即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

苦情過剰社会

2014年02月25日 10時34分53秒 | 雑感
最近、こんなことがあったようです。
CMを放送中止に追いやる心
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最近、立て続けにCMが放送中止になるという事件がおきました。

カエルのキャラクターが登場する缶チューハイのCMに、“ アルコール問題を扱う団体”から「キャラクターを使った表現方法が未成年の関心を誘い、飲酒を誘発しかねない」との指摘を受けたため、このテレビCMの放送を中止。

航空会社のCMでは、出演しているタレントが<金髪のかつらと付け鼻>という<日本人が思いつく外国人>の格好で出てきた事に、“外国人視聴者を中心に”「人種差別だ」という抗議が入ったため、このCMの放送を中止し、別バージョンの放送を開始。
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CMの世界だけじゃないですね。
えっ、こんなことまで?というほど、最近、何でも苦情が多すぎます。
気に入らないものは何でも文句をいう、いちゃもんをつける、揚げ足を取る、難癖をつける。
自分の名も名乗らずに大きな声でさも最大の被害者のようにクレームをつける。
そして、ネットにばらまく。
言われた方は、もちろん事前にシミュレーションはしていただろうけど、騒がれるだけでイメージダウンになるから、本当は真っ向から戦いたくても、すごすごと言いなりになる。
喧嘩はしない、できないのでおとなしく中止、軌道修正する。
そのことがどれだけの影響があるかを考えたら大変なことだけど、ほっといてさらに大きなことになったらもっと始末が悪い。
訴訟とか、裁判沙汰になれば、勝ち負けはともかくとして大きくメディアに取り上げられてしまうのでそれは避けたい。
極力温厚に、これっぽっちのリスクも回避したい。
特に大企業、上場会社はメディアにとって格好の標的になりやすいので大変です。

これではがんじがらめで何も動きが取れない。
そして、何かあったら大変、極力問題が起きないように、という保守的な姿勢がどんどん強くなる。

CMも含めて、新しいこと、インパクトのあるようなこと、訴求力、説得力のあることを発信すると必ずやその反動がある。
それを気にするならじっと静かにしてるか、当たり障りのないことを言ってるしかなくなってくる。
こういうことは言われたくない、そういう意見がもし出るとやばい、と最初から腰が引けているので、伸び伸びとした前向きな企業活動ができない。
どうにも駒の配置が邪魔し合ってる悪形の壁銀のようだ。

こんなこともあったみたいです。
【悲報】雪が降りすぎた結果、JR東日本の公式サイトから「ぜんぶ雪のせいだ。」が消されるwwwww


あの大雪で被害を受け、まだ孤立してる人がいるというのに、なんだけしからん、このコピーは。
そういう人の身になってみたら、こんなポスターはまずいじゃないか!!

内容は違うけど、こんな話も。
「政治的」作品撤去を 都美術館「クレーム心配」

どちらもクレームがついたから、ではなくてクレームが心配だから、です。
過剰反応で萎縮しすぎじゃないでしょうか。
受け止めようとする前にすでに浮足立ってます。
ビビりすぎです。
転ばぬ先の杖どころか、転ぶのが怖いから家から一歩も出ないような感じです。
こういうコソコソしてて背筋の伸びてない萎縮社会というのはどうなんでしょうか?

こうして皆が気にし過ぎるので、さらに文句言う方はますます居丈高になって調子に乗ってくる。
どうでもいいようなことまでつべこべ言うようになる。

いろんなこと言われても、ちゃんと胸張って、うちはこう思うので、と明快な意見や主張を返してほしい。
炎上を恐れるがあまり、皆が縮こまってしまって息苦しい世の中になってしまっている。

余裕がない。ユーモアが通じない。
思い切った手が打てない。
リスクを取ろうとしない。

“苦情過剰社会。”

“自粛萎縮社会。”


序盤の駒組みをしたら、攻める前から自粛しちゃう。
穴熊に囲って、どんどん守りを厚くして、どこからも攻撃されないようにしていく。
ちょっと歩を突いたりはするけど、そこを攻められたりするとやばいと思って危惧してしまい手が伸びない。
次第にどんどん駒損になり、相手の攻め駒が殺到してくる。

こんな将棋は誰だって見ていても面白くない。
お互い真っ向から積極的な攻め将棋をして、見ごたえのある真剣勝負を展開してほしいと願っています。
コメント (4)
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新たなバイパス

2014年02月23日 11時33分14秒 | 雑感
スケートの清水宏保さんが葛西選手のことを書いた20日の朝日新聞のコラム、とても共感したので引用させてもらいます。
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自分との対話 葛西さんの力(五輪コラム結晶)

 葛西紀明さん、ラージヒルの銀メダルと団体の銅メダルおめでとうございます。会場で応援をしすぎて、まだ冷静に原稿が書けるか心配です。

 あなたはふたつのモチベーションを持って41歳まで競技を続けてきた。ひとつは「金メダル」で、もうひとつは「自分の技術を完成させたい」という思いだ。

 人間、30歳を過ぎれば、肉体的には必ず衰えていく。今までできたことができなくなってくる。しかし、彼は神経を鍛えた。伝達系の神経だ。僕はよく「筋繊維と対話」すると書いてきた。ひとつの筋繊維が衰えればほかを鍛える。その筋肉と対話しながら、心臓手術のように新しい神経のバイパスを作っていく。そういう作業を続けてきた。

 僕はソルトレーク五輪前に左腰を痛め、普通に歩いてもつまずくような状態だった。それでも筋弛緩(きんしかん)剤の注射を打ち、どうにか新しいバイパスを作って銀メダルまでもっていけた経験がある。

 人間、年はとる。必ず衰える。後戻りはできない。しかし、自分と対話しながら新しいバイパスを作ることはできる。アスリートに限った話ではない。それを葛西さんは示してくれた。もし、彼が金メダルを取っていても、僕は引退宣言しなかったと思う。二つ目のモチベーション、自分の技術を磨いていくという楽しみが残っているからだ。五輪のメダルは4年に1回しか評価されない。でも、自分と対話しながら、普段から自分を磨くのが楽しいのだ。

 ジャンプという競技は自然とも対話する。自然と対話する時は常に自分とも対話している。例えば、日常に置き換えると、ジョギングも走りながら自然と対話し、そして自分とも対話しているのだ。今回、葛西さんが見せてくれたのは、この究極の形だろう。

 大きな感動を与えてくれたのと同時に、スポーツの持つ根本的なおもしろさを41歳でみせてくれた。中高年のみなさん、何か新しいことに踏みだそう。そんな気になりませんか。

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“人間、年はとる。必ず衰える。後戻りはできない。しかし、自分と対話しながら新しいバイパスを作ることはできる。”という言葉が響きます。
記憶力も体力も集中力も年々なくなってきてるけど、葛西選手に負けないように自分と対話して新しいバイパスを常に作り続けていく努力、していきたいと思います。

それにしてもオリンピック中でも毎日ブログを更新しているし、4年後(8回目)、8年後(9回目)も出ると言ってる葛西選手、応援していきたいです。(葛西紀明オフィシャルブログ『神風ジャンパーの挑戦』

歳を重ね、当然いろいろ衰える部分は出てくる。
そうきたか(そうなったか)、じゃ、こうしたらいいか、この手はどうだ?
と将棋の指し手のように新たなバイパスを編み出していく。
三手先、五手先までいろんな可能性の手をしっかり読んでおいて、常に劣勢に陥らないよう、局面をよくするような手を用意する努力。
もがき苦しんで新手を編み出す姿勢。

いくつになっても人生おもろいことあるし、やりたいこともつきないから、常時真剣に考えて、準備して、対処できるようにしておかないと。

アスリートの話ではないけど棋士の羽生さんは年齢への対応についてこの本だけでなくいろいろ語っています。
大局観 自分と闘って負けない心 (角川oneテーマ21)
クリエーター情報なし
角川書店(角川グループパブリッシング)


『体力や手を読む力は、年齢が若い棋士の方が上だが、「大局観」を使うと「いかに読まないか」の心境になる。将棋ではこの「大局観」が年齢を重ねるごとに強くなり進歩する。同時に熟練になり精神面でも強くなると六十歳、七十歳になって、この「大局観」は戦うための柱となる。』

『「大局観」は多くの経験から培われるもので、自分以外の人間の過去のケースをたくさん見ることでも磨かれていく。いわば、「大局観」には、その人の本質的な性格や考え方がとても反映されやすいのである。』

『メンタルな部分は、年齢を重ねれば重ねるだけ、上がっていく部分だと私は思っています。長老の知恵、年配の人間のもっている揺るぎ無い知恵というか。』

『選択肢が多いことは、迷いにつながる。
がむしゃらに読み込む力は、年齢が若い棋士が上だが、熟年になると、この「大局観」で逆に「読まない心境」となり、勝負の上で若い棋士とも互角に闘える。』

そして同じように不惑となったイチロー選手もこのテーマについての質問にこのように答えています。

「昔できたことが今できない、ということが見当たらない」

「年齢に対する偏った見方をしてしまう頭を持っている人に対して、お気の毒だなと思うことはあります」

「時間という概念も人間が作ったもの。ある年齢になるとこうなっているだろう、なっていてほしいという思いが垣間見えてちょっと嫌」

「先輩たちがなかなかやってきてくれなかったので、そういうきっかけを作るのが僕たちの使命。具体的な例が出てこないと変えられない。
そういう選手がたくさん生まれることが、一番影響を与える」

葛西選手、羽生さん、イチロー選手。
棋士でも、アスリートでも40歳を越えたら下り坂になるのが当たり前という既成概念を日々破りつつある。

ということでいろいろ勇気をもらいつつ、自分と対話しながら、経験に基づく大局観をベースに自分なりの工夫を重ねながら、少しずつでも前に進んでいきたいです。

いくつになっても自分を磨いていけるはずだし、自分らしい新たなバイパスを常に作っていく努力をしながら、一手一手、慎重、かつ、大胆に、指し手を進めていけたらと思っています。
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スマホフリー

2014年02月16日 17時24分39秒 | 雑感
電車の中では周りの人の様子をうかがうのが恒例というか、趣味の一つです。
好奇心、探究心の成せる業の人間生態観察。

特に座ってる人が何をしているかを結構定期的にチェックしています。

つい先日の帰りの総武線の車内レポートその1。
立っている僕の前に座ってる7人。
6人がスマホで1人だけ寝てる。
ちょっと前は携帯(ガラケー)もかなりいたのだけど、この日は壊滅で、これだけスマホは普及しているという事実。

別の日のレポートその2。
前の7人で、スマホが4人、居眠り2人、雑誌1人。
いまどき雑誌は珍しい。

これはまた別の日のレポートその3。
前の7人は、スマホ5人。ガラケー1人。居眠り1人。
後ろの7人は、スマホ1人。ボーッとしてる1人。居眠り5人。

なんだよ、寝過ぎだ。
そして、前のスマホ5人のうちの3人はなんとイヤフォンをしてた。
見たら三人ともゲーム。
それにしても前後計14人で誰一人本を読んでないというこの事実。
立ってる人はかなり読んでたのがせめてもの救い。
本だけでなく、新聞や雑誌もずいぶん見なくなった。
夕刊紙も減ったなあ。
前はオジサンならかなりの確率で夕刊フジかゲンダイを見てたのだけど。

電車の中の過ごし方がここ10年、いや、5年で本当に変わった。

かくいう僕も電車の中はスマホをいじってる確率が高くなった。
メール、facebook、スケジュール、TO DO、検索、WEB、乗り換え、そしてタイトル戦やいい対局があればかなりの時間は将棋観戦。
ゲームは一切しないもののあれやこれや時間を費やしてしまっている。
で、結局読もうと思ってた本や資料などが読めないままのことがとみに多い毎日。

スマホだけが原因ではないけど、思うような時間の使い方はできてないことを反省する日々。

そんな時、昨日の天声人語。
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 勘違いしそうな英語の一つに「スモークフリー」がある。たばこ吸い放題、ではない。反対に、たばこを吸わない、煙で悩まない、といった意味だから間違えると大変だ。フリーとは本来、何らかの拘束から解放された状態をいう▼それに倣(なら)えば、スマホフリーはスマートフォンを使わないこと。できるわけない、と悲鳴が聞こえそうだが、試みている会社が岐阜県にある。私用のスマホを使わない社員に、毎月5千円の奨励金を出す制度をつくった▼関市の岩田製作所で、正しくはデジタルフリー奨励金と呼ぶ。社員が下を向いてスマホをいじり、昼休みの会話も減った光景に岩田修造社長(65)が考えた▼「人と話す。本を読む。物思いにふける。そんなアナログ的時間と空間が増えれば、想像力、表現力、他人をおもんぱかる力がつく。10年もしたら相当に差が出て、企業としての競争力がつくだろうと思う」。その言葉にうなずく▼社員90人のうち20人が手を挙げた。まだ多くはないが、「全員が挙手する会社なんて気持ち悪い。ぽつぽつと、徐々に変わればいい」。デジタルの奔流に溺れかかる時代に、「手ぶら」の爽快と効用は貴重である▼思えばスマホは、多種多彩なアプリでいよいよ厚化粧になって、人を手招きする。〈スマホをば二十一世紀の阿片(あへん)とは言い得て妙なり今日の車内は〉と昨年暮れの朝日歌壇にあった。きつい一首だが一面の真実でもあろう。ときには「フリーの風」に吹かれる一日が、あっていいと思う。
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人と話したり本を読んだりは結構やってるけど、物思いにふけることとなるとこれはどうなのか。
アナログの時間、よりアナログっぽい時間を作ることをやっていかないといけないとつくづく思う今日この頃。

平日は急ぎの仕事のメールとかもあるのでなかなか難しいのだけど、休みの日はスマホフリーにしていこうかとマジに思っています。

そして、スマホフリー、デジタルフリーの目指すところをしっかり頭に置いて、毎日、ちょっとの時間でもいいから物思いにふけって、感じること、考えたことをノートにアナログで書いていきたいと思ってます。
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哀しい雪の日

2014年02月14日 23時09分49秒 | 友達・絆
溜まっている仕事もいろいろあり、雪の影響もあり、青色申告もまだ進んでいなくてどうにも落ち着かない日々。

そこへ持ってきて、何人かの友人、そして義兄が入院、手術。
もう二か月も入院してるという先輩の話もつい最近聞いて心配している。

そして、知り合いのいる外食企業2社が倒産。
やばそうな話など何も聞いてなかったのでビックリしたのだけど、その日に聞いたという社員の方々の気持ちを考えるとあまりにも辛すぎる話。

さらに一番ショックだったニュース。
お世話になった元クライアントの方のfacebookの投稿を見て言葉を失った。

彼女のお義兄さまが書かれた投稿だったのだけど、なんとご本人が急逝されたとのお知らせ。

しばらく前から入院していたのだけど病状が急に悪化して亡くなられたと。
なんと53歳です。

facebookには哀悼のコメントが今もまだ続いています。

もう15年近く前になるでしょうか。
日本に初上陸した外資系のインターネットの会社の仕事をさせてもらった時の担当の方でした。

社内のムードメーカーでもあり、いつも明るく元気で奔放な方でした。
細かい気遣いをしてくれる優しい方でもありました。

facebookでの、元同僚や友達の方からのコメントを読んでいるとたまらない気持ちになります。

『彼女のあのあたたかい笑顔、そして元気な声、どれだけの人が勇気づけられたでしょう。』
『Uさんほど、周りの人にポジティブな感情を与える人はいません。』
『いつも周囲の方に元気を振りまいてくださっていました。』
『Uさんのいる所はどこでも、みんなの笑顔がありました。』
『「もし死んだら、真っ先にビールを発明した人を探し出し、お礼を言いたい」と仰ってました。』

クライアントと代理店担当者という形でしばらくの間仕事をさせてもらって以来、長い間ご無沙汰してたのですが、3年半ほど前、別のクライアントの方と偶然お目にかかりました。
あの創生期の頃の会社のOBがたくさん集まって毎年忘年会をやってるので、nanaponさんがよければ来たらいいのに、と声をかけてもらいました。
その会の幹事を毎年やっていたのが彼女だったのでつないでもらってしばらくぶりにメール交換になりました。

社内のOBではないし、知ってる人もどれだけいるかわからないしちょっと躊躇しているのですが、参加させてもらっても差支えないでしょうか?とメールをしたところ、あの頃の陽気で豪快な感じの返信が来ました。

『まぁ、躊躇されるお気持ちもわかります!
 あの当時のOBたちは、皆自由勝手に生きています。
 インターネット草創期に、その勢いに集まった、お祭り好きの人間が集まる気軽な宴会です。
 日々、新しい人生だし、迷っているのは、人生の「もったいない」です!
 ぜひ、お越しください!』

ということで思い切って忘年会に参加させてもらい彼女とも再会しました。

人間、明日はどうなることやらわかりゃしない。
今日を精一杯元気に明るくやっていくしかない。

明るく元気でいつも前向きのエネルギーに溢れていたUさん。
本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りします。
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コーチング

2014年02月08日 19時15分14秒 | 雑感
最近思うところがあって、こんな本を読みました。
この1冊ですべてわかる コーチングの基本
クリエーター情報なし
日本実業出版社


しつもん仕事術
クリエーター情報なし
日経BP社


そう、コーチングです。
まだまだビジネスの世界ではそれほど市民権を得てはないとは思いますが、使い方によってはかなり有効なのではと思ってちょっと勉強してみようかな、と思った次第です。

wikiではこうなってます。
《コーチング(coaching)とは、人材開発の技法の1つ。対話によって相手の自己実現や目標達成を図る技術である。相手の話をよく聴き(傾聴)、感じたことを伝えて承認し、質問することで、自発的な行動を促す。一般的にコーチングといった場合にはビジネスや個人の目標達成の援助のことを指している。》

相手の言うことをしっかり聞いて受け止めて確認、承認して、相手の気付きを促す質問をする。
要は傾聴力と質問力。

自分の意見や主張を相手にわかってもらったり、そのとおりだと思ってもらったにしても、自分から気づいてわかった場合と誰かから言われてそうかと思った場合は当然のことながらその後の実行する際の推進力が違いますよね。

いわゆるビジネスコーチングというとしっくりこない部分もあるのだけど、アスリートはいくらトップの人たちでも必ずコーチって付いてますよね?

タイガーウッズでも浅田真央でもコーチはいるし、チームスポーツだって海千山千のコーチがいて、選手たちをサポートしている。

いくら優秀なアスリートと言えども、自分ではわからないこと、人から指摘されて初めて気づくことってあるわけですからね。

ということで若手の研修によくあるいわゆるティーチングではなく、コーチングって経営者とか役員とかも含め、効果を発揮してるケースは結構多いとのこと。

コンサルと違って解決策を示すわけではなく、メンタル面のサポートをするカウンセリングとも違う。

佐藤可士和がよく言ってるけど、自分(相手)の中に答えがある、ということ。

いろんな角度からいろんな質問をする。
なんでそうなのですか?なんでそう思うのですか?
どうしたらいいと思いますか?
と相手に考えてもらいつつ、相手が自ら気を付けること、やるべきことを発見して進んで実践する。

決して意見を言わない。否定も肯定もしない。
答えも言わない。アドバイスもしない。

僕は人の話は結構聞いていると思うのだけど、すぐに自分の意見を言いたくなるし、ついつい相手のためになるであろうアドバイスをしたくなってしまう。
それはわかるけど、僕ならこう思う、こうしたらうまくいくと思うけど、って。
相手がそれを望んでいれば尚更なのだけど、そこを我慢して、決して押し付けたりせずに、しっかり傾聴して自分で気づいてもらう手法というのはかなり有効であろうと最近思っている。

ビジネスだけでなく、ゴルフでも将棋でもそうなのだろうけど、上級者がそうでない人に教えたりするケース、よくあると思うけどそういう場合もうまくコーチングができるに越したことはないはず。
超初心者の場合はティーチングだろうけど、ある程度できる人にとっては、ああせいこうせいと言うよりも自分で悩んで自分で考えて自分で自分に合うやりかたを見出してもらった方が絶対に上達の仕方が違うはず。

今までのことを振り返っても、具体的な指示ばかり出す上司よりも、そこは自分で考えて対処して、と言う上司の方が勉強になったしやりやすかったと思うし、学生だったときを思い出せば、もっと頷けるような事例がたくさん存在する。

自分の主張を明確にしてしっかり伝えることももちろん重要なのだとは思うのだけど、それとは別にコーチングの手法も自分のものにできたらいいなと思っているわけです。

さあ、皆さん、どう思われますか?
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ビジョナリーということ

2014年02月02日 14時45分50秒 | メディア
また間が空いてしまいました。

フリーランスになってから4年半、昨年くらいから新しい案件も含め、結構いろんな相談があって、この人ほどではないにしろあわただしい局面になりつつある。

ここではあまり仕事のことは書いてはこなかったけれど、基本的には個人事業としてのプロデュースやプランニングの仕事。
ずっと広告業界でやってきた経験やネットワークを生かして、僕に声をかけてくれた人に“そこまでやってくれなくてもいいのに”、と言われるくらいのアウトプットをしたいと思ってやっている。
デザイナーやプランナーや周りのいろんな人の協力のお蔭もあり、年々仕事も増えてきていて、もっとこんな仕事もしたいなあ、こんな企画を実現できたらいいなあという次への欲も出てきている。

忙しくなっている中でより充実した仕事、納得のいく仕事をしっかりやっていくためには、以前《“らしさ”を突き詰める》という記事でも書いたのだけど、自分の強みとは何か、より自分らしい仕事とはどんな仕事か、という自問自答を繰り返していくしかない。
自分のvisionを極めていくこと。掘り下げていくこと。しっかりと固めていくこと。

全然話は変わってこの話。
小保方晴子さんが声明「プライバシーに関わる取材が過熱」STAP細胞研究者

メディアのことについてはさんざん書いてきたけれど、やっぱりこうなっちゃうんですね。
割烹着、指輪、ラクロス、などなど些末なことを必要以上に取り上げて、肝心の研究内容、STAP細胞のことについてはお茶を濁している。
何でもかんでもワイドショーネタとしてしか取り上げられない日本のメディア。
いつまでたっても全然変わらないこの体質。
そりゃ一般人にはわからない難しい話をテレビで延々とやったって仕方ないのはわかるけど、そっち、行きすぎだろ、ってこと。
局によって、新聞、雑誌社によって、それぞれの持ち味を出した特徴的な取り上げ方をしてくれればまだいいのに、どこも同じ、代わり映えしないような取材の仕方、取り上げ方に終始する。
もっと研究内容について、将来の可能性について、僕らにもわかりやすいように掘り下げていく、報道していく姿勢はないのだろうか。
そんな番組や記事を作っても、誰も相手にしてくれないのだろうか。

上記の小保方さんの声明についても、ネットメディアでは取り上げているもののテレビや新聞では言及してないように思う。
それぞれのメディアの特性や考え方を生かした個性溢れる取り上げ方の方が面白いと思うのに、前にも書いた記者クラブの現実と同じで、皆横並び、呉越同舟、護送船団、自分だけが落ちこぼれないように互助会的に支えあっている旧態依然とした体質。

多くの視聴者や読者はワイドショー的な取り上げ方だけで満足してるわけではなく、違和感を感じている人の方が多いのだろうとは思うけど、いつまでたっても一向に変わらないこの現状にいささかうんざりしている。

長いことNYにいる津山恵子さんが最近こんなことを発言されてました。(引用させてもらいます。)

《日本人は、テレビはどうなりますか?新聞は、雑誌は?と既存の枠にとらわれて、生き残りのための質問をしてくる。米国人は、メディアはどうなる?メディアに働く人はどうなる?とvisionaryな質問。先端についていくためには、頭が後者なので、日本人に答えるには頭を巻き戻して「過去・現状はこうだから、これが問題で、これからはこうしたらいいのでは」となる。米国人には「今先端で起きていることはこれだから、将来はこうなるでしょう」と答える。日本の政治やビジネスは、visionに欠けるとよくいわれるけど、答えを求める問題意識から違っているからだと思う。》

日本とアメリカのものごとの本質的な捉え方の話。
アメリカでは目先のことや短絡的なことでなく、できるだけ想像力を働かせて、解きほぐす、突き詰める作業が存在している。
何がどう問題なのか、という思考の中に、自分ならではのvisionが明確にあるかどうかが問われている。
一般的な問題でなく、自分事としての問題意識。

仕事でも何でも、できる限りvisionaryに考えて、想像を働かせて、visionaryな問いかけができるようにしていかなければいけないとつくづく思う。

STAP細胞のメディアの取り上げ方の話も同じ。
視聴者や読者にわかりやすく伝えることはもちろんだけど、そこにそれぞれのメディアのvision
というものがクロスされていなければいけないのだと思う。
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