまらず、大局観に基づく正確な読みと判断力をもって両者の健全な発展のための最善手を早めに決断すべきだと思っています。

先日の名人戦第一局前夜祭でも棋士の方とお話させてもらいましたが、本当に皆腰も低いし魅力的な方々が多いです。
そんな棋士の方が皆かなりの覚悟を持って電王戦に出て来てくれています。

電王戦の開催について言えば、敬愛する棋士の方に対してあのトイレの場所(特に小田原城!)は筋が悪いどころでなく、完全に悪手だと思います。(いまだにあのシーン(和服の森下九段がかなりの敗勢で時間も無くなった終盤に、外に出て階段を下りてとぼとぼとトイレに行く様。)が悪夢のように思い出されます。)
あのトイレの場所を容認した形での会場設定というのは、イベンターとしては完全に失格。
あきれます。
プロ棋士に対するリスペクトが全くないと言わざるを得ません。
トイレを犠牲にしてまでも、あの会場設営をした意味は、話題性を盛り上げて新たなファン層を開拓することに特化したということなんでしょうか。
違和感を感じてしまう我々のような従来の将棋ファンはこの際どうでもいいんですよね。

どう見ても作戦間違いとしか思えないので、ちょっとしたことでも電王戦のスタンス自体につべこべ言いたくなってしまいます。
ドワンゴ側、コンピュータ側は、棋士に対するリスペクトとか将棋の伝統文化の側面など一切関係ないのかもしれません。
人間が勝つか、コンピュータが勝つか、という底の浅い異種格闘技イベントであるならばそんな場所に僕らの愛するプロ棋士の方々を引っ張り出さないでほしいのです。

いや、勝手な意見ですみません。つべこべ言いたくなる年頃です。
あー、もう何も言いません。お願いなのでバランスよくうまくやってください。

ということでもうおしまいにしようと思ったら、先ほど前回の記事(その4)に九鬼さんからコメントいただきました。
山本一成さん「コンピュータとラッダイト運動」という記事についてです。
この話もいろいろ考えさせられ長くなってしまうのでまた次回にします。
それとssayさんも先ほどまた書いてますね。<・・・もう、やめたら?(その3)>、そして<(その4)>

どちらにしてもいよいよ明日が今回の電王戦最終局。
屋敷九段の登場です。
さあ、どんな結末になって、全国の将棋ファンがどのように受け止め、今後の電王戦はどうなっていくのでしょうか。
そして将棋とコンピュータの関係はこの先一体どのようになっていくのでしょうか?
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名人戦第一局

2014年04月11日 15時30分49秒 | 将棋
今年も桜の季節が来て、待ちに待った名人戦が始まりました。

先日<絶対に負けられない戦い>という記事でも書きましたが、ここは羽生挑戦者が何としてもどうにかしないといけない局面だと思います。
大山・升田、そして中原・米長、という夫婦よりも密度の濃い長年の宿敵同士、その伝説を越える熱戦を心から楽しみにしたいと思います。


さて、このところ毎年のように行ってる名人戦前夜祭。
今年も椿山荘に行ってきました。
こんな空の下、いよいよ名人戦の幕開けです。

桜は大分散ってしまったけど、相変わらず素敵な場所です。





こんなすごい人混み。熱気むんむんです。


主催者その他偉い方々のご挨拶を聞いてます。最初はこんなでしたが。。。

徐々に・・・。





二人とも自然で素敵な笑顔ですね。
乾杯はこの人。


 
そして両対局者のご挨拶。
  
いい雰囲気です。

そして棋界のアイドル登場で盛り上がります。


久々にいろいろな方々とお話もでき、頭の中も名人戦モードになったところでいよいよ今期の戦いが開幕しました。

既報のように後手の羽生三冠が森内名人に178手で先勝しました。 

ssayさん英さんも早速書かれてますが、ssayさんをして『将棋ファンでよかった。』と言わしめた手に汗握る熱戦でした。

相掛りから、飛車角交換、前例のない力戦型に。
2枚の自陣飛車対2枚の自陣角。
見たことのないような不思議な盤面。

集中力がここまで続くのかという、
緻密かつ先の構想を踏まえた羽生三冠の工夫に満ちた攻めが続く。
しかし森内名人は一手一手しっかりした受けでうまくかわしつつどこまで行っても決定的な優勢を築かせない。
このまま凌いでいけば自然と勝機が巡ってくるはず、という自信に満ちた指しまわしを続ける。
劣勢を認めざるを得ない、とか、諦めるような雰囲気がいつまでたっても漂ってこない。
この執念というか、森内名人の底力は半端なもんじゃない。
負けてその強さを示したとも言える名勝負だったと思う。

やはり人間同士はいいなあ。(って何が言いたいの?(笑))
トップ棋士同士ならでは、あの二人だからこその気迫のこもった展開。
二人の創り出す新鮮かつ熱さに満ちた熱戦をどんだけ長いことハラハラドキドキさせてもらったことか。
ssayさんに先に言われてしまったけど、本当に将棋ファンでいてよかったと思わせてくれる一局でした。

こんな戦いがまだまだ見られるのかと思うと桜は散ってもワクワクする春はまだまだ続きます。
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作戦間違い@電王戦・その4

2014年04月06日 12時08分17秒 | 将棋
先日、<作戦間違い@電王戦><その2>、そして<その3>と、勝手にもやもやしていることを書いてきました。

昨日の第四局も一時は森下九段が指せそうなところまでは頑張ったのですけど、第三局の豊島七段のように序中盤のうちに明確な差がつけられるようにできないと結局かなわないという図式ができつつあるようです。
(それにしてもあのトイレの位置っていうのは何なんだ?!和服着てる棋士に対するいじめみたいに見える。大雨とかだったらどうなってたの?試合放棄もんじゃない?そして外に出て階段下りてトイレに行く様を中継してるってどうなの??)

さて、電王戦の仕掛け人の記事がありました。
「将棋、そして囲碁」電脳に負ける人類を待つもの (川上量生)
<一部引用させてもらいます。>======================
身の回りの強い人から挑んでいって負けていく。だんだん勝てるひとが少なくなって、そして、最終的にはプロが人間を代表して戦う。そういう構図です。素人から徐々に勝てなくなっていく様子をリアルタイムで歴史に残していける、というのが、囲碁電王戦の役割だと思っています。

 そこから人々は何を学ぶことができるのか。それは、コンピューターとのつきあい方でしょう。人間よりも優秀になってくコンピュータに対して、正々堂々と一騎打ちを挑む道もあれば、戦いを避けることもできる。また、利用するという生き方もある。

 だれもコンピューターに負けたくないわけですよ、人間は。でも現実はいつかは負ける。コンピューターが進化したらどうなるかというと、徐々に人間の頭脳は必要とされなくなっていくのです。

 この問題に対して向き合うというのが、これから21世紀を生きる我々にとって重要だと思っています。コンピューターの頭脳が人間を追い越したときのひとつの回答として、人間には共存を選ぶという道がある。将棋電王戦ではそれを試しました。

<中略>

そういう意味では、将棋電王戦はAIの進化に少なからず影響を与えるとは思います。でも、将棋電王戦をやったところで、AIの進化の速度はさほど変わらない。コンピューターは知らないうちに賢くなるし、知らないうちに人間に勝つ。

 ただ、将棋や囲碁というのは、人間がやってきたことにコンピューターが挑戦してくるわけで、分かりやすくその進化が可視化される。つまり、人間が知らないうちに追い抜かれるのではなくて、ちゃんとわかる形で追い抜かれるんです。

 そのとき、人間はどう対応していくかのモデルケースが電王戦です。進化していくコンピューター、人工知能にどう対応すればいいのかを人間側に考えさせる極めていいモデルケース、というのが、電王戦の意義だと思っています。そこに、社会的な意味がある。

 少なくとも5年10年は電王戦を盛り上げたいと思っています。人間がどこまでやれるか、見守る。それが僕らの義務だと思っているので。
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僕はプログラマーとか科学者じゃないのでわからないけど、なんだかずいぶんと不遜な言い方に聞こえるし、上から目線も感じるし、正しいことを言ってるのかもしれないけど、どうにも友達にはなりたくない人っていう印象が残る。
いや、言ってるように電王戦の意味とか役割っていうのは理屈としてはよくわかるのだけど。。

『コンピューターは知らないうちに賢くなるし、知らないうちに人間に勝つ。』って、誰かが一生懸命そういう研究開発をしてるからそうなるんですよね?
もちろんメーカーや国も加担してるということだろうけど、なんだか人の手を離れて、人間の意志とは別のところで勝手にそうなってるわけではないですよね?

ITとか科学技術の研究開発はすごいスピードで進んでいるし、もうどうにも止まらない状況なのかもしれないけど、それってどうなのだろうか。
もちろん人類の発展や進化や幸せに結びつくことは計り知れない価値があるのだと思う。
でも負の部分だってたくさんある。
結局は人間が主導的に自分の幸せ、地球全体の幸せとは何かをきちんと考えて取捨選択したり判断したりしていかないと歯止めがきかなくなる。

環境問題、地球温暖化の問題、核や原発の問題、市場経済・金融経済の問題などなど科学技術の進化は巨大な文明や経済発展をもたらし、限りなく地球や人間を変えていってる。

人間はそれでいいのか。
将棋はそれでいいのか。

ずいぶん前の<成長し続けること>という記事の中でも書いているけど、近代化、文明化、経済発展のこの流れは我々にとって本当にいいのだろうか、という懸念です。
経済発展による恩恵は十分受けているし感謝もしているけど、
いささか調子に乗りすぎなんじゃないの?
少し立ち止まって反省したり振り返ったりする時期なんじゃないの?
3年前の東日本大震災を機に皆がそういう気持ちになったのではないの?
と冷静に、客観的にそう思うのです。

ips細胞やSTAP細胞ができて、病気が治って、若返って、すべての人が120歳まで生きられることが本当に幸せなのかどうか。
そのことで社会全体のデメリットはないのか。
戻りたくても後戻りできなくなることはないのか。

いろんな画期的なものができてしまったときにそれをきちんと運用できるだけの信頼感がコントロールする人間に対して持てるのかどうか。

などと、話は将棋と関係なくどんどん大げさな展開になっていって収拾つかなくなっていってるけど、こんな記事も見つけました。
電王戦は,21世紀を生きる人類を映し出す鏡なのかも――将棋棋士・谷川浩司氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第16回

山崎バニラが語る今回の将棋電王戦について思うこと

羽生善治三冠と川上量生ドワンゴ会長のスペシャル対談

また電王戦に話をもどしてこのシリーズ続けますね。
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作戦間違い@電王戦・その3

2014年04月03日 22時26分51秒 | 将棋
先日、<作戦間違い@電王戦>、そして<作戦間違い@電王戦・その2>という記事を書きました。

最初の記事にコメントいただいた九鬼さんの意見を元に電王戦について考察していますが今回は前の記事の続きです。
前回の記事では「このままコンピューター将棋が強くなっていっても、プロ将棋は大丈夫なのか?」について考察したので、今回はもう1つの問題点、「強い将棋ソフトを作るのは何のためなのか?」についてです。

まず九鬼さんのコメントを引用させてもらいます。

冷めた見方?   by 九鬼さん

<九鬼さん>もう1つの問題点、「強い将棋ソフトを作るのは何のためなのか?」に対して、私は直接回答できませんが、こう言わせてください。将棋自体はゲームにすぎません。将棋のプロ棋戦が成り立たなくなっても、将棋はなくならないでしょう。じゃあ、将棋のプロ棋戦は何のためにあるのでしょうか? 将棋文化は? そんなに社会の役に立っていますでしょうか?

いや、私自身はプロの将棋を観戦するのが大好きだし、今後も絶対になくなって欲しくないですが、でもエゴを抑えて冷静に見てみると、将棋のプロ棋戦とか、将棋文化とかが、強い将棋ソフトの開発以上に社会の役に立っている、代替不能の価値を有している、と断言することは難しいように思います。繰り返しますが、将棋自体は、所詮は有限ゲームですし。

将棋自体の歴史をみても、プロ棋戦っていうのは割と最近にできたもので、それ以前は家元制度があったわけです。じゃあ家元制度がプロ棋戦になって失われた文化の価値と、プロ棋戦がなくなって失われる文化の価値を比較せよ、と言われても困ります。他方で、強いコンピューター将棋同士を戦わせる世界にも、文化がないと言えないわけではない。文化って何のためにあるんでしょうね?
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かなり奥深いところに行ってしまいそうなテーマです。

将棋は何のためにあるのか?
名人戦などのプロの棋戦は何のためにあるのか?

そして、将棋ソフトは何のためにあるのか?
何のために強いソフトを開発するのか?

さらにはもっと大きなテーマになり、
文化とは何のためにあるのか?
そして科学とは一体何のためにあるのか?

これはでかすぎるし深すぎますね。

文化についてはこんな言葉があります。
《文化芸術は、人々の創造性をはぐくみ、その表現力を高めるとともに、人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し、多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり、世界の平和に寄与するものである。》

心豊かな社会、そして、世界平和まで登場しちゃってますね。
普通に考えたら、科学も同じだと思いますが、要は人間、人類の幸せのため、ということでしょう。

しかし、まだ文化の方がとてもわかりやすいし受け入れやすいですけど、それが科学技術とかとなると一段階難しくなる気がします。

さて長くなりますが、科学って一体なんのためにあるの?というお題について考察します。

科学技術の意義という教えてgoo!の記事です。
Q:《大学の講義で,「科学技術には裏表があり,ある技術を開発すると,その技術は,社会にプラスの影響と同じだけのマイナスの影響を与える」というものです.例えば,車を開発したら,いろいろ便利だけど,同時に環境を悪化させるといえますよね.どんな技術にも当てはまると思いませんか.

では,科学技術を進展させることの真の意義とは何でしょうか.プラマイゼロなら,進展させることに意義などありませんよね.難しい問題ですので,そこまで本質を突いた回答でなくて構いません.》


とてもわかりやすく共感する疑問です。
そのベストアンサーがこちら↓。

A:《電気を使ういろいろな技術が開発されています。しかし、なぜ、電子があるのか、なぜ、原子があり、その存在意義は何か、と言う意味でのwhyについてはなんら答えられていません。そういう意味でのwhyです。

ある課題、たとえば、100mを5秒以内に移動するというものを解決することは、技術を持って出来るわけです。しかし、「移動」はなぜ必要なのか、そもそも「移動」って何だという問いは、多くの場合、答えないままでいるわけです。

もっと卑近な例で言えば、「食べる」と言うことです。おなかがすいたから食べる、生きるために栄養が必要だから食べる、これが答えでしょうが、では、人間を食料として必要な生物が出てきて、彼等が「腹が減ったから食うぞ」と言ったら、それで納得がいくのかと言うことです。
なぜ、「食べる」と言うことが出来るのか。植物も、鳥も、牛や豚も同じ生き物であり、人間が彼等を食べることが出来るのは、単に「強い」からに過ぎないのか。それなら、もっと強いものが出てきたら、どうするのか。「強さ」の裏づけである進化は、何を目指しているのか。人間が進化してきたというのは、本当はどんな意味があってのことなのか。

これらの問いに、まったく答えることが出来ていないわけです。そして、その状態で、人類は巨大技術というか、人間のコントロールを超えた技術を開発してしまっています。それは、遺伝子操作であり、核関連技術です。起こると予測されているプレート境界型の大地震で原発が地震で壊れたら、六ヶ所村の核廃棄物保管施設が壊れたら、それこそ地球規模の震災になります。》


どんどん深い話になっていきます。

また有名な書評ブロガーの小飼弾さんは科学の存在理由、目標についてこう述べています。

『人間にとってそれが自然の姿なので、「信じたい」より「知りたい」を優先するのが、科学だ。

人間の幸せのためとかではなく、「知りたい」は「信じたい」よりも強いからこそ科学の意味があるはずだ。

ゆえに科学に存在理由は不要だ。』


NHK-E「新世代が解く ! ニッポンのジレンマ」感想の中に小飼さんと同じようなこんな意見もありました。

『科学とは、自然なる真実の探求であり、実践にどう役立つのか、科学者の社会貢献という問題はまた別のテーマ。
たとえば車を作ろうとするときには、こんな車ができたらいい、こんなことが可能になったら楽しいのでこんな車を作りたい、と科学者はいろいろ考える。
でもその時に、轢かれて死ぬかもしれない、とか排気ガスはどうなんだ?と考え始めたら車なんて一生できやしない。
実際に車ができて、使うときに初めて議論すればいい。』

『一部の非常にずば抜けた能力を持つ人が、自分が追求したいことをパッションの赴くままに追求することが真の科学者の役割とすれば、そうして生まれた科学技術をリスクを管理していかに社会に役立てるかという役割と本来切り分けられているべきではないか。』


どんどん電王戦の話からずれていってますね。

ここまで来ると話はどういう方向に進むのか自分でもわからなくなってきました。

強い将棋ソフトを作るのは真実の探求なので、知りたいという欲求のままに研究を進めていく。
できたらどうするのか、世の中にどういう価値を提供するのかは謎のままに、日々強いソフトを作るための研究を進めていく。
そして出来上がった時に初めて、そのソフトをどう使うのか、どう伝統文化と融合させればいいのか、どう役割分担するのか、どう協力したらいいのかということを検討して決めていけばいい。

まあそうなんでしょうね。
科学者ではない僕はなんかひとつ腑に落ちない気もするけど。

開発者、研究者のそもそもの思いってあるわけですよね?
ざっくりとでもいいので、こんなものを作りたい、の先にあることってあるんですよね?
そこがないと、何かひょんなことですごいものができちゃった時に、そこから使い方とか社会にどう取り込んでいくのか考えるってとても怖い気がします。

昨日から始まったNHKのNEWS WEBで中村太地ネットナビゲーターも言ってました。
コンピュータと人間がそれぞれに得意とするところを組み合わせてどんどん新しいものを生み出していければいい。
伝統文化である将棋にとってもどんどん新しいものを取り入れていく部分と決して変えてはいけない部分もあるので今後しっかりその辺を考えていかなければいけない、と。

まあ、何度も言ってるけど、強いソフトのとめどない進化は続いているわけだから、将来的な共存共栄できる形を皆で想像力を目一杯働かせて議論しなければいけない時なんじゃないのかなあ、って思うわけですね。心配性のオジサンとしては。

九鬼さんからまたまたコメントいただいたこともあり、このネタ続く予定です。
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