即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

感想戦の基本理念

2008年01月30日 00時07分21秒 | 将棋
歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論
羽生 善治,二宮 清純
日本経済新聞出版社

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この本についての第4弾。
(参考その1その2その3

感想戦についてです。

何もかもオープンにしてるわけじゃないけど、基本的にはオープンにする。

将棋には著作権がない。
戦法を真似してもかまわない。
他の世界とは違って、おおらかである。
小さな個人的権利よりも、公共財の奉仕者たる意識の方が強い。
基本的に性善説。

ここがスポーツと違う。ありえない。
スポーツは必ずズルをするのが前提でルールが組み立てられている。
抜け穴をつく者が出てくると、性悪説になっていく。

やはり、将棋は武士道の精神に通じている。

自分の考えを率直に披露すること。

デメリットは、手を読まれること、手の内を知られること。
メリットは、吐露しあうことにより、二人の力が進歩する。

結局それを量りにかけても、メリットの方が大きいとの判断故、感想戦が成立している。

手の内を明かしながら素直に自分の読み、作戦の裏側をぶつけあった方が、結局お互いの成長につながる、という精神。

さっきまでは敵だけど、終われば「和をもって尊しとなす。」
ノーサイドの感覚。

決して社交辞令ではなく、大人同士の、力を認め合った同士の貴重なブレスト。

共同でことの本質を追求する姿勢。

なんかいいですね、さわやかで潔い。

力を出し合った後、お互いを称えつつ、裸の自分を見せ合う。

うらやましい世界です。


これは、ウェブの世界にも似ている。

情報を囲い込んでおくよりも、開示してしまう。公開してしまう。発信してしまう。

その方が、多くの情報が入ってくるし、貴重なノウハウが得られるし、結局は得をする。

リナックスの話とか、ウィキペディアもそうだし。

物理的な見返りを求めるのでなく、皆がボランタリーな精神に基づいて、いわゆる社会のためにお役にたっている。

自分の知識、知恵、経験、ノウハウ。

そんなものは以前は、絶対に明かさないものだったし、明かすことは損することだった。

しかし、WEB2.0によって、すっかり時代は変わったんですね。

皆が協力して、知恵を出し合い、社会の役にたつものを作り上げていく。

集合知ってやつですね。


翻って、自分の仕事。

競合プレゼ。企画コンペ。

終わってからコンペに参加した競合同士が、お互いの企画を見せ合ったり、情報交換したり、絶対にしない。

普通のビジネス感覚ではありえないのだけど、

お互い力を認め合っている同士であれば、感想戦やった方がいいかも、
と言う気になる。

感想戦をやることで得たものは、次の企画に生かせるはず。
いろんな気づきがあるはず。
あー、こういう発想があったのか。
これについてはそういう解釈だったのか。
そういう角度から検討したのか。

とりもなおさず、それはクライアントのためになるはず。

クライアントのために、力を出そうとしている人や会社が、集合知のしくみで知恵を寄せ合ったら、もっとすごいソリューションが生まれるはず。

クライアントが、感想戦をやるように指示を出せば実現できるのかもしれない。

でも、どうなんだろ、本音トークにはならないな、多分。

本音でぶつけ合わないと、決してお互いの成長にはならないと思うので、
これができるかどうか。

難しいんだろうなあ・・・。

でもできたら面白いね、きっと。

どうでしょうかね、川島さん
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大義のためには・その2

2008年01月29日 00時11分05秒 | 将棋
いろいろコメント頂きましたが、昨夜のうちに草稿したもので、いただいたコメント内容反映させられてませんが、アップしちゃいます。

昨日の記事の続編です。

あんなこと書いたら、大人気なくますますヒートアップしちゃって。(笑)

おととし暮れからの独立に向けてのいろんな動きに関しては、《LPSAの今までと今後》をはじめとして、前にたくさん書きました。

独立派=LPSAも、いろんな問題をはらんでいたかもしれませんし、こうなってしまったところまでは仕方ないかもしれません。

しかーし、

今回のことは、絶対にNOです。

僕らの知らないところで、いろいろあるのかもしれませんが、
僕らに見えているところだけで言うと、
許せません、というか、あきれちゃいます、というか、笑っちゃいます、大爆笑!

座布団3枚、いや、一気に10枚で、歌丸さんと一緒のハワイの旅ご招待です。

対局以外は、一切交流しない、しちゃいけない、ですって?

大義のための共存共栄、相互協力体制、など、一切なしで、
それぞれ勝手に、敵対しながら進めていこうということなんですね?

個人的にも仲良くしちゃいけないの?

赤狩りみたい。(ふるっ!)

あんた、昨日あの人たちと会ってたんじゃないの?
何話したの?
こっちの情報もらしてなんかないでしょうね?
あの人たちとは一切連絡しちゃだめですよ。
メールも含めて。
携帯、見せなさい。
あの人たちの登録してあったら、罰金ですよ。
マイミクなんてしてたらもう脱会ですからね!

戦時中を思わせます。(知らないって!)

どちらにしろ、この件、一度告知までされてしまったわけで、
LPSAの3人も、スケジュール組んでいたわけですよね?

そして、その3人が出るからということも含めて、遠方から行こうと思って、ホテルや新幹線など手配までして、楽しみにしていたファンだっているんじゃないでしょうか?

それを反故にするということなら、「あそことは交流したくない」とかなんかじゃなく、それなりの理由を説明する責任があるんじゃないでしょうか?

当然米長会長が、LPSAに出向き、菓子折りでも持ってお詫びしないといけないでしょうし、キャンセルによって(精神的なことも含めて)被害をこうむったファンにも(一応棋士が変更になる場合もある、と逃げを打ってるからいいわけでなく)何か公式の一言あるべきなんじゃないでしょうか。

連盟側から、LPSAに対して、その後この件に関するお詫びとか、今後に向けての話し合いの提案など、何か言って来たんでしょうか?

今、ビジネスの世界だって、競合同士でいろいろ情報交換したり、業界を発展させるために協力できることはどんどんして行こう、という流れになってますよ。
うちはこういうことで悩んでるけど、そちらはそこはどうやってますか?なんてことも結構情報開示して。

今回のことは、表面的には業界内のもめごとではあるけれど、

何よりも頭来ちゃうのは、

一般ファンの気持ちを無視していること、です。

完全にファンを無視した暴挙、いや、お笑いネタです。

そこに目が向いていない、そこを見ようとしない、というのは、

絶対に、天からの鉄拳制裁です!

それ以上に大切なことってあるんですか?あったら教えてください。

仲間内のごたごたを、自分本位のわがままを優先させるわけですか?

ふーん、やるもんだ。

僕は、仕事でも、クライアントが消費者のことをわかってない、気持ちを見ていないという場合には、積極的に徹底的に反論します。
(社内のことばかり気にしていて企業側の論理ばかり言う人、多いです。)
そこを見ないでビジネスがうまくいくわけはないです。

LPSAの「第34期女流名人位戦第2局・倉敷イベントについて」では、その辺のスタンスをきちんと認識した上で、今後の将棋の発展のために努力したいと言っています。
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私どもは昨年5月のLPSA設立以来、一時は袂を分かつことになってしまった女流棋士も、いつの日かまた共に将棋界発展のため力を合わせられるよう切実に願い、また将来は女流棋界がより華やかで魅力ある世界となるよう、しっかりとした基盤を作るべく、現在は両団体切磋琢磨して活動している時期と認識しております。
 その上で将棋連盟と当協会とは昨年、公式棋戦の円滑な運用と女流棋界発展のためという名の下に、渉外部間での合意書を交わしておりましたので、少なからずとまどいを隠せません。

 また、ファンの皆様やスポンサー様におかれましても、現状を決して望ましい状況として捉えられているとは考えられず、「なんとか連盟所属女流棋士とLPSA所属女流棋士が一同に会して将棋イベントを盛り上げることができたら」と様々なお気遣いを賜っております。今回の事態はまことに残念であり、楽しみにされていた皆様には大変申し訳ないこととは存じます。
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この真摯で大人の態度に比べて、いまさら何を言ってるんですか?

ファンの立場を考えたなら、

連盟主催のイベント(非公式の大会)にでも、LPSAの棋士をゲストに呼ぶとか、手伝ってもらうとかするべきだし、逆もそうなわけで、お互いに生で見に行って、手伝ったりした方が、よりお互いが切磋琢磨できる土壌ができると思うわけです。
そして、もし人数が足りないとか、そんな時は、もちろん助け合ったりして、協力しあったほうが絶対にいいと思います。

ファンの立場としてだけでなく、双方の女流棋士にとっても、刺激にもなり、励みにもなり、お互いのノウハウを共有する形で、より多くの、より良いイベントや普及活動をどんどん推進できる体制を作っていってほしいわけです。

信頼の上での協力といい意味での競争。

しかし、協力しない、邪魔しあう、反目しあう、敵対する、という流れでは、何も生まれません。

業界自体が滅びることに繋がります。

まあ、一人でも多くのファンにより楽しんでもらいたい

ということを第一義に必死に考えていけば、

自然と答えは出てきますよ。
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大義のためには

2008年01月27日 22時37分02秒 | 将棋
なんだかまたきな臭いことになってます。

こんなに早くまたこんな記事書くことになるとは思わなかったです。

王位・女流王位合同就位式も含めて、米長会長のいろいろな場での発言では、

『残念ながら、別の団体にはなってしまったけど、お互い切磋琢磨し、将棋の普及発展にがんばってほしい。』
という基本線ですし、今までのいろんな経緯、確執などは、ほぼ氷解したのだと思っていました。
そして、当分は何事もなくこのまま進むのかな、と思っていました。

女流棋士同士は、あんまりもうそういうことも意識せず、LPPG(連盟女流棋士会)もLPSAもなく、普通に仲良くもしゃべっているでしょうし、お互いの活動や企画に関しては、いい刺激をし合って、いい意味で競争しあって、がんばっている(もちろん棋力向上もですが)と理解していました。

突然来たLPSAのメルマガ、そしてその詳細が『第34期女流名人位戦第2局・倉敷イベントについて』

要は、決まっていた3人の出演がキャンセル。
その理由は、
《日本将棋連盟より「現段階として連盟所属女流棋士とLPSA所属女流棋士の交流は公式戦対局以外避けてほしい」との申し出が主催者側にあり出演がキャンセルされることとなりました。》

決まっていたのに、横槍です。
「現段階として連盟所属女流棋士とLPSA所属女流棋士の交流は公式戦対局以外避けてほしい」
なんですか?これ。

対局で一緒になることはかまわない。(ふーん、今後は対局もだめってこともあるのかな?)
それ以外は、別の団体の女流棋士同士が一緒になっちゃいけない。
交流しちゃいけない。

shogitygooさん女流名人位戦の倉敷イベントについて 他 で、書いてます。

一部引用させてもらいますが、
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それどころか、最近は、関係改善が水面下で進んでいるのかもしれないと甘い考えを抱き、余計なことを言って邪魔をしたりすべきではないと思い、細かい問題を意図的に書かないようにしてきたくらいです。今回の一見は、完全にそんな気持ちに水をさすものでした。こうして、冷静風を装って書いてはいますが、正直な気持ちでは、もっと率直な書き方をしている他の一般の方々と全く変わりがありません。
-----------------------------------
ほんと、ここ同感です。

こんな風に書いてるとますます腹がたつので、できればこんな記事は書きたくないんです。

仲良く、うまくやってくださいよ。

だって、お互い普及面での第一義は、
ファンが喜ぶ、ファンに将棋を身近に感じてもらう、将棋の魅力を味わってもらう、ということですよね?

間違いないですよね?

それであれば、どこが主催のどんなイベントであろうが、よりファンに喜んでもらうならば、両団体から、分け隔てなく女流棋士に出てもらったほうがいいに決まってます。

そういう目的とか趣旨とか、もっと言えば大義のようなことを、今回の横槍は完全に無視しています。
自分の手で、大切な将棋というものを貶めています。

完全に暴挙ですね。
こんな馬鹿げたことをやってたら、将棋の普及発展は妨げられますよ。

ファンが減って、スポンサーも減って、メディアも取り上げてくれなくなり、そのうち誰もやる人いなくなりますよ。

昔の女子高の男女交際の規律じゃあるまいし、
他校の男子とは、口をきいてはいけません、交際してはいけません、みたいな。

誰がこんなこと言ってるんですか?

百歩譲って、もしそうするのなら、最初からそういう風に標榜して、そういう付き合い方にすればいいでしょ?

一度決まったものを、覆すなんて。

ファンのがっかりした顔、目に浮かびませんか?

公式対局以外はだめ、というのなら、
将棋まつりでも、TV番組でも、全部だめってこと?

じゃあ、どこかのTVの企画で、女流のタイトル保持者3人の対談が企画されたら、NGってことですね?
将棋のメディア露出のチャンスロスになろうがかまわない、ということですね?

ふーん、そうなんですね。

もう一度言いますが、

そんなことで争ってる場合でなく、危機感を感じる現状の中で、将棋の普及を進めていかないと明るい未来はない、という認識ではないのですか?
待遇に満足なんかしないで、もっともっと給料増やすために、将棋の価値を上げ、ファンを増やし、スポンサーも増やさないでいいわけですか?

こんなに素晴らしい将棋の魅力を、より多くの人に伝える努力をする方が、派閥争いなんかしてるよりよっぽど大切だとは思いませんか?

WEB2.0(っていうんですか?)ITベンチャーの社長のブログの魔人ブウ*さんが、将棋SNSの記事《江戸時代の鎖国感覚はさすがに時代錯誤と思われる》で詳しく分析しています。

一部引用させてもらいます。
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「現段階として連盟所属女流棋士とLPSA所属女流棋士の交流は公式戦対局以外避けてほしい」
このスタンスは、日本将棋連盟の所属女流棋士をLPSA所属女流棋士から隔離したいという意思に他なりません。ところが、実際にはこの両者は各所で交流しています。例えば先日の深浦王位、石橋女流王位合同就位式では、両組織の女流棋士同士が普通に会話していました。つまりは、普通の女流棋士たちにとっては政治的な問題は関係ないわけです。ところが、恐らくは日本将棋連盟女流棋士会の理事会にとってはそうではないのでしょう。彼達は何をそんなに恐れているのでしょう。自分達の領土を侵されたくない。自分達の価値観を侵されたくない。自分達の同僚を切り崩されたくない。そういったことを考えているのでしょうか。
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      《中略》
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時代は江戸時代とは異なり、ボーダーレス化は進む一方です。そうした中において、日本将棋連盟の女流棋士会が、ファンが期待するような発展をする可能性は、非常に小さい気がします。外堀を埋められてしまい、狭い社会の中で自分達の価値観を確認しあい、仲間の顔を見て安心する。こんな内向きな組織が果たしてファンの支持を得ることができるのでしょうか。
----------------------------------------

関係者から聞いた話ですが、今までいろんな連盟の仕事をやっていた人が、一度LPSAの何かの仕事を引き受けたりすると、もう連盟からは仕事が来なくなる、って。
そんな嫌がらせみたいなこと、いまだにありえるんですかね?
もしそんなことしていたら、自分がいやにならないですかね?

さっきの男女交際の例えじゃないですが、
いろんな場での交流を認めてしまうと、
仲良くつきあってしまって、転校する女子生徒が出るかもしれないので、
それを防がなきゃいけない、という魂胆ですか?
(千駄ヶ谷高校には、駒込高校への転校禁止の張り紙、貼ってあるんでしょうか?)

戦時中じゃあるまいしさ。

魔人ブウ*さんが去年の11月に書いた《女流棋士会はなぜ分裂したのか?》と言う記事も必見です。

今の将棋界にとって、何が重要なのか、再度考えてくださいね。

ファンの顔を、ちゃんと具体的にイメージしてくださいね。

またこういう記事書かなくてもいいように、よろしくお願いします。
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先ちゃんワールド

2008年01月27日 16時20分07秒 | 将棋
山手線内回りのゲリラ―先崎学の浮いたり沈んだり
先崎 学
日本将棋連盟

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週刊文春のコラム「先崎学の浮いたり沈んだり」の中からの60編。(2003.11~2007.5)

なんと、これ、日本将棋連盟の発行なんですね。
将棋連盟発行のものはほとんど技術書、解説書で、こんな感じの軽い読み物はほとんど史上初と言ってもいいのでは、と思ってしまいました。

ほんと、先ちゃんワールド炸裂ですね。
1話1600字と、さくっと読める軽いエッセーなわけだけど、
軽妙洒脱というのか、独特のユーモアに満ち満ちている。

そして、普段あまり表には出ていない棋士たちの日常、一面、人間関係などもいろいろ窺い知れて楽しいです。

彼の文章の素晴らしいところはいろいろありますが、
まず、つかみ、がうまいですね。

こういう短いエッセーは、タイトルと出だしの部分で、ほとんど決まりです。
これが面白ければ、最後まで読むし、これがいまいちだと、飛ばされちゃうし・・・。

「世界は謎に満ちている」
将棋指しにとって世の中は謎だらけである。
とくに経済というものが、決定的にわからない。

「スランプ百景」
当たり前のことだが、勝負の世界、勝ち星の数だけ負け星がある。

「計算ずくで席を立つ」
将棋の対局室というのは、おそろしいまでに浮世離れしたところである。

などなど、どれもこれも秀逸で、ひきこまれちゃいます。
こういのが、将棋ファン以外orほんと多少の将棋ファンという人たちと、将棋(界)の魅力というものをブリッジさせているんじゃないかと思いますし、そういう意味でも、今回(最近とみに普及に力を入れている)日本将棋連盟が発行している意図があるのではないかと思います。

渡辺竜王新刊という記事で『帰りの電車の中で読んだのですが34ページからの記述には思わず笑ってしまいました』と書いてます。

このエッセー(前からですが)、佐藤棋聖、いや通称「康光君」についての記述が実に多い。何かと登場します。
先ちゃんにとっては、弄りやすい、弄りたい対象NO.1なんだと思います。

以前は「モテ光君」、今回は「デレ光君」、というように、いいように遊んでますね。
ほんとこの部分、吹き出したり、ニタっとしたりのところずいぶんあります。


それから下の欄外に小さな字でちょこっと入っている注釈が、なんとも面白い。

「先ちゃんと康光君との会話・・・・・」(※)
※どんな文章にも多少の誇張はつきものだが、以下の会話はすべて事実である。

「怒られたことがあった。」(※)
※ホントに怒って、ふざけんなと詰め寄られた。

「あるサイコロ」(※)
※島八段が買ったそうである。ヘンなヒト。

「痛飲した。」(※)
※飲むのはいいが、加減がわかっていないのである。

「悪夢のような事実」(※)
※とはいえ、たいしたことがあったわけではない。
ただ馬鹿にされながら飲んだだけである。

「なんでもすぐに勝負だと考え、ムキになる性分なのだ。」(※)
※そばをゆでていて、お湯が吹きこぼれるとそばに負けたような気になる。

もともとこの注釈は、将棋を知らない人のための説明を入れるはずのものだったと思う。
それが、もちろんそういう注釈もあるけど、ほとんどは先ちゃんのやりたい放題になっていて、この部分のさりげないトボケタ表現が最高に面白いです。

栄枯盛衰・前途洋洋先崎学八段の『山手線内回りのゲリラ』を読むという記事でも詳しく感想が書かれてます。

一部引用します。
「昨年11月になくなった真部一男九段邸で師匠である米長永世棋聖と真部九段の囲碁の話も「真部邸の惨劇」という物々しい題で語られている。(この話題は『将棋世界』2008年2月号の真部九段追悼記事の中で、米長永世棋聖自身も書いており、両方読み比べるのもおもしろい)」

はい、両方読みましたが、面白いです。
そして突然夜中に酔っ払いたちに押しかけられたものの、いやな顔ひとつせず歓待する真部九段の人柄も偲ばれ、感慨深いものがありました。
(先日の真部九段のお別れ会、行くつもりでいましたが、行けませんでした。あらためてご冥福をお祈りします。)

家庭を持ち、パパにもなり、以前よりも温厚に丸くなったというのはあるのでしょうけど、今も文章の中にどこか、破滅型、自己崩壊型、と言える様なニュアンス、感じます。
まあ、古くから知ってると、そこが先ちゃんぽくていいわけですけど。

すぐ酒を飲んでしまう、ポカをしてしまう、恥をかく、
そして、
自分を冷笑する、嘲笑する。

そんな風に、クールで客観的な目で自分を見ている。
棋士や棋界を見ている。

もちろんその底にあるのは、将棋や仲間の棋士に対する深くて大きな愛情。

当然、将棋界全体のことも考える年頃なわけだし、
もとより世間のこと、裏のこと、人生の機微のことなど、
先ちゃんしかわからないこと、できないこともたくさんあるはず。

昨日の記事フェアルックトのこと書いたけど、エッセー界のフェアルックトとして、今後ともますます僕らを楽しませてほしいと思っています。

そして、書き手としてだけでなく、順位戦をはじめとした各棋戦でも「先ちゃんらしさ」を縦横無尽に発揮してがんばってほしいと心から思っています。
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狂気の世界

2008年01月25日 21時23分04秒 | 雑感
歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論
羽生 善治,二宮 清純
日本経済新聞出版社

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またまた、この本で感じたことの第3弾。

まず、高野連の話。

誰にもあんまり話したことないのですけど、僕は高校野球って、ある時期から全く見なくなったし、無関心になりました。

どこが勝ったのかとか、すごい名勝負があった、とかも、ニュースで聞くくらいで。

その理由は、

いかにも坊主頭の高校生の一生懸命さ、健気さが、
あまりにもフィーチャーされすぎて、なんか、ついていけなくなった。

監督の指示通り、バットを短く持つ「高校生らしい」野球。
基本に忠実な優等生的な野球。

日本のやってきた教育制度のオール5的な人材を求める姿勢。

バットをブンブン振り回して、ホームランを狙うような選手は歓迎せず、小回りがきいて、バットの芯でとらえ、よく走り、チームプレーを軸に据える。

そういうオール5的な選手が9人集まったチームが、いいチーム。

負けて、甲子園の砂を泣きながら集めている姿。
真夏の暑さの中で、連日がんばっている球児の純粋な汗。
学校も、親も、すべてが応援して、がんばっている姿。

そんなことも含めて、すべて嘘っぽく思えてしまった。

高校生に求めるのは無理という意見もあるけrど、もっと自主性を重んじて、突出したスペシャリスト、荒削りだけど個性の強い選手がたくさんいた方が絶対に面白いはず。

それが、(多分)突出した選手を育てようとしないし、そういう芽を摘み、丸く画一的な優等生選手ばかりに仕立てている。

どうにもそういう優等生的な体質が肌に合わないんですね。


二宮さんがドイツの名門サッカークラブに取材した時の話。
『若いフォワードを育てる上で一番大切なものは何か?』

「フェアルックト」
という答えだったそうです。

それは、『狂気』『エキセントリック』『突出した個性』という意味。

学校でも会社でも、スポーツの団体競技でも、今の日本で、一番足りない部分だと思う。

すべては日本の教育の在り方。
そして、謙虚で目立たないこと、集団の中に溶け込むことが美徳とされてきた日本の伝統。

原石たるフェアルックトの才能も、丸く、角が削られ、日本人的な和の中に組み込まれていく。
異端を許容しない社会が厳然としてある。

ずっと言われ続けている、日本のサッカーが点を取れない、決定力不足と言われる所以。

今、社員が一億総公務員化している日本のビジネス社会。

このデフレスパイラルの流れを変えられる原動力になるのは、フェアルックトなんじゃないかと、つくづく思う。

常識はずれでも白い目で見られない、そんなフェアルックトが棲息できる環境作り。
突出して叩かれても、それでも力を発揮できる本物のフェアルックト。

以前書いた悪漢列伝に通じるものもあると思いますし、若い頃のイチローにも言える事かも知れませんが、いろんな意味で突出した人材が、旧態然とした枠組みの中で、今後どうなっていくのか。
マスコミも含めた世論、世間というものが、フェアルックトに対して、どのような目を向けていくのか。

いろいろ考えさせられたテーマでした。
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大人の恋

2008年01月23日 21時43分48秒 | 将棋
歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論
羽生 善治,二宮 清純
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こんなタイトルですが、先日の記事《混沌を楽しむ》の続きです。

引き続き、羽生二冠の鋭くもあり、感心してしまう発言です。

「長いことやってると、予定調和の勝負ってやってて面白くない。
敢えて変化を求める。
予定調和の世界へと流されていくと、狭い方へ狭い方へ進んでいくことになる。
それじゃあ将棋の進歩はない。
敢えて一石を投じたい。
人間は意外性を求めている。

情報化が進むと、皆が同じ情報を共有して、同じ分析をして、どうしても単調な方向に流れがちになる。

サービスだって、マニュアル通りのサービスはつまらない。感動がない。

スポーツにせよ、将棋にせよ、ひとつとして同じ場面はない。

これまでと同じでいい、危険だからやめておこう、という態度はイノベーションを生まない。

恐怖心より、好奇心の方がまさっている。

単純にやろうと思えば単純にできるけど、予期せぬ展開を期待する気持ちもあるので、わざと状況をねじってる。

何が生まれるのか、お互いに読めない。
同じ人と何度も対戦して、飽きることがないのは、思いがけない場面に出会うから。
二人とも予想してなかった展開になって、二人ともそれを楽しんでいるような。

直線の攻め合いから曲線のねじり合いを求める。
五里霧中状態の方がワクワクする。
新しい刺激を求める気持ち。」

二宮さん 『まるで大人の恋みたいですね。』

将棋とスポーツの話が、恋の話になる。

面白いです。

(以前、米長永世棋聖が、中原十六世名人とタイトル戦でしょっちゅう顔を合わせていた頃、夫婦よりも愛し合っている、みたいな発言ありましたよね?→詳細忘れました。)

お互いにねじり合い、もがきぬきながら、予想もしない方向に進んでいくのを楽しむ。

そこが青春時代のひたすらまっすぐなレールの上の恋とは違う。

どこに行くのかわからない。

ミステリーツアーみたいな感じ。

あれこれ悩みぬいて、その場にうずくまっていても仕方ない。

予期せぬ展開を楽しみにして、新たな刺激を求めることが、自分の成長にもつながる。

大海原に乗り出す時のワクワク感。

冒険心、探究心、好奇心、向上心。

素敵だなあ、大人の恋って・・・。
コメント

混沌を楽しむ

2008年01月22日 22時24分44秒 | 将棋
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羽生 善治,二宮 清純
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渡辺竜王「頭脳勝負 将棋の世界」に、
将棋をスポーツと同じように楽しんでほしい、とありましたよね。

この本、将棋とスポーツの関連性、楽しさ、普及や技術について、など、
二宮清純さんと、羽生二冠が、かなり突っ込んだトークをしていて面白かったです。

二宮さんが語る各種スポーツの真髄、特性、醍醐味などと、
羽生二冠が語る将棋の奥義、考え方、などが、
いろいろな角度、視点で、リンクしている。

羽生さんも野球、サッカーなどのスポーツのことを本当によく知っているし、二宮さんも将棋を理解しているので、二人の指摘するポイントが溶け合ったり、ショートしたりする。

将棋、スポーツだけでなく、ビジネスを含む現代のいろんな問題にまで触れて、二人の示唆に富んだ世界が広がっています。

中でも面白かった、「混沌を楽しむ」、というテーマ。

情報化という秩序の世界に生きていると、混沌状態になった時に戸惑う人がいる。
逆に嬉々として来る人もいる。

マニュアルや情報がないと動けない、もがき苦しむ。

そこは泥沼。

誰かから教わることより、
当然ながら自分でもがき苦しんで掴み取ったもの、編み出したものが大きい。
修羅場を経て、場数を踏むしかない。

混沌を楽しむ気持ち。

どんなに手を読んでも、思い描いたような展開にはならない。

居直るかのように、どうにもならないのだから、楽しむしかない、だからこそ楽しいじゃん、と割り切る。

普段の生活でも、突然友達が訪ねてきたり、いきなり上司が怒り出したりとか、予想外の事件に巻き込まれた方が、脳が活性化されて面白い、と。

決められた秩序やルールの中だけでは、もはや楽しめない。
何かを発見したり、思わぬ成長をしたりできることこそが、貴重だし、楽しい、と。

ここ、普通の棋士と違いますよね。
あくまでも自分の得意なフィールドに持ち込もうとする。
わかっている領域で勝負しようとする。

羽生二冠はここでもう違うんですね。

余裕といえばそうだし、究極のオールラウンドプレーヤーでもあり、自信に裏打ちされた姿勢でもあるんだろうけど、なんか達観してるというか、解脱してるかのような発言とも感じられる。


次に、同じようなテーマだけど、「歳をとるメリット」。

歳をとっても進歩できる。
歳は克服できる。

力のピッチングから、頭脳のピッチングへ。
81球の論理(全員を3球三振)から27球(全員を初球で打たせてアウト)の論理への転換。

そのためには、無駄を省くことが大切。
無駄を省くためには、何が無駄かを見つけられればいい。
それにはさんざん無駄なことをやってないとわからない。
無駄なことをやってきたからこそわかることだ、と。

無駄は未来への投資、だと。

自ら局面を複雑にしていく。

羅針盤がきかない局面に持っていく。

そこで、経験や引き出しに基づく判断ができる。
誰も入ったことのない未知の世界へ引きずり込む。
暗闇の中では、経験がものを言う。

すべて、スポーツや将棋の話なので、とってもわかりやすいし、
二宮さんはともかくとして、
羽生二冠は、なんで将棋だけでなく、スポーツもビジネスも含めて、いろいろな社会のメカニズムをしっかりと深く理解しているのだろうか。

盤上では鬼っ!などと言われるような強さを発揮しているけれど、そんな将棋の強さだけでなく、彼の持つ広い見識、知性は、もう棋界では本当に特別の存在になってしまった感があります。

今の羽生善治の存在が、棋界にとってどれだけの大きな意味を持つものなのか。

彼の持っている洞察力、世界観が、今後の将棋界にどれだけの大きな影響を与えていくのか。

ずいぶん前に《違和感》という記事を書きましたが、
棋界は、仲間内だけで通用する論理が多すぎる、世間から見たらまるで通用しない理屈がありすぎると指摘してきました。

あれこれも、すべて、それゆえに生まれたもめごとなんだと思っています。

羽生二冠が、今後それなりの年齢になり、棋界のオピニオンリーダーになるとともに、棋界のビジョンを打ち出し、それを実現できるような立場になったら、棋界もずいぶんと様変わりするに違いないと確信しました。

そんな彼の偉大さを改めて実感した本でした。

この本、まだいろいろ書きたいことあるので、また書きますね。
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博物館のモラル

2008年01月21日 21時21分29秒 | 


台北の故宮博物館のこと書きましたが、

別の意味でビックリしたこと。

想像を絶してすごかったんです。

美術館、博物館のイメージってありますよね。

シーンとしていて、話し声もひそひそ程度。

足音くらいしか聞こえない静寂の中で、

作品と自分の世界に浸ろうとする。


それが、全然違いました。

もちろん空いている時もあるのだろうけど、なんと、団体がいっぱい。

どの部屋も、15人~20人くらいの団体さんで溢れている。

そして、信じられないことに、

説明員(台湾人)が、作品の前で、大声で、身振り手振りでやってる。

中国語(北京語)って、またあのイントネーションが、

こういう場では耳障りなんだなあ、これが。

たまたま静かに見ているところに、団体さんが襲ってきちゃったら、もうだめ。

どかされちゃう。はい、じゃまじゃま、って感じで。

そして、ひそひそ話さなきゃ、って遠慮や恐縮感がまるでなく、

ほんと、無防備、大雑把、無意識。

モラルなんて言葉は存在してない。

あちこちにいろんな団体さんがいる。
欧米人の団体には、変な英語でペラペラ説明。

小学校の課外授業(?)の団体も。
説明なんか聞いてるわけもなく、走り回ったり、床に寝転んだり。

昔の日本の農協のようなおっさんばかしの品のない団体も。
作品にはなんの興味もなさそう。
ガーっときて、わあわあ言って、ガーっと行っちゃう。

仕方ないので、団体さんがいない部屋を見繕って、順番は無視して見てまわりました。

あっ、ここいない、早く早く、みたいな感じで。

普通、こういうところでは、係員が各部屋に座っていて、見張ってるよね?

なんでいないの?

なんで野放し?

いいわけ?ああいうの。

博物館側のほったらかしの対応も理解できない。

ああ、故宮(呼吸)が、ため息に・・。→(オヤジ
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ビールがおいしいのは

2008年01月20日 20時07分55秒 | 雑感
去年の世相を表す漢字が、『』ということもあり、

今年の正月は、テレビも新聞も広告も、
環境、温暖化、安全、健康
をテーマにしたものがとても目立ちましたね。

中でも気に入ったのは、サッポロビールのナンチャンのCF。


題して、《すべて責任品質》CF映像です。

こういうストレートに言いたいこと、言うべきことを言っているCF、とても好感が持てます。
押し付けがましくもなく、素直にわかりやすくメッセージを伝えています。
素人の起用もなかなかで、彼らの表情や語り口もいいので、とても説得力があります。
そして、さわやかな野外のシチュエーションも素敵です。

シズルとか、よくあるような料理との組み合わせとかではないのだけれど、何故かビール飲みたい気分になります。

ビールって、いつ、どういうシチュエーションで飲むのがうまいと思いますか?

僕は絶対に自信持って言えるのだけど、

夜、飲み屋とか、レストランで飲むよりも、

このCFのようなシチュエーションで、

朝、or 昼に

こんな広くて景色のいい野外で飲むのが、間違いなく一番、

と思います。

雲ひとつないような晴天の日

朝から昼過ぎまでの時間に、

360度美しい光景が広がる山の頂上で、

海の見える高台のデッキで、

紅葉の見える露天風呂で、

地平線が見える北海道の草原で、

飲みたいですねえ、グビっと。
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寝られる体力

2008年01月20日 15時11分24秒 | 健康
おとといの金曜日、会社で寒気がして、だるいし食欲もなく、久々にちょっとやばい感じ。

寒さが身にしみる。

ということで、早めに帰って暖かくしてゆっくり。

おかゆ食べて、大型プラズマテレビで、秋に録画してあった「ALWAYS・三丁目の夕日」を見ました。

(本当は秋の封切りの時に「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見たかったのだけど、最初のを見てなかったので、見てからの方がいい、と皆に言われて、結局見られなかった。)

風屋さん記事《ノスタルジー》も読んだし、見なきゃなあ、って思って。

そして、結局夜中になってしまい、2時頃に風邪薬飲んでから寝ました。

起きたら、なんと、3時

いやあ、よく寝た。

13時間かあ。。

気持ちいいというか、寝過ぎでボーっとしてる。

まわりの友人とか、会社の同年代とか少し上の人は、

若い頃のようには、寝られない、朝早く起きてしまう、と言う人が多い。

夜中まで起きていても、朝は早く目が覚める、と言う。

僕はそんなことないよ、いつまででも寝てられるし、寝るの好きだし、朝起きるの嫌い、って言うと、
若いなあ、体力あるんだよ、って言われたりもする。

寝られる体力。
寝るのも体力が要る。

生きることは全般的に体力やエネルギーが要るというのはわかるけど、
寝るのもそうなのかあ、って、
裏切られた感じもして。

歳とるのって、やだなあ、面倒くさいなあ・・・。

先週の土曜も、一週間ハードだったこともあり、昼の12時まで寝てたし。

寝るの好きだなあ。

やること、やらなきゃいけないこと、いっぱいあるから、寝てたらもったいない、という気持ちもないわけじゃないけど、でも1日8時間は寝たい。

寝不足って、ほんと、前に比べると堪えるようになってきたので、なおさら。

おかげさまで、昨日ゆっくり寝たので、風邪は大丈夫のようです。
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