即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

自然の摂理

2012年02月27日 15時09分13秒 | 雑感
地震、津波。

自然エネルギー。

食糧危機。

高齢化、少子化、これからの人口減少社会において、自然とどうつきっていくのかというのがますます重要になってくるはずです。

ちょっと前のだけど、ソフィアバンクの藤沢久美さんのインタビューが印象的だったこの記事を紹介します。

私たちは時代に足りないものを求めている

部分的に引用させてもらいます。
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「人とのつながり(Connected)や、コミュニティー(Community)を重視するC世代は、上の世代とどこが異なり、どこが共通しますか?」

若い人はその時代に足りないものに対してハングリー。今の経営者や管理職の人は若い時、お金やモノに対してハングリーだった。今の若者は共感や社会を良くしたいとの思いに対してハングリーだ。上の世代が「若者に元気がない」と感じるのは、自分たちがかつて渇望したものを今の若者が求めないからだ。

とても納得感のある回答だ。人は本能的に足りないものを求める、そして補おうとする。そう考えてみれば、時代背景が異なる世代間では、渇望するものも違って当然である。渇望するものが違うということは、熱を向ける方向も違うということだ。

年配者が若者にアドバイスする際には自分の経験に照らし合わせて行うと思うが、そもそも見ているものが違うという視点を忘れてはならないだろう。藤沢さんはさらに続ける。

社会的な課題をビジネスで解決する社会的起業に関心を持つ若者が多いのは、今の時代に足りないものを生み出したいから。高度成長期の若者はお金やモノを生み出すため、家電や車を作る会社に入った。この人たちが豊かさを築いている間に足りなくなった部分に、今度は今の若者が光を当てていると考えれば、若者の振る舞いとして自然ではないか。

最近では、社会的企業に興味を持つ若者が多いと聞く。それは、日本が豊かになり次の段階にシフトしていることを意味するのかもしれない。

社会的起業に限らず、私たちは潜在意識の中で、自分が見つけた「時代に足りないもの」を見つけては、それを解消することに意義を見いだしているのかもしれない。
おそらくそれは、価値観の違いや、何を源泉にして仕事をするのかという考え方の違いを生むだろう。

これは仕事だけに限らない。「シェア」というキーワードが注目されるのも、「モノが溢れていて、息苦しいぐらいだ」という環境で育った若者からしてみれば、極めてあたりまえのことだと思える。
モノが無かった時代からすれば「贅沢な話だ」と思うかもしれないが、「モノが増えすぎてしまった」という新しい問題提起によって、世の中はバランスが保っていくのだろうということに気づく。
ソーシャルメディアが求められるのも、ITによって希薄化してしまう人間関係を補おうとする力が働いているからなのかもしれない。

こうした視点で世の中を見ることで、様々なことをいままでと違う視点でみることができる。異なる世代でわかり合えない価値観があることにも随分納得がいく。

この視点は新しいサービスを考えるうえでも大切ではないだろうか。いま考えているアイデアは「何を補えるのか」という問い。それを追求することで、サービスに足りなかったものや、より深いコンセプトを見つける手助けとなるかもしれない。
恐らく未来を思い描く上でも、これは大切な視点となるだろう。
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とても納得させられる解釈です。
もやもやしていたものがふっ切れた気がします。

違う時代を生きてきた僕らと同じ価値観で測ってはいけない。
同じ土俵で、ハングリーじゃない、覇気がない、と言ったところで仕方がない。

いつの世でも、《その時の社会に足りないものを希求する》という自然の摂理。

僕らの世代がずっと後ろを振り返らずに突っ走ってきたことで、気づかずにおいてけぼりにしてきてしまったこと。
3.11という大きなショックもあり、今になってやっと気づいた大事な何か。
いや、ずっと忘れてきたわけではなく、何となくまずいかな、とは思っていたけど、ずっと先延ばしにしつつかなりの時間が経ってしまった。
反省しつつ、ここにきて方針変更せざるを得ない状況。
もともと我々が作ってきてしまった負の遺産をこれから誰がどうしていくのか。

メタボになり、精神的にも病んで、カラダのいろんなところが機能不全に陥っている時代。

人間の体は当然のことのように自然治癒力が働く。

《人は本能的に足りないものを求める、そして補おうとする。》

体調が悪ければ、さっぱりしたものを食べたくなる。
暑い所に行けば辛いものを食べたくなる。

そんなことと同じように、今の時代に足りない健康になるために必要なものを捜し求めるセンシティブな若者の本能。

いわゆる時代のリバウンド。

《私たちは潜在意識の中で、自分が見つけた「時代に足りないもの」を見つけては、それを解消することに意義を見いだしているのかもしれない。》

時代に足りないもの、次の時代に必要なものを察知する能力。
そこに価値を認め、自分なりの目的や使命感を感じて突き進もうとする意志の力。

こういう自然の力を持つ人間ってすごいと思うし、この力が十分に働くうちはまだまだ捨てたもんじゃないって気がします。
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よしなしごと

2012年02月25日 16時20分20秒 | 日記とニュース
ここのところ仕事の新たな展開もあり、公私ともにいろいろな飲み会も続き、落ち着かない日々が続いている。
そして確定申告もまだ途中だし、読まなきゃいけない本も山積みだし、カラダ動かしてないので増量中のためスポーツクラブにも行かなきゃいけないしという状況。
いつも何かに追われているようで気ぜわしい毎日。
どんどん増え続けるTO DO LISTの中で溺れそうな自分っていうのはいかがなものか。

そこに持ってきておととい突然PCが起動しなくなった。
もう5年ほど経つXPのデスクトップなので寿命と言えばそうなのだけど、いろいろ修復の仕方を調べたり聞いたりしながら回復コンソールにコマンド入れたりして何とかしようと夜遅くまで格闘中。
最悪、もしHDのデータがおじゃんになったとして、といろいろイマジネーションを働かせてみる。
1か月ほど前に仕事のデータはバックアップしたのでそこはほとんど問題ないと仮定して、この一か月間でやった確定申告の各種計算とか数字を整理したエクセルシートが頭痛い。
それと一年前からバックアップしてない住所録。
ここ一か月で撮った写真データ。
いや、まだまだいろいろあるはずだ。

そんなことに頭を巡らせつつ、いろいろ悩みつつ考えるのは、仕事もプライベートも含め、もっとやめること、あきらめることを増やさないといけない、ということ。

もともと好奇心、探究心にかけては人後に落ちない方だし、昔から幹事のような役割は回ってきちゃう方だし、この性格だとどんどん自分の首を絞めてゆったりした時間が過ごせなくなってくる。
しかしゆったり過ごすよりもあわただしくどんどんこなしたり進めたりする方が充実感、達成感があったりするのもまた事実。

ここが思案のしどころか。
どういう時間が自分に取って心地いいのか。
どんなふうに過ごすことが自分に取って幸せなのか。

などと、最近の自分を反省しつつ、あれこれ思いを巡らせる週末。

いや、早いとこPC修復しないと来週から大変だぞ。
データに固執するのかきっぱりあきらめてどうにかしようとするのか。
ここもまたまた思案橋。

よしなしごと。
そうか、もう、『よしな、仕事』って言うくらいだから、あれこれ悩まずにどうにでもなれって感じでケツをまくるか。

あーもー、やーめた。
スポーツクラブ行って久々に汗かいてくることにしよう。
すっきりしてビール飲んで、ゆっくりテレビでも見るかな、今日は。
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ソーシャルな生き方

2012年02月22日 11時10分39秒 | 雑感
原発のこと、復興のこと、年金のこと、米軍基地のこと、増税のこと、などなど。

たくさんの課題が目前に山積みになっている。

今これだけ困難に直面している日本で、我々は何をどう判断して、どのような道を選択していくのか。

政治家や官僚にはまかせておけないし、マスコミは頼りにならないから、自分たちで情報収集し、何が真実かを見極め、スパッとはいかないまでも悶々としつつも判断したり、行動したりしていかないと何も進まない。

我々がひとつひとつのことを勉強して、理解して、議論して、より良い方向を模索していかないといけない。

原発の国民投票をという運動も進んでいるようです。

ここで問題になるのは我々ひとりひとりの意識とか理性。

サンデル教授の究極の選択ではないけれど、とことん客観的に考え抜くことが必要。

長期的、多面的、根本的に現代社会の問題について考えないと。
これからどのような幸せを求めていくのかを刷り合わせないと。

百人百様の考え方がある中で、ひとつの方向に収斂させていくために必要なのは、
基盤となる確かな情報共有、リアルやネットを通じたオープンな議論の場や空気、キュレーターとでも言うべき知見やリーダーシップのある人たちの活躍、そしてひとりひとりの危機感や幸せへの希求度に基づく明確な自主性と意志。

何でもそうだけど、反対派、賛成派に分かれて平行線で折り合わない。
相手の意見を尊重するとか傾聴しようとする姿勢もない。
自分の意見の正当性というより、自分の固定観念でがんじがらめになっていて誰がどう言おうが身動きが取れない状況になっているので、譲歩も進展もない。
こうなると行き詰って膠着状態にまま局面は一向に動かない。

何よりも自分は少しでも損をしたくない。
既得権益を損ねられることは徹底抗戦する。

例。
あなたの街に米軍基地が移転してきます。
あなたの家の隣にゴミ処理場ができます。
あなたの家のところは道路ができるので移転してください。
財政が破たんしそうなので、あなたの年金はもらえません。

自分が若い頃のことを考えたら、自分のことで精一杯だったし、世間の事情、社会の環境など、考えも及ばなかった。
ある程度生活の余裕ができてこないと難しい。
お金や目先のことだけではないいろんなことがある。
たくさんの人に支えられて今があるのだから、その分お返ししなきゃという意識。

要は皆ができるだけ利己を排除して、社会全体の利益や幸福を考えた判断や選択ができるのかどうかがキーだと思う。

ソーシャルな視点。

自分だけ良ければいい、という理屈をどこまで排除できるのか。

どれくらいの人がどんな我慢を強いられるのか。
どれくらいの弱者を救えるのか。
どれくらいのコスト負担なら受け入れられるのか。

立場の違い。意見の対立。文化的背景の違い。

ヴォルテールが言ったという言葉。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」

民主主義ってものの難しさ。永遠に解けない問題。

これからどんな社会を目指すのか。

それぞれの立場があるので悩ましい。

我々と若い世代の立場も違う。
もっと先の世代の幸福のことも考えなければいけない。
グローバルな世の中ですべてはつながっているのだから、中国やインドの人たちの事情だって慮らないといけない。

それにしても一番自分たちのことしか考えてないのは、政治家や官僚や大企業などの既得権益にぶら下がっているだけの人たち。
選挙のため、票田のため、保身のため、利権のためだけに全精力を使っている。

さて、もうすぐ迎える3.11.
2年目に向けて、ソーシャルという視点、生き方をますます追求していきたいと思う今日この頃です。
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“シューカツ”雑感

2012年02月17日 13時49分32秒 | 雑感
今の日本の状況。
政治も経済も財政も教育も、何もかもが問題山積み。
従来からの流れではもう立ちいかないので一刻も早く思い切った改革をしないと先はない。
どんどん沈没に向かっていく悲しい日本国の現状。

最近、ひょんなことから学生さん二人と会って、就職相談、人生相談のような話をしたのだけど、現在の就職に関する状況はいろいろな意味で厳しいし時代とともに様変わりしてるのを改めて実感した。

大卒の就職内定率は約7割。

うーん、3割はあぶれてるわけだよねえ。
単に企業側の受け入れ状況もあるのだろうけど、それと関係なく、就職しない人、大学院に行く人も多いようだ。
震災のこともあり、先行きは不透明極まりないし、一寸先は闇。
この先は誰にもわからないし、どうなることか予想もつかない。

最近のこんな記事。
この国はきっと滅びる!就活のバカたち 学生もバカなら、面接官も大バカ

ほんと読んでいてあきれ果てました。
当事者じゃないから言えるのかもしれないけど、こんな茶番劇に皆で現を抜かしている現状をなんとかしないと日本はますますだめになりますね。

(一部引用します。)--------------------------------------------
「今の採用面接は、本人の美点ばかりを聞いて、学生は準備した模範回答を淀みなく答える。採用する側も面接を受ける側も嘘っぽい。そんな面接をしたところで、専門知識以外の教養や人としての厚み、個性がわかるはずがない。これでは、本当にその人のことを理解したとはいえません。
  
<中略>

 面接で〝変化球〟の質問が飛んでくるのも定番になっている。学生たちは、ここで何とか上手いことを言おうと腐心するのだが、その問いの内容をよくよく見ると、滑稽なものばかりだ。
「いま、1億円手に入ったらどうしますか?」
「あなたを四文字熟語で表現してください」
「新しい祝日を作ってください」
「お酒は人生に必要だと思いますか?」
「誰かひとり、歴史上の偉人にあだ名をつけてください」
---あなたなら、こうした問いに何と答えるだろうか。

<中略>

 マニュアル漬けの学生たちと、どこかピントのずれた大人たち。どっちもどっちと言いたくなる就活戦線の実情に、驚き呆れる読者も多いだろう。

 なぜ昨今の就活は、これほどまでに〝茶番劇〟となってしまったのか。

<中略>

 一方で、就活が基準不明の面接重視になった責任は、学生や大学側にもある。
「学生からすると、楽な講義で単位を取り、課外活動に専念した方が面接で話せるネタが増える。一方の教授も、講義なんて手を抜いて、自分の研究時間を増やしたいというのが本音です。企業はそれを知っているから、大学の成績など見ずに面接ばかり重視する。

 いい人材を得るためには多くの学生に会わねばならず、勢い就活はどんどん早期化・長期化してしまう。現在の就活の様々な問題点は、いわば、学生、大学、企業による複合的な負のスパイラルによって生まれたものなんです」

<中略>

 政治家や官僚もそうですが、偏差値は高くても、対症療法しか打てない、長期的展望のない人ばかり。だから、今の日本は路頭に迷っているではないですか。

 バカが馬鹿馬鹿しい方法でバカを選ぶ。そんな就活を続ける限り、この国はいつか滅びるだろう。
------------------------------------------------
何やってんだろうか。
こんな馬鹿げたことがどんどんエスカレートしてるようです。
これでは日本の閉塞状況は止まらない。
単にいい大学出て、大企業に潜り込み、一生安泰に暮らすという図式は成り立たないということがはっきした現在、新たな日本の将来ビジョンを描いて、そのためにどのような教育制度、就職や採用のあり方がいいのかを再設定することが重要課題なのだと思う。

ソニーがこんなことを発表しました。
日本のシューカツのルールを変えよう。

・それぞれの個性を大切にしたい。
・自分の進むべき道を自分の頭で考えてさまざまな選択肢を可能にする。
・選考方法も自分に合ったものを選べる。
・スーツじゃなくてもいい。最も自分らしい服装。

従来の常識を打ち破った新たなシューカツの提案です。

時代とともに、“働くこと”、“仕事”のとらえ方、意味合いが変わってきている。

単に大企業に潜り込んでぶら下がって安定したところに身を置くということではもうないはず。

自分は何をしたいのか。
自分らしく自分は何ができるのか。
社会にどう役立てるのか。
傍を楽にする(=はたらく)ために、自分は何をするのか。

これからの時代の就職は、職に就くのではなく、自分で職を創るってこと。
その中に企業に勤めるということも含め、自分で主導的に設計していく。
自分がしたい自分らしい仕事を職業にしていく。

就職でなく、創職。
草食でなく、創職。


そして仕事をしながら失敗したり勉強したりして成長していく。

職育。

あの気持ち悪いほど画一的なリクルートスーツの群れを見ていて感じるのは、何よりも「時代に合ったシューカツという概念」を作っていくことが最重要課題なのだと思います。
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密室の恐怖

2012年02月10日 16時32分56秒 | 仕事
最近テレビのニュースやドラマでも良く目にするし、ほんと怖い光景がこれ。

全員がパソコンやタブレットを持ち込んで、ペーパーレスで黙々とやってる会議です。

つい先日の朝日新聞の記事です。
朝日新聞デジタル:IT漬けが会社をダメに。「断食」を

「会議は顔を合わせ、意見や思いをぶつけあったり交換したりしながら、アイデアを見つけるとか行動への決定を導くとか、そのためにあります。『報告書にこうあるけど、本当はどうなんだ』『現場はこうでした』などと出し合い、ガチンコで議論する場です。それなのにみんなが会議中、画面を見ていたら、集まった意味がありません」

そして、『トップレス・ミーティング』を提唱しています。

『トップレス・ミーティング』
=デジタル機器の持ち込みを禁止する会議。紙とペンだけ持って集まり、ガチで議論する。

そうありたい、そうあるべきです。

自分はずっといた会社でもこんな風にはしなかったので(デジタル化が遅れていたとも言える。)、たまにクライアントや協力会社などに行ってこういう光景に出会った時、すごく違和感を感じる。
いたたまれない気分になる。帰りたくなる。

例えばこっちがプレゼン(説明)していても、誰もこちらの顔も見ないで、うつむいたままひたすらカシャカシャ打ち込んでいる。
かなりのスピードで入力してるけど、一言一句メモしてるんだろうか。

こっちの顔、少しは見ろよ。

そうだと思ったら頷くとか、多少でも受けたら笑顔を見せるとか、感心したような顔でもしてほしいけど、無表情。無機質。無関心同然。

最近ほんと、よくいますよね。
いつなんどきでもノートPCを常に手放せない人。
何でもかんでもすぐに開かないと落ち着かない人。
夢中で画面に向かっててなんだか余裕がない人。

あんたの頭はPCかい?
相手の目を見て、自分の頭で考えて、自分の言葉でしゃべったらいいんでないの?

PC依存症。
デジタルウィルス症候群。

でじたる五段活用。

でじたる。
でじたらない。
でじたります。
でじたれば。
でじたろう。

そう、あんたは『でじたろう』でっせ。

1日だけでもいいから、PC使わずに仕事してみたらいいと思う。(多少は自分にも言ってる。)
ノートを広げてペンを持って、考えたことを書いていく。
そして、頭を使ってちゃんと考える癖をつける。
PCの中にデータや情報は腐るほどあるのだろうけど、PCは人間の脳みたいに考えてくれないよ。(ここで先日の電王戦、そしてそのクローズアップ現代を思い出す。)

カシャカシャやってて人の話聞いてる風にしてるけど、結局あんたはどう思うの?どうしたいわけ?
あんたの意志、気持ちを言ってほしいんだけどさ。

こっちがいろいろしゃべってる間、あんたはずっと入力してるけど、そんな大事なこと、別にオレしゃべってないよ。
単なる雑談じゃん。
そんなことまでメモしてどうすんねん。

こういう場にいると気分が悪くなります。

たまたま昨日のこの記事にも似たような話が出てました。
田原総一朗×長谷川幸洋後編「言論の自由は戦って勝ち取るもの。自分の回りと喧嘩したほうがいい」
(一部引用します。)--------------------------------------------
☆現場の記者が政治家の顔も見ていない

田原: ある新聞のトップが言ってたんですが、とにかく記者会見でどの記者も会見している政治家の顔も見ていない、と。どういう表情かも見ていないで、ひたすらキーボードを打っている。まるでパソコンのアシスタントだ、というんです。

 <中略>

田原: これもある新聞のトップが言っていたんだけど、「記者会見の要点は何だ」と聞くと、現場にいる記者は誰も答えられないというんですね。だからデスクが書いちゃうんですよ。

長谷川: 記者が現場から送ってくるテキストを、テキストを取るから「取りテキ」というらしいんです。その取りテキを200行も300行も書く記者ほど使える立派な奴だと評価されるというんですが、どうかしていますよ、そんなのは(笑)。

田原: こんなのは新聞記者じゃない。だったらそういう技術者を雇えばいい(笑)。なんでだろう、いつからそうなったんですかね?
------------------------------------------------
特にゲームやデジタルで育った若い世代。
リアルの人間同士のコミュニケーションよりも、デジタルコミュニケーションが得意。

どんどんこの流れは増長していくから、ますます不気味な世の中になる。
逆の意味で生産性の上がらない社会になる。

朝日の記事にもあるように、本来ITは時間を作るためにあるはずのもの。
作業を効率的に済ませ、もっと質の高い仕事をするとか、生み出した時間で現場に行くとか人に会うとかするためにあるものなのに、その便利さにすっかり溺れている我々がいる。
IT断食をしないと。

あんまり過度にでじたらないで、適度にでじたるようにしよう。

もう少し、人間らしく、気楽な感じであなろげよ!、ね?
コメント (2)
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言葉は社会の鏡

2012年02月07日 00時29分32秒 | 雑感
先日、沈黙は金という記事を書きました。

その中で、川口マーン惠美さんの「子供」より「子ども」が正しい!?差別用語狩りより、美しい日本語を残していくことに知恵を絞るべきという記事を取り上げたのですが、今日もその続きで、最近の日本語の状況についてです。

日本語問題については、以前、かなり深刻なコンプライアンス病の蔓延という記事でも書きましたが、「させていただきます」という言葉の横行など、憂いていること、気になっていることがたくさんあります。
日本語のこだわりという記事には『らぬき言葉』が許せないとまで言っています。

温厚に見えるかもしれないけど、このオジサン、結構うるさいのね。

さて、上記記事より部分的に引用させてもらいます。
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 さて、私が日本で提言したいのは、差別用語狩りよりも、まともに言葉を使うことのほうだ。日本語が乱れているというのは昔から言われていることだが、最近、敬語の使い方の間違いがとりわけ目に付く。敬語が家庭で死後になってしまったからか、それとも、ゆとり教育のせいで"頭の不自由な人"が増えたのか・・・?

 (中略)

 もう1つ気になるのは、自分の親のことを話すとき、「お父さん」、「お母さん」と言う人。友達同士の会話ならともかく、その他の場では「父」、「母」という言葉を使ってほしい。日本語のとても上手なドイツ人学生と日本語で話していたとき、彼が「私のお母さんが」と言ったので、「あなたほど日本語が上手な人が"お母さん"というのはおかしいわ。自分のお母さんのことを話すときは"母"でしょう」と注意すると、"初めて聞きました"みたいなキョトンとした顔をした。

 そういえば、有名なスポーツ選手やスターと言われる人たちが、軒並みインタビューで「お母さん」と言っているくらいだから、この学生が「母」の使い方を知らなかったのは無理のないことかもしれない。しかし、こういう大切なことこそ、外国人相手の日本語の教師はちゃんと教えるべきだと思う。

 さて、この優秀な学生も、敬語はときどき間違う。先日、会う約束をしたら、メールに「とてもお楽しみにしています」と書いてあったので笑ってしまった。まあ、外国人だから笑って済ませられるが、れっきとした日本人の大人が、これと似たような間違いを犯すのは見逃せない。電話で出た娘さんにお母さんへの伝言を頼むと、「はい、お伝えしておきます」。あるいは、「車にご注意してください」、「傘はお持ちしていますか?」など。

 (中略)

 正しい日本語を聞くのは、とても心地よい。特に、敬語は西洋の言葉にないだけに、表現の美しさ、繊細さが際立つ。敬語が正しく使ってある文章は、格式ばった手紙も優しい会話も、どちらも美しく、どちらも格調高い。日本語はなんと優雅で高度な言葉なのだろうと思う。
------------------------------(引用終わり)

いろいろ気になることはあるけれど、子供を注意しなきゃいけない親の世代がもうボロボロになってるからどうにもならないですね。

人前で親のことを言うときに、いい年して「お父さん」「お母さん」と言ってるのはとてもがっかりしちゃう。
テレビでは、モーグルの上村愛子とか、サッカーの清武も先日こう言っていました。
(あ~あ。昨日のシリア戦は残念。勝ち点1でもいいや、時間かせごう、と思った瞬間の油断ですね。)

ここで、最近の日本語を象徴するような事例。

奇妙で秀逸なみんなの日常 on Twitterというサイト、思わずプッと噴出してしまう秀逸なtweetがいっぱい載ってますのでご覧ください。
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★最近敬語が乱れていると言われるが、「ヤバいっすね!」と丁寧に言おうとしたらしき後輩が「やぼうございますね」と言っていた時は、確かに日本の行く末が心配になった。
★コンドーム買ってったお客さんに向かって「こちらのコンドームはすぐお使いになりますか??テープで良いですか??」って言い放ったバイト仲間ぶっ叩いたけどごめん心の中では拍手してた店長爆笑してたひどいお客さんも良い人で良かった心底ほっとした…が「すぐ使い...ます」の彼氏の顔、忘れない。
★マックにて高校生の会話。国語の俳句を勉強しているらしい。 A「ナゲット食べる?」 B「いや、いいや。ありがとう」お裾分けを断りつつも、ありがとうが言えて素晴らしい。 A「じゃあ、いくよ…柿食えば?」 B「いや、それもいいや」 A「いやお裾分けじゃねぇよ!?」何か、素晴らしい。
★ドライブスルー あまりの忙しさに「いらっしゃいませコンニチハ。マイクに向かってご注文をどうぞ!」って言うとこを「いらっしゃいませコンニチハ。マイクに向かってコンニチハ!!」 全身から汗がふきでたよモニターの向こうのドライバーも、「こ、こんにちは…」 とか言ってるし
★夫に「誕生日プレゼントは何がいいかね?頭にリボン巻いて『プレゼントはわ・た・し♡』ってしようか?」って言ったら「脂っこいものはちょっと」って断られた
★地元ではドコモショップに「学生の皆さん、犬の言うことに騙されてはいけません」って書いてあった
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「やぼうございますね」の例を引き合いに出そうと思ったのだけど、他も面白いので日本語問題のテーマとずれちゃいましたが、ついついいくつか印象的なものを“ご紹介させていただきお伝えしておきます”。

昨今の日本語、かなりやぼうございませんでしょうか?
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ふ・ふ・ふ

2012年02月01日 17時09分43秒 | facebookとtwitter
あっという間に今年も2月になっちゃいましたね。
ブログちょっとサボリ気味ですので、今日はfacebookなどで最近出会った秀逸な画像たちを何回かに分けてご紹介します。
お楽しみください。
まずは一目でわかるお笑い系と癒し系。
説明不要ですね。

あらまあ。

ちゃんと読めちゃうのが不思議。

さりげないユーモア。

いいでしょ?

ナイスな返し技。

ここまでやるう!?

自然は天才。

怖い。ノーコメント。

B型の方!僕はO型です。

どこにでもいるこういうやつ。



大器。

クイズ。

元気が出る。

笑える。

風邪、流行ってます。

ほんとかよ。

変換を尊敬。

まだまだあるのでまた次回。
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