即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

絶対に負けられない戦い

2014年03月31日 18時39分19秒 | 将棋
ちょっと時間は経ってしまったけど先週行われた天下分け目の王将戦七番勝負最終局、渡辺王将vs.羽生三冠についての感想です。

一番ファンを熱狂させるこのフルセットの大熱戦は既報の通り、渡辺王将の見事な防衛で幕を閉じました。

大の羽生ファンの英さん第63期王将戦第7局 ~渡辺王将、完勝~という記事の中で、敗因(?)についてこう語っています。

①棋王戦で三浦九段が0-3で敗れ、渡辺二冠を消耗させないから……
②羽生三冠は年度最終局、成績良くないんだよな…通算17勝11敗 .607は、通算勝率.722と比べると相当低い。
③今回の敗退も、名人位を奪取すればおつりがくる
④勝者罰ゲームが嫌だった

特に②などは、ほんと、超マニアの分析ですね。

一方大の渡辺ファンのssayさんや九鬼さんはいまだに感涙にむせんでいます。

王将戦第6局であっさり負けてしまいフルセットにもつれ込んだ時、ssayさんは第63期王将戦七番勝負第6局の記事の中で『こういう負け方は、全然納得できない。』『本局のような「あっさり」した負け方は、嫌いだ!』と失望を露わにしています。

また同じく渡辺ファンの九鬼さんもその時の負け方については納得できないでいて、ssayさんの第39期期王戦五番勝負第3局の記事のコメントでこう語っています。
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王将戦第6局は、結果も残念ですし、ssayさんがご指摘のように負け方も良くなかったと思うのですが、私はそれ以前にここで振り飛車をやめた意図が気になっています。最後、第7局で後手番を引いた時、再び振り飛車投入するなら、私は一応納得です(もちろんその後の戦い次第ですが)。でも、羽生三冠相手にここぞという勝負のときは後手番でも常に居飛車で行くなら、ちょっと、いやかなり残念です。それだと、先のゴキゲン三連荘は単なるお試しか、目くらましの為だけってことになってしまい、何だか恐ろしく小手先感が漂います。
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勝ち負けだけではない。
負けるにしても納得のいく負け方をしてくれないと浦和レッズサポー・・・、じゃない、小穴、じゃない、コアな渡辺ファンとしてはどうにもこうにも収まりがつかないわけですね。

それは当然です。

それにしても第6局の負け方といい、棋王戦の完璧な強さといい、竜王という呼び名がまだ似合っているさなかに二組に降級しちゃうとか、そんなことも含めて彼の魅力なのでしょうか。

さて、ssayさんが最終局を振り返って書かれた記事、第63期王将戦七番勝負第7局
ホッとしつつ、安心して一人にんまりしつつ盃を傾けている姿が目に浮かびます。
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さて、第7局だが、後手番となったあきら王将が採用した作戦は「ごきげん中飛車」。
九鬼さん、感涙にむせんでいますか?
この大一番に持ってきたということは、単なる目くらましではありません。
かと言って、直ちに有利になるほど、おいしい作戦でもありません。
あきら王将なりの試行錯誤の中で、あえて採用したのでしょう
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思い起こせばちょうど一年前、去年の名人戦第一局の時に上京した英さん、ssayさんと3人で初めて会って飲んだあの楽しい思い出が蘇ります。

豊島六段が一矢を報いた電王戦のことはさておいて、今回の王将戦はいろいろ見ごたえありましたね。
渡辺二冠は棋王、王将ともにしっかりと防衛。隙のない強さを存分に発揮しました。

一方の羽生三冠は、気を取り直して来週にはもう始まる名人戦にすべてを賭ける。
4年連続の同一カード。
小学校の時からずっと戦い続けている気心の知れたライバル。
4-3、4-2、4-1と次第に差がついて負け続けてきたので、ここで(4-0とか)負けるわけには絶対にいかない意地がある。

優先順位をつけるわけではないものの、今は打倒渡辺明!というフェイズというよりも、打倒森内俊之!という思いの方が強いはず。
(渡辺ファンに失礼な書き方かもしれず、すみません。)
羽生三冠の将棋人生の中で、何としても今成し遂げなければならないのは、ここ3年も厚い壁にぶち当たって敗退した森内名人を破って名人位を奪取すること。
そして、秋の竜王戦の舞台にも挑戦者として名乗り出て、そこでも森内竜王を倒して、永世竜王位を獲ること、そして永世七冠という前人未到の高みに立つこと。

七冠という快挙さえすでに成し遂げた羽生三冠が、今棋士人生を賭けてどうしても達成したい目の前の目標がこの二つなのではないかと思います。

羽生三冠にとってはめったにない、絶対に負けられない戦いがここにある。
すっかり桜も咲いて、来週から始まる名人戦、楽しみです。

ところで英さん、今年は来ないの?
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自分だけのフォーム

2014年03月28日 18時48分50秒 | 雑感
<コーチング><傾聴力><裸の王様>と続けてきましたが、そのあたりの記事の続編です。

エグゼクティブのための 正しいゴルフの習い方
クリエーター情報なし
ディスカヴァー・トゥエンティワン


コーチングというものは、ビジネスや教育分野で今活用されているようですが、もともとはスポーツにおけるアスリートのコーチというのがわかりやすいし一般的です。

この本は、ビジネスコーチングのプロが有名なプロゴルファー、ラリーネルソンからゴルフのコーチングを受ける話です。

二人のやりとりの中で、ゴルフのスキルをどう学ぶのがいいのか、というテーマの本なのですけど、いろいろ勉強になりました。
ポイントを列記します。
=====================
ターゲットに向かって打とうとしてはいけない。
それよりも『自分のスイングを開発する』ことだ。

自分でビジョンを描き、そこに向かう。
そこに正しく向かっているかどうかの判断基準も自分で作り、自分で評価する。
まさにビジネスと同じ。

いくら教えられても、言葉に対する解釈が違えば絶対にわからない。
人は言葉そのものに反応しているのでなく、言葉に対する自分なりの意味や解釈に反応する。

人はそれぞれ違う。

基本を積み重ねていくことで、自分のスイングを開発することができる。
習い方そのものを学習する。

単に正しいスイングでなく、自分だけの正しいスイング。

フィードバックとアドバイスの違い。

コーチ、上司や先輩からのアドバイスはわたしたちを長い混乱へと導く。
アドバイスは具体的な方法なので選択の余地がない。
アドバイスは脅威。

一方フィードバックは受け入れてもいいしほっておいてもいい。
選ぶのは常に自分。
さまざまなフィードバックにどれだけ気づいているか?
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一般的な正しいフォームやスイングを押し付けられ、自分がその型の中にはまっていくのでなく、自分で考えて自分だけの正しいフォーム、スイングを開発すること。
自分の正しいゴルフというものを突き詰めて考えて実践できるようにしていくこと。

これはゴルフに限ったことではなく、ビジネスもそうだし、すべてのことについて言えるのではと思います。

自分はどうするのか。
自分だからどうするのか。

より自分のことを理解し、自分のスキルややる気を客観的に分析して、自分がやるための戦略やステップを作っていく。

コーチングの前提は
「問題の答えは、その人の中にこそ存在する」という発想。

佐藤可士和さんも、同じようなことをよく言われてますよね。

”答えはいつも自分でなく、相手の中にある。”

表面的な 言葉だけでなく、相手の意識の部分まで踏み込んで、とにかくすべての情報を集める。
クライアントの求めるものを正しく汲み取り、それに寄り添う形で自らの才能を投入することにより、その仕事のあるべき姿が実現する。そしてそこにあるべき成果が生まれる。

とことん傾聴して、突き詰めていきつつ整理していくことで新たなものが生まれる。

よくわかります。

前にも書いたけど、どうしてもすぐに意見を言ったり、アドバイスしたくなっちゃうんですね。
相手の意識まで踏み込んで、相手にできるだけ寄り添う形で自分のすべてを投入するって、言葉ではわかるけど、なかなかできないことだと思います。

ますますコーチングの奥深さに興味津々で今後も勉強していこうと思っています。
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裸の王様

2014年03月23日 12時42分16秒 | 雑感
最近、<コーチング><傾聴力>と続けてそのあたりの記事を書いてきました。

そんな中で、最近とみに思うこと。

自分と違う意見を言ってくれる人がまわりにいることはとても貴重だしありがたいということ。

誰でもいいというわけではないし、いろんな人からバンバンあなたの意見は違ってますよ、と言われちゃっても対処に困る。

基本は信頼関係が築けている人でしっかりした自分のポジション、意見があって、なおかつ僕のことを理解してくれていて、そりゃ違います、とか、こうした方がいいのでは、とか、遠慮なしにずけずけ言ってくれて、気づかせてくれるような人。
視点の異なる見方をぶつけてくれて、議論して、一緒に対等に客観的に考えていけるような人。

仕事でいろんな経営者や偉い立場の人たちとよく会うのだけれど、ほんとに裸の王様が多いです。いっぱいいます。

そう思いませんか?

今の世の中、スピードが大事だし、リーダーシップが以前よりも重要になってきている。

きちんと未来予想図を描き、舵取りをしっかりして船を前にぐんぐん進める。
そして、部下に信頼され、一つの方向に一丸となって推進していける力。

過去の成功体験をそのまま推し進めていけばうまく行くような時代ではない。

そうなると知見も推進力もあるリーダーが、どんどん船を前に進めていくしかない。
周りや後ろを見たりじっくり考えたりする暇もなく、馬車馬のごとく突っ走っていく。

自分のやり方を信じて責任もって一生懸命前に進もうとしている人に、『ちょっと違いますよ』、『現場はうまく回ってないです』、『そっち行くとやばいかもしれないですよ』、などと言うのは結構大変です。
自分の言うことが間違ってるかもしれませんし、言いにくいのが当然です。

リーダーにとって耳の痛い話、耳に入れたくないような話は絶対に上げない。
報告するにしても、オブラートに包んで、いや、かなり改ざんした形で報告する。

こんなこと言ったらめちゃくちゃ怒られると思うと、尻込みして報告を先送りする。

『とんでもない、そんなこと言ったら大変ですよ。
機嫌をそこねたらえらいことになります。
お願いですから代わりに言ってください。
いいアイディアもあるのだけど、
そんなこと考えてる暇あったらちゃんとやれ!
と怒られちゃうので近づけないですよ。』

誰が猫の首に鈴をつけるのか。

結局偏った情報をもとに、誤った判断をせざるを得なくなる。

順調に航海しているようでいても、そのうち後悔することになるはず。

気づいた時にはもう取り返しがつかない。

瞑想していても迷走状態に陥る。

そんな時代だし、『そっちに行くとこんな可能性もあります』、『こんな危険性もあるので前もって対処しておいた方いいのでは?』、『こう考えたらうまくいくと思うのですけど』と言うような意見に耳を傾けるのはほんとに重要なことだと思います。

自分は他の人よりも優れているし、人一倍がんばっている。
この難局を乗り切ることは自分にしかできない。
しかし、完璧でオールマイティなわけではないし、当然部下の方が優れている部分だってある。
社外の人を頼りにした方がいい局面だってある。

そのあたりをきちんと気づいて、いろんな意見や可能性を検証したり、確認したりすること、
なかなかできないみたいですね。

自分はオールマイティなわけではない、もしかしたら裸かもしれない、と、自分ではわからないことを何とか気づいてもらうこと。
現場のことも含めいろんな視点も勘案した上で総合的に大局的にバランスのいい経営判断をしていくこと。

オーナー会社ではよくありがちなワンマンで一方的な経営体質。
従順に従うだけのイエスマンだらけの風土。

企業はその経営者の資質以上のものにはならない。

でも、トップに何度言っても通じないし、うちの会社は無理。
完全に閉塞状態。
時が止まったままで何も変わらない。

しかし、トップのことは自分のこと。

自分を振り返ってみて、周りのいろんな人の意見に真摯に耳を傾けているかどうか。
異なった意見でも、正反対の意見でも、しっかりと受け止めて共感しようとしているか。

まあ、軽重浮薄の時代ではないけど、傾聴すること、大事だなあ、と思っている今日この頃です。
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作戦間違い@電王戦・その2

2014年03月22日 22時54分25秒 | 将棋
今日の国技館での電王戦第二局、佐藤紳哉六段対やねうら王。
しっかりした隙のない指しまわしのコンピュータ側が勝って2連勝。
このまま人間はいいところなくふがいなさを見せつけて終わってしまうのかどうか、気がかりです。

先日、<作戦間違い@電王戦>という久々の将棋関連記事を書いてたくさんのコメントいただきました。
皆様、ありがとうございました。

その中に九鬼さんからの長文コメントがあり、とても興味深かったのでここで部分的に引用させていただきつつ意見交換というような形にしたいと思います。

冷めた見方?   by 九鬼さん

<九鬼さん>昨年の一連の記事のなかで、nanaponさんは、問題点を2つに分けて、整理していらっしゃいましたよね? 1つは、「このままコンピューター将棋が強くなっていっても、プロ将棋は大丈夫なのか?」で、もう1つは「強い将棋ソフトを作るのは何のためか?」です。

そうなんですね。忘れてました。(ほんと歳だよね、すぐに忘れちゃう。)
で、読み返してみました。結構興奮して書いてますね。(あの人この人に刺激されちゃって)
昨年書いた記事はこちら。
(九鬼さんの指摘内容はその2、その3です。)
電王戦考察その1
その2
その3
その4
その5
その6
久々に読み返してみました。いろいろ考えて一生懸命熱くなって書いたますね。若い!(笑)
ssayさん英さんともかなり深いやりとりをしてるし、コメントいただいた方々の意見も含めいろいろな視点から皆で議論してます。
そして結構もがいていろいろ書き続け、終盤は結構煮詰まっちゃって、もうおなかいっぱいな感じになってました。

<九鬼さん>コンピューター将棋がプロ棋士より遥かに強くなっても、将棋のプロ棋戦が成り立つかどうか、つまりCOMより弱いプロ棋士にファンとスポンサーが十分に付くかどうかは、結局私達が「コンピューターよりずっと弱いが人間のなかでは圧倒的に将棋に強い人たち」であるプロ棋士の指す将棋に魅力を感じられるかどうか、にかかっているのだと思います。

私は、将棋はものすごくよくできた有限ゲーム(有限確定完全情報ゲーム)の一つと割り切っていますので、もし将棋の神がいるとしたらそれは進化したコンピューター(+進化したコンピュータ将棋ソフト)でしかありえないと思っています。なので、コンピューター将棋(ハード+ソフト)が一定水準以上に進化したとき人間が勝てなくなるのは当然であり、そのことによってプロ棋士やプロ棋戦の魅力はいささかも減じない、と思っています。
コンピューター将棋がプロ棋士よりはるかに強くなったとき、プロ棋士や彼らの指す将棋の魅力が減じるとしたら、それは従来のファンが「先生」を半ば神格化してしまっていたからで、一種の偶像破壊に対する嫌悪感を抱いてしまうからではないかと思います。そういう人がいるのは大いに理解できますし、その方々の気持ちを踏みにじっていいとは思わないのですが、ともかく私の場合はそれがないですし、多くの将棋ファンも割とすぐに「コンピューターより弱いプロ棋士」に慣れるのではないかと思います。問題はスポンサーですが、ファンが大丈夫であればスポンサーについても悲観する必要はないく、新聞社の衰退や、日本経済自体の縮小の方が深刻な問題なのではないかと思っています。


九鬼さんは、コンピュータソフトがプロ棋士よりもはるかに強くなったとしても、プロ棋士たちの将棋の魅力はいささかも減じることはないというふうに言われています。
個人の好みや価値観もあるし、人それぞれなんだとは思いますが、僕はこう思います。

たしかにコンピュータの進化は著しいし、人間の進歩に比べたら月とすっぽんなわけで、このままの勢いでいけば、羽生さんや渡辺さんでも、いや束になってかかっても全く箸にも棒にもかからない位差がついちゃうのだと思います。
そうなった時、今我々が興奮して楽しんでいるプロ棋士同志の将棋の魅力がどうなってしまうのか。
それは我々のコンピュータとの付き合い方次第だと思います。

前にも書いたけど、懸念しているのは例えばこんな例。
羽生・渡辺のタイトル戦の対局中、ニコ生、とか、大盤解説会で木村八段がユーモアたっぷりに次の一手とか、どちらが優勢とかいろいろ解説していてファンが固唾を飲んで見守っている時。
そこで、ニコ生の画面とか、twitterとかで強いコンピュータソフトの手が示されてしまった場合。

なーんだ、解説者は全然わかってねーじゃん。
対局者だって、こう指したら一発なのに、何考えてるんだろ?
こんな手もわかんないのか、あーあ。

ってなっちゃう。興醒め。(極端な例)

ニコ生やtwitterなど見なけりゃいいじゃん、と言えばそうなのだけど、こうなってもいいのかどうか。

もうひとつ。
対局中は電子機器の電源を切るなどの規定が設けられたけど、棋士よりも強いソフトが普及したとしたら昼食も何も外出禁止とかにしないと、やばいことになるのではという不安。
フェアプレイが当たり前の世界にそんなことはありえないと言えばそれまでだけど、いろんな規定をさらに整備しないといろいろ面倒なことが起こるかもしれない心配が募ります。

さらに言えば観戦記の問題。
現在、多くの観戦記者は担当のプロ棋士の解説を参考にして観戦記を書いているわけだけど、そこにコンピュータソフトも登場してくる(かもしれない)。
この局面ではこうだったかもしれない、ここは難しくてこういう見方もできた、とか、対局者の感想や解説の棋士の分析だけでなく、強いソフトだったらこう考えたし、こうした方がよかったというコメントも入ってくる。
そうなった時、プロ棋士や人間の世界だけでは気づかない新たな発見や事実が示されることになる。

棋士同士の将棋の稚拙さが指摘され、タイトル保持者ってそんなもんか、ってことが僕らの目の前に示されてしまう。

観戦記にコンピュータソフトの解析なんて要らないと言ったって、もしも我々がコンピュータを使って検証できるのであれば、今タイトル戦で起こっているような、課題の局面に敢えてまた誘導して研究成果をぶつけて深めていきたい、極めていきたいというようこともバカバカしくなってしまいます。

ここまで一般にも普及するにはまだまだ時間はかかるのでしょうけど、どちらにしても僕が思うのは僕らがプロの将棋を楽しんでいる場所に、出て来てほしくないということ。盛り下げちゃうような影響を与えてほしくないと言うこと。
棋士対コンピュータの電王戦をやること自体はまだいいのだけど、僕らがプロ棋士たちの味わい深い将棋を心行くまで楽しんでる現場には絡んでこないでほしいということ。
考え方が古いと言えばそうかもしれないし、心配性と言えばそうなのかもしれないけど、どうにもそこがとても気がかりなのです。

あと、九鬼さんの指摘している点、プロ棋士を神格化してしまっていること、偶像破壊的な印象については他の人はどうかわからないけど、僕はそれについての失望はありません。
科学の進歩は目を見張るものがあり、このままどんどん進めていけば、囲碁だろうが何だろうが所詮はかなわないレベルにいってしまうのでしょう。
単純にコンピューターとプロ棋士の格付けが済んでしまったとしても、プロ棋士に対して、また、棋士同士が力一杯紡ぐ将棋への興味関心は決して薄らいだりはしません。

ということで、この点については、保守的な人間の意見になってしまうかもしれないけど、観る将棋の醍醐味を毀損しないようにしてほしいなあ、というのが僕の切なる思いです。

長くなったので、もうひとつのテーマ、「強い将棋ソフトを作るのは何のためか?」の論議についてはまた次回にしたいと思います。

関連記事:ssayさん・・・もう、やめたら?(その2)まだ始まったばかりの第3回電王戦について
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作戦間違い@電王戦

2014年03月17日 12時40分19秒 | 将棋
昨年の電王戦のことに関しては以前たくさん書きました
いよいよ第三回が始まり、おととい菅井五段対習甦の第一局があったので、ニコニコなどちょこちょこチェックしてました。

感想は、ssayさんの記事、・・・もう、やめたら?に集約されています。

“将棋ファンの中には、傷ついている人もいるということを理解してほしいのだ。”

と繊細で傷つきやすいssayさんは嘆いています。
もちろんいろんな意味で話題性もあり、十二分に楽しんだという人もいることだろうと思います。

しかし、僕にとっても、

なんなんだ、これは!?

異種格闘技?

と、変な演出や盛り上げのところにまず目が行ってしまいます。

電王手君?
ちゃんと一礼したけど可愛くないですよ。
こんなのすぐに飽きます。子供だまし。
新聞の一面にも出たけど、大体この絵がひどい。

ワクワクしないです。
第二局以降はさらにビックリするような電王手君2ndバージョンを登場させるのでしょうか?

そういう風に言うと、古くからの将棋ファンはひとまず置いといて、ここは新たな将棋ファンの開拓が狙いだと言われてしまうのでしょう。

あの菅井五段が必死で戦っても難しいくらいの強さです。
彼が真剣にやってあれだけかなわないのであれば、もう手合い違いではないですか?
去年から1年経っていたら、いや、3か月違ったら敵の開発スピードはものすごいだろうからずいぶん手合いが変わってきちゃうんだろうと思います。
出場棋士うんぬんではなく、これではいいところなく5戦全敗が現実的なものになってます。

有明コロシアム、国技館という会場選定もなんか指しすぎの感がする。
伝統と近未来の異種格闘技ということで、全国の1000万格闘技ファンを将棋に引きずり込もうという作戦なのでしょうか。
もしそうであれば、ssayさんも言ってたけど、第三局大阪府立体育館、第四局後楽園ホールとすればいいんです。

連盟モバイル編集長の遠山五段第3回電王戦第1局という記事でこう言ってます。
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ビッグイベントの運営ということで色々なことがあるのは致し方ありません。私としても知らないことばかりで、記者会見を見て知ったことも多く、判断つきかねています。
2点残念なのは、
前回の記事で書いた「ファンに喜ばれるかどうか?」の雲行きがだいぶ怪しくなったこと
・佐藤紳六段はじめここから登場する棋士が、集中して盤に向かえるかが大変心配なこと
将棋連盟が出来る唯一最大のことはイベントを成功させることですし、関係者一同それに向けて頑張るよりありません。
===========================
そうです、『どれだけファンが喜んだのかどうか』の一点。
どれだけメディアに取り上げられたか、とか、どれだけ収益が上がったかとは二の次です。
百歩譲って、古くからのファンには悪評だったけど、今回の目的だった新たなファン層拡大ということでは十分に効果があったということであれば作戦成功です。
(仮にそうだとしても古くからのファンに対する配慮も考えるべきですけど。)

言葉は悪いけど、質の悪いSFドラマです。
安物の格闘技イベントです。

保守的なファンの目線だと言われるかもしれないけど、将棋の本来の良さ、楽しさ、醍醐味とはまるで別物ではないの?と思えて仕方ありません。
僕らの好きな将棋はどこ行っちゃうのですか?

なんかボタンのかけ方が狂っています。

お願いだから僕らがリスペクトしてやまない崇高な棋士の方々を変な方向に引きずり込まないでほしいです。
オジサンファンの悲痛な心の叫びです。

>来年以降はドワンゴさんが手を引くだろうけどね。

全国の格闘技ファンがほっておかなくて、さらにイベント的な盛り上げ、とんでもない話題性溢れる趣向を凝らして、無理やりでも互角に戦えるようなハンディマッチにしてやるんじゃないでしょうかね。
角落ちとか、飛車落ち、いや六枚落ちくらい?
いや、金網とか、鎖とか?(笑)

はい、ファンが喜ぶ第四回電王戦を心から楽しみにしています。

ということで終わりにしようかと思ったら、こんなことになってるの?
将棋電王戦「やねうら王」改変問題、ponanzaの山本一成が激怒、対戦相手・佐藤紳哉が不快感。ネットでも批判の声が続出
将棋電王戦】 レギュレーション違反? 佐藤紳哉六段、怒りの会見

ネット上でかなりヒートアップしてる。
どうでもいいけど、ますまず場末のプロレスじゃん。
試合前の会見で花束投げつけるあれ。
こりゃ東スポの1面で大きく取り上げないといけませんねえ。
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傾聴力

2014年03月16日 12時44分04秒 | 雑感
ちょっと前に<コーチング>という記事を書きましたが、ここのところコーチングというものにかなり関心を持っています。

つい先週のテレ朝『GET SPORTS』でも、宮里藍のメンタルコーチの特集をやってました。

アニカ・ソレンスタムなど多くのトッププロを指導している二人のメンタルコーチのトレーニング法について藍ちゃん自ら詳しく紹介していました。
『ゴルフやスポーツ以外にもビジネスや人生哲学としても応用可能なメンタルコントロール・メソッド』とのことだし、刺激一杯の内容でした。

そして、先日、コーチングのセミナーに行きました。
かなり興味深い内容でした。
=======================
なかなか人の話を聞くことは難しいし、うまくできない人の方が圧倒的に多い。
飲み屋を見れば、ほとんどの人が皆しゃべってる。
しっかり人の話を聞いてる人は少ない。
人の話を聞く能力は後天的なもの。

まして上司だと部下の話を聞いてるようでいて、結局は自分がいかに優秀であるかを示すためのコミュニケーションに終始している。
上司は部下の話をちゃんと聞いていると思っているけど、部下からすると(話をする時間はたとえ多くても)自分の話ばかりして人の話をしっかり聞いてくれない、わかってくれない、と思われている。
リーダーの4人に1人はコミュニケーションの欠陥があるというデータがある。
伝える能力よりも聞く能力。傾聴力。

人の話を真摯に素直に聞いて、その意見や状況に共感を示すリスニング能力。
自分が喋るのでなく、相手にしゃべってもらう機会を与えられる力。
誰しも人の話を聞くと、すぐに意見や自分の思いつくことをついつい言ったりしがち。
そうか、君が言いたかったのはこういうことか、とあいずちを打って(自分の意見は置いといて)さらにしゃべってもらって理解して納得する力。

要は人間として聞くのではなく、犬として聞く。
キラキラした目で一生懸命に聞くこと。
ワン

今、先が見えない時代。
戦略が立てにくいし、失敗のリスクも大きい。
どんどん変化していかないといけない。

リーダーの影響力が昔よりもはるかに大きい時代。
従来は枠にはめていけばよかったのが、枠からどんどんはみ出していかないといけない時代。

自分への自信が高い人ほどコーチをつけることが必要。
良くない情報も受け取ることができる能力。
他人の視点で自分を見ることができる能力。
他人と視点を交換して、一緒に俯瞰で全体を見渡せる能力。

一般的にいいリーダーや経営者は、

“CUTEであり、人を笑わせて、また会いたくなる。”
========================
勉強になりました。
できてないですね。
すぐに意見を言っちゃいます。
話を聞くと片っ端からいろいろ思いついて止まらなくなるほどしゃべっちゃいます。
もちろん自分勝手に一方的に言ってるわけでなく、相手のためを思って、相手のためになればと思って意見を言ってるつもりです。
でも、そう言われるとほんとしっかり聞き尽くしてないですね。
そうか、犬になればいいのか。
何もしゃべらず目をキラキラさせてあいずち打ってうなずいて、ついでにペロペロなめちゃうか。

人の話を聞いたら、もっと深くわかろう、そう思う背景や理由があるはずなのだから、それも知りたい、って思わないといけない。
短絡的に、いや、それじゃだめだからこうしたほうがいい、とか、それいいけど、どうせならもっとこうしたら、とか、反応しちゃう。
黙っていよう。
自分の意見は横に静かに置いておこう。
もっと傾聴して、相手の立場に立って共感して、相手の視点を持って考えないといけない。

すぐに自分の手を指すのでなく、加藤九段のように相手の席の後ろ側に立って相手側から盤面を見渡すこと、相手の立場だったらどういう大局観でどういう作戦で行くのがいいのか。
耳を澄ませて、心を研ぎ澄まして、相手の心の奥底に入っていく作業。

話しは一気に違うけど、いつもうちの奥さんから、人の話を聞かない、聞いているようでちゃんと理解してない、もともと聞く気がない、上の空、などとの批判を浴びています。

ということで仕事のみならず、普段の生活も含め、ことの軽重に関わらず、しっかり傾聴することを心がけたいと強く思う今日この頃です。
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青色吐息

2014年03月13日 12時55分02秒 | 日記とニュース
つい先日、<一石二鳥週間>という記事を書きました。
ピロリ菌除去のための禁酒投薬と深刻極まりない青色申告作業の1週間でした。

飲み会も入れなかったので、ジムにも行った。
しっかり汗をかいた後のグビッ!!がないのはなんともピロリん村と苦しみの日。

禁酒を実行するための苦行感解消のために、4社の各種ノンアルコールビールの飲み比べをやることにしました。(結局どれもビールに比べたらまずい、という結論しか得られなかった。)
生活にいろいろ工夫をしたりしつつ何とか1週間が過ぎました。

なんとか頑張って1週間禁酒後、その達成感と解放感の中の最初のビール1杯はなんと素晴らしかったことか。
ドキドキしちゃいました。
この緊張感がたまらない。
1杯の酒を飲むことがここまでエキサイティングだったとは。
何でもそうだけど、当たり前のように慣れっこになってしまってはもったいない。
その有難味、そして味と雰囲気の新鮮さ。
人生、これほどまでに幸福なわけなんだ。

ということでたまには禁酒もいいものだと実感。
ピロリ菌除去成功かどうかの検査は8週間後とのことです。

さて、もう1件の難題。
ほとんどの作業はこの期間でやっつけたけど、いろいろ細かい不明点や確認事項が出てきて、詳しい人や知り合いの税理士とかに聞いた。
近くのショッピングセンターでも確定申告コーナーができていたのでそこでも相談に乗ってもらった。
結局、細かいところはその人の考え方というか、皆見解が違うということが発覚。
なんだい、どっちだっていいんじゃん。
いい加減だな、ってことも思うけど、まあ、そこまで一人一人細かくはやってられないだろうな、という大人の見解もある。各自の解釈で、って部分もあったっていいっちゃあいい。

そんな最終検証確認作業を経て、やっとのことで昨日終了しました。
税務署は満員行列。

ふ~。

これは1年に1回の作業なのがネックとも言える。
せっかく集中して理解しようとしてやるのだけど、1年後にはまた思い出せないことになる。
これってどうすればいいんだっけ?
その繰り返し。
ここが曲者なのだ。
自分の中に苦手意識がまたいけないということもある。
当然、今回悩んだところ、どんなステップでどうしてこうして、というマニュアル風なメモも作ってはいるのだけど、常に新鮮な悩みがいっぱい。
そんなに激しく仕事してて複雑なデータがあるわけじゃないのだけど、大量の疑問がいつも渦巻く。
もっとわかりやすくできないのかな?
ほんと、教わりながらとはいえ、皆ちゃんとクリアしてるのかな?
ごまかそうとしてではなく、初歩的な計算間違えや勘違いも含め、何もわけわからなくてめちゃくちゃな申告をしてる人って大勢いるのではないかとマジに思う。
そういう人は額が小さいから体制に影響なく、納税額の多い人はきちんと税理士がついてるから心配ないという図式なのだろうか?
こんなに意味不明で一方的な専門用語、もっとどうにかならないのだろうか?
シンプルで誰にもわかりやすくできるような仕組みは難しいのだろうか?
わかんないなら、ちゃんと勉強しろよ、って突っ込まれるかもしれないけど、いつもこの時期の重くて暗い気持ちを何とかできるのであればしたい。
お金払って税理士とか青色申告会とか便利なPCソフトとかに委ねたらというのもいまいち腑に落ちない。
そんなことを考えつつも、とにかくお陰様で無事に終了したので、今日から僕は春になりました。
ありがとうございました。
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自分の居場所

2014年03月07日 15時45分27秒 | 雑感


31%

僕らの頃と違って、昨今の就活、やたら大変なのでしょうけど、せっかく入社できたとしてもそのほぼ3分の1が3年以内に辞めてしまってるという恐ろしい数字です。

『早期離職者』の増加。

苦労して必死で就活して、やっとのことで決まった職場。
企業も学生もお互いお金も労力もかけ、必死に最善を尽くして頑張った結果がこれではあまりにも空しい気がする。
お互いの期待値のギャップ。
最初から歩留りを計算してということであれば仕方ないけど、想像していたのと明らかに違った、ということであればインターン制度を含め何か改善策を考えていかなければいけないのではないだろうか。
どちらも3年ももたずに後悔することになる現実。

何が原因なのでしょうか?どうしたらもっといいマッチングができるんでしょうか?

『「早期離職者」を生む2つの原因』という記事ではこう分析しています。

・入社前の企業のイメージと、実際の仕事内容や労働環境の間の大きなギャップ。
・若い人の忍耐力欠如の問題。
・会社における教育研修の在り方・新入社員の育て方といったところの問題。
・会社において、その人は非常に大切なものだというふうに認識し、大変な選択をして採用した者について精魂込めて育てて行く、という部分が時代と共に薄らいできている。

これは結婚と近い話かもしれないですね。
この記事にも出ているフランスの金言集です。
「人は判断力の欠如で結婚し、忍耐力の欠如で離婚し、記憶力の欠如で再婚する」

判断力と忍耐力、ですか。

でも、会社側の立場で改善、工夫することはいろいろあると思うのだけど、この話で一番思うのは『自分の居場所』という問題。

自分が自分らしく、素の自分をさらけ出せる場所。
自分があてにされたり存在感があったり輝きを放てると思えるような場所。
もちろん職場で居場所が持てればいいわけだけど、家庭でも、趣味でも、仲間でも何でもいいので、小さくてもいいので、自分が自分らしくいられる場所さえ見つけられれば何とかしのげるのだと思う。
ゲームでもネットでもアニメでも何でもいいので自分の居心地のいい小さな場所さえあればどんなに辛いことがあってもどうにかなるのだと思う。

それが見つけられないでいると、昨今続々と起こる暗い事件の加害者のように、悶々として、ストレスが溜まって爆発せざるを得なくなってくるのだろうと思う。

自分の大学時代とかを振り返って考えてみるに、暗い青春時代だった。
楽しく充実していた高校時代と比べて、時代背景もあったけれど自分がいる場所、いてもいい場所だとはなかなか思えない、そんな大学のキャンパスだった。
自分が思い描いていた場所とは違った失望感。

特に勉強したいテーマがあったわけでもない。
何かのサークルをすごくやりたかったわけでもない。
たくさんの学生が楽しそうにキャンパスを歩いているけど、その中に入りこむことができなかった。
ごく近い少数の友人たちと過ごす以外は、気持ちがいつもふわふわしていてどこか落ち着かなかった。
自分の将来を漠然と考えつつ、焦燥感や挫折感の中で何とか居場所を見つけようとしてもがいていた。

大学にはなかなか足が向かなくなって、いろいろなバイトをしてお金溜めてはふらふらと一人旅に出かけていた。
夜行列車、高速バス、ヒッチハイク、ユースホステル、友人宅などを駆使して、貧乏旅行を繰り返し、日本中だけでなく海外も含めて自分の居場所を探してうろついていた。

あの頃、根無し草、デラシネという言葉もあった。
自分が根を張れる場所。
根を張ろうとしても、根が生えない。
スカスカのままで結局ちっとも土と同化できない。

就職したての新社会人もそうだし、家庭の中で発言権のないお父さんもそうだろうし、誰しもホッとできる、癒される、馴染める場所を持てることがとても大切だと思う。

この前高校の先生をしてる友人と話したのだけど、やはり生徒たちは皆大変だと言っていた。
受験を控えて、親の期待やプレッシャーがのしかかる。
勉強もうまく行かず、部活にもなじめずに、自分の居場所を見つけられずに心の病気になる子供も多いらしい。

家庭、学校、会社、地域、友人、など、それぞれの重なり合うコミュニティの中で、皆がうまく自分の居場所を作れるようにするにはどうしたらいいのか。
もっと視野を広げて、とか、忍耐力をつけて、とか、個々の問題はあるにせよ、この課題を解決できるような社会システムをどう作ったらいいのか、ということを身近なところから、足元で簡単にできるようなところから考えていきたいと思っています。(なんか今日は真面目だぞ。。)
コメント (6)
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風通し

2014年03月02日 18時10分08秒 | ブログ
仕事で関係するいろんな会社を見ていて最近よく感じるのは、風通しの悪い会社、組織が多すぎってこと。

ものが言えない、言いにくい会社。
伝えたいことが伝わらない組織。
言ってることが理解されない風土。

『うちの社長にそんなこと言えるわけないじゃないですか。言ったら大変ですよ。
チラッとでも言ったらまたカンカンに怒られちゃうので言えやしないですよ。』
『あれだけ言ったのに、また言うこと聞かないで勝手に動いちゃうんだから、もうあきれてものも言えん。』
『いろんな意見やアイディアはあるのだけど、言っても相手にされないし、聞いてくれるわけないのでもうずいぶん前から言うのあきらめてますよ。』
『全然報告はしてこないし、ろくな提案もしてこない。また予算減らすしかないな。』

上からも下からも縦も横も斜めも、どの方向に吹く風も澱んでてスムーズには流れていかない。
情報や意見の渋滞、沈殿、ヘドロ化。

上司に対しては、上司の耳の痛いようなこと、言われたくないようなことは絶対に言わない。
怖いから報告も顔色をうかがい、先延ばしする、脚色する。自主的な改善提案もせず、ダメな言い訳作りに奔走する。

部下に対しては、現場のこともわかろうともしないし、部下の気持ちも理解しようともしない。聞く耳を持たないまま勝手な経験則で思いついた指示を出す。

どっちも悪い。
コミュニケーションギャップ。
意思の疎通の問題。

そこのパイプが完全に糞詰まり。
誰も掃除をしようともしないし、自分の責任ではなく、お互いに相手のせいにしている。

それではこの厳しいビジネス社会で立ち遅れていくことになるのは自明の理。

何が問題なのか。
本質的な課題は何なのか。
それをどう解決したらいいのか。
それにはどう役割分担してどういうステップで進めたらいいのか。

膝を交えて、相手の立場に立って、本音で意見をぶつけ合って真剣に議論していかなければどうにもならない。
なぜ相手はそう思っていたのか。
なぜ情報が上がってこなかったのか。
なぜ同じことを繰り返していたのか。

相手の立場や考え方のバックグラウンドがわかれば、理解もできるしうなずける部分も多い。
違う意見に刺激を受けて新たな気づきが生まれる。
そうか、もしかしたらそうすればいいのかもしれない。
すべてはうまくいくのかもしれない。

信頼関係とか絆とかは、適当に、穏便に、なあなあの感じでやっていたのでは生まれるはずもない。

先日の苦情過剰社会という記事でも書いたけど、世の中すっかり萎縮しちゃて、自粛しちゃって、温厚に事なかれ的になって硬直しちゃってる。

嫌われてもいいので勇気をもって積極的に自分の考えを言うこと。
会社や組織がよくなると思う提案をどんどんしていくこと。
自分の意見を常に発信して、仲間や味方を増やしていくこと。
玉砕してもいいから信じることをどんどんぶつけていくこと。
当然、上司はそれを受け止めないといけないし、風通しの良い環境を整えないといけない。

活力のある組織風土をしっかり育てていかないと、いかにいい経営資産やブランドを持っているいい会社でも、絶対にうまくいくはずはない。
いや、逆にそこさえうまく作れれば、この厳しい時代でも生き残れるのではとも思えてしまう。

企業は人。
そして対話。
認め合い、信頼し合うことの大切さ。
人を生かし育てる風土、環境作り。

なんだか青臭いこと言ってるし、書いてても恥ずかしい。

昔から当たり前のことだけど、最近どこに行ってもこんな風に思うことがとても多いのでついつい書いてしまいました。

さ、自分を信じてどんどん攻めていきましょうネ 
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一石二鳥週間

2014年03月01日 00時45分02秒 | 日記とニュース
先週の棋王戦に続いて、今日の王将戦、渡辺王将、強かったですね。
隙がなかったです。

さて、私事ですがちょっと人生に思うことあって、禁酒してます。
と言ってもおとといから始めて1週間限定の禁酒。
なので、来週火曜日まではどんなに勧められようと一滴も飲めませんので、宴会のお誘いはご遠慮ください。

酒さえなければもっとましな人生だっただろうに、もっとしっかりした人間になれたはずなのに、というような大げさな話ではありません。
実はピロリ菌除去の薬を服用中です。
おととしのGWにがんばって一週間禁酒して薬を飲んだのだけど、去年の人間ドックでまだ僕の胃の中のピロリ菌はくたばってなかったことが判明しました。

胃の中の変わらず。

今回は二回戦、リベンジです。
ピロリ菌はどんどん強くなってるらしく、1回(1週間)の薬で除去できる確率が昔は9割くらいあったのが年々低下してるとのことらしいです。
しぶとい奴め!
ということで、今回こそは絶対にやっつけるべく、禁酒、がんばります。
この薬はずいぶん前にもらっていたのだけど、1週間もの間酒を飲む機会が全然ないようなスケジュールはなかなかないので、あっという間に数か月経ってしまいました。
やらなきゃやらなきゃ、と思いつつも、また来週もはずせない飲み会があるからだめだな、と延ばし延ばしにしてきました。
で、今回も本当は飲み会が入っているのだけど、なぜ今やるのかと言えば、マジに苦手な青色申告。
好きな酒を飲む楽しみをきっぱり断ち、なかなか進んで取り組みたくない青色申告を今週こそはやっつけてしまおうという強い意志の表れです。
一石二鳥。
ピロリ菌と青色申告を一気に退治する1週間です。
転んでもタダでは起きない根性、我ながら立派です。

明日からは3月。
新しい1年が始まったな、今年はどうしよう、とか思って、その後雪かきしたり真央ちゃんに涙したりしてたりしたらもう今月もおしまい。
ということで、今日で1年の6分の1が終了です。
マジに早いです。
これでちょっと暖かくなったなあと感じたら4分の1が過ぎ、桜が咲いたなと思えば3分の1が終わる。
ブラジルワールドカップで興奮したら半分が過ぎる。
では皆様、よいお年をお迎えください。
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