当事者の渡辺竜王や、片上五段も書いてますし、いろいろなブログで専門的なこともたくさん取り上げられているので、気恥ずかしいのですが、果敢に書いてみます。
先日もご紹介したインフォアローという、webシステム制作会社のメルマガです。
**************************************
■計算出来ない、大局観という要素
先週の3月21日に、大和証券杯の特別対局として、
現在のコンピュータ将棋で最強といわれる「Bonanza」と、
現在の竜王である渡辺明氏との対局がおこなわれました。
++++++++++中略+++++++++
そのため、「場合の数」が少ないオセロや五目並べでは、
コンピュータは人間に100%の確率で完勝することが
出来てしまいます。
それと反対に、最もコンピュータでプログラム化
しにくいのは囲碁だろうと思います。
打てる可能性のある場所がとても多い、ということも
ありますし、一手一手が、局面に対してどれだけの
影響を与えるのかを明確に判断しにくいこともあります。
特に、長期的な視点で考える、石の「厚み」を判定するのは
人間の経験と勘に頼らなくては難しいもののようです。
この「大局観」ともいうべき認識力をコンピュータが
備えるのは、まだ膨大な時間がかかりそうで、囲碁は、
テーブルゲームの分野で人間がコンピュータに対抗出来る
最後の砦かもしれません。
■「Bonanza」
「Bonanza」は作者の意向で、思考エンジンを含めてフリーで公開されています。
http://www.geocities.jp/bonanza_shogi/
作者の保木邦仁さんは、理論物理化学の研究者で、自分自身は「将棋についてはほとんど知らない」ということですから驚きです。
*************************************
ここで書かれている《大局観》という認識。
大局観という言葉をウィキで調べると、
{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{
《将棋や囲碁で、的確な形勢判断を行う能力・感覚のこと。(下述。)
転じて、物事の全体像(俯瞰像)をつかむ能力のこと。単に「大局」とも呼ばれる。》
★将棋
将棋では、全体の形の良し悪し、攻め手の有無などを常に意識しなければならない。これを判断する能力のことを言う。大局観に優れると、効果的なタイミングで攻めや守りの手を打つことができるほか、駒がぶつかっていない場所からの意表を突く攻めや守りも可能となる。お互いの駒組みや持ち駒などを比較して、力強い攻め手を指すことにも役立つ。反対に大局観が備わっていなければ、盤上の一部での駒のぶつかり合いや損得しか考えられなくなる。
★囲碁
囲碁の大局観には二つの意味がある。一つは、囲碁の勝ち負けは将棋のように王将を落とした時点で終わるというわけではなく、人生や仕事のように、序盤・中盤・終盤で蓄えや稼ぎ(地)も変わるし、敵と大きな差があるときも、それほど差がないときもある。最終的には大勝であっても半目勝ち(最小の勝ち方)であっても、勝ちは勝ちなのだから、それぞれの時点で自分が今どの程度有利不利にあるのかを見極めて、手堅く安全策をとったり、勝負に出たりする必要性がある。
もう一つは、囲碁では19路盤という比較的大きな盤を使うので、個々の箇所で攻防をしているときは基本的にその箇所に双方の手が集中することになるが、上級者になるほど盤全体に相乗的な効果(シナジー効果)が期待できる手が打てるようになる。また、囲碁は将棋と異なり一度打った手を後に動かすことはできないので、序盤に打った一手が中盤・終盤で効果的に生きてくる(生かすことができる)こともある。このように、囲碁では、部分的なせめぎ合いににとらわれずに、常に盤の全体像やゲームの進行を見極めて、次の一手を決める必要があることを「大局観」という。
}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}
以後、コンピュータのことやプログラミングのことなど、全然わからないし、何の知識もないままに書きますが・・・、
昔、中学高校の頃、クラスに数学の天才がいた。
数学の先生とも互角に渡り合っていて、僕らには全くわからない、先生も立ち往生するような質問をしたり、得意とかいうのでなく、全く別次元、別世界のやつだった。
(当然ながら、今は、数学の大学教授になっている。)
難しい数学の問題、解析とか複雑な問題に対して、僕らは単に解けた、解けない、ということしかなかったが、そいつは、『この解は、美しい。』などと言っていた。
(もちろん僕ら凡人にはその意味なんて皆目わからなかったけど)
ここで言う大局観、というのは、
美意識、美学、あるいは、哲学、みたいなものなんじゃないか、って思った。
ここがコンピュータにはない、人間だけの経験や勘に基づく判断基準、だと思う。
右脳が司る全体のイメージとか、バランス。
可能性、確率では、こういう判断になるけど、ここはなんとなくこの手が有力そう、みたいな、いわゆる第六感とかひらめきの要素。
過去のデータ集積の積み上げによる無機的に編み出された結論。
初手から積み上がりまで、無駄なく一直線に行けるのならいいけれど、まだまだ誰も経験したことのない未知の局面もあることだし、ベテランの、人間の勝負勘、確率論ではない
判断、というのが、ボナンザにとっては絶対的な脅威になる日は続くと思う。
そういう意味で、片上五段の言うように、
仮に一度トッププロが負けたといっても、まだまだ人間とコンピュータの競合した面白い勝負は続くのだと思う。
論理的な左脳の部分は負けても、感覚的な右脳の部分において、ボナンザがどうしても人間に勝てない部分が存在するのだと思う。
以下、田坂広志さん のメルマガから。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
《「魔境」の入口》
将棋の羽生善治棋士が、
かつて、七冠を達成した直後のテレビ出演において、
ある若手哲学者と対談し、質問を受けました。
羽生さんは、対局中、
どのようなことを考えているのですか。
羽生棋士の、その質問に対する答えは、
静かな驚きを禁じえないものでした。
ときおり、対局中に、
心が、ふっと
魔境に入りそうになるのです。
この答えに対して、
若手哲学者は、無邪気に聞きます。
なぜ、その魔境に入ってみないのですか。
これに対して、羽生棋士は、
いつもの爽やかな表情で、答えました。
ええ、戻って来れなくなると困りますから。
たしかに、この「魔境」とは、
座禅などにおいて、深い瞑想状態に入るとき、
ときおり陥ってしまう特殊な精神状態のことであり、
決してそこに入ってはならないと教えられるものです。
しかし、この微笑ましい対話の、
その奥を、深く見つめるとき、
そこに、極限の真実が潜んでいることに
気がつきます。
精神の営みの最も創造的なものは、
精神が、まさに混沌へと向かう、
その入口において、生まれる。
そのことに、気がつくのです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
これを読むと、さらに人間の奥深さを感じます。
人工知能という言葉もありますが、
この魔境という境地などは、コンピュータにとっては、手も足も出ない部分だと思います。
オセロやチェスはもうかなわないということですが、
将棋というゲームの奥深さを問われていることにもなり、
ますます、将棋の特質・本質、人間の持つ可能性、ということが、
どんどん浮き彫りにされてきて、興味は尽きない、ってことになるのでしょう。
楽しみな今後です。
先日もご紹介したインフォアローという、webシステム制作会社のメルマガです。
**************************************
■計算出来ない、大局観という要素
先週の3月21日に、大和証券杯の特別対局として、
現在のコンピュータ将棋で最強といわれる「Bonanza」と、
現在の竜王である渡辺明氏との対局がおこなわれました。
++++++++++中略+++++++++
そのため、「場合の数」が少ないオセロや五目並べでは、
コンピュータは人間に100%の確率で完勝することが
出来てしまいます。
それと反対に、最もコンピュータでプログラム化
しにくいのは囲碁だろうと思います。
打てる可能性のある場所がとても多い、ということも
ありますし、一手一手が、局面に対してどれだけの
影響を与えるのかを明確に判断しにくいこともあります。
特に、長期的な視点で考える、石の「厚み」を判定するのは
人間の経験と勘に頼らなくては難しいもののようです。
この「大局観」ともいうべき認識力をコンピュータが
備えるのは、まだ膨大な時間がかかりそうで、囲碁は、
テーブルゲームの分野で人間がコンピュータに対抗出来る
最後の砦かもしれません。
■「Bonanza」
「Bonanza」は作者の意向で、思考エンジンを含めてフリーで公開されています。
http://www.geocities.jp/bonanza_shogi/
作者の保木邦仁さんは、理論物理化学の研究者で、自分自身は「将棋についてはほとんど知らない」ということですから驚きです。
*************************************
ここで書かれている《大局観》という認識。
大局観という言葉をウィキで調べると、
{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{
《将棋や囲碁で、的確な形勢判断を行う能力・感覚のこと。(下述。)
転じて、物事の全体像(俯瞰像)をつかむ能力のこと。単に「大局」とも呼ばれる。》
★将棋
将棋では、全体の形の良し悪し、攻め手の有無などを常に意識しなければならない。これを判断する能力のことを言う。大局観に優れると、効果的なタイミングで攻めや守りの手を打つことができるほか、駒がぶつかっていない場所からの意表を突く攻めや守りも可能となる。お互いの駒組みや持ち駒などを比較して、力強い攻め手を指すことにも役立つ。反対に大局観が備わっていなければ、盤上の一部での駒のぶつかり合いや損得しか考えられなくなる。
★囲碁
囲碁の大局観には二つの意味がある。一つは、囲碁の勝ち負けは将棋のように王将を落とした時点で終わるというわけではなく、人生や仕事のように、序盤・中盤・終盤で蓄えや稼ぎ(地)も変わるし、敵と大きな差があるときも、それほど差がないときもある。最終的には大勝であっても半目勝ち(最小の勝ち方)であっても、勝ちは勝ちなのだから、それぞれの時点で自分が今どの程度有利不利にあるのかを見極めて、手堅く安全策をとったり、勝負に出たりする必要性がある。
もう一つは、囲碁では19路盤という比較的大きな盤を使うので、個々の箇所で攻防をしているときは基本的にその箇所に双方の手が集中することになるが、上級者になるほど盤全体に相乗的な効果(シナジー効果)が期待できる手が打てるようになる。また、囲碁は将棋と異なり一度打った手を後に動かすことはできないので、序盤に打った一手が中盤・終盤で効果的に生きてくる(生かすことができる)こともある。このように、囲碁では、部分的なせめぎ合いににとらわれずに、常に盤の全体像やゲームの進行を見極めて、次の一手を決める必要があることを「大局観」という。
}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}
以後、コンピュータのことやプログラミングのことなど、全然わからないし、何の知識もないままに書きますが・・・、
昔、中学高校の頃、クラスに数学の天才がいた。
数学の先生とも互角に渡り合っていて、僕らには全くわからない、先生も立ち往生するような質問をしたり、得意とかいうのでなく、全く別次元、別世界のやつだった。
(当然ながら、今は、数学の大学教授になっている。)
難しい数学の問題、解析とか複雑な問題に対して、僕らは単に解けた、解けない、ということしかなかったが、そいつは、『この解は、美しい。』などと言っていた。
(もちろん僕ら凡人にはその意味なんて皆目わからなかったけど)
ここで言う大局観、というのは、
美意識、美学、あるいは、哲学、みたいなものなんじゃないか、って思った。
ここがコンピュータにはない、人間だけの経験や勘に基づく判断基準、だと思う。
右脳が司る全体のイメージとか、バランス。
可能性、確率では、こういう判断になるけど、ここはなんとなくこの手が有力そう、みたいな、いわゆる第六感とかひらめきの要素。
過去のデータ集積の積み上げによる無機的に編み出された結論。
初手から積み上がりまで、無駄なく一直線に行けるのならいいけれど、まだまだ誰も経験したことのない未知の局面もあることだし、ベテランの、人間の勝負勘、確率論ではない
判断、というのが、ボナンザにとっては絶対的な脅威になる日は続くと思う。
そういう意味で、片上五段の言うように、
仮に一度トッププロが負けたといっても、まだまだ人間とコンピュータの競合した面白い勝負は続くのだと思う。
論理的な左脳の部分は負けても、感覚的な右脳の部分において、ボナンザがどうしても人間に勝てない部分が存在するのだと思う。
以下、田坂広志さん のメルマガから。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
《「魔境」の入口》
将棋の羽生善治棋士が、
かつて、七冠を達成した直後のテレビ出演において、
ある若手哲学者と対談し、質問を受けました。
羽生さんは、対局中、
どのようなことを考えているのですか。
羽生棋士の、その質問に対する答えは、
静かな驚きを禁じえないものでした。
ときおり、対局中に、
心が、ふっと
魔境に入りそうになるのです。
この答えに対して、
若手哲学者は、無邪気に聞きます。
なぜ、その魔境に入ってみないのですか。
これに対して、羽生棋士は、
いつもの爽やかな表情で、答えました。
ええ、戻って来れなくなると困りますから。
たしかに、この「魔境」とは、
座禅などにおいて、深い瞑想状態に入るとき、
ときおり陥ってしまう特殊な精神状態のことであり、
決してそこに入ってはならないと教えられるものです。
しかし、この微笑ましい対話の、
その奥を、深く見つめるとき、
そこに、極限の真実が潜んでいることに
気がつきます。
精神の営みの最も創造的なものは、
精神が、まさに混沌へと向かう、
その入口において、生まれる。
そのことに、気がつくのです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
これを読むと、さらに人間の奥深さを感じます。
人工知能という言葉もありますが、
この魔境という境地などは、コンピュータにとっては、手も足も出ない部分だと思います。
オセロやチェスはもうかなわないということですが、
将棋というゲームの奥深さを問われていることにもなり、
ますます、将棋の特質・本質、人間の持つ可能性、ということが、
どんどん浮き彫りにされてきて、興味は尽きない、ってことになるのでしょう。
楽しみな今後です。
TBありがとうございました。
本エントリー記事…興味深く拝読させていただきました。
羽生三冠が、七冠に輝いた当時の対談…田坂氏の『仕事の思想』と一緒に、当時の上司から手渡された別の著書で、読みました。
羽生(当時)七冠が、対局中に「時々魔境に入ることがある」けど、「帰ってこれなくなると困る」…凄く印象的だったので、鮮明に覚えています。
その田坂氏の著書には、大山十五世名人の「大局観」についても、確か触れられていたと思います。
田坂氏の他として、小生が興味深く拝読している、東京大学名誉教授の畑村洋太郎先生の『失敗学』に関する著書でも、「山勘」は、本人に説明を求められても答えられないものだけど、モノづくりの世界では、凄く大事だ…ということも述べられています。
こうした、「大局観」や「魔境」…さらにもう一つ加えるとしたら「山勘」は、その人の持つ独特の経験や感性、あるいは哲学から産み出されるものだと思うので、これを数値化するという仕事は、非常に「超え難い高い壁」なのかな?…と感じている次第です。
これを凌駕すれば、プロ棋士相手にコンピューターが連戦連勝するのかもしれませんが、「数値化」が困難な現状では、実力の距離は縮まっていることは事実であっても、連戦連勝…は、まだ将来的には近いとは言い難いのでは?…と、小生は考えています。
人間の奥深さ…がとてつもなく深いからこそ、保木氏のようなソフト開発者にとっても、あくなき挑戦が続くのでしょうね…。
心情的には、こと将棋に関しては、プロ棋士が、コンピューターに負けて欲しくはないのですが、今後の展開が、nanaponさんがお感じのように、小生も楽しみです。
>人間の奥深さ…がとてつもなく深いからこそ、保木氏のようなソフト開発者にとっても、あくなき挑戦が続くのでしょうね…。
こちらの側にたって考えるとまたチャレンジのし甲斐があるんだろうと思います。
全く違う発想で組み立てる、新たな考え方を加味したら、どうなるか、それはそれで楽しい部分もあるような気がします。
全然気づかなかった発想を入れたら、すごく強くなった、なんて、やったあ!って感じですものね。(全然開発のことなど知らないで書いてますが。)
>心情的には、こと将棋に関しては、プロ棋士が、コンピューターに負けて欲しくはないのですが、今後の展開が、nanaponさんがお感じのように、小生も楽しみです。
負けてほしくはないです。
でも、そのうちいい勝負くらいにはなるでしょう。
各種コンピュータソフトも参加できるオープン新棋戦、やってほしいです。
★Logical Spaceさん、こんにちは。
>自分でも、将棋ソフトを作成する予定なので、参考にしてみたいと思います。
そうなんですか。すごいです。
具体的にどのような手順で開発していくのか、興味あります。
完成したらぜひご紹介くださいね。
昔(昭和の話です)、大学への数学なんどを読んでいたとき(でも解いていない)、エレガントな解法という言葉がよく出てきていました。
力押しで解けても、答案が美しくないのです。されど、その方法で無いと解けない自分の無力さを悟るのでした。
>昔(昭和の話です)、大学への数学なんどを読んでいたとき(でも解いていない)、エレガントな解法という言葉がよく出てきていました。
エレガント、ですか。
いいですねえ。
解法のイメージ、僕らにはわからない世界で、いろいろあるわけですね。
面白いです。
華麗、とか、粋、とか、ソフィスティケート、とか、ゴージャスなんてのもあるかも、ですね。