![]() | ブログ進化論?なぜ人は日記を晒すのか岡部 敬史講談社このアイテムの詳細を見る |
既報の通り、Danchoさん、ssayさんと銀座で飲み会でした。
長いトンネルを彷徨っているらしいDanchoさんを中心にして、仕事の事、ブログのこと、将棋のこと、などなどたくさん話しました。
やはり、ブログを通じて知り合った仲間ということもあり、どうしても話題の中心はブログのこと。
先日書いたブログ仲間との交流と言う記事にも、皆様からコメントいただいてます。
毎日しっかり続けてる人、最近やめてしまった人、悩みを抱えつつ書いてる人、ネット上の暴力にあって傷ついた人、などなど、いろんな人がいろんな思いで毎日いろんな記事がネット上にあふれ出ています。
誰しもブログについて考えることはあったと思うし、僕も時々足を止めてはたと考える。
ブログってなんなの?
何のためにやってるの?
意味あるの?
前に読んだこの本を取り出してきて、再度読んでみた。
ブログというのは、
「ネット上に建てた家」
なんですって。
自分が手作りで趣向を凝らして、かなりのエネルギーで建てたものなので、
それ相応の愛着がある。
汚れてきたら掃除もするし、時々はメンテナンスもする。
いろんな人が遊びに来てくれて、居心地のいいリビングで、
一緒にお茶飲んだり、おしゃべりしたりした。
その時々、いろんな仲間との楽しいひととき。
違う意見の人や、違和感のある人も含めて、うちに来てくれた人と一緒に考えたり話し合ったりした。
そして、この本のサブタイトルにもあるように、
「なぜ人は日記を晒すのか。」
つまり、家なんて、多くの人に知られなくたっていいし、家族と親戚と一部の友人くらいが知っていればいいわけで、ネット上に目立つように建てるもんではない、という理屈。
自分の家をネット上に建てることの意味は何か。
ネット上の家で暮らす事は、多くの人に見られている、ということ。
でも、それを認めた上で、ネット上の家で、いかに楽しく暮らすのか、暮らせるのか、ということ。
楽しく暮らせなくなったら、その家は売っぱらって(?)、リアルの家でも何でも別の家に引っ越せばいい。
で、3人で飲んで、僕の意見をざっくばらんに言いました。
(別に人それぞれの目的ややり方でいいわけだから、基本は自分らしいやり方でやればいいのだけどね。)
『Danchoさんは、僕みたいにいいかげんな性格でなく、真面目だから、あまりに読者を意識しすぎているんじゃないの?』って。
家に遊びに来てもらう人に不快な思いをさせないように、きちんとお茶出したり、くつろいでもらったり、心遣いたっぷりに。
Danchoさんの家に来て楽しかったな、また来たいな、って思ってもらえるようなホストとしてのホスピタリティ、おもてなしの心。
僕はそこまでできない。
いろんな人とコミュニケーションしたり、交流したりはしたい。
来たい人には家に来て欲しいけど、僕も生活があるし、家は片付いてないし、忙しいとお茶出してあげられるかどうかもわからない。
でも、その家では、僕は楽しく元気に生活してるようにしたい。
自分が楽しく生活してないと、遊びに来る人もつまらないはず。
ということで、その家で、どう楽しく暮らすのか。
自分の好きな事を生き生きとやって、笑い声が外にまでこぼれている。
あっ、楽しそうな家だな、あらっ、結構人が集まってるな、
将棋の話も聞こえるし、線路内人立ち入りの話をしてる人もいるみたいだ。
面白そうだからちょっと寄ってみようかな。
あんまり敷居高くないみたいだし、気軽に入っちゃってもよさそうだよな。
では、ちょっと・・・。失礼しまーす!
なんてことで、Danchoさんも、
『発想を変えて、「自分が楽しんでいる視点」で書いてみる…。』
と書かれていますし、リフレッシュできたようでよかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
ま、これからもお互い、ゆるゆる、楽しくやっていきましょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_heart.gif)
>これまでのスタンス・ペースで。
はい、いつまで続くかわからないけど、こんなペースでやっていくつもりです。
また遊びに来てください。