先日、
田坂さん の
新刊『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』について
書きました。
今日は、その話が、将棋の話と、つながっているのではという内容です。
この本の結論は、
「すべてのプロフェッショナルは、個人シンクタンクへと進化する。」
「個人シンクタンク」へと進化するための「7つのシンクタンク力」とは、
「インテリジェンス力」「コミュニティ力」「フォーサイト力」「ビジョン力」「コンセプト力」「メッセージ力」「ムーブメント力」
です。
では、いかにすれば、この「7つのシンクタンク力」を身につけ「個人シンクタンク」へと進化することができるのか、そのための6つの戦略。
1.「コンセプト・ベースの戦略」
インターネットを自分の「知的創造の場」とする。
2.「パーソナル・メディアの戦略」
良き影響力を持つ「自分だけのメディア」を育てる。
3.「プロフェッショナル・フィールドの戦略」
自分の「経験の智恵」を語れる専門分野を育てる。
4.「アドバイザリー・コミュニティの戦略」
人々の智恵が集まる「コミュニティ」を創り出す。
5.「ムーブメント・プロジェクトの戦略」
人々の行動を集めて「ムーブメント」を創り出す。
6.「パーソナリティ・メッセージの戦略」
自分の「パーソナリティ」を発信する。
この「6つの戦略」を貫く心得。
それは、自分というものが、他者から、組織から、社会から、
いかなる
「信頼」を得ているかどうか。
そしてそれは、突き詰めていくと、
自分のこだわり。
自分の思想。
自分の内なる魂。
「自分らしさの発見」ということになる。
今、誰もが簡単に情報が手に入るようになり、自分と言うもの、自分のアイデンティティとか、パーソナリティというものが、ますます問われる時代になりました。
良かれ悪しかれ、その部分にスポットライトが当てられてしまい、多くの人の前に浮き彫りになってしまう時代です。
例えば、身近な例。
田坂さんの話の中にもあったことですが、
話のうまいへた。
同じことでも、Aさんが話すと、とても楽しい気分になり、生き生きと伝わってくるけど、その同じことをBさんが説明すると、つまらない、何を言ってるかよくわからない、みたいなこと。
あるいは、会社の会議のこと。
ほとんど発言せず、単に誰かが言ったことの鸚鵡返しとか、言い方変えただけとか、で存在感の無い人。
よくしゃべるし、どんどんしゃしゃりでてくるけど、あっち飛び、こっち飛び、で、結局あんたの意見はどうなの?って、何も見えない人。
ほとんどしゃべらないけど、ポツリと言ったことが、誰も気づかない重要なポイントを掴んでいる人。
情報革命により、「言葉で表せる(専門的・最先端の)知識」の共有が進んだので、相対的な価値が下がった。
そして、「言葉で表せない智恵」が、重要な社会になった。
一人一人の力が、ガラス張りになった。
個人個人の
「メッセージ力」が重要な時代になってきた。
個人のプロフェッショナルフィールドが問われる。
パーソナリティや人間性、人間力が問われる。
人間を磨くこと、人間力を身につけていくこと。
心の動く、共感の得られる、メッセージを紡げているか。
法人としての企業や経営者も、その人間性やパーソナリティが大事になった。
IRとか、コンプライアンスとかいうことも、その証。
そのような時代の中で、
我々は、上記の6つの戦略を実践して、社会の中に、信頼とか、ブランドを、築いていかねばならない。
片上五段の
daichan's opinionの
最新の記事「その後の世界」を展望してみる」、読みました。
田坂さんの話は、ビジネスのプロフェッショナルはどうすればいいのか?
片上五段は、プロ棋士は、どうすればいいのか?
違う部分もあるとは思いますが、共通している部分がかなりある。
そう確信しました。
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前回書いたように、現在の僕は、近いうちに、少なくとも自分が現役でいるうちには、コンピュータに勝てなくなる日が来るだろうと考えている。そのとき将棋というものはどうなるか、プロの世界というのはどうなるのか。
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将来的に、コンピュータに勝てなくなった時、将棋の価値とは何か、と問いかけています。
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意識しているかどうかに関わらず、現在のプロ将棋界は「最高峰の技術」を見せるという側面が強いように思う。受け手も最高峰の戦いだからこそ、それを楽しみに見る。そこから徐々に変質して、「この人の対局だから見に行く」「この人が指しているから棋譜を見る」というような「この棋士」を見せるようになるのではないかと、僕は考えている。まあ当たり前と言えば当たり前なのだが、そういうふうに変わっていかざるを得ないように思う。それが一部のトップ棋士だけでなく、棋士一人一人に課せられていくような気がする。
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棋譜よりも、棋士に価値があると、言っています。
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いますぐにでもできることの一つとして、例えばもうすこし棋士の盤外の活動(これは何も「普及」に限らない)を表に出す努力を、連盟が組織として行っていくべきではないだろうか。棋士の価値を高める、あるいは宣伝していく努力が、もっと必要ではないかと強く感じる。
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棋士の盤外の情報をもっと出すことで、棋譜の価値が高まる、と言ってます。
片上五段のところにTBしている
WEB2.0(っていうんですか?)ITベンチャーの社長のブログにも共感する
意見が書かれています。
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「例えば、ドラムを叩くなんていうのはシンセサイザーに任せれば間違いなく人間より上手なんです。当たり前ですがリズム感は完璧です。最近はただ譜面どおりに叩くだけではなく、そこに個性を持たせることもできるようになってきています。厳密に言えば、これはドラムだけではなく、全ての楽器について言えることです。そんな時代になったとき、プロのアーティストはなぜ存在するのか。そのあたりに、ソフトが人間を越えた時代のプロ棋士のあり方のヒントがあるんじゃないですか」
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音楽と将棋。
この捉え方、面白いです。
ほんと、その通りですね。
ジャズなんかはそのプレーヤーの個性がかなり出るのだと思いますが、クラシックは、マニアじゃないとわかりにくいですよね。
同じ、第九とか、運命、とか、って曲を聞いて、これはカラヤンだとか、ウィーンフィルだとか、って、どこまで指揮者やオーケストラの個性が出ているんでしょうか?
シンセサイザーで作った音と、ストラディバリで弾いた音。
もちろんどんどん近づいているんだと思います。
アーティストの存在意義がより問われていることに間違いないでしょうが、ステージでの演奏という視覚的に楽しめる要素も大きいので、将棋のほうがより根深い問題かと思います。
IT革命によって、将棋に関しても、情報や知識は誰でも簡単に手に入るようになった。
人間のやっていたことが、どんどん侵食されてきた。
(
羽生さんの高速道路論にも共通する話。)
人間はどうすればいいのか。
より高度なことを問われることになる。
田坂さんの言葉を借りると、下記のようになる。
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「専門的な知識」ではなく「職業的な知恵」。
それはスキルやセンス、ノウハウやテクニック、さらにはマインドやスピリットといった「言葉で語れない知恵」だ。
別の言葉で表現するならば、例えば、「分析力」「直感力」「発想力」「企画力」「交渉力」「営業力」といった「何々力」と呼ばれる能力や知恵のことである。
「知的プロフェッショナル」と呼ばれる人材。その特徴は第1に「自立」、もう1つが「個性」だ。そして「豊かな経験」よりも「深い体験」が価値をもつようになる。
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単に物理的な勝つための技術。デジタル的な解。
高度だけど、物理的な無機質な意味の棋譜。
これはもう価値がないと思う。
技術書的な意味の棋譜は、価値がない。
例えば、どこかに対局者の名前がない棋譜があったとして、僕らの棋力では、それは、名人戦の棋譜なのか、C2クラスのものなのか、はたまたアマチュアのトップのものなのか、見分けが付かない。
そこに、羽生とか、森内とかの、人間が介在して、考え方や人生そのものが絡んで、そういう人間同士が生み出したものであるから、価値がある、と思う。
背景に長い将棋の歴史や、名人戦の歴史があるから、たくさんの棋士や人間が繰りひろげてきた世界があるから、その棋譜に価値がある。
「高速道路の先で、渋滞している、」という部分の解がここにあるかもしれない。
その対局者の個性や生き方、センス、マインド、スピリットといったものが関係しているからこそ面白い、と思う。
(このことを突き詰めていくと、女流=弱い=価値がない、という理論は崩れます。)
パーソナリティ力の勝負、ぶつかり合い。
人間力でどちらがどう勝っているか?
人間味溢れる指し手。
人間と人間の気持ち、気合、精神力、理性、知性、魂などの戦い。
物語、ドラマ、アート。
棋譜に血が通っているか。
棋譜に魂が感じられるか。
扇子の音、とか、寒がり・暑がり、とか、対局場におけることだけでなく、
盤外の棋士の情報も、今までよりずっと大事になると思う。
「横歩の取れない男に負けるわけがない」みたいな、マスコミを使った盤外の駆け引きなどは、対局者の性格が出ていて面白い。
コンピュータがしないこと、できないことは何か。
人間しかしないこと、できないこと、
人間だからこそすること、できること、とは何か?
人間らしさ、とは何か?
難しいです。
Web2.0革命によって、ビジネスにしろ、将棋にしろ、音楽にしろ、全ての分野で、このことが問われてきます。
将棋ソフトがどんどん高速化・高度化することによって、将棋の質や価値が、進化・変化していかざるを得ないように、すべてのことが変質・変革を求められています。
棋士の方々の、
メッセージ力、
パーソナリティ力、
心から期待しています。
僕らファンにとって、もっともっと将棋を楽しいものだと、思わせるように、がんばってください。
もしボナンザの方が強くなったからと言っても、棋士の対局の魅力度はさらに高まっていくことを願っていますし、応援しています。