地震、津波。
自然エネルギー。
食糧危機。
高齢化、少子化、これからの人口減少社会において、自然とどうつきっていくのかというのがますます重要になってくるはずです。
ちょっと前のだけど、ソフィアバンクの藤沢久美さんのインタビューが印象的だったこの記事を紹介します。
私たちは時代に足りないものを求めている
部分的に引用させてもらいます。
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「人とのつながり(Connected)や、コミュニティー(Community)を重視するC世代は、上の世代とどこが異なり、どこが共通しますか?」
若い人はその時代に足りないものに対してハングリー。今の経営者や管理職の人は若い時、お金やモノに対してハングリーだった。今の若者は共感や社会を良くしたいとの思いに対してハングリーだ。上の世代が「若者に元気がない」と感じるのは、自分たちがかつて渇望したものを今の若者が求めないからだ。
とても納得感のある回答だ。人は本能的に足りないものを求める、そして補おうとする。そう考えてみれば、時代背景が異なる世代間では、渇望するものも違って当然である。渇望するものが違うということは、熱を向ける方向も違うということだ。
年配者が若者にアドバイスする際には自分の経験に照らし合わせて行うと思うが、そもそも見ているものが違うという視点を忘れてはならないだろう。藤沢さんはさらに続ける。
社会的な課題をビジネスで解決する社会的起業に関心を持つ若者が多いのは、今の時代に足りないものを生み出したいから。高度成長期の若者はお金やモノを生み出すため、家電や車を作る会社に入った。この人たちが豊かさを築いている間に足りなくなった部分に、今度は今の若者が光を当てていると考えれば、若者の振る舞いとして自然ではないか。
最近では、社会的企業に興味を持つ若者が多いと聞く。それは、日本が豊かになり次の段階にシフトしていることを意味するのかもしれない。
社会的起業に限らず、私たちは潜在意識の中で、自分が見つけた「時代に足りないもの」を見つけては、それを解消することに意義を見いだしているのかもしれない。
おそらくそれは、価値観の違いや、何を源泉にして仕事をするのかという考え方の違いを生むだろう。
これは仕事だけに限らない。「シェア」というキーワードが注目されるのも、「モノが溢れていて、息苦しいぐらいだ」という環境で育った若者からしてみれば、極めてあたりまえのことだと思える。
モノが無かった時代からすれば「贅沢な話だ」と思うかもしれないが、「モノが増えすぎてしまった」という新しい問題提起によって、世の中はバランスが保っていくのだろうということに気づく。
ソーシャルメディアが求められるのも、ITによって希薄化してしまう人間関係を補おうとする力が働いているからなのかもしれない。
こうした視点で世の中を見ることで、様々なことをいままでと違う視点でみることができる。異なる世代でわかり合えない価値観があることにも随分納得がいく。
この視点は新しいサービスを考えるうえでも大切ではないだろうか。いま考えているアイデアは「何を補えるのか」という問い。それを追求することで、サービスに足りなかったものや、より深いコンセプトを見つける手助けとなるかもしれない。
恐らく未来を思い描く上でも、これは大切な視点となるだろう。
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とても納得させられる解釈です。
もやもやしていたものがふっ切れた気がします。
違う時代を生きてきた僕らと同じ価値観で測ってはいけない。
同じ土俵で、ハングリーじゃない、覇気がない、と言ったところで仕方がない。
いつの世でも、《その時の社会に足りないものを希求する》という自然の摂理。
僕らの世代がずっと後ろを振り返らずに突っ走ってきたことで、気づかずにおいてけぼりにしてきてしまったこと。
3.11という大きなショックもあり、今になってやっと気づいた大事な何か。
いや、ずっと忘れてきたわけではなく、何となくまずいかな、とは思っていたけど、ずっと先延ばしにしつつかなりの時間が経ってしまった。
反省しつつ、ここにきて方針変更せざるを得ない状況。
もともと我々が作ってきてしまった負の遺産をこれから誰がどうしていくのか。
メタボになり、精神的にも病んで、カラダのいろんなところが機能不全に陥っている時代。
人間の体は当然のことのように自然治癒力が働く。
《人は本能的に足りないものを求める、そして補おうとする。》
体調が悪ければ、さっぱりしたものを食べたくなる。
暑い所に行けば辛いものを食べたくなる。
そんなことと同じように、今の時代に足りない健康になるために必要なものを捜し求めるセンシティブな若者の本能。
いわゆる時代のリバウンド。
《私たちは潜在意識の中で、自分が見つけた「時代に足りないもの」を見つけては、それを解消することに意義を見いだしているのかもしれない。》
時代に足りないもの、次の時代に必要なものを察知する能力。
そこに価値を認め、自分なりの目的や使命感を感じて突き進もうとする意志の力。
こういう自然の力を持つ人間ってすごいと思うし、この力が十分に働くうちはまだまだ捨てたもんじゃないって気がします。
自然エネルギー。
食糧危機。
高齢化、少子化、これからの人口減少社会において、自然とどうつきっていくのかというのがますます重要になってくるはずです。
ちょっと前のだけど、ソフィアバンクの藤沢久美さんのインタビューが印象的だったこの記事を紹介します。
私たちは時代に足りないものを求めている
部分的に引用させてもらいます。
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「人とのつながり(Connected)や、コミュニティー(Community)を重視するC世代は、上の世代とどこが異なり、どこが共通しますか?」
若い人はその時代に足りないものに対してハングリー。今の経営者や管理職の人は若い時、お金やモノに対してハングリーだった。今の若者は共感や社会を良くしたいとの思いに対してハングリーだ。上の世代が「若者に元気がない」と感じるのは、自分たちがかつて渇望したものを今の若者が求めないからだ。
とても納得感のある回答だ。人は本能的に足りないものを求める、そして補おうとする。そう考えてみれば、時代背景が異なる世代間では、渇望するものも違って当然である。渇望するものが違うということは、熱を向ける方向も違うということだ。
年配者が若者にアドバイスする際には自分の経験に照らし合わせて行うと思うが、そもそも見ているものが違うという視点を忘れてはならないだろう。藤沢さんはさらに続ける。
社会的な課題をビジネスで解決する社会的起業に関心を持つ若者が多いのは、今の時代に足りないものを生み出したいから。高度成長期の若者はお金やモノを生み出すため、家電や車を作る会社に入った。この人たちが豊かさを築いている間に足りなくなった部分に、今度は今の若者が光を当てていると考えれば、若者の振る舞いとして自然ではないか。
最近では、社会的企業に興味を持つ若者が多いと聞く。それは、日本が豊かになり次の段階にシフトしていることを意味するのかもしれない。
社会的起業に限らず、私たちは潜在意識の中で、自分が見つけた「時代に足りないもの」を見つけては、それを解消することに意義を見いだしているのかもしれない。
おそらくそれは、価値観の違いや、何を源泉にして仕事をするのかという考え方の違いを生むだろう。
これは仕事だけに限らない。「シェア」というキーワードが注目されるのも、「モノが溢れていて、息苦しいぐらいだ」という環境で育った若者からしてみれば、極めてあたりまえのことだと思える。
モノが無かった時代からすれば「贅沢な話だ」と思うかもしれないが、「モノが増えすぎてしまった」という新しい問題提起によって、世の中はバランスが保っていくのだろうということに気づく。
ソーシャルメディアが求められるのも、ITによって希薄化してしまう人間関係を補おうとする力が働いているからなのかもしれない。
こうした視点で世の中を見ることで、様々なことをいままでと違う視点でみることができる。異なる世代でわかり合えない価値観があることにも随分納得がいく。
この視点は新しいサービスを考えるうえでも大切ではないだろうか。いま考えているアイデアは「何を補えるのか」という問い。それを追求することで、サービスに足りなかったものや、より深いコンセプトを見つける手助けとなるかもしれない。
恐らく未来を思い描く上でも、これは大切な視点となるだろう。
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とても納得させられる解釈です。
もやもやしていたものがふっ切れた気がします。
違う時代を生きてきた僕らと同じ価値観で測ってはいけない。
同じ土俵で、ハングリーじゃない、覇気がない、と言ったところで仕方がない。
いつの世でも、《その時の社会に足りないものを希求する》という自然の摂理。
僕らの世代がずっと後ろを振り返らずに突っ走ってきたことで、気づかずにおいてけぼりにしてきてしまったこと。
3.11という大きなショックもあり、今になってやっと気づいた大事な何か。
いや、ずっと忘れてきたわけではなく、何となくまずいかな、とは思っていたけど、ずっと先延ばしにしつつかなりの時間が経ってしまった。
反省しつつ、ここにきて方針変更せざるを得ない状況。
もともと我々が作ってきてしまった負の遺産をこれから誰がどうしていくのか。
メタボになり、精神的にも病んで、カラダのいろんなところが機能不全に陥っている時代。
人間の体は当然のことのように自然治癒力が働く。
《人は本能的に足りないものを求める、そして補おうとする。》
体調が悪ければ、さっぱりしたものを食べたくなる。
暑い所に行けば辛いものを食べたくなる。
そんなことと同じように、今の時代に足りない健康になるために必要なものを捜し求めるセンシティブな若者の本能。
いわゆる時代のリバウンド。
《私たちは潜在意識の中で、自分が見つけた「時代に足りないもの」を見つけては、それを解消することに意義を見いだしているのかもしれない。》
時代に足りないもの、次の時代に必要なものを察知する能力。
そこに価値を認め、自分なりの目的や使命感を感じて突き進もうとする意志の力。
こういう自然の力を持つ人間ってすごいと思うし、この力が十分に働くうちはまだまだ捨てたもんじゃないって気がします。