即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

人間に残されたもの

2014年07月31日 18時49分20秒 | 将棋
もうおしまいとか言いながら飽きずに電王戦関連の記事をかなり書いてきました。

先日も将棋電王戦リベンジマッチ」菅井竜也五段vs習甦 7月19日(土)13時~将棋界初の夜通し対局が行われたみたいですが、結果は若手強豪の菅井五段のリベンジは果たせなかったようですね。

さて、今日は風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観るというブログの記事、《本当に人間に残る仕事は何だろう/アルゴリズムが全て呑み込む未来》について書こうと思います。

電王戦の記事のその7でも触れたこの本の話も出てきます。

機械との競争
クリエーター情報なし
日経BP社


先日の《羽生さんとコンピュータ将棋》の中でも「ホワイトカラーの職場はロボットに奪われる」という月刊文藝春秋の記事を取り上げていますが、どんどんコンピュータ、ロボット、人工知能が進化している今、一体我々人間がやるべきことではどんな仕事が残っていくのでしょうか。
最後まで浸食されない、機械では手におえない、人間しかできないこととは一体何なのでしょうか?
最近そのことをずっと考えています。

部分的に引用させてもらいます。
-------------------------------------------
これからの20年で、現在のアメリカの雇用の半分は、コンピューターに取って変わられる可能性が高いという。このレポートによれば、『物流、営業、事務及び秘書業務、サービス業、製造業』などは、コンピューターによって代替される可能性が高く、一方、『経営、財務、エンジニア、教育、芸術、ヘルスケア業務』などはコンピューターによる影響は少ないという。
------------------------------------------

しかし以前はこのように言われていましたが、どうもそれほどのんびりした話ではないようです。

進化のスピードはどんどん速まって、結局は、医療分野も経営も、そして創造性までもがどんどん浸食されているようです。

(再び引用)*****************************************
アルゴリズムはすでにベートーベンも顔負けの交響曲を作曲し、辣腕弁護士かと思うほどの法律用語を詳しく調べ、医師よりも高い精度で患者の病気を診断し、ベテラン記者のようにすらすらと記事を書き、高速道路で人間よりも上手に運転するということをやってのけている。
※『アルゴリズムが世界を支配する』より

<中略>

では、最終的に人間に残る仕事は何だろう。本書から引き出せる結論は、『アルゴリズムを作り出す仕事』ということになる。すなわち、未来社会の価値の源泉は、『アルゴリズム』にあるということだ。土地、労働、資本・・時代によって最も価値を生み出す源泉は推移してきた。そして、今、『アルゴリズム』が王座につこうとしているというのが、この本の主意といっていい。これは、シュムペーターが『イノベーション』、ドラッカーが『情報』といったのと、コンセプトは被るが、より『能動的』かつ『具体的』だ。要は、未来の富の源泉は、『アルゴリズムを構築する創造性』『より創造的なアルゴリズムを構築する能力』というべきなのだろう。

■生まれ来る新しい社会

この話題は、『これから仕事が機械に奪われるとすると、人間は何を仕事としてやっていけばよいのか』という観点で主として語られて来たし、それはますます深刻なのだが、それ以上に、組織、会社、社会、国家等、従来の概念を根本から覆し、まったく新しい社会が生まれようとしていることそれ自体にもっと目を向ける必要がある。そして、その流れを止めることは誰にも出来そうにない。どう向き合って行くのかを真剣に考えるしかないように思える。
**************************************


いや、大変な世の中になってきました。
何でもかんでもコンピュータや人工知能でできるようになってきました。
人間のやることはどんどん狭められてきています。

弁護士も医者も経営者も芸術家も、人間なしでも遜色ないことができるようになっているようです。
人間の感覚や直観や経験値のような部分までかなり置き換えられるようになっているようです。

人間は何をして人生過ごせばいいのでしょうか?
何を仕事にして、何で稼いで、何を生き甲斐にすればいいのでしょう?

優れたコンピュータやロボットを作る技術者やエンジニアの側に立てばいろいろなチャレンジができると思います。アルゴリズムを構築する創造性という分野で考えたらとてつもない可能性が秘められていると思います。

しかし、そういう方面は全く訳わからない文化系の人間としては、何でも人間以上のスキルを持つようになったコンピュータとどう向き合って、どう付き合っていくのかを考えていくしかないようです。

流れを食い止めるのは難しいのはわかっているけど、人類の幸せな未来のために、不要なものは何なのか、積極的に必要なものは何なのか、考えていく必要があるのだと思います。

コンピュータ将棋はあと数年も経てばきっと羽生さんよりもずっと強くなるのは間違いないです。
プロ棋士とどっちが強いのか?タイトル保持者なら勝てるのか?今なら拮抗してるからいい勝負だ、と周りがけしかけて騒ぎ立てるのはあまりにも哀しいことです。空しいことです。
あと1年早ければ勝てたのに、とか、そんなことを言っても誰も喜ばないし救われない。
単に強さを競う、世界チャンピオンになる、という視点ではなく、別の視点での付き合い方が必要になるのではと思います。

コンピュータと人間とどっちが経営がうまいのか?
どっちが人間が感動できる音楽を作れるのか?
と勝負していって、どっちが勝った負けたとやっても仕方ないはずです。

羽生さんみたいに強い棋士になりたい、という少年少女がいっぱいるいと思います。
そういう子供たちが、将来プロ棋士になりたいと思うよりも、強いコンピュータソフトの開発をして、世界一強いソフトを作りたい、という夢を持ってしまうのかもしれないです。

その流れは変えられないかもしれないけど、ますます人間の生きる意味について考えさせられる毎日です。

ルポ 電王戦―人間 vs. コンピュータの真実 (NHK出版新書 436)
クリエーター情報なし
NHK出版


この本も最近読みました。
覚悟とか、悲壮感とか、連盟始まって以来のピンチとか、人間とコンピュータが勝負をつけると言う前提でこんな言葉が躍っています。
もしこれで終わりにしてしまったら、それでファンが納得するだろうか、という不安の声もあるようです。
ファンの声も大事には違いないと思うけど、ここはしっかり社会における将棋や棋士の存在意義について考え尽くした上で、後悔しない最善手を選択していただければと願っています。
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熱中症

2014年07月27日 12時32分09秒 | 日記とニュース
また間が空いちゃいました。

いろいろあったけど、この暑さで何もかもやってられまへん。

過去にも、《もうしょーがない・・・》《猛暑》などの記事、書いてますね。

この間のことをあれこれ書いてみます。

ブログ

ずっと更新してなかったものの、凝りもせず電王戦関連のこと、その他将棋以外の感じたことも含め、かなり下書きはしてました。
これが、どれも並行して書き進めてるのだけど、どれ一つ完成、フィニッシュしないんだよなあ。
パスだけ回してて結局ゴールできないどっかのチームみたいだよ。
それも横パスやバックパスばかりで、ゴールに直結するスルーパスやサイドからの切り崩しができないでいる。
はい、監督も変わったことだし、徐々に今回の反省を生かし、自分らしい記事を書いていきます。

誕生日

つい先日、誕生日でした。
真夏生まれ。
かに座としし座の中間です。
かに座の優しさとしし座の逞しさを併せ持つ、と勝手に言ってます。

いい歳になっちゃいました。
ほんとビックリです。
何と言っても健康が基盤なわけだけど、いくつになっても充実していたいです。
老骨に無知売って、、、
無知じゃ売れないか。
毎日少しでも向上していきたいので、ご厚情のほどよろしくお願いします。

この暑さ。どんどん進行してますよね?
また42度とか、なるのだろうか。
子どもの頃も暑かった夏の思い出はあるけれど、こんな暑さじゃなかった気がする。
ジリジリとは暑いけど、もっとカラッとしていたイメージ。
夏休みに入ったばかりだから、いつも気分的には最高に解放された気分で誕生日を迎えていた。
これからのほぼ40日間。
どこに行って何をしてどう遊ぼうか。
自由を謳歌して最高の時期にいつも迎えていた誕生日。
特に海にはよく行った。
真っ黒になって泳ぎまくった。
それがいつのまにかこんな歳だよ。
ああ。

スマホ

おととい、朝起きたらスマホの電源が入らない。
朝から打ち合わせもあったし、その後も待ち合わせなどもあり、このまま出かけてしまったらかなりやばいかも、と焦った。
午前中の打ち合わせが終わったらショップに駆け込むしかないと思ってその後も何度も電源入れようとしたけど、うんともすんとも言わない。
昼過ぎに(冷房の効いた部屋での)打ち合わせが終わって、ショップに行こうと思い、スマホを手にしてみたら、何と、電源、普通に入った。
なーんだ。
数時間もずっと気になっていたので、騙されたようなホッとしたような。

周りの人にも聞いたら、同じような症状になった人がいた。
スマホやタブレットもどうやら熱中症になるらしい。
やはり電源入らなくなったYさんは、冷蔵庫に入れたら治ったと言ってた。

そう言えば時々異常過熱とかなってた。
人間だけでなく、家電やIT機器なども、この異常な猛暑を熱中症にならないようどう健康に過ごせるのか、かなりの難題になっているのだろう。

IT機器がIT危機。

そんなダジャレ、聞きたくない?

冷房

うちはもう何年も冷房、入れてないです。
奥さんが冷房嫌いということもあり、電気代、いや地球資源節約もあり。
ということで今も駅前のドトールに来て仕事やったりしてます。

家では窓を開けて扇風機。
あとは、タオルで汗を拭き、頻繁にシャワーと着替えでもう何年も乗り切っている。

そして休日の昼はできるだけ出かける。
スポーツクラブに行く。

夜もエアコンは入れずに、窓を開けて扇風機でしのぐ。
お陰様で夏バテもせずにもう10年近くやってます。
長らく使ってないエアコン、まだ使えるのかどうか、わからないです。

熱中症

どうも余裕がなく忙しいのは本来の熱中症だからのようです。

ある占いの結果。

タイプ:《熱中する人》
【好奇心旺盛で、興味を持ったことは何でもやってみようとするタイプ。明るく活動的で、社交的。誰とでもこだわりなく付き合え、出会った人とはすぐ友達になれるようなところがあります。楽天的で、いつも前向き。どんなときにも希望を失わず、人生を楽しむ能力を持っています。自分が楽しむだけではなく、場の雰囲気を盛り上げ、周囲の人を楽しませることができます。抵抗なく新しいものを受け入れ、物事に熱中しやすいところがあります。頭の回転が速く、いろんなアイデアを思いつき、同時に幾つものことをやれる器用さを持っています。
反面、熱しやすく覚めやすいところがあり、物事が長続きしない傾向があります。自分がほしいものと必要なものの区別がつかず、ほしいと思ったらすぐ手に入れたくなり、衝動買いや浪費に走りやすいところがあります。自分に責任のかかってくることからは、なるべく逃れようとします。】


仕事も、お金にならないことも含め、いろいろ広がっていて、考えること、整理すること山積みです。本も、あれも読みたい、あれにも興味ある、となり、上の占いの結果ではないけど、どんどん買ってきてしまう。結局時間もなくて山積みになっている。

ワールドカップも全英オープンもウィンブルドンもどれだけ真剣に見たことか。
もちろん将棋に関しても、モバイル、ニコ生、週刊将棋、将棋世界と観る将棋ファンとして真剣に熱中している。

この傾向はわかっているので、できるだけ手を広げないように、いっぱいいっぱいになる前に、きちんと断捨離しようと心掛けている。

しかし、これだけ暑いとクールでいられない。冷静に対処できない。
熱くなって、あれもこれもとやりたがってしまう。

昨年暮れからまた手を広げてしまい始めてしまったものに“俳句”があります。
前から興味があったのだけど、お誘いに乗って訳もわからず始めてしまいました。
また書きますが、ついこの前も晩夏の句を詠んだところです。

皆様、くれぐれも熱中症にかからないようご注意ください。
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羽生さんとコンピュータ将棋

2014年07月14日 16時02分55秒 | 将棋
今年の電王戦についていろいろ考えてきました。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
<その6>
<その7>
<その8>
もしも羽生さんよりも数倍強いコンピュータソフトができたら
電王戦その後

今日はそれに関連して月刊文藝春秋8月号の記事、
「◎名人復位独占インタビュー 羽生善治 若い世代に勝ち続ける思考法」についてです。

後藤正治さんのインタビューによるところもあるのでしょうけど、9Pにも渡る独占インタビュー、面白かったです。
いつもそうですが、羽生さんの一言一言に重みがあり、さらに羽生さんのファンになるとともに、将棋の奥深さを思い知らされます。

サブタイトルは
「時代と自分をいかにマッチングさせるか。
四十歳を過ぎた新名人が日々心掛けていること。」


いろいろ感じたことはあるのだけど、ずっと取り上げてきている流れで、電王戦、コンピュータ将棋に関係する部分について今日は書きます。

《コンピュータ将棋の未来》という項の中で、羽生さんの発言をいくつか紹介します。
-----------------------------------------------
基本的にテクノロジーの進歩は止まらないものであって、影響を受けていくことは間違いないと思います。

コンピュータの将棋は基本的にあまり一貫性がないんです。その局面で何がいいかを見る。瞬間瞬間に手を選ぶ。前からの手順の流れや構想の中でこうするということはない。形という概念がないんです。

質問「コンピュータ将棋に魅力を感じないのは「美」がないからと思えるのです。羽生さんや谷川さん、あるいはかつての升田将棋には盤上この一手、なんとも鮮やかで美しいと感じる手があった。美しさというのはコンピュータの価値観にはないですよね。」
そういう観点はおそらくないと思いますね(笑)。ただコンピュータ自身は美しいと思っていなくても膨大な量の情報と計算式で、結果としてそういうことが表現できるかもしれない。データの量でもって質を上げていくのがコンピュータの進歩であって、そういう可能性はある。

実はコンピュータ将棋で一番難しいのは“形づくり”だと聞いています。
棋士もどのように形づくりをするのか、言語化できません。言語化できないものを数値化して教えるのはやはり難しいわけです。


質問「コンピュータに勝つことはこの先難しいのでは?」
コンピュータに勝つためだけの研究をしたらどうなるかはわからない。でもそんな研究、非生産的じゃないですか。<中略>いわばバグ取りのような作業になってしまう。将棋をやっていて将棋じゃないような、そういう世界です。

YSSの指し回しはとても違和感があるんですよ。でも最近プロの実戦の間で少しずつ増えている。評価はまだ定まっていませんが、じゃあ、もしこれが升田幸三賞を取ったら、誰がもらうのか、という話です(笑)。
------------------------------------------------
納得できる話ばかりです。

コンピュータの将棋は一貫性がない。瞬間瞬間に手を選ぶ。形という概念がない。

そうなんでしょうね。
そのようにインプットされてるのだから当然と言えば当然です。

コンピュータは文脈が苦手って言われてるそうです。
というか、前からの手順の流れは全く関係なく、その局面だけで判断するのでしょう。
悪手を指してもひきずらない。
優勢と見ても油断しない。
どんな局面になろうとも無心で臨める。
積み上げてきたものは捨ててゼロベースで挑む。

この辺りは人間が見習わなきゃいけない部分だと思います。

コンピュータには美意識とか、価値観がない。
当たり前と言えば当たり前だけど、言語化できないこと、感覚的な部分は無理ということなのでしょう。
そこは人間しか持ち合わせていない部分。
人間の人間らしいところ。

この文藝春秋の同じ号に、国立情報学研究所新井紀子教授の
『ホワイトカラーの職場はロボットに奪われる』という記事も出ていて、これもまた興味津々でした。

あらゆる労働がコンピュータ化、ロボット化していく中で、人間に残された領域とは何か、という深ーい話です。
==========================
ロボット化の波は止まらない。
機械の生み出す製品の質やサービスが低くてもコストがそれ以上に下がれば人間からロボットへの代替は進む。コンピュータのできることに合わせて単純化されたマニュアルを作ってしまい、人間がコンピュータに合わせる作業をした方がずっと効率がいい。
機械が人間を支配するようだけれど、それはコンピュータより人間の方が汎用性が高いから。
ロボットは人間を理解しないけれど、人間はロボットを理解できてしまう。

アメリカのように企業寿命が短いとロボット技術を経営の中心に据えて組み立てて、後からそれを埋め合わせるように人間を配置する。
しかし日本は企業寿命が長いのですでに人間の細分化された組織が成り立っている。そこにコンピュータやロボットを導入しようとしても、すでに役割を持っている人間と重なってしまう。従って日本はまだまだ人にコンピュータを合わせようとする傾向がある。

このままでいくと単純作業だけでなくどんどん機械化、コンピュータ化が進んでいく。そしてローコスト化も進む。
結局人間の人間らしさの部分は言語や五感に対する感覚。その感覚が鈍くなり、コンピュータへの要求水準が下がるとさらなるロボット化を許すことになる。
========================
結局、電王戦関連記事でも書いたけど、コンピュータとの付き合い方の問題だと思います。
依存度をどんどん上げていくと知らないうちにコンピュータに人間が制御されているようになっていく。
そうならないよう、いかに人間が主体的に自分たちの理想とする未来予想図を描いていくのか。
人間に残された領域がどんどん狭められてくる中で、人間はその存在感やアイデンティティを立証するために何をしていくのか。
コンピュータに何をさせて、コンピュータとどう付き合って、どんな社会を作っていくのが人類の幸せなのか。

この記事を読んで類推するだけですが、羽生さんはコンピュータ将棋については、客観的というか、冷めた観方をしているように感じます。長期的な視点で極めて冷静に捉えているように映ります。
現代的で合理的な渡辺二冠の感覚とは明らかに違っているように見えます。

強くなったコンピュータに対抗しようと思って力を尽くすのは本末転倒だし、勝ったからどうということもないし、必死に勝ちに行くことすらモチベーションが沸かない。
コンピュータの感覚は刺激にはなるものの、所詮は人間が創り出したものだし、どんどん進化したところで、それ以上でもそれ以下でもない。
将棋というのは過去の優れた人間たちが長い歴史の中で脈々と紡いできたものなので、近年のコンピュータ社会の到来によってその価値や魅力が右往左往するものでもないし、受け継ぐ人間たちの手で着実に進化させていくべきもの、という強い思いがあるのでは、と勝手に思っています。

いつも思うわけだけど、人間同士の将棋の奥深さ、勝負の醍醐味にはますますはまっていく身としては、一時のブームのように、人類vs.コンピュータの格闘技を盛り上げようとする姿勢には疑問を感じ続けています。

この文藝春秋の記事の他の部分はまた取り上げようと思っています。
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命を繋げる、命を広げる

2014年07月10日 22時54分04秒 | 雑感
感動! ゴルゴ松本の「少年院での魂の授業」


少年院で「命」の講義!ゴルゴ松本の漢字の授業がタメになる

素直にすごい人だなあと思いました。
テレビとか派手な場所だけでなく、地道にこういうこともやってるんですね。

それはそうと、このコンテンツがすごい。
本気のメッセージ力がすごい。

わからないけどどこかで誰かのネタを仕入れてきたわけじゃないですよね?
ひとつひとつの漢字の解釈もすごいけど、全体の構成力も立派。

ちょっとかなり来ちゃったのでブログネタにします。
命の授業をご覧ください。

集団的自衛権とか、昨今の残忍な事件とか、命を軽んじる風潮が目立つ。
あらためてゴルゴ松本渾身の命の授業を味わってください。

動画見てもらった方が断然いいのだけど、文字にもなってるのでとりあえず貼っておきます。
-----------------------------------
ゴルゴの「漢字の授業」
辛いことがあった時、人はグチをこぼす。マイナスな言葉、弱音を吐く。
 「吐」という字は、口へんにプラスマイナス。
 嫌なことは吐き出していい。
 でも、そこから成功する人、夢を実現する人は少しずつ変化していく。
 弱音は吐かない。ボジティブなことだけを言うようにする。
 マイナスな事を取っていくと夢は「叶」う

自分の思っていた到達点に少し足りないと思ったら、
 軌道修正しながら、最終的な目標は変えない。
 紆余曲折しながら、遠回りしながら、ここまで行けばいい。
 これは危険だと思ったら回避する。
 危険だと思ったら、逃げていい。
 「逃」は、しんにょうに兆し。
 そして、また時間をおいて、
 しんにょうを手ヘンに変えて「挑」挑戦するんだ。

「幸」と「辛」
 幸せでも、何かが欠けたら辛くなる
 辛くても、何かが加われば幸いになる

「苦」「困」「災」に「難」を加えると「苦難」「困難」「災難」
 こういうことが起こると不幸だと考えてしまう。
 「難」が無い人生を「無難」という。
 無難な人生なんてありえない。
 だから、「難」が有る人生。「有」「難」と書いて「有難」し

「命」は、人を一叩き(ひとたたき)と書く。
 殴ったり蹴ったり、人を痛めつけることで命を感じる。これは大間違い。
 寝てる時、無意識の時、今も叩き続けている心臓。
 心臓の一叩きの連続が命。
 その命を命懸けで産んだのはお母さん。女性です。
 命の始まりは女なんです。
 「女」が土「台」となって「始」まりとなる。
 俺ら男は、女の人を粗末にしちゃ絶対ダメなんだ。
 君らを産んだお母さんは命懸けで君らを産んだんだ。それは間違いない。
 命懸けで産んだものが命なんだ。人間はそれを何度も繰り返してきた。
 ここからは、皆が命を繋げていく。
 ここから出たら、命を広げて行ってください。
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電王戦その後

2014年07月09日 12時20分14秒 | 将棋
先日のNHKEテレ、「サイエンスZERO」で電王戦の特集、『プロ棋士大苦戦! 進化する将棋コンピューター』、やってましたね。

プロ棋士と同じような思考方法でどんどん強くなるコンピュータ。
ほぼ勝負づけは済んでしまってる感があるので、残る砦はタイトル保持者の3人。
この3人のようなトップ棋士であればまだコンピュータでも勝てないのではないか。

その一人である渡辺二冠も登場していました。
『やらないで済むならその方が楽だけど、この時代にこういう立場でいるので役割としては受けないと仕方ない、どうやったら一矢を報いることができるのか考えている。』
と、ある意味前向きな発言をしていました。

時間が経ってしまえばコンピュータの方がずっと強くなるので、トップ棋士とやるのであれば今しかない、今がもっともいいタイミング、という流れで番組は終わっていました。

さあ、今検討しているのでしょうけど、果たして来年の電王戦はどうなるのでしょうか?

別に楽しみにしているわけではなく、早く止めたらいいのに、見限るべき時が来てるのに、と思うだけなのですけどね。

予測。
1)同じような5対5で、ハンディ戦にしてレベルを合わせて調整して行う。
  強すぎてしまうコンピュータ側にいろんな制約を設けてちょうどいい手合いにするようなハンディを設ける。
いきなりトップ棋士を持ってくるにはちょっとそれは行きすぎだろう、との声もあるだろうから、ここは今の流れの中でさらに盛り上げる趣向を凝らして次回に臨む。

2)電王戦は電王戦だけど、5対5の対戦方法を変化させて行う。
タッグマッチであるとか、勝ち抜き戦であるとか、あるいはバトルロイヤルのような方法とか。

3)いよいよ羽生四冠、森内竜王、渡辺二冠のいずれかのタイトルホルダーが登場する。

4)このまま続けるといろいろ齟齬をきたすことに気づいて中止する。
コンピュータの進化は止められないので仕方ないけど、棋士とコンピュータの対決の図式でなく、別のやり方でコンピュータとつきあう方法を模索していく。

さあ、どうなっていくのでしょうか、注目です。


さて、週刊現代で連載中の『巨泉の今週の遺言』で、将棋マニアの巨泉さんが電王戦についての意見を述べていましたので最後に紹介します。

第261回
競馬も将棋も人間中心に!
便利さと利潤を追求する安倍政権の将来は危ない
(5月31日号)

(部分的に引用させてもらいます。)=========================
ところで、長年のボクの主張は読者はすでに御存知であろう。「余り便利さを追いすぎてはいけない」「経済的成長(利潤)を追いすぎるな」「身の丈相応の生活で、むしろ心の平穏を求めよ」である。だからボクは安倍政権の方針に反対して来たし、今後も、し続けるつもりだ。利潤を求め過ぎると、先日の韓国のフェリー事故のような惨事につながる。日本のマスコミは、日本人の嫌韓傾向をあおるように、非難をつづけているが、我国だって他国の事は言えない。利益を求めるあまり、運転手に苛酷なスケジュールを課した結果、死傷者を出した高速バスの事故をはじめ、枚挙にいとまがない。ごく一部の恵まれた正社員を除くと、日本のサラリーマン、労働者の条件は、先進国でもかなりシビアなクラスに属している。これも長い間企業向きの政策を続けて来た保守党政権に従ったからだ。

 「便利さ」については、現在のIT時代が雄弁に物語っている。ボクは相変らず携帯はもたない、フェイスブックも拒否している。ブログもやらないし、ツイッターもやらない。理由は、自分だけの世界に、他人が勝手に入って来て欲しくないからだ。勿論パソコンは使うし、メールもやる。しかしそこまでで線を引いている。線引きの基準は、ボクの「生活の質」と合致するかである。

 ボクはかねがね危惧していたが、最近トラブルが表面化して来た。まず競馬だ。先日新聞に出たが、「外れ馬券」が経費として認められ、告発して5億7千万円を課した検察が敗訴、控訴は却下された。われわれオールドファンには信じられない金額だが、これは今や馬券購入の中心になっている「ネット馬券」なのである。いわゆる〝競馬予想ソフト〟を利用して、馬券を大量に購入する。少し調べて見たら、何と50点から100点も買うらしい。ボクには想像もつかないが、三連単の馬券だけ、何百倍(中には千倍単位)もつくので、100種類買っても儲かるらしい。

 今回の大阪高裁の判決はJRAには直接関係ない。税務署が裁判に負けただけだ。しかし元を正せば、馬券の売り上げを増やしたいJRAが、三連単をはじめ、射倖心をあおるハイリスク・ハイリターン馬券を売り出した事に起因している。昔から「競馬はロマン」といわれ、若駒が一生に一度の夢を託して走るダービーをはじめ、クラシックレースに人気が集った。「ネット馬券」にロマンが入る余地はない。あくまで数学と計算の世界である(かな?)。

 そして億単位の金を自由にできる人しか参加できない世界だろう。しかしパドックの横断幕などを見ていると、いまだに「ロマン」を追っているファンが大多数を占めているのは間違いない。これ以上ネット馬券が増えてくると、競馬ファンは漸減するオソレさえある。ボクはJRAが、ハイリターン馬券を廃止するか、出走頭数を制限するかをしない限り、競馬は衰退するのではないか、と危惧している。


 将棋界にもITの波が押し寄せ、コンピュータ・ソフトとプロ棋士が対戦する「電王戦」なるシリーズが誕生した。今のところコンピュータが圧倒的に強く、先日もA級九段のトップ棋士が敗れた。こうしたシリーズが始まるキッカケは、一昨年世を去った、長年の親友だった米長邦雄前将棋連盟会長の英断?によるものだった。アマチュアのプロ参加とか、女流棋士の進出とか、時代を取り入れるのに積極的だったヨネちゃんらしい。

 しかし電王戦はやりすぎである。現在行われている名人戦を見れば解るが、将棋は人間同士が〝頭をかきむしって〟争うものである。不完全で、ミスをする人間同士だからストーリーが生れ、ロマンが生ずる。阪田三吉の「銀が泣いている」、升田幸三の「錯覚いけない、よく見るよろし」など、歴史に刻まれた名言は、限りある人間だからこそ生れたのだ。その人間と、複数の人間が組み立てたソフトが争うのはフェアでない。大天才の谷川現会長に告ぐ、電王戦は将棋の命取りになるよ。

===========================(引用終わり)

本当に巨泉さんに同感、賛成です。
別にこんなことで盛り上げようとしなくても全然困らないです。
名人戦、棋聖戦、王位戦と続いているタイトル戦の熱戦。
そして、王座戦の挑戦者、竜王戦の挑戦者を決める決勝トーナメントもどんどん進行していてますます目が離せない状況です。
こんなにも魅力的な棋士がたくさんいて、こんなにも迫力満点の対局を見せてくれるのだから、人間同士の戦いだけでおなか一杯なわけです。
歴史も伝統もあるリスペクトする人間たちの勝負の醍醐味。
今後も連綿と続いて行ってほしいですし、僕らを楽しませていってほしいです。

谷川会長は米長前会長のようにグイグイ皆を引っ張っていくタイプではないでしょう。
ここは会長を支える知見のある理事や棋士の皆様に期待せざるを得ません。
時代の大局観に基づき、後に禍根を残さないようなしっかりした判断、読みの深い次の一手を指していただきたいと強く願っています。


今年の電王戦についての記事はこちら。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
<その6>
<その7>
<その8>
もしも羽生さんよりも数倍強いコンピュータソフトができたら
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祭りのあと

2014年07月04日 23時41分13秒 | スポーツ
先日のコートジボワール戦について、開き直り力という記事を書きました。

あれ以降、毎晩録画も含めたワールドカップ観戦で完全に寝不足、体調不良です。
決勝トーナメント1回戦の8試合、結局は1次リーグ一位通過のチームが延長やPK戦も含め勝ち上がりました。
迫力満点のいい試合が目白押しでしたね。

特にベルギーvs.アメリカ戦。
スイスのキーパーも凄かったけど、アメリカのキーパーの頑張りは目を見張るものがありました。
ベルギーの39本のシュート、それも30本近くが枠内に飛んだシュートをことごとくクリアしていた。
僕らが知らないこんな選手が世界にはたくさんいるわけですね。
世界は遠いです。まだまだ先は長いです。

それにしても決勝トーナメントになってから、さらに試合展開が早いです。
ボールを奪っての速攻。
少ないパスで無駄なくスピーディーに一気にゴールまで行く。
ガーっと襲い掛かって、またガーッと反撃する。
そんなチームが残ったとも言えるけど、その迫力たるや凄い。
4年前もこんな速かったんだっけ?と思えてしまいます。

さて、ちょっと時間経ってしまったけど、ワールドカップ、日本チームの戦いはあっけなく終わってしまいました。

まだワールドカップは佳境だと言うのにあれだけ騒ぎ立てていたメディア、特にテレビはシーンとしてしまいました。
戦前、どれだけ盛り上げようと必死になっていたことか。
もしもある程度の戦果を得ていれば、今頃はどんなことになっていたのでしょうか。
選手たちが大挙して一日中バラエティやワイドショーに登場し、集団的自衛権も関係なく、国を挙げてのお祭り騒ぎが繰り広げられていたのだろうと思います。

拾いきれていないけどたくさんの関連記事が出ています。

小田嶋隆さんのW杯の荒海に沈む

以前バレーボールの番組のことをさんざん取り上げたりもしてましたが、小田嶋さん、サッカーに詳しくもないアイドルまでも使って騒ぎ立てていたことにかなりご立腹です。
----------------------------------------
テレビは、戦前の段階では、楽観論しか言わない。
というよりも、番組の視聴率を煽るために悲観的な論評はつぶしにかかる。
NHKだって似たようなものだ。
彼らもまた、放映権料のモトを取るために、大会開幕前から、お祭り気分を煽るタイプの情報をヘビーローテーションで垂れ流しにかかっている。
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セルジオ越後さんの「ドンマイ、ドンマイ」で4年前、8年前と同じことを繰り返してきた。この繰り返しはもう見飽きた
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日本のメディアがやってきたことを改めない限りは絶対に変わらない。クラブで試合に出ていない選手や世界で結果を出していない選手をスターとして扱ったり、天才と呼んだり、「リトル本田」とか、勝手に騒いで、凄い選手として取り上げてしまう。今回の惨敗について、メディアに大きな責任があることを自覚すれば、次へのスタートを切れるかもしれない。

<中略>

ワールドカップで勝てなかったことについて日本代表、日本サッカー協会をどのメディアがつつくのか? 誰も責任取らないのでは、また4年前、8年前と同じ。それぞれの立場で反省するべき。メディアはすぐに「road to ロシア」と言いだすだろう。でも次はワールドカップに行けないかもしれない。本当に危機ですよ。どうJリーグを盛り上げよう? 海外ブランドはもう消えたよ? 悪かったことについて目をつぶるのではなく、日本サッカー全体でこの4年間を反省して、積み上げていくしかない。
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セルジオさんもメディアの責任について語ってます。
こういうの、サッカーだけの問題ではないです。
メディアがきちんとした視点もなくて騒ぎまくり、それに乗せられた人たちが浮かれて喜んだり怒ったりする。
そして半年後には誰も覚えてない。
何も積み重なっていかない未熟な日本。
どんどん世界との差がついていくのを指をくわえて見ているばかりです。
メディアの意識、責任感。
金儲けのことばかりに目を向けることなく、ジャーナリズムの本質をしっかり追求していかないと、世界の中で戦える強い日本にはなれないと思います。

ザック退任直後にアギーレ内定の違和感
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新監督人事を急ぐことで、ブラジルでの惨敗を打ち消すことだけは許されない。イビチャ・オシム元日本代表監督も「負けから学ぶことはある」と強調していたように、敗戦をしっかりと受け止めてこそ、その後の飛躍がある。それを忘れることなく、ザックジャパン4年間のあり方、チーム作りや選手選考、本大会へのアプローチの是非などをきちんと分析することから始めてほしいものだ。
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ほんと、そうですね。
この4年間の反省、検証。
ザックジャパンは何がよかったのか、何がうまくいかなかったのか。
今回の失敗から何を学んでどういうことが今後に生かせるのか。

でも考えてみれば日本の会社って、同じですよね?
今期の総括をする前にもう来期の計画ができていて、結局根本的に振り返ることもなく、昨日と同じ今日が着々と進んでいく。
画期的なイノベーションとかまるで新しい発想などないままに、なんとなく動いて行ってしまっている。
全然本質に近づくことなく、結局は回り道して時間もお金も無駄にしてしまうけど、誰も責任を取らないし、気づいていても敢えて指摘もせずに仲良く同じ船に乗って進んで行ってしまう。
それで何事もなく、恙なく、時は流れていく。

オシム元監督のオシム氏、次期監督候補アギーレは「必ず結果を出す守備のスペシャリスト。守備が弱点の日本にはちょうどいい。ただし・・・」
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その意味でも、ザッケローニの遺産をどう生かすかを考えるべきだ。アギーレが就任するかどうかとは別の問題として「チャオ、ザック、アリベデルチ(イタリア語でさようなら)」で簡単に済ませてしまってはいけない。
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一番びっくりしたのは、ブラジルから帰ってきて、辞任するのは仕方ないにしても、ザッケローニがこんなに早く「チャオ!」と言って帰ってしまったこと。
この4年間、どういう考えで何をして、どうだったのか。
うまく行ったことも行かなかったことも含め、きちんと協会は話を聞いたのだろうか?
4年間の検証や総括をしっかりするのであれば、数週間とか当然必要だと思うけど、ほんの数日で何をどこまで話したと言うのだろうか?
協会はザッケローニとしっかり話して日本サッカーの現状や今後の方向を見定めてから次の人選に取り掛かるべきではなかったのか。
今回の結果が出る前から次の人選作業をしているというのは準備が良すぎるというよりも、検証も戦略も何もなくマネージメントしている証です。
4年間、選手と一緒に苦労して積み上げてきたことが、何も生かされないまま次に進んでいくのでしょうか。

メディアの姿勢、そして協会の意識。
我々サポーターも含め、日本のサッカー文化全体が世界に近づいて行かないと、4年後もまた同じような結果になると思います。

どこに向かって進んでいくのかを明確に見定めた上で、一歩一歩着実に地に足をつけて進んでいく。

日本らしいサッカーが世界の舞台で花開いて我々が狂喜乱舞する。

そんな日を夢見つつ、今夜もまた世界の迫力満点のプレーで興奮の夜を過ごします。
コメント (2)
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