先日の記事
《もうひとつの生き方》にたくさんのコメントいただきました。
結構深い話だし、ちょっとコメント欄では書ききれないので、記事にしてしまいます。
ssayさん、こんばんは。
>ブログは自分ではしておりません。理由は色々ありますが、やはり更新のプレッシャーに勝てないというのが主な理由でしょうか(笑)。
そうなんですか。
僕もそう思ったこともありますが、居直ってます。
どうせ、勝手な自分の日記・記録なわけだし、人の目を意識するよりも、自分の中での活動、であると。
自分と対峙する時間を前より少しでも作れたら、ということで、去年の9月に、試行錯誤で、おっかなびっくり始めてみました。
なので、プレッシャーや人の目など、無視してしまえば、簡単ですし、ssayさんのブログであれば、ぜひとも読んでみたいです。
(なーんて言うからプレッシャー、か。(笑))
>読む方ですが、実はそう多くないのです。今現在ですと、あきら竜王とDanchoさんとnanaponさんの3つだけです。
ひぇー、うれしいです。BEST3ランクイン!ありがとうございます。
>一つの表現をさせて頂くと、「21世紀にもなって人間がまだ働かなきゃならないなんて思わなかった。」そう、私たちの子供の頃って、21世紀って「未来」というイメージでしたよね。
はい、宇宙を自由に行き来してるはずでした。
こんなにあくせく働いているなんて、ねえ~。
>ところが、実際に21世紀になってみると「なんだ、変わってないじゃん。」
別にサボりたいとか言ってるわけじゃないんですよね。苦労したくないわけでもない。ブログにしてみたいと言ってる位だから、今の仕事にもやりがいを見出しているわけですよね。けど、いい加減、働かざるものは食うべからずという発想から抜けられないものかな?仕事をしない社会と言っているのではなく、「仕事=労働」という20世紀的発想から全然抜けられないと言いたいのです。理想は、「仕事=自分が社会から与えられた役割」かな。あまりにSFチックな表現で、だから目の前の現実に追われて生きている多くの現代人には今日の記事の内容もこのコメントもおそらく理解できないのではないかと思っています。逆に、そんなことはない、理解できないなんていうのはお前の驕慢な意見だ、と良い意味で裏切られたいですけどね。
うーん、このあたり、どうなんでしょうね。
ssayさんの書いてくれたこのご意見に賛同、共感してくれる人、結構いるんじゃないかと思います。
でも、僕もそうだし、Danchoさん、風屋さんもそうだし、理想と現実のギャップはあるものの、理解、共感、という部分はかなりいるように思います。
>「仕事=労働」「働かざるものは・・・。」と言う発想では、どうしても大量生産大量消費にならざるを得ないのですよね。なぜなら、大量に消費してもらわないと、大量に生産できない、大量に生産しないと、働き口が無くなっちゃう・・・。
みんな、薄々、こんなことずっと続けられるわけはないと心のどこかで気づき始めているのですが、具体的にどうしてよいのか分からない。え?私?私に聞かれてもわかりません。
今の世の中の基本的な考え方、動いている機軸が、アメリカ主導の市場経済だと思います。よく言われる格差、二極分化、を生んでいる原因となっている考え方です。
民営化、規制緩和、市場の開放による自由競争は、効率を上げ、トータルではより多くの富を生み出したものの、いろんな意味の歪みを起こしています。
競合との過激な競争の中で、一円でもより多く利益を生むこと。
それが正義。
そうしないと生き残れない。
M&Aも含めて、すべてがマネーゲーム。
人間の豊かな暮らしや心の安定よりも、金、経済、利権、などの枠組みの方が、権力を持ってしまっている。
企業の安定のためには、安い労働力で、どんどん働くことが基本。
働かない奴、利益を生まない奴は、企業には必要ない。
そんな奴を容認していたら、企業は存続できない。
存続のためには、リストラでも、出し抜きでも、談合でも、法の網の目をくぐるのでも、何でもやる。やらざるを得ない。
モラルも品格も知ったこっちゃない。
この流れを食い止めるのは、一人一人が自分の強い意思で、その流れを拒否しないと。
みんなで、降ーりた!いち抜ーけた!って言わないと。
自分は絶対にそっちの流れには加担しないよ、と。
でも、難しいです。そんな簡単じゃない。
いち抜ーけた、みたいな顔して、実は(金に目がくらんで)体制側に立っていて、回りを騙してまでも、一儲けしちゃう、みたいな奴もいるし。
それも、その人がセコイ人間というだけでなく、実は、親が大変な病気で金がいる、とか、友達の保証人になってしまって、えらい借金を背負ってしまった、とか、の背景がある人だと、単純に自分勝手だとか、ずるいやつだとかも、言いにくい。
何のために働くのか。
永遠のテーマでもありますね。
田坂さんはこう言ってます。
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「はたらく」とは、すなわち「傍」(ハタ)を「楽」(ラク)にすること。
日本人は昔から、自分のささやかな働きが誰かの役に立てることを喜びとしてきました。
だから、引退した人でも、十分に蓄えがあっても、まだ働きたいと思う人は多い。しかし、欧米では、かならずしもそうではありません。そもそも、労働(labor)という言葉には「苦役」という意味があり、だから「安息日」がある。そう考えると、日本の「働く」という言葉は素晴らしい言葉なのですね。
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また、松下幸之助さんはこう言ってます。
・企業はまず本業を通じて社会貢献する。
・利益とは、社会に貢献した証である。
・多くの利益が与えられたということは、その利益を使ってさらに社会貢献せよとの天の声だ。
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今、やっと、CSRとか、企業も単に儲けるだけでは、社会的責任を果たせない、という意識が芽生えてきました。
とは言え、デフレだ、不況だ、減収だ、敵対的買収だ、みたいなことになると、
そんなことは二の次になってしまい、
株主にしたって、その企業を応援するというより、株で儲けたい、
ってことなので、
CSRに金使うんだったら、配当に回せ、的なことになる。
変な世の中です。
それでいいのでしょうか?
いいとは思わないけど、背に腹は変えられない。という理屈なんですね。
>ただ、いずれにしても、発想や行動を変えて行かなければいけないのですから、自分の人生の中で、少しづつ取り組んで行ければと思っております。
このままじゃ、だめですよ。
金持ちだって、自分だけがよければ、ってことだと、立ち行かなくなるのは目に見えています。
地球温暖化で、このままあと10年もすれば、金持ちだろうが、セレブだろうが、誰しも快適に生きてはいられなくなります。
貧困層の増大による、犯罪、とか、社会不安もどんどん増えます。
自分たちだけで、勝手に隔離社会を作って生きていくのならいいのでしょうが、
そんなことはありえない。
日本人として、アジア人として、地球人として、同じ船に乗っているのですから。
>いやあ、nanaponさんのブログって、とても刺激受けるなあ(笑)。
そう言っていただけるとうれしいです。
ますます励みになります。
Danchoさん、こんばんは。
>人間一人一人に、この世に存在する以上は、何かの「使命」が与えられていると言われますが、ssayさんがおっしゃるように、小生も、それは「会社でする仕事をこなして、給料をもらうこと」では、決してないと思っています。
>逆に表現すると、小生自身は、そこに人生の価値観を求めていないんですね。
田坂さんは、「仕事の報酬とは何か?」ということでこう言ってます。
『目に見えない3つの報酬のために人は働く』
第一は、「働きがいある仕事」
第二は、「職業人としての能力」
第三は、「人間としての成長」
>nanaponさんの表現をお借りすると、『いい天気なことを、朝が気持ちいいことを、星がきれいなことを、ごはんがおいしいことを、よく眠れたことを、その一瞬一瞬を、しっかり感じて、おてんとうさまに感謝する』…そういうところに、小生の人生の価値観があるように、自身で感じています。
いつもそうありたい、と思っています。
ただ、天気がいいこと、や、ごはんがおいしいこと、と、
今日仕事で辛い目にあった、とか、満員電車の中でこんな腹たつことがあった、
ということのトータルバランスや、気持ちの中のウェイト、ですね。
後者のほうが大きいと、前者は、どっか行ってしまいます。
消し去られてしまいます。
どんな人にも、上記のようないろんなことがあるわけで、
結局は気持ちの持ちよう一つ、という気もします。
今晩寝る時に、
『あー、今日は天気がよくていい一日だったなあ、』って思うか、
『あ~あ、今日は最悪の日だったなあ、』って思うか、
です。
心の余裕というか、大きさ、というか、楽観的、というか、
今流行の鈍感力、と言うか。
>小生にとっては、多分、それは、『手話』かもしれない…と思っています。
>それを思うとき、20年前に命を落とすかもしれない病気を患ったことに対して、むしろ感謝しなくては…と。
僕も昔大病をして、死にかけたので、Danchoさんと同じ思いです。
生きてるだけで丸儲け、です。
風屋さん、こんばんは。 ようこそいらっしゃいました。
>
北山耕平さんの本は岩手県立美術館を訪れた時に、美術館内のカフェの書棚で見つけ熱いコーヒーをいただきながら読んだことがあります。
アメリカ先住民の伝説について書かれた写真も豊富な本でした。
文化人類学に興味のある私にはとてもそそられる本でしたが
たくさん並んでいた本の中からなぜそれを手に取ったのか・・・
僕もまだそんなには読んでないのですが、
先ほど書いたような今の世の中に暮らしている僕らが、
先住民の暮らしの知恵の中から、学ばなきゃいけないこと、
すごくたくさんあるのだと思います。
「アメリカ・インディアンの世界には、そこに膨大な言葉による文化的な遺産
が残されていることに驚愕する。」
>こちらの記事を目にしてまず驚いたことと重なります。
字こそ違え、「きたやまこうへい」という名前は15年前に死んだ私の親父と同姓同名でしたので(笑)でもこの方の場合はペンネームだったのですね。
へー、それは奇遇ですね。
風屋さんのブログを見ていたら、いろいろ触発されて、書いてみたくなったことたくさんあります。また改めて書きますね。
>いい天気なことを、朝が気持ちいいことを、
>星がきれいなことを、ごはんがおいしいことを、よく眠れたことを、
>その一瞬一瞬を、しっかり感じて、おてんとうさまに感謝する。
>岩手に住んでいるとそんな毎日です(笑)
僕はたまたま生まれてからずーっと同じ町内に住んでいるんです。
旅は好きなので、花巻は残念ながら行ったことないのですが、岩手も含めて、いろんな町や村にも行きました。
前に書いた
マラケシュとか、スペインの片田舎の町にいたこともあります。
そんなところでは、
一日中、ボーっと、何をするわけでもなく、
空や雲や草原を見て暮らしている人って、結構いるわけなんですね。
亡くなった写真家の
星野道夫も、家がすぐそばで、友達でした。
アラスカの大自然の中で、一ヶ月先まで来ない迎えの飛行機を待ちながら、
毎日一人で一瞬のシャッターチャンスを求めて暮らしていた彼は、
どんな気持ちでいたのだろうか。
彼の本や写真集を見ても、生きることの原点は、そこだと思います。
Danchoさんにご紹介いただいた
風屋さんの
仕事という記事、興味深いものがありました。一部引用させてもらいます。
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私は仕事をお金だけのためにするつもりはない。
必要なだけ本を手に入れられ、
また他の情報も取得できる手段が得られれば、
家は雨風を防ぐ程度に、食事は生きるのに充分であれば、
できることならタバコを楽しむことができさえすれば、
それらを賄えるお金が少々あればそれでいい。
あとは自分の仕事が社会の中で何かしらの役割を担えるか。
自分の哲学や理念を実践できるかが私にとっての仕事だと思う。
それなりの成果が出せれば、適当なところで後進に道を譲り、
今の仕事からは足を洗って新たな社会的役割を模索したい。
それが金になろうとなかろうと
私にとってはそれが仕事。
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下記のコメントさせていただきました。
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この記事、とても共感できます。
最近特に僕もこういう思いが強くなっています。(ずっと昔からベースはそうですし、大学3年くらいまでは、絶対にあんな働き蜂のような社会人にはなりたくない、特にサラリーマンには絶対になるもんか、できれば遊んで暮らしていたい、と真剣に思っていました。)
いろんなことがわかってきたもので、昔の考え方とは違いますが、人に迷惑をかけない程度に、気ままにのんびり暮らしたい、と思っています。
何でも面白がれる才能はあると思うので、お金なくても、住む場所はどこでも、一人でさえも、それなりに楽しく充実した時間が作れるような気がしています。
楽観的ですし、O型ですし、いやなことはすぐ忘れちゃうし。
}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}
それに対する風屋さんのレスです。
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>nanaponさん (風屋)
いらっしゃいませ(^-^)
実は私も大学時代には、20数年後にネクタイ締めてそれらしく仕事をしていることになっていようとは夢にも思っていませんでした。
現に昔の私を知る人間たちは、いまだに「似合わねー」と言います(笑)
私のイメージは、破れたジーンズ穿いて走り回りながら
何かを作る仕事をドタバタやってるような感じでした。
流れに棹さす気はありません。
自分に与えられた役割と責任はきちんと全うしたく思います。
だからといって「出世したい」とはホンの毛ほども思わないのです。
自分に与えられた役割を自分なりの哲学と理念を持って担い、
それが社会にとって何かしかの役に立っていればそれでOK。
でもねぇ、時々「これでいいのかいな?」とも考えたりします。
基本的に商売人じゃないもんで
考え方のモノサシが経済人たちとは違うようですね(^^;
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ほんと、仕事って、たまたま長年やってきてしまったけど、
実績もスキルも肩書きも年齢も何も関係ないですね。
面白いことも、辛いことも、くだらないことも、いろいろある。
でもそれも含めて、自分の勉強、成長、向上、です。
仕事をやめようがどうしようが、死ぬまでずっと日々修行です。
今日もいい天気で気持ちよかったですね。