即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

アラフォーの時代

2013年06月26日 11時43分06秒 | 将棋

先日の棋聖戦第二局。三冠対決はまたも羽生棋聖の快勝でした。

今年になってから朝日杯優勝、NHK杯優勝、王将位獲得、棋王位獲得、最優秀棋士賞、棋聖戦挑戦者と飛ぶ鳥を落とす勢いだった渡辺竜王は、先日の棋聖戦第一局、A級順位戦緒戦の深浦戦、そして王座戦トーナメント準決勝の郷田戦に続いてまたしても“らしさ”のまるで出ない敗戦でした。

竜王ファンの方もすっかりいじけちゃってます

もう秋の竜王戦10連覇に向けて調整段階に入ったなんてことはないでしょうけど、春の勢いが止まってしまい、一体どうしちゃったのでしょうか?

昔、2007年、2008年くらいに、羽生世代になかなか勝てない渡辺竜王を筆頭にした20代棋士たちに対する応援歌3部作を書きました。

20代の反乱

20代の反乱・その2

30代に負けるな!

それから、これは去年ですが、一時はそうでもなかった羽生世代がまた一丸となって台頭してきたことを書いた記事、羽生世代3部作とおまけです。

羽生世代の逆襲

羽生世代の復権

羽生世代の時代

まわるまわるよ時代はまわる

さて、今年のA級順位戦が始まりました。

昨日は今年も本命の羽生三冠、危なげなく初戦をものにしました。

今年のメンバーを改めて見てみましょう。

棋界のトップの10人、いや、森内名人も入れて、世界のベスト11。

この11人を年齢別に見ると、なんと9人が37歳から43歳に固まってます。

そして、あとの二人は渡辺竜王の29歳と谷川九段の51歳。

こんな分布になります。(PC環境によってうまく出てるかな?)

 ・・30  ・・・・・・・・・・・・・・・      40    ・・・・・・・・・・・・・・・  50 ・・

★              ★★★★★★★★★                ★


固まりすぎだろ!?!

なかなかスポーツの世界ではありえない構図です。

いつまでこんなイメージの勢力図になっているのだろう?

渡辺竜王も言ってたし、そんなに世代論を気にしてる人はいないのだろうけど、 この世界のベスト11の年齢分布はかつてはあり得なかったと思う。

すでに30代に突入してしまった橋本八段、山崎七段、阿久津七段、松尾七段。

そして、伸び盛りの20代の広瀬七段、豊島七段、それに続く佐藤天彦七段、戸辺六段、稲葉六段、中村六段、などなどこのアラフォーの塊を押しのけて行かないといけません。

しかし、考えてみれば、大山十五世名人は別格にしても、米長新名人誕生が49歳11か月。

それを考えたら、谷川九段もそうだけど、島九段、森下九段、中村九段あたりの世代もまだまだタイトル戦に出てきてほしいです。

昨日のウィンブルドンの伊達のプレー。

いろんな引き出しを使って若手を走らせて、省エネプレーで完勝。

本人も楽しいし、見てる方もさすがだと唸ってしまう。

ジャンボや中嶋がレギュラーツアーでの活躍、そして山本昌や谷繁などの頑張りを見ているとベテランの活躍の余地だって十分にある。

それにしても、この偏り、この真ん中の塊は何を表しているのか?

昔の将棋と、コンピュータができてからの現代将棋との狭間の世代だから強いということもあるのだろうか?

この現状の分布図を眺めつつ、3年後、5年後はどんな構図になっているのか、想像しつつ、棋聖戦、王位戦、王座戦と続く熱戦を楽しみたいと思っています。 

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声帯と生態の関係について

2013年06月22日 19時47分16秒 | 日記とニュース

最近とみに一人でカフェに行くこと多いです。

打ち合わせの合間の空き時間などにゆっくりと頭の整理、資料の読み込み、企画書等作成、読書、メール、スマホで将棋観戦、スマホの充電などなど、結構長時間いることもしばしばです。

川島さんもそうらしいけど、何かにつけ折に触れ頭の切り替えタイムとしてカフェを使っているので、カフェ in 中毒とも言われています。

先日のこと。

隣でしゃべってるオジサン5人連れがうるさくて集中できない。

大体さ、オジサン5人連れでお茶飲みになんか来るなよ。

怪しまれて誤認逮捕されちゃうってば。

何話してるかも全部聞こえちゃうから、聞く気もないけど、聞いてしまう。

そんなつまんない話ずっと聞いてる場合かよ、早く仕事しろよ!って自分に突っ込み入れるのだけど、そういうモードになっちゃうとなかなか抜け出せない。

じりじりする。ふんぎりが悪い自分。

思い切って席を替わるとかしないと無理。

そうなのか、そんな会合の帰りなのね。どうでもいいけどさ。

関係ない僕が聞いてても恥ずかしいようなこと、そんなに大きな声で言わなくてもいいと思うけど。

大体、そのしゃべり方、言葉づかい、何ともたまらない。いちいち気になる。

“とんでもはっぷん”、だって、いまどき。

“ビックリマーク”、かよ、懐かしい昭和の香りだ。

こういう場合、えてしてそうなのだけど、ほとんど一人でしゃべってるオジサンがいる。

声が大きくて、腹から出てるからすごく通る。

カラオケ、うまいんだろうなあ。

でも独りよがりでたまんないだろうなあ。

すぐそばの僕だけでなく、かなり広域に響き渡ってるよ。

みんな聞いてるよ。

それに比べて相槌打ったり時々しゃべる他のオジサンたちの声はか細くて何言ってるかよくわからない。

終始ニコニコしてモソモソ言ってる。

あー、よくある、このパターン。

オジサンの場合もおばさんの場合も、カフェでも電車の中でも、この方程式は大体あてはまる。

阪急電車もそうだった。

腹から声が出てて、大きな声だから、リーダーシップ取るような性格になるのか。

はたまた、もともとそういう体質だから、まわりに聞こえるように指示したり、アピールしたりするので、だんだん声が大きくなったのか。

どっちなんだろ?

腹から声が出てるオジサンでも、ずっと謙虚で大人しくて地味な人もいるんだろうか。 

前の会社の時も、受付とか、隣の会議室とかで、すぐにわかる大きな声の人がいた。

こっちの打ち合わせに支障が出るくらいの大きな声で他の人にはしゃべらせることなく、ずっとしゃべっていた。

完璧な仕切りたがりの性格だった。

外見は外見であるけれど、声が持つイメージって大きいですよね?

声が魅力的な人(女性)ってなんか惹かれますよね?

新たな研究テーマ、声帯と生態(性格)の関係について。

こんなの研究してる人いるのだろうか。

またいろいろネタを拾ってきて、長期的な研究テーマの一つとしたいと思います。

具体的事例、ご意見など、お寄せいただければと思います。

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棋王就位式

2013年06月16日 18時20分14秒 | 将棋

ちょっと遅くなりましたが、5月末に行われた棋王就位式のレポートです。

連盟のレポートにもありますので詳細はそちらで。

過去、毎年参加させてもらってます。

※過去レポートはこちら⇒2009年2010年2011年2012年

今回の主役は渡辺新棋王。

飛ぶ鳥を落とす勢いで、竜王戦9連覇、王将位奪取、棋王位奪取=三冠、棋聖戦挑戦者と来て、このままグングン行くのかなと思ったら、先日の棋聖戦第一局、そしてつい先日のA級順位戦緒戦でいいところなく敗れてしまいました。

式次第です。

会場はすごい人。見たことある顔がいっぱいです。

共同通信社古賀社長のご挨拶。

谷川会長も風格が出てきましたね。

嬉しそうです。

本当に充実してる新棋王です。

棋王の謝辞です。

ユーモアも交え、競馬の話も含め、堂々たる挨拶。

いよいよパーティ。モテモテでデレデレです。

今回、いろいろな棋士や業界の方々とお話しすることができました。

今回初めて長いことお話することができた所司先生。右の怪しいオジサンは僕です。(絵、下手!)

以前もブログにコメントいただいたこともあり、コンピュータ将棋の話、象棋の話など楽しくお話しさせていただきました。

もう一人、いろいろお話させていただいたのが島九段。

電王戦の記事でも取り上げましたが、最近読んだ本でかなり心を打たれたのがこれ。

この本の感想を率直にお話しさせてもらい、島さんの書かれた時の気持ちなども伺うことができました。、

島研ノート 心の鍛え方
 

講談社    

 

甘えてちょうど持っていた本に、サイン、いただいちゃいました。

本当に実直な感じだし、すごく腰も低くてすっかりファンになってしまいました。

連盟の新常務理事として、米長前会長が作ってきた道をベースにしつつ、棋界のさらなる発展のために新たな道を切り拓いていけるよう期待しています。

主賓の渡辺棋王にもお祝いを言ってから、その日のスポニチの一面で華々しく予想をしていたダービーネタでしばしお話しさせてもらいました。

4月の名人戦第一局の前夜祭↓(その時の写真)でもお目にかかったばかりだったのでちゃんと覚えていてくれて、気さくな感じで競馬ネタに終始しました。

 もともと僕が約7年前にこのブログを始めるきっかけになったのは、渡辺明ブログのお蔭です。

「渡辺明ブログ」の功績という3年半前の記事でも書いてますが、渡辺明ブログに出会わなかったらブログを初めてなかったし、このブログを始めてなかったらこんなにも将棋に興味を持つこともなかったし、就位式を始めいろんなイベントに行くこともありませんでした。そして今では大切ないろいろな方々と出会うこともありませんでした。

あらためて渡辺竜王に本当に感謝です。

ブログを始めてから、将棋ファンも含め、いろんなブロガーの方々との交流も始まったわけだけど、ついおとといの金曜日、ブロガー仲間のオフ会がありました。

もともと渡辺明ブログのコメント欄を通じて知り合ったDanchoさんssayさんをはじめ、ブログ開設当初からすっかり仲良くさせてもらっている川島さん風屋さん(今回は欠席)との恒例の年に一度の楽しいオフ会です。

話は就位式に戻りますが、会場でお話しさせてもらった棋士の方の中には、片上六段遠山五段瀬川五段もいました。

渡辺竜王を含めたブログ研のメンバーなわけですよね。(まだ続いてるんですね、すごいです。)

あの頃、とても懐かしいです。4人の棋士の方のブログを毎日欠かさず訪問し、それに触発されて僕も毎日のように将棋関連記事を書き、コメントやTBの交流をさせていただいてました。 

ということでいろいろな方とお目にかかれて本当に楽しく過ごさせていただいた棋王就位式。

渡辺新棋王、おめでとうございました!

※これがお土産の記念扇子です。

 

 

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電王戦考察・その6

2013年06月14日 12時43分04秒 | 将棋

電王戦考察その2その3その4その5と電王戦についていろいろ思うところを書いてきました。

もう飽きたよって言われるのはわかるけど、しつこい、しぶとい、っていうのが持ち味、棋風。

いろいろ心配したり問題提起したりしましたが、この後、どこに行こうとしてるのかもはやわからなくなってきました。大体、書こうと思ってたあのことはもう書いたのか、まだなのかも曖昧になってきた。(いつもこれじゃん。)

“果敢”にも“難解”なテーマを“何回”も“書かん”としてることは褒めてあげてもいいけど、最後がそれじゃあ閉まんねーよ。

電王戦はこれからもつづくのでしょうけど、果たしてどうするのか、次は誰が出るのか、あるいは持ち時間のハンディとか事前貸出しをどうするのか、とか、いろいろ議論はあると思います。

しかし、阿部光瑠四段が指摘したように、これは全く別物という説、賛成です。(参考:番外編)将棋とコンピュータ将棋の違い

別の競技を無理やり条件を揃えようとしても無理がある。

猪木とアリのプロレスでもボクシングでもない格闘技のように、どうやったところで、これじゃあっちが不利、それでは公平性に欠ける、とかって意見が出てくる。

コンピュータの進化は人間が苦手としてきたことへの対応など、メリットは山ほどあるとは思うし、人間の進化を助けるものであるという側面はよくわかる。

しかし、いずれコンピュータの方が人間が逆立ちしても及ばないほど強くなっていくのは時間の問題だと思うけど、そうなった時にどのようにつきあうのか。

3年後か30年後かはわからないけど、そうなることを前提にして今からどのような関係性を作っていくのがいいのか。

チェスはコンピュータに負けてからどうも発展の速度が落ちているらしいけど(そのせいなのかどうかは要検証)、 将棋はその轍を踏まないようにできるのかどうか。

極端に言うと、序盤で勝負が見えてしまうというような、将棋の持つゲーム性が魅力ないものになってしまう可能性をはらんではいないのか。
見えてなかったものが丸裸にされて、毀損するようなことにはならないのだろうか。
将棋ってこんなもんか。思ってたよりも浅い。なんだ、意外につまらない。欠点があって楽しめない。
将棋のゲームとしての側面ばかりをすごい勢いで突き詰めていくと、文化としての側面とのバランスが悪くなり、おかしなことになっていかないのだろうか。

茂木健一郎さんのこの本に興味深いフレーズがありました。 

新しい日本の愛し方 (新潮新書)
 
新潮社

これは柔道の話です。

【講道館において生み出された文化としての柔道と、オリンピック競技となり国際化した文明としての柔道の間には数々の齟齬がある。 

カラー柔道着は文化としての柔道の視点から見れば醜い堕落であることだろう。一方、文明としての柔道の観点からは、グローバル化する中で、カラー柔道着は避けて通れない変化だったのかもしれない。】

将棋における文化と文明の視点。

ガラパゴス化とグローバル化のクロスポイント。

コンピュータが代表する文明の波、時代の嵐に飲み込まれていくと、いまだかつて将棋が経験したことのない未知の世界に足を踏み入れていくことになる。

400年の歴史を誇る名人戦に象徴される伝統文化としての将棋は、これから青い柔道着を纏うことになっていくのだろうか?

それにしても技術革新、それに伴うグローバル化のスピードは速い。

これは前の記事(その2)に対するssayさんのコメントです。

【いえ、あまりに急展開すぎたのですよね。
現役A級棋士の三浦八段が負けたのは、結果としては仕方ありませんが、あまりにも私達に心の準備ができていませんでした。もう少し、何年か掛かりで段階を踏んでいただければ・・・。】

ほんと、ここ、失敗しましたね。明らかな作戦負けです。
棋士の成長のスピードとコンピュータの進化のスピードは全く違うので、もしも何回かのシリーズでやるのなら、今回の5対5はもう1年から1年半くらい早くやればよかったのではと思います。

一回とは言え、A級棋士が負けてしまったからには、次回の時期、メンバーややり方をどうするのか。

連盟新体制にとってはかなり難しい局面です。

どちらかの三冠が登場したりすればそりゃ興行的には盛り上がるものの、コテンパに負けてしまった時のリスクは計り知れない。

どちらにしても、勝つか負けるかハラハラドキドキという勝負ができるのは、ここ数年なんだろうと思いますし(1,2年か?)、客観的に見たら、平手で普通に勝負できる期間は限られてくるのだと思います。

いつの日か棋士に勝てるようなソフトを作りたい。

そしてその途方もない夢が実現する。

その夢の向こう側には何があるんだろ?

何度も言うけど、別に否定はしてません。

電王戦の話から多少ずれてしまうけど、僕の感覚から言えば、もっとゆっくり人間が全力を出し切りつつ、考えながら進化していけばいいのではないだろうかと思う。

もっとゆっくり、君は速すぎる

この朝が続くように、

石の道をただブラブラと楽しいことがありそうな

すてきな気分

《サイモンとガーファンクル「59番街橋の歌」》

そんなに急いでどこへゆく。何かに急かされ焦りすぎているのではないか。

自分を見失っているのではないか。

例えば、昔は10時間とか6時間とかかかっていた大阪までの移動だって、もう2時間半が当たり前。

そしてもっともっと早く行けないかいろいろやってる。

何時間で行けたら満足するの?

要望、欲望はいつになったら止まるの?

足るを知る、 ですね。

昔鈍行列車に揺られてゆっくりのんびりと旅行していたのが懐かしい。

景色を楽しむ。経過を楽しむ。いろいろ振り返って考える。

皆すごいスピードで走っている。

脇目も振らずに突進している。

ドッグイヤー、マウスイヤー。

技術、経済、文明など、すべてが加速している。アクセル全開。

そのことが人間にとって本当に幸せなことなのかどうか。

すっかり余裕をなくしてることがいろんな問題を起こしたり、解決のネックになっているのではないか。

将棋は将棋でコンピュータの力を借りずとも、徐々に少しずつ進化発展していけばいいのではないか。

長い歴史の中で、将棋を愛してやまないその時代のトップ棋士たちが、己のすべてを賭けた盤上の一手。

それが凝縮して受け継がれ、新たな時代の中で定着したり修正されたりしつつ、大きな川の流れのようになってゆったりと流れ続けている。

自然の中で大きなうねりとなって流れているこの川が、一歩コンピュータとの関係を間違うと、違う流れ方になっていかないのだろうか。

こんなことを考えつつ再度上記の茂木さんの本から引用させてもらいます。

【日本人は、「文化」は理解しても、「文明」は、畢竟、理解していないのではないか。

そのことが、近代における日本の失敗、そして、今、ヴィジョンなくさまよう我が国の現状に関わるのではないか。】

将棋とコンピュータの交わり、そしてその未来のことに思いを巡らしていたら、何だか知らないけど大げさな話になってきちゃいました。 

【近代における日本の失敗、そして、今、ヴィジョンなくさまよう我が国の現状】の中に将棋が迷いこまないことを祈っています。

【文明は文化を包摂し、文化は、文明というゆりかごの中で新陳代謝する。そのような人間のありさまを曇りのない目で見れば、ひとつの文化の純粋さに固執することは、必ずしも永続可能な態度ではないということが明らかにされるだろう。】

大きな目で見れば、こういうことにもなるのだろう。

文化としての逞しさ、時代の変遷の中でもみくちゃにされたとしてもしっかりと着実に進化し続けられる力、それが問われているのだと思います。

そういう意味からしたら、絶滅危惧種をいろんな危険にさらさないようにして守ろうとする姿勢ではなく、これだけ着実に根付いて日本中の老若男女からしっかり支持されているのだから、ほっといたとしても、時代の波に翻弄されずに大きなうねりになっていくのかなあ、と楽観的にも思えます。

【文化は、文明というゆりかごの中で新陳代謝する。】

いい言葉ですよね。

細胞が活発になり、細胞分裂してどんどん増殖していく。

将棋の健康。将棋の幸せ。

明るい将棋の未来を願っています。

何か大げさな話になってきたし、どこに向かって進むのやら皆目見当もつかないのだけど、多分、まだ続きます。(しつこい!) 

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電王戦考察・その5

2013年06月08日 20時34分04秒 | 将棋

電王戦考察その2その3その4と電王戦についていろいろ思うところを書いてきました。

その4の記事にレギュラーコメンテーターのたまもさんがコメントをくれました。まずはそのレスから始めます。

たまもさん、こんにちは。

>「人間には怖い変化も、コンピュータはちゃんと読んで踏み込んでくる」「僕は習甦のおかげで強くなれた」との阿部四段の言葉、「不利になってもあきらめず最善手を探すツツカナの精神力を見習いたい」との谷川会長の言葉。私は「人間と全く違う思考過程と非人間的精神力から導き出されたソフトの将棋を、人間の思考方法で学習し、再構成する」という前向きさに思えました。

はい、もちろんそう思いますよ。何でも否定しようとか、全面的に悲観的とかではないです。

ちょっと心配性でおせっかいのオヤジがまだグズグズボヤいてるって感じでしょうか。

最初に火をつけた二人はもう呑気なもんで。(笑)

>もっとも、自宅研究で終盤の詰む詰まないをソフトに頼ったら、棋力低下の自殺行為でしょう。

僕が一番危惧するのは、不正などということよりも、明らかに強いコンピュータがすぐそばにあったら弱い人間としてはどうなるのだろうか、ということです。

今までのように不屈の闘志を持って全然動じずに日々努力を重ねていけるのかどうか。

習甦のおかげで強くなれた、とか、ツツカナの精神力を見習うとか、メリットの部分は当然あるのだろうけど、デメリットの部分を正面切って見つめて行かなくて大丈夫なのだろうか、ということです。

>私が当面心配しているのは、プロ将棋の観戦です。ネットの掲示板等で「うちのボナンザの評価値ー200」とかやられたら、興ざめですね(ニコ動のコメントではすでにありました)。

はい、たまもさんのおっしゃるように、トップ棋士でも全然かなわない実力の誰もが認める強さのソフトができたとして(何年後かはわからないけど絶対にできると思います。)、ハラハラドキドキしながら見ているプロの対局でその情報や評価や指摘が出てきてしまったら興ざめじゃないかと思うわけです。

大盤解説とか、ネット中継とかには出ないとしても、もしそのソフトが世間に出回っていたらtwitterなどで誰かがつぶやきますよね。プロが苦心して予想したりして解説してるニコ生で、画面いっぱいに書き込みますよね。

《二人(対局者)とも全然わかってないなあ。》

《あー、こうやれば詰んでたのに、また逃しちゃったよ。》

《何でそっちに逃げるかなあ、違うだろ、あ~あ。》

ってなことになっちゃいませんか?

プロ棋士へのリスペクトや敬愛はどうなる?

棋士よりもコンピュータを敬愛してどうする?

いや、すみませんね。

ま、付き合い方なわけで。

連盟の内部でもいろんな角度から議論されているのだとは思うけど、この先、電王戦を続けていくのかどうなのか、そして、メリットは当然あるからさらに深い協力関係でいくのか、どうするのか。

将棋の健全な発展。

棋士の幸せ、将棋ファンの幸せ。

とりあえず、そこでしょ、と思います。

もとより先人たちの血と汗の結晶である棋譜をデータベースにしてどんどん強くなってきたソフトなわけだから棋界のため、将棋の発展のためになってほしいと皆が望んでいるはずです。

想定できるメリット、デメリットをすべて勘案してメリットが確かに大きいのであればいいけど、そうでないのであれば、何かの手を打つべきでしょう。

最近、島九段のこの本を読みました。

冷静な知見溢れる文章の中に、あまりにあけすけで素直な本音の心理や考え方が伝わってきて、1ページ、1ページ、ズシンズシンと打ちのめされました。

 

島研ノート 心の鍛え方
 
講談社

ずっと考えてきた電王戦関連のこととリンクする部分があったので引用させてもらいます。(別にコンピュータとかソフトのことについて言っている部分ではないです。)

今、将棋界の若者たちの最大の武器であると思われるデータベースなどの勉強ツールが、真の勝負に直面した時には、それが両刃の剣になる可能性があることを、彼らの世代は常に戒めておかなければならない。

勉強の環境は存分に生かすとして、その先を見据えた時に必ずしも恵まれた時代と言い切れない部分がそこにはある。心を弱める誘惑で言えば、むしろかつてないほど厳しい時代でもあるのだ。機械は人間を便利にはしても、創造する力・考え抜く能力を伸ばすために作られてはいない。特に協調の世界でないここでは、人より抜きん出るためには何の努力もいらないノートパソコンやスマートフォンから得られるものではなく、自分が長く生き抜くための、人が真似できない部分の能力を伸ばすのが最大の武器になる。人間が戦う以上それがいつの時代でも変わらない心の部分であり、羽生さん、佐藤さん、森内さんが息長く勝てる理由のひとつにほかならない。

島さんの真摯に将棋と向き合っている姿勢が重く読み取れる文章です。

梅田さんの高速道路論とも重なってきますね。

さらにもうひとつ。

私がソーシャルメディアと距離を置いているのは、今の社会風潮が含羞の精神に欠ける気がするからだ。時代の進化として受け止めると同時に、それに付随するマイナス面にも慎重すぎるほど配慮する必要がある。何でも知ればいいものでもないし、言わずに察する精神がなければ、それは語らない文化の後退を示しているような気がする。

ソーシャルメディアの話ではあるけど、きちんとマイナス面を理解した上で慎重すぎるほど配慮して使うべきだ、と書かれています。今の時代の風潮の中で島さんが何を大切に考えているのかがよくわかる文章です。

最後にもうひとつだけ。

時代の将棋感覚と他人の考え方の違いは、無限に新しいものを生み出すものなのである。将棋は浅いものではなく、現代の棋士が毎日のように鍛錬を積んだとしても、それは全体の一隅を照らす作業に等しいと考えていい。そして、その一隅を照らす作業こそもちろんプロの価値であるのも、どの時代でも真理である。

人生を賭けた棋士たちの日々の鍛錬の集積が全体の一隅を照らす作業である。

それがプロの価値でもあり、棋士にとってその作業がこの上なく貴重なものだと言っています。

この話、とてもよくわかりますし、心に響くフレーズです。

この文章を読んで、もしもコンピュータが加速度的に進化して、一辺に全体を照らしてしまったら、どうなるのだろうか、と思いました。

そんな心配は要らない、とか、ありえない、とかきっと言われるのでしょうけど、全体を照らせるように日々開発は続けられているのではないのでしょうか?

現状どこまで行っていて、どこまで行く可能性があるのかはまるでわからないのだけど、一隅を照らす地道で貴重な作業を続けているさなかに、宇宙から飛んできたような強烈なレーザービームが当たって、すべてが白日の下に晒されてしまうなんてことにはならないのか、とても気にかかります。

なんだか文明否定論者みたいになってきた。

多分また続きます。

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時代の仕事観

2013年06月05日 12時24分47秒 | 仕事
いいところなく敗退してしまった名人戦。
初の三冠対決で、別の意味の宿敵相手に、この流れを変えることができるのかどうか。
心配だったけど、昨日の棋聖戦第一局は羽生棋聖の快勝、いや、完勝でした。
 
オマーン戦、ブルガリア戦ではいいところなく敗退してしまったザックジャパンも、昨日は見事にWC出場を決めてくれました。
 
さて将棋でもサッカーでもなく、今日は仕事の話。
 
昔から親しくさせてもらってる某外食関連クライアント。
昔は店舗だけでなく本部でも夜中も土日も正月も何もなかったし、皆すごい勢いで働いていた。
それも上から言われてということでなく、皆外食が好きで楽しそうで、自発的に何とかしたいと思って夢中であきれるほど頑張っていた。
皆、よく働くよなあ、仕事、辛いこともあるだろうけど、基本的には楽しそうだよなあ、すごく充実してそうでいいなあ、うらやましくもと感じてた。
 
それが最近、経営も変わったこともあるけど、夜7時になったら皆帰ってしまい本部のオフィスはシーンとしてるとのこと。
土日も出てくる人はほとんどいないらしいし、ちゃんと有給取らないと怒られるとのこと。
 
昔からいる人は、
『ほんとまるで変っちゃって、唖然としてますよ。
これがほんとにうちの会社なのかって。』
 
すべては時代の成せる業。
 
朝から夕方までしっかり集中して効率的に仕事して、残業なんかしないようにする。
土日出るなんて仕事できない奴の典型。
ちゃんとプライベートの時間は家族や友達と充実した時間を過ごしてリフレッシュして、仕事の時間には集中して成果を上げる。
公私混同はしないし、ドライにしっかり自分の役割だけをきちんと果たす。
 
先日そんな話を聞いて、あー、ずいぶん変わっちゃったんだなあ、と。
あの頃はみんな生き生きしてて輝いてたよなあ。
疲れ切ってもいたけど、明るい未来が描けていたよなあ。
 
はっきり言って、昔の方が共感できるのだけど、今の雰囲気もわかるよなあ。
ドライになってよくなったと思う人もずいぶんいるのだろうなあ。
昔は表面に出なかった負の部分もいろいろあったわけで、そういうことが起きないように、是正しようとすると、次第にきちんと管理できる仕組みになっていく。
 
すっかり外資っぽいようなスマートで洗練された風土になってしまった。
文書化、見える化、仕組み化。
効率化、オープン化、論理化。
 
当時はそんな言葉すらなかった外食産業。
水商売と揶揄されて、産業なんかになるのか、って思われていたけれど、時代とともにどんどん発展してきて、我々にとってなくてはならないものになった。
 
しかし、店の現場では毎日いろんな想定外のことが起こるし、楽しい反面やること、やらなくてはいけないことが山ほどある。
お客様により満足を、感動を、と思ったら切りがない。
 
そんなことで外食産業は、3Kとかブラック企業の代名詞にもなっている部分もある。
 
働く人にとって何が幸せなのか、何がブラック的なのか。
さっと切り上げて時間内に効率よく仕事したい人。
年がら年中ではないけどここぞという時は集中して時間に関係なく仕事したい人。
会社の理念や業績と自分の情熱とか納得とか成長の天秤。
会社の都合と自分の都合の折り合い。
 
セクハラと同じで、相手がどう感じるか、なわけで、会社からの指示がきつくてやってられないと思う人もいれば、同じことでも自主的にそう思って当たり前にやってのける人もいる。
 
ストレス溜めないように、カラダ壊さない程度に、自分でマネージメントしながら働ければそれがベスト。 
でもなかなかそうはいかないのがサラリーマンの辛さ。
 
植木等の映画や歌は僕の座右の銘だった。
例えば、
 『日本一のホラ吹き男』笑いのツボ?出社早々、社長を叱る
 
話はそれたけど、要はサラリーマンは会社、仕事とどう付き合うのか、どう折り合いをうまくつけるのかという永遠の課題。
 
嫌なことも含め、せっかく何かの縁で与えられた(いただいた)仕事なのだから、それに感謝しつつ、できる限り自分として精一杯やり遂げたいと思う。 
どこまでやればいいという境界線がない仕事も多いので、それに関しては、
「これくらいにしておこう、これくらいでいいか」、
ではなく、
「えっ、そこまでやるの?」
と言われるくらいのアウトプットをしたいといつも思っている。
できる限り自分らしいブレない仕事の仕方ができればと思っている。 
 
なんか真面目な話みたいになったけど、余裕を持って、無責任に、気楽な稼業を楽しみましょう。
 
 ホレ、スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイスイ~  
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電王戦考察・その4

2013年06月02日 14時26分00秒 | 将棋

少し間が空いてしまいましたが、その間に名人戦、(あっさりと)終わってしまいました。

羽生さんがらしさを全く発揮できないうちに、森内名人の盤石の強さだけが光った名人戦でした。

さて、電王戦の続きです。(電王戦考察その2その3

このテーマのレギュラーコメンテーターのたまもさんがブログに記事を書いてくれました。

強豪将棋ソフトから見えたもの

プロ将棋の魅力は失われるのか

それから英さんの再度警鐘を鳴らした記事。

電王戦考 危機的状況なんだけどなあ

そして、僕の前回の記事のコメントに対しての意見を書いてくれました。

将棋(界)、そもそもの問題 ~nanaponさんところのコメントに、思わず「う~ん」~

書きたかったことがどんどん膨らんで行って、また新たなテーマも出てきて、寄り道したいことも増えてきて、もう収集つかない状況に陥っています。

 ちょっと整理しましょう。

要は、英さんもまとめてくれていますが、僕らが大好きな将棋というものが、トップ棋士よりもどんどん強いソフトができることによっていろいろやばくならないのだろうか、つまらなくならないのだろうか、という懸念が大きなテーマです。

まだまだ先のことだし、そんな要らん心配せんでもええよ、という声が聞こえてくるのはわかってるのだけど、いろいろイマジネーションを働かせれば働かせるほど心配になってきて、うーん、と唸ってしまうわけです。

棋士と比べようもないくらいめちゃくちゃ強くなったソフトが存在すること、巷に出回ることによってどんな影響が予測されるのか。

将棋は、そして、棋士は大丈夫なのだろうか。

モバイルもニコ生も含め、個性溢れるプロの将棋を夢中で楽しんでいる我々観る将棋ファンとしては、もしもこの流れが高じてプロ棋戦が味気ないものになっちゃったら一体どうしてくれるんだい、誰が責任取ってくれるんだい、という問題です。

この人とかあの人などはすでに夜も眠れぬほど心配になって、そのうち千駄ヶ谷でデモをしようかと企んでるほどです。(ウソ)

強いソフトは人間の頭脳では難解極まりない将棋をどんどん丸裸にしていく。

そうなると、極端な話、序盤で勝負が見えてしまうのではないか。                       

将棋そのもののゲーム性が浅くて薄っぺらなものになってしまう可能性をはらんではいないのか。

将棋の面白さを毀損するようなことにはならないのだろうか。
将棋の持つ深遠な魅力が徐々に失われていくのではないだろうか。
将棋のゲームとしての機能的な側面と、文化としての側面のバランスが次第に悪くなっていかないのだろうか。

棋士は日々の研究にどう使うのか、使わないのか。

もし棋士の家にあったとしたらどうなるのか。

安直にコンピュータを頼ってしまうことが増えて行かないのだろうか?

不正はともかく、退化につながっていくことはないのだろうか?

何時間考えても次の一手がわからない時、もがき苦しんで必死に解を求めようとしている時、ふと悪魔の声がしないのだろうか。この誘惑を断ち切れるのだろうか。

そもそも人間は弱いものだから、誘惑に素直になってしまったら、この素晴らしい将棋というゲーム、将棋の文化は果たしてどうなっていくのだろうか。

研究の時だけでなく、対局の時、そして解説や観戦記も含め、強いソフトの出現は今後どのような影響を与えることになるのだろうか。

チェスに詳しい人の情報だけど、やはりあれ(カスパロフ対ディープブルー)以来、チェスはかなりパワーダウンしているとのこと。

本当かどうかは知らないけれど、ほんの一握りの人しか食べていけてないし、明るい未来に向けて普及も進み発展してる状況とは決して言えないようです。

それがコンピュータのせいなのかどうかもわからないけれど、チェスの事例もきちんと学習した上で今後の付き合い方を慎重に考えるべきかと思います。

前回、強い将棋ソフトを作るのは何のためなの?っていう疑問について書きましたが、これは別に否定でも批判でもないですし、僕の中での好奇心というか素朴な疑問なのです。

科学も技術開発も研究も門外漢な僕は、何でなんだろ?と、勝手に思いを巡らしている自問自答の展開が続いています。

強い将棋ソフトを作ること、ましてやプロ棋士に勝つことは究極の目的なわけではないはず。

強い将棋ソフトを作ることは、人工知能やロボットなどの研究開発に役立つから、ということ。

では優れた人工知能やロボットの開発、人間を上回る人工知能やロボットができたら、何にどう使うのか、我々はどう便利に、豊かに、幸せになるのか。

こんなことを考えていてふと気になった小田嶋隆さんの最新のコラム。

無意味で、だからこそ偉大な

三浦雄一郎さんが世界最高峰のエベレスト登頂の話です。

ここで、小田嶋さんが例に出している 

「どうして山に登るのですか」「そこに山があるからだ」という有名な話。

「山に登る人間にその理由を尋ねるのは愚かなことだよ」以下、答えが見つからない自問自答の話が続きます。

もちろんコンピュータと登山は別物ではあるけど、今回の電王戦から始まったこのちょっとした心配事は、結局のところ人間の幸せとは何?という永遠のテーマに収斂されていく。

棋士の方、開発者の方、そしてプロ棋戦を思いっきり楽しんでいる将棋ファンの方々は、このことをどのように思っているのだろうか。

この流れはもう止められない。

コンピュータvs.渡辺三冠、羽生三冠、という世紀の対決が行われようがどうしようが、トッププロが束になってかかってもかなわない強いソフトは近い将来できるに決まっている。

僕らファンの立場とすれば今までと同じように将棋を楽しみ続けていけるのであればそれでいいのだけれど、棋士の方々を始め、棋界関係者としてはもっと事態は複雑だと思えます。

果たしてコンピュータとどのように付き合っていくのか、どのように活用していくのか、この局面での形勢判断や次の一手は難解だと思います。

長考も良し、ここはどっしりと落ち着いて大局観に基づく好手、妙手を指してほしいと願っています。

まだまだ続きます、多分。

コメント (1)
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