波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

言葉のケイコ【その百】

2021年08月24日 | 【保管】言葉のケイコ


お知らせしましたように『言葉のケイコ』はシリーズⅠとして一旦終了します。長い間、ありがとうございました、ケイコさん。今日の言葉にあるように身近な暮らしから題材を選んで丁寧に書き続けていただき心から感謝いたします。また、このブログで再会できますよう願っています。 2021.8.24 波風立男

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言葉のケイコ【その九拾九】

2021年08月17日 | 【保管】言葉のケイコ

 

イコは早く歳を取りたい。あの頃に戻りたいということも全くない。漫画なら、「それから色々あって10年の月日が流れ……」みたいな展開もあるのだが、現実はそうはいかない。まだ40代だなぁ、早く歳を取りたいなぁと思いながら日々を生きている。若い頃からその傾向はあったが、最近は特に強くなった。それはきっと、ケイコの周りには素敵な歳の取り方をしている人がたくさんいるからだ。
父は定年退職してからパークゴルフに夢中で、とても楽しそう。コロナ禍からウィーキングも始めたことも素晴らしい。母は子育てが一段落してから勉強をして資格を取り、仕事に繋げた。最近では孫と連絡を取るためにLINEの使い方を必死に覚えたというのも純粋に格好いいなぁと思う。そして、さらに歳を取ることを魅力的に思わせてくれたのは、波風先生とママヨさんだ。お宅にお邪魔をしてお話しさせていただくと、なおさらその人間としての深みがわかる。歳を取ったからこその魅力。ケイコは恵まれている。素晴らしい先達たちに囲まれて、歳を取ることが嬉しいと思える。

ンジージャンプをしてスカイダイビングをして、ラフティングもしてみたい。70歳になったときにも、「毎年恒例なんですよ」と広い空や激しい濁流に飛び出せたら最高。そのために身体も鍛えないと。お金も貯めないと。素敵歳歳を取るためには、今やることはたくさんある。


【波風氏からのご連絡】『言葉のケイコ』は次回をもってシリーズⅠを終了します。

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言葉のケイコ【その九拾捌】

2021年08月10日 | 【保管】言葉のケイコ

リンピックの選手たちにそれぞれ支えとなっている歌があるように、誰しも心に大切に抱えている歌があるだろう。ケイコにも、例えば恋の歌、元気が出る歌、など様々な場面で好んで聴く歌があるが、自分を励ますための歌はずっとB’zの『スイマーよ!!』という歌だ。世の中を大きな海に例え、その中で懸命に泳ぐ人々へ、B’zらしい言葉でエールを送ってくれている。


『少々のことで見えないくらい小さなことで 流れをつかみそこねるスイマーよ!!
ぼうっとしてるうちににごらせちゃった水の中 しっかり目をこらしてゆこう
終わることのない悲しみを歓びに すべての失敗を成功に
あふれこぼれる嘆きを唄声に 魔法じゃない じゃないけどできるよ』


だ浮かんで流れに身を任せたって、休んだっていい。けれど最後にはしっかりと自分の力で泳いで、だからこそ失敗を成功に変えることができる。それは決して魔法の力などではない。水を濁らせてしまうのは、いつだって自分自身だ。どこまで泳いでもゴールなんてないのかもしれない。けれど、せめてその泳いでいく先にはいつか澄んだ綺麗な水が現れるようにと、これからも必死に水を掻き続ける。


【波風氏談】オリンピックにからんだブログ記事、なぜ今これを書いたのかなあ。ケイコさんが自分に向かって放ったメッセージというか、決意があるのかなあと思った。スポーツの感動とは自己変革のインパクトとも言える。

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言葉のケイコ【その九拾漆】

2021年08月03日 | 【保管】言葉のケイコ

正しさとは(下)

えば子どもが迷子になっているとわかっていても、声をかけにくいという大人が多いときく。ケイコもおそらく、声をかけることをためらってしまう。自分がよかれと思ってしたことが、無用な疑いを生んでしまう可能性があるから。もしも誘拐犯や不審者だと思われたらどうしよう。その子の保護者に嫌な顔をされたら?結局自分がモヤモヤして終わるのではないか。せっかくいいことをしても、揉めたら自分が損をしてしまう。そんなことを考えているうちにもしも子どもに何かあったとしたら、後悔にさいなまれるかもしれないのに。それでもすぐにはきっと動けない。

代のせいにすることは簡単だけれど、こういうことをぐちゃぐちゃと考えて大切なことを見失っていることが許せない。それなのにきっと今のケイコは咄嗟には動けない。嫌だ。こんな自分が嫌だ。あらゆる正義が振りかざされる中で、本当に正しいことは失われていく。そんな世の中になってはいけないのに。そもそも考える必要のないことを、考えてしまうことも、考えてかでなくては動けないことも、考えても動けないこと。正しさとは一体何なのか。よくわからないことが辛い。

ーパーの駐車場でのできごとの翌日、子どもが車の中で熱中症となり死亡したニュースを観た。神様は、ちゃんと見ている。これを偶然と片付けるには、あまりにも重い。


【波風氏談】ケイコさんの記事を読み、子どもの危険さに遭遇するのは多くないが、よくある困った大人のもの言いに困った時の自分のあるべき「正しさとは」を考えさせられる。黙っていて良いのか、言ったとしてもどう言うのが良いのか・・・。

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言葉のケイコ【その九拾陸】

2021年07月27日 | 【保管】言葉のケイコ

正しさとは(上)

つものスーパーの駐車場。買い物を終えて車へと戻ると、隣に大きな車が。着いたばかりらしく、降りてきたのは若い夫婦。エンジンをかけたままだ。暑いからかなとぼんやり思いつつ、荷物を載せるべく後部座席へ。はたと、隣の車の助手席でぐっすり眠る子どもの姿を目が目の端に映る。ああ、もしかして子どもを置いて買い物に行くのかな。そう思ったのに身体はいつもの動きをして、何事もないように車に荷物を載せてしまう。そうしている間に少し離れたところから夫婦が戻ってきて、眠っている子どもを降ろし始めた。起こされてぐずる子どもは父親に抱かれ、エンジンの切られた車から家族が離れていく。ケイコはその光景を間近で見ながら、あの夫婦はケイコに見られたと思って戻ってきたのかなぁと考えた。もちろん、そもそも置いていくつもりなどなかったのかもしれない。隣の車のケイコが戻ってきたから、ケイコの車が出て行くまで待とうとしたのかもしれない。色々とぐるぐる考えているうちに、果たしてケイコは、もしもあの夫婦がいないところで子どもが車に残されているのを見たときに、どう対応するだろうと考える。もしも何かあったらと考えて店の人に言うだろうか。そのまま静かに子どもの見張りをしているだろうか。それとも、エンジンがかかっているということはエアコンも効いているから大丈夫だろうしすぐに戻るだろうと、何事もなかったかのように家に帰るだろうか。

うすれば正しいのかということはわかっていても、そう動けるかどうかがわからない自分に愕然とする。まずどうして考えることがあるだろう。そもそも考える必要などないことなのに。(来週火曜日掲載の下に続く)


【波風氏談】画像処理の難しいスマホ環境で作成した今回。シンプル過ぎて物足りない感じもするが、言葉を味わうには悪くない感じ

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