波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

新春大作戦の到達状況

2023年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 

今月の食費
に使えるお金は残り1.800円です、とママヨさんからの厳かなお達し。波風君の体重と同時に、我が家のエンゲル係数を正常化する『波風家 新春大作戦』の1ヶ月分終了まで残り4日。ママヨさんが、せっせとパンやカステラ、クッキー作り、波風氏もウドン捏ねつつ梅ゼリー作り、いつも以上に市販製品を買わないようにしてきた。家にある食材を可能な限り使う暮らし、食費全体を計算すると市販品買う方がたぶん安く済むだろう。だが、冷蔵庫や冷凍庫の古い保存食品が料理になって空いていくのが気分良い。

 

やみくもに支出
を減らすのでなく、収入や昨年度決算にもとづく支出目標だから「ムダ・ムリ・ムラ」なお金の使い方に敏感になる。作った物を無駄なく美味しく食べ切るのは智恵も必要。石油、電気、水道、ガスの使用量にもかつてなく敏感な波風氏。「貧乏くさくない慎ましさ」の新春大作戦は、「いったい我が家はどんなお金の使い方をしているのか?」を直視するのが一番の目的。だから、貯金なんかに回るお金は出来ない。

 

ここで気づいたのは
「無駄遣い」の素敵さ(笑)。矛盾しているようだが豊かさは必要と無駄がセットなのだ。必要ではないがあると嬉しい買い物。今月、鉄瓶とハンドブレンダーを買う。かの花森安治氏が、すぐに使わなくても持っていると明るい気持ちになる物があり、家計簿の項目に『無駄遣い』を設けるべきだと言っている。これ、終戦から間の無い1952年のエッセーで今更ながら暮らし創造の天才だ。今の「新しい戦前」には、「古い戦後」すぐが役立つのかもしれない。
さて、1、800円何に使うかなあ、こんな楽しい悩みはお年玉もらっていた時以来かもなあ。


画像は、毎日使っている珈琲フィルター紙。一枚だけ取り出したいのに2枚3枚一緒に出てきて使わない分を元に戻すのが面倒この上ない。だが短時間のため毎日ガマンし続けた。ふと、「こうすりゃいいんじゃない?」の紙ズラシ。積年の課題、解決しました 明日、先月に続く読書交流会『ほんのおつきあい』開催予定。コロナが落ち着き始めると外に向かって深く息が吸える感じ。

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夜のスキー場を描く

2023年02月23日 | 図工・調理

平均で1日5千歩は歩きたい。家にいるだけなら除雪しても3千歩、週に3回ぐらい8千歩ほどの用事が必要になる。「無駄には歩きたくない」ので歩く用事を作る。リュック背負って買い物に行く、図書館に本を借り行く、絵はがき描いてポストに出しに行く。自分で意図的に作った「せざるを得ない」環境で自分を動かすのは、もしものぎりぎりまで足腰使える老人にちょっとは近づいていけるようで張り合いがある。これが、他人に指図されて動かされるのなら堪らない。こういう空間と時間の使い方、贅沢。

このイラストは陽が落ちた後の帰り道。夜間スキーの照明がスキー場を照らしきれいだった。


図書館から借りてきた『いまも、君を想う』(川本三郎著:新潮社)、前に借りた人の利用控えが挟まれていて、この本とともに『冥界からの電話』、『終活の準備はお済みですか』を借りたことがわかる。波風氏と同年齢なのかなあ。人生の悲哀を想う 画像のイラストの後、鉛筆とパステルで同じスキー場を描き始める。色に頼ると表したい情感が薄れている気がして老人には教養(今日の用事)と教育(今日行く所)が必要だと新聞の読書欄に。

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WILD FOX №41/緑色の中で

2023年02月21日 | 【協力】Wild foxギャラリ

こういう緑がもう少し経つと表れてくれる。白い空気も悪くないが緑が待ち遠しい吹きだまりの雪を片付ける日。鹿は今、生き延びる暮らしを必死に送っているのだろうなあ。【波風立男氏】

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考える習慣(クセ)

2023年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

どんなふうに考えたら良いのか?子どもたちにどう伝えたり考えさせたら良いのか?は、長い間の習慣。朝、自分の考えよりも子どもらに考えを聞く方が爽やかな1日の始まりだった気がする。この習慣が今はクセとして残り、ブログがその受け皿を引き受けてくれている。教育というのは、過去の確かな事実を未来の可能性ある人間に教える仕事。保守的なことを革新的なことに生かす営み。非常に矛盾しているが、いかにも人間的で面白みのある大事業。先生の話は、誰よりも面白く真面目なのに楽しく、ある意味で勇気と臆病さがとても必要。前は俳優だと思っていたが、今は芸人に近い資質が必要なんじゃないかなあ。


1月ご逝去の右翼の鈴木邦男氏の思い出を綴った中島岳志氏の記事にあった言葉。対立しているような対極が同時にあって完全体なのかと。同時に、本物の右翼と左翼はどこにおわすのか?とも。
「左派は、人間の理性や知性にもとづく革命によって、進歩した未来をつくれると考える。右派は、人は不完全なので歴史に担保されるものを大事にすべきだし、中でも右翼は過去に帰ることで理想社会を獲得できると考える」(2/9朝日朝刊 中島岳志「右傾化する時代 左派と合う声」)
澁谷だったか新宿だったか忘れたが、鈴木邦男氏の街頭演説に聞きほれたことがあった。言語明瞭・論理整然の左翼だと思って聞いていたら違って驚いた。

 

ものごとを表層だけで判断したり、性急に評価しては駄目なことは多い。右翼と左翼の話でも、人は必ずどちらか寄りなだけの話。教育も価値ある保守と価値ある革新のせめぎあいというか統一があって豊かになってきたはず。だが今や「破滅の兆し」の分野。こういう話を中学生に朝の会で伝えることは無いが、大学生ならありうるし、教員を目指す学生なら絶対に考えを深めて欲しい話題。そんな大学生に波風氏ならどんな話ができるだろうか。


聞き逃し番組を聴けるNHKラジオ「らじる★らじる」、早朝ふとんにくるまって聞き少しづつ目覚める。今のお気に入りは番組『青春アドベンチャー』の『常識のない喫茶店』(全5回)明日で1回目終わっちゃう。リアルな現実に寄り添うフアンタジー、声の浅倉あき、本田博太郎も良い 画像は今はめったに使わないカメラ。スマホと違う風景が撮れるが大きいし重い。「ちゃんと大事にしてるよ」の気持ちで描いた。

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記憶の意味

2023年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

記憶は死に対する部分的な勝利、という言葉の意味を考えて歩いた。図書館からの帰り道、いわゆる『波風的哲学の道』を地球を確実に歩く気分で。この言葉は、注目していた作家と生物学者のテレビの対談のテーマだった。コロナが問題になってすぐの頃だ。小説『日の名残り』や『わたしを離さないで』と『動的平衡』はそこに共通項があるのか。


細胞は短期間に入れ替わっているのになぜ個として存続できるのかとか、DNAは永遠に生き続けるなどの生物学の話題に興味湧いたが、それ以上に『記憶』と『人生』の関係に惹かれた。死ぬ間際に思い出すことは何かを描いた小説『燃え上がる緑の樹』(大江健三郎著)の余韻がずうっと心に残っていたからだ。亡くなった人の記憶がある限りその人は他者の中で生き続ける、という話は、近い年齢の知人が最近亡くなり始めたことで繰り返し思い出していたし、それは本当のことだと思った。
外に出る時に形見の腕時計するようになった。生きていた時よりその人を身近に感じ、時が経つほどそれは確かになっている。家に帰ってきて外す時に、ある種の満足感がある。


今考えたことの一部が記憶となり、大部分が忘れ去られる。老いていく今、散歩、読書、話する中で記憶が再生されたり、ずうっと昔の忘れていた人や出来事を一瞬だが突然思い出すことが多くなった。そのことは老いの暮らしの特徴的な一部のように思えて来た。ブログ記事を書いたり、イラストを描くことも無意識に記憶を固定化する営みで、自分自身に対する「記憶は死に対する部分的な勝利」を得るためのもがきかもしれない。


「無駄食いしない減量作戦」が効果をあげてきた。もっかの課題は『正しい姿勢』で、歩く、立つ、座る、寝る姿勢を良くすること。加えて、話する、食べる、見る、聞くのレベルもだ良い絵の条件は、大らかさ、伸びやかさ、独創性、力強さ、リズム、繊細さ、優しさ(風間完『エンピツ画のすすめ』)。つまり、持っている人間性以上の絵は描けないということ。テクニックは覚えても イラストは形見の腕時計。閉店取り消しの時計屋さんが十分使えるよと電池交換してくれて。2B鉛筆と色鉛筆で。 ※『散歩の踏切』の修正箇所は、右側手前の電信柱で前は斜めの支え棒の角度で電信柱本体を描いていた。

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