GWには楽しみにしているイベントがあります。
それは、小学校の同窓会(学年会)。
なんと卒業以来初めてという快挙です。
もちろん仲良し同士は会ってはいたけれど、きちんと居所を探して電話かけたり往復はがき出したりして、正式な形でやるのは本当に初めてです。
数十年ぶりに会うというのはどんな感じなのでしょうか?
見たこともないおじさん、おばさん、いや、じじいとばああばかりなのでしょうか?
卒業以来会ったことのない人の中で、およそ何割くらいが判別つくのでしょうか?
もちろん名札は必須です。
そして、そこに書く名前はできるだけ大きな字で。
学年全体で120人いて、行方不明が約20人強。
そして物故者が9名!
今回幹事チームの大活躍により連絡ついて出席するのが、なんと39名!です。
すごいですよね、3分の1です。
中にはこのために海外から来るという人もいるし、途中から続々と参加の人が増えてきたのでかなり盛り上がってます。
当初、40人も集まったら最高だよね、と言った理想形にほぼ達してしまいました。
このタイミングでやらないともう一生できないかもしれないという危機感もあり、幹事チームが必死になって連絡したり間接的に辿って行って居所を探し当てました。
個人情報保護法の影響もあり、もう何年も前から名簿発行していなかったこともあり大変な作業を強いられたようです。
facebookやgoogle検索という技も使ったようです。
さて、今月の初めに《悲しい朝》という記事を書きました。
小学校の友人Aさんの思いがけない訃報に接した話です。
3月中旬、彼女から数十年ぶりにfacebookを通じて連絡が来て、メッセージのやりとりをしたのもつかのま、その2週間後に亡くなってしまったのです。
あまりにショックだったし、なんで亡くなる2週間前に突然現れて風のように消えていってしまったのか、どうやっても気持ちの整理がつかなくてしばらくはぽっかり穴が開いたようになってました。
彼女からのメッセージで当時のいろんなことを思い出した。
そしていろいろ考えているうちにどうにもたまらなくなって彼女からの最後のメッセージに返信してしまいました。
子供の頃と同じような感じで、彼女とのいろいろな思い出を語りかけました。
ずっと病気がちとは聞いていたけどそんなに悪かったなんて思わなかった。
せっかくfacebookでつながって何十年ぶりかでおしゃべりできたというのに、あまりにもさびしい。
ちょっとだけだったけど、最後におしゃべりできてうれしかった。
天国で安らかにゆっくり眠ってほしい。
示し合わせたわけではなかったけど、同じ頃にAさんから連絡が来た他の友人たちも僕と同じようにいたたまれなくなって彼女にメッセージを送っていたらしい。
このままではあまりにも寂しくて辛いのでこのメッセージは必ず彼女に届くだろうと信じて。
そして、しばらくして。
なんと彼女から返信があったのです。
○○さんよりメッセージが届きました。
えっ、うそだろ、まさか!?
気持ちが届いたのか。。。
かなり動揺しました。
しかしそんなことはあるはずもなく、彼女の弟さんから彼女のアカウントを使ってのお礼の返信でした。
そして、3年前からの闘病生活のこと、彼女の残された家族のこと、亡くなる一月ほど前の彼女の誕生日には家族でお祝いし元気だったこと、などなど彼女の最近のことがいろいろ書かれていました。
『GWには、○○小の同窓会を開催されると伺っております。姉は参加することはできませんが、最後に皆さまと再びインターネットを通じてお話しできましたこと、喜んでいたと思います。どうぞ皆さまにおかれましては、体にお気をつけいただき、ご健勝でお過ごしくださいませ。』
もう何年か前に同窓会をやっていればもしかしたら会えたのかもしれなかった。
でもそれを言っても始まらない。
今となっては元気で級友たちと再会できることを心から感謝して、Aさんの分まで楽しみたいと思う。
人の運命。
ずっと昔、小学校で一緒だったという事実。
そして数十年の時を超えてまた巡り合う。
遠い昔、あの頃の出来事が、あの頃過ごした時間が、今につながっていることもある。
いろいろ影響を受けて今の自分がある。
数十年ぶりで会ういろんな級友たちからの話を総合し、あの頃の自分を客観的に分析してみたいとも思っている。
そして、あの頃の自分と今の自分には何が共通しているのか。
何が変わっているのか。
自分の原体験と言えるようなことがあったのかどうか。
孵化する前の原型の要素がその頃の自分の中にあったのかどうか。
単に思い出話に花を咲かせるだけでなく、今後にとっても意義のあるイベントにしたい。
あれこれ考えてワクワクしつつ、かなりテンションが高くなっている今日この頃です。
それは、小学校の同窓会(学年会)。
なんと卒業以来初めてという快挙です。
もちろん仲良し同士は会ってはいたけれど、きちんと居所を探して電話かけたり往復はがき出したりして、正式な形でやるのは本当に初めてです。
数十年ぶりに会うというのはどんな感じなのでしょうか?
見たこともないおじさん、おばさん、いや、じじいとばああばかりなのでしょうか?
卒業以来会ったことのない人の中で、およそ何割くらいが判別つくのでしょうか?
もちろん名札は必須です。
そして、そこに書く名前はできるだけ大きな字で。
学年全体で120人いて、行方不明が約20人強。
そして物故者が9名!
今回幹事チームの大活躍により連絡ついて出席するのが、なんと39名!です。
すごいですよね、3分の1です。
中にはこのために海外から来るという人もいるし、途中から続々と参加の人が増えてきたのでかなり盛り上がってます。
当初、40人も集まったら最高だよね、と言った理想形にほぼ達してしまいました。
このタイミングでやらないともう一生できないかもしれないという危機感もあり、幹事チームが必死になって連絡したり間接的に辿って行って居所を探し当てました。
個人情報保護法の影響もあり、もう何年も前から名簿発行していなかったこともあり大変な作業を強いられたようです。
facebookやgoogle検索という技も使ったようです。
さて、今月の初めに《悲しい朝》という記事を書きました。
小学校の友人Aさんの思いがけない訃報に接した話です。
3月中旬、彼女から数十年ぶりにfacebookを通じて連絡が来て、メッセージのやりとりをしたのもつかのま、その2週間後に亡くなってしまったのです。
あまりにショックだったし、なんで亡くなる2週間前に突然現れて風のように消えていってしまったのか、どうやっても気持ちの整理がつかなくてしばらくはぽっかり穴が開いたようになってました。
彼女からのメッセージで当時のいろんなことを思い出した。
そしていろいろ考えているうちにどうにもたまらなくなって彼女からの最後のメッセージに返信してしまいました。
子供の頃と同じような感じで、彼女とのいろいろな思い出を語りかけました。
ずっと病気がちとは聞いていたけどそんなに悪かったなんて思わなかった。
せっかくfacebookでつながって何十年ぶりかでおしゃべりできたというのに、あまりにもさびしい。
ちょっとだけだったけど、最後におしゃべりできてうれしかった。
天国で安らかにゆっくり眠ってほしい。
示し合わせたわけではなかったけど、同じ頃にAさんから連絡が来た他の友人たちも僕と同じようにいたたまれなくなって彼女にメッセージを送っていたらしい。
このままではあまりにも寂しくて辛いのでこのメッセージは必ず彼女に届くだろうと信じて。
そして、しばらくして。
なんと彼女から返信があったのです。
○○さんよりメッセージが届きました。
えっ、うそだろ、まさか!?
気持ちが届いたのか。。。
かなり動揺しました。
しかしそんなことはあるはずもなく、彼女の弟さんから彼女のアカウントを使ってのお礼の返信でした。
そして、3年前からの闘病生活のこと、彼女の残された家族のこと、亡くなる一月ほど前の彼女の誕生日には家族でお祝いし元気だったこと、などなど彼女の最近のことがいろいろ書かれていました。
『GWには、○○小の同窓会を開催されると伺っております。姉は参加することはできませんが、最後に皆さまと再びインターネットを通じてお話しできましたこと、喜んでいたと思います。どうぞ皆さまにおかれましては、体にお気をつけいただき、ご健勝でお過ごしくださいませ。』
もう何年か前に同窓会をやっていればもしかしたら会えたのかもしれなかった。
でもそれを言っても始まらない。
今となっては元気で級友たちと再会できることを心から感謝して、Aさんの分まで楽しみたいと思う。
人の運命。
ずっと昔、小学校で一緒だったという事実。
そして数十年の時を超えてまた巡り合う。
遠い昔、あの頃の出来事が、あの頃過ごした時間が、今につながっていることもある。
いろいろ影響を受けて今の自分がある。
数十年ぶりで会ういろんな級友たちからの話を総合し、あの頃の自分を客観的に分析してみたいとも思っている。
そして、あの頃の自分と今の自分には何が共通しているのか。
何が変わっているのか。
自分の原体験と言えるようなことがあったのかどうか。
孵化する前の原型の要素がその頃の自分の中にあったのかどうか。
単に思い出話に花を咲かせるだけでなく、今後にとっても意義のあるイベントにしたい。
あれこれ考えてワクワクしつつ、かなりテンションが高くなっている今日この頃です。