波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

『道神面』を描く。

2017年12月31日 | 図工・調理

神面とは、悪霊や疫病などを防ぐ神様として峠や辻・村境などの道端に祭られている「道祖神」をモチーフにした木彫りや張り子のお面。信州、安曇野あたりの道祖神がモチーフと何かにあった。20年前、その地に旅行しその石像を目にしその愛らしさ微笑ましさが記憶にある。この紙張り子の面、凶暴というか怪異で似もつかないのだが。

に飾ってあった面、部屋の掃除が必要かなあと思いつつ目にとまり、これを描き納めとする。クレパスとクレヨンと木炭、塗りと削りを繰り返し「これ以上やるとちょっとなあ…」というところで終わる。男女性器をかたどり五穀豊穣を祈願する祭器は全国至る所にあるらしいが、この面もその一つらしい。今回、サイト検索したらそんな説明があった。年末年始にふさわしい。
来年秋に展覧会の予定あり、少し真面目に描いていこう。


「遠い山なみの光」(カズオ・イシグロ著)読み始める。息子が電話で「良い本だよ」と言うので  公式裏ブログ、「雑踏の消えた年末」で更新。この表ブログで何回かこの辺の心境を書いているなあ市立図書館に通じる小川沿いの道、小さな鉄橋を見に行く。前は遠くの違う鉄橋を描いたが、こちらは目の前に黒く細い小川に丸く積もった雪、鉄橋の冴えた緑色、支えの灰色のコンクリートがある。

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早朝の学び

2017年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム

雪後、いつにない丁寧さを吹聴したら「質には関心ありません。そんなことまで友人に求めない」とママヨさん。昔、(波風君の)ノートの字を初めて見た時、こんなにいい加減なのは見たこと無かった、というので、「人格とのあまりの差に驚いただろう(笑)」と言うと、「いえいえ、その後、知るにつれ字は人を表すというのは本当だなあ、と思いました」とこれもママヨさん。「根拠の無い自信に翻弄され、後始末ばかりの私の人生ですよ」、なんて付け加える。

週の日曜から明後日まで、波風家が町内のゴミ収集所の当番。時間はそうかからないが、ペットボトルと瓶を混在させていたり、資源ゴミの日に生ゴミ出すのがいたりで、「何で俺がこんな分別を…」と実に腹立たしい。年末につき収集日一日増で、計4日分の前後の作業。何で年末なんだと家に帰ってきて言うと、「私は誰の手も借りず、何も言わず、ずうっとやってきました」と厳かにママヨさん。いちいち腹が立つが、理は向こうにあり、「失礼しました。」とつぶやくしかない。

備や後片付け作業をしていると、ゴミ収集所前の黒い飼い犬が吠える。近年、波風氏はゴミ出しに勤しんでいるが、そのたびにこの鎖に繋がれた犬が吠え続ける。結構長いつき合いなのに、いつまで経っても怪しい人向けの唸り方、吠え方で。あんまり可愛くないので、石を投げる振りしたり、家の影に隠れて突然脅かしたりしたせいかもしれない。少し前から(私は君をずごく愛している、という心持ちで)手を振ってやると態度が変わった。吠えつつ眺め、眺めつつ吠えるようになった。何だか熱い視線なのだ。今朝4時半(開場、朝5時)の作業の時、黒犬から「お前も大変だなあ」という声を確かに聞いた。温かい吠え方ってあるんだ。あっ、わかった。波風氏がママヨさんに対して足りなかったものが‥‥そうか…。 

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当時の冬至

2017年12月22日 | 図工・調理

どもの頃、冬至に南瓜入り汁粉を母親が作ることがあった。波風家では贅沢なものだし、忙しく働いていた母のことを考えると有り難いものなのだが、南瓜嫌いの立男君はいつも怒っていた。すると、「嫌な人には食べてもらわないで結構」と、母と妹が笑いながら旨い旨いと食べていて、それが余計に腹立しかった。結局は食べるのだが、南瓜を、「この野郎」と思っているのでもちろん腕に入れない。だが、黄色い実の小さな繊維が混ざり、嫌な匂いは消せず閉口した。

れが40代で食べられるようになり、60代で好きになった。嫌いな食べ物ナンバーワンが半世紀を経て消滅した。
今日は冬至、ということで台所に転がっていたのを描く。上手く描こう、というのでなく反省と感謝の気持ちで(笑)。「鉛筆の線が少し気になる」と、さっきまで餡餅を作っていたママヨさん。立男はこの外郭線の形が面白くなりそうで描いたのだけれどなあ。何とも愛らしいと思う。 追記:それでも、南瓜入り汁粉はやっぱり好きになれない。別々なら旨いと思う。三つ子の魂、というか、三つ子の舌はなかなかしつこいものだね。

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あこがれの『変な人』

2017年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム
「真実に対して誠実で、正義に対して素直で、力あるものに辛辣で、その上めちゃくちゃ面白い」という井上ひさし氏の米原万里氏(義理の姉)に対する評。さすが、「難しいことを易しく、易しいことを深く 深いことを面白く」の人の人物評。この評、波風氏が常々思ってきた理想像の「変な人」そのもの、と膝を打った。
 
「変な人」は『面白い人』で、その揺るぎなさは強靱な体幹があってこそ。それを、「真実に…」の下りに見る。前述の両氏は、凄い人だが、世間的に立派な人、偉い人とは違う気がする。深い品性による『変な人』を感じる。「真実って何だ?誠実ってどうすること?」、「正義って誰に対してだ?素直って何をするのよ?」、「辛辣に振る舞いたくなる『力あるもの』って?」というようなことを糸口に、残された文章から考えさせてもらおう。ずうっと前から、「漱石と周一と健三郎とひさしで老いる」とぼんやり決めていたが、この選択は『当たり』だったかも。「変な人」に近づく文学面の道で。
 
「少し変な人」になる修行(「変な人」が目標だが、波風氏には才能と環境が不足していて無理なのだ)では、「気味の悪い人」にならない注意が大事。波風氏的に「変な人」と「気味の悪い人」は対極。沖縄で米軍ヘリが窓を落とした小学校に「やらせだ」、「仕方が無いだろう」、「そこに学校を建てるのがおかしい」という匿名の中傷電話をする輩(やから)はまさに薄気味悪い。まだ、「悪い人」の方がましな気が。
 

 
「18波風カレンダー」の応募を昨日で締め切りました。1件、メールをいただきながら消去してしまった方がいて、申し訳ありませんが明日中に届かなければご連絡を 「人々の岸辺」(筑摩書房:内海隆一郎著)、「赤狩り 1」(小学館:山本おさむ作)、「日本の兄弟」(マガジンハウス:松本大洋作)楽しく読む。情感、詩、今に重なる時代を感じた。
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続 『わたしを離さないで』を読む。

2017年12月15日 | 読書

(前回から続く)み始めて直ぐ、なんとなく忌まわしい雰囲気(作者が創造した驚くべき世界なのだが)に戸惑いつつ、「特殊な環境は意識化に沈み、語り手と仲間たちの恋愛や、子どもと向き合う教師たちの苦悩が迫ってくる。普遍的で身近にも感じられる関係性が心に突き刺さる。それこそが『すべてのすぐれた物語』の条件」(12/12朝日「カズオ・イシグロさん ノーベル賞記念講演から」)だと思えてくる。驚くべき想像の産物を補助線に、人間とは何か、自分が自分であるとはどういうことかを考え始める。実に重たい話ではある。が、一旦入り込むと、読書でしか得られない興奮が。まさしく、物語を楽しんでいる自分がいる。
                             
違うが、NHK朝ドラ『わろてんか』の面白くない理由がわかった。「すぐれた物語は、読者にとって重要と思える関係を---読者を突き動かし、楽しませ、怒らせ、驚かす関係」(前出の朝日新聞から)だそうだが、前作『ひよっこ』の面白さがこれで、『わろてんか』はこれが決定的に欠けている。登場人物に共感する仕掛けが何処にも無いのだ。関係ではなくドラマ(筋)を見せたいのだろう。役者の責任で無く脚本の差だね。さらに、『記憶』の扱いの差だとも思った(終わり)


画像は、この本が好きなイラストレーター(松尾たいこ氏)の描いた限定版の表紙。悪くないね 写真の片付け始める。先月に作業準備していた、腰が重い理由は「記憶」を扱うことへの躊躇。未だ早いような、今がチャンスのような…。物ではあるが、写真は記憶を直接に刺激する朝から生活扶助切り下げのニュース。「機会の均等と同時に、分配の均等が求められている」と読み終えた『米原万里を語る』の一文思い出す。良い本だった。米原万里氏のエッセー集2冊、注文する。

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