あのころは、食べることに真剣だった。
隣の家でごちそうになったカレーを、うちでも作ってほしいとねだった。その豪華さを何度も説明したら、「竹輪がたくさん入っていたんだね」と、母が念を押した。
「なるきちおんじゅ」を食べたいと困らせたこともあった。食堂から盛大に煙が流れていた。遊び疲れ、夕食前の私たちは、ラジオ体操よろしく深呼吸し、何とも魅力的な匂いで、未知の味を想像した。看板「成吉思汗」の読み方をいまだ知らない小学生のころ、東京五輪の少し前だった。
何かの幸運で口にした新しい味覚は、仲間うちで自慢しあった。赤いナポリタン、黒いコーラ、黄色いバナナやチーズは、茶色いキンピラなんかとは住む世界が違う味がした。しかし、好き嫌いで、三度のご飯を食べ残すようなことはなかった。そういう子どもは、絶対にバチがあたるからだ。
最近、食べ物の思い出話が多いと妻が笑う。この手の話が尽きたら、生きる欲も力もうせ、お迎えが近い証拠だと反論する。食と密着した、家族や仲間との喜怒哀楽の記憶だから、幼い体験でも忘れられない。
昔が良かったとは言わない。だが、つましい暮らしの中で、子どもは子どもなりに大人を手本に、身近な喜びを分かちあい、明るい未来を信じていた時代だった。
ところで、前は仕方なく口に運んでいた茶色系、フキの煮つけや高野豆腐みたいなのが、なぜか年々好きになっている。(9/18 北海道新聞)
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この日の道新記事、1面に「中国漁船1000隻 尖閣へ」、「検証2大政党 民主失敗から学ばず」。社説は「大震災1年半 復興に勢い取り戻せ」、「少年厳罰化」。日ハム首位が西武に1.5ゲーム差で首位、残り14ゲーム。地方版に稚内大谷高全道(秋季戦)へ。社会面に兵庫の高2自殺事件、心の電話相談最多、北朝鮮拉致など。