今日は天野祐吉さんのコラム、成長はもういい [ことばの元気学]について。
少し引用させてもらいます。
-----------------------------------------------------------
電球は1000時間で切れるように、いままでつくられていたんですって。
電球だけじゃない。
いまも電気製品の大半は、もっと長持ちできるのに、早く壊れるようにつくられているんですって。
そういう話は前から聞いてはいましたが、それが本当の話であることを、みごとに実証したテレビ番組を見ました。
先日NHKで放送されたフランス・スペイン合作のドキュメンタリー番組「電球をめぐる陰謀」です。
このことはぼくの「CM天気図」にもちょっと書きましたが、ひどい話です。
つまり、電気製品が長持ちしたら、買い替えが進まない。
どんどん買い替えてもらうためには、早く寿命がくる継続しているようにしなきゃならない。
そうしなければ、大量生産・大量消費の歯車が勢いよく回らない。
歯車が勢いよく回らなきゃ経済成長が持続しない。
というわけですね。
こわれた商品の修理を頼むと、「買い替えたほうが修理より安いですよ」と買い替えをすすめる。
それもまた、この戦略の一環です。
<中略>
そう、いまの政治家や財界人は、やたらに「成長」を口にする。
「成長」抜きに未来は語れない、という。
それには大量生産・大量消費の歯車を回し続けることが不可欠だという。
で、それは、原発抜きではとても考えられないという。
でも、番組の中でセルジュ・ラトゥーシュさんというフランスの著名な経済学者がいっていましたが、
それは「人間のための成長」ではなく、「成長のための成長」です。
彼によれば、いまのぼくらは、運転手のいないスピードカーに乗って猛スピードで突っ走っているようなものだという。永久につづく成長なんて絶対にあり得ないわけですからね。
「経済成長なき社会発展は可能か」というラトゥーシュさんの本を、野田さんに送ってあげたいと思いましたが、送ってもたぶんあの人は読まないでしょうね。
-----------------------------------------------(引用終わり)
不況、デフレ脱出。
明るい未来のためには経済成長ありき。
そのためには原発も必須。
どんどん自然を開拓、いや破壊して、ダムを作り、ビルを建てる。
国民の豊かな暮らしのために経済を強くして文明発展を推進していく。
経済成長というものは当然ながら使用済み核燃料も含め大量の廃棄物を生み出している。
そのことまで含めての評価をし直さなければいけないし、豊かさを測りなおさなければならないはずだ。
大局的、長期的に見た将来への影響も視野に入れた上で、総合的に本当の豊かさにつながるのであればいいのだけど、少なくても成長のための成長はやめるべきだと思う。ここでしっかりと終止符を打つ時だ。
足るを知る。
最近とみに思うのはこのこと。
3.11でやっと気づいた部分もあるのだろうけど、まだまだ高度経済成長の神話、伝統はしっかりと息づいている。
心の欲求はどこまでも果てしない。
足りなければ満たそうとするのが心の常。
しかし次第に満たされていったとしても、ここまでで達成、おしまい、という限度は存在しないから、もっと、さらに、と永遠に続いていく。
どこまでもひたすら満たし続けようとする人間の悲しい性。
そうであれば今を満ち足りたものとすればいい。
天気がいいことに、ご馳走でなくてもゴハンがおいしいことに、毎日咲いてる花が美しいことに、好きな人と一緒にいられることに、心の底から感謝して、満足して毎日を過ごす。
身の程を知り、謙虚にささやかに、日々のさりげない幸せを見つけて、ゆったりと暮らすこと。
少なくとも、早く壊れるような電球とか、無駄に廃棄している食料とか、誰も使わないハコモノとか、そういう馬鹿なことはやめにして、まっとうに、きちんと、誠実に生きたいと思う。
歳をとったからなのかわからないけど、ちゃんとしないとあかんよなあ、とつくづく思う今日この頃なのですね。
少し引用させてもらいます。
-----------------------------------------------------------
電球は1000時間で切れるように、いままでつくられていたんですって。
電球だけじゃない。
いまも電気製品の大半は、もっと長持ちできるのに、早く壊れるようにつくられているんですって。
そういう話は前から聞いてはいましたが、それが本当の話であることを、みごとに実証したテレビ番組を見ました。
先日NHKで放送されたフランス・スペイン合作のドキュメンタリー番組「電球をめぐる陰謀」です。
このことはぼくの「CM天気図」にもちょっと書きましたが、ひどい話です。
つまり、電気製品が長持ちしたら、買い替えが進まない。
どんどん買い替えてもらうためには、早く寿命がくる継続しているようにしなきゃならない。
そうしなければ、大量生産・大量消費の歯車が勢いよく回らない。
歯車が勢いよく回らなきゃ経済成長が持続しない。
というわけですね。
こわれた商品の修理を頼むと、「買い替えたほうが修理より安いですよ」と買い替えをすすめる。
それもまた、この戦略の一環です。
<中略>
そう、いまの政治家や財界人は、やたらに「成長」を口にする。
「成長」抜きに未来は語れない、という。
それには大量生産・大量消費の歯車を回し続けることが不可欠だという。
で、それは、原発抜きではとても考えられないという。
でも、番組の中でセルジュ・ラトゥーシュさんというフランスの著名な経済学者がいっていましたが、
それは「人間のための成長」ではなく、「成長のための成長」です。
彼によれば、いまのぼくらは、運転手のいないスピードカーに乗って猛スピードで突っ走っているようなものだという。永久につづく成長なんて絶対にあり得ないわけですからね。
「経済成長なき社会発展は可能か」というラトゥーシュさんの本を、野田さんに送ってあげたいと思いましたが、送ってもたぶんあの人は読まないでしょうね。
-----------------------------------------------(引用終わり)
不況、デフレ脱出。
明るい未来のためには経済成長ありき。
そのためには原発も必須。
どんどん自然を開拓、いや破壊して、ダムを作り、ビルを建てる。
国民の豊かな暮らしのために経済を強くして文明発展を推進していく。
経済成長というものは当然ながら使用済み核燃料も含め大量の廃棄物を生み出している。
そのことまで含めての評価をし直さなければいけないし、豊かさを測りなおさなければならないはずだ。
大局的、長期的に見た将来への影響も視野に入れた上で、総合的に本当の豊かさにつながるのであればいいのだけど、少なくても成長のための成長はやめるべきだと思う。ここでしっかりと終止符を打つ時だ。
足るを知る。
最近とみに思うのはこのこと。
3.11でやっと気づいた部分もあるのだろうけど、まだまだ高度経済成長の神話、伝統はしっかりと息づいている。
心の欲求はどこまでも果てしない。
足りなければ満たそうとするのが心の常。
しかし次第に満たされていったとしても、ここまでで達成、おしまい、という限度は存在しないから、もっと、さらに、と永遠に続いていく。
どこまでもひたすら満たし続けようとする人間の悲しい性。
そうであれば今を満ち足りたものとすればいい。
天気がいいことに、ご馳走でなくてもゴハンがおいしいことに、毎日咲いてる花が美しいことに、好きな人と一緒にいられることに、心の底から感謝して、満足して毎日を過ごす。
身の程を知り、謙虚にささやかに、日々のさりげない幸せを見つけて、ゆったりと暮らすこと。
少なくとも、早く壊れるような電球とか、無駄に廃棄している食料とか、誰も使わないハコモノとか、そういう馬鹿なことはやめにして、まっとうに、きちんと、誠実に生きたいと思う。
歳をとったからなのかわからないけど、ちゃんとしないとあかんよなあ、とつくづく思う今日この頃なのですね。