即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

あれから二年

2013年03月16日 16時57分48秒 | 3.11
あの人も書いてますが、3.11についてです。

2年目を迎えたその日、日比谷公園で行われていたピースオンアースというイベントに参加してきました。

天気もよく平日なのにたくさんの人で賑わってました。

たくさんの出店。

噴水に座って食べたりくつろいだり、家族連れもいます。

石巻で行ったピースボートも出ていて、いろいろ話をしました。

行列に並んで献花しました。

電力も出前のイベントです。

2時46分が近づいてきました。

いろんな方が思いを述べます。

ニコルさんは、巨大な防潮堤計画のこと、怒り心頭。
興奮して止まらなくなっちゃいました。


皆で黙祷。。。

いろいろトークショーもあったのだけど、印象的だった言葉。
辻信一さんが紹介してくれたアインシュタインの言葉です。

「ある問題を起こしたのと同じマインドセットで、その問題は解決できない」

被災者の立場や気持ち、そして復興の方法論もすごく多様なゆえ、一つの方向で皆が納得して進めるなんてことはありえない。
何かがうまくいくシステムを考えたからと言って、それがすんなりと効率的に水平展開できるなんてことはない。
課題解決は、とことん入り込んで考え抜いてもがき苦しんで、やっとのことで見えてきた新しい光の中でしかありえない、ということなのか。
マインドセットそのものを変えなければ、根本的な解決にはなりえない、ということ。
難しいです。

それから話に出たご当地電力
世田谷に続いて小田原も始まってます。
東電その他にまかせておかないで、この流れ、全国で進めていきたいですね。

この前行った石巻。
震災の時に壁新聞を作って伝えることをやめなかった石巻日日新聞。
応援する意味も込め、また、石巻で知り合った人たちとの情報共有の意味もあり、3.11からとりあえず一か月間、購読することにしました。


このCM見て思い出しました。
石巻でランチに立ち寄ったオジサン一人でやってる小さなパスタ屋さんで見つけた、タケシ、鶴瓶、キムタクのサインです。


先日、新しい支援の形を考えるシンポジウムに参加してきました。
若い人も多く真剣な熱気ある討論が繰り広げられて刺激一杯でした。
支援の現場の課題、ぶち当たっている厚い壁、これからどういう形にしていけばいいのか、などすごく勉強になりました。


あれから2年。
時間はどんどん経っていくけど、絶対に忘れないように、風化させないようにしようと心の中で決めました。
自分は何ができるのかは別にして、このことにずっと寄り添って行こうとあらためて思いました。

最後に箭内道彦さんのすごく共感したインタビュー記事を貼っておきます。

つなぎたい。言葉と強さとやさしさで。
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石巻紀行 その2

2013年03月03日 18時30分48秒 | 3.11
石巻を訪ねて、の続きです。

先週この本を買って車中でもずっと読みながら来ました。
生々しい記録です。
6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録 角川SSC新書 (角川SSC新書 130)
クリエーター情報なし
角川マガジンズ(角川グループパブリッシング)


震災直後、必死で作った本物の壁新聞も見ました。
伝えることの重さ、使命感、いろいろ考えされられました。

石巻日日新聞社にも行ってきました。
地元の暮らし、情報を大切にしてる新聞社があることの重み。
すでに100年の歴史があります。
震災で購読者はグンと減ってしまったようですけど、昨今の新聞離れとは違います。
全国各地でこういう新聞がしっかりと根付いて、地方都市を活性化することにつながったら、と思いました。
こういう新聞社があったことがまた石巻の印象を際立たせています。


ここからは聞いた話です。

他の人も言ってたけど、石巻は歩行者に対して車がすごく優しいのにビックリでした。
すぐに停まってくれる、譲ってくれる、待っててくれる。
『えっ、こういう状況なのに車の方が待ってくれるわけ?
いいのかなあ?悪いなあ。あっ、すみませんね。』

何でそういう風土になったのだろうか?
譲られた人が運転するときに今度は同じようにする輪が自然発生的に広がったのだろうか?
好循環のお手本。
もともとそうなのか、震災を機にそうなったのか。
どちらにしても人びとが優しくて素敵な町です。

かなりバイトが集まりにくい状況とか。
特に男性。
瓦礫処理のバイトの方が全然割りがいいので普通の時給の仕事ではいくら募集をかけてもなかなか集まらない。
補償金をかなりもらえてるから敢えてバイトしなくても生活できちゃうということもある。

何と言っていいか難しい被災地ならではの状況。

家族が亡くなったとか、家が全壊したような子供たちは有名人も含めたくさんのイベントに参加してもう慣れてきてる。
感激も感謝もなくなりつつある。
そして、今度は大したタレントじゃないな、などと品定めするようになってきている。
子供だし、慣れてきちゃえばさもありなんとも思う。

一方それほど被害の大きくない子供は、イベントに参加したくても権利がなく妬んでいる。
『ねえ、なんであの子は何度も行ってるのに、僕は行けないの?』となる。

イベントを企画する側としては、参加者の心理とか、地元へのいろんな影響とか、ここまでのことはなかなか予測できてない。
善意で、少しでも役に立てればと思って一生懸命にやる。

補償金、賠償金、寄付金その他の善意を巡って、どういう人にどう渡っていくのかは極めて難しい、悩ましい。
公平性に拘ってと言っても、どこかで線を引かなければならないのも確か。
万人が納得するわけもない。
引かれた線の前後の人たちは、当然のように、明らかなラッキー、アンラッキーの世界になる。
何であの人が・・、こっちは何でもらえないの?、その区分けの仕方おかしいよ、と言ったクレームや問題が噴出する。
これはもう起こってしかるべき問題。
そこをどううまくやるか、可能な限りの納得性を作れるか、全体最適につなげていけるか、難しいし悩ましい。
どうせやるならより参加者にも地域にも喜ばれるイベントを。

じっくり考えていたら何もできなくなるし、どんどん進めながらレビューして、多面的に考えて修正していくことしかないと思います。

いろんな話を聞いて、あらためて、僕らにはわからないこういうこと、被災地にはいっぱいあるんですよね。

石巻で行った寿司晴というお寿司屋さん。
4時頃の変な時間に行ったので他の客は誰もいない。
美味しい寿司をいただいた後、ご主人と息子さんから2年前のこと、そして町の現状など、いろいろ話を伺いました。


門脇地区など海沿いの人たちは集落ごとにまとまって移り住む態勢が進んできてるとのこと。
ちゃんと行政が機能して新たな暮らしが形成されている様子。
しかし女川や小さな海沿いの集落は孤立したままで相変わらずの仮設住宅暮らしが続いている。
ずっとほったらかされた状態とのこと。
行政だって当然優先順位つけないと仕方ないのもわかる。
いろんな山積みの課題は目につくものの、最善の解決策をバシッと決めるのはなんとも難しい。
しかし、そんなことも言ってられずに短時間でテキパキと判断して、反対も押し切って方針を決めなければ何も動かない。
いろいろなサポートはあるにせよ、人も予算も限りがある。
難しいよなあ。

ちなみに畳はこんなでした。


偶然通りかかった ピースボートセンターいしのまきに寄って、いろいろ話してきました。
都会からこちらに来てずっと頑張ってる方もいらっしゃいましたし、復興のために地域の人たちとリンクして積極的に活動をしています。


短い期間でしたが密度の濃い毎日でした。
仙台と石巻でいろんな人に会えました。

あれからもうすぐ2年です。
今回ご縁のあった方々とこれからもいろいろな形で連絡を取らせてもらい、情報収集をしながら少しでもできることを形にしていきたいと思います。

皆さま、ありがとうございました。

また必ず来ますね。
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石巻紀行 その1

2013年03月02日 21時05分52秒 | 3.11
仕事の絡みもあり、仙台から石巻に行ってきました。
初めて訪れた石巻では震災後の状況を少しでも見たいと思って、短時間ではあったけど可能な範囲で回ってきました。そしてできるだけいろいろな地元の方とお話してきました。

石巻駅です。
この町は駅だけでなく町の至る所に石ノ森章太郎の漫画キャラで溢れてるのだけど、漫画は何も知らない僕は何だかチャラチャラして落ち着かないし、もっとこの町らしい風情のあるようにはできなかったのかなあ、と勝手に思いました。

駅前はチェーン居酒屋でいっぱい。
ホテルも簡単には取れない状況みたいだし、仙台もそうだけど震災後バブルのようにも見えます。

三越なんてあるんですね。すごく小さい店。都会のちょっといい商品が並んでます。

商店街はご多分に漏れず閉まってる店だらけ。


商工会議所です。

こんな碑があった。

ところどころにはまだこんな家がある。

復興マルシェです。

結構賑わってました。

急坂を登って日和山公園へ。北上川の中州の漫画館を振り返る。

日和山から見た石巻の海。
あの日ここから見ていた人も多いだろうし、その光景を想像してしまう。
それだけで一瞬足が震える。

海側に降りて行ったらこういう光景。

家などはほとんどない。お墓がいっぱい。

瓦礫はほとんどないものの、こんな光景があちこちに。

土台だけ残ってる家もあるけど、まだまだこんな状況は続く。

いろいろな意味で復興は進んでいるのだろうけど、爪痕はあまりにも大きい。

門脇小学校が見えてきます。

全員が山に登って助かったあの小学校。
「すこやかに育て 心と体」の文字。

先日やっていた石川遼の番組で見たこの看板の場所に行きました。
ど根性ひまわりが咲いた場所です。
献花、焼香してきました。

石巻港はこんな光景。

大型トラックや工事用車両でいっぱい、臭い、埃がすごいです。


レンタカーで石巻から女川、雄勝などを回ってきました。

穏やかで美しい海が続きます。

一面家も何もない殺伐とした光景が続く。

毎日多数の人が寝る間を惜しんで努力していてもなかなか片付かない。

あまりの傷跡の大きさに茫然とするばかり。

どのような復興計画に基づいているのだろうか。
この高さの道路を作るのか。

雄勝小学校。

雄勝町では漁師の会社【オーガッツ!】を作って新しい漁業の形を模索しています。

海底の瓦礫はまだ手つかずとのことだし、あれから2年経ったけどほんとにすべてはこれからという印象です。

その2に続きます。
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事件その後の報告

2012年07月12日 16時03分45秒 | 3.11
先日、《事件です》という記事を書きました。
家の周りで高放射線量を記録して、一大事となった話です。
最近とみに更新頻度が高くなってる某ブロガーの方にもご心配をおかけしましたし、このブログを見た方からも心配のメールをいただいたりしました。

かなりの覆土をしたのである程度の低減はできただろうと勝手に決めて、それ以来放置してましたけど、やっぱり気になっていたので再び市役所に行って計測器を借りてきました。


まずその辺で計測。
当然ながら安全基準値と言われる0.23μSv以下です。

そして、前回問題だった箇所、雨樋の下でちょっとドキドキしつつ測ってみる。


どんどん数値が上がっていく。
そして、0.828でストップ。

ふ~。
前回の2.31μSvに比べたら、3分の1になってる。
一応ホッとはしたものの、基準の0.23よりは大分高い。

ということで他の場所もいろいろ計測した後、市役所に返却に。
そこで放射能対策室の担当者のお兄さんとかなりの時間話をしました。

『これ、借りる人はまだまだ多いんですか?』
『いや、大分減りましたよ。市で20台持ってるんですけど、昨年は、3時間単位で貸し出していたんです。最近は一日単位になったし、土日の貸し出しも先月で止めましたし、ずいぶん借りる人は減ってきましたね。』
2.3μSvだったのが覆土したから0.8になったことを報告。
『そうですか。それでもまだ高いと言えば高いので、さらに覆土するとか、コンクリートのマンホールの蓋のようなもの千円とか2千円くらいで売ってますから置けるのであればそれを買ってきて置いちゃえばかなり違うと思います。どちらにしても雨樋からずっと水が落ちて来てるわけなので時々は測った方がいいですね。でも市民の方からの報告を受けてる限り、2.3μSvというのは聞いたことがないですよ。』
『市川市でNO.1ですか?』(何でも一番になりたがる根性、どうにかならんかい?
『そうかもしれませんね。』

そしてよく聞くような一般論を。
『まあ高いと言っても、ずっとその場所に24時間居続けるわけじゃないと思いますし、2.3μSvと言えどもそのそばを一日1,2回さっと通っただけであればほとんど影響はないですから。
あと、雨とか風でどこかで溜まってた埃などが飛んで来ることで急に高くなることもありますから、引き続き注意することは必要ですね。』

結構冷静に表情を変えずに淡々と話を続けるお兄さんに対して、市川で一番かもしれない高い数値なんだからもうちょっと動揺するとか、これから一緒に見に行ってもいいですか?とか、テンションの変化を期待したのだけど無理だったです。

ということでまた再覆土、再計測、再度の市役所のお兄さんと会話も含め、このレポートはまた続きます。

明日、金曜は、18時だよ全員集合ってことで、初めて首相官邸前に行ってこようかと思ってます。
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事件です

2012年07月05日 15時03分34秒 | 3.11
姉さん、事件です。

家のまわりで結構高い場所もあるとの話を聞き、ちょっと測ってみようと思い立ち、先日市役所に放射線計測器、借りに行きました。

市役所の放射線対策課は、まだまだたくさんの問い合わせがくるみたいで、拡大したのかわからないけど、場所も変わったみたいです。

そして、土曜日なのに担当者はずっと電話してました。
こんな電話しながら、ちょっと待ってくださいね、と手で合図。
『それはこちらではお受けできないので、それを確認するのであれば事故を起こした東電の方に言っていただくしかないです。でも変な言い方で申し訳ないですが、東電に言ったところでおそらくろくな返事は返ってこないです。』

市役所に行く前にもいろいろ電話でやりとりをしたのだけど、結局何を言ってもこちらではなんとも、ってことで、たくさんの人がいろんなわけわからない対応で振り回され、たらいまわしにされてる状況のようです。
まあ、この件に関しては、市は直接は関係ないし、国や東電マターなんで、というスタンスを取らざるを得ないのでしょうけど、なんとなく、責任回避、なすりつけあい、お役所体質という雰囲気も漂ってる。
いろいろ不安を抱える市民としては、まだまだ闇の中、暗中模索の感じです。
福島の人たちの落胆やイライラやあきらめの気持ちが想像できます。

さて、使い方を教えてもらって、こんな計測器を借りてきました。


基準は0,23マイクロシーベルト以下であれば問題なし。
1以上だとやばい数値なので市役所に届け出てください、とのこと。
後日見に来るとのことです。

家の周り、いろんなところで計測してみました。
何か所か測ったけど、問題なし。

しかし、雨樋の下。二階からの水が流れているところ。ここです。


それが、なんとこの数値です。
大問題です。
やばいと言われる1を越えたのに、まだまだ止まりません。
さらに上がり続けます。

そして、これが最高値。

高さは地上1mが基本ということだけど、いろんな高さで測ってみた。
しかし、線量はずっと2を越えている。

わあ、他人事だと思ってる場合じゃないです。
千葉県市川市でも、うちだけでなく、こういう場所がかなりあるということです。

そして、当日のうちに市役所に返しにいかないといけないので、返しに行きつつ、状況を報告。
報告書を書かされました。

で、市役所は見に来ると言ってたけど、結局現時点でも来てないし連絡もない。
来たとしても、場所を見ることしかしないらしく、状況把握と言ったことにとどまるらしい。
なんだい、こんな場所でこんなことがありました、って報告がいろいろ届いてますよ、ちゃんと把握してますよ、ってことだけなんだ。

結局は、自分で土を盛って線量を下げてください、と教えてくれただけでした。

5cm土を盛れば51%、10cmだと74%、30cmなら98%低減するとの提言でした。
ということでいろんなところの土を掘って運んできて、やばい場所に30cmまで行ったかどうかはわからないけど、何重にもかぶせた。
汗だくになりつつ、あらためて3.11の事態の重さを体感した事件でした。
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あれから一年

2012年03月08日 17時12分31秒 | 3.11
しばらく更新を怠ってるうちに自分にも、そして世間も将棋もサッカーもいろいろなことが起こっています。

自分のことと言えば、先日の記事でも書いたけど、最近PCがトラブってしまい、かなり追いつめられた状況が続いていました。
仕事もそうだし、何よりも目前に迫った確定申告のデータがおじゃんになってたらこれは一大事ということでかなり青ざめていました。

そして悪戦苦闘の日々。
いろいろ教えてもらったりして、結局はつい最近データ救出に成功しました。
PCからHDを取り出して、借りてきたアダプタをそこに差し込んで他のPCのUSBにつないで読み込むという作業。
いろいろ時間はかかったけどデータを失うことで使わなきゃいけない膨大な時間のことを思えば本当によかったです。
とりあえず確定申告も無事終了、一安心です。

なわけでブログ更新が滞っていたという言い訳なのだけど、マジにブログどころではない心境でした。

ここのところ首都直下型地震に備えて万全の準備を、というニュースや情報でいっぱいだけど、備えあれば憂いなし、何でも先を読んでいざという時のために抜かりなく手を打つことの大切さを思い知らされました。
頻繁にバックアップすることですね。

さて、元旦早々にもあったけど、ほんとよく地震が続きます。

そう、あっという間にあれから一年です。
今週末にかけて、イベントや特番など、かなりヒートアップしそうです。

いろいろな記事を見ていると復興の方はまだまだ進んでいるとは言えないですね。
当然かもしれないけど、ボランティアもかなり減ったみたいし、寄付金もあの頃に比べたら格段の違いらしい。
日本人特有の喉元過ぎれば、ってやつです。

このサイトの写真、あの時と今の違いが一目でわかります。

これは世界報道写真コンテストの1位の写真。
がれきの中から娘の卒業証書を見つけて満面の笑みを浮かべている女性です。


そして、これ。
ほぼ日刊イトイ新聞 - それぞれの3月11日
ずっと1年前のことは忘れずにしっかり受け止めて置きたいと思うし、これから先、自分の生き方を決めていく上でも大きな影響を与える出来事であることに変わりはないと思います。

自分も、社会も、あれを契機によくなった、というようにしないと。
あれがあったからこそ今の自分の幸福がある、と。

あのお蔭で気づかされたこと。
あのことがあったからこそ成し得たこと。

あれがなくてあのまま行ってたらもっとずっと悲惨なことになっていたはず。

あれからいっぱいいろんなことを考えさせられ、下記のようにブログにも書いてきました。

東北地方太平洋沖地震について

東北地方太平洋沖地震について・その2

どう生まれ変わるのか

大地震について考える日々

無事を祈る

役立つように使いたい

無事確認

地震について考える日々・その2

地震について考える日々・その3

地震について考える日々・その4・田坂さんの講演会

地震について考える日々・その5

地震について考える日々・その6

地震について考える日々・その7・「デフォルトを変える」

僕らはどう受け止められるのか

地震について考える日々・その8・公平とは?

原点怪奇

復興の狼煙ポスタープロジェクト

犬が好き

風化させない決意

天の警告?思いやり?啓示?

ニッポンの夏のステキなポエム

3.11からもうすぐ半年

天の警告

書いてた時はわからなかったり勘違いしてたりしたけど、今になって見えてきたこともたくさんあります。
もっともっと勉強したり、追究したり、考えていかなければいけないとマジに思ってます。

そして今年の3.11。
今まで以上にまわりの人やいろいろな人に感謝をしつつ、絶対に風化させてはいけない、と改めて誓う日です。
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天の警告

2012年01月05日 13時25分25秒 | 3.11
いろいろ大変だった2011年が終わっていつものような平和なお正月を迎えた途端。
元旦に起きた結構大きな地震。
元旦早々、なんだいこれは。
めでたいなんて言って酒飲んでる場合じゃないなとビクッとする。

ちゃんと去年のことをしっかり受け止めて、決して忘れずに、いい気にならずに今年はやれよ、って言ってるような気がした。
まだ復興も原発のことも何もできてないのに、またあの頃のようにうかれたり調子に乗ったりしてると、自然は黙ってないよ、ちゃんと人間たちの心を見ているよ、って言ってるみたい。

政治家も役所も大企業も一般市民も、皆能天気で人の悪口ばかり言ってる。
世代間のギャップもすごくて、皆あいつらがだめと罵り合ってる。

こんな日本に誰がした。

政治のせい。役人のせい。大企業や財界が悪い。一番悪いのはマスコミだ。
団塊が悪い。やる気のない若者がだめ。
いや、なんだかんだ言ってもすべては日本の愚衆愚民のせいだ。

思考停止。機能不全。予定調和。呉越同舟。不信社会。

経済成長で築かれた成功体験がすべてだから、皆変われない。
上から目線で既得権益や目先の安定にしがみついてる。

去年あれだけのことが起きたからもう当分は大丈夫だなんてことはないよ、これから何年もずっと静かに平和に続くなんて保証はないからね、って今年を迎えるに当たり優しい自然の神様は僕らのことを思ってちゃんと警告してくれている。
ほんと、ありがたいこった。

安全神話なんてもうあらへんで。
経済成長前提の生活なんて二度と訪れたりしまへんで。

あれからまだ一年も経ってへんちゅうのに、
なんや根拠のない楽観的な空気が流れてるんやおまへんか。
ええかげん、気づいたらええと思うんやけどな。

自然の神様の気分を害さないように、イライラさせないように、日々感謝しつつ、皆で知恵や汗を出して着実に一歩ずつ前に進みたいです。
進まないといけないです。

信じあってるかーい?
固い絆で結ばれてるかーい?
1億2千万人が、ひとつの方向に、一体となって助け合いつつ進んでいるかーい?
人のせいになんかしてないで一人一人が考えてやってるかーい?

いい年にしたいです。しなきゃいけないです。
さあ、皆で、いや、自分から、がんばって行こうぜい
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3.11からもうすぐ半年

2011年08月26日 10時57分49秒 | 3.11
あれからもうすでに5か月が経ち、もうすぐ半年を迎えようとしています。
そしてまだまだ進んでないこと、手がついてないこと、先がまるで見えないことが山ほどあります。

何がどう進んでいるのか、このサイト、とってもわかりやすいです。
震災から5ヶ月、被災地の復興はどれだけ進んだのかが分かる写真

もちろんまだ全然手がつけられてないところもたくさんあるのだと思うけど、こういうビフォー、アフターを目の当たりにすると、皆、大変だけど、がんばってるなあ、前に向かって進んでるなあ、と、自分は何もできてないけどうれしい気持ちになります。

さて、自分自身、できることは少しずつでもしてるつもりではいるけど、まだまだ足りない。
ボランティアのバスツアーにも誘われたけど、結局まだ現地には行けてない。
あの光景を生で見て、五感で感じることが大事と言われているけど、できていない。

しかし、今まで考えてこなかったこと、身近な生活をどう見直していくのかということなど、いろいろ考えさせられた。
慣れすぎてしまって見えなくなっていたこと、思考停止していたことが身の回りにたくさんあった。
エネルギーのこと、原発のこと、それにまつわる毎日の生活の仕方について。
当たり前のように、今まで通りに、深く考えないままにやってきてしまったこと。
本当にそれでいいのか。
ちゃんと考えたのか。
そのことの本質は何なのか。
ただただ面倒くさい、忙しい、とほったらかしてきたことが多すぎた。

ひとつひとつ問いただして、自分なりにしっかり考え、結論を出す。
再定義する。
心の底から納得する。
今、無政府状態に近い状況の中で、我々一人一人がしっかりと目を見開いて状況を判断し、復興を、日本をどうしていくかを自ら問い詰めていかないといけない。
そして、我々一人一人が復興に対しても、日本の将来に対してもしっかりしたビジョンを持つことが本当に大切なのだと思う。

先日のカンブリア宮殿でやっていた七夕などのお祭りのこともそう。

この日本の伝統的なお祭りも、地元商店では手に負えなくなってきていて、全体の7割の七夕飾りを業者にまかせきりにしてきていた。
そして、すっかり観光用のものになり、市民が参画して作り出すものではなくなってきていた。
それが、今年は一変した。
次々と「今年は自分たちの手で七夕飾りを作ってみたい」という市民の声が集まり本来の市民の祭りの姿に立ち返った。
震災が、仙台市民から離れていた七夕祭りを“復活”させ、“原点回帰”をさせた、という話。

こういうことも含めて、地震がなかったらおかしいまんまずっと行っていたことがたくさんあったと思うけど、かなり本来の姿に戻ってきていることもある。

皆の意識や考え方が変わったことで、新しい日本の姿や方向というのが少しずつ見えてきている感がする。

今まで自分なりに考えてきたこと、曖昧ながら感じていたことを、この東浩紀さんの記事がとてもうまく言ってくれているので紹介します。

「ショッピングモール的、インターネット的復興の仕方」:日経ビジネスオンライン
3箇所、引用させてもらいます。
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地震も津波も、いまの人間には制御できる規模の災害ではない。まさに天災です。そして複数のプレートが衝突する位置にある日本は、どうしようもなく、地震や火山噴火が頻繁に起きて、ときには津波もあるという条件を抱えている。日本人はそんな場所で文明を営んでいる。――まずはこの条件に対する「あきらめ」が必要だと思います。

戦後のほんの60年間、偶然のおかげでその運命を忘れていた。しかしそれを思い出すべきです。この島に暮らし、この島で文明を営むというのは、地震や津波といった天災と常にセットなんです。
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改めてそう思いました。
我々はいかに危うさの中で生きているのか。
ここから下(海側)には家を建ててはいけない、など、チリ地震などの経験を踏まえた先人たちの警告もあったわけだし、この都会の直下型地震も含め、どれだけ偶然の積み重ねの中で生きているのか。
それを考えたら、日々もっと緊張感を持って生きてなきゃいけないはず。
全体のしくみとしての事前準備と個々の研ぎ澄ました意識。
いつ何があっても動じないように、想像力を働かせしっかり準備をしておかないといけないです。

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今回の震災と原発事故で、さまざまな意味でインターネットの存在感が圧倒的に増したのは紛れもない事実です。それまでネットとは一線を画していた大手メディアがツイッター上で情報発信をしたり、また個々人が連絡網や意見交換の場として、ツイッターやミクシイやブログを活用するのが常態化しました。

 では、ネットはこれから私たちの社会を新しいところに連れて行ってくれるのか。ポイントは、「集合知」がどこで機能し、どこで機能しないかを見極めることかと思います。

 今回の震災でインターネットがどう役だったのか、それを検証するためには、地震対策のフェーズと原発事故のフェーズを区別するべきです。

 ウェブの集合知が生かされたのは、個々人の持っている情報が集合することで適切な判断を生む局面です。震災直後にはかなりの成果がありました。交通情報、物資や救援情報、被災地の現地情報などなど、被災者がじかに情報を交換しあうことで、いままでにない救援が可能になった。もちろん途中でノイズは入りますが、時間がたつにつれて情報の精度が上がっていく。南相馬市長が有名ですが、メディアを持たない被災地から中央への情報発信にもウェブは役に立ちました。つまり、個人それぞれが自分の判断でも扱える情報を積み上げていくのには、ウェブの集合知は非常に役に立つのですね。

 でも、たとえば原発のような、そもそもあまり情報がないうえに、判断に高度な専門知識を必要とする事例に関する情報共有には、ソーシャルメディアはあまり向いていなかった。それが原発事故のケースです。こちらでは、極端な情報ばかりがウェブ上やツイッターのタイムラインを行き交い、有意義な集合知として結実することはほとんどなかった。なぜか。個人単位で適切か適切でないか取捨選択できないタイプの情報は、積み上げても、結局のところだれもなにも判断できないからです。むしろデマが拡がるだけです。

 ウェブの集合知は震災で役に立ち、原発事故で役に立たなかった。この教訓は大きいと思います。集合知は結局のところ「常識の積み上げ」でしかない。常識を越えた事態には対応できないのです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ネットがあったのでずいぶんと救われた。政府の発表などをあてにしなくてもずいぶんと役に立つ情報が得られた。
しかし、自分の判断で扱える常識的な部分では集合知が機能するけど、我々がわかってない専門的な部分では集合知にはならないし、機能しない。
そう、だから原発のことは悩ましいです。
何が本当だか、何がどうなってるんだか、誰の言うことを信じればいいのか、いまだに皆目見当もつかない。
やばいかもしれない、とか、やばそうだけど大丈夫だろう、とか、それくらいのいい加減な判断しかできない。その根拠は?と聞かれるともうギブアップ。
しかし、今後のエネルギーをどうしたらいいか、今後の我々の生活をどう改めるのか、というのは集合知の部分としてソーシャルメディアを使ってどんどん積み上げていけたらと思います。

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 これは日本全体の話でもあります。家族がなければ次の世代はない。こういうことを言うと、生殖や性と家族は別問題だし、実際家族がない子どももいるし、子どもがいない家族もあるじゃないかという反論が来そうですが、現状の日本で、「家族をもつこと」と「子どもをもつこと」が深く繋がっていることは確かです。そして子どもがいないと、社会が維持できないこともまた明らかです。かといって、子どもを作れ作れといって作らせるわけにもいきませんし、母性愛とかいう抽象的なものに期待するのも限界がある。したがって、これからの日本を維持していくうえで、「家族で生活すること」が「個人で生活すること」よりも楽である、そういう社会を作ることは致命的に重要だと思います。それは子ども手当だけでは実現しません。お金だけでなく、社会のいろいろなところを官民協力して変えていかないと。
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今回の地震で改めて思いました。
皆で助け合わないとね。
特に家族というユニットをもう一度見直すべき。
すでに単身世帯の家庭が一番多い日本。
家族で生活することが個人で生活することよりも楽な社会が作れたらいい。
皆で支え合えるコミュニティ。
いろんな意味でのセーフティネットにもなれるような血の通った村社会。
こんな危うい基盤の上で共に暮らしていかなきゃいけない同士が手を携えないと。

すべて自己責任です。
自分たちがどこまで考え抜き、何を実行できるか。
どこまで本気でやるのかやらないのか。
ポスト菅に誰がなってもほとんど変わらないだろうし、そこはしっかり見張りつつも、我々がどういう暮らしを望むのかを明確にし、そのためにモノを言い、変えられるものから変えていく姿勢、決意。

せっかくこういう考えたり見直したりできるチャンスを与えてくれたのだから、感謝してそれを十二分に活かさないとつくづく思っている今日この頃です。
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ニッポンの夏のステキなポエム

2011年07月11日 01時31分22秒 | 3.11
今まで何度も紹介してますが、日経ビジネスオンラインの小田嶋隆さんのコラム、冴えてます。

二つあって、まずひとつ目。

梅雨は何やってるんだよ。
まだこの夏の先は長いと言うのに、このクソ暑さの毎日にもう突入ってわけ?
少しは抵抗しろよな!
粘りがない。
簡単に土俵を割っちゃってさ。

エアコンを止めて分かったニッポンの夏の過ごし方
部分的に引用させてもらいます。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
こじつけのように聞こえるかもしれないが、私は、夏がイヤな季節になったのは、実は冷房装置のせいだと思い始めている。
 エアコンディショナーというものがなかった時代、われわれは、夏を「しのぐ」という形で、暑さに対応していた。
 「しのぐ」方法は、細かく拾い上げれば、手法としては山ほどある。
 が、根本は、「生産性を落とす」ことだ。
 最も暑い季節の一番しのぎにくい時間帯は、いろいろなことをあきらめる――これが、夏を「しのぐ」際の基本姿勢だ。といって、夏をやり過ごすことに関して、特段に目新しい決意やコンセンサスを持つ必要はない。真夏の暑さの中に置かれたら、人間は、誰であれ、生存以外のほとんどのことをあきらめざるを得ない。われわれは、生物学的にそういうふうにできているのだ。
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そういえば、以前は皆、まったりボーっとしてたよな。
無駄な抵抗せずに休んだり、夏を特別視してたよな。
強い日差しの下では、蝉の鳴き声だけが響き渡り、ここに出てくるネグロス島のように、ジーンとゆったりした長い時間が過ぎていってたよなあ。

すべては生産性、文明の問題ですね。
夏と言う特別の時期だから、生産性が上がらない時期だから、ここは普段よりもスローダウンするしか仕方ない。
あきらめざるを得ない。

それがいつの頃からか、クーラーが普及してきた頃からなのか、あきらめない夏になった。
しのがない、他の季節と同じ夏になった。
仕事の生産性の話で言えば、小田島さんはこんな風に言っている。
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時代が20世紀から21世紀に移行して行く過程で、オフィスの仕事は、劇的に効率化した。

 たとえば、編集者の仕事で言うと、私が駆け出しだった1980年代は、まだ彼らは書き手のところに直接手書きの原稿を取りに来ていた。
 だから、編集者の仕事のうちのかなり大きな部分は移動時間と待ち時間で占められていた。よって、担当できる著者の数もせいぜい5人程度だった。
 ところが、ファクスが普及し、ワープロが登場し、電子メールが開通すると、編集者は、著者と顔を合わせなくても仕事ができるようになる。原稿の受け取りもメールでオッケー。催促はツイッター経由で圧力をかけておけば足りるし、ゲラもPDFのやりとりでなんとかなる。

 その結果、彼らの仕事が楽になったのかというと、まるでそんなことはない。私が知っているある週刊誌の女性編集者(もう3年以上も一緒に仕事をしているのに、顔を合わせたことはない)は、20人以上の書き手を随時かかえていて、その、それぞれにやっかいな20幾人かの原稿を毎回綱渡りのようにして入稿しているのだという。聞いているだけで神経が磨り減る。毎日卵を産むニワトリとどこが違うんだ?
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皆、自分に照らし合わせてそう思いますよね?
あの頃は、いちいち企画書にしろ見積もり書にしろラフデザインにしろ、アポ取って(取らない場合も多かった。)紙を持って行って説明するのが仕事だった。
メールがないから、何度も電話して、つかまらず、電話で話せるまでに無駄な時間をかなり使った。
電話が仕事の重要な一部だった。
それが、相手が居ようが居まいが、メールで、メール添付で送りつけて、フォローはするもののそれでかなり済んでしまうというのは、どんだけ効率的なのか。
でも、効率的になったことでよかったのか。
儲かったのか。
楽になったのか。
やりたい仕事ができるようになったのか。

このことを、今度の震災が我々に突きつけた、とも言える。

もうひとつ。
復興構想会議が6月25日にまとめた「提言」の話。
ある意味、皆が待ちに待っていた提言。
これを元に日本の未来が垣間見えるはず。

ポエムな「提言」で復興できるの?
これも部分的に引用させてもらいます。
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ある種のポエムは、書き手が何かを隠蔽したいと考えている時に立ち現れる。
 書きにくいことを書かねばならない時や、書くべきことを書かずに済ませようとする時、散文は、詩の似姿をとることで、その場をしのぎにかかるのだ。

 卑近な例では、グラビアのキャプションがそうだ。アイドル水着写真には、必ず編集部のオヤジが書いた似非ポエムが添えられる。
「ク・ミ・コ。声に出して言ってみる。ボクの心の日記帳はキミの名前でいっぱいなのさ」
 こんな詩は単独ではもちろん成立しない。が、グラビアがポエム抜きで成立しないこともまた事実で、結局、グラビアを見ている少年の恥ずかしさは、添えられたキャプションのこっ恥ずかしさで中和しないと解毒できない。そういことなのだ。

 格闘技のイベントでも、リングアナウンサーの語りはいつしかポエムになる。
「孤独な求道者の鉄の意志とぉー、血に飢えたプレデターの魂がぁー いまぁーリングに連なる獣道でひとつになったぁーーー。宿命と呼ぶにはあまりにもうつくしいー、バーリトゥードの旋律がぁ、いまぁー幕を切って落とされたぁああああ」
 こういう時、
「旋律に幕なんてあるか?」
 と突っ込む者はいない。ポエムは、殺伐とした空気を撹拌するための風だ。意味なんか要らない。むしろ、意味は有害。リングサイドの男たちは、あまりにも興奮していて、ポエム以外の日本語が理解できない。それだけのことなのだ。
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もう、たまらん。例の出し方、そして、その具体例が受けに受ける。
電車の中で腹を抱えるように、吹き出してしまう。

ファンタスティックでドリーミングなポエム。
抽象的で、場違いで、他人事で、主語が不明で、冗談のようなこの提言は、果たしてこれからどうなっていくんだろうか?
失敗を重ね、挫折を繰り返し、最後は希望が見えた「プロジェクトX」になるのだろうか?

学者や大学教授だけでなく、岩手、宮城、福島の県知事も名前を連ねているのだから、被災者の気持ちや要望も少しは組み入れられているはず。

この素晴らしきポエムの行く末を、しかと見守りたいと思う。
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天の警告?思いやり?啓示?

2011年07月03日 17時28分04秒 | 3.11
暑いようっ!まだ6月なのに・・・

涼しい顔して。

www.さとなお.com(さなメモ): 暑いって言ったら罰金って言ったら罰金

いやあ、大変です、連日。
ふ~ふ~。
歳には堪えるぜ。
6月から34度だの、場所によったら39・8度など、尋常じゃない。

で、もうこのまんまあと2ヶ月、ずっと続けて行っちゃうわけ?
いや、そうじゃなくて、7月20日くらいから本格的に始まる暑さのために、6月後半から僕らのカラダを慣れさせてくれる為に、慣らし運転期間を設けてくれてるわけ?
そうだったら、優しいよなあ。

今年は、単なる暑い夏とは違う。
もう一段、節電と言うことも含め、暑い夏を乗り切らなければならないというミッションがある。
そんなことも含め、ちゃんと乗り切っていけるのかい?
ちゃんと体調も節電も、覚悟と計画性を持って、これからの2ヶ月やっていけるのかい?
と言ってくれている。
僕らのことを心底思ってくれている思いやり。親心。

311という試練を課して、今まで調子に乗りすぎていた我々に警告を与えてくれた。

このまんまでほんとにいいわけ?
思い上がってない?もうちょっと謙虚にした方がいいんじゃないの?

と。

もう気づいて、意識が変わって、自分から動き出した人はいいけど、そうじゃない人もまだたくさんいる。
日常の忙しさにまぎれて、あの311の出来事がなかったかのように、まるで以前と変わりない生活を送っている人もたくさんいる。

そんな我々に向かって、

さあ、そろそろ夏本番だよ。
節電対策も含め、自分自身の覚悟や方針は大丈夫?


スーパークールビズも、サマータイムも、それぞれの節電の方法を、周りとも協力しながら、出来る限りのことができる準備は整ったのかい?

と、問うている。

自分自身の「AFTER311」。
自分のビジョンに基づき、気を引き締め、最大限の工夫をして、出来る限りの具体策を実践すべき時。
(※311関連アーカイブ

政治主導の復興や原発の問題は遅々として進展していない中、我々はこの夏、どういう生活をするのか。
どういう継続的な被災地支援をしていくのか。
エネルギー問題についてはどうしていくのか。
たまに頭を巡らすだけでなく、生活のルーティンの中にどう落とし込んでいけるのか。

暑くてボーっとしてしまう中、
肌に痛いようなこの強烈な日差しは、そんなことを我々につきつけているかのようだ。
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