即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

常識の大逆転

2013年02月22日 22時57分09秒 | 雑感
先日、胃の全摘手術をした友達のお見舞いに行ってきました。

8時間かかった大変な手術後、ちょうど二週間目に行ったのですが、行ってみてびっくり。
さぞかし痩せてぐったりしてるのかと思ったら、前と何も変わらない。

友人と二人で病室に行ってこわごわ呼んでみると、あー、来てくれたのか、と言うや否や、
さっとベッドから起き上がってスリッパはいてスタスタ普通の速度で歩く。
こっち来てよ、と、談話室のようなところに案内してくれる。
えっ、なに?はっ?なんだか元気じゃん。
いいの?友人と顔を見合わせる。

お風呂も入ってるのだろう、髪もピシッとしてるし、パジャマは着てるけど身なりは全然普通。
いつものようによくしゃべるし、えっ、病人?全摘手術?と疑ってしまうくらいの普通さ。
悪いけど拍子抜けというかあまりの元気さに動揺する。
何しに来たんだ?
なんとあさって退院だとのこと。
『すぐに会社行こうと思えば行けなくないけど、ほんとに手術したのか、と疑われそうだからしばらくは家でゆっくりしてるよ。』

手術した十数時間後には無理やり引き起こされ、歩け歩けの指示。
それは痛くて大変だったけど、毎日結構歩かされた。
3日後くらいからおかゆも始まり、その後シャワーも解禁。
体重もほんのちょっとしか変わってないとのこと。

以前であれば手術後は1週間くらいは絶対安静だったはず。
入院期間は1か月ではすまなかったはず。
シャワーでは傷口もどこも普通に洗ってもよかったとのことだけど、以前なら、ばい菌入るからそこはお湯かからないようにしっかり注意して、だったはず。

あの頃の常識はどこに行ったんだ。

医療技術の進歩と言えばそれまでだけど、この常識の変化というか大どんでん返しの状況には度肝を抜かれた。

何はともあれ、無事でよかったです。

以前の常識がすっかり様変わりしてる例は他にもある。
スポーツの時に水は飲むな、飲んだら疲れちゃうから、っていうあの頃の常識。
すっかり正反対になった。
あの頃の常識は非常識。
誰しも当たり前だと思っていたことが知らないうちに覆ってる。
劇的に逆転してる。

天動説地動説とか、人が空を飛べるはずがない、とか。

変化してることはいろいろあるけど、全く逆転してるっていうこともまだまだあるのだろう。

まだまだ科学技術も学問もどんどん進化していくのだろうから、世の中の常識というのはこれから先どうなっていくのか。
ひょっとして50年後、100年後とか、再逆転とかもあるのだろうか。

世の中多様化して常識というものが肩身が狭くなっている。
何でもあり。それもあり。
誰が見ても当たり前という部分がどんどん減ってきた。

昔はえばっていた常識は情報過多の時代にもみくちゃにされ、ナイーブでひ弱になってきている。

固定観念。真実。正義。己の信念。

常識という言葉が死語になっていくなんてことはあるのだろうか。

お見舞いの帰り、いろいろ思いを馳せてしまった印象的な一日でした。
コメント

時代の憂鬱

2013年02月17日 10時56分52秒 | 外食
先日、高校時代の仲間たちと久々に長い時間語り合いました。

時々行く日本橋の川沿いのお店。
こんな景色を肴に昼から飲むのは最高です。

それにしても、何で川の上に高速を作っちゃったんだろうね。
景観とか美観とかよりも、経済発展優先、できるだけ作りやすいところに作ったわけで、今となっては短絡的判断と言わざるを得ません。
まあ、当時はあまり気にする人いなくて、どんどん豊かな街作りをしようと皆揃って経済成長の正義を信じていたのでしょうね。



近況報告から始まったけど、いろんな話題が飛び交う。

『忘れっぽくなったっていうのは違うんだよ。
すぐに忘れちゃう、物忘れが激しい、ということではなく、最初にちゃんと覚えてないだけだ。
単に年々、物覚えが悪くなってるってこと』

ほー、そういう考え方もあるか。面白い。
音楽家の友達が言う。
『どんなに昔でも一度弾いたことがある曲はちょっと練習すれば思い出して問題ないのだけど、初めてやる曲を覚えるのは年々大変だ。』
歳と共にすぐに忘れるのではなく、覚えることが面倒になってどんどん覚えなくなってるってことか。

まだまだ明るいし、話は止まらないので二軒目に。


190cmも身長があってバスケットやってたI君も一緒だったのだけど、IのことについてM君が言う。
『昔、一緒に電車乗ってた時に、僕らは吊革につかまってたのけど、Iは網棚にひじついてたんだよな。』
はは、そんなこともあったかも。

受験の話も出る。
Mが札幌の大学を受験に行ったとき、彼の兄貴とその友達がついて行ったとのこと。
受験の前の晩、兄貴たちは薄野に飲みに行って散々酔っぱらって夜中にホテルに帰ってきた。
そしてゲーゲーやり始めたので、Mはその介抱で寝られなかった。
寝不足で受験に臨んだが、なんとかうまく行って合格。
入学にあたり、手続きなど父親と一緒に札幌に行った。
偶然同じホテルの同じ部屋だった。
そのベランダに、1か月前に兄貴たちが残した痕跡を見つけた。
受験の時は雪に埋もれていたのが少し雪が解けて、あの時の焼きそばの残骸が表れてきていた。
なんかドラマみたいだ。雪に埋もれていた事件の大切な証拠が、雪解けで表れて、事件は解決に。

昔の話だけでなく、まだまだ話は続く。
今度は蕎麦屋に。

日本酒ちびちびやりながらカラダのこと、今後のこと、そして現代日本のこと。

若い世代の投票率が低いという話題から話は広がる。
もう僕らの時代じゃないのだから、いつまでも出しゃばっていていいのだろうか。
65や70くらいまで元気に働いて納税していかないといけないという側面もある。
しかし、年寄りばかりが投票して今後のことを決めることになってるのはいかがなものか。
だったら僕らの票は、思い切って0.5票にしちゃったらいいんじゃないの?
あー、それいいね、それなら若い人の票がずっと重くなり今より意思が反映されることになる。
大体人数が違うんだから、俺たちががんばってるのは絶対に良くないよ。
下が育たない、雇用も含め、いろんなものを阻害しちゃってる。
じゃ、僕らの影響力をどんどん少なくした方がいいとすれば、0.5票なんて言わずに、そう思う人が免許みたいに返上できるようにしちゃえばいいんじゃないの?
お上に返上すると年金少し増えるとかさ。
60歳以上は0.5票、70歳以上は0.3票、80歳以上は0.1票とかはどう?
団塊世代が70代、80代になって皆元気で投票に行ってたらこんなことでもしないとおかしくなっちゃうもんねえ。
だったらそう思う人が自主的に投票しなきゃいいじゃん。

でもさ、こんな風にいろんな問題作ってきちゃったのは僕らより上とか僕らなんだから、あとはご勝手に、って丸投げするのは無責任なんじゃないの?
そりゃそうだ、若い人に全部押し付けて、逃げ切ろうとするのはだめだよな。
頑張ってちゃんといろいろ解決してから渡すのが僕らの役目だろう。
そういう意味だと、僕らは責任重いのだから、0.5票とかじゃなくて、一人2票くらい持って、責任取る体制にしないといけないんじゃないの?
うん、それもありかな。
責任の重さを感じて何とかしなきゃ次世代に申し訳ない、というなら2票とか3票でもいいか。
責任取る気がすごくある奴は票を買えるようにしたら?
バブルとか、失われた10年とか、今までのいろんな経験とか歴史から学ぶことも含め、僕らしかできない判断やノウハウを次世代のためにもっと絞り出して提供しないといけないからなあ。

いくらろくな政治家いないからと言って、一番大変な時に戦後最低の投票率とか、信じられないよ。
被災地も低いんだもんね。
一票の格差のことも小選挙区制の歪んでることもあるし、この際選挙の仕組みを根底から見直す時期なのかも。
ネット選挙も含め、若い人たちが参加したいような新しい斬新な仕組みをゼロから構築する必要があるのかな。

50を過ぎてからさ、窓際とか、リストラとか、若返りとか、もうあなたは歳なんだから、徐々に迷惑かけないように早めにいなくなってってくださいね、って感じで扱われていたよね、俺たちって。
結構頑張って貢献してたはずなのにさ。
人間、いくつになっても頼りにされるならガンガンやるけど、仕事ができなくなったわけでなく、年齢行った人はもう必要ない、って言われて冷たくされてきたわけだから、ここでまたしゃしゃり出てって頑張るのがいいのか、どんどん大人しくして少しずつでも次世代に受け継いでいった方がいいのか、どうすんだよ、俺たちは。

日本酒がどんどん進む。
最後は美味しい蕎麦でしめて楽しい宴はお開きに。
コメント (3)

朝日杯将棋オープン戦 “深海の波動”

2013年02月11日 13時17分25秒 | 将棋
朝日杯将棋オープン戦の準決勝、決勝の観戦に行ってきました。

500名の定員の3倍を上回る1800通の応募があったとのこと、かなりの倍率を突破しないとここには来られません。
その人気の大きな要因は、準決勝に残った豪華な顔ぶれということもあるけれど、もうひとつはトップ棋士の熱戦を至近距離で観戦できること。
対局の臨場感をこれだけガチで味わうことのできる機会はまたとないと思います。

開場の10時よりちょっと前に行ったのだけど、すでに長蛇の列。僕の後ろにも知ってる顔も含め、どんどん列が長くなります。
女性も子供もたくさんいて、将棋の普及は確実に進んでいることを実感。
10時20分開演。

ホールでは大盤解説会が行われます。
解説は藤井九段、聞き手は上田女王。
この二人のコンビは天下一品。難しいプロの将棋の醍醐味を楽しく、わかりやすく伝えてくれる。

まずは準決勝二局を左右に移動しつつ、交代に代わる代わるの解説。
羽生三冠vs.渡辺竜王という今一番注目の一局と谷川九段vs.菅井五段という関西ベテラン新鋭対決。

最初はしばらく藤井九段の見どころや序盤の解説を聞きながら二局それぞれの成り行きを見守っていました。
そして中盤にさしかかったあたり、ホールを抜け出して対局室の方に移動しました。
すでに緊迫感でいっぱい。
対局者を取り囲んでいる椅子席のまわりに幾重にもファンが集まって真剣に注視しています。
静寂と緊張感と穏やかな熱気。

これが準決勝の羽生・渡辺戦が始まる前の対局室の風景です。(もちろん対局中は撮影禁止)



大きな会場のステージ上の対局を客席から観られるJT杯とか達人戦のような公開対局とはまた全然違う。
対局者の表情、息遣い、見え隠れする微妙な心理など、これほど近いところで同じ空気を吸いつつ観戦できるというのは、これは将棋ファンにとってはまたとない至福のとき。
この空間の中で終局までの数十分間、後ろの方からではあったけど、準決勝の二局をドキドキしながら観戦していました。

盤の周辺、その一角の空間だけ空気の濃密感が違う。
何かの計器で測ったらそこだけ色が違うのではないかと思えるような不思議な世界。

すべての脳細胞を総動員して読みの深淵の限界を極めていく。
盤を囲む棋士たちの脳波や魂のぶつかり合い、そこから立ち上る凛とした空気が波紋となって対局室全体に広がっていく。
観戦している我々をどんどん包み込んでいく。
我々が次第にその空気に、波動に感染していく。
観戦者が感染者になっていく。

思考の深さ、一点の曇りもない研ぎ澄まされた精神世界に身を委ねてみる。

駒の音、チェスクロックの音、そして秒読みの抑えた声。
それ以外は静寂が包んでいる。
席を立つ人、動き回る子供たち、多少の混雑で気が紛れそうなこともあるけれど、
ファンの食い入るような視線の強さが対局だけを浮き上がらせている。

ほんの2メートルほど先で、あの羽生三冠とあの渡辺竜王が盤を挟んで苦悶している。
深遠な闇の中をもがきつつ進んでいきながら一局のまた新しい素晴らしい将棋を生み出していく様。

最善手を生み出すための魂のうめき声がかすかに聞こえる気がしてくる。
空気が濃密だからこそ、その波紋が伝わりやすいし、どこまでも勢いが衰えることなく伝播していく。

崇高で、まっすぐで、真摯で、気高い波動。

謎に満ちて、熱を帯びて、ビンビンと伝わってくる。

ここはあたかも深海のようだ。

ピーンと張りつめた空気は重い。
しかし、息苦しいわけではなく、有機質の温かさがどこかにある。

どこかに洞窟はないのか、どこかに湧水があるのでは。

ゆったりとした時の流れの中で深海探検の旅は続く。

『負けました。』
ちゃんと聞き取れる穏やかな声がした。



将棋の内容は他のサイトを見ていただくことにして結果は渡辺竜王と菅井五段が勝って午後の決勝戦に進みました。

お昼を食べに外に出て再び会場に戻るといよいよ決勝戦。
いつもどおり準決勝で敗退した棋士も大盤解説に加わって、藤井九段や上田女王との掛け合いが始まります。
まずは谷川九段。新会長としての激務の中、運営だけでなく棋士としてもここまで残っていられる実力、大したものです。

そしてお待ちかねの羽生三冠。
羽生三冠の解説はなかなか聞けないのでこれは貴重です。会場は皆目が輝いてました。

決勝が終わり、対局者が登場。感想を述べる。

渡辺竜王が無類の強さを発揮して、準決勝、決勝とも快勝。
3連敗中だったこともすっかり吹き飛ばして堂々の初優勝です。


たいがーさんたちとのアフターも含め、すっかり将棋の素晴らしさに浸った一日でした。
ありがとうございました。
コメント

陰謀との戦い

2013年02月04日 16時17分05秒 | 日記とニュース
スマホを変えました。
ぐるっと一回り、サービス体制のことでも書いたように1年半くらい前に初めてスマホデビューしたのですが、この2か月ほどはどうにもイライラすることがあり、2年縛りは終わってなかったのだけど、覚悟を決めて機種変更しました。
どうにも我慢できなかった点は、基本容量が少ないこと。
まだ1年半前に買ったものなのに、1G程度しかないので、最近のアプリには耐えられない。
gmail、email、facebook、twitterとLINE、カメラ、乗換案内、そして将棋連盟のモバイルくらいしか使ってないのに(あまり使わないアプリはどんどん削除した。)一日に何度も容量が足りません、と出て、メールは受発信できなくなってしまう。
その度にたまったデータをいちいち削除して使える容量を増やす作業を繰り返さないといけなくなった。
折に触れて量販店などで聞いてみたけど、これはもうどうにもならないって。
時代とともにひとつひとつのアプリがアップデートされ、どんどん容量が増えてきたことでそもそもの基礎体力が持たなくなってきたとのこと。時代についていけなくなってきたとのこと。
中には申し訳なさそうに説明してる人もいたけど、アプリがどんどん大容量になってしまうことが問題と、責任転嫁してる人もいた。
SNSとかまるでやらずにメールと電話だけならそりゃ問題ないのだろうけど、これじゃスマホの意味がない。

でiphoneにしようかと迷ったけど、結局同機種で今一番人気のこれにしました。


さすがに軽くて画面大きくて早くてすごく使いやすくはなったものの、いろんな新しい料金体系とか、留守電をつけると有料とか、予期せぬいろんなことがあってかなりの散財。
まだ半年は前の月賦分も残ってるし。
なんだか腑に落ちない。

別にここで新しくする必要はなかった。
これほど早く便利でなくてもいいので、前の機種で当初できていたことが普通にできてくれればそれでよかった。

PCもそうだし家電も車もあらゆるものが日々すごい勢いで進化してる。
油断してるとすぐに古くなる。
部品がない、古くて修理ができない、新しいの買ったほうが安いですよ、となる。
なんだよ、この理屈。
どんどん買い換えさせようとするこの性悪(しょうわる)極まりない魂胆。
詐欺まがいの悪徳商法ではないのか。
産業界、経済界がよってたかって自社の売上稼ぐために、業界の発展のために仕組んだ大いなる陰謀ではないのか。
ユビキタスでスマート家電の時代。家も車も何でもスマート化。
省エネとかそういう部分ではいいのかもしれないけど、どんどん便利になって頭もカラダも使わなくてもいいようになって、技術の進歩が人間の退化を生むことにならなければいいけど。
だって、中に入ってる食材をセンサーで読み取って、それでできるレシピーを提案してくれる便利なスマート冷蔵庫なんて、バッカじゃないの、としか思えない。

もうあのバブルの頃の“24時間働けますか?”の時代ではないわけで、どんどん技術開発して新製品多発すればいいってもんじゃない。
便利に便利に、豊かに豊かに、を追求した挙句、3.11でその過剰さに目覚めて気づいて反省したのではなかったのか。
単に我々に便利さや豊かさや贅沢を提供するものではなく、自然エネルギーとか環境、医療、福祉とか、あるいは世界の貧困問題とか、そっちの方面に注力してほしいよ。

携帯もスマホもPCも、そんなに頻繁に買い換えなくたっていいんじゃない?
大事にゆっくり使おうよ。
頼んでもないのに、どんどん早くて薄くて便利にしなくたっていいよ。
ドッグイヤー、マウスイヤーの流れを少しでも緩めようよ。
かまやつひろしとかすずきひろみつも昔歌ってたじゃない。

そんな時代じゃないって?
アベノミクスでガンガン再生するって?

新しいスマホをいじりながら、どうにも国家ぐるみの陰謀に思えて仕方ない今日この頃です。
コメント