仕事が忙しかったこともあり、ワールドカップが始まっちゃったこともあり、いろいろあったのだけど、ひとつの大きな要因は久々のギックリ腰。
慢性の持病なので仕方がないのだけれど、このところしっかりストレッチもやっていたこともあり、もう2年くらいはずっと調子よかったのです。
ブログにも過去何度か書いてますが、こんなこともありました。
激動の一週間
これ、4年前なんですね。懐かしいです。
つい先日、朝起きた感じがなんとなくおかしくて、何かのはずみでギクッとやったわけでもないのだけど、徐々にまっすぐに立てなくなり、痛みが激しくなってきました。
でも予定もあったので頑張って支度してカバン持って傘さして、駅までジジイのように腰曲げつつとぼとぼ通常の二倍の時間をかけて歩いて行ったのだけど、どうにも辛すぎて、こりゃ無理、とあきらめて敗残兵のような感じで家に戻ってきてしまいました。
仕方なく一日の予定を全部キャンセル。
電話するのも辛いのだけど、謝りまくって一日静養することにする。
というか、ここまで歩けないのでは仕方ないと諦める。
こういう時はこれが頼み。
ストレッチポールです。ずいぶん前から結構愛用してます。
その後、やっと何とか歩けるようになってからは行きつけの整骨院に。
マッサージや電気だけでなく、キネシオテープを貼ってもらいかなり改善してきています。
昔、一番ひどかった時は1週間トイレにいくのがやっとで全く動けなかったこともありました。
寝返りさえ打てず、痛くて痛くて、眠れないし、食欲もないし、本当に地獄の日々だった。
それに比べたらもう何度もやって慣れてるし、そこまではひどくはならないのだけれど、腰は要、何をするにも肝心です。
それにしてもギックリ腰になると哀れなもんです。
自分ながらみすぼらしいというか、ダンディな自分がプライドも何も気にしていられなくなります。
ひどいカッコなんだろうな。哀れなジジイそのものなんだろうな。
情けないなあ、オレ。
それよりも痛みさえ取れればそれでいい。
普通に歩いたりできたらそれで幸せ。
つくづく健康でいることの有難味を思い知らされます。
ということで、コートジボアール戦の敗戦も、またまた訪れたギックリ腰も、きっと神様が与えてくれた試練。
ここで起こってしまったことは何かしらの理由があり、それは何らかのメッセージが詰まってるはずです。
ストレッチポールの上でサッカー観戦しながら、今回のギックリ腰の意味をしっかりと考えている今日の自分です。