即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

まわるまわるよ時代はまわる

2013年03月29日 12時27分21秒 | 将棋
久々の将棋ネタです。

先週末の棋王戦第四局。
つい最近佐藤王将から王将位を奪取したばかりの渡辺竜王が見事郷田棋王を破って初の三冠になりました。
竜王の大ファンの方すっかり狂喜乱舞していますが、このところ本当に強いですね。
竜王戦以外はここぞというところで弱さが出てしまう以前の竜王とはもう完全に別人になった感があり、朝日杯、NHK杯の勢いを見ると、この強さは本物だしまだまだ行きそうな予感がします。

これで、現状の勢力図は羽生三冠、渡辺三冠、そして森内名人。
今度の名人戦の結果によっては、四冠と三冠ということになりそうだし、今後はこの二人のマッチレースがしばらくの間は続くのでしょうか。

さて、佐藤九段、郷田九段は無冠になってしまいましたが、羽生世代の強さについては過去いろいろ書いてきました。

羽生世代の復権
羽生世代の時代
羽生世代の逆襲

羽生世代の活躍に関しては、
おととしの名人戦から始まったタイトル戦連続出場記録があります。

2011年度
名人戦 羽生名人  森内挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  深浦挑戦者
王位戦 広瀬王位  羽生挑戦者
王座戦 羽生王座  渡辺挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  丸山挑戦者
王将戦 久保王将  佐藤挑戦者
棋王戦 久保棋王  郷田挑戦者

2012年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  中村挑戦者
王位戦 羽生王位  藤井挑戦者
王座戦 渡辺王座  羽生挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  丸山挑戦者
王将戦 佐藤王将  渡辺挑戦者
棋王戦 郷田棋王  渡辺挑戦者

そして、この後もまだまだ続きます。
2013年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  ?挑戦者
王位戦 羽生王位  ?挑戦者
王座戦 羽生王座  ?挑戦者

ということで今年の竜王戦に連続記録がかかっていますが、18回連続羽生世代登場のタイトル戦になっています。
羽生さん一人だけが抜きん出て活躍していたわけでもなく(まあ抜きん出てはいるのですけど)同世代の他の4人もが若い世代を差し置いて相次いでタイトル戦に登場するというのはすごいことです。
アラフォーのおじさんたちにこれだけやられている現状。
渡辺竜王ばかりでなく、若い世代の奮起を大いに期待しましょう。

さて、上記の記事の中にこんな句(?)がありました。

春は森内 夏は羽生
秋は渡辺 冬は久保


つい1年3か月前はこんな勢力図(2・2・2・1)だったんですね。

それが昨年、久保九段の持つ二冠が羽生世代の二人に移って、タイトル保持者は渡辺竜王と羽生世代4人になりました。(3・1・1・1・1)

竜王位 そこは死んでも 渡せない
気がつきゃその他は 皆羽生世代


九連覇 秋だけ男は 返上し
めぐる季節も 輝かせたい


渡る世間は羽生世代ばかりです。

そして、今。
三冠が二人と森内名人です。

春は森内、後は羽生
秋になったら ずっと渡辺


名人戦も羽生挑戦者ということなので、思い切ってざっくり言えば

上期羽生 下期渡辺 年は過ぎ

この先はどんな棋界勢力図になっていくのでしょうか。

気がつけば 渡辺三冠 羽生三冠
どちらがするのか 天下統一


天下取る 要は若さか 経験か
マッチレースに 棋界は騒ぐ


七大タイトルを巡って、どんな時代が待っているのだろうか。

そんな時代も あったねと
いつか話せる 日が来るわ
あんな時代も あったねと
きっと笑って 話せるわ~


まわるまわるよ 棋界はまわる~
喜び悲しみ くり返し~
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思い出

2013年03月20日 17時35分22秒 | 日記とニュース
今日は91歳で他界した義父の命日。

義母がそれよりずいぶん前に亡くなったので、最後の数年間はよくうちに泊まりに来ていた。

正月は毎年来ていたので、一緒にコタツに入って箱根駅伝を見ていたのがすごく印象的だ。

今でも箱根駅伝を見る度に義父のことを思い出してしまうほど。

コーヒーが好きだったから、ちゃんとコーヒーミルで挽いて僕らに入れてくれたりもしていた。

何でもまめで器用で、じっとしていないでいつもカラダ動かしていた。

ここ、きれいにしといたよ。
これ、直しといたよ。
これ作ったんだけど、いいだろ?

なーんてニコニコしながらよく言ってた。

元気な頃はよく旅行にも行ったし、食事にも行った。
お花見にも行った。

自分で誰かに聞いたり調べてきたりして、あそこがいいみたいだから行こう、なんてよく言ってきた。

だんだん体が動けなくなってきたけど、何でもかんでもやってあげちゃうのは好まなかった。

自分で買い物にも行きたがるからスーパーにも連れて行って車いすで回った。

自分で買いたいものを選ばないと気が済まなかった。

頑固ではあったけど、温和だったし、優しかった。

あれからもう9年も経つんだなあ。
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有楽町ウォシュレット事件

2013年03月19日 11時02分59秒 | 日記とニュース
先日、仕事でよく行く有楽町交通会館のトイレに入った時の話。

個室でコトが終わってからウォシュレットのボタンを押すけど、反応がない。

温水を浴びたい箇所がはやくぅ~、まだぁ?と求めているけど、何度押しても出てこない。

可愛そうに。
悪いな、今回だけはちょっと我慢してくれよ。

ってことで仕方なく腑に落ちない終結の仕方にしてコートも着て外に出ようとした。
出ようとしてふと便器の後ろを見たら、コンセントからコードが抜けてる。

なーんだ、そういうことだったか、と思い、やるべきことをきちんとできてないので、再度コートも脱ぎ、その体勢にして仕切り直し。

心配かけたな。これでいいよな。
満足したか?

ふと便器の陰をよく見たら携帯充電器のパッケージが落ちてる。
ビックカメラの値札つきだ。
あー、そうか。そういうことか。
携帯が電池切れになり、あわてて充電器買ってすぐにここにきてウォシュレットのコンセント抜いて充電したんだ。

最近、特にスマホはすぐに電池が切れるから、マックやドトールに行ったりとか、都会の電池切れ難民は皆苦労してる。
電池切れたらやばい、という強迫観念にとらわれてそのための積極的な行動をする。

それにしてもトイレ入ってウォシュレットのコンセント抜いてまでやるとはすごい。

これは計画的犯行なのだろうか。

いや、そうじゃないな。
トイレ行きたくもないのに、ある程度充電できるまでここでじっと座ってるなんてそれはあまりにも非生産的だ。

買った後にたまたま便意を催してここに来た。
ふと見ると、コンセントあるじゃないか、おー、充電できる、やっちゃおう。
どうせ便秘気味だったし時間かかるからちょうどいい。

そんな突発的犯行か。

まあ都会で増殖してる電池切れ難民は充電のためにますますこんな風に乱暴なことをする世の中になるのだろう。

しばらくの間、ことが終わってからもじっと便器に座ってたんだろうな。
で、充電がある程度終わってからそのままにして出た。

いや、待てよ。
ということはコンセントは外れてたからウォシュレットは使わないで出たってことか。

それじゃ、トイレを使うのは目的でなく、単なる充電目的なのか?
ムッ、だとするとこれは確信犯だ。
悪質だ。

そのうちトイレにはこんな貼り紙が貼られるのだろう。

《充電のためのトイレの使用は固くお断りします。》

いや、最初は催してたけど便秘でうまくいかなかったのでウォシュレット使うまでもなかった、という場合もある。

ま、出たか出ないかはどうでもいいけど、ちゃんと抜いたコンセントは入れとけよ!!
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あれから二年

2013年03月16日 16時57分48秒 | 3.11
あの人も書いてますが、3.11についてです。

2年目を迎えたその日、日比谷公園で行われていたピースオンアースというイベントに参加してきました。

天気もよく平日なのにたくさんの人で賑わってました。

たくさんの出店。

噴水に座って食べたりくつろいだり、家族連れもいます。

石巻で行ったピースボートも出ていて、いろいろ話をしました。

行列に並んで献花しました。

電力も出前のイベントです。

2時46分が近づいてきました。

いろんな方が思いを述べます。

ニコルさんは、巨大な防潮堤計画のこと、怒り心頭。
興奮して止まらなくなっちゃいました。


皆で黙祷。。。

いろいろトークショーもあったのだけど、印象的だった言葉。
辻信一さんが紹介してくれたアインシュタインの言葉です。

「ある問題を起こしたのと同じマインドセットで、その問題は解決できない」

被災者の立場や気持ち、そして復興の方法論もすごく多様なゆえ、一つの方向で皆が納得して進めるなんてことはありえない。
何かがうまくいくシステムを考えたからと言って、それがすんなりと効率的に水平展開できるなんてことはない。
課題解決は、とことん入り込んで考え抜いてもがき苦しんで、やっとのことで見えてきた新しい光の中でしかありえない、ということなのか。
マインドセットそのものを変えなければ、根本的な解決にはなりえない、ということ。
難しいです。

それから話に出たご当地電力
世田谷に続いて小田原も始まってます。
東電その他にまかせておかないで、この流れ、全国で進めていきたいですね。

この前行った石巻。
震災の時に壁新聞を作って伝えることをやめなかった石巻日日新聞。
応援する意味も込め、また、石巻で知り合った人たちとの情報共有の意味もあり、3.11からとりあえず一か月間、購読することにしました。


このCM見て思い出しました。
石巻でランチに立ち寄ったオジサン一人でやってる小さなパスタ屋さんで見つけた、タケシ、鶴瓶、キムタクのサインです。


先日、新しい支援の形を考えるシンポジウムに参加してきました。
若い人も多く真剣な熱気ある討論が繰り広げられて刺激一杯でした。
支援の現場の課題、ぶち当たっている厚い壁、これからどういう形にしていけばいいのか、などすごく勉強になりました。


あれから2年。
時間はどんどん経っていくけど、絶対に忘れないように、風化させないようにしようと心の中で決めました。
自分は何ができるのかは別にして、このことにずっと寄り添って行こうとあらためて思いました。

最後に箭内道彦さんのすごく共感したインタビュー記事を貼っておきます。

つなぎたい。言葉と強さとやさしさで。
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新幹線線路に立ち入りでナラの研究員現行犯逮捕

2013年03月09日 11時49分42秒 | 「線路内人立ち入り」研究
久々に線路内人立ち入りネタです。

こんなニュースがありました。
府主任研究員を現行犯逮捕=新幹線線路に立ち入る―京都市

 7日午後6時40分ごろ、京都市南区唐橋門脇町の東海道新幹線の線路内に人が立ち入っているのをJR東海職員が見つけ、身柄を確保した。京都府警下京署員に引き渡した。
 同署によると、新幹線特例法違反容疑で現行犯逮捕されたのは、京都府森林技術センター主任研究員の小林正秀容疑者(47)=京都府南丹市美山町=。小林容疑者は「線路内に立ち入って逮捕されたことは間違いありません」と話しているという。
 小林容疑者は広葉樹が枯死する「ナラ枯れ」被害の研究で知られる。
 JR東海によると、同新幹線が米原―新大阪間で運転を見合わせ、午後7時8分に運転を再開した。約1万6000人に影響が出た。
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この記事だけでなく、各社のニュースをいろいろ見たけど、結局何で立ち入ったのかの説明は一切ない。

<東海道新幹線>線路内立ち入りの森林研究員を逮捕 京都
テレビにも出演 「ナラ枯れ」研究者逮捕 新幹線線路立ち入り
大学特別講師、新幹線の線路に立ち入り逮捕
東海道新幹線に遅れ 京都駅で線路に人が立ち入る
鉄道トラブル:京都府の「ナラ枯れ」研究者、新幹線線路2キロ歩く 20本に遅れ--京都駅

なんで各社揃って、研究員が線路に立ち入った⇒逮捕された⇒新幹線が遅れた

というだけで、その原因には一切触れてないのだろうか。
ナラなどの広葉樹が立ち枯れる「ナラ枯れ」を引き起こす甲虫の防除法の研究をしてる、ってそこだけ詳しく報じてるけど、そのことと線路内立ち入りがどういう相関関係があったのかなかったのか、なんで究明しないのだろうか。
わからないままでいいのだろうか。
当然取り調べが進んでいるのだろうけど、そのフォローはするのだろうか。
また次々と新しい事件が起きるからそんなことを追っかけてる暇なんかないのだろう。

しかし、報道って、記者って、取材って、ジャーナリズムって、こういうことでいいのだろうか?

情報をただ横流しするだけでも価値のあるものもあるのだろうけど、結局は、原因は?動機は?心理は?背景は?とつながっていくわけでその本質の部分をないがしろにして表面的な薄っぺらい情報だけでは価値はない。
コンテンツとして成立し得ない。

皆そう思わない?

【ナラの研究員が酒に酔ったわけでもなく新幹線の線路内に立ち入って逮捕された。
新幹線はそのため遅れた。】
ちゃんちゃん。

これって、子供新聞だって詰めが甘い、もっとよく調べて書きなさい、ってことになると思うのだけど。
立ち入った理由に触れないで済ましてしまうのってありえない。
WHYを最低5回は積み重ねることを大事にする僕の好奇心が許さない。
もちろん一切自白せず、黙秘権を通しているのであれば仕方ないけど、それであれば周辺取材とかするのが普通。

ま、結局、わかりきったことなのだけど、こんなつまらないことに時間を割いてる暇はないってことですよね。
そんな知りたいのなら自分で調べればいいじゃん、ってことになる。

ネコ男の逮捕 PCなりすまし事件冤罪だったら刑事も記者も全員クビです

この事件も結局よくわからないけど、この記事の中にこういう部分があります。

【メディアとしては、あくまで警察の動きを報じただけで、自分たちには責任がないという意識があります。今のメディアがやっていることは「事件報道」ではなく、「捜査当局の動向報道」にすぎないんです。】

「事件報道」ではなく、「捜査当局の動向報道」にすぎないという言葉。
政策報道でなく、政局報道というのにも通じます。

大樹の陰に身を隠し安全安泰なまま上からこぼれてくることを自分の意見も捉え方もなくそのまま報じる。
優秀な記者を抱え、取材に金も時間も割くということができにくくなってきた状況はよくわかるけど、だったら報道って何?取材って何?ジャーナリズムって何?ってなる。

記者の人たちの勇気や気概や使命感を期待しつつ、上記の研究員線路内立ち入りの理由が気になって仕方ない今日この頃です。
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青ざめて深刻な日々

2013年03月08日 10時51分13秒 | 雑感
何が大変かって、そりゃ青色申告です。

ちょっとずつやってきていよいよ最終コーナー。
あとは最後の入力とチェック。

でもまだ、PCの画面でおかしいとか、進めないとか言われたり、うまく反映されなかったりして試行錯誤。

まじに青ざめて深刻になりつつ苦悶中。
妻が、こんなに真剣に集中して仕事(?)してるの見たことないなんて言ってる。

大体、分離課税、特別控除、繰越損失、なんて言われたってちんぷんかんぷん。
ちんぷんかんぷんってこと自体死語かもしれないし、死の後の言ってないで速くやれって言われちゃうし。

いちいちひっかかるけど、マニュアル見る気もしない。
見ても難しくてよくわからない。
それで詳しい人に電話やメールして聞いたり。
青色申告会とか、PCソフトとか、いろいろ情報は聞いたのだけど、今回は自力でe-taxするつもり。

もともとわかんないし嫌いなことが深刻になっちゃうすべての元凶。ああ。

稼いでるから面倒だなんてことでは全然なくて、事業関連よりも、医療費、保険、株などそっちがなんだか複雑でわかんないのよ。

それにしてもこんな小難しいこと、よくみんなやってるよなあ、とつくづく思う。
税理士などに丸投げしてるならまだしも、商店のおっさんとか自力でわかってやってるんであればすごい。感心しちゃう。

大体普通の僕のような人でもわかりやすいような言葉使いとかしくみ、できないのかなあ。
しごく簡単なしくみ。
サルでもわかるってやつ。

しくみとかマニュアルって、その道でずっとやってきた専門家たちの中でのクローズドな世界で長いこと成り立ってて、一般人は寄せ付けない高い壁がある。
わかんないの?あんたには無理だろうなあ。
それを権威にして、アイデンティティにしてるのかい。

以前のPCのマニュアルもそうだった。
お前ら上級者や専門家しかわかんないような言葉使いとか書き方してんじゃないよ。
俺たち初心者にわかってもらうことが目的なんだろ?

PCや会計だけでなく、なんでもそうですね。

将棋だって、昔は町の道場のタバコ臭いおっさんたちのものだった。
上級者たちのクローズドな世界だった。
それが今はどうよ。
完全に開かれて子供も女性も観る将棋ファンにも親しまれるようになった。
羽生善治と現代 - だれにも見えない未来をつくる (中公文庫)
クリエーター情報なし
中央公論新社


そう、もっと開かれた確定申告。
深刻にならなくてもいい確定申告。

ということで“しんこくう”をしてフィニッシュしよう。
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石巻紀行 その2

2013年03月03日 18時30分48秒 | 3.11
石巻を訪ねて、の続きです。

先週この本を買って車中でもずっと読みながら来ました。
生々しい記録です。
6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録 角川SSC新書 (角川SSC新書 130)
クリエーター情報なし
角川マガジンズ(角川グループパブリッシング)


震災直後、必死で作った本物の壁新聞も見ました。
伝えることの重さ、使命感、いろいろ考えされられました。

石巻日日新聞社にも行ってきました。
地元の暮らし、情報を大切にしてる新聞社があることの重み。
すでに100年の歴史があります。
震災で購読者はグンと減ってしまったようですけど、昨今の新聞離れとは違います。
全国各地でこういう新聞がしっかりと根付いて、地方都市を活性化することにつながったら、と思いました。
こういう新聞社があったことがまた石巻の印象を際立たせています。


ここからは聞いた話です。

他の人も言ってたけど、石巻は歩行者に対して車がすごく優しいのにビックリでした。
すぐに停まってくれる、譲ってくれる、待っててくれる。
『えっ、こういう状況なのに車の方が待ってくれるわけ?
いいのかなあ?悪いなあ。あっ、すみませんね。』

何でそういう風土になったのだろうか?
譲られた人が運転するときに今度は同じようにする輪が自然発生的に広がったのだろうか?
好循環のお手本。
もともとそうなのか、震災を機にそうなったのか。
どちらにしても人びとが優しくて素敵な町です。

かなりバイトが集まりにくい状況とか。
特に男性。
瓦礫処理のバイトの方が全然割りがいいので普通の時給の仕事ではいくら募集をかけてもなかなか集まらない。
補償金をかなりもらえてるから敢えてバイトしなくても生活できちゃうということもある。

何と言っていいか難しい被災地ならではの状況。

家族が亡くなったとか、家が全壊したような子供たちは有名人も含めたくさんのイベントに参加してもう慣れてきてる。
感激も感謝もなくなりつつある。
そして、今度は大したタレントじゃないな、などと品定めするようになってきている。
子供だし、慣れてきちゃえばさもありなんとも思う。

一方それほど被害の大きくない子供は、イベントに参加したくても権利がなく妬んでいる。
『ねえ、なんであの子は何度も行ってるのに、僕は行けないの?』となる。

イベントを企画する側としては、参加者の心理とか、地元へのいろんな影響とか、ここまでのことはなかなか予測できてない。
善意で、少しでも役に立てればと思って一生懸命にやる。

補償金、賠償金、寄付金その他の善意を巡って、どういう人にどう渡っていくのかは極めて難しい、悩ましい。
公平性に拘ってと言っても、どこかで線を引かなければならないのも確か。
万人が納得するわけもない。
引かれた線の前後の人たちは、当然のように、明らかなラッキー、アンラッキーの世界になる。
何であの人が・・、こっちは何でもらえないの?、その区分けの仕方おかしいよ、と言ったクレームや問題が噴出する。
これはもう起こってしかるべき問題。
そこをどううまくやるか、可能な限りの納得性を作れるか、全体最適につなげていけるか、難しいし悩ましい。
どうせやるならより参加者にも地域にも喜ばれるイベントを。

じっくり考えていたら何もできなくなるし、どんどん進めながらレビューして、多面的に考えて修正していくことしかないと思います。

いろんな話を聞いて、あらためて、僕らにはわからないこういうこと、被災地にはいっぱいあるんですよね。

石巻で行った寿司晴というお寿司屋さん。
4時頃の変な時間に行ったので他の客は誰もいない。
美味しい寿司をいただいた後、ご主人と息子さんから2年前のこと、そして町の現状など、いろいろ話を伺いました。


門脇地区など海沿いの人たちは集落ごとにまとまって移り住む態勢が進んできてるとのこと。
ちゃんと行政が機能して新たな暮らしが形成されている様子。
しかし女川や小さな海沿いの集落は孤立したままで相変わらずの仮設住宅暮らしが続いている。
ずっとほったらかされた状態とのこと。
行政だって当然優先順位つけないと仕方ないのもわかる。
いろんな山積みの課題は目につくものの、最善の解決策をバシッと決めるのはなんとも難しい。
しかし、そんなことも言ってられずに短時間でテキパキと判断して、反対も押し切って方針を決めなければ何も動かない。
いろいろなサポートはあるにせよ、人も予算も限りがある。
難しいよなあ。

ちなみに畳はこんなでした。


偶然通りかかった ピースボートセンターいしのまきに寄って、いろいろ話してきました。
都会からこちらに来てずっと頑張ってる方もいらっしゃいましたし、復興のために地域の人たちとリンクして積極的に活動をしています。


短い期間でしたが密度の濃い毎日でした。
仙台と石巻でいろんな人に会えました。

あれからもうすぐ2年です。
今回ご縁のあった方々とこれからもいろいろな形で連絡を取らせてもらい、情報収集をしながら少しでもできることを形にしていきたいと思います。

皆さま、ありがとうございました。

また必ず来ますね。
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石巻紀行 その1

2013年03月02日 21時05分52秒 | 3.11
仕事の絡みもあり、仙台から石巻に行ってきました。
初めて訪れた石巻では震災後の状況を少しでも見たいと思って、短時間ではあったけど可能な範囲で回ってきました。そしてできるだけいろいろな地元の方とお話してきました。

石巻駅です。
この町は駅だけでなく町の至る所に石ノ森章太郎の漫画キャラで溢れてるのだけど、漫画は何も知らない僕は何だかチャラチャラして落ち着かないし、もっとこの町らしい風情のあるようにはできなかったのかなあ、と勝手に思いました。

駅前はチェーン居酒屋でいっぱい。
ホテルも簡単には取れない状況みたいだし、仙台もそうだけど震災後バブルのようにも見えます。

三越なんてあるんですね。すごく小さい店。都会のちょっといい商品が並んでます。

商店街はご多分に漏れず閉まってる店だらけ。


商工会議所です。

こんな碑があった。

ところどころにはまだこんな家がある。

復興マルシェです。

結構賑わってました。

急坂を登って日和山公園へ。北上川の中州の漫画館を振り返る。

日和山から見た石巻の海。
あの日ここから見ていた人も多いだろうし、その光景を想像してしまう。
それだけで一瞬足が震える。

海側に降りて行ったらこういう光景。

家などはほとんどない。お墓がいっぱい。

瓦礫はほとんどないものの、こんな光景があちこちに。

土台だけ残ってる家もあるけど、まだまだこんな状況は続く。

いろいろな意味で復興は進んでいるのだろうけど、爪痕はあまりにも大きい。

門脇小学校が見えてきます。

全員が山に登って助かったあの小学校。
「すこやかに育て 心と体」の文字。

先日やっていた石川遼の番組で見たこの看板の場所に行きました。
ど根性ひまわりが咲いた場所です。
献花、焼香してきました。

石巻港はこんな光景。

大型トラックや工事用車両でいっぱい、臭い、埃がすごいです。


レンタカーで石巻から女川、雄勝などを回ってきました。

穏やかで美しい海が続きます。

一面家も何もない殺伐とした光景が続く。

毎日多数の人が寝る間を惜しんで努力していてもなかなか片付かない。

あまりの傷跡の大きさに茫然とするばかり。

どのような復興計画に基づいているのだろうか。
この高さの道路を作るのか。

雄勝小学校。

雄勝町では漁師の会社【オーガッツ!】を作って新しい漁業の形を模索しています。

海底の瓦礫はまだ手つかずとのことだし、あれから2年経ったけどほんとにすべてはこれからという印象です。

その2に続きます。
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