即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

ビジョナリーということ

2014年02月02日 14時45分50秒 | メディア
また間が空いてしまいました。

フリーランスになってから4年半、昨年くらいから新しい案件も含め、結構いろんな相談があって、この人ほどではないにしろあわただしい局面になりつつある。

ここではあまり仕事のことは書いてはこなかったけれど、基本的には個人事業としてのプロデュースやプランニングの仕事。
ずっと広告業界でやってきた経験やネットワークを生かして、僕に声をかけてくれた人に“そこまでやってくれなくてもいいのに”、と言われるくらいのアウトプットをしたいと思ってやっている。
デザイナーやプランナーや周りのいろんな人の協力のお蔭もあり、年々仕事も増えてきていて、もっとこんな仕事もしたいなあ、こんな企画を実現できたらいいなあという次への欲も出てきている。

忙しくなっている中でより充実した仕事、納得のいく仕事をしっかりやっていくためには、以前《“らしさ”を突き詰める》という記事でも書いたのだけど、自分の強みとは何か、より自分らしい仕事とはどんな仕事か、という自問自答を繰り返していくしかない。
自分のvisionを極めていくこと。掘り下げていくこと。しっかりと固めていくこと。

全然話は変わってこの話。
小保方晴子さんが声明「プライバシーに関わる取材が過熱」STAP細胞研究者

メディアのことについてはさんざん書いてきたけれど、やっぱりこうなっちゃうんですね。
割烹着、指輪、ラクロス、などなど些末なことを必要以上に取り上げて、肝心の研究内容、STAP細胞のことについてはお茶を濁している。
何でもかんでもワイドショーネタとしてしか取り上げられない日本のメディア。
いつまでたっても全然変わらないこの体質。
そりゃ一般人にはわからない難しい話をテレビで延々とやったって仕方ないのはわかるけど、そっち、行きすぎだろ、ってこと。
局によって、新聞、雑誌社によって、それぞれの持ち味を出した特徴的な取り上げ方をしてくれればまだいいのに、どこも同じ、代わり映えしないような取材の仕方、取り上げ方に終始する。
もっと研究内容について、将来の可能性について、僕らにもわかりやすいように掘り下げていく、報道していく姿勢はないのだろうか。
そんな番組や記事を作っても、誰も相手にしてくれないのだろうか。

上記の小保方さんの声明についても、ネットメディアでは取り上げているもののテレビや新聞では言及してないように思う。
それぞれのメディアの特性や考え方を生かした個性溢れる取り上げ方の方が面白いと思うのに、前にも書いた記者クラブの現実と同じで、皆横並び、呉越同舟、護送船団、自分だけが落ちこぼれないように互助会的に支えあっている旧態依然とした体質。

多くの視聴者や読者はワイドショー的な取り上げ方だけで満足してるわけではなく、違和感を感じている人の方が多いのだろうとは思うけど、いつまでたっても一向に変わらないこの現状にいささかうんざりしている。

長いことNYにいる津山恵子さんが最近こんなことを発言されてました。(引用させてもらいます。)

《日本人は、テレビはどうなりますか?新聞は、雑誌は?と既存の枠にとらわれて、生き残りのための質問をしてくる。米国人は、メディアはどうなる?メディアに働く人はどうなる?とvisionaryな質問。先端についていくためには、頭が後者なので、日本人に答えるには頭を巻き戻して「過去・現状はこうだから、これが問題で、これからはこうしたらいいのでは」となる。米国人には「今先端で起きていることはこれだから、将来はこうなるでしょう」と答える。日本の政治やビジネスは、visionに欠けるとよくいわれるけど、答えを求める問題意識から違っているからだと思う。》

日本とアメリカのものごとの本質的な捉え方の話。
アメリカでは目先のことや短絡的なことでなく、できるだけ想像力を働かせて、解きほぐす、突き詰める作業が存在している。
何がどう問題なのか、という思考の中に、自分ならではのvisionが明確にあるかどうかが問われている。
一般的な問題でなく、自分事としての問題意識。

仕事でも何でも、できる限りvisionaryに考えて、想像を働かせて、visionaryな問いかけができるようにしていかなければいけないとつくづく思う。

STAP細胞のメディアの取り上げ方の話も同じ。
視聴者や読者にわかりやすく伝えることはもちろんだけど、そこにそれぞれのメディアのvision
というものがクロスされていなければいけないのだと思う。
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魂の実況@世界卓球

2013年05月17日 09時40分21秒 | メディア
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テレビ番組は離乳食

2013年01月26日 23時47分23秒 | メディア
今までに日本のテレビ番組のクオリティや制作の姿勢についてどんだけ苦言を呈してきたことだろうか。
メディアの先見性、独自性
劣化スパイラル
テレビへの期待 
責任を取る・その2
自分のことは棚に上げて
テレビの存在意義
マスコミの横暴
テレビ局の相互浸透
納豆問題
番組の価値
バレーボール中継のこと
スポーツ実況中継の今後
番組制作現場の本音
一番悪いのは
根本的な体質
番組を楽しむ

そんなにダメだと思うのなら、見なきゃいいじゃん、と言われてしまうと元も子もない。
しかし、番組の視聴者満足度は年々低下してるのは間違いない事実。
視聴率は低下し、新聞だけでなく、テレビ離れも起こっている、
生活や嗜好の多様化もあり、お茶の間で一家団欒でドリフを見てた時代は遠い昔の事だし、BSもCSも含め多チャンネル時代になったわけで、一概に自分の好みと違うからといっていちいちケチつけてるのもバカバカしい気もする。
しかし、政治家と同じで、地上波の番組の作り手側の意識はどうも昔と全く変わってないように思うし、彼らの危機感が全くないことにあきれ返る日々がずっと続いている。

そんなことをしっかり印象的に書いているブログを見つけたので紹介します。
杏野はるなオフィシャルブログといういわゆるアイドルタレントのブログです。
『ダイオウイカ×日本の地上波×レベル』とその続編たくさんのご意見ありがとうございました×地上波のレベルを例えると?

一部引用させてもらいます。
-----------------------------------------------
例えば、動物番組の世界最高峰は確実に、ナショナルジオグラフィック、アニマルプラネットですが、日本の動物番組はタレントが出てきてキャーキャー言っている。
こういう場合、本当にタレントってそこに必要? 動物を映したいの? タレントを映したいの? って思う。動物をフィルターにしてタレントを売りたい?
ナショナルジオグラフィックやディスカバリーチャンネルはタレントなんて出ない。いても進行役が一人。そしてその分、息を飲むくらい美しい映像とシンプルなナレーションのみ。
これで伝わる。十分に。

バラエティーはバラエティーでタレントがたくさん出てワイワイやれば楽しいと思う。私もめちゃイケさんとか大好き。ですが、日本はドキュメンタリーとバラエティの差がなさすぎる。

局もスポンサーも目先の視聴率でなく、もっと長い目での『作品』作りを考えて欲しい。
世界に誇れるコンテンツを。

そこにそのタレントが本当に必要?
そこにそのワイプが必要?
そのセット本当に必要?
--------------------------------------------(引用終わり)

ドキュメンタリーもスポーツも、いや、報道も政治も何もかもがバラエティ。
全面的ワイドショー化。

ドキュメンタリーだろうがスポーツだろうが、その本質的な醍醐味を追及してほしいわけだけど、本格的にやると視聴者がついてこられない、楽しめない、従って視聴率が取れない、ということでタレントを起用して、わかりやすく、親切さや親しみやすさを追いかけてしまっている。
難しくて楽しめないと勝手に思い込んで人を甘く見てバカにしてるその姿勢。

さらに杏野はるなさんはこう続けました。
(ここから再び引用↓)
----------------------------------------------------
そして私が思ったのは、
今の地上波テレビって何かに似ているな? って。ピンと頭に出てきたのは

「離乳食」でした。

そう、赤ちゃんが食べる食事です。
もちろん赤ちゃん用に限界まで食べやすくしています。

でも、それは赤ちゃん用の食べ物で、大人が食べるものではありません(食べても構いませんが)
つまり、今の日本のテレビは、これでもか! っていうくらい視聴者に親切なのです。
もうわかったよ、というものもわざわざ物撮りしてテロップ、ナレーションまで入れる。コマーシャル開けに、また数分戻ったような内容をくり返す。実に、赤ちゃん仕様なのです。

離乳食と言うのは言い換えれば、乳離れさせる為の食品です。
いつまでも柔らかいものを食べていては成長が遅れてしまう。
テレビにも同じとが言えます。いつまでもこんなに甘い子供向けの内容ばかりやっていては視聴者のレベルも上がりません。
-----------------------------------------(引用終わり)
僕らのことを勝手に赤ちゃんだと思ってる。決めつけている。
赤ちゃん言葉を使って必要以上の赤ちゃんグッズを駆使しておもねってあやしてばかりいる怪しい奴ら。

ドキュメンタリーだろうが、スポーツだろうが、報道番組だろうが、タレントがはしゃぎまくって賑やかなバラエティー風に伝える。
大きなテロップ入れたり、何度も同じシーンを繰り返したり、スタジオの歓声を入れたり、というお約束の辟易するような赤ちゃん向け演出。
それがテレビの正義であり、視聴率も取れる最善手だと信じ込んでいる。
もちろんどんな番組であれ、飽きさせないよう、よりわかりやすいように、構成とか演出とか考える必要はあると思うけど、何でもかんでも同じ仕様に仕立てあげてしまう●●の一つ覚えのような手法はいい加減やめたらいいと思う。
赤ちゃんが見る番組もあっていいけど、高校生とか、サラリーマンとか、大人のいろんな人が見て、いい番組だと思える色とりどりのコンテンツを提供できないのだろうか。
万人に見てほしいとは思わず、きっちりしっかり割り切って、こういう人だけに見てほしいと、際立ったターゲットを見据えて番組を作ってほしいと思う。
すべての食べ物の味を甘くして食べやすく、というのでなく、食べ物によって、相手によって、スパイスが効いてたり、こくがあったり、フルーティーだったりと、料理のバリエーションも含めプロの味わいを提供してほしいと心から期待してやみません。

はるなさんが指摘しているように、欧米と比べて日本人がいつまでの精神的自立ができないでいる一因もここにあるような気もするし、テレビを含めたマスメディアこそが今までの流れから乳離れして、この国を責任もって引っ張っていく自覚や気概を持ってほしいと願っています。
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言葉狩りという暴力

2011年10月25日 00時48分19秒 | メディア

このところすっかり社会派ブログになってしまって、将棋ネタともご無沙汰です。
(羽生さんの新刊も読んだし、竜王戦のことも、そのうちまた書きますね。)

最近書いた二つの記事。
真実に迫る
危機を生む風
どちらもマスメディアの報道姿勢についていかがなものかという内容です。
政治家も官僚もそのまわりでうろうろしてる記者たちも、どっぷり利権や温床に浸かっていて、3.11も含め、日本の状況がこれだけ危機を迎えているにも関わらず、いつまで経っても揚げ足取りやワイドショー的な政局のことばかりやっていて、世界からは見放されるし、このままではどうなってしまうんだろうと思わざるを得ない今日この頃です。

前回も紹介した上杉隆さんの最新記事です。
「放射能つけちゃうぞ」発言捏造をめぐる記者クラブの“やり方”――そしてさらなる新事実

鉢呂元大臣の公式会見での死の町発言の時、その場にいた大勢の記者たち。
その後の質疑応答において、この点について質した人は誰もいなかったんですって。
なーんだ、誰も問題だなんて思ってなかったんじゃん。
それで、後になってから、誰が言い出したか知らないけど、ありゃ、ひどいねえ、となって、そうだそうだ、で、こんな風になった。
なんでなの?意味不明。

そして、死の町発言も、こういう内容だったとのこと。
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残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でございました。私からももちろんでありますけれども、野田総理から、福島の再生なくして日本の元気な再生はないと、これを第一の柱に野田内閣としてやっているということを、至る所でお話をしたところでございます。
-----------------------------------------------
大臣の発言としては脇が甘いのは否めないけど、これ読むと、問題にする方がおかしいとも思う。
《死の町》というドッキリするような一部分だけを抽出して、騒ぎ立てる姿勢。

このような言葉狩りについて、シナリオライターの今井雅子さんは、こう指摘しています。

《反射神経的な言葉狩りは危険。
 なぜその言葉を発したのかを掘り下げる想像力が、
 潤滑油になるはずなのに。
 大人が率先して思考停止してしまうのは、悪いお手本。》

なぜその言葉を発したか、ということがシナリオにとって大きな意味を持つ。
そのことを常にとことん掘り下げて、想像力を目一杯働かせて心に響くシナリオを書いている今井さん。発する言葉一言一言に全精力を傾けて紡ぎ出している今井さんだからこそ、文脈、背景など、すべてを取り払われてその言葉だけが抜き出されたらどんなに悲しいかと思う。

次に高木善之さんの記事、
「脱原発」が危ないから。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
表向きは「失言による辞任」だが、真相は「脱原発の大臣が切られた」ということのようだ。

これまで、省庁にとって都合の悪い大臣は、スキャンダルやねつ造事件で辞任させられてきたが、「脱原発」の鉢呂さんは経産省にとって最も都合の悪い大臣だった。

彼は就任後のあいさつで「国内原発は将来ゼロに」「原発の新設否定」など、思い切った「脱原発」を語った。また、原子力政策を左右する総合資源エネルギー調査会(現状は推進派が圧倒的多数)を「推進派、反対派、半々の人選」にする異例の人事を発表する矢先だった。

今回の辞任劇を演出したのは、原発の利権を守る「原子力村」の一翼を担うマスコミだった。

彼は、「はめられた」と無念さを隠さなかった。

彼は、後任の枝野大臣に、「推進派、反対派、半々の人選」を引き継いだと述べた。枝野大臣も就任のあいさつで、「東電の損害賠償責任」について踏み込んだ考えを示したが、経産省、電力業界の強い抵抗が予想される。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
単に揚げ足とって辞任に追い込むというだけでなく、その背景や意図があるということですね。
気に入らないと、寄ってたかってそれこそ裏情報を探し出してきてリークする、失脚させる。
怖いもんです。
どこのどういうニュースや情報をどうやって信じたらいいのか。
我々は何を判断基準にしたらいいのか。

政府も、マスコミも、ますます信じられないこの状況。
マスコミは権力と一体になって横暴を繰り返す。

それから、松本、鉢呂に続いて、一番最近の「私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカな奴がいる」と発言した平野失言について。
失言に次ぐ失言、あまりに多すぎて、釧路湿原、とか、全国の湿原の数よりも多いかもしれない。

ssayさんまた大臣が辞任か・・・と言う記事でまたも失言辞任か、とあきれていましたが、下記の記事を見ると、メディアがあまりに騒ぎ立てるからいけない、と言っています。

田中龍作ジャーナル
平野復興相「バカ発言」 記者クラブよ、言葉狩りもいい加減にしろという記事では下記のように言ってます。
*****************************************
国の命運さえ左右する原発事故やTPPなどの問題では、何ら真相に切り込めず、ただ言葉狩りや検察リークの垂れ流しにいそしむ記者クラブ。そんな彼らが発信するマスゴミ報道に右顧左眄しているのが、民主党政権だ。この国の将来は極めて危うい。
******************************************

横並び、ごますり、保身、怠慢、権力の笠を着たマスメディアの記者たちの劣化度合い、かなり行っちゃってますね。

さらにもうひとつ、牧野洋さんのコラム、「ジャーナリストは死んだか」より、
現場に記者がいなかった事実を隠した「鉢呂発言」報道、オリンパス疑惑をスクープをした雑誌を後追いしても「黙殺」ーー日本の新聞報道倫理は「ガラパゴス化」している

独自取材もやらず、裏も取らずに他の記事に便乗、出所も書かずに単に後追いしてほぼ同様の記事を書く。
そんな仕事がまかり通っているガラパゴスジャーナリズム。
呉越同舟。皆で渡れば怖くない。
まあ、適当に他と同じようなことを書いといて、早めに飲みに行くとしよう。

そんな素晴らしいマスメディアに恵まれた我々。
歪んだ情報、偏った報道、権力に庇護された立場からの上から目線での物言い。
さて、我々はどのように自己防衛しつつ、こういう報道、情報といかに付き合うのか。
テレビも新聞も一切見ないという作戦もある。
現状として妥当と思うのは、主にネットを通じていろんな情報を取りながら、できるだけ真実に近いものを選び抜いていく作業。
自分のお気に入りの信頼できる情報源をいくつか作っておいて、自分で総合的に判断していくやり方。
マスメディアの劣化が止まらないのであれば、ますますそういう知恵をつけていかないといかない。そういう習慣を作っていかないといけない。
何事もすべて人任せにはしない、自分でやっていくしかない、という時代なわけですね。

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危機を生む風

2011年10月16日 01時30分31秒 | メディア

つい先日、真実に迫るという記事を書きました。
松本元大臣、鉢呂元大臣の件に関するマスメディアの姿勢についてです。

この中で取り上げた東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋さんの記事。
長谷川幸洋「ニュースの深層」
当事者が初めて語った「放射能失言」の裏側!鉢呂経産大臣は原発村を揺るがす 「原発エネルギー政策見直し人事」 の発表寸前だった
当事者が初めて語った「放射能失言」の裏側!VOL.2「鉢呂大臣の懇談に記者は出席していなかったが取材現場にいた」というフジテレビの言い分(17日に追記あり)

そして、田中龍作さんの記事、
鉢呂経産相辞任 記者クラブに言葉狩りされて

どうも釈然としない。
結局、大臣が辞めた原因に関して、最後まではっきりせず、当事者たちはほっかむりしたまんまなんだろうか?
別に犯罪なわけでないし、もうこのまま事実は闇の中で過ぎていってしまうんだろうか?
犯人を見つけてさらし首にするということでなく、さらに事実を追求して、ことの本質に迫っていくことはもうないのだろうか。
こういうメディアのあり方や永田町との馴れ合いについて、このままではよくないと改革、改善していく道はないのだろうか。
のうのうと情報と接待などの貸し借りや保身、かばいあい、相互互助会、甘えの構造、現状肯定固執継続の道はまだまだ長く続くのだろうか。

狐の王国というブログの愚かな大衆は「中立性」が不可能要求であることに気付けないという記事もこのことを書いています。

「マスメディアは、自分らの本当の使命を見つめ直す必要がある。
伝聞で大臣ひきずりおろすのがあんたらの仕事ですか?」

さらに、上杉隆さんが今回のことを鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった!という記事に書いてます。
部分的に引用させてもらいます。 
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仮に、テレビや新聞の報じていたニュースがまったくの虚報だったらどうすべきか。おそらく、一般の人々はそのデマを元に報じられたニュースの善悪性を判断し、人物評価を下してしまうだろう。そして、それによって当事者の人生は、大きく変わってしまうことが多い。

 海外のジャーナリズムでは忌み嫌われる横並びの報道を「是」とする日本の記者クラブ制度のもとでは、実はこうした被害がたびたび発生している。ジャーナリストの浅野健一氏や山口正紀氏などが長年追ってきた「報道被害」の実例は、枚挙に暇が無い。
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歪んだ報道によって我々は間違った判断をしたりする。
大きな意味での報道被害は我々もかなり蒙っている。
そのことが日本全体の成長を妨げている。
このことは誰がどう責任取るんだろうか。
その立場、責任ということを考えると、犯罪であるとすら言えるのかも知れない。

(再び引用)
--------------------------------------------------
 つまり、マスコミが勝手に自ら言葉を発して、何も語っていない政治家の話した言葉として勝手に報じて、勝手に責任を追及し、デマによって世論を煽り、ついには大臣を辞めさせてしまったというだけの話なのだ。

 なんとばかげたことだろう。とても民主主義国家のメディアの仕業とは思えない。根拠のないデマによる集団リンチであり、ジャーナリズムの自殺行為だ。

 しかも、そうした事実が明らかになった現在もなお、どの社も鉢呂氏に対して、訂正も謝罪もしていないという。ぶら下がった記者の中には密かにICレコーダーで録音し、完全にすべてを理解しているにもかかわらずである。

 卑怯、ここに極まれり、といった感である。
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こういうことが以前も起きていたのだろうし、辞任を余儀なくされた当の本人も含め、なんでこのままで済ましてしまうんだろうか。

この暴力団的な体質や風土を、誰も触ることができないのだろうか。
そして、内部告発的にでも、意識の高い(というか普通の感覚の)記者が思い切って真実を報道することはもうないのだろうか。 

臭いものには蓋。事なかれ主義。
いい加減。仕事なんか適当に問題おきないようにやっとけばいい。
早く終わりにして、高級料亭やホテルに行って一杯やろう。

いやいや、そんな人ばかりじゃもちろんないと信じて疑わない。
異質なこと、異質な人間は生きていけない世界。
変に目立つと排除される。
言いたいけど言ってしまうと社内の立場もあるし、まっ、いっか。
疲れることはやめとこう。
おとなしくしてよう。
今までのまんまでいいや。

永田町も、東電のような大企業(九電のやらせメール報告もあきれてしまう)も、マスメディアも、この国を動かしているところには完全にこういう風が吹いているし、その風が広く蔓延するこの能天気で幸せな国。
だからこその危機的状況。
この現実に対して、あきれるほどに悲しく思う。
この風をどうしても変えないと。
3.11を機に、誰が悪いなんてことじゃなく、皆でしっかり反省して、ダメな部分はちゃんと改善して、この国の明るい未来のために、新たな一歩を踏み出して前に進んで行こうよ、ね。 

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メディアの先見性、独自性

2011年10月14日 01時31分28秒 | メディア
またマスメディアのこと。
特にテレビ。
あんまり見ないくせにいちゃもんつけてすみませんね。

忘れているけど今までもたくさん似たようなこと書いてます。

テレビへの期待
劣化スパイラル
報道の価値

昔からおつきあいさせていただいている古川裕倫さんITメディアエグゼクティブの連載コラム、テレビ局の品格とスポンサー企業の品格で、最近のテレビ番組の劣化について憂いています。

例えば最近のなでしこジャパンの選手たち。
あれからどこの局もすごい勢いで引っ張り出して、バラエティ、トーク、ドキュメンタリーと思い切りチヤホヤしてる。

それはいいんだけどさ。
なんか節操ないというかちょっと照れくさかったりしてないですか?

だって、長年、全然女子サッカーには誰も見向きもしなかったのに、WC優勝したとたんにこの有様。
一億総動員でさんざん群がって、番組、雑誌、イベント、CMと引っ張りだこ。

マイナーで観客動員も何も酷い有様で食っていけない業界だったのがすっかり人気のコンテンツになる。

もうちょっと前からうちの局だけは、なでしこが行けると思うし、いろいろ取り上げて応援してたってとこ、ないのかい?

マイナーなうちから先見の銘でしっかり力を入れるという姿勢を持つようなメディアがあってもよかったんではないのかい?

これ、なでしこのことだけでなく、何でもそう。
話題になると、どの局も同じように一気に取り上げて、また少し冷めると皆が引いていく。

自分だけの意見とか思い入れとか好き嫌い的判断でもいいので自分だけの拘りってないのかい?

世間が騒ぐと初めて、これ注目集めてるから、視聴率取れるから、と皆同じような切り口の番組を作る。

おせーよ。

マスメディアってそういうもの?
じゃ、ないでしょ?
局により、とか、新聞社により、とか、それぞれのカラーを持たないと。
たくさんの視聴者や購読者を持ってることに甘んじてるだけでは、なんか違うんでないの?
それじゃ、この先やばいんでないの?

セルフアイデンティティとか、セルフブランディング、とか。
呉越同舟、護送船団、皆仲良し、相互浸透、安全に甘い世界で安穏と生き延びる風土。

視聴率とか広告収入とか利益確保のための事業という意味合いは仕方ないけれど、そうではなく、経営理念やミッションはどこに行ったの?
何がやりたいのか。成し遂げたいのか。
例えばだけど、
うちの局(新聞社)はこういう考え方でこういうマイナースポーツを応援したいという意思とかメッセージはないの?

以前「自分事」化「自分事」として考えるという記事を書いたけど、どんな事件が起こっても、どんなに時代が変わっても、全然自分事になってないじゃん。

公共性とか、視聴者の求めるものを、って言ったって、なんだかわかんないよ。
独自の視点、独自の切り口。

大げさに言えば、
どういう国になったらいいの?どういう政治が望ましいの?
どういう生活をしてどういう未来を創っていったらいいのか、など、

単に視聴率が取れそうな番組、ということでなく、
自らの誇りや見識を持って、メッセージ性のある番組をぜひ作ってほしいと思うんですよね、マジで。
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真実に迫る

2011年10月04日 22時35分35秒 | メディア

松本元大臣の暴言事件を発端に、マスメディアのあり方、ジャーナリズムについていろいろ考えさせられました。

マウンティング体質
ジャーナリズムの本質
マスメディアの役割
報道姿勢

今度は鉢呂元大臣の失言事件です。

毎回必ずと言っていいほど、新閣僚の誰かがあっという間に失言放言その他の問題を引き起こし辞任する。
何でなんでしょう。
浮かれていい気分になって普段はやらないことをやって自爆するのか。
あまりにその確率の高さに唖然。
自爆の失言は仕方ないけど、金の問題やつまんないスキャンダルなんて、野党や反対勢力が足を引っ張ってるとかリークするとかそういうこともあるんじゃないですかね?

そして、辞任を迫り、首相の任命責任を追及する。
問責決議案を取りざたする。
そんなゴタゴタや内輪もめしてるうちに、やらなければならない大事なことに使う時間がどんどん減っていく。

もう政治不信なんて言葉も言い古されて死語になりつつあります。
感じなくなってる。
不感症で不干渉。

でも、何度裏切られても、痛い目にあっても、それでもまだ、どじょう内閣なら今度は多少は何とかなるか、ってほんの少しの期待をしちゃうところが人が良過ぎるというか甘すぎる。
政治家に文句言ってる場合じゃなく、自分で考えて動けよ、ってのはわかるけど、そうは言ってもねえ。
自分たちでできることとそうじゃないこともいっぱいあるし。

国会とか、我々の期待に応えてくれる人ってそんなにはいないのかなあ?
期待する方が酷かい

政界には我々の気持ちをわかってくれる人っていないのかなあ?
誰も正解はわからないのか。

今回の件も、経産相なんだから、こんなこと言ったらどうなるのか、
ちゃんと、けいさんしよう、よ。

このことについてはssayさんが、下記2つの記事で特に伝える側の嘆かわしい現状を憂いています。

経済産業大臣が辞任した件について・その1
経済産業大臣が辞任した件について・その2

さらに、何度も取り上げている小田嶋隆さんの「ア・ピース・オブ警句」の中の大臣の失言と裏を読みたがる人々

「死の街」という描写よりもむしろ大きな問題だったのは「放射能」発言の方だったと小田嶋さんは言ってます。

そして、田中龍作さんの鉢呂経産相辞任 記者クラブに言葉狩りされてと言う記事。一部引用させてもらいます。
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大臣を辞任に追い込んだ記者クラブの面々は鼻高々だ。記者会見室には哄笑が響く。得意絶頂のあまりヤクザ言葉で鉢呂氏に答を迫る記者もいた。社名も名乗らずに無礼千万な態度で質問するのである。同業者として恥ずかしい。
 筆者はその記者をドヤシ付けてやった。後で名刺交換し社名を聞こうと思っていたが、輩は記者会見が終わるとソソクサと記者室に逃げ帰った。大手メディアの記者であることだけは確かなようだ。
 社会人としてもお粗末な連中だが、「藪の中のオフレコ懇」と「言葉狩り」で国務大臣の進退をも左右することが可能なのである。記者クラブが国を滅ぼすことを確信した会見だった。
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こういう世界ついていけないですね。
完全に上から目線の特権階級の仕事振り。
この国の報道とかジャーナリズムというのはなんでこんなんなっちゃったのでしょうか。

もちろんこの大臣もいかがなものかではあるけど、意図的に誰かの言葉のある部分だけ取り出したりするのはメディアの暴挙だと思う。
松本大臣の時もそうだけど、経緯や文脈も含めて伝えてもらわないと、放射能つけちゃうぞ、で辞任と捉えてしまうことが不安です。
説明責任って言い方は偉そうでいやなんだけど、こういう僕らの心持ちに応えてくれるメディアやジャーナリストいないのでしょうか。
現状ではマイノリティ、もしくは絶滅危惧種なんでしょうか。

放射能つけちゃうという発言が、オフレコとか、バラした方がルール違反とか、結局は闇の中です。
そこをきちんと追求してくれているのがこの人。
東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋さんです。

長谷川幸洋「ニュースの深層」
当事者が初めて語った「放射能失言」の裏側!鉢呂経産大臣は原発村を揺るがす 「原発エネルギー政策見直し人事」 の発表寸前だった
当事者が初めて語った「放射能失言」の裏側!VOL.2「鉢呂大臣の懇談に記者は出席していなかったが取材現場にいた」というフジテレビの言い分(17日に追記あり)

現場にはいたけど輪の中にはいなかったというフジテレビの報道。
離れて見ていてのかなり主観的で推測的な記事の中での“放射能つけてやる”なわけですね、多分。
よくは聞き取れなかったけど、ああいう動作をしてこう言ったのだったら、これは行ける、面白いネタだ。受けそう。

問い詰められたフジテレビの曖昧模糊としたこの回答↓。見てください。
わけわかんないです。

「『懇談』という言葉は、読者にクローズドスペースの印象を与えかねないため、より正確に伝える必要があると判断し、言葉をより厳密に選びました。今回、オープンスペースでの囲み取材であったため、取材現場にいたという表記の方がより正確に伝わると判断し、そのように表記するよう依頼しました。取材は現場で当社記者が直接行っており、記事にあるような推測は事実ではありません。」

この長谷川記者の真実への迫り方、応援したくなります。
さらにしつこく突っ込んでいってほしいです。
こういう記者がいたんですね。

長谷川さんの本まで買ってしまいました。

日本国の正体 政治家・官僚・メディア――本当の権力者は誰か (現代プレミアブック)
クリエーター情報なし
講談社


この本の内容紹介です。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
日本を本当に動かしているのは誰か、真の権力者は誰なのか――

「三権分立」「国会 は国権の最高機関」などのタテマエとはおさらば。本当のリアルな姿を知りたい人のために、官僚組織と政権の裏側、そしてそこにビルトインされているマスメディアの実態を、実際に体験した具体例を元に描き出す。
二言目には「財政再建」を唱える財務官僚が不況を大歓迎し、一歩裏に回ると赤字ばらまきのために奔走する理由、経産省の役人らが天下り先を作り出す「専務理事政策」、大手マスコミの「できる記者」ほど役所の「ポチ」に陥りやすい構造などなど、新聞やテレビでは絶対にわからない、教科書には絶対に書かれない「権力の実体」が浮かび上がる。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
大方の記者たちは役所のポチと成り下がっている。
新聞社の人間でありながら、権力の手先となっているジャーナリストを告発しているこの潔さや迫力、結構痺れました。

この事実をさらに究明すると共に、日本のジャーナリズムのあり方についてしっかりと正していってほしいと願っています。

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報道姿勢

2011年09月08日 01時32分20秒 | メディア
ちょっと古い話になってしまいましたが、松本元大臣の暴言、恫喝(にどう見ても見える)事件について書きました。

マウンティング体質
ジャーナリズムの本質
マスメディアの役割

そして、最新記事「マスメディアの役割」に、じいさん(さん)、英さんから内容の濃いコメントをいただきました。ありがとうございました。
恐縮してるとともに、心からうれしく光栄に思っています。
ずいぶんと時間経ってしまって申し訳ありませんでした。

じいさんのご指摘、ご意見について、ずいぶんと考えさせられました。
我々はどこまでマスメディアの情報を信じたらいいのだろうか?
というより、どこまでマスメディアそのものを信頼していいのかどうかということを。

じいさんがおっしゃっている、「テレビは視聴者に逆らえない、視聴者や世論に迎合するのは仕方ない。」という見方はある意味そうだと思いますし、認めざるを得ないところです。
でもそれではあまりにも寂しい。テレビってそういうものなんだろうか。僕が決めることじゃないけど、果たしてそれでいいのだろうか。
百歩譲ってテレビはそうだとしても、新聞、雑誌も同じなのだろうか。
自分たちの主張や意見や提言、問題提起などはないのだろうか。
ジャーナリズムという意識はないのだろうか。
もっと言えば、社会の木鐸という言葉はどこに行ったのか。
もう死語と化して、社会の変化とともに海の藻屑と消えてしまったのだろうか。
経営第一ということで、視聴者、読者におもねって媚びを売ったような報道をしていればそれでいいのだろうか。
世論の風見鶏で自分の意見はないのか。あっても言わないのか。
では、メディアの存在意義、価値とは何なのだろうか。
青臭い見方なのかもしれないけど、どうしてもそう思ってしまう。
そういうものだから仕方ないよ、としたり顔で当たり前のように言ってしまう自分もいえるけどなんとなく嘘っぽく思えてしまう。
英さんのおっしゃるように、マスメディアは大きな影響力もあり、世論をコントロールする力もあるわけだから、毅然として自分たちしか知り得ない情報を元に、よりことの本質、真実に近いことを伝えてほしいと思うのです。
表面的なことのみを伝え、もっと真相を知りたければあとは(意識の高い人たちだけが)独自に調べることにまかせるというのは、あまりにもメディアとしての役割を放棄し過ぎと思えてしまいます。
そして英さんもおっしゃってましたが、一視聴者の立場として思うのは、単にあの大臣の言動はひでえや、という結末でなく、今回の細かい経緯や裏側にあることをしっかり報道してほしいと思っています。

田原総一郎さんもメディアの報道姿勢についてこう言ってます。
「メディアは事実の追求でなく、無難の追求に走っており、日本の問題点について真っ向から取り組もうとしない。」
戦場カメラマンのように、命を懸けて真実を伝えようとする勇気や真のジャーナリスト魂を、とまでは難しいかもしれないけど、あまりにも波風を立てない予定調和的な報道姿勢はいかがなものかと思えて仕方ないのです。
ネットやソーシャルメディアまかせではなく、テレビや新聞には、総花的ではなく、もっと果敢に突っ込んで、我々のキュレーションとなるべき独自の視点や意見を展開してほしいと願わずにはおれません。
こういうことって、日本独自のことなんでしょうかね?
海外のメディアって、アルジャジーラをはじめとして、もっと気概があるように思います。
いかにも日本的な呉越同舟互助会的風土が日本のメディアには蔓延しているように思われて仕方ないです。(この体質は、メディアのみならず、政治もそうだし東電のような大企業も含め、充満しているのでしょうね。そして、このことが日本を立ち遅らせている元凶なのだと思います。)

政治の裏側、原発の裏側、アメリカや中国との外交の裏側。
いろんなことがあるのだと思います。
情報が偏ってると正しい判断はできないので、できるだけ真実を的確に報道してもらえるとうれしいです。

田坂広志さんもこう言ってます。
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真の民主主義とは、「国民一人ひとりが、この国の運営と変革に主体的に参加する」ことに他ならない。
「観客型民主主義」の時代に別れを告げ、「参加型民主主義」の時代を切り拓いていかなければならない。
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報道に関しても、メディアの言うことを100%鵜呑みにはせず、自分で調べ自分なりの判断をしていかなければならないのはそうなのだけど、この国の復興や未来のためには、マスメディアが背負う責任というのもかなり大きいのでは、と思える今日この頃です。
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マスメディアの役割

2011年08月08日 22時01分28秒 | メディア
松本元大臣の暴言、恫喝について、先日書いた記事二つ。
マウンティング体質
ジャーナリズムの本質

大臣のことよりも、書いたら終わりだよ、という言葉をそのままほっておくマスメディアの姿勢について、問題視しました。

『この国は当たり前のように言論統制がまかり通っている国なんでしょうか?』

この記事について、コメントいただいたこてくんさんは、
『オフレコは容認できないし、それ以前に書かない会社が終わっているのに・・・・・。』
と同意してくれています。
多分、大多数の方はそう思っているのではないかと思います。

もうひとつコメントをいただきました。

じいさん(?)という方からです。遅くなりましたが、ありがとうございます。
初めての方でしょうか?ずっと見ていただいてる方でしょうか?

いろいろ考えさせられたので再度ここに紹介させてもらいます。
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 オフレコ発言の真意は、あそこに同席していた普通の感覚をもっている取材陣なら、悪意あってのことではないと理解できていたはずです。だから報道しなかったと見る方が常識的な見方です。東北放送は子供じみたミステイクをしたと思っています。彼らが編集した切り貼りの映像ではなく、あの席で交わされた全てのコトバ。また震災以降に開かれている松本大臣の記者会見や知事側が進めている特区の問題点を理解していれば、騒ぐべき性質のものではない「蛇足」だと判断する方が常識的なスタンスです。第一、オフレコ発言よりだいぶ前に、ここからはマスコミは退室してください、という場面にさしかかったにもかかわらず、いやいやこのまま取材してもいいよ、とオッケーを出して取材を続行させてくれたのは、大臣その人なんです。

 あのオフレコうんぬんは村井知事が叱責されている様子を映してしまうと知事のイメージが悪くなるからという、ただそれだけのことから出たコトバでした。脅迫的表現も、ある種の「お遊び」です。この後の騒動の中、したり顔のテレビコメンテーターや司会者などは、知事が遅れて入って来たのはマナー違反ではないというもっともらしい意見を言っていましたが、あれは間違いです。通常とおりの正しい姿勢より、重大事における自分の気持ちを見せる方が、あの場面では大切だったんです。ケースバイケース、何を優先させるのか。それが外交センスなんです。知事も痛い思いをして勉強をしたのでしょう。後任の平野大臣が1週間後に、それも遅刻して来た時は、カタチ通りの「マナー」などを重視せず、自ら出迎えていました。恩師にいわれたか、親父さんに叱られたか。忘れていた大切なことに気付いたのではないでしょうか。

 あの時の本当のミステイク。実は村井知事がしてしまったのであり、情況を冷静に判断できなかった東北放送だったのだと感じています。もちろん、あれはジャーナリズムでもなんでもなく、ただの週刊誌的ゴシップをお茶の間に提供しただけです。あのフライデーのような市民ウケする安直な映像により特区構想の不備というジャーナリズムが伝えるべき本質が隠されてしまいました。
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このコメント、このように論理的に説明されてしまうと、とてもわかりやすいし、ああ、そうなのか、実はそういうことだったのか、と納得してしまいます。

大臣は親分肌だけど、本当は優しい人で、知事のことを思っての言動だ、そういう空気も読めない知事の方が問題だ、などという話もネット上ではいくつか目にしていました。

しかし、(統計を取ったわけではないからよくわからないけど)大部分の人には上記のようなことが伝わってはおらず、僕が上記2つの記事で書いたような理解しかしてないと思われます。

もし、じいさんのご指摘が事実であるなら、取材したメディアはなぜそのように伝えてくれなかったのでしょうか。
東北放送が安直な報道の仕方をしたのであれば、他のメディアは、そうではなく、事実はこういうことだ、となぜ言わないのでしょうか?
誰が悪いということではなく、大人だから冷静に騒がず、ということでなく、うまく誤解を与えないようにうまく説明してほしかったです。

我々の捉え方が、いわゆる子供じみていて馬鹿げたものであるのなら、なおさらメディアはことの本質や大人の判断を伝えてくれてもいいのではと思ってしまいます。
そこにメディアの価値があるでしょうし、そういう報道をすることこそメディアの役割ではないかと思うのです。

《震災以降に開かれている松本大臣の記者会見や知事側が進めている特区の問題点を理解していれば、騒ぐべき性質のものではない「蛇足」だと判断する方が常識的なスタンスです。》

大人のメディアの常識としてはそうなのかもしれませんが、我々は(僕だけかな?)騒ぐべき性質かどうかも何もわかりません。
想定外とはいえ、あれだけ騒ぎになったのだから、ことの本質はこうでした、だから騒ぎませんでした、と言ってほしかったです。

じいさん、すみません。
ここで反論しようなどというつもりは毛頭なく、あの事件(?)に対する僕の理解は前回の記事に書いたことなので、そうではない事実があればぜひ知りたいなあ、というのが本音です。
そして、そういう知りたい(裏の)(本質の)事実がもしあるのであれば、ぜひ伝えてほしかったと思うわけです。

そんなこと、たいした問題じゃないのでバリューがない、伝える意味はない、テレビ局としてメリットがない、ということになると、これは、テレビの公共性の問題になってきます。

このことについて書かれているブログをご紹介します。
テレビ局は営利企業か、それとも公共性があるのか

難しいですね。公共性ということ。
いろんな人がいていろんな意見があるので、今回の原発保障問題とか、義捐金の分け方とか、公共性に基づき、できる限り公平に、というのは簡単だけど、実際にやるとなるととてつもなく難しいので、何かしらの考え方、指標を設定してそれに沿ってやるしかない。

この問題を知りたがってる人が何%いるか、バラエティを見たがってる人が何%いるか、すべてがデータや多数決で決めればいいというわけでもないし、そんなこともいちいちできやしない。

松本元大臣は今頃どうしていて、あのことをどう思っているのでしょうか?

もし今、このことを白日の下に晒すことがいろいろまずいことがあるのであれば、少し時間経ってからでもいいので、あの時の言動の真意や事実を知りたいと思っています。
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ジャーナリズムの本質

2011年07月22日 23時15分20秒 | メディア
先日書いた記事、マウンティング体質

内田樹さんの記事、暴言と知性については全編なるほどと思うことばかりでした。

さて、そのことについて書かれているこの記事がまた素晴らしいです。
恫喝と恐怖支配からの脱却/インターネットは日本を救ったか
何度か取り上げている、風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観るというブログです。

今日は、この部分について。
「書いたら終わりだよ。」という恫喝に関してです。(部分的に引用させていただきます。)
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松本氏は宮城県知事とのやりとりの最後に、発言はオフレコであり、『書いたらその社は終わり』と恫喝し、実際当初は大手メディアは明らかにこの恫喝に屈して沈黙していたことが後に暴露された。政治家が恫喝し、メディアがそれに屈するというとんでもない構図だ。今回は、地元メディア(東北放送)がどういう背景かはわからないが、この恫喝に屈することなく一部始終を放映し、それがYouTubeに取り上げられて、100万回という驚異的な視聴となり、本来闇に葬られていたはずのやりとりが表沙汰になった。大手メディアが松本氏の背後の団体を恐れて普段から自主規制気味であることも同時に明らかになったため、こうした大手メディアの弱腰にも非難が集中しているが、何より問題なのは、日本がこれほど危機的な状況にある中で、恫喝が実行力のダイナモ(エンジン)である人物に復興担当相のような要職を任せようとしていたこと自体だ。如何に実行力が必須とは言え、これは恐るべき事だと私は思う。
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この記事の中にもリンクされてますが、月明飛錫というブログの「書いたら終わり」― 松本復興相が迫った踏み絵という記事もポイントを突いてます。
少し長いけどポイントの部分、引用させてもらいます。
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今回問題となった会談は、3日に行われたものだったが、当日それを放送したのはTBS系列のローカル局・東北放送だけだった。その映像がYouTubeにアップされ、それが深夜のうちにネット上で話題となり、翌日メディアが一斉に報道したのだ。この経緯は、昨年の尖閣諸島問題のビデオがYouTubeにアップされてから広まったことを髣髴とさせる。マスメディアの横並び体質は、半年以上経っても、アラブに春が訪れても、まったく変わっていないということだ。

そうした中で、最初に放送した東北放送の行動は賞賛に値する。
ところで、松本氏の発言の最後は、
「最後の言葉はオフレコです、いいですか、みなさん。書いたらその社は終わりですからね。」となっている。
当日東北放送以外はどこも報じなかったのは、この言葉が効いていたのであろう。
翌日になって、多くのメディアがこの言葉を掲載したが、この発言の真意をただしたり、論評した新聞は、私の見た範囲ではなかった。

それにしても、「その社は終わり」とは、何を意味するのか?
そして、どのようにして「その社は終わり」に至るのだろうか?
常識的に考えると、「その社は終わり」というのは、倒産するか、記者クラブからはずされる、放送局であれば免許を剥奪されるなどして活動できなくなるということだ。

権力者によるこの発言は、明白な言論統制ではないだろうか。
この発言に対する批判が、いまだにマスメディア側から出ないのは、異常な事態だ。
こうした発言は政治家には珍しくない、という指摘はある。実際、そうなのかもしれない。しかし、そうした慣行があったとしても、それを守り続けるべきかどうか考える時期にきている。
昨年11月に尖閣諸島のビデオが流出したとき、インターネットの普及によって、権力側が、都合よく情報をコントロールをすることが、どんどん難しくなってきているということがわかったはずだ。今回に限らず、民主党の議員は現代の情報社会についての認識が甘い傾向にあるのではないだろうか。
もちろん、政治家の発言にオフレコがあること自体は、やむをえない。合併交渉中の企業のトップが表立って言えないことがあるように、あるいはそれ以上に、政治の世界に微妙な問題があることは間違いない。しかしこの発言は、ビデオを見ればわかるように、誰かの命や国家機密にかかわるようことではない。
たんなる「踏み絵」―その場にいる記者たちの松本氏への忠誠心を試す―でしかない。
いや、松本氏にとっては「踏み絵」ですらなく、大手メディアは政治家にとって内輪であり、当然コントロールできる存在だったのかもしれない。
それでも、この発言は、結果としてメディアの報道姿勢を試す「踏み絵」となった。
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御用組合的記者クラブの話もいろいろ取り沙汰されているけど、今回のことでクローズアップされたのは、マスメディアの姿勢です。

個人の偉そうな恫喝体質を問題にして、辞任だなんだって騒ぎ立てることよりも、ずっと大きな問題だと思います。

完全に牛耳られているその体質の中に、果たしてジャーナリズムなんてもののかけらすら存在するのか。

田原総一朗の政財界「ここだけの話」「社会党の麻生太郎」こと松本龍氏の辞任劇という記事の中にこんな一節がある。
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マスコミがだらしないのは、5日になっていっせいに松本批判を展開したことだ。岩手や宮城での発言が3日。翌4日の朝刊では小さな記事しか書かなかった。つまり、一日様子を見て、テレビのワイドショーなどがさんざん批判し、松本さんは悪だと世論ができたのを知ってから、新聞各紙はそろって強烈な批判を始めたのである。
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完全に骨抜き体質。権力側、お上の方ばかり見ている。その次に世論。

何を伝えるべきか、ではなく、何を伝えたら問題ないか、どうすれば横並びで安泰な毎日を送れるか、ということに腐心している。

普段はガキ大将の後ろについてうろちょろしていて、そのガキ大将がちょっと悪いことして先生に怒られて、PTAも含め問題になったりすると、最初からあいつはよくないと言ってる皆の後ろに回って、そうだそうだと口を合わせる。

一番最低です。
辞任したからいいとか言う問題でなく、書いたら終わりだよ、というこの発言を、なぜ問題にしないのでしょうか?
この国は当たり前のように言論統制がまかり通っている国なんでしょうか?

そうであってもなくても、今回のユーチューブ然り、昨年の尖閣諸島ビデオ流出事件もそうだけど、ソーシャルメディアが完全にそのポジションを担っているのが現実だ。
もしもソーシャルメディアやインターネットがなかったら、この国はどこまで封建的恐怖政治体質になっていたのでしょうか。まるでどこかの国みたいです。
真実が伝わらないまま、限られた、あるいは間違った情報を元に判断せざるを得ない状況を想像するのが恐ろしい。
いや、今だってもしかしたらかなりそうなのかもしれない。

我々もしっかりと見ていかなければならないのだろうけど、大手メディアが、どこも『あの書いたら終わり』ってのはどういうことなのか?って、特集を組むなり、特番をやるなり、社説を書くなりしないのは、どう見てもおかしい。
松本大臣はたまたま言っちゃったのだろうけど、その背景や伏線が絶対にあるはず。
決して彼だけの問題ではないはず。

メディアの皆様、ジャーナリストとして頑張っている皆様、
この問題、見過ごしたままでこのまま放置しておいていいのでしょうか?
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