即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

星野道夫写真展

2008年02月29日 00時35分16秒 | 日記とニュース
前に書いた、星野道夫のこと


ずいぶん経ってしまいましたが、今月初めに行ってきました。

いちかわ星野道夫展です。

・星野道夫展「星のような物語」
 会期:2008年1月19日(土)~2008年2月3日(日)
 会場:市川市文化会館展示室

・第9回 市川の文化人展「星野道夫展」 
 会期:2008年1月19日(土)~2008年3月2日(日)
 会場:市川市芳澤ガーデンギャラリー

・星野道夫展inコルトンプラザ
 会期:2008年1月19日(土)~2008年2月3日(日)
 会場:コルトンホール(ニッケコルトンプラザ3階)

文学プラザ企画展「文章家 星野道夫」
 会期:2008年1月26日(土)~2008年5月25日(日)

このうちまだ二つはやってますね。

カムチャッカで熊に襲われて亡くなった写真家、星野道夫の写真や遺品など、4ヶ所に分かれて趣向を凝らしたプレゼンテーションになってました。

写真展としてのメインは文化会館の「星のような物語」なのですが、この吉澤ガーデンのイベントも、なかなかのものでした。



この庭での展示がユニークで、いい雰囲気でした。

庭をゆったり散策しながら、写真を味わう。


展示されていた中で、
アラスカの荒野で綴った自筆の日記帳。
リュック。
そして、川を下ったカヌー。

彼に対するいろんな想いが過ぎりました。
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森が作った牡蠣

2008年02月26日 23時32分14秒 | 日記とニュース

畠山重篤(はたけやま・しげあつ)さんって知ってますか?

気仙沼湾で牡蠣や帆立の養殖業を営んでいます。
「美味しい牡蠣を食べるためには、森を守らないといけない。」という主張で、
全国や海外でも活動し、「牡蠣の森を慕う会」を仲間とともに立ち上げ、植林活動や子供達の体験学習も行っている。

牡蠣の森を慕う会を主宰。
《森は海の恋人運動》をしています。

著書もこんなにいろいろ。
森は海の恋人 (文春文庫)
畠山 重篤
文藝春秋

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牡蠣礼讃 (文春新書)
畠山 重篤
文藝春秋

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リアスの海辺から―森は海の恋人 (文春文庫)
畠山 重篤
文藝春秋

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会社の先輩から畠山さんのことを聞いて、興味津々、頼んでみました。
畠山さんの育てた気仙沼の牡蠣です。

週末に届いた殻つき牡蠣20個。


レモンを絞って、白ワインとともに、いやあ、たまりません

今までの牡蠣のイメージとまるで違いますね。

自然の恵みをいっぱいに浴びて、伸び伸びと、生き生きと育まれた、って感じでしょうか。



そこのあなた!ほら、涎!

いやあ、まいったまいった

今まで食べていたのは、なんなの?

これが、ほんまもんの牡蠣なのか・・・・・・。

かっき的

・・・・・・・

・・・・・・・

※参考;「牡蠣の森を慕う会」代表の畠山重篤さんを訪問

※参考:「畠山重篤 かしこい生き方のススメ」

水山養殖場こちらで頼めますよ。
お勧めです。
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今朝の読売新聞

2008年02月25日 19時52分24秒 | 将棋
2.22の渡辺竜王ブログで知り、チェックしました。

一面の『日本の知力』という特集です。
この第2部 科学で考える④に、竜王と羽生二冠が登場しています。

タイトルは「人間の直感、電脳に勝る。」

渡辺竜王が、おととしの竜王戦第3局で、連敗を喫し、窮地にあった時、
1日目が終了していくら考えてもわからない局面。
あきらめて寝床に入った時にはたとひらめき飛び起きた、と。

北宋の学者、欧陽脩が、妙案の浮かぶ場所として挙げた「三上(さんじょう)」

馬上・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)

とのことです。

馬上はともかく、僕らの日常でも、十分に頷ける説です。

必死で考え抜き、極限まで自分を追い詰める。

そして、ふっと切り替えて、頭を休めた時に、パッとひらめく。

そのシチュエーションは、三上、でよく起こる。

コンピュータと人間の知力の比較を論じてますが、こと将棋に関して、竜王は
「棋士の足元までは近づけても、トッププロには勝てない。」と語っている。

そして、その裏面の「識者に聞く」には、羽生二冠が写真入りで出ています。
(1面に竜王の写真も出て欲しかった!)

タイトルは、『経験で磨く「大局観」』

(人間が)いかに手を読むか、という話です。

基本は、直感、大局観の大事さ。

コンピュータにはできない、人間の読みの特徴として、
「美しい形か」「バランスが取れているか」「いかに読まないか」
「相手に手を渡す」「生理的に受け入れられない手」
などの例が出ています。

『いつソフトが人間に勝つかはわからない。
しかし、私は勝負をつけるために将棋をしているのではない。
結果だけならじゃんけんで済む。
勝負の過程でいかに創造性を発揮し、自分を表現できるかを目指したい。

羽生二冠のこの毅然とした言葉、心から共感してしまいます。

人間としての誇り、威信のようなものを感じるし、コンピュータに取って代わられることのない「人間ならではの知力」というものの尊さをしっかりと伝えているコメントだと思いました。

そして、さらに人間の知力というものを突き詰めていくと、『混沌』、ということに突き当たるし、その混沌というものといかに付き合うのか、いかにマネージしようとしたり、受け入れたり、愛したりするのか、なんだろうと思います。

わからないから知りたい、わからないから面白い、
知りたいと思うパワー自体が、生きたいというパワーにつながる。

なんだか、哲学者のようになってしまった今日の読売新聞ではありました。
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封書を落として・・・

2008年02月25日 00時24分04秒 | 日記とニュース
初めて、教えて!gooに質問しました。

拾得物封書開封の是非
--------------------------------
質問者:nanapon
出そうとしていた封書を落としました。交番で戻ってきましたが、開封されていました。拾得物とは言え、開封していいものなのでしょうか?
--------------------------------

先週末、自転車で駅前に買い物がてら行って、ついでにポストに入れようと思っていた封書をポケットから落としてしまいました。
気がついて、ひょっとして交番に届いているかも、と思って行ったらありました。
見つけた人がすぐ届けてくれたようです。
住所氏名、どういう内容の封書か言わされて、本人確認のものを何も持っていなかったので、交番から家に電話をするはめになりました。
一応規則だというので、仕方ありません。

それで無事戻ってきたわけですが、市役所宛の封書なので、別に見られても全然困るものではないのですが、当たり前のように開封されていたので、あら?と思った次第です。

回答者
-----------------------------------------
封書の裏に差出人(質問者様)の住所、名前がかかれていたなら、
中をあけなくても、質問者様の落とし物と、通常わかります。
差出人がかかれていないなら開封するかもしれませんが・・・
なぜあける必要があったか、聞いてみたらいかがですか。
質問者様が何県にお住まいなのかは、わかりませんが
どの県警察本部にも、広報課、県民広報相談課とか、各県警によって、
呼び方は違うとおもいますが、苦情、相談。要望を受けている担当課がありますから、そこへ苦情?相談?されてみては。
くれぐれも質問者様が拾得物をうけとった警察署にいうのではなく、
県警本部の苦情相談課にすることです。
-------------------------------------

というアドバイスいただいたので、下記アクションして、書き込みました。

nanapon
-------------------------------------
教えていただいたように、県警に電話しました。

基本的にはより状況を把握するために、開封してしまうのが普通とのことです。
外に書いてあるから開ける必要はないのでは?と投げかけたら、
そうですね、申し訳ない、と。
よく考えればそうだったかもしれませんが、現場ではそこまで深く考えずにいつものように開けてしまったのだと思います、と。

謝られてもねえ、という感じでした。ありがとうございました。
----------------------------------

回答者の方より
----------------------------------
一応「申し訳ない」と謝ったらよしとしましょう。
世間のかたも広くご存じのとおり、お役所はなかなか
非をみとめないですよね。特に警察となると・・・
ですから、形だけでも??としても、謝ったとなると
電話した甲斐があったと・・・
そして、県警本部から取扱警察署及び担当には連絡がはいり
すくなからずとも、慎重に取り扱うように
とか、なんらか怒られるまではいってなくても、本部から連絡あるということは、注意なり報告書の提出をもとめられたりしているはず
なので、電話しないよりは、電話して、謝ったので、質問者さまには
はるかによかったのではないかと思います。
-----------------------------------

回答者の方へのお礼。
nanapon
-----------------------------------
わざわざありがとうございました。

これにて一件落着ということですけど、

法律的には問題ないのかなあ、と気になっていて、ネットで調べてます。

信書開封罪は、拾得物には適用されないのですかね?

例外にあたるんでしょうかね?

そんなに真剣な話ではないのですが、好奇心ってやつで。(笑)

時間のあるときにいろいろ調べてみます。

本当にありがとうございました。
-------------------------------------

ということで、調べてみたら、

信書開封罪というのがあります。

《信書開封罪》とは
*****************************************
刑法第133条 正当な理由がないのに、封をしてある信書を開けた者は、一年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。

典型的には他人宛の手紙が入った封筒を正当な理由なく開けると信書開封罪に該当します。自分宛に届いた信書を自分が開けるのは当然正当な理由があるので信書開封罪には該当しません。

これは親告罪であるため、被害者が告訴しなければ刑事事件にはなりません。

信書とは「特定の受取人に対し、差出人の意志を表示し、又は事実を通知する文書」を指します。

またこれは開封することが要件の為、開封して手紙を見なかったとしても成立します。
*************************************

いろいろ調べて別に訴えようなどというつもりはないのだけど、拾得物なら正当な(開封する)理由に該当するのか否か。

もしこれが本当に見られたらやばいものだとしたら?

まあ、そんなの落とすのが悪いってことだろうけど。

逆に、僕が拾って、(交番に届ける前に)開けてしまったとしたら、訴えられるのだろうか?

もし、差出人の住所が書いてなかったら、いいのかどうか?

線路内人立ち入り研究会も、まるで活動してないので、今度はこっち方面の研究に勤しもうか、と。

僕って、暇?
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混沌を楽しんでいる

2008年02月24日 18時07分50秒 | 将棋
遅ればせながら、先日の佐藤vs羽生の二冠対決、棋王戦第一局についてです。
(昨日の第二局は佐藤棋王が勝って1勝1敗になりました。)

やっと、囲碁将棋ジャーナル(長沼七段の解説)及び囲碁将棋チャンネル(大内九段の開設)を見て、いやあ、すごい熱戦だったなあ、と思った次第です。

佐藤二冠の地元京都で、雪の降る中行われました。
京都、和服、雪、番傘。
いやあ、日本っていいです。

187手の長手数。
なんと、最後の80手近くが一分将棋
その間の指し手のすごさ。
悪手という悪手もなく、緩い手さえない。
朝の九時から始めて、夕食休憩もなく終局が夜の8時半近く。
そして、公開対局

こんなすごい終盤のねじりあいをたった千円で観戦できた方々は、本当にうらやましいです。
一生忘れられないような、名勝負だったのではないでしょうか?

中でも、この局面。

佐藤棋王がもう後の無い状況からの△2二角
逆王手です。これで受かってます。
なかなか見られないですよね、こういうの。


そして、羽生二冠が、2~3筋の上部で佐藤玉を攻め立てている中での、
△9六歩
とじっと手を戻す。


何なんでしょうか?

忙しい局面で、今この一手を入れる必要があったのでしょうか?

攻め手はいろいろあるものの、やはりこれをいれないで攻め続けると、足りなくなる。

こんな混沌とした局面で、一分将棋で、こんな手が指せる。
これだけ読めるということの凄さ。

そして、△5六の馬に対して、▲4四桂と桂を跳ねた局面。

△5六馬はどこに逃げるのか?
逃げずに△3四銀と突進したらどうなるのか?

どちらにしても、▲4六桂と跳ねた空き王手がたまらない。

ここで出た、 △5五馬

歩の前に馬が逃げる!?

ひぇー、なんという手?
▲5五歩と馬を取った局面では、二重に角の筋を消して、無能化している。

馬を捨てること(歩で馬を取らせること)で、角をどうにも使えないような駒にしてしまう。

そしてゆっくり△3四銀と銀を取る。

こういう手、構想が何十手もの一分将棋の中で考えられる。

ずっと前から前例の無い局面なわけで、それを公開対局という状況で、何十手ものけものみちを突き進んでいく能力と体力。

将棋の魅力をあらためて思い知らされた一局でした。


このところずっと、
歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論
羽生 善治,二宮 清純
日本経済新聞出版社

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この本のこと(.)とか、羽生二冠についてあれこれや書いてきましたが、
やはり強く感じるのは、まだ誰も歩いてない道を自ら進んで踏み込んでいく気持ち、気力、です。

羽生二冠のように、混沌を楽しめる境地になるというのは無理かもしれないけど、
仕事でもなんでも、より難しく見える未知の世界を避けたりせず、逃げたりせず、前向きで踏み込む勇気を持たなければ、と真面目に思ったりもしました。

単に才能があるというだけでなく、そういう姿勢が感じられるからこそ、
この一戦も、見る人の心を打つんだなあ、と感じた棋王戦第一局でした。
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「気になる」と「根にもつ」

2008年02月23日 10時08分53秒 | 
気になる部分

白水社

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ずいぶん前にこの本読んで、しびれました。
話題にもなってないし、知ってる人もいないだろうし、
自分だけの内緒のふ・ふ・ふ、って感じで。

そして、今年出たこの本。
ねにもつタイプ
岸本 佐知子
筑摩書房

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基本は同じトーンのエッセイですが、講談社エッセイ賞を受賞しています。

岸本佐知子って知らないですよね?
現在アメリカ文学の翻訳者。
元はサントリーの宣伝部にいたとのことです。

これが、本当に面白いのです。
電車の中で読んだら、たまらなくなって噴出すこと請け合い。

本の帯には、このように。

観察と妄想と思索が、
渾然一体となった、
エッセイ・ワールド。


ショートショートのような、とびっきり不思議な文章を読み進むうちに、
ふつふつと笑いがこみあげてくる。

裏表紙の帯には、

「私はいま、目の前にあるこの英語の文章の意味について、
一心に考えなければならない。
だがそう思うそばから、ついついコアラの鼻について考えてしまうのである。
あの鼻。材質は何でできているのだろう。
何となく、昔の椅子の脚の先にかぶせてあった
黒いゴムのカバーに似ている気がする。
触ったらどんな感じだろう。カサカサしてほんのり温かいだろうか。
それともひんやり湿っているだろうか。」
(Don't Dreamより)

東京新聞の紹介記事です。
-----------------------------------
『妄想力』エッセーも人気 岸本佐知子さん (翻訳家)

 電車の中で読むのは、少し勇気がいる。岸本佐知子さんのエッセー集のことだ。笑いがこみ上げてきて思わず噴き出し、周囲の視線が気になることに-。

 一冊目のエッセー集『気になる部分』から例えば、寝付きが悪い時に熱中したという「ひとり尻取り」。

 「りす→すいか」では芸がないと日替わりで決めるテーマは、だんだん「淫靡(いんび)なもの」「ポストモダンなもの」と抽象化。しまいには「トルキスタンの場合には次は『タン』から始めるべきだ」という「“ん”事件」が勃発(ぼっぱつ)する。

 実にヘンな、面白いことを考える人なのだ。

 「講談社エッセイ賞」を今月受賞した二冊目の『ねにもつタイプ』(筑摩書房)は、「妄想力」がさらにパワーアップした。仕事中に脱線して考えるニュービジネスの数々、乗り物が風呂になった「ロープウェイ風呂」の話-。味わい深い「超短編小説」の趣もある。

    中略

 「私と同じようにくだらないことは、みんなだって考えていると思う。でも、そんなことで頭がいっぱいになったらまともな社会生活を営めないから、頭の中から締め出している。私にはその『削除機能』がないんです」
---------------------------------

いくつも紹介したいコラムがあるけど、
気に入ったのは、これ。

《疑惑の髪型》
*************************************
最近気がつくといつもひとつのことを考えている。
何かといえば、それは「ちょんまげ」のことだ。

どうしてみんなは、あのような異常な髪型を平然と受け入れることができるのだろう。時代劇を見ていて、何の違和感をおぼえないのだろうか。

<中略>

わざわざ頭の前面の、一番目立つ部分の髪をつるつるに剃る。そのうえ側頭部の髪をこれでもかと伸ばし、あまつさえその伸ばした髪を後ろで束ね、棒状にして剃った部分に乗せなおす。
何かの罰ゲームか、恥辱プレイの一種としか思えない。

<中略>

このままでは一日じゅう「ちょんまげ」のことが頭から離れなくなり、日常生活にも支障をきたすようになるのは目に見えている。

そこで私なりに納得がいく説明を考えてみた。

1.ある大名が年をとり、頭頂部が完璧に禿げ上がった。・・・・・・・・・
2.本当にあれは罰ゲームだった。お城で失敗をした家来が・・・・・・
3.邪悪な宇宙人が襲来し、この髪型にしなければ人類を滅ぼすと脅し・・・・・・
********************************

たまらないでしょ?

もうおかしくて書けなくなった。

なんでこんなにまでどうってことのないことで、妄想(?)を膨らませられるのか?

この彼女のワールドにひとたびはまったらもう出られない。

つまらないことが気になってしまう。
頭から離れなくなってしまう。
今まで当たり前、普通と思っていたことが、一気に不思議になる。

コアラの鼻やちょんまげだけでなく、

ホチキスもハンガーもポストも霊柩車も
なんだかわからないけど、おかしなものに見えてくる。

人間という漢字が、どう見ても「じんかん」としか読めなくなる。
(そういうコラムもあります。)

いやあ、うまく伝えられないですよ。

ぜひ読んでみてください。

ワールドにはまってみてください。

楽しい日常があなたを待ってますよ。
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決断の連結決算

2008年02月20日 23時17分13秒 | 将棋
歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論
羽生 善治,二宮 清純
日本経済新聞出版社

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この本の感想、第8弾です。

本当にたくさんの心に残る部分がありますね。

二宮さんの言葉。
「将棋と柔道は学校で必須科目にした方がいいと思う。
柔道からは礼節を学べ、将棋からは、判断力や決断力を学べる」と。

今の日本人に特に欠けているこの二つの要素を小さなうちから身につけさせるべきだ、と。

羽生二冠の言葉。
「将棋は自分の選択がどういう結果を生むのか、ものすごくはっきり自分に返ってくる。
いい手を指せば優勢になるし、悪い手を指せば必ずしっぺ返しを食わされる。

一般社会ではもっといろんなことが複雑だったりするから、こんなに明確に結果が自分に跳ね返ってくることはない。

そうなると、決断を見直すことも、反省することも、向上させることもない」、と。

将棋は、判断することの大切さを学べる貴重なものだ、と。

政治家は問題を先送りばかりしてるし、ビジネスの世界も含めて、現代の日本人は特に決断が苦手。

一手一手の積み重ねが最終的に結果となって現れる将棋は、現代日本にとって、判断や決断のいいトレーニングである、と。

ビジネスの世界においても、あの判断は正しかったのかどうか、間違っていたのかどうか、シンプルには結果は出ないし、非常にわかりづらい。

『将棋は決断の連結決算』という、二宮さんの言葉。

いいですね、この言葉。

あの判断(指し手)が、勝因だった。
あの決断(指し手)が、勝勢だった局面を一気に覆した。

と、対局後に検討すれば(上級者に聞けば)、明確にわかるわけで、
その時自分はどのような判断をすべきであったのか、答えが出る。
(もちろんプロでも難解な部分はあるけど。)

そして、僕の好きな言葉、『それもまた一局』、ということもある。

仕事や日常生活において、どれだけ真剣に重要な判断や決断をしているか。

適当に、いい加減に、
ま、こうしとこうか、こっちでいいや、
一応こうだよね、とりあえずこうしておこう、
ってことしかしてないような気もする。

一手一手の重み。

貴重な人生の一コマ一コマ、かけがえのない時間。

そこで自分はどういう判断をし、そのことがその後の自分の人生にどういう影響を与えたのか。どんな結果をもたらしたのか。

そんなことを考えると、今、指さねばいけない次の一手について、もっと真剣に先を読み、大局観の中で、真剣で冷静な判断を積み重ねていかねば、と考えさせられました。
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羽生進化論

2008年02月19日 21時41分40秒 | 将棋
先日の記事、《そこに七冠があるから》にいろいろコメントいただきました。

ssayさん、英さん、轟さん、ありがとうございました。

将棋世界3月号に、羽生二冠に関する記事いろいろありました。

本人へのインタビューの他に、鈴木大介八段と勝又清和六段の「進化する羽生将棋」という対談が載っていて、羽生のモチベーションについて語っています。
****************************************
「大切なのはモチベーション」

要は、羽生は、前例のない局面における指し手。
事前研究が及ばない世界。

わざわざ好んでそうした混沌とした局面に飛び込んでいく。
そして、飛び込むわりには恐ろしく正確。

勝又『以前、数学者という職業の人は周囲の人から「大変ですね」と言われてもピンとこない、何故なら当人にとっては遊んでいるにすぎないから、という話を聞いたことがあるんですよ。
それって、少し羽生さんに通じるものがあるなと思いました。羽生さんも考えること自体が楽しくて仕方がないのではないか、と。』

鈴木『プロ棋士が一番恐れるのはモチベーションが下がること、誰しもそう感じていると思います。もし将棋を指すことが楽しくなくなったらそれは相当につらいことになる。それ以外は例え負けることであってもそれほど大したことはない、と思います。』

勝又『羽生さんが好んで際どい変化に飛び込むのも、高いモチベーションを維持するためと考えればわかる気もします。』

鈴木『最も将棋を勝ってる人は最も将棋を楽しんでいる人なのかもしませんね。』
*************************************

これを読むと、確かに英さんのおっしゃるように↓、7冠がどうこうとか、棋界がどうこうとか、でなく、彼があれだけ強いのは単に将棋を楽しむ才能ということなのかもしれませんね。

英さんのコメント。
--------------------------------------
 彼は将棋が好きなのです。もちろん棋士すべてが将棋を好きだとは思いますが、彼は将棋が好きなのです。
  <中略>
 そんな感じで、ふと気がついたら全冠に手が届きそうになっていた。それならば狙ってみようと。→『そこに七冠があるから』になったのでは。
  <中略>
 羽生二冠がずっとトップにいるのは、将棋を面白いと感じ楽しんでいるからだと思います。
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そして、轟さんのコメント。
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『才能とは努力を継続できる力』
この言葉はおそらく将棋が楽しくて仕方がない人からは出てこない。
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努力を継続できる力の源泉は、難解だから、どうやってもわからないから、(それを解明しようとするのは)楽しいし、面白い。
凄まじい「好きの力」の成せる技ということなのでしょう。

ssayさんのコメント。
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羽生さんはもう、将棋界以外のところからモチベーションを持って来なければどうしようもないところまで来てしまったのかも知れません。そして、すでに、それをどこからか持ってきているのかも・・・。
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将棋というものが好きで仕方ない、というところから、将棋を解明するには、将棋以外の社会の事象や哲学みたいなものまで、連関して考えざるを得なくなっている。そこまで俯瞰して考えると、さらに将棋の面白さが増してくる。

ほんと、いい意味での好循環ができているからに違いありません。

対局未知の領域に踏み込む苦しむ・振り絞る将棋の奥深さを知ることになる将棋がますます好きになるさらに奥を知りたくなる研究する対局未知の領域に、と。


ここで、梅田望夫さんのこの本。
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
梅田 望夫
筑摩書房

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第三章「高速道路」と「けものみち」で、羽生二冠、そして、遠山四段のことが詳しく出ています。
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アントレプレナーシップの真髄とは、
「自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない」、ということに尽きる。
「勝った者」とは、「勝つまでやった者」なのだ。
手探りで困難に立ち向かうマドルスルー(泥の中を通り抜ける)のプロセス自体を、心が楽しんでいなければならない。
「できるから」ではなく、「好きだから」でなくては長続きしない。
だからこそ。対象をどれだけ愛せるか、どれだけ好きなのか、という「好きなことのすさまじさ」の度合いが競争力の源泉になる。

アップル創業者のスティーブ・ジョブズの言葉、
「The only way to do great work is to love what you do.」
(偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたがすることを愛することだ。)
------------------------------------

つまり、『どんだけ~?』ということ。

7冠というものが具体的に目の前に現れたことにより、
羽生はより将棋が好きになった。楽しくなった。

好きの凄まじさが、余計に増した、ってことも言えるのではないでしょうか。

確かに命を賭けてまで、獲らなけりゃいけない、獲りたい、ということでなく、命を賭けたいほどに、好きでたまらなくなった、ということでしょうか。

混沌を楽しむ力、梅田さんの言う「けものみち力」。

どんどん道のない森の中に踏み込んで行き、新たな足跡を残していく羽生。

自分は研究者というタイプでもない、と本人は言ってるので、単なる探究心や好奇心だけではない。

多分、この心理や現実は、羽生ならではのもの。

研究者とか、芸術家とか、そういう尺度では測れないもの。

羽生力(はぶりょく)、というしかないような「けものみち力」が、さらに羽生を進化させている。

将棋と言う範疇から飛びぬけた巨大な「けものみち力」が、羽生をどんどん未知の世界に誘っている。

そんな観点で、今日明日の王将戦第四局も含め、羽生の一局一局の将棋を味わうと、
たまらなくワクワクしてくるものを感じてしまいます。
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スポーツと将棋・その2

2008年02月18日 21時04分17秒 | 将棋
昨日の記事、《スポーツと将棋》で下記のような趣旨のこと、書きました。

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将棋はともかく、スポーツが好きな人って、かなりたくさんいるはずだから、
そういう人たちに少しでも将棋の魅力を伝え、将棋に興味を持ってもらったらいい。

解説とか、観戦記に、スポーツの例えを入れていただくと、もっと臨場感が増すし、わかりやすくなってくる気がします。(今まででもあったかとは思いますが)
----------------------------------------

なんて書いたら早速見つけました。

今朝の毎日新聞の順位戦の観戦記です。

谷川九段三浦八段の観戦記の中で、三浦八段の紹介が載ってました。

矢倉でも、振り飛車でも、穴熊だろうが、空中戦だろうが、何でも指す。

だからといって何でもこなせるオールラウンドプレーヤーだと言うわけではない。

一番勝つ確率が高い戦型を選んでいるはずだと。

シビアに勝ちに拘っているからこそ、いろんな戦型を用いているはずだと。

それに関しての三浦八段のコメント。

「(ヤンキーズの)松井が、高校時代、ある試合で5回続けて(敬遠で)歩かされましたよね。賛否両論あったけど、僕はああいうのはありだ、と思うんですよ。」

わかりやすい例えが出てきてます。

(ルール内であれば)勝つためにそれが必要であれば厭わない、と言うことですね。

この件に関しては、まさしく賛否両論あるでしょうし、どっちが正しいということでもないと思います。

もちろんアンりトゥンルールもあり、勝てばいい、何でもありということではないはずです。

でも、(ずるをするわけでもなく)必死で全精力を傾け、勝ちに行く、一勝の重み、ということもあると思います。

まあ、これはこれで、三浦八段の考え方、棋風、個性であり、云々することではないと思います。

その議論はさておき、こういう(野球の)例が出てきていると、(人によるでしょうけど)僕なんかはとってもわかりがよく、頷いてしまいます。

ということで、昨日の記事の補足でした。
コメント

スポーツと将棋

2008年02月17日 12時13分51秒 | 将棋
歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論
羽生 善治,二宮 清純
日本経済新聞出版社

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ついにこの本に関する第7弾です。

もういい?

まあ、そんなこと言わんと、聞いておくれやす。(笑)

この本を読んで、羽生の見識のすごさ、素晴らしさをずっと書いていたのですが、最近、梅田望夫さんがMy Life Between Silicon Valley and Japanで、将棋関連記事を連発していて、その中の現代将棋が表現する思想も必見ですし、遠山四段記事片上五段記事でも触れられています。

さて、渡辺竜王が、頭脳勝負―将棋の世界で、「将棋をスポーツと同じように楽しんでほしい」、と言っているわけですが、この本の醍醐味はやはりこのあたりです。

二宮さんと羽生二冠が、いろんなスポーツの特性や戦略と、将棋、というものを比較してこんな例を出して語っています。

サッカーと将棋はよく似ている。
サイド攻撃は端攻め。
金銀の守りはスリーバック。
飛車角はツートップ。
駒をどう配置するか、どう連動させて動かすかの戦略、フォーメーション。
ラインの押し上げ。スペースで守って、スペースで攻める。
引いてゴール前を固める穴熊。
横歩取りのように、全体に前に出て、ラインを上げる。
将棋もサッカーも現代はスピードと精度の勝負。ちょっとしたミスがそのまま勝敗に直結してしまう。

将棋は400年ルールは変わってないけど、競技の質が変化している。
ゴールまでの距離が短くなっている。
水泳のバサロスタートのようにスタートからかなりの地点までは潜水のまま進み、水面に出ると同時に激しく競り合ってあっという間に勝負が決まる展開。
水面に出たときにいかに主導権を取るか。

昔の将棋はボクシングに例えると、3ラウンドまでは様子見。今は1ラウンドから壮絶な打ち合い。
前半から勝負をつけに行くので、手数が少なくても精神的にきつい勝負。

昔のマラソンは、42.195km、皆一緒にどろどろになって走っていた。
勝負が決まるのは、本当のラストだった。
それが今は早い段階からスパートをかけ、勝負をつけに行く。
レースを作り、仕掛けていく。
将棋もまるで同じ。

詰め、寄せが難しいのは、ゴルフのパットに似ている。
簡単に入りそうなのが入らないとか、遠くからでも入っちゃうこともある。初心者は、スリーパット、フォーパットが当たり前でなかなか入らない。

飛び道具でなく、金銀で地道にやっていくのが好き。
ラグビーで言えば、スクラムで地道に1mずつでも前進していく。味方にちゃんとパスを回すことを重視して、あまりボールは蹴らないで。

こういう会話は、二人でほぼ同じくらいの意見が積み重なって成立している。
将棋のことは羽生が答え、スポーツのことは二宮さんが言っている、というわけではない。

バサロスタートみたい、というのは羽生の言葉。
二宮さんは
「バサロという表現は面白いなあ。序盤からある程度の距離までは波風立てないでスーッといってしまう感じですかね?」
と、羽生の例えに感心している。

高速道路と渋滞、というのもそうだけど、
将棋のことをいつも考えていると、
こういう例え、とか、こういう深くて重い言葉が出てくるものか、と感心する。

この本を読んで思ったこと。

渡辺竜王が言った、
「将棋をスポーツと同じように楽しんでほしい」という名言。
この言葉には多くの共感、賛同が集まっています。

将棋って、どうも小難しい、暗い、のようなイメージがまだまだあり、普及の妨げになっている。
そこから脱するためにも、また新しい時代の将棋のイメージを作るためにも、
この本に出てきたような各種スポーツの比喩を使って、将棋の戦術や楽しさ、奥深さを伝えたら、僕らにとってはよりわかりやすいと思う。

ほんと、そんな気軽な感じで、将棋が広まっていったら・・・。

将棋はともかく、スポーツが好きな人って、かなりたくさんいるはずだから、
そういう人たちに少しでも将棋の魅力を伝え、将棋に興味を持ってもらったらいいのに。

そこで提案。
解説とか、観戦記に、スポーツの例えを入れていただくと、もっと臨場感が増すし、わかりやすくなってくる気がします。(今まででもあったかとは思いますが)

棋士でも、記者やライターでも、スポーツ好きな方、いっぱいいらっしゃいますよね?

例えばですが・・・、

2、3筋で攻撃を仕掛けていて、ここを制圧するのが肝心と思っていたら、
急にサイドチェンジして、9筋からの突破を目指す構想。
4六の角(遠藤)が、右サイドでオーバーラップする内田に合わせるのではないかと思ったら、駒野が左サイドで敵の裏を狙っていた。

ここはいったん手を戻して、ボランチへのバックパスから、再度組み立て直す必要が。中盤でワンタッチで細かいパスをつなぎ、1対1の戦いから、よりパスを出しやすくしていき、局面を打開していく。

ある局面での対局者の心理。
ここはもう終盤だし、1点もやれない場面。
ランナーは溜まっている中で、どういう球を投げるのか?
強気で自信のストレートで押すのか、ここはまだ出したことの無い、秘密のナックルで行くのか。

二宮さんとか、古田、井川、内藤などに、観戦記を頼んだり、聞き手をつとめてもらったりという手もある。

逆に、子供サッカー教室で、サッカーと将棋ってこんな風に似ているよ、って話をしつつ、(ついでに)将棋も教えてしまう、とか。

将棋と言うものを、狭い業界の中で考えず、他の(メジャーな)世界の人や考え方とリンクさせていく。
そこで新しい発見があったり、スパークしたり、コラボできたりもする。

それを各種スポーツだけでなく、例えば、船戸女流二段がソムリエであれば、ワインと将棋について考え、ワインの好きな(特に)女性たちに将棋に対する興味を持ってもらえるような仕掛けをしていく。

こんなことを考えつつ、NHK杯を見たり、今夜のサッカーを見たりすると、より楽しいことがありそうな気がしてきます。
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