先日、《玲瓏な散歩》という記事を書きました。
王座戦第二局の対局前日、偶然羽生さんとばったり会った時の話です。
この写真、かなりの反響でした。
神々しいイメージ、と言っていただいた方が多かったです。
モデルがいいのか、カメラマンがいいのか?(笑)
さて、久々に羽生さんの新著「直感力」が出たので早速読みました。
この本を読むと、上のあの写真からより多くのものを感じることができました。
より深いものを受け取ることができました。
一部引用させてもらいます。
-----------------------------------------------
地方に行ったときも、歩く。ちょっと時間があれば、できるだけ歩いてみる。どこをどれだけ、と最初から決めているわけではなく、せっかく行った場所なのだから、どんなところなのか少しは見て回りたいと行った程度のことだ。対局場の周りを二、三十分くらいだろうか。
<中略>
気分転換にもなるし、そうした時間を持つことによって考えがまとまったりすることもある。何も考えていないことも多いが・・・・。
<中略>
日常の生活では努めて空白の時間をつくる。散歩も、深い集中に備えたウォーミングアップのときであるようにする。
<中略>
気が向いたら歩く。歩くことや気分転換のときを、義務だと考えてしまうと、逆にそこに囚われてしまう。それでは意味がないのだ。その時間はあくまでも頭の中に解放された部分としての空間をつくるための時間であり、行動でなければならない。
-------------------------------------------(引用ここまで。)
今回だけでなく、羽生さん、どこに対局に行っても、時間があればこうやって散歩されるんですね。
そして、そのことが羽生さんにとっては貴重なひとときだ、ということです。
気分転換、頭の整理、これからの集中のためのウォーミングアップ。
そんな大事な意味を持つ重要な時間を邪魔したことになってなかったのか、いささか不安になりました。
さらに別の部分を引用させてもらいます。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
自分が想定した、その通りでは面白くない。自分自身、思うとおりにならないのが理想だ。
計画通りだとか、自分の構想通りだとか、ビジョン通りだとかいうことよりも、それを超えた意外性だとか偶然性、アクシデント、そういうあれこれの混濁したものを、併せ呑みながらてくてく歩んでいくのが一番いいかたちなのではないかと思っている。
変わっていく、変化し続ける自分を、納得しながら楽しむ。
そうした自分から、その時々に浮かび上がってくるものを楽しみながら進んでいくことをできる限り続けたいと思っている。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++(引用ここまで)
「計画通りに行くよりも、意外性、偶然性を併せ呑みながらてくてく歩んでいくのが一番いい形だ。」と言っている。
偶然僕と会ってしばしおしゃべりさせていただいたことも、結果的にはよかった、と言ってくれています。そう解釈できます。
僕の中では、対局までの大事な時間を邪魔しちゃったかな、話しかけたりして悪かったかな、という不安もあったのだけど、羽生さんはこうやって考える人なんですね。
その時々の偶然起きたことも楽しんでいるし、そのことをプラスにし、自分の力にしていくということなのでしょう。よかったです。
さて、この羽生さんの本。
今まで羽生さんの書かれた本については技術本以外はほとんど読んでいるし、大部分は記事にしてきたのだけど、今回の印象は、ますます本音で、自然体で書かれている、ということです。
企業秘密的なこととか、あまりいろんなことを気にせず、素の自分をむきだしにして、さらけ出している感があります。
自分はこんな人間で、こんな弱い部分もあり、こんなダメなところもある。
だけど、こういうことに留意して、こういう風に考えてやっている、と、謙虚に、素直に、自然な語り口で自分を表現しているように思います。
参考:昨年の著作についての記事
羽生さんの新著「大局観」
40歳からの名人戦
共感した部分、印象に残った部分はいくつもありました。
見切ることの大切さ。
自分自身の価値観を持つこと。
成り行きを受け入れ、自然の流れに乗ること。
転機とは天気のようなもの。
インプットと同様、アウトプットを意識的に増やすこと。
自分の得意な形に逃げないこと。
蓄積したものをいったんゼロにした方が何かが生まれやすい。
答えがわからない場面が一番面白い。
この「直観力」というテーマについては、以前たいがーさんと一緒に行った羽生さんの講演会のことを思い出しました。
その記事はこちらです。
羽生名人講演会
その2
その3
羽生さんは、この本でこう書かれています。
「今までになかった新しい試み、それを試して、より美しい将棋を目指したい。」
既存のものに頼ることはせず、新しい可能性を信じ、常に何かを求めていく姿勢が他の人と大きく違う。
光があたってなかったところに光を当てる。
今までに多くの人が踏み固めてきた安全で歩きやすい道でなく、誰も足を踏み入れたことのない道に、果敢に、勇気を持って足を踏み入れる。
偶然を楽しみつつ、また変化し続ける自分を受け入れつつ、自然体で歩んでいく。
升田九段のように新たなアイディアを常に追い求め、必死で追いかけ続けているのだけど、どこかにあの散歩の写真のイメージの羽生さんがいる。
けものみちにどんどん踏み込んでいくことは困難に立ち向かっていくこと。
困難や逆境や修羅場を経験することは、結果的に自分の可能性を引き出してくれるすばらしい機会。
どれだけ経験しているかが人間をより大きくし、より深いものにする。
それが直感力を育てる元になる。
40歳を過ぎても、羽生さんはどんどん進んでいく。
羽生さんならではの歩き方で、光を浴び、淡々とゆったりと進んでいく。
ますます充実し、輝いていく羽生さんのこれからの道を、一ファンとして心から楽しみにしています。
王座戦第二局の対局前日、偶然羽生さんとばったり会った時の話です。
この写真、かなりの反響でした。
神々しいイメージ、と言っていただいた方が多かったです。
モデルがいいのか、カメラマンがいいのか?(笑)
さて、久々に羽生さんの新著「直感力」が出たので早速読みました。
直感力 (PHP新書) | |
クリエーター情報なし | |
PHP研究所 |
この本を読むと、上のあの写真からより多くのものを感じることができました。
より深いものを受け取ることができました。
一部引用させてもらいます。
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地方に行ったときも、歩く。ちょっと時間があれば、できるだけ歩いてみる。どこをどれだけ、と最初から決めているわけではなく、せっかく行った場所なのだから、どんなところなのか少しは見て回りたいと行った程度のことだ。対局場の周りを二、三十分くらいだろうか。
<中略>
気分転換にもなるし、そうした時間を持つことによって考えがまとまったりすることもある。何も考えていないことも多いが・・・・。
<中略>
日常の生活では努めて空白の時間をつくる。散歩も、深い集中に備えたウォーミングアップのときであるようにする。
<中略>
気が向いたら歩く。歩くことや気分転換のときを、義務だと考えてしまうと、逆にそこに囚われてしまう。それでは意味がないのだ。その時間はあくまでも頭の中に解放された部分としての空間をつくるための時間であり、行動でなければならない。
-------------------------------------------(引用ここまで。)
今回だけでなく、羽生さん、どこに対局に行っても、時間があればこうやって散歩されるんですね。
そして、そのことが羽生さんにとっては貴重なひとときだ、ということです。
気分転換、頭の整理、これからの集中のためのウォーミングアップ。
そんな大事な意味を持つ重要な時間を邪魔したことになってなかったのか、いささか不安になりました。
さらに別の部分を引用させてもらいます。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
自分が想定した、その通りでは面白くない。自分自身、思うとおりにならないのが理想だ。
計画通りだとか、自分の構想通りだとか、ビジョン通りだとかいうことよりも、それを超えた意外性だとか偶然性、アクシデント、そういうあれこれの混濁したものを、併せ呑みながらてくてく歩んでいくのが一番いいかたちなのではないかと思っている。
変わっていく、変化し続ける自分を、納得しながら楽しむ。
そうした自分から、その時々に浮かび上がってくるものを楽しみながら進んでいくことをできる限り続けたいと思っている。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++(引用ここまで)
「計画通りに行くよりも、意外性、偶然性を併せ呑みながらてくてく歩んでいくのが一番いい形だ。」と言っている。
偶然僕と会ってしばしおしゃべりさせていただいたことも、結果的にはよかった、と言ってくれています。そう解釈できます。
僕の中では、対局までの大事な時間を邪魔しちゃったかな、話しかけたりして悪かったかな、という不安もあったのだけど、羽生さんはこうやって考える人なんですね。
その時々の偶然起きたことも楽しんでいるし、そのことをプラスにし、自分の力にしていくということなのでしょう。よかったです。
さて、この羽生さんの本。
今まで羽生さんの書かれた本については技術本以外はほとんど読んでいるし、大部分は記事にしてきたのだけど、今回の印象は、ますます本音で、自然体で書かれている、ということです。
企業秘密的なこととか、あまりいろんなことを気にせず、素の自分をむきだしにして、さらけ出している感があります。
自分はこんな人間で、こんな弱い部分もあり、こんなダメなところもある。
だけど、こういうことに留意して、こういう風に考えてやっている、と、謙虚に、素直に、自然な語り口で自分を表現しているように思います。
参考:昨年の著作についての記事
羽生さんの新著「大局観」
40歳からの名人戦
共感した部分、印象に残った部分はいくつもありました。
見切ることの大切さ。
自分自身の価値観を持つこと。
成り行きを受け入れ、自然の流れに乗ること。
転機とは天気のようなもの。
インプットと同様、アウトプットを意識的に増やすこと。
自分の得意な形に逃げないこと。
蓄積したものをいったんゼロにした方が何かが生まれやすい。
答えがわからない場面が一番面白い。
この「直観力」というテーマについては、以前たいがーさんと一緒に行った羽生さんの講演会のことを思い出しました。
その記事はこちらです。
羽生名人講演会
その2
その3
羽生さんは、この本でこう書かれています。
「今までになかった新しい試み、それを試して、より美しい将棋を目指したい。」
既存のものに頼ることはせず、新しい可能性を信じ、常に何かを求めていく姿勢が他の人と大きく違う。
光があたってなかったところに光を当てる。
今までに多くの人が踏み固めてきた安全で歩きやすい道でなく、誰も足を踏み入れたことのない道に、果敢に、勇気を持って足を踏み入れる。
偶然を楽しみつつ、また変化し続ける自分を受け入れつつ、自然体で歩んでいく。
升田九段のように新たなアイディアを常に追い求め、必死で追いかけ続けているのだけど、どこかにあの散歩の写真のイメージの羽生さんがいる。
けものみちにどんどん踏み込んでいくことは困難に立ち向かっていくこと。
困難や逆境や修羅場を経験することは、結果的に自分の可能性を引き出してくれるすばらしい機会。
どれだけ経験しているかが人間をより大きくし、より深いものにする。
それが直感力を育てる元になる。
40歳を過ぎても、羽生さんはどんどん進んでいく。
羽生さんならではの歩き方で、光を浴び、淡々とゆったりと進んでいく。
ますます充実し、輝いていく羽生さんのこれからの道を、一ファンとして心から楽しみにしています。