(11/6 北海道新聞朝刊 書評欄から)
昨年(書評「学校の戦後史」)以来の今回(書評「崩壊するアメリカの公教育」)。「この著者は何を言いたいのか」、「どんな読む価値があるのか」、「自分の言いたいことは書いたのか」、今回も唸りながら700字の格闘。今回は前回と比べて「奥歯に何かが挟まった」、「歯がゆさ」の感じ無く、気持ちだけは楽だった。
書評の仕事は、担当記者が本を選び、依頼により始まる。書き手に本を選ぶ自由は無い。性格上、書評原稿はそのまま掲載される。本も著者も、今が旬の業界で話題の一冊。持ち上げるのも、文句をつけるのも自由だが、「的を得ているか」どうかの一点が書評の存在価値、だがこれが怖いことなのだ。書評とは、天下に読書力や批評性、文章力を評価される、晒される機会なのだ。川端康成著「水月」に出てくる『手鏡』なんかを思い出す。
同じ朝の全国紙に、この本の書評が出た。業界内で高名な学者の方。ほぼ同内容に安堵したが、字数の関係で削除したことがやっぱり大事だったなあ、と思った。
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