即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

竜王戦の行方

2008年10月28日 19時16分24秒 | 将棋
先日のパリの竜王戦第一局を興奮しつつネット観戦して、竜王戦第一局考察、書きました。

渡辺竜王が帰国後すぐに書いてくれた「第21期竜王戦七番勝負第1局。」で、本音を語ってくれています。

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実戦の△6六歩ならば△6四角までは一本道。▲2三角を打つ時点で「△6四角の局面になれば▲5六桂か▲4五桂打のどちらかで攻めが繋がるのだろう」と思っていたのですがいざ考えてみると、どちらもたいした攻めにはなりません。

△6四角なら繋がりそう、と感覚で判断するのではなく、しっかりと読まないといけませんでした。羽生名人の懐の深さを見せ付けられた格好です。
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これで良いはずだという読み。
攻めがつながるだろうという判断。
それが、たいした攻めにならなかった。

しっかりと読まないといけない、と自戒しています。
でも、我々とは違うのだから、そんなこと言ってはいても、
かなりしっかり深く読んでいてのことだと思います。
よく言う、読み落としとか、単純なうっかりなんてことでは当然ないはずです。

それが、図らずもこうなったというのは、

いろいろな方が指摘している「感覚の違い」、ということなんですね。

感覚が違うから、読みの精度、方向、種類、が、違った。

そこに落とし穴があった。

まさに「青春の蹉跌」です。

ssayさん「続・現代将棋では羽生善治に勝てない」という記事で、こう書いてます。

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ここからは、ファンであるが故の思いっきり贔屓目での意見だが、
あきら竜王も、まだまだ「これから」の棋士であると同時に、
現在進行形で「渡辺明の将棋」を構築している最中であると思うのだ。
そうでなければ、竜王位4連覇や、竜王戦での康光先生との激闘の説明がつかない。
ブログの記事中の「△6四角なら繋がりそう、と感覚で判断するのではなく・・・」というのは、むしろ、現代将棋の感覚が、渡辺明の感覚を邪魔しているように思えるのだ。
今回、羽生先生を挑戦者に迎え、竜王御自身も、より一層の不安感と闘っておられる。
その不安感が、あきら竜王をして、現代将棋の「攻めが繋がりそう」→「勝てそう」という感覚を選択させてしまったように思えるのだ。
第二局以降は、現代将棋ではこれで良しという先入観をかなぐり捨て、
あきら竜王自身の才能と努力と経験から来る「読み」の力を信じていけば、
あの偉大なる羽生先生と対等以上に渡り合える可能性がある!
そう信じて、これからも、あきら竜王を応援し続けるぞ!!!!
どーよ?nanaponさん?
shogitygooさんに、優るわきゃないが劣らない程の分析でしょ(笑)?
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はい、これは、梅田さんshogitygooさん、と並んで、竜王戦分析レポートの中で、明らかにベスト3ですよ。(笑)

((笑)は余計か!すみません。)

ssayさんの言われるように、
若き竜王はこれからますます進化するはずです。

羽生名人も、渡辺竜王の年齢の時と現在とを比べたら、
多分強くなっているはず、経験がもたらしたものが大きい、と語ってます。

たくさんのいろんな経験を積み、修羅場をくぐり、難敵、強敵の考え方や感覚を吸収し、自分の栄養にしていく。

(竜王ファンには申し訳ないけど)
仮に、(!!)
今回負けたとしても、
永世竜王位を先に獲られたとしても、
無冠になったとしても、

渡辺竜王は必ず一皮剥けるはずです。
もう一段階強くなるはずです。

(勝ったとしてもだけど。)

羽生という棋界最高峰の大きな山、高い頂に、
これだけ注目を集めた大きな舞台で真っ向勝負できることは、
24歳の次世代ヒーローにとっては本当に貴重な体験です。

そして、感じるのは、

渡辺明は間違いなく「強運の持ち主」だと言うことです。

(2年前でもなく、1年後でもなく)今と言う時。
どちらが勝っても永世竜王という大舞台。
トップ棋士同志なのに、ずっとなぜか当たらなかったのが、
ここでやっと迎える番勝負。

運命を感じざるを得ません。

今回、羽生と長い時間を共有することで、羽生の凄さを、オーラを、将棋観を、人生観を、間近で肌で感じられること。

自分と何が違うのか。
自分と何が同じなのか。

5年前、2年前の羽生とは明らかに違う今の羽生。
重み、深みを増し、アートの部分、哲学の部分が厚くなった。
けものみちを進み、混沌を楽しむ姿勢に凄みを増した。

この7番勝負を戦うことで、まだまだ伸びしろのある竜王は、
羽生や羽生世代の将棋とは明らかに違う、
「渡辺明の将棋」の構築に向かって一歩前進する。

羽生と羽生世代の厚い壁を破り、新たな棋界のリーダーになれるかどうかを占う意味で、本当に大きなこの対戦。

渡辺明は竜王位だけに固執している器ではないはず。
他のタイトルもどんどん取り、
渡辺名人、渡辺王将という呼び方が、自然な感じにならないといけない。

さあ、あさってからの第二局。

渡辺明が羽生と過ごす濃密な時間を、
僕らも味わい、楽しんで行きたいと思います。
コメント (4)
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竜王戦第一局考察

2008年10月26日 12時34分32秒 | 将棋
羽生七冠フィーバー以来、将棋と言うものが世間の大注目を集める今回の竜王戦
永世竜王位を賭けた運命的な対決となりました。

パリでの第一局。
竜王戦中継plusにおける梅田望夫さんのリアルタイム観戦記は本当に楽しめましたし、「世代論による将棋観」、「大局観の違い」など、かなりの刺激を受けました。

特に、
【梅田望夫観戦記】 (12) 佐藤康光棋王、現代将棋を語る
【梅田望夫観戦記】 (13) 羽生名人、大局観の勝利、の二つの記事は、秀逸でした。
ワクワクしました。

そして、いつも抜群の文章力で将棋ファンを魅了しているshogitygooさんの二つの記事。
いきなり世代対決=将棋思想対決にー竜王戦第一局 渡辺竜王vs羽生名人
Let's take in Shogi! ―梅田望夫の竜王戦特別観戦記

さらに、あきら竜王に心からのエールを送りつつ、現代将棋の分析をするssayさんの二つの記事。
「現代将棋」では、羽生善治に勝てない
続・現代将棋では羽生善治に勝てない

そして、もちろん帰国後すぐに書いてくれたご本人の記事、
第21期竜王戦七番勝負第1局。

このあたりを引用させてもらいつつ、書いていきます。

話の焦点は、
当然ながら、▲2三角からの切り込みとそれに対応する△6四角です。


まずは、梅田さんの記事より。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
一言で言えば、渡辺竜王は、

 「(12) 佐藤康光棋王、現代将棋を語る」の中で、佐藤棋王が言っていた感想

 『「いや、△6四角そのものよりも、△6六歩と取り込んで、△6七歩成って、それで△6九角のところ、ですかね。それが間に合うって感覚はちょっとないですね。それが感心するところです。(中略) でも、『(6七歩を)成って角(6九角)で大変』という感覚は、ちょっと持ち合わせてる人は少ないような気がします。」』

 と、ほぼ同じ主旨の感想を述べた。勢いよく▲2三角と打った渡辺の攻めに対する羽生の構想が、渡辺にはまったく思いもよらないものだったらしいのだ。

 『本譜の展開は意外でした。予想外で困りました。△6四角を打たれて、あまりにも手がないので唖然としました。なんかあると思ったんですけど、ここで手がない。弱りましたね。大局観が悪かったです。金打って(▲4三金)、角打たれて(△6四角)、何かあるだろうと思ったのに……。打たれてみて読んでみて、何もないんじゃひどいですね。打たれて困っているようじゃダメですね。ちゃんと読んでから指さなくちゃね。△6七歩成のときにもう悪いっていうのは、そのとき気づいていないんですよ。そこで気づいているくらいなら▲2三角なんて打たなかったわけだけど。▲2三角からの攻めに対してどういう攻め合いになるんだろうな、と思っていたんですよ。でも、6七歩を成って角(6九角)から徹底的に受けにまわられて全然ダメだなんて、考えもしなかったんですよ。』

 渡辺の切れ切れの発言をまとめるとこうなる。そして、感想戦の最後にさらにもう一度、渡辺は

 『でも何回指しても、角打っちゃう(▲2三角)なあ。』

 とつぶやいた。

 立会人の米長会長は「二枚がえになって飛車が成ればふつうはいいのにねえ」と羽生に問うたが、羽生は「ふつうはそうですけどね……」と答えた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

もうこのあたりの解説は、将棋ファンとしては、あたかも極上の高級料理を味わっているかのような感じで、一言一言が味わい深く、二度と経験できないような充実したひとときであった。

「絶対に悪いわけはない」と皆が思える▲2三角。
「これで勝勢、とは言えないまでも、悪いことは絶対にない。」
「それだけは間違いない」、という判断。

その常識が、羽生の懐の深さによって、覆される。翻弄される。

次に、shogitygooさんの記事より。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
▲2三角と打ち込んで竜をつくり、なおかつ駒わりも角と銀桂の二枚がえ、さらに玉形も穴熊と右玉、先手の渡辺にすれ場、何も不満のない展開だろう。
渡辺が、綿密に立てたプランを見事に実行に移し、局面の主導権を完全に握ったはずだった。
しかし、羽生の懐の深さが、渡辺の前に立ちふさがる。
渡辺が勢いよく▲4三金と打ち込んで攻めの継続を図ったところで出た、羽生の△6四角。

単に5三の地点を受けただけの手のように見えるが、この一手で、突然先手の渡辺の攻めの継続がむつかしくなった。指されてみると△6四角が光り輝いて見える。渡辺は、この△6四角を指されて、事の重大さに気づいたのだという。
このあたりの折衝について、佐藤棋王が世代間の将棋観の違いと関連させて論じているのを、特別観戦記の梅田望夫氏が紹介している。

【梅田望夫観戦記】 (12) 佐藤康光棋王、現代将棋を語る
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これ(玉の堅さ、遠さ)で簡単に勝ちと即断することはありますね。現代棋士なら。
▲ 2三角で単純にわかりやすく勝てそうというのが現代感覚なんですね。ちょっと形勢判断を誤ってしまう可能性がある。
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佐藤の話は、もっと具体的に実際の局面に即した「緻密流」なのだが、敢えて端的に「現代棋士」=渡辺について語っている部分を引用した。
(一つ大事な点として、佐藤が羽生の指し方で感心していたのは△6四角自体でなく、その前の△6七歩成から△6九角で間に合うという感覚である。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

このやりとりを見て感じるのは、二人の大局観、将棋観の差だ。

ここで象徴的に取り上げられたのが、『現代棋士の感覚・形勢判断』そして、『現代将棋の理論』に関する論評だ。

現代棋士=渡辺竜王→広く渡辺竜王世代=羽生世代の次の世代と位置づけると、

羽生世代と渡辺世代のどちらの将棋観、大局観が優れているのか、勝っているのか、という議論になっていく。

どちらの考え方が、これからの時代の主流になり、政権を獲っていくのか。
棋界を担う政権党の考え方としてどちらの方が相応しいのか。


ssayさんが言う。
『▲2三角から、2枚換えで龍を敵陣に作って、これで指せるというのが現代将棋。つまり、現代将棋とは、実践的に勝ちやすい将棋を目指す事なのである。』

渡辺竜王の(現代)将棋とは何か。
それに対して羽生の将棋とは何か。
(現代将棋に対して名づけようにも、これは「羽生将棋」としか言いようがない。)

独断と偏見で比較検討してみます。

渡辺
二枚がえになって飛車が成ればふつうはいいはず。
羽生
二枚がえになって飛車が成ればふつうはいいかもしれないけど、そうでもない。

渡辺
玉の堅さ・遠さを重視。
羽生
盤を広く見つつ、全体のバランスを重視。

渡辺
実践的に勝ちやすい将棋。
羽生
深みで勝ちにしていく将棋。

渡辺
できるだけ単純化し、わかりやすくして勝ちたい。
羽生
できるだけ複雑化して、わかりにくくして勝ちたい。

渡辺
情報戦の中で、戦略的に局地的に優勢な局面を作る。
羽生
あくまでも総合的に、全体のバランスとして考える。

渡辺
棋理に従い、その前提では、誰も否定できない真理を追求する。
羽生
前提に捉われず、将棋はあくまでもわからないものとして、楽しみながら極めようとしていく。

ボナンザ流に言えば、
渡辺
自玉の固さ、敵玉と攻め駒の近さ、駒の損得のポイントが高い。
羽生
全体バランス、そして駒の働き、つながりにポイントが高い。

渡辺
実践的。実利的。合理的。科学的。
羽生
宇宙的。三次元的。哲学的。モダンアート的。

渡辺
優勢を作るために(勝つために)駒を機能的に組み合わせ、最大限の働きをさせていく。
羽生
全部の駒がつながっていることを意識した将棋。
一芸に徹すれば、万般に通じるで書きました。)


こんな風に整理してきて、思いついたのは、

渡辺が西洋医学。
羽生は東洋医学。

という例え。

二人は、当然、それぞれの分野での権威ある名医として、
世界に例を見ない、原因不明な難病に立ち向かっている。

どちらも病気を治すという目的では一致しているが、考え方は大きく違う。

曰く。西洋医学は、病気を治し、東洋医学は、病人を治す。

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■西洋医学と東洋医学の位置づけ。

西洋医学
検査で病気の原因をまずさぐり、その原因を取り除くことによって病気を治すのが治療方法。
病気の原因を「悪」ととらえ、取り除くものと考えるが、人間の身体を一種の精密機械と考え、病気は部品(臓器や組織)が故障(異常や変調)した時に修理したり、交換したりして元に戻す、というのが考え方。

あらゆる科学的な検査をして、消去法に近い形で病気・炎症部分を特定していく。反面、病気の原因が究明できないと効果的な治療ができない。
検査漬けと薬漬けなどの面もあるが、先端的な技術で致命的な病気も治療できる。

東洋医学

原因を取り除くことよりも、元々備わっている健康状態のバランスを重要視する。

「自然と人間のバランスがとれている状態」を健康状態と定義する。
このバランスが崩れてしまうと「病気」になり、それを直すには、バランスをもとに戻し均衡を保てば良いということになる。

身体は一つの小宇宙で、病気は全身のバランス(自然治癒力や免疫力)に乱れがあった時に起こると考える。
宇宙の中で生かされている生命体の一つとして人間をとらえ、未病(まだ病気になっていない状態)学を発達させてきており、西洋医学とはまた違った優しさや真理がある。

どちらがいい、悪い、優劣というものではなく、歴史も背景も基本理念も違うものだけど、結局は人間を相手にするものだし病気を如何に治すかが課題である。

最近では、西洋医学も東洋医学を取り入れ、予防と自然治癒力を回復することに重点を置き始めていて、それぞれの利点を生かしながら、社会や自然、宇宙との調和に基づいてもっと全体的に健康を考えていこうという流れにあるようだ。
****************************************

なんて、西洋医学、東洋医学の特徴を挙げてきました。

まだまだ構想や妄想は果てしなく続いてしまって、
ssayさんに、どうよ!?と突っ込まれたこともあり、
竜王戦の話は続きます。

あっ、そうこうしてるうちに、もう今週、第二局じゃない。

対局者でもないのに、ますます頭の中がいっぱいになり、ぐるぐるしてきました。
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海岸線のプレッシャー

2008年10月23日 22時16分23秒 | 
先日、久々に鴨川に行きました。

夕方、日が暮れてきた頃、海岸を散歩。

そしたら、いつもの海岸線の遊歩道に、波が押し寄せてきている。
道がところどころ濡れている。水浸しで歩きにくいところも。

一番満潮の時なのはわかるけど、こんなに?
これじゃ、歩けないじゃん。

これは朝だけど、いつ波が襲ってくるか、ドキドキしながらの散歩。

えー、こんなだったっけ?
違うな、こんな経験ないよ。

ここに住んでる人ならわかると思うけど、明らかに、海が近づいてきてるんじゃないの?
あのツバルのように。

そしたら、

えー、こんな工事やってる!!

高くしないといけなくなったわけ?

長年、低くてもなんら問題なかったのに。

海面水位上昇?

すべて、地球温暖化の仕業?

↓これは海沿いの露天風呂。
いつも鴨川に行くと癒されてる場所。


このお風呂も、あと何年かすると、波に飲み込まれているかも、というのが現実になるわけ?

いつまで優雅に『あー、いい湯だなあ、最高!』なんて言ってられないわけ?

『海のそばで、海が目の前に見えて、あー、極楽極楽・・・。』なんて言ってると、ほんと、極楽行きだよ。
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スパゲティ・ナポリタンの謎

2008年10月22日 18時58分28秒 | 将棋
天下分け目の竜王戦第一局。
先週末のパリでの対局は、羽生挑戦者の先勝に終わりました。

今回の目玉のひとつは、竜王戦中継plusにおける梅田望夫さんのリアルタイム観戦記
世代論による将棋観、大局観の違いなどなど、見所満載、刺激十分で、すっかり楽しませていただきましたし、shogitygooさんssayさん、始めいろんな方が既に分析、論評など、書かれています。
僕も負けずに書きかけていますが、うまく書けないので、とりあえず今日はこの話。

梅田さんのブログにおけるこの記事、
竜王戦第一局こぼれ話: なぜ羽生はパリでスパゲティ・ナポリタンを食べたか。です。
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竜王戦対局者・関係者はまもなく日本に向けて旅立つ。僕はあとパリで二泊してシリコンバレーに帰る。さてリアルタイムで観戦記には書き込めなかったこぼれ話をひとつ。一日目の羽生さんの昼食についてである。

<中略>

一日目昼食の羽生さんの注文は「スパゲティ・ナポリタン」だった。

控え室でも「パリでスパゲティ・ナポリタンかあ」と少し話題になったが、ほどなく「2ch」でも「なんで、パリでナポリタン食ってんの」という書き込みがあって軽く盛り上がっていたらしい。控え室では、常に「2ch」をチェックし、指し手や解説棋譜の入力ミスなどの指摘を注視し、中継の質の向上につとめているのだ。「群衆の叡智」の活用だ。

そこで、リラックスした対局終了後の打ち上げで、羽生さんに聞いてみた。「どうしてパリで、ナポリタンだったんですか」と。

羽生さんの答えは次の通りであった。

「そうですか。「2ch」で話題になっていましたか、ははははは。ちゃんとメニューも載せておいてくださいよ(爆笑)。軽いものを頼もうと、スパゲティにしようと思ったら、ナポリタンかポロネーズの二択なんですよ。どっち頼んだって「どうしてパリで・・・」になっちゃうじゃないですか。ははははは。中継ではメニューもちゃんとお願いします(笑)。」
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はは、この話、本当に心が温まります。

で、ここで問題、ではなく、疑問です。

このメニューを決めたのは誰?

これだけ話題になるタイトル戦の食事なので、気にもなるし、十分気配りをした納得のいくようなメニューにしてほしいです。

勝手に推測すると、当然主催者の読売新聞の担当者が、ホテル側と話し合って決めてる、ということですよね?
(竜王戦でなくでも、タイトル戦はいつもそうですよね?)

思うのは、
1.せっかくなのでその土地に相応しいメニューがあったほうがいい。
(当然、日本各地での場合はご当地名産とか、名物の食材がメニューに載りますよね?)
2.対局者の事前の希望があれば、聞いてあげた方がいい。
(もし加藤九段が対局者だとしたら、必ずうな重は入れておく、のような対応。)

『軽いものを頼もうと、スパゲティにしようと思ったら、ナポリタンかポロネーズの二択なんですよ。どっち頼んだって「どうしてパリで・・・」になっちゃうじゃないですか。』
はい、羽生先生のおっしゃる通りです。

スパゲティのメニュ-を、なぜナポリタンかポロネーズの二択しかないように決めたのでしょうか?
パリなのでフランス風なアレンジのスパゲティってないのでしょうか?
エスカルゴスパゲッティ・なんとかチーズ和え・なんとかソース添え、とか。
(イメージ貧困だ!)

あるいは、日本人にはこの二つさえ用意しておけばいいだろうということで、安易に典型的なこの二つを無理やり入れた、ってこと?

だって、誰もが思いますよ。
『パリまで来て、なんでスパゲティ・ナポリタンなの?』って。

対局者にも、できればパリらしい雰囲気のもの味わって欲しいじゃないですか。

もちろん、現地ならではの品揃えばかりだと困るだろうから、日本食もあって欲しいとは思うけど、
スパゲティの品揃えが、ナポリタンかポロネーズの二択というのは、

これは間違いなくかなりの筋悪、いや、悪手だと思います。

多分いろんな事情があったんだと思うので、
責めたりしないから、教えてほしいな、その背景、理由を。

いつものように、素朴な疑問です。
関係者の方、よろしくお願いします。
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携帯操作音研究・その3

2008年10月21日 22時16分38秒 | 「携帯操作音」
もともとの川島さんの記事。

「携帯操作音、なぐるぞ!」
「携帯電話の痛いお話し。」
「あのー、携帯操作音をー」

それらが発端となり、刺激されて、
《車内の不思議》
《操作音と好奇心》

そして、最近書いた記事。
携帯操作音考察
携帯操作音研究
携帯操作音研究・その2

また川島さんは、携帯がらみの別の問題提起の記事、
そうまでして携帯会話を!?

関連記事も増えてきたので、「携帯操作音研究」のカテゴリー作っちゃいました。

そして、話は続きます。

3社に質問をして、きちんと回答をいただきました。回答はこちら

見事なお役所的な対応、ありがとうございました。

まあ、予測していたし、世間はこういうものだというのもわかります。
自分がその立場だとしたら、社内対応マニュアルとかコンプライアンスの問題もある中で、どのように答えるんだろうか。
言ってはならないこともあるでしょうし、下手なこと言ってやばい相手に言質をとられたりしたらさあ大変。
ここは問題起きないように、リスク負わないように、うまーく相手の気持ちを察し、なだめて、できるだけ納得してもらえるような回答をするのが定跡。
ということで、善処する、などの政治家答弁的になるのはよくわかります。

今回の3社の回答は、下記のように聞こえます。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
よっぽどの大事(おおごと)であればともかく、
こっちだって忙しいんだから、
そんなつまんないことでつべこべ質問されたり、いちゃもんつけられたら、
いちいちマジにつきあってらんないよ。

こんなことに真摯に労力かけて対応してたら、身が持たない。
だって、つまんないこと聞いてくるやつ、腐るほどいてさ。
そんな馬鹿な奴の相手してたら、もう疲れちゃうよ、
個人的にであればいろいろ答えられるけど、そんなことしたら上司に怒られちゃうし、こっちだっていろいろ辛いんだよー。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

はい。お互いしがないサラリーマンだもんね。よくわかります。

でもこれはいちゃもんでもないし、冷やかしでもない。

操作音で迷惑蒙ったから謝って欲しい、なんて一言も言ってないです。

マジに素朴に知りたいだけですよ。

そもそもなんであの操作音が必要なのか。
初期設定をOFFにしないのはなぜか?

僕の知らない事情などもあるでしょうし、
消費者や一般人は意外な事にそう思っているのか、そうかそうか、ってこともあると思います。

だから教えて欲しいってそれだけなのよーん。

ということで、2度目の質問メール出しました。
----------------------------------------
※※様(各社担当者の名前)、先日は操作音に関するご回答ありがとうございました。
その件で、再度質問させていただきます。
あの操作音がとてもイライラするので、できるなら無くしたいと思っているというのが趣旨です。
そういう意味で、知りたいことは
1.あの操作音はそもそも必要なんでしょうか?
どういう人がどういう理由で必要なのかがわかりません。
わかる範囲でかまいませんので、御社としてのお考えを教えていただけませんでしょうか?
2.現状、初期設定でOFFにしてあるのは、出荷台数のどのくらいの割合になっているのでしょうか?(大体でかまいません。)
これは、以前と比べて、増加傾向にあるるんでしょうか?
また、メーカーに対して、そのような指導(依頼)はしているんでしょうか?
3.1.2.に関連しますが、操作音についての調査などはしているんでしょうか?どれくらいの人がどういう理由で必要としているのか。ONにしているのか。迷惑しているのか、など。それらに関するメーカーの姿勢、意向、など。

いろいろ答えにくいこともあるかとは思いますが、おおまかなことだけでもお知らせいただけると幸いです。
公共の場で操作音を鳴らしてずっとメールなどをしている人に出会うと、通話や着信音以上の不快な気持ちになります。
何かの理由で、鳴っていることを認識しつつやっている人はまだしも、回りに迷惑だということもわからず、単に初期設定のまま使っている人(OFFにできるということすら知らない・わからない)がかなり多いのではないかと思いますので、敢えて上記の質問をさせていただいている次第です。
お忙しいところ申し訳ないですが、皆がマナーを守る気持ちいい世の中にするために、ご回答いただければと思います。
-------------------------------------------
(auのみ、質問は500字以内なので、ダイジェストにしました。)

ということで次回に続きます。
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1円玉の処遇

2008年10月19日 20時27分19秒 | 日記とニュース
小銭入れの中の、1円玉や5円玉って、みんなどうしてますか?

すぐに溜まってしまって。

1円玉や5円玉がいっぱいになるのは当然いやですよね?

そうなると、100円とか、10円が出しにくくなるし。

小銭入れの中の別のポケットに入れる?(仕分けする。)

そうすることもあるけど、

とりあえず方針としては、

折に触れ、出来るだけ使う。
※それでもかなり溜まってしまったら、家においてある缶に出す。
(1円と5円ばかり入った缶)
1円玉が5枚以上溜まってきたら、もういやなので使う機会を狙う体制に。
5円玉は2個溜まったら、即、10円玉の代わりに使う。
5円1枚、1円5枚あればしめたもの。
10円玉1枚引っ込めて、代わりに使うよね。
※5円玉と1円玉をかき集めているのに、イライラしているコンビニ店員を横目で見つつ、やはり、己の幸せのために、絶対にかき集めて使おうとする。

そして、
ぴったりでなくてもできるだけ使うようにする。

つまり、
506円だったら511円出すとか、
232円だったら、252円出すとか、
788円だったら1、003円出すとか。

してますよね?

昨日、久しぶりにびっくりしたことが。

近くのスーパーでのこと。

336円の買い物ををして、341円出しました。

そしたら、店員が、『336円なので、340円で結構です。』

えっ、まさか?!?
1円は余計だ、と。
1円引っ込めろって?
このおじさん、わかってないやつだ、と。
勘違いして(ボケて?)1円玉なんか出しちゃって、手間取らせるやつだなあ。
340円もらって、4円のお釣りだろ、と。

敵もやるもんだ。

単なる聞き間違いとか勘違いと判断したのか、
はたまた、
小銭入れの中をせこく整理しようとするケチな根性の奴なんかには、協力してる暇はない、ということなのか。

うーん。

予想外の奇手に、たじたじ・・。

『341円で、5円、お釣りもらうっていうのはだめですか?』

なんでそんなに弱気なんだよ。

お客なんだから、『これで。』って、毅然として出せばいいじゃん。

それにしても、こうやって過去10年以上やってきたと思うけど、

こういう風に拒否されたの、初めてかもしれない。

ショックぅぅぅぅ・・・・。

みんなちゃんと、暗算して、とか、レジで計算して、お釣りくれたよなあ。

人生まるごと否定されたみたい・・・・。

いい年して、何やってんだよー、と。

長年ずっとみっともないこと、能天気にやってたんだろ、と。



あー、びっくり。こういう人もいるんだ。

今の若い人はこういう(融通の利かない・KYタイプの)人多いのかな?

うーん、おちおち買い物もできないぞ。

結局は押し切って、歓迎されてない1円玉も出して、5円お釣りもらったからいいのだけど、

こんな風に、いろんなところで1円玉拒否運動(人生否定運動?)が蔓延したら、どうしよう?

缶の中に溜まっていくばかりで、浮かばれない1円玉たち。

せっかくなので、可愛い1円玉たちを世の中で活躍させてやってくださいね。
お願いだから。
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素の自分

2008年10月18日 18時18分47秒 | 将棋
以前、一芸に徹すれば、万般に通じる、書きました。

羽生が言っているこの話。

情報化時代において将棋で勝敗を分けるのは「人間力」である。

この話は、現代の複雑で難解な社会において、
いろんなところで出現しています。

先日のプロフェッショナル仕事の流儀「宮崎駿のすべて」
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企画を生み出すとき、宮崎は「半径3メートルで仕事をする」という信念を大切にしてきた。宮崎は身近なところで出会ったものを梃子(てこ)にして想像力を最大限に膨らませ、イメージを紡ぎ出してゆく。家の近所で見つけたバス停や、スタッフの娘など、意外なほど近いところにアイデアの種はあるという。宮崎にとって映画とは単なる空想や作り話ではなく、日々の体験や出会ったものから生み出されたものにほかならない。宮崎は映画作りという過程に、自らの人生を刻印しているのだ。
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結局、映画作りの中で、 「素の自分が問われる」んだ、と言っていた。

別の話。
今日、近くのショッピングセンターでやっている「工房からの風」に行って来ました。
おととし去年と毎年行ってます。 

陶芸、ガラス工芸、彫金、木工などいろんな技術のアートが並んでます。
一つ一つの作品で、それぞれの作家は何を伝えようとしているのか。
その技術を通して、自分は何をしたいのか。
自分とは何かが問われる。
自分と言うものがどんどん研ぎ澄まされて、解剖され、核心に迫っていく。

脳を活かす仕事術
茂木 健一郎
PHP研究所

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この本にも、そういう話が出てきました。

陸上の末續慎吾のコーチ、高野進の話。

「ただ足が速いだけじゃダメだ。陸上は総合的な人間力の勝負だ。」
という言葉。

一芸に秀でるためには総合力が必要。

仕事ができるというのは総合的な人間力の賜物。

それには、ホームグラウンド以外でも、他の様々なカルチャー、世界に触れたり、体験したりすることが必要。

脳の中にある、能力を支えるモジュールが、単独で存在しているわけでなく、それ自体が膨大な裾野を持っている。
裾野全体を底上げするためには、どうしても総合力の強化が必要。

こんなことをいろいろ考えてみて、再び羽生の話に戻る。

今日のNHKBS囲碁将棋ジャーナル。
たいがーさんも行った棋聖位就位式での話。

ここでの謝辞で、羽生はこんなことを言っていた。

『能や歌舞伎などと同じ、長い歴史のある日本文化のひとつとしての将棋。
 そこには共通する何かがあるのではないか。
 今、それを見直そう、再発見しようという流れを感じている。
 自分は棋士なので、将棋を指す事を通じてそういうものを表現したいと
 思っている。』

北浜さん、中井さんも、深いですねえ、と感心していました。
勝敗よりも、棋界の枠を超えて、遠くを見つめているようだ、と。

将棋を通じて、自己実現をする。
自分を表現する。

将棋は、勝負という面や、統計学的な真理の研究の面もあるけれど、
今の羽生には、(モダン)アートとしての将棋、という面が一番興味深いのだと思う。
美学とか、哲学とか、人間としての側面から見た将棋。

自分は将棋を通して、何ができるのか。
何を表現するのか。
自分とは何か。
自分という人間はどのような人間なのか。

翻って自分のことを考えてみる。

自分は仕事を通じて、何をするのか、したいのか。
何を伝えたいのか、伝えられるのか。

人生の中で、何をするのか、してきたのか、していくのか。
自分のできる事は何か。
自分の価値は何か。
どんどん余計なもの、うわべのものを剥ぎ取って行ったら一体何が残るのか。
背骨の部分、コアな部分、ナチュラルな素の部分は、
どんな自分なのか。

あー、ブログってすごい。
知らないうちに、こんなこと書いてるよ、僕。
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「タイガー・ジェット・シン」仕事術

2008年10月17日 21時05分08秒 | 
50歳以上が選ぶ、好きだった往年の外国人レスラーランキング
こんな懐かしい選手ばかりが出てたのでご紹介します。

第1位 「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤー 22.6%

第2位 「鉄人」ルー・テーズ 19.8%

第3位 「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック 3.0%

第4位 「黒い魔神」ボボ・ブラジル 2.8%

第4位 「不沈艦」スタン・ハンセン 2.8%

第6位 「神様」カール・ゴッチ 2.5%

第6位 「仮面貴族」ミル・マスカラス 2.5%

第8位 「超人」ハルク・ホーガン 2.3%

第9位 「インドの狂える虎」タイガー・ジェット・シン 1.9%

第10位 「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャー

うーん、多少異論のあるところもあるけど、まあこんな感じなんでしょうね。

この前亡くなったキラー・コワルスキーは、残念ながら10位までに選ばれてないです。

脳を活かす仕事術
茂木 健一郎
PHP研究所

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最近読んだ本。
この本で紹介されていたのが、「タイガー・ジェット・シン仕事術」。

いきなり核心を突いた仕事をすること。
前置きなしに本題の仕事に取り掛かること。

会場に現れるなりサーベルを振り回し、観客を襲い始める。
そのままレフリーの紹介も待たずに、相手選手に攻撃を仕掛ける。
パイプ椅子で殴りかかったり、噛み付いたりする。

会場は瞬く間に興奮の坩堝。

程よいところでゴングが鳴る。
あっ、ただいま試合が始まりました。

この絶妙な間合いのゴングとアナウンサーの一言によって、
場外乱闘や狂気攻撃が追認される。

これが、普通の展開であれば、
レフリーの選手紹介、ルール説明、花束贈呈、などなどお決まりの流れを経ないと試合は始まらない。

こんなのはまどろっこしい。

天気の話、前提の話、など時間を経てから、さあ、そろそろ本題に行きましょうか、と。

段取りや前提を省いて、いきなりアクセル全開でビジネスの核心の話をする。

スティーブ・ジョブズもビル・ゲイツもできる人ほどこういう仕事のやり方をする。

そうでないと、会話に生命力が宿らない。
集中力が途切れる。

このスピード感、緊張感。

確かに、自分が話を聞く立場であれば、
早く本題を言って欲しいのに、とイライラすることよくあります。
お互い忙しい立場であれば、当然ながら、
肝の部分の話に終始したい。
そのためには、グダグダつまらない導入の話は不要。

それでは味も素っ気もないじゃん、というのもあるけど、
すべて予定調和の段取りの時間は、やはり飽きる。

タイガー・ジェット・シンが登場する時の緊張感、思い出しました。

客席で逃げ惑った時のことを思い出しました。
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携帯操作音研究・その2

2008年10月16日 21時26分52秒 | 「携帯操作音」
携帯操作音についての続編です。

川島さん記事に刺激されて始まったこのシリーズ。

携帯操作音考察》と《携帯操作音研究》、書きました。

こんなことブログに書いたりしてると、3社の関連の人たちがちゃんとチェックしていて、ブラックリストに乗ってるのだろうか。いきなり警告かなんか来たりするのだろうか?ひっひっ・・・。

別に変な誹謗中傷はしないですよ。安心していてね、大丈夫だから。

でも、納得できなかったり、対応がいい加減だったりしたら、シビアに書きますけど、いいですよね?(笑)
(喧嘩吹っかけてるわけじゃないってば。)

はい、では、お待ちかね、3社からの回答メールです。
-----------------------------------------
『au』

日頃よりauをご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。
KDDI au Eメールお問い合わせ窓口※※(担当者名)でございます。

この度は、ご意見をいただく次第となり、申し訳なく存じます。

au電話の操作音につきましては、現状は初期設定がONになっており、ご
利用いただくお客様のニーズに応じて、ON/OFFを設定していただいてお
ります。

何とぞ、ご了承くださいますようお願い申し上げます。

なお、お客様よりいただいた操作音の設定についてのご指摘は、貴重な
お声として受け止め、今後、au電話を提供する上での参考にさせていた
だく所存でございます。

弊社といたしましても、お客様からいただくご指摘やご意見を参考にし
ながら、より多くのお客様方にご満足いただいけるよう、一層努めて参
りますので、引き続きauをご愛顧くださいますよう、お願い申し上げま
す。
------------------------------------------
『softbank』

nanapon 様

お問い合わせいただき誠にありがとうございます。
ソフトバンクお客さまセンター※※(担当者名)です。

 この度、お客さまにはご懸念をお掛けし、申し訳ございません。

 操作音のON/OFFの設定については、携帯電話本体操作にて設定が
可能となっております。ご了承ください。

 尚、設定有無については、お客さま個々のご利用状況によって
異なるものと存じますが、今回お問い合わせいただきました件に
つきましては、担当部署に報告し、今後のサービス提供における
ご参考とさせていただきます。

 貴重なご意見を頂戴し、誠にありがとうございました。
-----------------------------------
『docomo』

nanapon 様

このたびは、お問い合わせをいただきまして誠にありがとうございます。
ドコモ メール受付担当の※※(担当者名)と申します。

このたびは、携帯電話の操作音において、お客様に
ご迷惑をおかけしておりますことをお詫び申し上げます。

また、お忙しい中貴重なご意見をお寄せいただきまして、
誠にありがとうございます。

携帯電話の機種・機能の搭載などにつきましては、
お客様からのお声をふまえ、各メーカーと協力し、
製品を企画・開発させていただいております。

今回いただきましたボタン操作音の初期設定に関するお声につきましては、
お客様からの貴重なご意見として承らせていただくとともに
今後の参考とさせていただきたく存じます。

なお、ドコモでは、健全なモバイル文化を広げるため、
通信事業者の責任としてマナー啓発に力を入れておりますが、
このたびのご指摘をいただくこととなり、恐縮でございます。

ドコモといたしましては、これからも携帯電話マナーについて
啓発活動に努めて参る所存でございますので、
何とぞご了承くださいますようお願い申し上げます。

ご参考までに、以下URLで、各種マスコミ・媒体などを利用した
広告実施など、お客様への呼びかけをご案内しておりますので、
ご参照いただけましたら幸いです。

<携帯電話のマナーについて>
http://www.nttdocomo.co.jp/info/manner/

あらためまして、このたびは、お忙しい中貴重なご意見を
お寄せいただきましたことを心からお礼申し上げます。
-----------------------------------------

まとめ・気づいたこと。

S社・D社 
ちゃんと、nanapon様、って個人名が書かれてます。
A社だけがないです。

あと、メールの中に、A社は自社サイトのURLもないですね。
(あと2社は当然あります。)

質問のページにおいて、質問の長さは、S社、D社は1000字。
A社だけは500字。

この時点で、はっきりA社だけ、サービス精神が劣ってます。

3社とも、典型的な社交辞令的、お役所的な回答です。
心がこもってないです。(それを求めちゃいけないか。(笑))
貴重なご意見ありがとうございます、ということで、ご意見は伺いました、それをもとにいろいろ検討します、と適当にごまかしている、スルーしてる、というのが感想です。
政治家の答弁みたいじゃん。

A社は、初期設定をONにしている。あとはご随意に、と。
S社は、現状どうなってるかは述べず、勝手に設定できるのであとはよろしくね、と。
D社は、そんなことよりも、コンプライアンスとかモバイル文化とかマナーの啓発活動とか、そんなことで目一杯のご様子。一生懸命取り組んでいる、と。

まあどちらにしても僕が知りたかったこと、答えて欲しかったことは何もない。
収穫無しです。

でもこれでは納得できかねます。
全然、引き下がれない。
もうちょっと誠意を持って、こちらの意を汲んで回答してくれないかな。

では、(仕方ないので)2ndステージ(再度の詳細質問メール)に行きましょう。
すみません、しつこいんです、僕。
コメント (3)
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法規制ブーム

2008年10月15日 22時44分43秒 | 雑感
今日は、ssayさん《こんにゃくゼリーの法規制を検討って》について。

振られ飛車さんDanchoさんも、そうだそうだ、と言ってますね。
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こんにゃくゼリーを喉に詰まらせて、子供が窒息死した事故を受け、自民党内で10日、ゼリーの形状などを規制する新法制定を検討する動きが出てきたそうな。

すでに、マ○ナ○ラ○フ社は、こんにゃくゼリーの製造・販売を無期限停止しているが、これは、行政が子供や高齢者が食べないよう警告する外袋のマークの拡大やミニカップ容器にも警告を表示するなどの再発防止策を要請したところ、対応しきれないという理由によるものだ。

<中略>

ぼくも同感で、事故が起きたからといって、いちいち法で規制って、全く理解不能である。

同じ年頃の子供を持つ親としてどうなんだ、と言われるかもしれないが、
いや、どうも、こうも、馬鹿らしくて、お話にならないよ。

こんにゃくゼリーなんて、生きていくうえで絶対的に必要なものでないというか、無くなったからといって困る人の数が過半数を大きく割り込むのかもしれないし、自民党はその会社から献金を受け取っていないから、規制しやすいのかもしれない。
しかし、こういう発想や風潮そのものに、腹が立つ。

<中略>

私達の日常には、意外とリスクが多く潜んでいるものだ。
そういったリスクに気を付けながら、日々の日常生活を営んでいくしかない、
としか言い様が無いのではないか。
----------------------------------------

おっしゃるとおり。
ばっかじゃなかろか、って事態ですね。
こういうこと自体税金の無駄使いで、早く辞退してほしいです。
(最近、この手の文脈が多いですね。

ほんと、最近の風潮です。

なんか事件や問題が起こる。
騒ぎになる。
文句言う人、ブーブー言う人、騒ぎ立てる人が殺到。
なんかあったらどうしてくれるんだ。
そこで、それはあんたの自己責任ってことが言えない。
弱いんだな、これが。
ほっといて何もしないと、自分の立場がやばい。
無能だ、怠慢だ、と言われる。
選挙のこともあり、それに対応するための法整備に乗り出す。
いい方向に行くように努力しましたよ、私は。

以前、アンリトゥンルールいたちごっこの行方など、これに関連する記事、書きました。
------------------------------------------
根本的な問題は、「世の中すべてが、性悪説」であること。

コンプライアンスや個人情報などなど、何でも縛りをかけることになる。

アンリトゥンルールが少なくなる。意味がなくなる。

子供の頃は、
「おい、nanapon、ちょっと酒屋に行ってビール買って来い、
そうだ、ついでにタバコも。」
ってオヤジにお使いに行かされた。

でも別にみんな未成年で、飲酒喫煙していたわけではない。

もちろん試してはみたけど、まずいのでやめた。

それでいいんじゃないのかなあ。

歩きタバコも違反で罰金。
立小便もだっけ?

何でもかんでも法規制。

事件が起きれば、ナイフを買えなくする。

そのうち、小さな包丁もカッターナイフも彫刻刀も、
はさみも錐も買えなくなる。
傘だって、危ないので買えなくなるかもしれない。

そして、車内携帯通話も罰金ですね。
もちろん線路内に立ち入ったりしたら、懲役です。

いやあ、もう、楽しい世の中です。

誰も信じない、人は悪いことをする、人を騙そうとする。

そういう世の中は、すべてに規制を作らないと安心できない。

いや、作ったから安心できるのかって言えば、そんなことはない。

いくら作って、どんどん重い罰にしたところで、いくらでも抜け道があるし、どこまでいっても「いたちごっこ」。

もういいかげんそっちの方向に行くの、やめない?

と、言ってみたところで、空しいのかなあ・・・・。
-------------------------------------------
こうしておけば(法規制に動けば)、自分のせいではなくなる。

世間がおとなしくなる。

一番の目的は、事故が起きない様にすることより、自分の責任回避、点稼ぎ。

リスクを取れないんですね。

基本的人間関係が不信なので、

信頼関係に基づいたコミュニケーションとか、歩み寄りではなく、

すべてリスク対応とか(訴えられた時)身を守る、という方向にすべては進んでいく。

例えば、市民が楽しい時間を過ごして欲しいという意図で公園を作ったとしても、
ひとたび事故が起これば、使用禁止、入場制限、市の責任。

ブランコも滑り台も、危険物。
木陰は痴漢が出ると、木が切られる。

製造者責任?

一緒に考えて解決していこうというスタンスは時代と共にどんどんなくなっていくね。

電子レンジに猫を入れて死んだという人がいて、
電子レンジの説明書に、リスクヘッジするために、
「猫を入れてはいけません」、と書かねばならなくなる。
書いてないと罰金。訴訟される。
書いてあれば、猫が死んでもセーフ!

ばっかじゃないの、これ。

世の中、おかしいよ。いつからこうなったんだろ?
コメント (3)
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